関連人物一覧  -M-

Maggs, Dirk ダーク・マッグス
Makinson, John ジョン・マッキンソン
Mangan, Stephen スティーヴン・マンガン
Marks, Hannah ハンナ・マークス
Marshall, Andrew アンドリュー・マーシャル
McCoy, Sylvester シルヴェスター・マッコイ
McEwan, Ian イアン・マキューアン
McGann, Paul ポール・マッギャン
McGivern, Geoffrey ジェフリー・マッギヴァーン
McGrath, Rory ロリー・マクグラス
McIntosh, Robbie ロビー・マッキントッシュ
McKenna, Bernard バーナード・マッケンナ
Medjuck, Joe ジョー・メドジャック
Meretzky, Steve スティーヴ・メレツキー
Miliband, Ed エド・ミリバンド
Miller Jr., Walter ウォルター・ミラー・ジュニア
Milner-Gulland, E. J E・J・ミルナー=ガランド
Moffat, Steven スティーヴン・モファット
Montagu, Felicity フェリシティ・モンタギュー
Moore, Alan アラン・ムーア
Moore, Patrick パトリック・ムーア
Moore, Stephen スティーヴン・ムーア
Morton, Rocky ロッキー・モートン
Mulville, Jimmy ジミー・ムルヴィル


Maggs, Dirk  ダーク・マッグス

 オーディオ・ドラマのプロデューサー。ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3〜第5シリーズ(序文はこちら)や『ダーク・ジェントリー』シリーズの脚本・監督を務めた。また、2009年9月1日に小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年を記念してパン・ブックスから新装版のペーパーバック『ほとんど無害』が出版された際には、序文を寄せている。
 アダムスは、マッグスが1980年代後半から手掛けた『バットマン』や『スーパーマン』といったアメリカン・コミックスのオーディオ・ドラマを気に入っていたらしい。そのため、1993年にラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3シリーズ製作の話が持ち上がった時に、プロデューサーとしてマッグスの名前が挙がった。残念ながらこの時点での製作は中止となってしまったが、アダムスの死後の2004年に作品は完成し、好評につき翌年には第4・第5シリーズが製作された。
 2005年、マッグスはDavid Morley、Paul Weir らとオーディオ・ドラマの製作会社 Perfectly Normal Productions を設立した。この会社名は、『ほとんど無害』でアーサーがサンドイッチ作りの才を初めて発揮する惑星ラミュエラの「どこも変でないけもの(Perfectly Normal Beast)」(p. 185)に由来している。
 2012年の6月8日から7月21日にかけて、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のオリジナル・キャストが再集結し、舞台でライブパフォーマンスを行った際には、その演出と脚本を手掛けた。この公演は2013年秋に再演され、全国ツアーが行われたが、残念ながらチケット販売の不振という理由で途中でキャンセルになった。
 また、2023年8月23日に発売された 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に、マッグスが寄せた文章はこちら


Makinson, John  ジョン・マッキンソン 1954.10.10-

 現在はロンドンを拠点としたコンピュータ会社の会長職にあるが、2002年から2013年までペンギン・ブックスのCEOを務めたこともある出版界の大物。ケンブリッジ大学を卒業後、「フィナンシャル・タイムズ」の記者としてキャリアをスタートした。2010年から2016年にかけて、イギリスのナショナル・シアターの理事会の会長も務めていた。
 生前のアダムスの親しい友人で、二度目の結婚式に新婦の友人として招待されたアルヴィンド・イーサン・デイヴィッドがマッキンソン本人から直接聞いた話によると、マッキンソンが初めての結婚式を挙げた時にはアダムスが付添人(ベストマン)を務めたとのこと。


