目次
2010.2.20. 10周年まで、あと1年 2010.2.27. ジャクリーン・ケアリーとスーザン・サイズモア 2010.3.6. 『ジュリー&ジュリア』 2010.3.13. 本当はおもしろいのかもしれない序文 2010.3.20. 序文対決の行方 2010.4.3. 「それどころではない」 2010.4.17. The Doctor and Douglas Adams 2010.4.24. 訳文対決の行方 2010.5.1. ファンタジー版『銀河ヒッチハイク・ガイド』 2010.5.8. 解説者にして小説家 2010.5.15. ラジオ・ドラマ企画、頓挫 2010.5.22. 『アリス・イン・ワンダーランド』 2010.5.29. ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー『ハムレット』 2010.6.5. フットライツ出身の有名人たち 2010.6.12. 海賊惑星 2010.6.19. 本当におトクな特典映像 2010.6.26. 『話の話』展 2010.9.4. 今夏のテーマはスペイン 2010.9.11. テリー・イーグルトン vs リチャード・ドーキンス 2010.9.18. 新しいことを始める 2010.9.25. チェブラーシカがいっぱい 2010.10.2. マーク・ローランズを読む 2010.10.9. マリー・フィリップスを読む 2010.10.16. アメリカ版とイギリス版、2種類の序文 2010.10.23. iPhone ゲット 2010.10.30. アーサー・デント、ホビットになる 2010.11.6. 物理学者でロック・スター? 2010.11.13. 『リトル・ランボーズ』 2010.11.20. スティーヴン・フライ自伝 2010.11.27. スティーヴン・フライ自伝2
自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
よろしければ、お付き合いください。
2001年2月12日にこのサイトを立ち上げてから丸9年が経過し、10周年を寿ぐまであと1年を残すのみとなった。立ち上げ当初の予定ではせいぜい「3年くらい続けばいいな」だったのだが、ここまで来たからには何とか「10周年」をクリアしたい、という欲も出てくる。
という訳で、少なくとも今年1年、どうにか踏ん張って地道な更新を続けていきたいと思います。よろしければ、またお付き合いくださいませ。
で、まずは例年通り今年も追加した、「My Profile」のコーナーの「2009年のマイ・ベスト」について。
小説の選出に関しては、今回はまったく迷わなかった。アラン・ベネットの小説が日本語に翻訳されるのはこの『やんごとなき読者』が初めてらしいけれど、引き続き他のベネット作品も出てくれればいいのにと思う。ついでに、この作品の中に出てくるこれまで日本語に翻訳されたこともない小説についても対応してもらえたら、なお嬉しいんだけど。
それにひきかえ、映画3本を選ぶのにはかなり迷った。迷った結果、いつもとは毛色の違うリストになった。実在の人物を描いた映画と、実在の人物のドキュメンタリー映画と、CGアニメーション映画。どれも、2001年から2008年までに選んだ24作品には見当たらない系列の作品ばかりだ。正直に言って、この3作は自分でも映画館に向かった時には「ほどほど」の期待しか持っていなかったのだが、実際に観て思いがけずガツンと一撃をくらった。
……と言うと、そもそもショーン・ペンとマイケル・ジャクソンとジョン・ラセター相手に「ほどほど」とはどういう意味だ、と憤る方も大勢いらっしゃることだろうが、遅まきながら「参りました」と平伏しましたので、私の無知に免じてどうかご容赦あれ。もっとも、ジョン・ラセターに関しては、私も『トイ・ストーリー』以来の割と熱心なファンではあったのだけれど、『ボルト』だけはピクサーから離れてディズニーで、という話だったのでいささか期待値を下げていたのだった。ええ勿論、下げた私が愚かでしたとも。なので、今年の夏に公開予定の『トイ・ストーリー3』は、期待値を目一杯上げて待つことにするぞ。
同じ続編でも、シリーズの生みの親であるジョン・ラセター本人による『トイ・ストーリー3』と、ダグラス・アダムス以外の作家による『銀河ヒッチハイク・ガイド』6作目とでは、私の中でどうしても評価の基準が変わってしまう。同じ「続編」という基準だけで、作品の出来不出来を語ることができない。作品本位で考えるなら、書き手が誰であろうと関係ない、と言い切るべきなのかもしれないが、でもそこまで徹底して透明人間扱いされることは、作家オーエン・コルファーにとってもきっと本意ではないだろう。
などと、この1、2ヶ月の間ぐずぐずと考えて私なりに出した And Another Thing... の感想が、こちら。これを書くにあたっては、ネットにアップされているさまざまな書評や感想を読んでみたけれど、当然と言えば当然ながら私同様、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンとして今回のコルファー版をどう見るか、というスタンスのものばかりだった。そうではなく、逆に根っからのオーエン・コルファーのファンたちが今回の彼の作品についてどう考えたか、についても興味があるのだが、今のところそういう文章は見つけ損ねている。「アルテミス・ファウルは大好きだけど、『銀河ヒッチハイク・ガイド』て何?」な人なら、日本にもたくさんいらっしゃると思うんだけどな。
2010.2.27. ジャクリーン・ゲアリーとスーザン・サイズモア
毎年2回、夏と冬の二ヶ月に亘る更新休止期間中に、私は「関連人物一覧」のようなコーナーを一通りチェックし、必要に応じて最新情報を追記している。年々そういった確認事項が増える一方で手間はかかるがそれはさておき、『銀河ヒッチハイク・ガイド』をテーマに書かれたエッセイ集『宇宙の果てのアンソロジー』の執筆者一覧についても確認してみたところ、19人の執筆者のうち、これまで一度も翻訳されたことのなかった二人の作家の小説が、2009年に日本で出版されていたことに気が付いた。
その二人とは、ジャクリーン・ケアリーとスーザン・サイズモア。
ジャクリーン・ケアリーが書いた『宇宙の果てのアンソロジー』に寄せたエッセイ "Yes, I Got It" を読むと、イギリス人でない『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンの一人として、私もつい彼女に肩入れしたくなる。で、2009年に翻訳された彼女の長編ファンタジー小説『クシエルの矢』シリーズ3冊を、表紙の少女マンガ的イラストにちょっと怯みつつ、近所の書店で買ってみた。
普段の私は、ハヤカワ文庫FTは滅多に手に取らない。ジャンル小説としてのファンタジーは、実はあんまり得意ではないのだ(タニス・リーとか、例外的に好きな作家もいるけど)。なので『クシエルの矢』シリーズを買ったのも、どちらかと言えばご祝儀気分であり、その結果、買っただけで満足して今に至るも全く読んでいない。
勿論、近いうちに読むつもりではいるのだが、ただその前に気になることが一つある。『クシエルの矢』の文庫本表紙のそでの部分に書かれた著者紹介によると、「大学在学中に交換留学でロンドンに行き、書店で半年働いた」とあるが、私が自分のサイトにアップしているケアリーの紹介文は「卒業後、交換プログラムに参加して半年間ロンドンの書店で働いていた」。在学中と卒業後、瑣末な間違いかもしれないが、他でもないこの半年のロンドン書店務めの体験こそが "Yes, I Got It" の中核となっているだけに、私としては見過ごせないミスだ。それにしても、日本で紹介されていない作家等について自分のサイトに載せる時は、なるべくその作家の公式サイト等で確認するようにしているつもりだったのに、一体どこをどう勘違いしたんだろう、と思って改めてケアリーの公式サイトを訪ねてみたところ、After receiving B.A. degrees in psychology and English literature from Lake Forest College, she took part in a work exchange program and spent six months working in a bookstore in London.
この文章を読んだ限りでは、在学中というより卒業後にロンドンで働いたとしか思えないので、今のところ私のサイトでは強気に「卒業後」としておくことにする――あ、やっぱり私の誤訳とか誤解ということなら直ちに訂正しますので、お気付きの方は是非当方までご連絡ください(自分の英語力を考えると、やっぱり強気一色にはなれん)。
それから、2009年に翻訳が出たもう一人の作家、スーザン・サイズモアのほうは、秋に扶桑社ロマンスから『君を想って燃え上がる』という邦題で文庫本が出版された。が、サイズモアのエッセイ "You Can't Go Home Again, Damn It! Even If Your Planet Hasn't Been Blown Up by Vogons" を読んでいただければ、この私が彼女に肩入れだのご祝儀だのをするはずがないことは言わずもがなだ。しかし、『銀河ヒッチハイク・ガイド』をボロクソに時代遅れ呼ばわりした作家先生が、ご自身では一体どれほどの小説を書いていらっしゃるのか、という歪んだ興味は確かに湧く。だからって買って読むのも癪だよなあ、などとセコいことを考えていた矢先、地元の図書館の棚が並んでいるのを発見し、お、ラッキー、とばかりに借りて読んでみたのだが。
……『君を想って燃え上がる』は、今アメリカで流行っている「パラノーマル・ロマンス」というジャンルの小説らしいのだが、何のことはない、図書館の返却カウンターに出すところを誰かに見られるのが恥ずかしいくらいの、ベタなポルノだった。おとなしく買って読んでいれば、返却という要らぬ恥をかかずに済んだものを、よもやこんな形で作者に逆襲されるとは!
気を取り直して今回の更新は、二ヶ月の冬休み中に偶然発見した『銀河ヒッチハイク・ガイド』関連のちょっとした情報について。「Topics」欄に映画『ジュリー&ジュリア』を追加すると共に、「関連人物一覧」欄のヒュー・ローリーにも加筆した。
前回の更新で追加した映画『ジュリー&ジュリア』は、昨年12月末に映画館で観た。
が、今になって振り返ると、わざわざ映画館まで足を運んでまでこの映画を観たいと思った、その理由が自分でもよく分からない。監督がノーラ・エフロンだったから? 嫌いじゃないけど、そこまで好きかと言われると、微妙。メリル・ストリープの名演技が観たかった? いやいや、予告映像を観た限りでも、『プラダを着た悪魔』の時のほうがはるかに魅力的だった。それとも、美味しそうな料理の映像を堪能したかった? そういう映像は確かに好きだが、濃厚なフランス料理は胃の弱い私にはちょっと……。
考えれば考える程、分からない。
が、とにかく私は一人で出掛け、そして映画が始まって10分くらい経った頃には早くも眠気に襲われていた。つまらない、とまでは言わないものの、エイミー・アダムス扮するジュリー・パウエルは些細なことでいちいち大騒ぎするし(些細なことで大騒ぎするのは構わないが、大騒ぎする自分の姿に笑うだけの心の余裕というかユーモアのセンスがないのは困る)、メリル・ストリープ扮するジュリア・チャイルドの間延びした喋り方もかったるい(実在の人物に忠実に演じただけなのだから、役者に非はないんだけど)。うつらうつらしながらスクリーンを眺めているうち、ジュリーがブログ更新準備に追われて半ばヒステリー状態、というありがちな展開へと流れていった。
世の中には、お金儲けのためでも誰かに命じられたからでもなく、自分で自分にノルマや締め切りを設定し、サイトやブログを定期的に更新し続ける人はたくさんいる。勿論、私もその一人だ。でも、だからって締め切りに苛立つジュリーに共感できるかどうかはまた別の話。むしろ他人事ではないだけに、所詮は趣味に過ぎないものにのめり込んで実生活のバランスを欠いてしまうことのバカバカしさ、本末転倒ぶりに自ら笑うだけの客観性は持っていろよとつい苛立ってしまう。
と、かなり突き放した気分で事の成り行きを観ていると、ジュリーの夫エリック・パウエルが、そんなヒステリー妻を慰めるべく、締め切りにまつわる格言めいたことを言い出した。締め切りが通り過ぎる時の音がどうした、とか。おいおい、何だかアダムスからのパクリっぽいぞ、と思った矢先、台詞と日本語字幕の両方ではっきりと「ダグラス・アダムス、『銀河ヒッチハイク・ガイド』」が出たではないか。
一瞬にして眠気はふっとび、思わずシネコンの椅子の中で居住まいを正す。うひゃあ、これは私が映画館で観るべき映画だったんだ!
――で、話は冒頭に戻る。『ジュリー&ジュリア』に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくることなんか全く知らなかった私が、どうして敢えて映画館で観ようと思ったのだろう。ひょっとして、いつの間にかある種の第六感が備わって、どんなに遠く離れたところからでも『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関するものを嗅ぎ当てられるようになった、とか?
