関連人物一覧 -G-
Gaiman, Neil ニール・ゲイマン Gee, Grant グラント・ジー Gilliam, Terry テリー・ギリアム Gleick, James ジェイムズ・グリック Glover, Julian ジュリアン・グローヴァー Goss, James ジェイムズ・ゴス Grand, Steve スティーヴ・グランド Greenfield, Suzan スーザン・グリーンフィールド Gross, Michael C. マイケル・C・グロス
Gaiman, Neil ニール・ゲイマン 1960.11.10-
Don't Panic: The Official Hitch-Hiker's Guide to the Galaxy (1988) の著者。
ロック・ジャーナリストや、アダムスのガイド本の筆者としてキャリアをスタートさせたが、彼の代表作と言えば、従来のいわゆる「アメコミ」のイメージを一新させる、幻想的でアート性・文学性の高いグラフィック・ノベル『サンドマン』シリーズだろう。このシリーズの中の1冊、Sandman #19 "A Midsummer Night's Dream" は、コミックとしては初めて世界幻想文学大賞を受賞した。
コミック以外にも、テリー・プラチェットとの共著によるユーモア・ファンタジー小説『グッド・オーメンズ』を始め、ヤングアダルト向けの小説を何冊も出している。また、BBCのテレビシリーズ『ネバーウェア』の脚本およびそのノベライズの執筆も手掛けており、映画「もののけ姫」英語吹替版の翻案に携わった(スタジオ・ジブリのホームページによれば、あのクエンティン・タランティーノがゲイマンを推薦したのだとか)。最近では、自作『スターダスト』の映画化に際して製作を務めたり、ロバード・ゼメキス監督の『ベオウルフ』の脚本を担当したりと、映画界での活躍も目立つ。
今となってはなぜ彼が Don't Panic を書いたのか不思議なくらいだが、2003年に行われた Science Fiction Weekly のインタビューで、その経緯を語っている。
ゲイマンいわく、そもそものきっかけは、あるアダムス・ファンの編集者から、アダムスのインタビューをとれないかと頼まれたことだった。ゲイマン自身もアダムスの大ファンだったため、アダムスの出版社に電話をして首尾よくインタビューの約束を取り付け、当時アダムスが住んでいたイズリントンの自宅を訪問したらしい。この時のインタビューはかなり充実したものだったようで、予定の一社に記事を売った他に、書ききれなかったことをまとめて別の2つの雑誌に売ることができたという。そして、このインタビュー記事がきっかけで、なかなか書き手が見つからなかった『銀河ヒッチハイク・ガイド』の解説本の仕事がゲイマンに回ってくることとなった。
ゲイマンの書いたDon't Panic は好評で、売れ行きも良かった。そこで、ゲイマンの元には他の作品の解説本や伝記執筆の依頼が来るようになったが、他の人が書いた本について書くのではなく自分自身の本を書きたいと考え、彼はそれらの仕事を辞退する。当時のゲイマンには随分と迷った末の決断だったようだが、ヒューゴー賞やネビュラ賞の受賞作家となった今となっては、その決断が大正解だったことは言うまでもない。
そういう意味で、ゲイマンにとって Don't Panic は、「進まなかったもう一つの道」の象徴となった。他人の本について書き続けていたかもしれない、もう一つの人生。とは言え、Don't Panic は決して後ろ向きな思い出に終始する本ではなく、クラシックでイギリス的なユーモアのセンスを文章にするのはなかなか楽しくて、その結果、後にテリー・プラチェットとの共著で『グッド・オーメンズ』を執筆することに繋がった、とも語る。Don't Panic なしに、『グッド・オーメンズ』はありえなかった、と。
アダムスとの個人的な付き合いは、 Don't Panic を出版した後も続いていた。アダムスから、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の新シリーズの脚本執筆に参加しないかと誘われたこともあったらしい(ゲイマンは断ったが)。最後に直接アダムスと会って話したのは、ピンク・フロイドのデイヴィッド・ギルモアの誕生パーティの席で、自作『ネバーウェア』がBBCでテレビ・ドラマ化された時の体験話をアダムスに披露したところ、『銀河ヒッチハイク・ガイド』がテレビ・ドラマ化された時の状況とものすごく良く似ているということで、盛り上がったのだとか。またそれだけに、香港からの電話インタビューの最中に取材相手からアダムスの突然の死を知らされた時は、ひどいショックだったという(詳しくは、ゲイマンがM・J・シンプソンによるアダムスの非公式伝記本 Hitchhiker: A Biography of Douglas Adams のアメリカ版ハードカバーに寄せた序文を参照のこと)。2002年に「The Ultimate」と題して出版された『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの全1巻本のペーパーバックに寄せた序文では、Don't Panic の著者らしく、アダムスの生涯とその作品を簡略かつ適切に紹介していた。さらに、2023年に出版された 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams にも、今は亡きアダムスに宛てた手紙という形で文章を寄せている。