Mangan, Stephen  スティーヴン・マンガン 1972.7.22-

 イギリスの俳優。2009年10月12日〜23日の土日を除く計10日間、午後10時45分からBBCラジオ4で放送された、オーエン・コルファーによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目 And Another Thing... の朗読を担当した。2009年10月12日に Penguin Audiobooks から発売された朗読CDではサイモン・ジョーンズが務めているので、マンガンの朗読はラジオ放送か、あるいはBBCラジオ4の公式サイトから聴くしかない――ただし、公式サイトで聴けたのは、各エピソードの放送日から1週間以内だけだったが。その後、2010年にBBCでテレビ・ドラマ版 Dirk Gently が製作された時には、主人公ダーク役を務めることになった。その縁によるものか、2021年10月14日には、『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』と『長く暗い魂のティータイム』の2冊の小説の朗読が Audible.com から発売されている。
 マンガンはロンドン生まれ。ケンブリッジ大学で法律の学位を取得後、王立演劇学校で学んだ。ウエストエンドの舞台で活躍するかたわら、スー・タウンゼントの『ぼくのヒ・ミ・ツ日記』シリースのテレビドラマで主役のエイドリアン・モールを演じて広く知られるようになる。主な映画出演は『リトル・ダンサー』(2000年)『バースデイ・ガール』(2001年)『コンフェッティ 仰天!結婚コンテスト』(2006年)など。その他に、ジミー・ムルヴィルが製作総指揮を務めるテレビのコメディ・ドラマ『マット・ルブランの元気か〜い?ハリウッド!』(2011年〜)や、ミステリー・ドラマ『フーディーニ&ドイルの怪事件ファイル 〜謎解きの作法〜』(2016年)といったテレビ作品がある。


Marks, Hannah  ハンナ・マークス 1993.4.13-

 アメリカの俳優。Netflixで公開中のテレビドラマ「私立探偵ダーク・ジェントリー」で、イライジャ・ウッド扮するトッドの妹アマンダを演じた。2021年3月11日にオンライン開催された第15回ダグラス・アダムス記念講演でも、「Social Distanced Dirk」という短編でダーク役のサミュエル・バーネットとの二人芝居を披露している。
 カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。子役の頃から俳優として数々のドラマや映画に出演するかたわら、脚本家、監督、プロデューサーといった仕事も手掛けている。


Marshall, Andrew  アンドリュー・マーシャル 1954-

 鬱病ロボットマーヴィンのモデルになった、アダムスの友人。『銀河ヒッチハイク・ガイド』以前のアダムスと組んで、エジンバラ国際演劇祭に参加したこともある。現在まで、多くのテレビ・ドラマ等の脚本を執筆した。
 BBCラジオのコメディ番組The Burkiss Way では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のパロディ、"The Scriptwriter's Guide to the Galaxy" を デイヴィッド・レンウィックと共に書いた。その一部は、サイモン・ブレットが編集したパロディ本、The Faber Book of Parodies (London: Faber and Faber, 1984) に収録されている。


McCoy, Sylvester  シルヴェスター・マッコイ 1943.8.20-

 イギリスの俳優。1987年から1989年にかけて、テレビ・ドラマ『ドクター・フー』の7代目ドクターを務めたが、1989年10月に放映されたエピソード、'Ghost Light' では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にちなんだ台詞("Who was it that said earthmen never invite their ancestors to dinner?")が出てくる。
 マッコイはスコットランド生まれ。『ドクター・フー』の他にも、数多くのテレビ・ドラマや舞台に出演している。