まさかね。でも、まったくない、とは言い切れないかも。
気を取り直して今回の更新は、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年を記念して出版されたペーパーバックに、オーエン・コルファーが寄せた序文を紹介。彼が書いたシリーズ6作目 And Another Thing... と合わせて読むと、なお興味深い。
前回の更新で追加した、オーエン・コルファーによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』への序文を一読して私が抱いた感想は、2009年9月12日付の同コーナーに書いた通りであり、お世辞にも好意的/肯定的なものではなかった。
その感想は、コルファーが書いた6作目And Another Thing... を読み終えた今でもあまり変わらない。敢えて言うなら、2009年9月の時点では「この先一体どんな『銀河ヒッチハイク・ガイド』の続編を読まされることになるんだろう」と頭を掻きむしりたくなったけれど、結果が出た今となってはそういう不安は湧かない、というくらいの違いだ。
が、自分が好意的/肯定的な感想を抱いていない英語の文章を自分なりの日本語に移し替えるにあたっては、いつも以上に神経質にならざるを得なかった。『宇宙の果てのアンソロジー』にスーザン・サイズモアが書いた "You Can't Go Home Again, Damn It! Even If Your Planet Hasn't Been Blown Up by Vogons" のように、はなから『銀河ヒッチハイク・ガイド』に攻撃的/否定的な文章だったらまだいい。私が彼女の文章の概要をまとめ損ねたせいで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を意味もなく貶めたと言われる筋合いだけはないからだ。でも、コルファーはサイズモアとは違う。彼の序文は、当たり前だが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に好意的/肯定的、なのに私はそれを読んで「褒め言葉なのは確かだけど、でも何か違う」と思い、そのくせ「何か違う」と思うのはひょっとしたら私の英文読解力不足のせいかもしれないという後ろめたさを拭い切れない。ああもう一体、何をどう訳せばいいのやら。
と、私がさんざん迷った挙げ句の結果をお読みいただいて、「何だ、おもしろいじゃないか」と笑ってくださる方がいらっしゃったとしたら、私としては万々歳である。確かに私にはあの文章のおもしろさがピンとこなかったけれど、だからってコルファーの足を引っ張りたくはないし、むしろ「きっとこういうところがおもしろいのだろう」と推測できる限りの推測を膨らませて日本語にしてみたからだ。
逆に、読んで「つまんねー」と思われた方には、本当にコルファーの原文もつまらないのか、単に私が原文のニュアンスを汲み取り損ね、翻訳し損ねているだけではないのかと大いに疑っていただきたい。何せ私のやることだ、後者の可能性は大いにありうる――勿論、そんなのはコルファーの序文に限ったことではないけどね。
そして今回の更新は、同日に発売されたパン・ブックスからのペーパーバック『銀河ヒッチハイク・ガイド』に付けられた、ラッセル・T・デイヴィスの序文を追加。これはやっぱり、コルファーのと並べて読むべし、でしょ。
追伸/2010年2月27日付の同コーナーで「近いうちに読むつもり」と書いた、ジャクリーン・ケアリーの『クシエルの矢』計3冊を、先日ようやく読了した。かわいらしい少女マンガ的イラストの表紙にも似ず、物語の設定が露骨にエロくて面食らったものの、派手な濡れ場を書くためにストーリーやキャラクターがあるといった感じだったスーザン・サイズモアの『君を想って燃え上がる』とは違い、主人公が特殊体質の被虐趣味という設定はストーリー展開の中で巧く使われていたと思う。思うがしかし、この分厚い3冊を片付けただけで私はもうお腹がいっぱい、現時点で早くも続編『クシエルの使徒』計3冊のうちの2冊が発売されたことは知っているけれど、私は脱落することにする。真性のファンタジーファンのみなさまは、どうか私の屍を踏み越えて、続きをお楽しみください。
2009年9月1日に同日発売された、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の2種類のペーパーバック。それぞれに付けられた、2種類の序文。オーエン・コルファーとラッセル・T・デイヴィス、二人の書き手がこの状況をどのくらい意識していたかは知らないが、これはもう「比較するな」と言う方が間違っている。
で、比較した結果、この序文対決はラッセル・T・デイヴィス版の圧勝だと私は思う。学校集会の話には「何だよ何だよ、(周りに誰一人『銀河ヒッチハイク・ガイド』をおもしろいと言ってくれる人のいなかった)私と真逆の学生生活は!」と地団駄を踏み、住居購入の話ではうっかりその情景を思い浮かべて羨ましさのあまり悶絶し、最終段落ではほとんど落涙せんばかりに感激した――というのは、大げさな表現なようで実はちっとも大げさではない。そのくらい、ものの見事に私の琴線に触れた、いや、心臓を射抜いてくれた。
しかし、感激する気持ちが強ければ強いだけ、前回の更新のためにその文章を日本語に翻訳するにあたっては、どうすれば原文のシンプルさと親しみやすさを損なわずに済むのかと頭を抱えることになった。前回の同コーナーに書いた通り、コルファーの序文を訳した時は、「ひょっとしたらとてもおもしろいのかもしれない文章を、私の読解力不足のせいで台無しにしているんじゃないだろうか」というプレッシャーを感じたのに対して、デイヴィスの序文の場合は「原文はもっとシンプルでもっと親しみやすいのに、私の文章力不足のせいで良さが半減しているよなあ」と途方に暮れた、とでも言おうか。"a shared knowledge of a piece of writing, a shared love" とか、意味は分かるよ、分かるけどさ、でも一体どう訳せば原文の持つ「みんなと分かち合っている」感が出せるというのだ。
という訳で、素人の私が我流で訳したデイヴィスの序文を読んで「どこがそんなにいいんだ?」と思った方は、どうか原文に目を通してから最終的な判断を下していただきたい。勿論、私に言わせればデイヴィスの圧勝でも、「何でだよ、コルファーのほうがずっといいじゃないか」と思う方もいらっしゃるだろう。そういう方がいらっしゃればなおのこと、私としても敢えて2作品並べてアップした甲斐があったというものだ。
にしても、2種類のペーパーバックが出版されてから半年が過ぎたにもかかわらず、日本語は勿論のこと英語のサイトの中でさえ、私は私以外の誰かが書いたオーエン・コルファー版とラッセル・T・デイヴィス版を比較した文章を未だに見つけられずにいる。おかしいなあ、いくら何でも2作を読み比べておもしろがるのは世界広しといえど私だけ、ということはないと思うんだけどなあ。きっと、単に私のネット検索のやり方が巧くないせいだな、うん、そういうことにしておこう。
気を取り直して今回の更新は、引き続き30周年記念のペーパーバックの序文を紹介する前に、30周年記念の序文を手掛けた計6人のうち、ダグラス・アダムス関連人物に入っていなかったダーク・マッグスを追加。とっくに紹介済みだと思っていたんだけど、まだだったのね。
それから、たまたま図書館で見つけた The Hitchhiker's Guide to Self-Management & Leadership Strategies For Success という本の著者、クリストファー・フリングスについても追加したので、こちらもよろしく。
先週の土曜日3月27日には、いつもの通り週に一度のホームページ更新をする予定だったけれど、この私をもってしても「それどころではない」と言わしめるだけの不幸事が起こったため、急遽お休みすることにした。
4月になって一段落したのだが、気分的にまだ少しヘコんでいるのと、4月は職場が年に一度の大繁忙期なのとで、勝手ながら次回の更新も2週間後の4月17日にさせていただくことにする。
本当は、内容的にはまったく関係ないのに何となく親しみを感じさせるためだけにタイトルに 'Hitchhiker's Guide' と付けた自己啓発本の著者の悪口を書きまくってやろうと思っていたんだけどね。今の私には、さすがにそんな元気はない。でも、2009年9月1日に発売された新装版ペーパーバック『宇宙の果てのレストラン』に付けられたテリー・ジョーンズによる序文は追加したので、こちらはよろしく。
2010.4.17. The Doctor and Douglas Adams
2010年4月2日に、BBCラジオ4でダグラス・アダムスと『ドクター・フー』との関係を追った30分のドキュメンタリー番組 The Doctor and Douglas Adams が放送される、と私が知ったのは、放送日の2週間ほど前だった。
どんな形であれ、ダグラス・アダムスが特集されるのは私としてはいつでも大歓迎である。歓迎するがしかし、何で今更、というか今頃になって、わざわざこういうテーマのラジオ番組が製作されるのだろうと不思議にも思った。まさか、購入したもののどうにも観る気になれなくて半年以上もの長きに亘って放置したままになっていた 'The Pirate Planet' のDVDを、2010年に入ってようやく観終わった私へのご褒美という訳でもあるまいに。
が、その謎も、BBCラジオ4の番組紹介のサイトを読むとあっさり解決した。何だ、その翌日の4月3日から『ドクター・フー』の第5シリーズが始まるから、その番組宣伝を兼ねていたのか。だから、The Doctor and Douglas Adams の出演者の中にスティーヴン・モファットの名前も入っていたのか。
などと言われても、(日本では恐らく大多数の、私だってつい最近までそうだった)「何のこっちゃ」としか思えない方のために簡単にご説明しよう。2005年4月から始まった『ドクター・フー』新シリーズで、脚本と製作総指揮を兼任し、番組内容に関する事実上の最高責任者だったラッセル・T・デイヴィスは、第1〜第4シリーズまでを製作した後、2010年1月1日に放送されたスペシャル番組を最後に降板した。デイヴィスに替わって、2010年4月からの第5シリーズは、第1〜第4シリーズでは一脚本家として参加していたスティーヴン・モファットが製作総指揮を務めることになる。そしてこの交代劇と同時に、主演俳優もデイヴィッド・テナントからマット・スミスに替わり、作品のテイストも刷新されることになった。故に、いつもと異なる形の番組宣伝も必要となり、The Doctor and Douglas Adams のようなラジオ番組が製作され、スティーヴン・モファットが出ることになった、と思われる(多分)。
そもそも私にとって『ドクター・フー』とは、「アダムスが脚本を書いたことがあるというから最低限の知識は仕入れておかなきゃと思うけれど、でなけりゃ誰がこんな鈍臭い映像を観るものか」から始まり、「でも2005年以降の新シリーズは、映像が普通レベルになったのと役者が巧いのとで結構おもしろいと思う。脚本もいいし」を経て、「新シリーズってあちこちで何となく『銀河ヒッチハイク・ガイド』を彷彿とさせるなあとは思っていたけど、何てこった、"Just Arthur Dent" なんて台詞が挿入されるほどに直接的に関係していたとは」で一気に関心が高まり、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年記念のペーパーバックにラッセル・T・デイヴィスが書いた序文を読んですっかりデイヴィス本人のファンにもなった、という経緯がある。つまり、ダグラス・アダムスや『銀河ヒッチハイク・ガイド』と関連性が強いからこそ、私は『ドクター・フー』の新シリーズを気に入っている、とも言えるのだ。故に、そのラッセル・T・デイヴィスが降板し、内容が刷新されるスティーヴン・モファット版の第5シリーズについて、私の関心が急速に薄まるのも無理からぬこと。もっとも、モファットの名誉のために書き添えると、第1〜第4シリーズでスティーヴン・モファットが書いた脚本は、それぞれのシリーズの中でもベストと言える出来だとは私も思う(あ、でも第4シリーズはデイヴィスの 'Midnight' のほうがいい)。
が、しかし。BBCラジオ4の公式サイトで放送日から5日以内限定で公開されていた The Doctor and Douglas Adams を聴くなり、俄然スティーヴン・モファット版の第5シリーズへの興味が湧いてしまった。このラジオ番組では第5シリーズの内容については直接的には触れられていないが、モファットは『ドクター・フー』の脚本を書くにあたってアダムスの 'City of Death' をものすごく強く意識しているらしいのだ――ううう、ここまで言われてしまっては、私としても無視できないではないか。
おまけに、軽い気持ちでウィキペディアで検索してみたら、第5シリーズの脚本家の中には何とあのリチャード・カーティスの名前まで入っている。俄に信じ難い気もするが、本当の本当にカーティス脚本による『ドクター・フー』が実現したら、これはやっぱり観てみたいよなあ。
ラジオ番組 The Doctor and Douglas Adams が、どのくらい第5シリーズの宣伝に貢献したかは知らない。が、日本人が一名釣れたことだけはどうやら間違いないようだ。
The Doctor and Douglas Adams の内容紹介は後日に譲るとして、今回の更新は前回に引き続き、2009年9月1日に発売された新装版ペーパーバック『宇宙クリケット大戦争』に付けられたサイモン・ブレットによる序文の紹介。それから、4月10日から神奈川県立近代美術館で始まったノルシュテインの展覧会についても、遅ればせながら最新ニュースに追加した。
安原和見訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』と『宇宙の果てのレストラン』が河出文庫で発売されたのは、2005年9月6日のことだった。そして私は、発売直後の2005年9月10日の同コーナーの文章に、「このホームページではこれまで一貫して風見潤訳に基づいて日本語で表記してきたけれど、これからは一般読者の購入しやすさを考えて安原和見訳で統一したほうがいい」と書いたのだが、あれから約4年半もの月日が流れたにもかかわらず、私のホームページのダグラス・アダムス関連コーナーには相変わらず新潮文庫の風見潤訳と河出文庫の安原和見訳が混在している。
私としては、二種類の日本語訳がある『銀河ヒッチハイク・ガイド』『宇宙の果てのレストラン』『宇宙クリケット大戦争』の3作から引用する時には、風見訳を利用する時は特に何も書かず、安原訳を使う時だけ「安原訳」と注記することで一応の区別している。が、そんなのは私の勝手な決め事であり、ホームページのどこかに注意書きを載せてさえもいない有様だ。読み手に不親切なことこの上ない。いつまでもぐずぐずと億劫がってないで、当初の予定通りさっさと安原訳に統一すれば良さそうなものだが、いざ実際に風見訳と安原訳を付き合わせてみると、最初に風見訳で『銀河ヒッチハイク・ガイド』と出会った身としてはどうにも捨て難い訳文があって、機械的に差し替える訳にはいかなかったりする。
たとえば、'Share and Enjoy'。これは『宇宙の果てのレストラン』の冒頭に出てくるシリウス人工頭脳会社苦情処理部門のモットーであり、他でもない私のホームページの名前でもあるが、風見訳では「ともに楽しみましょう」、安原訳では「喜びを分かちあいましょう」になっている。どちらがより原文のニュアンスをきちんと伝えているかという意味では、いくばくかの宣教臭さが漂う「喜びを分かちあいましょう」のほうが正しいのかもしれないが、自分のホームページを 'Share and Enjoy' と名付けた者としては「ともに楽しみましょう」という言葉が持つお気楽な空気感を手放したくないとも思うのだ。
