関連人物一覧 -R-
Reitman, Ivan アイヴァン・ライトマン Rendel, Ruth ルース・レンデル Roach, Jay ジェイ・ローチ Roth, Joe ジョー・ロス Rushdie, Salman サルマン・ラシュディ Russell, Gary ゲイリー・ラッセル
Reitman, Ivan アイヴァン・ライトマン
映画監督。
チェコスロバキアに生まれ、4歳で両親と共にカナダに移住する。大学入学後、「ニュー・シネマ・カナダ」というプロダクションを設立。様々な短編映画やテレビ番組の製作に携わるが、カナダ時代のライトマンの仕事の中でも特筆すべきは、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『シーバース/人喰いの島』(Shivers,
1974)や『ラビッド』(Rabid, 1976)で音楽と製作を担当したことだろう。
トロントでの舞台演出や出演でも成功をおさめたライトマンはアメリカへ進出する。オフ・ブロードウェイで手掛けた『ナショナル・ランプーン・ショー』が好評で、それを基に製作した映画『アニマル・ハウス』も興行的にヒット、さらに翌年に『ミートボール』で映画監督としてハリウッド・デビューを果たし、続く『パラダイス・アーミー』の成功で、若手コメディ映画監督としての評価をさらに高めた。
ライトマンが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化企画と出会うのはこの時である。
しかし、脚本家兼制作補として契約したアダムスがいざ執筆にとりかかると、脚本をめぐってライトマンと意見の対立が続いた。アダムスは何パターンかの脚本を書き上げてライトマンに見せるが、最終的な合意には至らず、ライトマン監督による『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化は立ち消えとなる。
その代わりにライトマンが監督したのが、かの『ゴーストバスターズ』。脚本のハロルド・ライミスとダン・エイクロイドは『ナショナル・ランプーン・ショー』以来のライトマンの知り合いであり、主演のビル・マーレーにしても『ミートボール』『パラダイス・アーミー』で出演した間柄だ。イギリス人でよそ者のアダムスを排し、身内とも言うべき「ライトマン一家」が勢揃いして製作されたこの映画は、1984年夏に全米で公開され、大ヒットとなった。
是非はともかく、『ゴーストバスターズ』という映画を観れば、コメディの何たるかをめぐってアダムスと話が合わなかったのも頷ける。
これまでの主な監督作品は、
Meatballs (1979) 『ミートボール』
Stripes (1981) 『パラダイス・アーミー』
Ghostbusters (1984) 『ゴーストバスターズ』
Legal Eagle (1986) 『夜霧のマンハッタン』
Twins (1988) 『ツインズ』
Ghostbusters 2 (1989) 『ゴーストバスターズ2』
Kindergarten Cop (1990) 『キンダーガーデン・コップ』
Dave (1993) 『デーヴ』
Junior (1994) 『ジュニア』
Fathers' Day (1997) 『ファーザーズ・デイ』
Six Days Seven Nights (1998) 『6デイズ/7ナイツ』
Evolution (2001) 『エボリューション』
My Super Ex-Girlfriend (2006) 『Gガール 破壊的な彼女』
Rendel, Ruth ルース・レンデル 1930.2.17-
イギリスの推理小説作家。アダムスも彼女の作品を愛読していたらしい。
ロンドン生まれ。高校卒業後、新聞社に入社し、記者や編集者として働く。20歳で結婚、一児をもうけた後に離婚するが、1977年に復縁した。34歳の時、処女作『薔薇の殺意』を発表し、作家としてデビューした。以後、『薔薇の殺意』に登場するウェクスフォード警部を主人公とした、伝統的な推理小説の系譜に繋がるシリーズ作品をてがける一方、異常心理を題材としたサスペンス小説も並行して執筆し、どちらも高い評価を得る。『わが目の悪魔』『引き攣る肉』『運命の倒置法』の3作品で英国推理作家協会ゴールド・ダガー賞を、『身代わりの樹』で同協会シルヴァー・ダガー賞を受賞。
レンデルの主な著作は以下の通り(*はウェクスフォード警部・シリーズ、**はバーバラ・ヴァイン名義で書かれた作品)。
From Doon with Death (1964)* 『薔薇の殺意』 角川文庫 1981年
To Fear a Painted Devil (1965) 『絵に描いた悪魔』 角川文庫 1986年
Vanity Dies Hard (1965) 『虚栄は死なず』 光文社文庫 1988年
A New Lease of Death (1967)* 『死が二人を別つまで』 創元推理文庫 1987年
Wolf to the Slaughter (1967)* 『運命のチェスボード』 創元推理文庫 1987年
The Secret House of Death (1968) 『死のひそむ家』 創元推理文庫 1987年
The Best Man to Die (1969)* 『死を望まれた男』 創元推理文庫 1988年/『友は永遠に』 光文社 1988年
A Guilty Thing Surprised (1970)* 『罪人のおののき』 創元推理文庫 1988年
No More Dying Then (1971) 『もはや死は存在しない』* 角川文庫 1987年
One Across,Two Down (1971) 『悪夢の宿る巣』 角川文庫 1983年
Murder Being Once Done (1972)* 『ひとたび人を殺さば』 角川文庫 1980年
Some Lie and Some Die (1973)* 『偽りと死のバラッド』 角川文庫 1987年