McEwan, Ian  イアン・マキューアン 1946.6.21-

 イギリスの作家。ブッカー賞をはじめ数々の受賞歴を持つ、現代イギリスを代表する小説家の一人だが、2010年に出版された長編小説『ソーラー』には、ダグラス・アダムスへの言及が見られる――ただし、この言及にはちょっとした含みがある。
 話は、この小説が発売される2年前の2008年6月に遡る。イギリス・ウェールズのヘイ・オン・ワイで毎年開催される文学の祭典、ヘイ・フェスティバルにて、マキューアンは当時まだ執筆中だった『ソーラー』の原稿の一部を朗読した。それは、主人公でノーベル物理学賞を受賞したことのある科学者マイケル・ビアードが、2005年のある日、ヒースロー空港駅からパディントン駅に向かう列車の中で体験した出来事を描いた部分で、向かいの座席に座った無礼な男に自分の食べていたポテトチップスの袋に手を出され、でもビアードは言葉に出して相手を咎めることなく、そのまま二人で黙々と食べ続け、列車が止まって相手の男が席を立った後になって、実は相手がビアードのポテトチップスを食べたのではなく、ビアードが間違って相手のポテトチップスを開封して食べていたことに気付く、というもの。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンならば、すぐにピンとくるだろう。このエピソードの骨子は、『さようなら、いままで魚をありがとう』に出てくるリッチティー・ビスケットの話とまったく同じだ、と。実際、その朗読を聴いた聴衆の一人が、立ち上がってマキューアンにこう質問したという。「今のは、ダグラス・アダムスからの盗作ですよね?」
 この問いかけは、マキューアンにとっては心外だったようだ。
 以前、マキューアンは『贖罪』という長編小説で盗作疑惑をかけられたことがある。戦時下に看護婦として働いた女性の回想録の一部を盗作した、と糾弾されたが、マキューアンは『贖罪』を執筆する上でこの回想録を参考にしたことは認めつつ、ただしそれは盗作というレベルのものではないと反論し、実際、「盗作」と断定されるには至らなかった。ただ、この事件から2年後の2008年の時点で、マキューアンもマキューアン作品の読者も、「盗作」問題にそれなりに神経を尖らせていたことだけは間違いないだろう。
 にもかかわらず、ヘイ・フェスティバルのような場所で執筆中の新作の一部分を披露する機会に、よりにもよってこの箇所を朗読したということは、マキューアンも彼の担当編集者も『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの小説に書かれていることを知らなかった、と考えるほうが自然だろう。でなければ、かつて盗作疑惑をかけられて迷惑を被ったことのある作家が、どうしてわざわざこの箇所を選んで読み上げるだろうか。
 それに、もしマキューアンがアダムスの書いたリッチティー・ビスケットの件を知っていて、かつ確信犯的に読んだのだとしたら、聴衆からの指摘を喜んで肯定したはずである。おっしゃる通り、この箇所は『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュです、よく気付いてくれました、と。事実は勿論その逆で、2010年4月19日付で Canada.com. に掲載された 'Ian McEwan: Sometime skeptic' と題された記事によると、マキューアンは「また盗作疑惑をかけられるのは勘弁だ」と思った("So I thought, 'Well, I'm not going to go through another plagiarism rap on this,'")という。
 そのような事件を経て2010年3月に出版された『ソーラー』にも、主人公が列車内で体験したこの出来事は削除されることなく残されている。しかし、小説では、単にビアードがこの出来事を「体験した」だけでは終わらない。ビアードはこの列車を降りた後、自分が特許技術を持つ太陽光エネルギー開発の会社への出資を募るべくエネルギー会議で講演するが、シリアスな内容の講演に退屈して注意散漫になっていく資本家たちの関心を取り戻すべく、その場の判断で先程の自分の体験談を語ることで満座の笑いを誘うのだ。すると、講演終了後に一人の民俗学者がビアードに話しかけてくる。

「あの話の出所を教えていただけませんか?」
「何の話かね?」
「あれですよ。あの列車の男についての」
(略)
「わたしが作った話だと思っているのかね?」
「その正反対です。あれはよく知られた話で、いろんなバリエーションがあり、わたしの分野ではかなり研究されているんです。名前さえ付いているんですよ――『うっかり泥棒』という」
「そうかね」とビアードは冷たく言い放った。「それは実に興味深い」
(略)
「わたしたちにとって興味深いのは、この話が流行ったりすたれたりすることです。(略)UTは一九○○年代初めにはアメリカでひろく知られていました。わが国では五○年代までは記録がありませんが、七○年代初期にはどこにでもある話になっています。八○年代なかばには、作家のダグラス・アダムズがある小説に採り入れました。彼は列車のなかで実際に起こった話だとずっと主張していますが、それもこの話に共通するもうひとつの特徴です。個人的な経験だと主張することによって、人々はこの物語に地方色を与え、本物らしくしようとする――彼ら自身に、彼らの友人に起こったことだとして――もとの話と区別しようとするんです。そうやってオリジナルな話にして、著作権を主張するんですよ。(略)」(pp. 196-198)