とは言え、前回の更新でサイモン・ブレットが書いた『宇宙クリケット大戦争』への序文を追加するにあたっては、ブレットが『宇宙クリケット大戦争』から引用した箇所を、わざわざ風見訳と安原訳を併記するつもりはなかった。当然のように安原訳だけで済ませるつもりで該当箇所を探してみたら、予想以上の意訳ぶりに驚き、敢えて風見訳も並べることにした次第。どちらの訳文のほうが優れているかについては、お読みになった方の判断にお任せする。私としては――そうね、分かりやすさを優先するなら安原訳だけど、原文の単純さに沿っているという意味では風見訳も悪くないし、ううむ、やっぱり甲乙付け難いぞ。
気を取り直して今回の更新は、ニール・ゲイマンによる30周年記念のペーパーバック『さようなら、いままで魚をありがとう』の序文の前半部分を追加。ゲイマンの序文は他のと比べて倍近くの長さがあるので、前半と後半の二回に分けさせてください。
2010.5.1. ファンタジー版『銀河ヒッチハイク・ガイド』
ニール・ゲイマンは、英米では新刊が出れば必ずベストセラーの上位に入る人気作家だ。が、何故か日本ではブレイクしそうでブレイクしない。ここ数年、『アナンシの血脈』、『グッド・オーメンズ』、『アメリカン・ゴッズ』と、代表作が立て続けに翻訳されたにもかかわらず、人気に火がついたという感じがしない。それどころか、ゲイマンの小説が原作となっている長編アニメーション『コララインとボタンの魔女』の劇場公開が見送られる可能性まであった、という噂を耳にしたことさえある。やはりゲイマン原作の映画で2005年に製作された『ミラーマスク』が劇場未公開のままDVD化されたという過去があるだけに(私としては映画館の大きなスクリーンをデイヴ・マッキーンの描く線が横切って走る様を観たかったのに)、「まさかまた?」と怯えたけれど、幸いこちらは単なる噂だったようで、今年2月に東宝系のシネコンで3D眼鏡をかけて観ることができた。いやほんと、こんなに良く出来た長編アニメーションが危うく劇場未公開扱いされかねないところだったなんて、いかがわしい噂もあったもんだよ、ったく。
しかし、そもそもそういう噂を「そんなバカな」と一笑に付せる程度にまで、日本でのニール・ゲイマンの人気/知名度が上がってくれないことが根本的な問題だと言いたい。そりゃ、日本未公開だろうと未訳だろうと、Amazon 経由でDVDでもペーパーバックでも簡単に手に入れることはできる。でも私としては、映像なら日本語字幕付きで観たいし、小説なら日本語訳で読みたい。そしてそのためにも、「ゲイマン作品ならヒット間違いなし」と、日本の配給会社やら出版社やらに思い込んでいただきたいのだ。
勿論、そういう思い込みが配給会社やら出版社やらを席巻するくらいに日本でゲイマンの人気が沸騰した暁には、熱心な読者のうちの何割かがゲイマンの軌跡を追って『銀河ヒッチハイク・ガイド』にまで辿り着いてくれるにちがいない、という別種の腹づもりも私にはあったりするが、それはまた別の話。ただ、昨年発売された角川文庫『アナンシの血脈』の下巻に付けられた解説で、大森望氏がやはり日本ではゲイマン人気がイマイチ盛り上がらないことを嘆きつつ、これまでに翻訳された小説作品を紹介していく中で、テリー・プラチェットとの共著『グッド・オーメンズ』について「ファンタジー版『銀河ヒッチハイク・ガイド』」(p, 323)と評されていて、私も思わず「うん、その通り!」と頷いたものの、「でもここで『銀河ヒッチハイク・ガイド』を引き合いに出しても、ピンと来てくれる読者がどのくらいいるのかなあ」と首を傾げたのも確か。私のようにダグラス・アダムス経由でニール・ゲイマンに手を出した方も中にはいらっしゃるだろうが、でも実際のところ、ニール・ゲイマンとダグラス・アダムス、今現在の日本ではどちらのほうが知名度があるのだろう。私は、アダムスと比べればゲイマンのほうがまだしも上なんじゃないかという気がするんだけど。
ともあれ今回の更新は、前回に続いてニール・ゲイマンによる30周年記念のペーパーバック『さようなら、いままで魚をありがとう』の序文の後半部分を追加。
ニール・ゲイマンは、英米では新刊が出れば必ずベストセラーの上位に入る人気作家だ。が、そんな人気作家が最初に書いた本は小説ではなく、ダグラス・アダムスと『銀河ヒッチハイク・ガイド』についての解説本だった、ということは、英米のゲイマン作品の読者の間でどのくらい知られているのだろう。
もっとも、たとえその事実を知らなくても、実際にゲイマンが序文を寄せた30周年記念のペーパーバックには、序文の最後にゲイマンの肩書きというか紹介として、'Author of Don't Panic: Douglas Adams and The Hitchhiker's Guide to the Galaxy, and subsequently a famous author' と書かれている。そう、この序文を読むにあたっては、このことだけは絶対おさえておいてほしい。ゲイマンが単なる「作風の良く似た一流行作家」という立場で書いたのだと思ってこの序文を読んだら、彼が『さようなら、いままで魚をありがとう』について、作品そのものだけではなく執筆の裏事情を通して語っていることに不信感を抱きかねないからだ。
逆に、ゲイマンがフリーライターとして『銀河ヒッチハイク・ガイド』の解説本からキャリアをスタートさせ、後に人気・実力ともに誰もが認める第一級の小説家になったことを知っていれば、彼が序文の中でアダムスを「小説家ではなかった」と書いていることにもしみじみ納得させられる。テリー・ジョーンズも、『宇宙の果てのレストラン』に寄せた序文で「凄いキャラクターも強力なプロットもない」という表現でゲイマンと同じようなことを書いているが、彼らのようなストーリーテラーとしての才を持つ小説家には、アダムスの小説に通常の意味でのストーリーテリングが欠落していることが、より際立って見えたにちがいない。
しかし、そう考えると今度は、ゲイマンやジョーンズと同じストーリーテラーに属する小説家であるはずのオーエン・コルファーが、この点についてあまり意識していないことが気になってくる。コルファーが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に寄せた序文でも、彼が一番に注目しているのは「おもしろいキャラクターたち」だし、2008年9月17日に自身の公式サイトで発表した6作目執筆の契約が成立したことについての文章の中でも、「子供の頃から大好きだったキャラクターたちと一緒に仕事ができる素晴らしい機会だと気付いた('I realised that this is a wonderful opportunity to work with characters I have loved since childhood')」とか書いているし。
そりゃ、作品の解釈なんて人それぞれだってことぐらい、頭では分かっている。でも、それでももしコルファーが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』は凄いキャラクターと強力なプロットで読ませる作品ではない、と強く感じていたならば、彼が書くことになった6作目 And Another Thing... も微妙に今とは異なるものになっていたかもしれないな、とか、つい考えるのは止められない。我ながら困ったもんだ。
気を取り直して今回の更新は、勿論30周年記念ペーパーバックの最終巻『ほとんど無害』に、ダーク・マッグスが寄せた序文の追加。六人六様、これでようやくすべてが出揃った。
30周年記念ペーパーバックの最終巻『ほとんど無害』に序文を寄せたダーク・マッグスは、アダムスの死後、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3〜5シリーズだけでなく、『ダーク・ジェントリー』シリーズ2作のラジオ・ドラマも製作している。そして2010年夏には、アダムスが未完のまま残したシリーズ3作目 The Salmon of Doubt もラジオ・ドラマ化する予定――だったのだが、「そろそろ放送予定日くらい発表になってもいいのにな」と思いながらネット検索してみたら、放送予定どころか今から1年くらい前にマッグスが製作から足抜けしていたことを、この期に及んでようやく知った。
何てこったい。
でもまあ、実際にアダムスが遺した The Salmon of Doubt を読めば、足抜けしたい気持ちは分かる。残念ながら、未完の小説と呼ぶのもためらわれるくらい、断片的な文章とアイディアの寄せ集めにすぎないからだ。あれを、ある程度の長さのラジオ・ドラマに仕立てようと目論むこと自体、正直言ってかなり無理があると私も思う。
しかし、ダーク・マッグスの降板に伴って企画が頓挫した訳ではなく、マッグスに代わってこの仕事を引き受けた強者がいたらしい。それが、キム・フラーという脚本家。スパイス・ガールズの映画『スパイス・ザ・ムービー』の脚本を書いた人だが、私はこの映画を観たことがないので判断のしようがない。でも、フラーはその他に『宇宙船レッド・ドワーフ』第7シリーズ第5話も書いているので、こちらは所有するDVD-BOXの中から探し出して観直してみよう――と言いたいところだが、その後キム・フラー版もぽしゃってしまったとのこと。かくして、ラジオ・ドラマ The Salmon of Doubt 企画は、今度こそ完全に暗礁に乗り上げたらしい。
ま、無理もないよな。
その一方で、BBCによる『ダーク・ジェントリー』シリーズ2作のテレビ・ドラマ化企画なんてのもあるようで、アダムスのエージェントだったエド・ヴィクターが、製作に向けて動いているらしい。確かに、ラジオ・ドラマ The Salmon of Doubt に比べればまだ実現の可能性が高そうだけれど、でももっと具体的な話が出てくるまではアテにならん、という気がする。
が、しかし。早いもので約1年後の2011年5月11日は、ダグラス・アダムス没後10年にあたる。これを記念して、何かが製作されたり出版されたりすることなら、ありえるかもしれない。9周年目の今年は、さすがにそういう期待は持てないけどね。
気を取り直して今回の更新は、遺稿集としての The Salmon of Doubt に収録されたエッセイのうち、まだ残っていた2本("Time Travel"、"Turncoat")を追加。
先日、遅ればせながら映画『アリス・イン・ワンダーランド』を観た。
多くのミーハー映画ファン同様に、ティム・バートン&ジョニー・デップのコラボ作品は基本的に見逃せないでしょ、と私も思っている(その割には『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』は、内容のグロさに腰が引けて敢えてスクリーンで観なかったけど)。が、4月から5月上旬までは公私ともに忙しくて、映画館に行く余裕がなかった。
で、上映開始から一ヶ月以上経ってようやく2Dの字幕版で観たのだが、シネコンの席に着き、買ったパンフレットをぱらぱらとめくってみて声の出演者に驚いた。スティーヴン・フライにアラン・リックマン、マイケル・シーンやクリストファー・リーまでいらっしゃる(パンフレットには出てなかったけれど、エンドクレジットでイメルダ・スタウントンの名前まで見つけてさらにびっくり)。全然気付いてなかったけど、こりゃまたとんでもなく豪華な顔ぶれじゃないか。実際に姿を出している出演陣より豪勢かもしれん。まかり間違っても3Dの日本語吹き替え版なんかで観なくてよかった。
おまけに、パンフレットに書かれたスティーヴン・フライの経歴には、出演作として『銀河ヒッチハイク・ガイド』の名前もちゃんと出ている。やはり『銀河ヒッチハイク・ガイド』でマーヴィンの声を担当したアラン・リックマンの経歴には書かれていなかったけれど、ま、リックマンは出演映画が多いから仕方ないか――あ、でも、それを言うならフライだって、俳優としてのキャリアを語るならナレーターを務めただけの『銀河ヒッチハイク・ガイド』より、タイトル・ロールを演じた『オスカー・ワイルド』を挙げるべきだよねえ。
などと、どうでもいいことを考えているうちに映画本編が始まり、冒頭の馬車の中でのアリスと母親の会話など、そうそう、ルイス・キャロルのナンセンスってこんな感じだったかも――とか何とかいい加減なことを思いながら観ていたら、アリスと父親との会話の中に、"six impossible things before breakfast" のフレースが出て来て飛び上がる。
ななななんと、「宇宙の果てのレストラン」のキャッチフレーズ、六つの不可能ごと云々って、元ネタはルイス・キャロルだったのか――と仰天して帰宅した後、自分のホームページを確認したら何のことはない、ルイス・キャロルのコーナーに既に記載済みだった。自分で書いておきながらすっかり忘れて新鮮に驚くなんて、ああ、これだから歳は取りたくないもんだ。
……という訳で今回の更新は、改めて「Topics」欄に「六つの不可能事」を追加。さすがに、これでもう忘れることはないだろう。
さらに「Topics」欄にもう1項目、これまた「今更ながらでお恥ずかしい」ことを追加したので、こちらも合わせてよろしく。
追伸/現在、全国の書店で「河出文庫創刊30周年フェア」が開催されていて、我が家の近所の書店でも特別コーナーが設けられていたが、フェアの中の一冊に『銀河ヒッチハイク・ガイド』も入っていた。すかさず奥付を確認すると、2010年5月の日付で第10刷となっている。ってことは、今回のフェアに合わせてまた増刷されたってことで、いやほんと、実にめでたい。
2010.5.29. ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー『ハムレット』
アーサー・デントなドクターがハムレットをやる。しかも日本語字幕付き。となればこれはもう逃す手はない。
という訳で、先日、NHK-BSハイビジョンで放送されたロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『ハムレット』を録画して観たんだが、いやはやデイヴィッド・テナントの巧いこと巧いこと。シェイクスピアの長くてかったるい台詞をものの見事にこなしてくれる。さすがに本業のプロは違うよな、と言うか、ここはやはり「本業復帰おめでとうございます」とでも言うべきか(テナント以外では、オフィーリアの父親ポローニアス役の芝居が個人的にいたく気に入った)。
しかし、テナントの『ハムレット』と言えば、忘れもしない、私が2008年12月にロンドンに6日間ばかり滞在していたその最中に上演していたはずの舞台だった。「はず」というのは、テナントが怪我で降板したため代役が立ってしまったから。ロンドンに着いてホテルにチェックインし、部屋にたまたま置いてあった旅行客向けの雑誌で、そんな公演が行われていることを初めて知って、「へええ、さぞや凄まじいチケット争奪戦が繰り広げられたんだろうな」と要らぬ想像をし、そしてその翌日の新聞で主役降板の記事を読み、他人事ながら(俳優・スタッフ・観客を含む)関係者一同があまりに気の毒で思わず絶句したことは、今でも記憶鮮明だったりする。ちなみに、『ハムレット』の出演俳優の一人であるキース・オズボーンが書いたブログが Something Written in the State of Denmark: An Actor's Year with the Royal Shakespeare Company というタイトルで本になって出版されており、主役降板をめぐる騒動についても触れられているらしいが、そんなものまで英語で読む根性も思い入れも私にはない。っていうか、そもそもどうして私にこういう本を推薦するかな、Amazon.co.uk?
