関連人物一覧  -J-

Jacobson, Nina  ニーナ・ジェイコブソン
Jankel, Annabel アナベル・ヤンケル
Jones, Peter ピーター・ジョーンズ
Jones, Simon サイモン・ジョーンズ
Jones, Terry テリー・ジョーンズ
Joyce, Colin コリン・ジョイス


Jacobson, Nina ニーナ・ジェイコブソン 1965-

 ハリウッドの映画プロデューサー。
 ブラウン大学を卒業後、ユニバーサル・ピクチャーズやドリームワークスなどで働いた後、1998年にディズニーに移り、前任者のデイヴィッド・E・ヴォーゲルから『銀河ヒッチハイク・ガイド』の企画を引き継ぐ。8000万ドルの予算を4500万ドルに減らす方向性を打ち出したことで、アダムスと合意に至らず、映画化は暗礁に乗り上げたかに見えたが、アダムスが死去した後、ニーナ・ジェイコブソン下のタッチストーン・ピクチャーズで『銀河ヒッチハイク・ガイド』はついに映画化された。
 ジェイコブソンは2006年にディズニーを解雇され、古巣であるドリームワークスに戻ったが、2007年には自身の製作会社 Color Force を立ち上げる。Color Force で製作した映画は、『グレッグのダメ日記』(2010年)とその続編『グレッグのおきて』(2011年)、『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(2011年)、そして記録的な大ヒットとなった『ハンガー・ゲーム』(2012年)シリーズなどがある。


Jankel, Annabel アナベル・ヤンケル 1955.8.1-

 イギリスの映画監督。ロッキー・モートンと共に、テレビ・ドラマ『マックス・ヘッドルーム』(1985年)。で名を上げ、一時は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督候補に名前が上がったことがある。だが、結局意見がまとまらず、実現はしなかった。2009年に、テレビ・ドラマ Skelling (原作小説は『肩胛骨は翼のなごり』)を監督している。
 主な監督作品は以下の通り。 

Max Headroom (1985)  『電脳ネットワーク/マックス・ヘッドルーム』
D.O.A. (1988)  『D.O.A』
Super Mario Bros. (1993)  『スーパーマリオ/魔界帝国の女神』


Jones, Peter  ピーター・ジョーンズ 1920.6.12-2000.4.10

 イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ版及びテレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』で、ナレーションを務めた。
 アダムスは、ケンブリッジ大学に入学して間もない頃、キャンパスで開かれたチャリティ・オークションでのピーター・ジョーンズの名司会ぶりに心を打たれていた。それから数年後、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を書く際には、漠然と「ナレーターはピーター・ジョーンズみたいな声の人」と考えていたという。いざキャスティングをする段になって、プロデューサーのサイモン・ブレットと「ピーター・ジョーンズみたいな声」の持ち主は誰だろうと話し合った末、それならまずはピーター・ジョーンズ本人に頼んでみようということになったとか。幸い、ジョーンズも郵送された脚本を読んで気に入り、役を引き受けることに決めた(Hitchhiker, pp. 98-99)。また、2000年7月にBBCラジオ4で放送されたピーター・ジョーンズの追悼番組には、アダムスも文章を寄せている。
 数多くのテレビや映画に出演しているが、残念ながら日本で公開された作品は少なく、『ドッキリ・ボーイ2/ブギウギ大騒動』(1975)くらいか。
 なお、2004年に新たに製作されたラジオ・ドラマ第3シリーズでは、ピーター・ジョーンズに代わってウィリアム・フランクリンがナレーターを務めることになったが、生前のジョーンズはフランクリンと個人的にも親しい友人同士だった。


