関連人物一覧 -A-
Adams, Jonathan ジョナサン・アダムス Aldiss, Brian Wilson ブライアン・W・オールディス Anderson, Clive クライヴ・アンダーソン AtKisson, Alan アラン・アトキソン
Adams, Jonathan ジョナサン・アダムス 1931.2.14-2005.6.15
イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』でマジクサイズ役を務めた。主にテレビ・ドラマを中心に活躍し、映画『ロッキー・ホラー・ショー』のスコット博士役としても知られている。
Aldiss, Brian Wilson ブライアン・W・オールディス 1925.8.18-
イギリスのSF作家。
ノーフォーク州イーストデーラム生まれ。書店経営、記者などの仕事を経て、1954年に作家としてデビューし、1960年代イギリスSF界の<ニュー・ウェーブ>作家として、J・G・バラードと双璧をなす。代表作は、ヒューゴー賞を受賞した『地球の長い午後』(The
Long Afternoon of Earth, 1962)だが、キューブリック/スピルバーグの映画『A. I.』の原作者(原作小説のタイトルは『スーパートイズ』)と紹介したほうが馴染みやすいかもしれない。発表した作品は50冊を超え、1960年から65年にかけてイギリスSF協会会長を務めている。小説のみならずSFの評論家としても名高く、SF文学史『十億年の宴 SF−その起源と発達』(Billion
Year Spree - The History of Science Fiction-, 1973)は「最初の、そして最良のSF史」と高く評価された。
『十億年の宴』から10年以上が経った後、オールディスは続編『一兆年の宴』(Trillian Year Spree,
1986)をデイヴィッド・ウィングローヴと共著という形で出版する。この評論で、オールディス(あるいはウィングローヴ)は、SF作家ロバート・シェクリイの『奇蹟の次元』(1968年)を「シェクリーの六○年代の最高傑作」と誉め称えた直後、こう締めくくる。
のちにダグラス・アダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』をひっさげて現れ、以前として貧乏なシェクリーをしりめに、シェクリー流の風刺で金持になったのを見て、古くからの読者は天を仰いだ。(p. 118)
『銀河ヒッチハイク・ガイド』と『奇蹟の次元』については、私も『銀河ヒッチハイク・ガイド』考で取り上げているので、私なりの反論についてはそちらをご参照あれ。
ともあれ、SFが「売れる」市場と見込まれるようになった1980年代以降、イギリスの新人SF作家ならせいぜい1000部か2000部がいいところなのに対して、一部の流行作家の作品に莫大な金をつぎ込んで大々的なキャンペーンを行い、作品の内容や質よりもマーケティングと宣伝効果で読者の購買意欲を煽って、何百万部、何千万部というケタ違いのセールスを行う、というのが彼らの言い分である。
金持国アメリカでは、ハートカバーとペイバーバックの小売価の格差が、以前ほど大きいものには見えなくなった。SF界の貴重な情報誌<ロータス>の編集長チャールズ・N・ブラウンは、今日の読者の動向についてうなずける意見を述べた。つまり、読者はほかのジャンルの回転の早さに慣れ、好きな作家の作品がペイパーバック版で出るのを待ちきれなくなった、というのだ。巨額の版権契約が続出する最近の傾向に、これである程度の説明がつく。そうでもなければ、あれは狂気としか思えない。かくして、新しいダグラス・アダムスのシリーズ物≪ダーク・ジェントリー全体論探偵事務所≫の二冊は、三百万ドルを越える金額で契約が成立した。(p. 222)
オールディス(あるいはウィングローヴ)は、アダムスが人気作家扱いされるのがどうにも気に食わなかったらしい。
なお、『一兆年の宴』はヒューゴー賞を受賞している。
Anderson, Clive クライヴ・アンダーソン 1952.12.10-
イギリスのコメディ作家・司会者。数多くのラジオやテレビ番組のホスト役を務めている。アダムスとはケンブリッジ大学在学中からの友人で、同時期にフットライツにかかわっていた。大学卒業後も公私に亘って交友関係は続き、アンダーソンがインタビュアーを務めるラジオ番組には、アダムスも出演したことがある(Hitchhiker,
p. 199)し、またアダムスが自宅で開くパーティに招かれたことも(Webb, p. 180)。アダムスの死後には、ダグラス・アダムス記念講演の司会役を務めたこともある。
アンダーソンが初めてアダムスと同じ舞台に立ったのは、1973年3月1日に行われたフットライツの非公式公演、スモーカーでのこと。ウィル・アダムスとマーティン・スミスが書いたスケッチに、アダムスと共にキャストとして参加している。
なかなかフットライツの正式メンバーになれなかったアダムスと違って、アンダーソンは1973年にはすんなり入れることができたようだ。ともあれ、1974年のフットライツのメンバー表には二人の名前が揃って挙がっている。1975年には、アンダーソンはフットライツの部長に就任した。
大学を卒業してからの数年は鳴かず飛ばずの日々が続き、スタンダップ・コメディアンとして舞台に立ったり、ジョン・ロイドがプロデューサーを務めていたテレビの人気コメディ番組 Not the
Nine O'Clock News の脚本に参加したりしていた。アダムスが1978年5月からの約半年間、ロイドと共に一時的にBBC
Radio4の軽演芸部門のプロデューサーに就任していた折には、アンダーソンはクリスマスの特別番組「ブラック・シンデレラ2」の脚本を、やはりフットライツ出身のコメディアン、Rory McGraht
と共同執筆している(この番組には、ジョン・クリーズを始め、他にも多くのフットライツ関係者が参加していた)。
アンダーソン自身がブレイクするきっかけとなったのは、1988年にラジオの即興コメディ番組 Whose Line Is
It Anyway? だった。ゲストでスティーヴン・フライも出演していたこの番組のホスト役で注目を集め、この番組がテレビに移行した後もホスト役を務めて人気と知名度を高めた。現在も、ジョン・ロイドがプロデュースしスティーヴン・フライがホストを務める人気ゲーム番組
QI など、多くのテレビ番組にパネリストやゲストとして出演している。
アメリカ人の環境コンサルタント。彼が1999年に出版した『カサンドラのジレンマ 地球の危機、希望の歌』という本には、アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』が引用されている。
作家のダグラス・アダムスは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズで、何機もの巨大な宇宙船が、どうやってロンドンのど真ん中に、しかも誰にも気づかれることなく着陸できたかを書いた。「誰か他の人の問題領域」という空間を作りだしたのだ。こう書いてあれば、宇宙船を目撃した人は皆、「あれが何であろうと、私には関係ないことだ」と考えて、それでおしまいになる。そして、自分に関係あることをやり続けるだけなのだ。
これと似たような環境問題、社会問題、経済問題を数え上げれば、枚挙にいとまがない。(p. 116)
アトキソンはミズーリ州生まれ。「持続可能性」(sustainability)という考え方で、地球の環境維持と社会の発展を促そうという活動を行っている。また、ミュージシャンとして環境問題をテーマとした曲を書き、CDも発売したとか。現在はスウェーデン在住。2004年7月には来日し、講演等を行った。