ともあれそういう訳で、NHKでテナントの『ハムレット』が放送されると知った時は、「抜かりなく(?)降板前の舞台を録画したのかな」と思ったが、今回テレビで放送されたのは舞台中継そのものではなく、テレビ放送用に新たに撮影されたヴァージョンだった。主演俳優の途中降板が理由ではなく、どうも最初からそういう契約というか予定だったようだ。それだけに、観客のいない舞台で演じている役者をカメラが追うという類の撮影ではなく、映画かテレビ・ドラマのようにきちんとカット割り(という言葉でいいんだろうか)をして作られていた。
で、ここからが問題なのだが。
舞台の演出家としては、舞台をテレビ放送用に撮影し直すからには、生の舞台ではできないことをやりたい、と思うものなのだろう。それが間違っているとは言わない。でも、こういう番組の視聴者は「生の舞台が観られないから次なる手段としてテレビの舞台中継を観る」のであり、だからこそテレビで放送するからという理由で舞台用の演出をテレビ用に再構築されるのは、実は視聴者としてはたいして有難くない、もっとはっきり言ってしまえば、「却って迷惑」だったりするのではないか。今回の『ハムレット』にしても、凝ったカメラアングルのせいで演出の妙や役者の技量が余計伝わりにくくなってる感じがして勿体ない、と思うのは私だけ?
ま、日本語字幕がなければ手も足も出ない身としては、文句を言えた義理でないのは確かだけどね。
気を取り直して今回の更新は、「Topics」欄にイギリスのコメディ番組『ピープ・ショー ボクたち妄想族』を追加。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関するもっとも新しい解説本、The Rough Guide to The Hitchhiker's Guide to the Galaxy には、当然ながらケンブリッジ大学のフットライツについての説明も書かれている。
ただしその内容は、活動内容の詳細を紹介するというより、フットライツ出身の有名人の名前を列挙しているだけに近い。それでも、ジョン・クリーズだのスティーヴン・フライだのといった大御所のみならず、「フットライツの栄光の日々はまだ終わらない」(p. 123)として、最近ブレイクしたフットライツ出身者の名前を出している辺りはさすがに2009年の出版物である。日本では2009年からWOWOWで放送が始まったイギリスのコメディ番組『ピープ・ショー ボクたち妄想族』(2003年〜)で主演を務める二人、デヴィッド・ミッチェルとロバート・ウェブが実はフットライツ出身だったことも、私はこの解説本を読んで初めて知った。
が、しかし。『ピープ・ショー』の主役二人の役どころを『銀河ヒッチハイク・ガイド』のキャラクターを借りて説明するくらいだったら、この番組内に直接『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくることについてもきちんと言及しておいてくれればいいのに、とは思う。昔と違って、フットライツ出身の有名人について知りたければ、ウィキペディアに一覧表が出ていたりもするし(もっとも、現時点の一覧表にはトレヴァー・ナンとかリチャード・エアといった大物の名前がなかったりして、一体何を基準に「有名人」扱いしているのかイマイチよく分からないのも事実だが)。
ともあれ、The Rough Guide to The Hitchhiker's Guide to the Galaxy に書かれていなかったおかげで、何も知らなかった私は『ピープ・ショー』第3シリーズ第1話を観て新鮮にびっくりすることができたのも確か。でも、これまであまりこの番組にたいして愛着を感じていなかっただけに、ついうっかり見逃してしまった可能性も高かった訳で(実際、第1/第2シリーズでは観ていないエピソードもある――各シリーズ計6話しかないというのに)、そういう意味では危ないところであった。
ちなみに、本国イギリスでこの第3シリーズ第1話が放送された2005年11月11日は、イギリスで映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が公開されてから約半年後のことである。実際にこのエピソードの脚本が書かれたり撮影が行われたりしたのがいつ頃なのかは知らないけれど、映画の公開と『銀河ヒッチハイク・ガイド』からの引用は少しは関係していたのだろうか、それとも本当に単なる偶然? なまじその約1ヶ月後の12月25日には、やはり『銀河ヒッチハイク・ガイド』への言及がある『ドクター・フー』の「クリスマスの侵略」がテレビ放送されているだけに、私としては余計気になるんですけど。
そして今回の更新は、アダムスが脚本を書いた『ドクター・フー』の旧シリーズ、'The Pirate Planet' について加筆。せっかく忍耐と根性で2時間かけて観たからには記憶が薄れる前に書き残しておかないと、すっかり忘れてまた一から観直す羽目になったらたまりません。
2010年4月17日付の同コーナーにも書いた通り、アダムスが1977年に脚本を書いた『ドクター・フー』の 'The Pirate Planet' を私が観たのは、2010年3月のこと。その昔は、それこそBBCに就職するくらいのことをしなければ観ることが叶わなかったものを、今ではDVDという形で自宅から簡単にネット注文することができる。しかも、お値段は送料込みでせいぜい数千円だ。何てありがたい世の中だろう。
と、感謝しつつも、買ってから半年以上もの間、観ないでほったらかしておいたのもまた事実。いくら英語が苦手だからって、我ながらマニアにあるまじき態度だよな。
ともあれ、後ろ向きな自分を叱咤してようやく観た 'The Pirate Planet'の感想は、「おもしろくないとは言わないが、どちらか選べと言われたら私は断然 'City of Death' だな」だった。後に小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency にプロットが転用された 'City of Death'と違い、'The Pirate Planet' はまったく単体で成立している作品なので、私としてはまるで「アダムスの新作」に出会ったのと同じくらい新鮮な感覚で観ることができたのは良かったけれど、残念ながら脚本が少々巧く出来ている程度では、あの壮絶に鈍臭い映像をフォローするには至らない。観る前から「キャプテンの肩にはロボットのオウムが止まっている」と知っていてもなお、ロボットオウムというよりは「金属製の串カツが肩に突き刺さっている」としか思えなかったり、特撮技術のつたなさだけでも目を覆いたくなる惨状だった(その金属製の串カツみたいなロボットオウムと金属製の箱でしかないロボット犬のバトルシーンなんて本当にもう……)のに加え、登場人物たちの未来風だかエイリアン風だかの衣装やメイクも今となっては絶句モノだったりする。当時としては頑張ってみた結果なんだろうけれど、その頑張りが逆効果になって却ってイタい、とでも言おうか。
その点、当時のパリを舞台にしていた 'City of Death' は目にも優しい仕上がりだった。脚本の完成度にしても、こちらのほうが高いと思う。なので、万が一にもアダムス脚本の『ドクター・フー』に関心をお持ちになった方がいらっしゃったら、私は迷わず 'City of Death' のほうをお勧めする。
ついでに言うと、'City of Death' なら Amazon.co.uk で日本と同じリージョン2のDVDを買えるけれど、'The Pirate Planet' のDVDは 'The Key to Time' シリーズの6枚組Box-Set として購入しなければならない――それが嫌なら、アメリカのAmazon.comでリージョン1のDVDを注文するという手に出るしかない。リージョン1でなら単体で買えるのに、どうしてリージョン2だと箱買いするしかないんだよ、と文句を言いたいのは山々だが、ちなみに私は訳あってリージョン1の単体と、リージョン2のBox-setの両方を買って持っている。なので、その気になれば、'The Key to Time'シリーズの6枚組Box-setに収録されている、アダムスが脚本編集者として製作に携わった『ドクター・フー』の5本のエピソードのうちの1つ、'The Armageddon Factor' を観ることもできるのだが、というより「マニアなら迷わず観るべきじゃないの?」なのだが、私がその気になって重すぎる腰を上げるのは一体いつになることやら。ううう。
そして今回の更新は、この 'The Pirate Planet' のDVDに付いている特典映像の詳細について。合わせて、'The Pirate Planet' に出演した二人の俳優、マリー・タムとブルース・パーチェイスも追加した。
前回の更新で追加した通り、『ドクター・フー』'The Pirate Planet' のDVDには特典映像がいくつか付いているけれど、ここだけの話、敢えて見る値打ちがあるのは "Parrot Fashion" くらいのものである。残りは、かなりしょうもない。
ただし、"Parrot Fashion" に限ってはとびきり興味深かった。キャストやスタッフのインタビューは型通り+α程度の代物だが、アダムスの父親違いの弟、ジェームズ・スリフトが、アダムスの公式伝記本作者、ニック・ウェブと横並びに座って話しているその内容が、身内ならではの臨場感というか自宅感覚に溢れていたのだ。
ジェームズ・スリフトは、アダムスとは15歳以上年の離れた弟である。だから、ケンブリッジ大卒でコメディー番組のフリーライターをやっていた兄ダグラスが、仕事もなければ金も尽き、やむなく実家に戻ってきた時には、まだ10歳かそこらの子供だった。そんな兄が、ある日突然、自分が普段観ているテレビの人気ドラマの脚本執筆の仕事を依頼されたとしたら、そして部屋に籠ってやおら猛烈な音でタイプライターを叩き出したとしたら――実の弟が語る無名時代のアダムスにまつわるそんなエピソードを聞かされて、私なんざ当時の現場の光景がありありと目に浮かびすぎて怖いくらいだった。
そのインタビューの場にもわざわざ隣席していたニック・ウェブは、きっと伝記を執筆する前に、アダムスの身内からその手の逸話をイヤというくらい聞くことができたにちがいない。そう思うと、自分の英語力は棚の上に上げて、羨ましいやら妬ましいやら。もっとも、執筆対象の身内とあんまり親しくなりすぎると相手に気を遣って書くに書けない事柄も増えてしまいそうな気もするが、それってやっぱり素人発想?