The Face of Trespass (1974) 『緑の檻』 角川文庫 1988年
Shake Hands Forever (1975)* 『指に傷のある女』 角川文庫 1986年
A Demon in My View (1976) 『わが目の悪魔』 角川文庫 1982年
The Fallen Curtain (1976) 『カーテンが降りて』(短編集) 角川文庫 1988年
A Judgement in Stone (1977) 『ロウフィールド館の惨劇』 角川文庫 19984年
A Sleeping Life (1978)* 『乙女の悲劇』 角川文庫 1983年
Means of Evil (1979)*(短編集)
Make Death Love Me 『死のカルテット』 角川文庫 1985年
The Lake of Darkness (1980) 『地獄の湖』 角川文庫 1986年
Put On By Cunning (1981)* 『仕組まれた死の罠』 角川文庫 1988年
Master of the Moor (1982) 『荒野の絞首人』 角川文庫 1985年
The Fever Tree (1982) 『熱病の木』(短編集) 角川文庫 1988年
The Speaker of Mandarin (1983)* 『マンダリンの囁き』 ハヤカワ・ミステリ文庫 1985年
The Killing Doll (1984) 『殺す人形』 ハヤカワ・ミステリ文庫 1996年
The Tree of Hands (1984) 『身代わりの樹』 ハヤカワ・ミステリ文庫 1995年
An Unkindness of Ravens (1985)* 『無慈悲な鴉』 ハヤカワ・ミステリ 1987年
The New Girlfriend (1985) 『女ともだち』(短編集) 角川文庫 1989年
A Dark-Adapted Eye (1985)** 『死との抱擁』 角川文庫 1988年
Live Flesh (1986) 『引き攣る肉』 角川文庫 1988年
A Fatal Inversion (1987)** 『運命の倒置法』 角川文庫 1991年
Talking to Strange Men (1987) 『死を誘う暗号』 角川文庫 1992年
Heartastones (1987) 『ハートストーン』 福武書店 1989年
Collected Short Stories (1987) (短編集)
The House of Stairs (1988)** 『階段の家』 角川文庫 1990年
The Veiled One (1988)『惨劇のヴェール』 角川文庫 1989年
The Bridesmaid (1989) 『石の微笑』 角川文庫 1998年
Gallowglass (1990)** 『哀しきギャロウグラス』 角川文庫 1993年
Going Wrong (1991) 『求婚する男』 角川文庫 1996年
King Solomon's Carpet (1991)** 『ソロモン王の絨毯』 角川文庫 2001年
The Copper Peacock (短編集)
Kissing the Gunner's Daughter (1992)* 『眠れる森の惨劇』 角川文庫 2000年
The Crocodile Bird (1993) 『殺意を呼ぶ館 上・下』 扶桑社ミステリー 1999年
Asta's Book (1993)** 『アスタの日記 上・下』 扶桑社ミステリ 1997年
No Night is Too Long (1994) ** 『長い夜の果てに』 扶桑社ミステリー 1998年
Simisola (1994)* 『シミソラ』 角川文庫 2001年
Blood Lines (1995) (短編集)
The Brimstone Wedding (1995)** 『ステラの遺産』 ハヤカワ・ミステリ 1998年
The Keys to the Street (1996)
Road Rage (1997)* 『聖なる森』 ハヤカワ・ミステリ 1999年
The Chimney Sweeper's Boy (1998)** 『煙突掃除の少年』 ハヤカワ・ミステリ 2002年
A Sight for Sore Eyes (1998)
Harm Done (1999)*
Piranha to Scurfy (2000) (短編集)
Grasshopper (2000)**
Roach, Jay ジェイ・ローチ 1957-
映画監督。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化の実現に向けて尽力した。
これまでの主な監督作品は、
Austin Powers: International Man of Mystery (1997) 『オースティン・パワーズ』
Austin Powers: The Spy Who Shagged Me (1999) 『オースティン・パワーズ:デラックス』
Mystery, Alaska (1999) 『ミステリー,アラスカ さあ来いレンジャーズ!』
Meet the Parents (2000) 『ミート・ザ・ペアレンツ』
Austin Powers in Goldmember (2002) 『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』
『ミート・ザ・ペアレンツ』は、ベン・スティラー扮する看護士が、初めて恋人の実家に招かれたところ、恋人の父親というのがロバート・デ・ニーロ扮する強面の元CIAだった、というコメディ。アメリカでは1億ドル以上もの興業収入を挙げるヒット作となった。