 ヘイ・フェスティバルで盗作呼ばわりされたことへの痛烈なしっぺ返し、とでも言おうか。もし、ヘイ・フェスティバルの朗読会場にいた人が誰も『さようなら、いままで魚をありがとう』について指摘しなかったなら、少なくとも「八○年代なかばには、作家のダグラス・アダムズがある小説に採り入れました」という一文が書かれなかった可能性は高い。
 ただし、私に言わせれば残念ながらマキューアンはある事実を見逃している。アダムス(『ソーラー』では「アダムズ」と表記されている)は、リッチティー・ビスケットの話を『さようなら、いままで魚をありがとう』に書き、かつそれは実際に自分が体験したことだと主張していただけではなかった。『ソーラー』の主人公のビアード同様、さまざまなカンファレンスやレクチャーで講演する機会の多かったアダムスは、観客たちの注意を引きつけるために講演の中でユーモラスな話を取り込む工夫をしていたが、その中でもこのエピソードをアダムスが好んで用いていた。つまり、ビアードが退屈し始めた聴衆の関心を取り戻すために講演の中でこのエピソードを利用したこと自体、ダグラス・アダムス本人の姿と二重写しになっているのだ。
 そもそも、小説『ソーラー』においては、ビアードがこの時行った太陽光発電に関する講演の内容そのものも、実は2001年に死亡したある若い科学者の言葉や研究内容が基になっている。にもかかわらず、ビアードはそれをあたかも最初から自分自身で考えたことであるかのように語る。ビアードには、盗作しているという自覚はない。若手研究者の単なる思いつきを自分が発展させ形にした、だから業績はすべて自分のものだ、と、自分に都合の良いように事実をねじ曲げて解釈しているからである。その結果、この講演の場面は、本当の意味での盗作については誰からも気付かれず、ビアード本当に体験した出来事を語ったらそちらのほうが盗作呼ばわりされる、というこんがらがった状況になっていてそこがおもしろいのだが、それだけに「講演でウケを取るために列車でのエピソードを語る」というダグラス・アダムス本人との二重写しの構造についても何らかの目配せがあったならなお良かったのに、と思わずにいられない。考えてみてほしい。この小説でビアードが講演したのは2005年という設定だが、私の知る限りでもアダムスは2001年2月27日、アメリカ・テキサスで行った基調講演の中でこの話を持ち出している。ということは、それこそビアードのこの講演を聴いていた人々の中に、アダムス本人がこのエピソードを話しているのを直接聴いた人がいた、としても不自然ではないのではないか。
 なお、マキューアンは、先に挙げた 'Ian McEwan: Sometime skeptic' という記事の中で、「ダグラス・アダムスは実際に自分の身に起こったことだと主張しているけれど、私は疑わしいと思うね」("Douglas Adams claims it happened to him, but I'm skeptical of that.")と語っている。
 マキューアンはハンプシャー州生まれ。幼少期をシンガポールやトリポリで過ごした後、サセックス大学に入学。卒業後はイースト・アングリア大学大学院創作科に進学し、修士号を取得した。1998年に発表した『アムステルダム』でブッカー賞を受賞。小説以外に、映画の脚本等も手掛けている。
 マキューアンの主な著作は以下の通り。

First Love, Last Rites (1975) 『最初の恋、最後の儀式』 短編集
The Cement Garden (1978) 『セメント・ガーデン』
In Between the Sheets (1978) 『ベッドのなかで』 短編集
The Comfort of Strangers (1981) 『異邦人たちの慰め』
The Child in Time (1987) 『時間のなかの子供』
The Innocent (1989) 『イノセント』
Black Dogs (1992) 『黒い犬』
The Daydreamer (1994) 『夢みるピーターの七つの冒険』
Enduring Love (1997) 『愛の続き』
Amsterdam (1998) 『アムステルダム』
Atonement (2001) 『贖罪』
Saturday (2005) 『土曜日』
On Chesil Beach (2007) 『初夜』
Solar (2010) 『ソーラー』
Sweet Tooth (2012) 『甘美なる作戦』
The Children Act (2014) 『未成年』
Nutshell (2016) 『憂鬱な10か月』
Machines Like Me (2019) 『恋するアダム』


McGann, Paul  ポール・マッギャン 1954.11.14-

 イギリスの俳優。1996年のテレビ映画『ドクター・フー』では8代目ドクターを務めた。残念ながらテレビでのドクター役はこの約90分の番組1本きりで終わってしまったが、アダムスが書いた『ドクター・フー』の幻のエピソード、Shada が2002年にオーディオ・ドラマ化されることになった時には声優としてドクター役を務めている。
 リヴァプール生まれ。『ドクター・フー』のみならず『ホーンブロワー 海の勇者』シリーズなど、これまでにも多くのテレビ・ドラマに出演している。また、Shada の他にもマッギャンがドクター役を務めたオーディオ・ドラマ版『ドクター・フー』は何作か製作されている。
 主な出演映画は以下の通り。