ともあれ、2003年に公式伝記本が出版された後もこうしてアダムスの実の弟と並んでインタビューを受けているくらいだから、アダムスの親族とニック・ウェブとの関係は今なお良好なのだろう。そして、アダムス関連の最新ニュースにも追加したけれど、今年の10月14日には彼の公式伝記本 Wish You Were Here: The Offical Biography of Douglas Adams が、最新の情報も追加した形で新たに出版されるとのこと。ということは、当然、身内目線による『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目出版の顛末についても書かれているにちがいない。いやもう、実に実に楽しみだ。
楽しみと言えば、2010年4月17日付の同コーナーにも書いた通り、現在イギリスで放送中の『ドクター・フー』第5シリーズで、かのリチャード・カーティスが脚本を書いた回が6月10日に放送されたらしい。あらま、企画倒れじゃなかったんだ、と、それだけでも私は十分びっくりしたが、さらにその回にビル・ナイがゲスト出演したと知ってちょっと呆然。どういう人脈かは一目瞭然だし、まさにカーティスの思うツボという気もするが、これはやっぱり観てみたいかも……。
さらに恐ろしいことに(?)、先日私のホームページを読んでくださっている方からメールで教えてもらったのだが(ミムラ様、どうもありがとう)、あのニール・ゲイマンも既に『ドクター・フー』の脚本を脱稿し、8月から撮影に入る予定だという。撮影時期から考えてこれは第6シリーズになると思うんだけど(何でそんなことが分かるかと言うと、先頃ラッセル・T・デイヴィスとベンジャミン・クックによるメール書簡集 The Writer's Tale (2008) を読了したからである。英語で脚本を書く時の効果的な大文字の使い方とか、私の実人生には何の益もないことばかり書かれている本だが、予想を遥かに越える読みやすさとおもしろさで、雑誌 SFX の書評欄で星5つだったのも納得。ただし、ふと我に返って「何十時間もかけてこんなの読んでていいのか自分?」などとついうっかり考えた挙げ句、どっと落ち込む危険性はある)、ニール・「緋色の習作」・ゲイマンが一体どんな手を打ってくれるのか、こちらもやっぱりものすごく気になる。でも、第6シリーズってことは、ゲイマンの回に辿り着くまでに計何話分を英語オンリーで観なくちゃいけないのかと思うと、軽く目眩がするんですけど。
気を取り直して今回の更新は、The Salmon of Doubt に収録されているアダムスのスピーチの抜粋("Cookies")を追加。それから、ノルシュテイン関連の最新ニュースも久し振りに載せたので、こちらもよろしく。
先日、『話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ』展を観に行った。
私とて本当は一ヶ月くらい前には観に行くつもりだったが、5月下旬からひどい風邪を引き、治ってからも咳と鼻水がなかなか止まらなかったのだ。そりゃ無理をすれば行けないこともなかったけれど、美術館のような場所でげほげほと本格的な風邪の咳をする人にすぐ横に立たれたりしたら、私だってイヤだ。幸い、開催期間も終了するという頃になってどうにか咳もおさまり、神奈川県立近代美術館〈葉山館〉まで初めて足を延ばすことにした。
葉山とは、私にとっては「こんな展覧会でもなければまず行くことのない場所」である。お金持ちの別荘があって、マリンスポーツ好きなお坊ちゃんお嬢ちゃんが群れ集うヨットハーバーがあるところ、くらいのイメージしかなく、お金持ちじゃない上に船酔い体質の私にはまったく何の縁も感じられない。当然ながら土地勘はゼロ。インターネットのおかげで逗子駅からのバスの時刻表まで事前に確認できるのは有難いけれど、っていうか駅からバス18分って何なのよ、同じ神奈川県立近代美術館でも鎌倉館のほうなら鎌倉駅徒歩10分で行きやすいのに、と内心グチグチ文句を垂れながら出掛けたのだが――
しぶしぶだろうと何だろうと、実際に行ってみて大正解。
確かにアクセスは少々不便である。神奈川県在住者の一人として、こんなところにこんなの建てて採算は取れているんだろうかと心配にもなる。でも、行った日の天気が良かったことも幸いして、真っ白で開放的な建物といい、そこからの海の眺望といい、それだけでも単純に気分爽快になれたし、何より肝心の『話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ』展そのものが実に良い! フロアは広いわ展示物は充実しているわ、これまでジブリ美術館やちひろ美術館で開催されたのと比べて格段の差があった。
中でも個人的に一番ツボだったのは、「ケルジェネツの戦い」で使用された馬の切り絵。遠目にはただの小さな馬の絵だが、近くに寄って目をこらせば、滑らかな動きを実現するために何十枚もの小さい紙が繋ぎ合わせて出来ていることが分かる。嗚呼、風邪なぞ引かずに予定通り一ヶ月前に行っていたならこのホームページでももっと宣伝したのに、と嘆いてみてもあとの祭りだ。
さらに併設のミュージアムショップでは、えらく立派な造本の展覧会図録と何種類もの絵ハガキが売られていた。勿論、私はそれらすべてを迷わずレジに持って行ったが、レジの前に置かれていたDVDコーナーにちらっと目を走らせた途端、思わず「うっ」と唸ってしまった。
『マギヤ・ルスカ ロシア・アニメの世界』って、これって前に私がこのホームページでも「日本語字幕つきで観られないものか」と慨嘆していたヤツじゃないのか、一体いつの間にこんなDVDが発売されていたんだ、私としたことが全く知らなかったじゃないかあっ!
帰宅後、買ったばかりのDVDを早速鑑賞する。インタビュー中心で、多少編集が散らかっている感もあるため、「初心者向き」とは言い難いが、この作品に登場する作品の9割は既に観たことがあってヒートルークとかナザーロフの名前もよく存じ上げている身としてはいちいち興味深くておもしろい。詳しい内容紹介は後日別の機会にさせていただくが、ソビエト・アニメーションのファンの方には強くお薦め――ま、今さら私に薦められるまでもなく、そういう方々ならとっくにご覧になっている可能性のほうが高いとは思うけれどさ、ふん。
気を取り直して今回の更新は、やっぱりダグラス・アダムス関連から。関連人物一覧にはリヴァプール出身の俳優ピーター・セラフィノウィッツを、Topics 欄にはリヴァプールとは不思議な縁のある楽曲を、それぞれ追加した。
そしてこのホームページは、来週から例年通り二ヶ月の夏休みに入る。次回更新は9月4日の予定。
それでは皆様、良い夏休みをお過ごしください。
今回の夏休み大型更新企画は、ダグラス・アダムス関連ではなく久し振りにアントニオ・ガデス関連である。当初は、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が公開5周年を記念して映画のメイキング記録をまとめ直そうかな、とか考えていたのだが、しばらく放置状態だったアントニオ・ガデスのコーナーを何気なくチェックしたところ、「最新ニュース」欄には2009年2月の新生アントニオ・ガデス舞踊団の来日公演すらが「来日公演予定」と書かれているではないか。こ、これはいくら何でもひどすぎる、と猛反省し、これを機にずっと「そのうち、いつか」とほったらかしていたガデスの「作品一覧」を全面的に書き直すことにした。
書き直す、と言っても、悲しいかな私はスペイン語はまったく分からないし、またスペイン舞踊に関する知識も全然増えていない。故に今日まで「そのうち、いつか」と先延ばししてきた、とも言えるのだが、そうやって臆してばかりいても仕方がない、日本語文献のつぎはぎみたいな解説しか付けられなかったとしても、代表作『カルメン』に関する記述がまったくなし、みたいな現状よりはマシだろう。提出して成績をつけられるレポートの類ではないんだから。
かくして出来上がったのは、予想通りつぎはぎだらけの文章だが、それでも私としては久々に頭の中をスペイン一色にして、「へええ」とか「ふうん」と思いながらまとめていくのはおもしろかった。私のホームページでは、イギリス人作家のダグラス・アダムスとロシア人アニメーターのユーリ・ノルシュテインとスペイン人の舞踊家アントニオ・ガデスの3人について取り上げています、と謳ってはいるものの、実際にはアダムス関連の情報が圧倒的に多くて、次がノルシュテイン、ガデスについては「おまけ」に毛が生えた程度のことしか書いていないし、書けるような知識もない。ただ、だからこそ逆に今回の更新準備で改めて知ったこと、気付いたことも多くて、いろいろ新鮮だったりもした。映画監督カルロス・サウラの兄で、舞台『カルメン』の舞台装置を担当した画家のアントニオ・サウラの作品って、長崎県美術館にもあるんだ、とかね――あ、いや、知ったからって長崎に行く予定もないんだけど。
ともあれ、ガデス関連は今回の全面書き直してすっかり満足してまた数年間放置、などということのないように、せめて一年に一回くらいはチェックして、何かしら追加/加筆したいものだ。個人的には、ガデスの映画ではなく舞台作品のDVDが発売になってくれれば最高なのだが、やはり望み薄かしらん。でも、万が一にもスペインで発売された(でも日本語版は出なかった)ときに備えて、せめて来期からのNHKテレビのスペイン語講座でも観ようかなあ。
話は変わって、アントニオ・ガデス関連の他に、ダグラス・アダムス関連でもちょっと興味深いニュースが見つかったので、「最新ニュース」に追加した。こんなことによく気が付くもんだ、やっぱり理系、特にコンピュータ・サイエンス系のファンが多いせいか?
また、アダムス関連のニュースとして取り上げるのは違うかも、と思って迷った末に載せなかったものの、思いがけない吉報もあった。何と、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督ガース・ジェニングスの長編第二作目の Son of Rambow が、ついにこの秋『リトル・ランボーズ』の邦題で上映されることに!
いやはや、2007年製作の作品が、3年も経ってから日本でスクリーン公開されるとはね。短気を起こして Amazon.uk でDVDをヤケ買いしなくて本当に良かった。2008年12月のロンドン旅行の往路で、機内の小さいスクリーンで日本語字幕なしで観た時と、大きいスクリーンで日本語字幕つきで観た時とでは、印象や感想がどう変わるか、あるいは変わらないか、今からとても楽しみだ。
2010.9.11. テリー・イーグルトン vs リチャード・ドーキンス
『宗教とは何か』(青土社、2010年)などというタイトルの本を自ら好んで読む日が来ようとは、我ながらびっくりである。でも、リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』等への反論として、かのマルクス主義文芸批評家テリー・イーグルトンが宗教擁護の側に立って書いた、とあれば無視する訳にはいかない。アイルランド出身のイーグルトンがカトリック信者だったとしても不思議ではないけれど、でもマルクス主義って確か、「宗教は民衆の阿片だ」じゃなかったっけ?