私はジェイ・ローチが『銀河ヒッチハイク・ガイド』監督予定だからというだけの理由で、映画そのものにはたいして期待もせず観に行ったが、予告編から想像していた程のひどいドタバタに陥らず、また的はずれなハートウォーミングにもならず、存外楽しめた。なお、この映画のパンフレットには監督と主演男優へのインタビュー記事があり、お気に入りのシーンは、と質問されたジェイ・「オースティン・パワーズ」・ローチが、恋人の両親宅での食事のシーンを挙げ、「特殊効果もヌードもないのに魅力的」と言い、またそれに同意したベン・「メリーに首ったけ」・スティラーが「映画全体を通して、特殊効果はほとんど使ってないし、シモネタもあまりない」と言ったのは、ちょっとおもしろい。
ただ、誰も予想だにしていなかったアダムスの突然の死で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化企画は事実上潰えてしまい、代わりにローチは『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』の監督にとりかかった。2002年7月26日から全米で公開されたこの映画は、歴代のコメディ映画のオープニング3日間の興行収入の記録を塗り替えるヒットとなった。
その後、『ミート・ザ・ペアレンツ』の続編にあたる、『ミート・ザ・ペアレンツ2』を監督・製作するかたわら、2005年公開作品としてついに製作された映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』では製作総指揮にクレジットされている。
ハリウッドのプロデューサー。20世紀フォックスやディズニーを歴任して多くの映画を製作し、2000年1月にはウォルト・ディズニー・スタジオを辞めてレボリューション・スタジオを設立する。
2000年は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化にむけてディズニーと契約が成立したにもかかわらず、アダムスが書いた脚本にディズニーからゴーサインが出なかった時期でもある。ディズニー側の承諾を得た上で脚本を他のスタジオに見せて製作希望を募ることになり、中でもジョー・ロスは、ロジャー・バーンバウムの同僚であり、また個人的にも親しかったため、彼なら製作に手を挙げるのではないかと期待された。が、そんな彼にも企画を見送られたことで、アダムスやロビー・スタンプはひどく意気消沈したという。
イギリスの作家。アダムスとは個人的に親交があったようで、ダンカン・テラスの自宅でアダムスが開いたホームパーティに招待されている。二人が知り合ったきっかけは不明だが、ラシュディがブッカー賞受賞歴のある高名な作家であるかたわら、『ピーターズ・フレンズ』や『ブリジット・ジョーンズの日記』といった映画にカメオ出演していることを考えれば、二人の間に共通の友人が多かったとしても不思議はない。
ラシュディはインドのボンベイ生まれ。裕福なイスラム教徒の家庭で生まれ、14歳でイギリスのパブリック・スクールに入学する。一度は家族の移住先となったパキスタンで暮らすも、イギリスに戻ってケンブリッジ大学のキングス・カレッジで歴史を学んだ。卒業後はコピーライターの仕事のかたわら小説を書き、『真夜中の子供たち』でブッカー賞を受賞、イギリスを代表する作家の一人となった。1989年、『悪魔の詩』を書いたことにより、イランのホメイニ師によってラシュディに死刑宣告が出されたことはあまりにも有名(ホメイニ師死後の1998年には、この宣告は事実上撤回されている)。
主な著作は以下の通り。
Grimus (1975)
Midnight's Children (1980)『真夜中の子供たち』 早川書房 1989年
Shame (1983) 『恥』 早川書房 1989年
The Jaguar Smile: A Nicaraguan Journey (1987) 『ジャガーの微笑 ニカラグアの旅』 現代企画社 1995年
The Satanic Verses (1989) 『悪魔の詩』 プロモーション・ジャンニ、新泉社 1990年
Haroun and the Sea of Stories (1990) 『ハルーンとお話の海』 国書刊行会 2002年
Imaginary Homelands: Essays and Criticism, 1981-1991 (1992)
East, West (1994)『東と西』 平凡社 1997年
The Moor's Last Sigh (1995)
The Ground Beneath Her Feet (1999)
Fury (2001)
Step Across This Line: Collected Nonfiction 1992 - 2002 (2002)
Shalimar the Clown (2005)
The Enchantress of Florence (2008)
Russell, Gary ゲイリー・ラッセル 1963.9.18-
イギリスのフリーライター。アダムスが書いた『ドクター・フー』の脚本のうち、BBCのストのため未完に終わっていた
'Shada' を、2002年にオーディオ・ドラマとして製作した。化される運びになった時、テレビ用の脚本をオーディオ・ドラマ用に書き直す作業を行った。
ラッセルは、幼い頃は子役としてテレビや舞台に立ったこともあったらしいが、現在は俳優としての仕事はしていない。1992年から1995年にかけて『ドクター・フー・マガジン』の編集を務めた後、1998年からは『ドクター・フー』のオーディオ・ドラマ化のライセンスを持っている製作会社ビッグ・フィニッシュ・プロダクションズのプロデューサーに就任。ニコラス・ペグに 'Shada' の監督を依頼した。その際、4代目ドクターのトム・ベイカー用に書かれていたテレビ・ドラマの脚本を、8代目ドクターのポール・マッギャンが演じるオーディオ・ドラマ用の脚本へと、ラッセル自ら書き直しをしている。
2006年にはビッグ・フィニッシュ・プロダクションズを辞め、現在はBBCウェールズで、やはり『ドクター・フー』関連の仕事をしている。2006年10月には『ドクター・フー オフィシャル・ガイド3 インサイド・ストーリー』を出版した。また、映画『ロード・オブ・ザ・リング』のアート・ブック等も手掛けている。