Jones, Simon サイモン・ジョーンズ  1950.7.27-

 イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ及びテレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』で主人公アーサー・デントの役を演じた。
 ジョーンズが最初にアダムスと知り合ったのは、ケンブリッジ大学在学中のことだった。既にフットライツのメンバー入りを果たしていたジョーンズは、入学1年目にフットライツのオーディションに落ちたアダムスを励ましてくれた、ただ一人のフットライツ・メンバーだったらしい。アダムスいわく、ジョーンズは「他のフットライツのメンバーとは似ても似つかない、本当に気さくで親切な、ものすごくいい人」(Gaiman, p. 10)で、ジョーンズの励ましに助けられ、アダムスは在学2年目にしてようやく念願のフットライツに参加することができた。 
 大学卒業後、アダムスがラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を書くことになった時には、アーサー・デントというキャラクターを作り上げる上でサイモン・ジョーンズのことが念頭にあったという。「僕は、彼の声を頭に思い浮かべたり、彼がどんな役を演じるのが巧いか、などを考えたりしながら書いた。でも、そこにはサイモン本人は少しも投影されていない。アーサーはサイモン本人ではなく、僕がサイモンの役者としての強みと考えるところのものをモデルにしたのであり、これはまるっきり別のものだ」(Gaiman, p. 161)。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアーサー役以外にも、ジョーンズはアダムスが自分で朗読するようになる以前に発売されたカセット・ブックで、小説 Long Dark Tea-Time of the Soul を朗読している。その他、アダムスの死後に発売されたエッセイ集 The Salmon of Doubt や、オーエン・コルファーによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目 And Another Thing... 等の朗読も手掛けた。さらに、2004年発売のCD Douglas Adams at the BBC では司会役を務め、映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』では惑星マグラシアのアナウンサー役でカメオ出演したりしている。また、M・J・シンプソンが書いた『銀河ヒッチハイク・ガイド』の解説本 A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide には、2001年版と2005年版の二度に亘って序文を寄せた。2009年10月11日にロンドンのサウスバンク・センターで開かれた小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年イベント Hitchcom'09にも出席し、クライヴ・アンダーソンがホストを務めたパネル・ディスカッションやラジオ・ドラマの再演などをこなしている。
 ラジオドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本が出版されると、たびたび序文を寄せている。(第3〜第5シリーズの脚本に寄せた序文や、42周年記念版への序文など)。
 アダムスとジョーンズとの公私に亘る親しい関係は、ジョーンズが A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide の2005年版の序文で書いている通り、アダムスが突然の心臓発作で死去するまで続いた。1986年頃、アダムスはニューヨークにあるセントラル・パークを見下ろす高級アパートを購入したが、同じ物件にサイモン・ジョーンズ夫妻が先に入居していたことも決め手の一つだったようだ。ジョーンズ夫妻としても大歓迎で、実際、ジョーンズ夫妻の部屋が水浸しになった時には一時的にアダムスの部屋に緊急避難したこともあったとか(Hitchhiker, p. 232)。とは言え、残念ながら実際にはアダムスはあまりこのアパートを使うことはなく、数年後には売却してしまったが。
 結局ニューヨークに住み着くことのなかったアダムスとは違い、ジョーンズはトム・ストッパードの戯曲 The Real Thing でブロードウェイ・デビューを果たし、その後も多くのブロードウェイの舞台に立ってきた。現在も、ロンドンとニューヨークの二カ所を拠点に仕事を続けているが、2010年10月8日には息子と共にニューヨークで交通事故に遭い、怪我のため出演予定の舞台を降板することになった。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』以外で、日本でも観ることのできる彼のテレビや映画の出演作品は以下の通り。ただ、いずれも脇役(あるいは端役)なので、作品によってはどこにジョーンズが出ているのかよく分からない。そのため、私が確認できた箇所と役柄についてはリンク先の「関連映像作品一覧」に付記したのでご参考あれ。

<テレビ>

Brideshead Revisited (1982)  『華麗なる貴族』1〜6
Blackadder 2 (1986)  『ブラックアダー 15代目も変わり者』

<映画>

Monty Python's The Meaning of Life (1983)  『モンティ・パイソン 人生狂想曲』
Brazil (1985)  『未来世紀ブラジル』
Greencard (1990)  『グリーン・カード』
American Friends (1991)  『オックスフォードの恋』
Miracle on 34th Street (1994)  『34丁目の奇跡』
Twelve Monkeys (1995)  『12モンキーズ』
The Devil's Own (1997)  『デビル』
Spectropia (2006)  
Griffin & Phoenix (2006)  『恋人たちの絆』
Downton Abbey (2019)  『ダウントン・アビー』