ところが、イーグルトンに言わせれば、マルクス主義とキリスト教は十分両立するものらしい。「宗教は民衆の阿片だ」という言葉だけが一人歩きして私のようなバカ者の間で誤解を生んでいるだけで、マルクスの言葉を文脈に沿ってきちんと読めば、むしろマルクスは「伝統的な宗教は、心なき無情の世界にとって想像しうる唯一の心であるといわんとした」(p. 59)のであり、イエス・キリストは「財産もなく独身で、逍遥派であり、社会的周辺に追いやられ、親類縁者からは鼻つまみ者とされ、定職につかず、浮浪者や非民の友であり、物質的所有を軽蔑し、自身の身の安全をかえりみず、純潔規定には無頓着で、伝統的権威には批判的で、体制側に突き刺さった茨の棘、金持ちや権力者に天誅をくだす者である。彼は語の近代的意味における革命家ではないが、革命家のライフスタイルめいたものを実践している。彼はヒッピーとゲリラ戦士の中間に位置しているようにみえ」(pp. 24-25)、さらに「キリスト教正統思想にとって信仰とは、真の知を可能にするものであり、それはまた日常生活においてもある程度あてはまるものなのだ。これは、大衆の革命運動を基盤にしたときはじめて革命理論は完成しうるというウラジミール・レーニンの主張に通ずるものがある」(p. 156)。
そ、そうですか。
いやまあその、キリスト教にもマルクス主義にも無知で無関係な私としては「はあ、さようで」としか言いようがないんだが、でも本当のキリスト教信者や社会主義運動家の方々は、イーグルトンの文章を読んで我が意を得たりと膝を打つのだろうか。
聞けるものなら、チェ・ゲバラとかアントニオ・ガデスのご意見を伺いたいものだ。
言うまでもなく、宗教に関する私自身の考え方は、イーグルトンよりはドーキンス寄りである。とは言え、私は2007年10月20日付の同コーナーにも書いた通りの多神教徒であり、自分以外の人については、「神はいる」と思うほうが気が楽なら「いる」と思えばいいし、「神はいない」と思うほうが気が楽なら「いない」と思えばいいじゃん、くらいにしか考えていない。むしろ、「そんなことで喧嘩になるほど揉めないで欲しい」が本音だ。が、残念ながら『宗教とは何か』を読む限り、イーグルトンはドーキンスらを説得するのは無理、とはなから匙を投げていて、その気持ちも分かるけれど、でも私のようにキリスト教徒でもイスラム教徒でもなくかと言って無神論者でもない、敢えて言うなら一応仏教徒、みたいな人間としては、一応同じ人類なのに完全に蚊帳の外に置かれたような気分がして、「困ったなあ」と呟く他ない。
仲良くしてよ、頼むから。
気を取り直して今回の更新は、2003年に発売されたラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』25周年記念の脚本に、プロデューサーのジェフリー・パーキンスが寄せた序文を追加。彼が亡くなってから、もう丸2年が過ぎたなんて。
前回の更新で追加した、2002年12月にジェフリー・パーキンスが書いたラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』25周年記念の脚本集への序文は、その前の年のアダムスの急死を悼んで書かれたものだ。2010年の今になってこの序文を読む我々は、パーキンス自身、2008年8月に交通事故という形で思いがけない突然の死を迎えたことを知っている。
それ故、この序文は私にとっては二重の追悼を意味する。アダムスを追悼するパーキンスへの追悼。
切なすぎて、パーキンスの死から2年経った今でもちょっと重くて辛い。
実のところ、今の自分が人の死について少々神経過敏になっているのも事実なのだが、だからと言っていつまでも落ち込んでばかりもいられない、というのもまた事実。追悼したり喪に服したりしながらも日々の自分の生活は続いていくし、そうすれば何かしら新しいことが始まったりもする。
ささやかなことではあるが、例えばこの夏、我が家に無線LANが導入された。これで今後はもう、7メートルのネットケーブルを引きずって部屋をうろうろする必要はない。ついでに新しく無線LAN対応のプリンターを購入して設置を試みたが、こちらは信じられないような二転三転の末、返品の憂き目に遭った。この秋、各メーカーの新製品が出揃ったら、懲りずに再チャレンジしてみるつもり。
プリンターだけでなく、無線LAN導入を機に、2005年から一度も機種変更していない携帯電話をこの際 iPhone に切り替えようかとも画策している。iPad を買おうかな、と考えたこともあったけれど、こちらは日本国内でも iBook のサービスを使えるようになり、かつ、iPad に最初から搭載されている辞書機能が英英辞書ではなく英和辞書になるまで待つことにした。
さらに、無線LAN開通とは直接の関係はないのだが、我ながらまったく予期せぬ話の流れで、このホームページとはまったく別に新しくブログを開設することになった。普通、ブログというのは何か書きたいテーマなり内容なりがあって始めるものだと思うが、私の場合、とにかくブログを立ち上げることに意義ありだったため、中身のほうはかなりお粗末である。おまけに、今後の更新予定もまったくの未知数。ただ、このホームページの内容とまったく無関係とは言い兼ねるところもあるので、迷った末、一応ここでも告知しておくことにした。そのほうが、少しでもプレッシャーがかかってブログ更新に意欲が持てるかもしれないし。
で、つけたブログのタイトルが「First Chance to See...」。
あからさますぎ? それとも、やっぱり通じにくい?
ともあれ気を取り直して今回の更新は、パーキンスの序文に出てきたジミー・ムルヴィルと、ムルヴィルと共にハットトリック・プロダクションズを設立したロリー・マクグラスの二人を追加。
私の調べ方が偏っているのは確かだけれど、それにしてもイギリスのコメディ界って何だか本当にフットライツの出身者ばっかりだ。
先日、地方都市で暮らしている友人から数年ぶりに携帯メールが届いた。「今、ローソンでチェブラーシカ・キャンペーンをやってるんだね」とのこと。
その友人がまだ東京都在住だった頃、一緒にニック・パークの『ウォレスとグルミットのおすすめ生活』を新作として観に行ったり、三軒茶屋に出来たチェブカフェに足を運んだりしたことがある。それが、2002年とか2003年頃の話。当時ですら、「ソビエトアニメがここまで日本に浸透するとは」と感無量だったのに(何せ私が初めてチェブラーシカを観たのはソビエト崩壊前のこと。その頃は、特定の主義思想をお持ちの方か、アニメーションに一家言ある方でなければ、観ることはほとんどなかったと思う。え、私? ロシア語の知識ゼロ、所詮ミーハーレベルの見識しかない私は、そんな独特の濃い空気の中で小さくなっておりました)、2010年の今では、キャラクターグッズを扱う雑貨屋でチェブラーシカが見つからないほうが不思議なくらいだ。実際、ローソンやドトールのような全国チェーンの宣伝用キャラクターにチェブラーシカが起用されても、私自身ちっとも驚かなくなっている。
しかし、ここまでメジャーになると、逆に有難みが半減するのは否めない。今でもカチャーノフのアニメーション作品としての『チェブラーシカ』が好きだという気持ちに変わりはないけれど、街でチェブラーシカのデザインや文字を目にしても、もはや当たり前すぎて素通りすることのほうが多い――あ、いや、「当たり前すぎて素通り」というより、雑貨屋のチェブコーナーなんぞでうっかり立ち止まってしまった日には、空恐ろしいまでに上手にデザインされたチェブラーシカ・グッズを柄にもなくつい買ってしまうから、意識して素通りしている、と言ったほうが正しいかも。今は亡きかつてのチェブカフェに併設されていたチェブグッズ売り場程度なら、友人ともども、無駄遣いするにも限度というものがあったんだけどな。
故につい見逃した、というのは出来の悪い言い訳にもなっていないけれど、2010年6月に東洋書店からユーラシア・ブックレットのNo. 154『チェブラーシカ』が発売されていたことに、先日ようやく気がついた。遅まきながらノルシュテイン・コーナーの最新ニュースに追加したが、著者の佐藤千登勢氏は、文学理論とロシア文化を専門とする大学教員で、『ロシア文学への扉』という共著や『ロシア・アヴァンギャルド小百科』という共訳もある。それだけに、このブックレットの内容に書かれていたロシア国内での事情や情報はかなり興味深かったのだが、それより何よりこのブックレットを読んで初めて、いつの間にやら日本で『チェブラーシカあれれ?』というテレビアニメが製作され、DVDが発売されていたことも知った。何てこったい。
さらに、先週末に渋谷のミニシアターに行った折には、映画『チェブラーシカ』のチラシを発見。おおお、これこそ私が2008年11月29日の同コーナーで書いてそれきりすっかり忘れていた(すみません)、『劇場版 新生チェブラーシカ』じゃないか、そうか、2009年内に公開の予定が一年延びて、いよいよ今年の12月18日から上映なのか、チラシを見る限り、カチャーノフが1969年に作った『チェブラーシカ』の第一話のリメイクみたいで、それならわざわざ新しく作り直す必要もなさそうな気がするし、ロシア語じゃなくて日本語だというのも私にとっては何だか微妙だけど、ま、敢えてあんまり期待値を上げないようにして、でもそれなりに楽しみに待っていますので、よろしく。
そして今回の更新は、『チェブラーシカ』ともノルシュテインとも関係なく、ダグラス・アダムスの関連人物として哲学者マーク・ローランズを追加。
前回の更新で哲学者マーク・ローランズを追加することになったのは、2010年4月に白水社から出版された『哲学者とオオカミ』を、タイトルに惹かれてたまたま読んだのがきっかけだった。
私は子供の頃から動物文学の類が大好きで、中でもオオカミが出てくる小説がお気に入りだった。きっかけは、シートンの『狼王ロボ』だったと思う。今でも私の本棚には、ジャック・ロンドンの『白い牙』や戸川幸夫の『オーロラの下で』が並んでいるし(厳密に言えばこの2作の主役は狼じゃなくて狼犬だけど)、ダニエル・ペナックの『片目のオオカミ』なんてのもある。小説だけでなく、『オオカミと人間』というノンフィクションもあれば、『白いオオカミ』という写真集まで持っている。そうそう、コーマック・マッカーシーの《国境》三部作の二作目にあたる『越境』も、表紙のオオカミの写真につられて思わず買ったっけ。一作目の『すべての美しい馬』を読んだ時には、「ダメだ、私の頭では理解できない」と思ったくせに。
という訳で、ある学者が実際にオオカミと暮らした日々について考察した本、と言われたら読まずにはいられない。私自身は生まれてこのかた犬猫一匹飼ったことがなく、空想上ではない生身のオオカミを飼うなど無限不可能領域もいいところなのだが(オオカミへの愛が一方的な片思いであることくらい、さすがの私も自覚している)、私とは対照的に子供の頃から大型犬と生活することに慣れていて、偶然に近い出会いでオオカミの子を飼うことになる筆者に対し、強い羨望と淡い嫉妬、というより淡い羨望と強い嫉妬を感じながら読み進めるうち、思いがけず「魂にとっては長くて、暗い昼休み」というアダムスの Long, Dark Tea-Time of the Soul をもじったような文章に出会した次第。
私のように長らくダグラス・アダムス関連を追いかけ続けていると、ある種の嗅覚のようなものが発達してくる。何かを読んだり観たりしている時は、これはアダムスの感覚にかなり近いぞ、とか、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響が強いんじゃないか、とか、そういうセンサーが常に起動している、という感じ。一種の病気と言ってしまえばそれまでだが、年月を重ねるごとに良いも悪いもセンサーの精度は上がる一方で、なのにマーク・ローランズの『哲学者とオオカミ』を読んでいる最中、件の文章に辿り着くまで私のセンサーはまったく動いていなかった。それだけに、正直言って面食らった。
で、確証を得るべく、Mark Rowlands と Douglas Adams でクロス検索したところ、ローランズには The Philosopher at the End of the Universe というタイトルの本があること、さらにその本は『哲学の冒険』という邦題で2004年に日本語訳が出版されていたことまで分かった。そりゃこの邦題じゃさすがの私も気付かないよな、と苦笑しながら図書館で借りて読んでみると――こんなにも露骨な原題にもかかわらず、作中にも序文にも『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関するコメントは一切なし、文章や内容についても私の中のダグラス・アダムス・センサーはピクリともしなかった。
どうやらローランズは、『スター・トレック』は大好きらしい。「『スター・トレック』の熱狂的ファンが三○歳に達し、突然、最高のTVシリーズは実は『スター・トレック』ではなく、『アリーmy ラブ』だと考えたとする。こういった場合はどう考えるべきなのだろうか?(「死んだほうがいい」という言葉が心に浮かぶが、今はそのことは考えまい)。/確かにこれは最高の悲劇である。こんな知的堕落はいつでも悲劇なのだ」(p. 136)。『スター・トレック』もいいけどさ、でも肝心の『銀河ヒッチハイク・ガイド』はどうなのよ?
勿論、『哲学の冒険』では一言も触れられていなくても、ローランズは『スター・トレック』も『銀河ヒッチハイク・ガイド』も等しく好き、ということはありうる。もっと言えば、必ずしも熱狂的な『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンでなければならない、とも思わない。ただ、私としては何かちょっと釈然としないのだ。クリストファー・フリングスの時も思ったけど、だったら何故、自著にこういうタイトルを付けるかなあ。
気を取り直して今回の更新は、イギリス人作家マリー・フィリップスについて。合わせて、ノルシュテイン関連人物のレオニード・シュワルツマンについても、『チェブラーシカ』の著作権問題を新たに加筆した。
前回の更新で小説家マリー・フィリップスを追加することになったのは、2009年3月に早川書房から出版された『お行儀の悪い神々』を、タイトルに惹かれてたまたま読んだのがきっかけだった。
――いや、「たまたま」という表現は正確ではないな、むしろこういうタイトルの本を書店を見つけて、「イギリス人作家が2007年にこういう作品を発表するとしたら、きっとアダムスのLong, Dark Tea-Time of the Soul を意識しているはずだ」と思って飛びついた、と言ったほうが正しい。で、いざ読み始めると、文章といい内容といい、私の中のダグラス・アダムス・センサーは強烈な反応を示したのだが、見つかるのは状況証拠ばかりで「これだ」という決定打にはならず、確証を得るには至らなかった。
勿論、前々回に追加したマーク・ローランズの『哲学の冒険』と違って、『お行儀の悪い神々』は小説である。露骨な引用や説明がないとしても不思議ではない。でも、新聞記事や書評の類なら、誰かがアダムス作品との関連性について言及しているのではないか。と、思って Gods Behaving Badly と Douglas Adams でクロス検索したけれど、やっぱり何も出てこなかった。
おかしい。私のセンサーはこんなに強く反応しているのに。
どうやらフィリップスは、『ドクター・フー』は大好きらしい。以下は、『お行儀の悪い神々』に出てくるギリシャ神話の神、ゼウスとアポロンの会話なのだが、「テレビを見ておる」
「おれはテレビに出ている」
「おぬしが? 本当か? 《ドクター・フー》にも出ておるのか?」
「いいや」
「なんじゃ、つまらん。わしはあのドラマが好きなんじゃ。じつは、あの主人公も神なんじゃよ」
「それはどうかな」
一瞬ののち、身体がテニスボールのように弾んだかと思うと、部屋の反対側の壁に叩き付けられていた。
「ばかを言うでない。あやつは神じゃ」
「それは失礼」床に倒れたまま、アポロンはゼウスに詫びた。「父上が言うなら、もちろんそうなんだろう。どうやら、ほかのやつと勘違いをしていたようだ」(p. 183)作品の執筆時期からしても、ゼウスが観ているのは(ダグラス・アダムスの影響が色濃く出ている)『ドクター・フー』の新シリーズと考えて間違いないと思うけど、でも肝心の Long, Dark Tea-Time of the Soul はどうなのよ?