Withnail & I (1987)  『ウイズネイルと僕』
Empire of the Sun (1987)  『太陽の帝国』
Tree of Hands (1989)  『身代りの樹』
The Rainbow (1989)  『レインボウ』
Dealers (1989)  『ディーラーズ』
Paper Mask (1990)  『背徳の仮面』
Afraid of the Dark (1991)
Alien3 (1992) 『エイリアン3』
The Three Musketeers (1993)  『三銃士』
FairyTale: A True Story (1997)  『フェアリーテイル』
Downtime (1997) 『ダウンタイム』
The Dance of Shiva (1998)
Queen of the Damned (2002)  『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』
Listening (2003)
Gypo (2005)
Poppies (2006)
Lesbian Vampire Killers (2009) 『レズビアン・ヴァンパイア・キラーズ』
Godard & Others (2010)
Moving Target (2011)


McGivern, Geoffrey  ジェフリー・マッギヴァーン

 ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』で、フォード・プリーフェクト役を演じた。
 アダムスとは、ケンブリッジ大学のフットライツで一緒に活動していた。大学卒業後も、テレビのコメディ番組を中心に活躍している。日本で観ることのできる作品はほとんどないけれど、最近では映画『オネーギンの恋文』(1999年)に出演していた。


McGrath, Rory  ロリー・マクグラス

 イギリスのコメディアン。ケンブリッジ大学在学中はフットライツに所属し、アダムスがディレクターを務めたフットライツの公演 A Kick in the Stall に出演した。また、アダムスとジョン・ロイドが製作し、1978年12月25日にBBCラジオ4で放送されたクリスマス特別番組『ブラック・シンデレラ』では、クライヴ・アンダーソンと共に脚本を手掛けている。
 コーンウォール生まれ。大学卒業後の1986年にフットライツで一緒だったジミー・ムルヴィルらとハットトリック・プロダクションズを設立するが、1992年に退職した。スティーヴン・フライがホストを務める QI(2005年)を始め、数多くのテレビのクイズ番組等に出演している。


McIntosh, Robbie  ロビー・マッキントッシュ 1957.10.25-

 イギリスのロック・ギタリスト。アダムスとは個人的に親交があり、アダムス宅で開かれたパーティでは、プロコム・ホルムのゲイリー・ブルッカーやポール・'ウィックス'・ウィッケンズらと共に演奏することもあった。
 アダムスいわく、マッキントッシュと初めて出会ったのはバーで、彼のほうからアダムスに話しかけてきたのだという。「僕の親友が君のおばあさんのことをよく知ってる、って。最高の出だしだろ? 彼の言う親友ってのはポール・'ウィックス'・ウィッケンズのことで、ポール・ウィッケンズと僕は学校で同じ先生にピアノを習ったことがあったんだ。当時、ロビーとウィックスはポール・マッカートニーのバンドで共演していた――いや、あの時はそうじゃなかったか」(Webb, p.176)。大のビートルズ・ファンであるアダムスのために、ロンドンの小さなパブで行われたマッカートニーのシークレット・ライブにアダムスを招待したこともある(The Salmon of Doubt に収録されたエッセイ、'The Voices of All Our Yesterdays' 参照のこと)。後にアダムスは、マッキントッシュがアコースティック・ギターで演奏した "Unsung" という曲をテープに録音してもらい、長年に亘って何度も繰り返し聴いた上、デジタル・ヴィレッジのサイトでCDとして販売したこともあった。
 マッキントッシュはサリー州サットン生まれ。1983年から1987年にかけて「プリテンダーズ」のギタリストとして活躍し、1988年からはポール・マッカートニーのバンドに参加。ここで、マッキントッシュはアダムスとの共通の友人、ポール・'ウィックス'・ウィッケンズと知り合いになった。ウィッケンズと共に、ポール・マッカートニー・バンドのワールドツアーに出たりアルバム製作に携わる一方、ポール・ヤングやノラ・ジョーンズなど、これまでに数多くのミュージシャンのバンドにギタリストとして参加している。


McKenna, Bernard  バーナード・マッケンナ 1944-

 スコットランド出身のコメディ脚本家。多くのイギリスのテレビ・コメディの脚本を執筆し、モンティ・パイソンのメンバー、グレアム・チャップマンとも共同執筆している。アダムスは、チャップマンを通じてマッケンナと知り合い、『アウト・オブ・ザ・ツリー』を共同執筆した。が、チャップマンのアルコール問題などもあり、彼らの関係は長くは続かなかった。
 アダムスは、仕事がなくて金欠だった時に、ジョン・ロイドと共にマッケンナのフラットを借りていたこともあったらしい。マッケンナいわく、二人はカーテンを閉めないわやかましい音楽をかけるわというので、同じ建物の他の住人から迷惑がられていたのだとか(Hitchhiker, p. 75)。