Jones, Terry テリー・ジョーンズ 1942.2.1-2020.1.21

 モンティ・パイソンのメンバーの一人。アダムスとは、モンティ・パイソンの6人の中でもっとも親しい交友関係にあり、ロンドンでのアダムスの葬儀では弔辞を読んでいる。
 北ウェールズのコリン・ベイ生まれ。銀行員の父を持ち、5歳の時にロンドン南西のサリー州に移った。1961年、オックスフォード大学セント・エドムンド・ホール・カレッジに進学し、歴史を専攻。やはり歴史を専攻していたマイケル・パリンと出会い意気投合、共同で脚本執筆を手がけるようになった。1964年には、学内のコメディ・グループ「オックスフォード・レヴュー」のエディンバラ・フェスティバル公演を成功させている。
 卒業後は、パリンと共にテレビのコメディ番組の執筆するようになり、『フロスト・レポート』という番組でケンブリッジ大学出身のジョン・クリーズグレアム・チャップマンエリック・アイドルらと知り合い、やがて「モンティ・パイソン」結成へとつながっていく。
 モンティ・パイソンのメンバーとして脚本と出演のみならず、演出の仕事にも興味を持ち、モンティ・パイソンの最初の映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975年)の製作が決まった時には、テリー・ギリアムと共に共同監督に名乗りをあげた。続く『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(1979年)『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』(1983年)では単独で監督を務めている。
 モンティ・パイソン以外の活動としては、マイケル・パリンと共同で製作したコメディ番組『リッピング・ヤーン』等が上げられるが、それよりも特筆すべきは1980年に出版され、専門家の間でも高い評価を受けたチョーサーに関する研究書、Chaucer's Knight: The Portrait of a Medieval Mercenary だろう。その1年後、今度は子供向けの短編集 Fairy Tales を出版、続く長編小説『エリック・ザ・ヴァイキング』(1983年)ではイギリス児童文学協会賞を受賞する快挙となった。この小説はジョーンズ自らが監督・脚本を担当し、1989年に映画化された。
 アダムスが初めてジョーンズと会ったのは、『空飛ぶモンティ・パイソン』のロケでエグセターに行った時で、「一緒にぐだぐだとほっつき歩いていて、すごく仲のいい友達同士になった」という。アダムスいわく、ジョーンズは「典型的なケルト人で、気まぐれで、ロマンチックな理想やアイディアに満ち溢れていて」「感情的だが、ちゃんと正しいタイミングで自分のことを簡潔に説明することができない」けれど、「フレンドリーで、温かくて、よく笑う人」(Morgan, p. 172)とのこと。
 一方のジョーンズは、2004年に出版された小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の25周年特別版ハードカバーに寄せた序文の中で、初めてラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』を聴いたときの体験について書いている。また2005年のインタビューではアダムスの人柄について語るに際し、二人で映画に行った時のことを持ち出している。
 1927年に製作されたアベル・ガンス監督のサイレント映画の大作『ナポレオン』が、1981年に映画史家のケヴィン・ブラウンロウによって復元され、フランシス・フォード・コッポラの父カーマイン・コッポラの音楽つきで上映されることになり、ジョーンズは自分と妻の分として2枚のチケットを購入した。しかし、肝心の上映当日の日曜の朝、ジョーンズも妻も二日酔い状態で、とてもじゃないが午前10時から午後5時までかかるサイレント映画のマラソン上映を楽しむ気分ではなかった。そこで、誰か代わりに行ってくれる人はいないかと思ってアダムスに電話したところ、彼も二日酔いとのこと。他の人にも電話したが断られ、仕方がない、とにかくチケットを買ったからには自分だけでも観に行こう、と思って家を出ようとした矢先、アダムスから電話が入った。アダムスいわく、サイレント映画を午前10時から午後5時まで観るなどというエグい体験は滅多にできるものじゃないから、自分も是非試してみたい、と。ジョーンズはアダムスの底なしの好奇心にすっかり感じ入ったという。ちなみに、肝心の映画のほうは、二人揃って途中でさぞ盛大に居眠りするだろうと思いきや、上映が始まると二人ともスクリーンにくぎづけになり、途中休憩の時間がもどかしい程だったらしい。この時のエピソードは、2009年に小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年を記念して装丁を一新してパン・ブックスから発売されたペーパーバック、『宇宙の果てのレストラン』にテリー・ジョーンス自身が寄せた序文の中でも取り上げられている。
 1981年頃には、テリー・ジョーンズはアダムスに『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化の企画を申し出てたことがあるという。が、小説化やテレビ・ドラマ化で『銀河ヒッチハイク・ガイド』の焼き直しばかりをしていたアダムスは、「この上さらに別のメディアにひっぱりこまれるのはごめんだった――それでなくても自作のワープロになりかけていたというのに」(Gaiman, p. 103)。そこで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』でない全く新しい作品の映画を作ろうという話になったものの、結局日の目を見ることなく終わった。
 代わりに実現した共同作品としては、コミック・リリーフというチャリティ活動の一環として、アダムスが編集した The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book という雑誌の中に掲載された短編小説、"A Christmas Fairly Story" がある。この短編小説のイラストを担当したのは、『エリック・ザ・ヴァイキング』を筆頭にジョーンズの児童文学のイラストを一手に引き受けているマイケル・フォアマンで、なかなかかわいい。
 1997年には、アダムスの製作したコンピュータ・ゲーム、『宇宙船タイタニック』のノベライズを執筆した。
 モンティ・パイソン関連を除く主な著作は以下の通り(* は、ブライアン・フラウドとの共著)。