『お行儀の悪い神々』に付けられた訳者あとがきによると、著者マリー・フィリップスは自身のブログを持っているらしい。ならばそちらで何か見つかるかもしれない、と思って覗いてみたのだが――フィリップスが、『ドクター・フー』新シリーズの主演俳優の大ファンだということはよく分かったし、読んでいて時折大爆笑したりもしたが、ダグラス・アダムスについての記述はほとんどなくて、そういう意味では空振りだった。
でも、このブログを見張っていれば、そのうち著者は馬脚を出す――じゃなかった、尻尾をつかませる――というのもヘンだな、何というかその、いずれ何らかの形でアダムスに言及してくれるにちがいない。そう思って1年近くチェックし続けた結果、2010年8月25日、ようやく溜飲を下げることができた次第。
やれやれ、やっとすっきりした。
気を取り直して今回の更新は、ニール・ゲイマンがアダムスの非公式伝記本に寄せた序文を追加。
ところで、明日2010年10月10日は記念すべき「42 Day」。ロンドンでは、午前10時から映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の特別上映会も行われるらしい。ま、日本在住の私は一人で地味に、42粒の煎った大豆でも食べるか(え、そりゃ節分だって?)。
2010.10.16. アメリカ版とイギリス版、2種類の序文
前回の更新で追加したニール・ゲイマンの序文は、M・J・シンプソンが書いたダグラス・アダムスの非公式伝記本 Hitchhiker: A Biography of Douglas Adams に寄せられたものだが、なぜかアメリカで発売された版にしか付けられていない。私がこのホームページの更新のために手に取るのはもっぱらイギリス版ハードカバーのほうで、かつこちらには誰の序文もついていないため、ゲイマンが序文を書いていたこと自体、すっかり失念してしまっていた。
で、先日、待ちに待ったゲイマンの新作翻訳小説『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活』を心から堪能した後(これまでに日本で出版されたゲイマンの長編小説の中では、私はこの作品がベストだと思う)、これを機にゲイマン関連で何か追加更新できそうなことってなかったっけ、と考えてから、「そう言えば確か」と思い出した。
ニール・ゲイマンとM・J・シンプソンの関係って、よくよく考えてみるとちょっと不思議だ。二人ともダグラス・アダムスの伝記本を書いた、という意味では単純にライバル同士のように見えるが、2002年にゲイマンが Don't Panic: Douglas Adams & The Hitchhiker's Guide to the Galaxy の改定版を出版した時、実際にアップデートとして追加された内容を書いたのはゲイマン本人ではなくシンプソンだった。そして、その翌年の2003年、M・J・シンプソン自身による Hitchhiker: A Biography of Douglas Adams が出版されると、今度はそれにゲイマンが序文を書いた訳で、となると二人はライバルというより同胞とか同志に近いのだろうか。ま、どうせ Don't Panic を買う人は Hitchhiker も買うだろうし、相乗効果ということでいいのかな。
ただ、せっかくのゲイマンの序文がイギリス版には付いていない、ということだけはどうにも解せない。The Salmon of Doubt の時は、イギリス版とアメリカ版とでは序文の書き手が違っていて(イギリス版はスティーヴン・フライ、アメリカ版はクリストファー・サーフ)それもそれで謎だったけれど、Hitchhiker: A Biography of Douglas Adams のイギリス版ハードカバーには他の誰の序文も付いていないだから、素直にゲイマンの序文を付ければよさそうなものだ。
が、さらにややこしいことに、2004年にイギリスで Hitchhiker のペーパーバックが発売された時には、このイギリス版ペーパーバックに限り、ジョン・ロイドによる序文が付けられた。同時期に発売されたアメリカ版ペーパーバックには、ハードカバーと同じゲイマンの序文がそのまま付けられたが、それとは別にM・J・シンプソン自身による「アメリカ版のための紹介文」というのが追加されていて、その中でジョン・ロイドによる序文の一部が紹介されている。だったら素直にロイドの序文もゲイマンのと合わせて付ければいいのに、と思うのは私だけか?ともあれ今回の更新はゲイマンに続いてジョン・ロイドによる序文を追加――と言いたいところだが、実際そうしようと思って努力してみたのだが、私の英語力ではどうしても意味を理解できない箇所がいくつかあって、あえなく挫折。でも、私にも理解できたエピソードのうちの一つがとびきり興味深くて印象的だったため、形を変えて紹介することにした。
という訳で今回の更新は、リチャード・カーティスについて大幅加筆。それから、ダグラス・アダムス関連の最新情報も二つばかり追加した。
2010年9月18日付の同コーナーにちらっと書いてから約2週間後、私は iPhone ユーザーの一人となった。で、手元に届いてから今日までの約2週間、慣れないスマートフォンとの格闘が続いている。
が、偶然ほぼ同時期に iPhone ユーザーとなった同僚たちと比べても、私は全然使いこなせていない。これまでの携帯電話はメールと電話としてしか使っていなかったため、iPhone で写真を撮ってメールで転送するだけでもいちいちおっかなびっくりだから、という情けない事情もさりながら、その他にも私が過剰にもたつく理由はいくつかある。
まず、これまで使っていた携帯電話が機種として古すぎて、電話帳データをiPhoneに移行してもらえなかったため、手入力する羽目になったこと(他社からの乗り換えではなく、ソフトバンク同士なのに!)。確かに2005年に購入した機種と言えば世間的には化石マシンなのかもしれないが、そもそもどうしてこの年に携帯を持とうと思ったかと言えば、2005年10月22日付の同コーナーに書いた通り、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の着うたをダウンロードしたい一心だったからであり、そして首尾よく着うたを手に入れたからにはこれを維持することが最優先となり、携帯の機種変更など考えもしなかった。
それからもう一つ、3年半前に購入した私の MacBook のOSは当時のままの10.4.11なのだが、これではOSのヴァージョンが古すぎて MacBook とiPhone 4を同期させることができないこと。iPhone を自宅に持ち帰ってからその驚愕の事実を知った時は思わずのけぞったが、それと言うのも3年半前のノートブックPCなんて、私としてはそんなに長く使っているつもりはなかった、というか私の感覚ではまだまだ「買ったばっかり」に近かったのだ。それだけに、よもやOSのヴァージョンに問題が生じるかも、などとはちらっとも思わなかった。ううう、何てこったい。
そんな私のことだから、うっかりするとこの最新型 iPhone も、もたもたしていてロクに使いこなせないうちに、気がつけば周りの人に「え、まだ iPhone 4 を使っているの?」なんて言われかねない。そうならないようせいぜいこき使わねば、と思ってはいるが、使えそうなアプリを選んでダウンロードするだけでもいちいち妙に悪戦苦闘する有様。ったく、似たような機能のアプリがどうしてこんなにたくさんあるんだよ!
それでも、少なくともこの2週間で、「常に手元に置いておきたい」と感じるレベルにまで iPhone と馴染んだのは確か。ただ、いかんせん MacBook と同期できないせいでせっかく友人から貰った『銀河ヒッチハイク・ガイド』関係の着信音を iPhone に設定できないのが何より辛い。この設定ができれば、今のマシンにもっと親近感が持てると思うんだが――実際、壁紙を映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のマーヴィンに設定しただけでも、かなり「私だけのもの」感が出たもんな(結局、やってることは5年前と大差ない気がするが、深く考えてはいけない)。
気を取り直して今回の更新は、M・J・シンプソンがアダムスの非公式伝記本に先立って2001年に出版した A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide に、サイモン・ジョーンズが寄せた序文を追加。出版順からいけば、ニール・ゲイマンの序文より先にこちらを紹介するべきだったんだろうけど、日頃の整理が悪すぎるせいでついうっかり抜かしてしまった。
と、たいして大きくもない自分の本棚の中からも「しまった、こんなのもあった」的な未紹介作品が出てくる一方、前回の更新で最新ニュースに追加した通り、またまた新しいダグラス・アダムス関連の書籍が出版されるとのこと。素直に嬉しいやら英文読解が追いつかなくて苦しいやらで、もう大変。
映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアーサー・デントことマーティン・フリーマンが、ピーター・ジャクソン監督の映画『ホビットの冒険』で主役のビルボ・バギンズを務めることになったらしい。
という情報を、私は iPhone にダウンロードしたBBCニュースのアプリ経由で知った。このアプリで取り上げるニュースは、総合とか科学とかエンタメとかのコーナーごとにメインニュース3本が先頭画面に出るのだが、日本のニュース番組や新聞が取り上げるものとかなり違っていてとてもおもしろい。1日に一回程度の頻度で更新されるネットニュースのエンターテイメントコーナーのトップに、"Freeman to play Bilbo in Hobbit" というタイトルが出るなんて、日本発のメディアではありえないでしょ?
そりゃ勿論、映画.com のような日本の映画情報サイトにだって同じ記事が日本語になって転載されてはいる。ただ、オリジナルの記事とは違い、日本の記事にはマーティン・フリーマンについて「『ラブ・アクチュアリー』『『銀河ヒッチハイク・ガイド』の英俳優の」という説明書きが追加されている。イギリスでは「あのフリーマンがビルボに!」というニュアンスなのに対し、日本では「ホビットの主役はフリーマンというイギリス俳優」という感じ、とでも言おうか。この温度差がある意味とても興味深くて、英語で読むのは基本的に億劫なのにこのBBCニュースのアプリだけは割とこまめにチェックしてしまう。
ところでフリーマンと言えば、この夏イギリスで放送されたテレビ・ドラマ・シリーズ Sherlock のドクター・ワトソン役で話題になったばかり。このドラマ、イギリスでの評判がすこぶる良いらしくて、ガーディアンに掲載された批評もかなり好意的だったのだが、注目すべきはこの文章。"Did anyone else notice the look on the face of a bloke in the crowd in the Trafalgar Square scene, a look that I think said "Bloody hell, it's Tim from The Office"? Well, Martin Freeman's not going to be Tim from The Office for much longer; he's going to be Watson - sorry, John - from Sherlock" 。今後は、街でフリーマンを見かけても「あ、『The Office』のティムだ」ではなく「『シャーロック』のワトソンだ」と思うに違いない――ふむ、そりゃまあ私としては「『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアーサーだ」と思ってほしいところではあるが、それにしても日本の「『ラブ・アクチュアリー』『『銀河ヒッチハイク・ガイド』の英俳優」という扱いとはえらい違いだよな。
という訳で(?)、Sherlock は私が今「何とかWOWOWで放送してくれないものか」ともっとも切に望んでいるドラマである。ついでに言うと、このドラマのクリエイターは(「リーグ・オブ・ジェントルマン」の一人として映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のヴォゴン人の声を担当した)マーク・ゲイティスと、現在『ドクター・フー』最新シリーズの製作総指揮を務めるスティーヴン・モファット。こりゃ気にならないほうがどうかしている、と私は思うんだけど。WOWOW様、ケネス・ブラナー主演の『ヴァランダー2』に続いてこちらもどうかよろしくお願いします。
気を取り直して今回の更新は、前回に続いてサイモン・ジョーンズが2005年発売の改訂版 A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide に寄せた序文を追加。去る10月8日、サイモン・ジョーンズは息子と共にニューヨークで交通事故に遭い、出演予定の舞台を降板することになったとのこと。幸い生命にかかわるような重症ではないようだけど、心配だ。
それとは別に、嬉しいニュースがもう一つ。ダグラス・アダムス関連の最新ニュースにも追加した通り、昨年放送されたスティーヴン・フライとマーク・カーワディンによる『30年後の最後の光景』の1時間特別番組が、今日10月31日午後8時からBBC2で放送されるとのこと。こういう番組が作られるのは嬉しいんだけど、でもどうかお願い、BBC2を見られない極東アジア在住の私のために、前シリーズに続いてこの特番もDVD化してください!