Medjuck, Joe  ジョー・メドジャック 1943.2.17-

 アメリカの映画プロデューサー。実現しなかったが、かつて『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化をめぐってアダムスと交渉した経緯がある。
 1982年、メドジャックは、『新・地名辞典』の執筆のためロスアンジェルス近くの高級リゾート、マリブに滞在していたアダムスと初めて会った。当時のメドジャックは、マイケル・C・グロスと共に映画監督アイヴァン・ライトマンの下で働いており、彼らと一緒にオムニバス・アニメーション『ヘヴィメタル』(1981年)の製作を終えたところだった。このアニメ映画の失敗を経験として、また新しいSFものを製作したいと考えたメドジャックは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に目をつけた。そしてマイケル・C・グロス、アイヴァン・ライトマンにも読ませたところ、この二人も気に入ったのでアダムスとの交渉に入る。
 メドジャックは当初、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアニメーションを計画していた。が、アニメ化の企画についてはアダムスに一蹴され、実写映画を製作することになったという。アニメーションに比べ、実写となると製作の規模が格段に大きくなることが予想されたが、メドジャックはライトマンと協議の末、この大仕事を引き受ける決意をする。
 とは言え、アダムスはメドジャックと意気投合する一方、『パラダイス・アーミー』や『アニマル・ハウス』のような作品を作るライトマンと組むには抵抗があったらしい。それでもライトマンの名前には商業的価値があることを、メドジャックとグロスはアダムスにどうにか納得させた。こうして、ライトマンが20万ドルで映画化権を取得し、そして自分がプロデューサーになることを条件にコロンビア映画に転売、いよいよ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化が軌道にのったかと思われた。が、アダムスの書き上げた映画脚本の第一稿を読んだメドジャックは自分の考えが甘かったことを痛感する。「よく憶えていないが、彼は200ページもの脚本を書いてきて、中身は基本的に小説と同じだった。脚本がこんなに長いというだけでも、作者が素人だということがわかるというものだ」(Hitchhiker, p. 196)。
 その後、アダムスは何度も映画の脚本を書き直すが、ライトマンとの溝は深まるばかりだった。両者の関係にとどめを刺したのが、ライトマンとは旧知の仲のダン・エイクロイドが、ライトマンに見せた『ゴーストバスターズ』の脚本である。これを読んだライトマンは勿論のこと、メドジャックとグロスもまた『銀河ヒッチハイク・ガイド』の企画を捨てることに決めた。
 この時のいきさつが、アダムスとメドジャックの間にどんな瑕瑾を残したかは知る由もない。しかし、約20年後の2001年、メドジャックは、今度こそ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化を果たすべくカリフォルニア州サンタバーバラに引っ越してきたアダムスと、地元のビストロで偶然に再会する。5月9日には、地元のコーヒーショップで、ジムのトレーニング中に一休みしていたアダムスとまた出会い、来週にでも一緒に食事をしようという話にもなる。しかし、その2日後にアダムスは心臓発作で急死し、約束はついに果たされなかった。
 メドジャックの主な製作映画は以下の通り(* は製作総指揮、** は製作補)。

Stripes (1981)** 『パラダイス・アーミー』
Ghost Busters (1984) ** 『ゴーストバスターズ』
Legal Eagles (1986) *  『夜霧のマンハッタン』
Twins (1988) *  『ツインズ』
Ghostbusters II (1989) *  『ゴーストバスターズ2』
Kindergarten Cop (1990) *  『キンダガートン・コップ』
Stop! Or My Mom Will Shoot (1992) 『刑事ジョー/ママにお手あげ』
Beethoven (1992)  『ベートーベン』
Dave (1993) *  『デーヴ』
Beethoven's 2nd (1993)  『ベートーベン2』
Junior (1994) *  『ジュニア』
Space Jam (1996)  『スペース・ジャム』
Private Parts (1997) *  『プライベート・パーツ』
Commandments (1997)  『コマンドメンツ』
Fathers' Day (1997) *  『ファーザーズ・デイ』
Six Days Seven Nights (1998) *  『6デイズ/7ナイツ』
Road Trip (2000) 『ロード・トリップ』
Evolution (2001) 『エボリューション』
Killing Me Softly (2002)  『キリング・ミー・ソフトリー』
Old School (2003)  『アダルト♂スクール』
Eurotrip (2004) * 『ユーロトリップ』
Trailer Park Boys: The Movie (2006)  
Disturbia (2007) * 『ディスタービア』
Post Grad (2009) 『恋する履歴書』
Up in the Air (2009) * 『マイレージ、マイライフ』
Chloe (2009) 『クロエ』
No Strings Attached (2011) 『抱きたいカンケイ』

