関連人物一覧 -J-
Jacobson, Nina ニーナ・ジェイコブソン Jankel, Annabel アナベル・ヤンケル Jones, Peter ピーター・ジョーンズ Jones, Simon サイモン・ジョーンズ Jones, Terry テリー・ジョーンズ
ハリウッドの映画プロデューサー。
ユニバーサル・ピクチャーズやドリームワークスなどで働いた後、1998年にディズニーに移り、前任者のデイヴィッド・E・ヴォーゲルから『銀河ヒッチハイク・ガイド』の企画を引き継ぐ。8000万ドルの予算を4500万ドルに減らす方向性を打ち出したことで、アダムスと合意に至らず、映画化は暗礁に乗り上げたかに見えたが、アダムスが死去した後、ニーナ・ジェイコブソン下のタッチストーン・ピクチャーズで『銀河ヒッチハイク・ガイド』はついに映画化された。なお、ジェイコブソンは2006年にディズニーを解雇され、古巣であるドリームワークスに戻っている。
イギリスの映画監督。ロッキー・モートンと共に、テレビ・ドラマ『マックス・ヘッドルーム』(1985年)。で名を上げ、一時は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督候補に名前が上がったことがある。だが、結局意見がまとまらず、実現はしなかった。現在は、Skelling
という映画の製作準備中らしい。
主な監督作品は以下の通り。
Max Headroom (1985) 『電脳ネットワーク/マックス・ヘッドルーム』
D.O.A. (1988) 『D.O.A』
Super Mario Bros. (1993) 『スーパーマリオ/魔界帝国の女神』
イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ版及びテレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』で、ナレーションを務めた。
アダムスは、ケンブリッジ大学に入学して間もない頃、キャンパスで開かれたチャリティ・オークションでのピーター・ジョーンズの名司会ぶりに心を打たれていた。それから数年後、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を書く際には、漠然と「ナレーターはピーター・ジョーンズみたいな声の人」と考えていたという。いざキャスティングをする段になって、プロデューサーのサイモン・ブレットと「ピーター・ジョーンズみたいな声」の持ち主は誰だろうと話し合った末、それならまずはピーター・ジョーンズ本人に頼んでみようということになったとか。幸い、ジョーンズも郵送された脚本を読んで気に入り、役を引き受けることに決めた(Hitchhiker,
pp. 98-99)。また、2000年7月にBBCラジオ4で放送されたピーター・ジョーンズの追悼番組には、アダムスも文章を寄せている。
数多くのテレビや映画に出演しているが、残念ながら日本で公開された作品は少なく、『ドッキリ・ボーイ2/ブギウギ大騒動』(1975)くらいか。
なお、2004年に新たに製作されたラジオ・ドラマ第3シリーズでは、ピーター・ジョーンズに代わってウィリアム・フランクリンがナレーターを務めることになったが、生前のジョーンズはフランクリンと個人的にも親しい友人同士だった。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』以外で、日本でも観ることのできる彼の出演作品は以下の通り(ただいずれも脇役(あるいは端役)なので、作品によってはどこに出ているのかよく分からない。そのため、私が確認できた箇所と役柄については付記することにした)
<テレビ>
Brideshead Revisited (1982) 『華麗なる貴族』1〜6Blackadder (1986) 『ブラックアダー 15代目も変わり者』
<映画>
Monty Python's The Meaning of Life (1983) 『モンティ・パイソン 人生狂想曲』
Brazil (1985) 『未来世紀ブラジル』
Greencard (1990) 『グリーン・カード』
American Friends (1991) 『オックスフォードの恋』
Miracle on 34th Street (1994) 『34丁目の奇跡』
Twelve Monkeys (1995) 『12モンキーズ』
The Devil's Own (1997) 『デビル』
Spectropia (2006)
Griffin & Phoenix (2006) 『恋人たちの絆』
モンティ・パイソンのメンバーの一人。アダムスとは、モンティ・パイソンの6人の中でもっとも親しい交友関係にあり、ロンドンでのアダムスの葬儀では弔辞を読んでいる。
北ウェールズのコリン・ベイ生まれ。銀行員の父を持ち、5歳の時にロンドン南西のサリー州に移った。1961年、オックスフォード大学セント・エドムンド・ホール・カレッジに進学し、歴史を専攻。やはり歴史を専攻していたマイケル・パリンと出会い意気投合、共同で脚本執筆を手がけるようになった。1964年には、学内のコメディ・グループ「オックスフォード・レヴュー」のエディンバラ・フェスティバル公演を成功させている。
卒業後は、パリンと共にテレビのコメディ番組の執筆するようになり、『フロスト・レポート』という番組でケンブリッジ大学出身のジョン・クリーズやグレアム・チャップマン、エリック・アイドルらと知り合い、やがて「モンティ・パイソン」結成へとつながっていく。
モンティ・パイソンのメンバーとして脚本と出演のみならず、演出の仕事にも興味を持ち、モンティ・パイソンの最初の映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975年)の製作が決まった時には、テリー・ギリアムと共に共同監督に名乗りをあげた。続く『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(1979年)『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』(1983年)では単独で監督を務めている。