Bert Fegg's Nasty Book for Boys and Girls (1974) マイケル・パリンとの共著
Ripping Yarns (1978) マイケル・パリンとの共著で、同名テレビ番組を基に書かれた。
Chaucer's Knight: The Portrait of a Medieval Mercenary (1980) チョーサーに関する研究書
More Ripping Yarns (1980) マイケル・パリンとの共著。Ripping Yarnsの続編。
Fairly Tales (1981) 児童文学
The Saga of Erik the Viking (1983) 『エリック・ザ・ヴァイキング』 山岡洋一訳 日本放送出版会
Fantastic Stories (1992) 児童文学
he Goblin Companion: A Field Guide to Goblins (1996)* 『いたずら妖精ゴブリンの仲間たち』 東洋書林 2001年
Starship Titanic (1997) 
The Knight and the Squire (1999) 『騎士見習いトムの冒険〈1〉 偉大なる騎士サー・ジョン!』 斉藤健一訳 ポプラ社 1999年
The Lady and the Squire (2000) 『騎士見習いトムの冒険〈2〉 美しきエミリア!』 斉藤健一訳 ポプラ社 2000年
Who Murdered Chaucer?: A Medieval Mystery (2003) チョーサーに関する研究書
Terry Jones's War on the War on Terror (2005)


Joyce, Colin コリン・ジョイス 1970- 

 フリーランスのジャーナリスト。オックスフォード大学を卒業後、神戸の大学に留学して日本語を学び、「ニューズウィーク日本版編集部」に在籍したり、「デイリー・テレグラフ」の東京特派員を務めたりした。現在はイギリスに戻り、イギリス人から見た日本についての本も執筆している。
 その中の1冊、2006年に出版された『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』(NHK出版)では、イギリスと日本が似ているかどうかというと、

あの偉大なイギリス人ユーモア作家ダグラス・アダムスの言葉を借りるほかなさそうだ。彼の言葉をもじってこう言っておこう。「日本人は、イギリス人とほぼまったく似ていないとは必ずしも言えない」(p. 150)

 そんな著者は、5年後に出版した『「イギリス社会」入門 日本人に伝えたい本当の英国』(NHK出版新書)の中でイギリスに留学する人に向けたアドバイスとして、

 コメディー作家のダグラス・アダムスがつくった簡単なフレーズを覚えて、会話に混ぜ込んでみよう。きみが洗練されたユーモアのセンスを持っていることをさりげなく示すサインになる。ぼくはいつもこれをやっている。アダムスを好きな人なら「うん、わかるよ」という感じでうなずいてくれる。(p. 167)

 さらに、2018年に出版された『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)にも、ケンブリッジ大学卒のダグラス・アダムスの名前が出てくる。

 いちおうふれておくべきだろうが、コメディアンやエンターテイナーを生み出すことにかけては、ケンブリッジがオックスフォードよりもわずかに有名だ。ケンブリッジの名高い演劇クラブ〈フットライツ〉は、ダグラス・アダムス(『銀河ヒッチハイク・ガイド』の作者)、モンティ・パイソンの三人(ジョン・クリーズ、エリック・アイドル、グレアム・チャップマン)、リチャード・アイオアディ(『ハイっ、こちらIT課!』)ほか、イギリスのエンターテインメント界の数多の大物を生んでいる(ヒュー・ローリー、スティーヴン・フライ、クライヴ・ジェームズ、グリフ・リース・ジョーンズ、デイヴィッド・ミッチェルなど)。とはいえオックスフォードは、ここに挙げた元ケンブリッジ生が束になってもかなわないほど世界的に有名な、現代の奇才を生み出している。知性と教養あふれる天才肌のコメディアン、Mr. ビーン(ローワン・アトキンソン)だ。(p. 113)

 〈フットライツ〉卒の有名人として、ダグラス・アダムスの名前がモンティ・パイソンの三人をも差し置いて一番最初に挙げられていることに是非ご注目あれ。

※ 『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』は、コリン・ジョイスが英語で書き下ろした文章を日本語に訳して出版したものであり、日本語に訳される前の英語の原著は出版されていない。そのためあくまで推測の域を出ないのだが、ここでジョイスがもじったのは『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる栄養飲料自動合成機の一節、"a cupful of liquid that was almost, but not quite, entirely unlike tea"(「紅茶とは似ても似つかぬ(しかし、まったく似ていないとも言いきれぬ)液体」風見潤訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 159)かと思われる。

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