 


Meretzky, Steve  スティーヴ・メレツキー 1951.5.1-

 アメリカのコンピュータ・ゲーム製作者。ダグラス・アダムスと共にコンピュータ・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』を手掛けた。
 1983年、コンピュータ・ゲーム会社インフォコムで働いていたメレツキーは、上司のマーク・ブランクから『銀河ヒッチハイク・ガイド』の仕事を持ちかけられる。ちょうど「Planetfall」というテキスト・アドベンチャー・ゲームの製作が終わったばかりで新しい仕事を始めるにはタイミングが良かったことと、「Planetfall」には『銀河ヒッチハイク・ガイド』に通じるユーモアのセンスがあると看做されたことが、当時32歳の若手ゲーム製作者だったメレツキーに白羽の矢が立てられた理由だった。
 M・J・シンプソンのインタビューによると、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のゲーム製作を始めた当初、メレツキーは、有名人でベストセラー作家のダグラス・アダムス相手に自分の考えを口にするのをためらうこともあったらしい。が、仕事を続けて打ち解けるようになると、アダムスの名声に気圧されることもなくなり、率直な意見交換ができるようになって、仕事の成果も上がったのだとか。
 メレツキーいわく、アダムスはとんでもなく話題が豊富でディナーの相手としては最高、仕事相手としても思いがけない発想や物の見方を呈示してくれて素晴らしいけれど、ただし仕事を先延ばしにする能力も世界一なのが玉に瑕、とのこと。
 アダムスがコンピュータ・ゲームの仕事をするのは初めてだったが、インフォコム社のゲームをやったことはあったので、テキスト・アドベンチャー・ゲームとはどういうものか、その特質と技術的な限界も知っていた。そういう意味では、アダムスとの仕事はやりやすかったとメレツキーは語る。
 とは言え、小説と違い、プレイヤーが入力する文章次第でストーリーが複数に分岐するテキスト・アドベンチャーを書くには別種の技術が必要となる。基本的に、アダムスはプレイヤーが正しい答えを入力した時の返答を書き、メレツキーは間違った答えを入力した時の返答を書いたらしい。当然、プレイチャーは正解よりも間違いを入力するほうが多いから、メレツキーが用意することになったテキストはかなりの量に上ったが、ゲームが完成に近づく頃には、アダムス本人にも自分が書いたのかメレツキーが書いたのか区別できなくなっていたという。メレツキーの文章がいかにもっともらしかったか、分かろうというものだ。
 1984年に発売されたコンピュータ・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、当時としては異例の、40万部を越える大ベストセラーとなった。にもかかわらず、アダムスとメレツキーの共同作業はこのゲーム1作に終わる。インフォコム社としては続編のゲーム『宇宙の果てのレストラン』の製作に積極的だったが、アダムスとしてはまたしても『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの焼き直しをすることに気乗りしなかった。そこで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズとは関係のないコンピュータ・ゲームが「Bureaucracy」を製作されることになったが、メレツキーはこのゲームの製作には参加していない。「Bureaucracy」の後で改めて『宇宙の果てのレストラン』を、という話もあったが、「Bureaucracy」完成までに予定以上に時間がかかったこと、1987年2月に「Bureaucracy」が発売された頃にはテキスト・アドベンチャーという形式のコンピュータ・ゲームそのものが時代遅れと化しつつあったこと、実際1986年にはインフォコム社はアクティヴィジョンという会社に買収されていたことなどの理由で、続編製作は見送られた。
 ただし、アダムスとメレツキーとの交流は、電子メールのやり取りという形でその後も続く。2000年にアダムスがMITでレクチャーを行った際、メレツキーは10年以上ぶりでアダムスと会い、夕食を共にした。"IHe showed me a Quicktime video of Polly dancing, sort of a music video. 'd seen Douglas the humorist, and Douglas the writer, and Douglas the deep thinker, Douglas the environmental activist, Douglas the gourmet, and Douglas the culture critic, but this was the first time I'd seen Douglas the family man, the proud parent.". それが、メレツキーが生前のアダムスに会う最後の機会となる。
 メレツキーはニューヨーク州ヨンカーズ生まれ。マサチューセッツ工科大学を卒業後、1981年にインフォコムに入社。『銀河ヒッチハイク・ガイド』以外にもいくつかのテキスト・アドベンチャー・ゲームを手掛けてヒットさせるが、テキスト・アドベンチャー・ゲームそのものが廃れてインフォコム社は別会社に吸収合併され、1989年にはインフォコムの名前そのものも使われなくなった。1994年、メレツキーは新しい会社を共同設立し、新しいゲーム開発に乗り出す。この会社も1997年には閉鎖に追い込まれたが、技術革新と共に流行り廃りが激しいコンピュータ・ゲーム業界ではよくあることなのだろう(多分)。その後も、メレツキーはいくつかの会社の取締役を歴任しつつ、ゲーム・デザイナーとして数々のコンピュータ・ゲームを世に送り出し続けている。