2009年9月1日に、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年を記念してパン・ブックスから新装版のペーパーバック『さようなら、いままで魚をありがとう』が出版された際には、序文を寄せている。また、2012年の6月8日から7月21日にかけて、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のオリジナル・キャストが再集結して行われたライブツアーでは、ツアーの最終日を飾るエディンバラ公演でゲストとして出演した。
ゲイマンの主な著作は以下の通り。Stardust (1999) 『スターダスト』 角川文庫 2007年
Neverwhere (2006) 『ネバーウェア』 インターブックス 2001年
American Gods (2001) 『アメリカン・ゴッズ』 角川書店 2009年
Coraline (2002) 『コララインとボタンの魔女』 角川書店 2003年
Anansi Boys (2006) 『アナンシの血脈 上・下』 角川書店 2006年
Fragile Things (2006) 『壊れやすいもの』 角川書店 2009年
The Graveyard Book (2008) 『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活』 角川書店 2010年BR> The Ocean at the End of the Lane (2013)
Norse Mythology (2017) 『物語北欧神話』 原書房 2019年また、2018年9月6日に出版された画家クリス・リデルとの共作イラストエッセイ本 Art Matters: Because Your Imagination Can Change the World に収録されたエッセイ "Why Our Future Depends on Librabies, Reading and Daydreaming" では、ダグラス・アダムスから聞いたという、紙の本とサメとの類似についても語られている。
映像監督。映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のDVDに入っている、特典映像メイキング・ドキュメンタリーを手掛けた。
ブラーの「テンダー」、レディオヘッドの「ノー・サプライゼズ」等のミュージック・クリップの他、1999年にはレディオヘッドの『OKコンピューター』のワールドツアーの模様を撮影した約90分のドキュメンタリー『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』を監督した。
2001年に発売されたオアシスのライブDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』に、彼が手掛けたオアシスのドキュメンタリーが収録された。2006年、スコット・ウォーカーのドキュメンタリー映画、Scott Walker: 30 Century Man の撮影を担当し、また2007年にはパンク・バンド「ジョイ・ディヴィジョン」のドキュメンタリー映画『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』で撮影と監督の二役を務めている。
Gilliam, Terry テリー・ギリアム 1940.11.22-
モンティ・パイソンのメンバーの一人。モンティ・パイソンでは、主にアニメーションを担当していた。ブリティッシュ・コメディの代表のようなモンティ・パイソンの中で、彼だけはアメリカ人である。
ギリアムがモンティ・パイソンのメンバーと最初に知り合ったのは、1964年、ニューヨークで雑誌『ヘルプ!』の仕事をしていた時に、ちょうどニューヨークで公演中だった「ケンブリッジ・フリンジ」に出ていたジョン・クリーズに『ヘルプ!』誌面に日給15ドルで出てもらえないかと直接交渉したことから始まる。クリーズはこの仕事を快諾し、二人は友人同士となった。数年間の音信不通状態の後、1967年にギリアムがイギリスに渡ってクリーズに連絡を取ると、今度はクリーズがギリアムにテレビ局のプロデューサーの連絡先を教えてくれた。こうしてギリアムはBBCの『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』の仕事をつかむと共に、この番組に出演していたエリック・アイドル、テリー・ジョーンズ、マイケル・パリンらと知り合うことになる。オックスブリッジ出身の彼らの中でギリアムの「よそ者」感はなかなか消えなかったようだが、1969年のモンティ・パイソン結成時には最初からメンバーの1人となっている。ただし、番組に出演するよりも一人でアニメーション部分を担当している時間のほうが圧倒的に長かった。ギリアムいわく、「結局、いつ僕はあの輪の中に入れたんだろう。テリーは今でもよく、僕の当時の「象」というアニメーションがパイソンに影響を与えていると言っているというから、それなりにいい仕事はしていたんだと思うが。どうやら僕は胡散臭いよそ者ではない、とようやくわかってもらえたらしい。妙な話だが、のちにダグラス・アダムスがやってきてグレアムを手伝っていた頃、僕はその頃の彼らみたいに「このパイソンの中に割りこんできたよそもんは誰だ?」てな態度でいた気がする」(『モンティ・パイソン正伝』、pp.29-30)