モンティ・パイソン以外の活動としては、マイケル・パリンと共同で製作したコメディ番組『リッピング・ヤーン』等が上げられるが、それよりも特筆すべきは1980年に出版され、専門家の間でも高い評価を受けたチョーサーに関する研究書、Chaucer's
Knight: The Portrait of a Medieval Mercenary だろう。その1年後、今度は子供向けの短編集
Fairy Tales を出版、続く長編小説『エリック・ザ・ヴァイキング』(1983年)ではイギリス児童文学協会賞を受賞する快挙となった。この小説はジョーンズ自らが監督・脚本を担当し、1989年に映画化された。
アダムスが初めてジョーンズと会ったのは、『空飛ぶモンティ・パイソン』のロケでエグセターに行った時で、「一緒にぐだぐだとほっつき歩いていて、すごく仲のいい友達同士になった」という。アダムスいわく、ジョーンズは「典型的なケルト人で、気まぐれで、ロマンチックな理想やアイディアに満ち溢れていて」「感情的だが、ちゃんと正しいタイミングで自分のことを簡潔に説明することができない」けれど、「フレンドリーで、温かくて、よく笑う人」(Morgan,
p. 172)とのこと。
一方のジョーンズは、2005年のインタビューでアダムスの人柄について語った際、二人で映画に行った時のことを持ち出している。
1927年に製作されたアベル・ガンス監督のサイレント映画の大作『ナポレオン』が、1981年に映画史家のケヴィン・ブラウンロウによって復元され、フランシス・フォード・コッポラの父カーマイン・コッポラの音楽つきで上映されることになり、ジョーンズは自分と妻の分として2枚のチケットを購入した。しかし、肝心の上映当日の日曜の朝、ジョーンズも妻も二日酔い状態で、とてもじゃないが午前10時から午後5時までかかるサイレント映画のマラソン上映を楽しむ気分ではなかった。そこで、誰か代わりに行ってくれる人はいないかと思ってアダムスに電話したところ、彼も二日酔いとのこと。他の人にも電話したが断られ、仕方がない、とにかくチケットを買ったからには自分だけでも観に行こう、と思って家を出ようとした矢先、アダムスから電話が入った。アダムスいわく、サイレント映画を午前10時から午後5時まで観るなどというエグい体験は滅多にできるものじゃないから、自分も是非試してみたい、と。ジョーンズはアダムスの底なしの好奇心にすっかり感じ入ったという。ちなみに、肝心の映画のほうは、二人揃って途中でさぞ盛大に居眠りするだろうと思いきや、上映が始まると二人ともスクリーンにくぎづけになり、途中休憩の時間がもどかしい程だったらしい。
また、1981年頃には、テリー・ジョーンズはアダムスに『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化の企画を申し出てたことがあるという。が、小説化やテレビ・ドラマ化で『銀河ヒッチハイク・ガイド』の焼き直しばかりをしていたアダムスは、「この上さらに別のメディアにひっぱりこまれるのはごめんだった――それでなくても自作のワープロになりかけていたというのに」(Gaiman,
p. 103)。そこで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』でない全く新しい作品の映画を作ろうという話になったものの、結局日の目を見ることなく終わった。
代わりに実現した共同作品としては、コミック・リリーフというチャリティ活動の一環として、アダムスが編集した The Utterly
Utterly Merry Comic Relief Christmas Book という雑誌の中に掲載された短編小説、"A
Christmas Fairly Story" がある。この短編小説のイラストを担当したのは、『エリック・ザ・ヴァイキング』を筆頭にジョーンズの児童文学のイラストを一手に引き受けているマイケル・フォアマンで、なかなかかわいい。
また1997年には、アダムスの製作したコンピュータ・ゲーム、『宇宙船タイタニック』のノベライズを執筆した。
モンティ・パイソン関連を除く主な著作は以下の通り。
Bert Fegg's Nasty Book for Boys and Girls (1974) マイケル・パリンとの共著
Ripping Yarns (1978) マイケル・パリンとの共著で、同名テレビ番組を基に書かれた。
Chaucer's Knight: The Portrait of a Medieval Mercenary (1980) チョーサーに関する研究書
More Ripping Yarns (1980) マイケル・パリンとの共著。Ripping Yarnsの続編。
Fairly Tales (1981) 児童文学
The Saga of Erik the Viking (1983) 『エリック・ザ・ヴァイキング』 山岡洋一訳 日本放送出版会
Fantastic Stories (1992) 児童文学
Starship Titanic (1997)
The Knight and the Squire (1999) 『騎士見習いトムの冒険〈1〉 偉大なる騎士サー・ジョン!』 斉藤健一訳 ポプラ社 1999年
The Lady and the Squire (2000) 『騎士見習いトムの冒険〈2〉 美しきエミリア!』 斉藤健一訳 ポプラ社 2000年
Who Murdered Chaucer?: A Medieval Mystery (2003) チョーサーに関する研究書
Terry Jones's War on the War on Terror (2004)