サイモン・ジョーンズが A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide に寄せた序文の2001年版と2005年版を読み比べると、私は切なさに胸が痛くなる。9月11日付の更新で追加したジェフリー・パーキンスの2003年版の序文にも胸は痛くなったけれど、文章から察する限り、アダムスと個人的に親交が深かったのはサイモン・ジョーンズのようだし、ジョーンズがアダムスとニューヨークのワールドトレードセンターの思い出について語る時、世界は、時間は、私たちの感傷などものともせずに容赦なく通り過ぎていくものなんだなと改めて感じ入ってしまう。
ああ、切ない。
と、しみじみしている一方で、ダグラス・アダムス関連でまた新しいニュースが入ってきた。来年3月に開催されるダグラス・アダムス記念講演の講演者が早くも決定したとのこと。
次の講演者は、ブライアン・コックス、物理学者。ふうん、知らない名前だなあ、と思いながら、この公演を主催している Save the Rhino の公式サイトを確認してみたら、何だかえらく若くて見栄えがいい男性の写真が載っている。何でも、10代でロックスターとして活躍するかたわら、マンチェスター大学で物理学を専攻し博士号を取得、2009年からはマンチェスター大学の教授に就任して、2010年には早くもOBEを受賞したらしい。
いやはや、世の中には凄い人がいるもんだ。
そんな彼が出演した2010年放送のBBCの科学教養番組 Wonders of Solar System はかなりの高視聴率だったようで、OBEを受賞したのはその手の科学の啓蒙活動が評価されたからなのだろうか。よく分からないけれど、ただ、コックスがダグラス・アダムス記念講演の講演者に決まった以上、もしNHKあたりで Wonders of Solar System が放送されたら私としては絶対に観逃す訳にはいかないな――とか何とか思いつつ、さらにぐずぐずとネット検索を続けていたら、つい先日の10月25日、NHKのクロスメディアフォーラムとやらでこの番組が「太陽系の不思議:混沌の中の法則」という邦題で既に紹介されているのを発見。ということは、近いうちにNHKで放送されると期待していいのかな、それともそういう問題ではないのかな?
NHK様、どうか前向きにご検討くださいませ。
気を取り直して今回の更新は、サイモン・ジョーンズについて大幅に加筆。
先月16日付の更新でリチャード・カーティスを大幅加筆した時もそうだったけれど、かなり以前に「関連人物一覧」に登録した人たちは、その後に知り得た情報を追加しないままつい放置してしまうため、今となって振り返るとアダムスの生涯にかかわる重要人物の割には私が書いている内容があまりに薄くてぎょっとすることがある。新しい関連人物の追加紹介にばかりつい目を向けてしまいがちだけれど、こういうこまめなメンテナンスも心がけなくては。
先週末から上映開始となったガース・ジェニングス監督の映画『リトル・ランボーズ』を早速観てきた。
ロンドン旅行記2008にも書いた通り、私はこの映画は既に一度ロンドンへ向かうヴァージン・アトランティックの機内で観ている。観たと言っても、当然ながら画面は小さく、おまけに英語オンリーだったから、どこまできちんと理解できていたかはかなり怪しい。という訳で今回、待望の日本語字幕付きを観れば、自分がどれだけ分かっていたか、あるいは分かっていなかったかがはっきりする。英語が聞き取れない分、勝手な想像で補って見当外れな解釈をした挙げ句、一人で見当外れな感動をしていた、なんてことはないでしょうね、私?
で、結論から言うと、「台詞は見事に聞き取れてなかったけれど、内容の解釈はほぼ間違っていなかった」――って、情けないんだか、まんざらでもないんだか。ま、いいけどさ。
そんな私の自己都合はさておき、やっぱりすごく感じの良い映画だと思う。根本的に優しくて繊細。多少脚本の流れに強引さを感じることもあったけれど、そんなことは瑣末すぎる瑕だ。特筆もののあのラストシーンは、機内映画で観て既に知っていたからある程度冷静でいられたけれど、何も知らずに観ていたらかなり泣かされたかも――というか、知ってて観た今回も、実はほろり程度には泣かされたんだけどね。
にしても、せっかく2007年に製作された作品が3年経った後に日本で劇場公開された(これってやっぱり円高のおかげもあるのかな?)というのに、世間的にはあまり話題になっていないようなのが寂しい。私がガース・ジェニングスをかなり贔屓して観ているのは確かだけれど、ストーリーといい映像といい、日本でも普通に好感を持って受け入れられてもよさそうなものだ。『リトル・ランボーズ』を観た人を『銀河ヒッチハイク・ガイド』の世界に引きずり込むのは難しいにしても、『リトル・ランボーズ』の日本での興行収入が良ければ、今後、日本の配給会社が(私が日本語字幕付きで観たくてやきもきしている)イギリスのインディペンデント映画の公開にもっと前向きになる可能性だって出てくるのに。
などと勝手な不満を秘かに募らせていたところ、2010年11月9日付の朝日新聞朝刊の文化欄にカラー写真付きで『リトル・ランボーズ』かなり大きく取り上げられているのを見て、朝から思わずきゃあと黄色い声を上げてしまった。
これは沢木耕太郎氏の「銀の街から」という映画評で書かれたものだが、実はこの映画評、月に一回のペースで連載されている。ということはつまり、数多く公開される映画の中から沢木氏に「今月紹介したいのはこの作品」として選ばれた、ということだ。いやあ、嬉しいじゃないの、有難いじゃないの。リーの硬質なやさしさとウィルの柔らかなやさしさが溶け合い、心がふわりとしてくるような終わり方をする。
あるいは、それは少し甘すぎるのではないかと言う人もいるかもしれない。しかし、ウィルとリーを好演している幼い主役の二人に免じて、このくらいの甘さは許してほしいと思う。別に監督でもない私がお願いなどする筋合いはないのだけれど(p. 31)。私だって全然筋合いじゃないけれど、でもやっぱりお願いするぞ!
そして、時間があればあと1回くらい、映画館で観ておきたいなあ。
気を取り直して今回の更新は、アダムスの死後に発売されたエッセイ集 The Salmon of Doubt のイギリス版に付けられた、スティーヴン・フライの序文を追加。
私は今、1997年に出版されたスティーヴン・フライの自伝 Moab is My Washpot を読んでいる。
読みながら、何度となく思う。「私としたことが、どうして今まで読んでいなかったんだろう!」と。あるいは、「ひょっとしたら一生読まないままだったかもしれない、なんて考えただけで、あまりのもったいなさに失神しそうだ」とも。
そのくらいおもしろい。「タイトルからして意味不明な英語の本なんか、手に取る気にならないじゃん」とか言ってないで、読んでみて本当に良かった。
スティーヴン・フライは、生前のアダムスとは個人的にもとても親しい友人関係にあった。アダムスの死後は、前回の更新で追加した通り、 The Salmon of Doubt のイギリス版に序文を寄せているし、昨年はアダムスの『最後の光景』の30年後を追ったドキュメンタリー番組 Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams も製作している。先月末には、その続編のスペシャル番組、Return of the Rhino: A Last Chance to See Special が放送されたばかりだ。
そんな彼の自伝とあらば、私も真っ先にチェックしてしかるべきである。にもかかわらず、今日までずっと Moab is My Washpot を無視し続けていたのは、先に書いた通り、タイトルの意味すら分からない本を英語で読む自信があんまりなかったから、というのもあるが、何よりこの自伝が彼の20歳までの日々を描いたものだからである。つまり、フライがアダムスと出会う以前の話、ということ。だったら、私が無理に英語で読む必要もあるまいよ。
と、長年に亘って知らんぷりしていた本を突如 Amazon.co.uk から取り寄せる気になったのは、今年の9月、この Moab is My Washpot の続編にあたる自伝 The Fry Chronicles が発売されたため。20歳以降の、スティーヴン・フライがショービジネスの世界で活躍するようになってからの話、となれば、この本の中に直接ダグラス・アダムスの名前が出てくる可能性は非常に高い。何たってフライとアダムスは、アップル・コンピュータをどちらが先にイギリスに持ち込んだかで仲良く言い争った間柄なのだ。それに、たとえアダムスがまったく出てこなかったとしても、ジョン・ロイドが製作し、リチャード・カーティスが脚本に参加した『ブラックアダー』製作の裏話だけでも、一読する価値は十分にある。
そういう意味では、The Fry Chronicles だけを読めばいいのかもしれない。でも、自伝は自伝、どうせ読むならやはり前作から通して読むべきではないか。それに、今なら Moab is My Washpot のペーパーバックは Amazon.co.uk で2.99ポンド、そして円高のおかげで1ポンドはわずか135円。どうせ買うなら今しかないぞ。
と、かなり後ろ向きな動機で Moab is My Washpot を読み始め、思いがけずどっぷりとハマった次第。「スティーヴン・フライって誰?」な人には向かないかもしれないけれど、少しでも彼自身あるいは彼の書く文章に関心がある人、あるいはイギリスの教育システム、特にプレパラトリー・スクールおよびパブリック・スクールのシステムに興味がある人ならきっと読んで楽しめると思う。
いやほんと、読み終えるのがもったいないくらいだ。もっとも、まもなく The Fry Chronicles のハードカバーが Return of the Rhino: A Last Chance to See Special のDVDと一緒に Amazon.co.uk から届くはずだから、お楽しみはまだまだ続くんだけど。うひゃひゃ、英語の本を読むのがマジで楽しみだなんて、我ながら嘘みたい。
そして今回の更新は、スティーヴン・フライの序文に続き、The Salmon of Doubt のアメリカ版に付けられたクリストファー・サーフの序文を追加。
私は今、1997年に出版されたスティーヴン・フライの自伝 Moab is My Washpot に続き、今年9月に出版された続編 The Fry Chronicles を読んでいる。
先日、Amazon.co.uk から The Fry Chronicles が届くと(同時に注文した Return of the Rhino: A Last Chance to See Special のDVDのほうは別便発送扱いとなり、まだ届いていない。何故だ)、私は真っ先にこの本の一番最後をチェックし、索引が付いているのを見て欣喜雀躍した。 Moab is My Washpot には索引なんてなかったからあんまり期待していなかったのだが、今回の自伝には付けて欲しいと願うのは私だけではなかったようだ。そして、'Adams, Douglas' の項目を確認して「よっしゃ!」とばかりにガッツポーズする。やっぱり、ペーパーバック化を待たずにハードカバーで買って大正解であった(本音を言えば、iPad でダウンロードして購入するのが理想だったのだが、iPad の英和辞書機能搭載と iBooks 完全解禁まで待っていたらいつになるか分かりゃしない)。
それからようやく本の冒頭に戻って目次のページをめくり、今度は章のタイトル付けのセンスの良さにクラクラする。私が言うのもなんだが、何てこの人らしいんだろう。思い起こせばその昔、私が彼が書いた小説 Making History をチューリッヒ空港の狭いブックショップで見つけて買ったのも、冒頭の文章が割と読みやすかったからという以上に、章のタイトル付けのセンスの良さにクラクラしたからだったっけ(ちなみにこの小説、タイトルだけでなく中身のほうも申し分ないので、興味のある方は是非お試しあれ)。
ともあれ、The Fry Chronicles はまだ本当に読み始めたばかりで、'Adams, Douglas' が最初に出てくる121ページにも辿り着いていない。でも、せっかくのハードカバーなんだし、スローペースで読み進めていけばいいやと思っている。索引のおかげで、「出てくる」ことは分かっているんだしね。へへへ、何が書かれているか実に楽しみだこと。
と、能天気に浮かれたことを書いている一方、気付かれた方は皆無だと思うが、実はこの11月以降、「My Profile」コーナーで公開している私の勤務先を「神奈川県横浜市」から「埼玉県志木市」に変更することになった。それに伴い、私の日々の通勤時間が大幅に長くなったため、これまで通りの週1回のペースで更新を続けるのがちょっとキツい(新しい業務と通勤に慣れてしまえば平気だと思うんだけど。というか、思いたいんだけど!)のに加え、来年のホームページ開設10周年に向けて早めの準備をしたいという気持ちもあって、勝手ながら今回で2010年のホームページの更新は終了し、いつもより2週間早い冬休みに突入させていただくことにする。
次回の更新予定日は、2011年2月19日。それまでには生活ペースを立て直して、10周年を無事迎えたいものよ。
という訳で、今年も一年間お付き合いいただき、ありがとうございました――あ、でもその前に今回の更新としてダグラス・アダムス関連とアントニオ・ガデス関連の最新ニュースに加え、テリー・ジョーンズが小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』25周年を記念して出版された特装本に寄せた序文も追加したので、こちらもよろしく。