しかし、後にギリアムとアダムスは親しい友人となったようだ。その証拠に、アダムスが1990年代半ばにイズリントンのダンカン・テラスに引っ越してからたびたび開いた自宅パーティには、リチャード・ドーキンスやスティーヴン・フライらと共にギリアムの姿もあったという(Webb, p. 180)。また、ギリアムは映画『12モンキーズ』についてのインタビューの中で、アダムスの作品を引き合いに出して答えたことがある。「『全体論探偵、ダーク・ジェントリー』のシリーズを読んだことがある?僕は全体論監督になってたね」(クリスティ、p. 301)
ギリアムはミネソタ州ミネアポリス生まれ。カリフォルニアのオクシデンタル・カレッジで政治学を学ぶ。モンティ・パイソンのメンバーとして活躍し、1978年にはパイソン初の映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』ではテリー・ジョーンズと共同監督を務めた。その一年後には一人で映画『ジャバーウォッキー』を監督し、以後『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』オープニングの短編アニメーション「クリムゾン/老人は荒野をめざす」を除けば、モンティ・パイソン映画に出演はしても監督はしていない。
ギリアムの主な監督作品は以下の通り。Jabberwocky (1977) 『ジャバーウォッキー』
Time Bandits (1981) 『バンデッドQ』
Brazil (1985) 『未来世紀ブラジル』
The Adventure of Baron Munchausen (1989) 『バロン』
The Fisher King (1991) 『フィッシャー・キング』
12 Monkeys (1996) 『12モンキーズ』
Fear and Loathing in Las Vegas (1998) 『ラスベガスをやっつけろ!』
The Brothers Grimm (2005) 『ブラザーズ・グリム』
Tideland (2005) 『ローズ・イン・タイドランド』
The Imaginarium of Doctor Parnassus (2009) 『Dr.パルナサスの鏡』
The Zero Theorem (2013) 『ゼロの未来』
The Man Who Killed Don Quixote (2018) 『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
Gleick, James ジェイムズ・グリック 1954.8.1-
科学ライター。『ニューヨーク・タイムズ』にも寄稿していたことがある。1987年に出版された科学書『カオス―新しい科学をつくる』は、最新のカオス理論について素人にもわかるように数式をまじえず書かれており、ベストセラーとなった。
この手の科学書には目がないアダムスも、『カオス―新しい科学をつくる』を「暗い部屋の中に急に明かりがついたようだ」と絶賛している。また、カオス理論は 『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』 のストーリーにも通底している(Webb, p. 271)ということらしいので、興味のある方はお試しあれ。
また、グリックの側でもアダムスの作品に強い関心を寄せていたらしい。2016年に出版された『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』には、アダムスの名前が3箇所も出てくる。まずは、フィクションにおける「タイムトラベルと動詞の時制」の注釈として、ダグラス・アダムスは一九八〇年の小説『宇宙の果てのレストラン』(安原和見訳、河出書房新社)にこう書いている。「重要な問題と言えば、それは純粋に文法の問題である。この問題に関して参考にすべき代表的な著者としては、ダン・ストリートメンショナー博士の『時間旅行者のための一〇〇一の時制構造ハンドブック』(Time Traveller’s Handbook of 1001 Tense Formations)がある。この本ではたとえば、あることが過去に自分の身に起きるところだったが、それを避けようとして二日未来にタイムジャンプをした場合、その『あること』はどういう時制で表現すればいいのか、そういうことが説明される。出来事の表現の仕方は、話す人間が自分の本来の時間に立って、その視点から話をするか、それとも未来の時点に身を置いてその視点から話をするか、あるいは過去の時点に身を置いて話すかで変わってくる。それに、自分の母親か父親になるつもりで、ある時間から別の時間に移動している間に会話をしたりすれば、問題はさらに複雑になってしまう。ほとんどの読者は、未来部分的条件節変形版斑点変格過去仮定法意志のあたりまで読むが、そこで挫折する」(p. 383)
この箇所は安原訳『宇宙の果てのレストラン』(河出文庫)では138ページから139ページに該当するが、訳文は安原訳の引用ではなく、『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』の訳者、夏目大のオリジナルである。
他の二箇所では、ダグラス・アダムスの名前は何故か「ダグラス・アダムズ」と訳されている。まず、第3章のエピグラフとして「タイム・トラベルだって?! そんなたわごとを信じろと?」
「確かに、難しい概念には違いない」残る一箇所は、タイム・パラドックスについて述べた箇所だが、
ダグラス・アダムズもやはり独自の表現で同じことを書いている。「パラドックスは傷を負った組織のようなものだ。時空は自らの力でその傷を癒やす。人は、傷の癒えた時空の、矛盾がなく十分に筋の通った出来事だけを記憶する。
残念ながら、括弧がきちんと閉じられていないため、どこからどこまでがアダムスからの引用なのかがわからない。原著の該当箇所をチェックしたところ、
Douglas Adams offered his own version: “Paradoxes are just the scar tissue. Time and space heal themselves up around them and people simply remember a version of events which makes as much sense as they require it to make.”
となっていたので、日本語訳は最後の括弧が抜け落ちたのだろう。
グリックの主な著作は以下の通り。Chaos - Making a New Science (1987) 『カオス―新しい科学をつくる』 新潮文庫 1991年
Genius: The Life and Science of Richard Feynman (1992) 『ファインマンさんの愉快な人生(1)(2)』 岩波書店 1995年
Faster: The Acceleration of Just About Everything (1999)
What Just Happened: A Chronicle from the Electronic Frontier (2002)
Isaac Newton (2003) 『ニュートンの海ー万物の真理を求めて』 日本放送出版協会 2005年
The Information: A History, a Theory, a Flood (2011) 『インフォメーション―情報技術の人類史』 新潮社 2013年
Time Travel: A History (2016) 『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』 柏書房 2018年
Glover, Julian ジュリアン・グローヴァー 1935.3.27-
イギリスの俳優。1979年にアダムスが脚本を書いた『ドクター・フー』の'City of Death' に伯爵役で出演、2005年にDVDが発売された時にはオーディオ・コメンタリーに参加し、また特典映像として付けられた 'Paris in the Springtime' にも登場している。
ロンドン生まれ。王立演劇芸術学院に学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台に立ったこともある。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』でスクリーン・デビューを果たしてから、これまでに数多くのテレビ・ドラマや映画に出演しているが、City of Death' の伯爵同様、冷酷な悪役も多い。
主な出演映画は以下の通り。Tom Jones (1963) 『トム・ジョーンズの華麗な冒険』
Girl with Green Eyes (1964) 『みどりの瞳』
Theatre of Death (1966) 『パリの連続殺人 』
Quatermass and the Pit (1967) 『火星人地球大襲撃』
The Magus (1968) 『怪奇と幻想の島』
Alfred the Great (1969) 『アルフレッド大王』
The Last Grenade (1970) 『最後の手榴弾』
Wuthering Heights (1970) 『嵐が丘』
Antony and Cleopatra (1972) 『アントニーとクレオパトラ』
Juggernaut (1974) 『ジャガーノート』
Dead Cert (1974) 『大本命』
The Internecine Project (1974) 『新ドミノ・ターゲット/恐るべき相互殺人』
Star Wars: Episode V - The Empire Strikes Back (1980) 『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』
For Your Eyes Only (1981) 『007/ユア・アイズ・オンリー』
The Fourth Protocol (1987) 『第四の核』
Hearts of Fire (1987) 『ハーツ・オブ・ファイヤー』
Cry Freedom (1987) 『遠い夜明け』
Indiana Jones and the Last Crusade (1989) 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
King Ralph (1991) 『ラルフ一世はアメリカン』
Vatel (2000) 『宮廷料理人ヴァテール』
Troy (2004) 『トロイ』
Big Nothing (2006) 『ビッグ・トラブル』
Scoop (2006) 『タロットカード殺人事件』
Mirrors (2008) 『ミラーズ』
The Young Victoria (2009) 『ヴィクトリア女王 世紀の愛』
Princess Ka'iulani (2010) 『プリンセス・カイウラニ』
U. F. O. (2011) 『UFO 侵略』
Airborne (2012) 『パニック・ゾーン 制御不能』
イギリスの作家、プロデューサー。『ドクター・フー』とそのスピンオフ作品のノベライズやウェブサイトを数多く手掛ける。その他、1967年の映画『007/カジノ・ロワイヤル』の製作裏話に基づく 7 Spies at the Casino や、俳優ピーター・カッシングとクリストファー・リーの友情物語(?) The Gentlemen of Horror といった舞台の脚本も手掛けている。
ゴスとアダムスとの関係は、1991年、彼がまだ学生だった頃にアルヴィンド・イーサン・デイヴィッドと共に手掛けた Dirk Gently's Holistic Detective Agency の舞台化 Dirk で始まった。この舞台は、1995年に同じメンバーで手直しして再演され、千秋楽にはアダムス本人も観に行っている。アダムスはとても気に入ったらしく、2015年3月20日付のガーディアン紙のウェブ記事によると、キャスト全員に食事をおごりたいと申し出たとか。2006年、アメリカでも初めて上演され、第28回LAウィークリー演劇賞の脚色賞を受賞した。2016年3月には脚本も出版されている。
2015年5月21日には、ギャレス・ロバーツに代わってゴスが手掛けることになった Doctor Who: City of Death のノベライズが発売された(ゴスが添えたあとがきはこちら)。さらに、2017年1月5日には Doctor Who: The Pirate Planet 、2018年1月18日には Doctor Who and The Krikkitmen のノベライズも発売されている。
Grand, Steve スティーヴ・グランド 1958.2.12-
イギリスのアマチュアコンピュータ科学者。アダムスはグランドのファンだったらしい(Web, p. 341)。1998年9月にグランドがケンブリッジ大学のDigital Biota 2 を共催した時には、アダムスはその席上で即興演説("Is There an Artificial God?")を行っている。
今は亡きSF作家のダグラス・アダムスは、たびたび時間に遅れる人物で、ときには「姿を現さないダグラス・アダムス」と称されたが、その彼は「すべてのものの相関性」という言葉を好んで使っていた。私が会ったどんな人物よりも、アダムスは本当の意味で、宇宙を詩のように美しい動きとして理解していた。つまり、宇宙をものではなく、並列する出来事として理解していたのだ。宇宙がみずからを設計し、改造をくり返しながら、新しさと美を生み出し、ときには理想的正義を行使するために陰謀すら企てる過程を、彼は見ていた。有機体には人間よりも高次の形態があるのではないかと思っていた(ただし、簡素化の方向ではないが)。数年前に私が共催した人工生命に関する小規模な会議で、アダムスは「人工の神はいるだろうか」というテーマで即席にすばらしい話をしてくれた(『アンドロイドの「脳」』、p. 307)。
グランドは人工生命コンピューター・ゲーム Creatures の製作者として知られており、その功績により2000年に大英帝国四等勲章(OBE)を授与された。また、Creatures の開発過程について彼が書いた Creation: Life and how to make it(2001年) という本に対して、アダムスは賛辞の言葉を寄せている。
サマセット州の出身で、特にコンピュータ工学などについて専門的に学んだことはないらしい。学校教師を務めていたが、コンピュータ・ゲームのプログラマーに転身し、Creatures で成功をおさめた後はゲーム製作から離れ、人工知能を持つオランウータン・ロボット「ルーシー」の開発に取り組んでいる。その成果は、2004年に出版された『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』に詳しい。サンデータイムズ紙から、〈二十一世紀中に生活の大変革をもたらす可能性の高い十八人の科学者〉の一人に選ばれたこともあるという。
Greenfield, Suzan スーザン・グリーンフィールド 1950.10.1-
イギリスの神経科学者・著述家。2021年3月11日に開催された第15回ダグラス・アダムス記念講演でオンライン講演を行った。演題は、"The Creative Mind: Insights from Neuroscience"。
ロンドン生まれ。オックスフォード大学で哲学と心理学を専攻したが、実験心理学に転じた。アルツハイマー病やパーキンソン病の治療の研究を専門とし、オックスフォードにあるバイオテクノロジーの個人研究所、Neuro-bio.Ltdの共同設立者でもある。
一般向けの科学書も多数手掛けているが、ダグラス・アダムス記念講演に先立つ2014年に出版された『マインド・チェンジ テクノロジーが脳を変化させる』では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が引き合いに出されていた。デジタルの時代は、「テクノロジーが私たちを非人間化する」「科学とテクノロジーの進歩が私たちすべてをゾンビのようなサイボーグに変える」といった絶えざる恐怖を感じさせたかつての時代とは「まったく正反対」であることを私は提案したい。あまりにも人間的すぎることの最悪の側面の一部――才能にかかわらずステータスを求めること、群衆のメンタリティ、思いやりのない無謀さ――には、今やネット空間という地図にない領域全体で完全な自由が与えられている。私たちには何ができるのか、あるいは何をなすべきだろうか?
ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイクガイド(原題:Hitchhiker's Guide to the Galaxy)』の中で、超知性汎次元生物の集団が「生命、宇宙、その他もろもろについての究極の疑問の答え」をスーパーコンピューターのディープ・ソートから教えてもらおうとする。それでディープ・ソートは計算に750万年かけて答えを証明するが、わかった答えは「42」だった。しかし、その究極の疑問そのものは特定されていないということに注意してほしい。多くの人が何世紀にもわたって、人生の意味について同じくらい野心的な考えを表現してきたが、そうした人々はやはりほんの少数派である。自分たちは誰なのか、何をしているのか、という問いの重要性をじっと考える、時間に余裕のある特権的な人々だ。一方、さらに少数な人々が自身の考えを文学や音楽、アート、サイエンスとして表現する機会を持っていた。しかし、私たちが今、足を踏み入れた時代は、大問題を問い、オリジナルでエキサイティングな答えを出すために、総員で力を尽くすまぎれもないチャンスである。そこでは一人一人が自分の本当の能力に気づくのだ(pp. 354-355)。『銀河ヒッチハイク・ガイド』ではなく、「・」がない『銀河ヒッチハイクガイド』と表記されているのは少しだけ残念だが、原題の先頭に定冠詞が抜けているのは、原文で "Douglas Adams's Hitchhiker's Guide to the Galaxy" となっていたため仕方がない。
Gross, Michael C. マイケル・C・グロス 1945.10.4-2015.11.16
アメリカの映画プロデューサー。実現しなかったが、かつて『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化をめぐって、ジョー・メドジャックと共にアダムスと交渉した経緯がある。
グロスは、1981年製作のアニメ映画『ヘヴィメタル』の録音でロンドンに滞在していた際に、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』を聴いたことがあり、「すごくクールだと思った」(Hitchhiker, p. 193)。アメリカに戻った後、メドジャックから次回作の候補として小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』が提示された時、グロスが快諾したのは想像に難くない。が、原作の骨子にこだわるアダムスと、それではヒット映画にならないと考えるアイヴァン・ライトマンとの間で板挟みとなり、最後には『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化を断念せざるを得なくなった。
グロスの主な製作映画は以下の通り(* は製作総指揮、** は製作補)。Heavy Metal (1981) ** 『ヘヴィメタル』
Ghostbusters (1984) ** 『ゴーストバスターズ』
Legal Eagles (1986) * 『夜霧のマンハッタン』
Twins (1988) * 『ツインズ』
Ghostbusters II (1989) * 『ゴーストバスターズ2』
Kindergarten Cop (1990) * 『キンダガートン・コップ』
Stop! Or My Mom Will Shoot (1992) 『刑事ジョー/ママにお手あげ』
Beethoven (1992) 『ベートーベン』
Dave (1993) * 『デーヴ』
Beethoven's 2nd (1993) 『ベートーベン2』映画プロデューサーになる前はアート・デザイナーとして活躍し、『エスクァイア』等の雑誌にデザインを掲載したこともある。また、映画『ゴーストバスターズ』のノー・ゴーストのロゴ・デザインも、彼の手によるものだとか。