Miliband, Ed  エド・ミリバンド 1969.12.24-

 イギリスの政治家。2021年5月26日に掲載されたペンギン・ブックスの公式サイトのインタビュー記事の中で、少年時代の愛読書として『銀河ヒッチハイク・ガイド』を挙げた。

 10代の頃の私はかなりのオタクで、だからこそ『銀河ヒッチハイク・ガイド』が大好きだった。ダグラス・アダムスってかなりの天才だよね? バベル魚に鬱病ロボットのマーヴィンだもの。SFだけど、人間の感情もたっぷり含まれている。私の人生の大いなるハイライトは、パーティーの席上でゼイフォード・ビーブルグロックス(の役を演じた俳優のマーク・ウィング・ダーヴェー)に会ったことだ。多分、おおぜいの人が彼に向かって言ったのと同じことを私も言ったよ、「もう一つの頭はどこにあるんだい?」

 ミリバンドはロンドンのセント・パンクラス生まれ。兄のデイヴィッドも政治家で、2007年のブラウン内閣では兄弟揃って閣僚入りを果たした。2010年から2015年にかけて、労働党党首を務めている。


Miller Jr., Walter  ウォルター・ミラー・ジュニア 1923.1.23-1996.1.9

 アメリカのSF作家。
 彼が生前に出版した唯一の長編小説『黙示録三千百七十四年』は、アダムスも気に入っていたらしい。ちなみにこの小説は、アマゾン・コムが選んだ20世紀のベストSF&ファンタジー25選の中に入っている。


Milner-Gulland, E. J.  E・J・ミルナー=ガランド

 オックスフォード大学教授。2022年5月26日に開催される第16回ダグラス・アダムス記念講演の講演者に選ばれた。
 専門は保全科学(Conservation Science)で、五大陸にまたがる広大な範囲で生物多様性維持のプロジェクトに携わり、人類が環境に与える影響を理解・予測することによって持続可能な資源利用のあり方についても考察する。


Montagu, Felicity  フェリシティ・モンタギュー 1960.9.12-

 イギリスの女優。ラジオ・ドラマ版『ダーク・ジェントリー』で、スーザン・ウェイ役を務める。
 リード生まれ。テレビのコメディ・ドラマを中心に活躍している。主な出演映画は、『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001年)、『コンフェッティ 仰天!結婚コンテスト』(2006年)『アメリカン・キャンディー 俺たちの課外授業!』(2007年)など。


Moffat, Steven  スティーヴン・モファット 1961.11.18-

 イギリスの脚本家。2005年から始まった『ドクター・フー』新シリーズの脚本を手掛け、ヒューゴー賞短編映像部門を3年連続で受賞した。
 2005年11月、アダムスが脚本を手掛けた『ドクター・フー』の 'City of Death' のDVDが発売されたが、モファットはその特典映像 'Paris in the Springtime' に出演し、アダムスの脚本についてコメントしている。
 モファットいわく、'City of Death' は天才作家が『ドクター・フー』手掛けたらこうなりますの見本のようなもので、自分が書くことになった時もすごく参考になったとのこと。中でも一番気に入っているのはドクターが初めて伯爵と会うシーン。この時、ドクターはふざけているだけのように見えて、実はまんまと伯爵をコケにしている。このように、'City of Death' においては、ユーモラスな場面は笑いを取るためだけでなく、同時にストーリーを前進させる機能も果たす。唯一の例外はジョン・クリーズのカメオ出演の場面だが、でもこれはすごくおもしろいと思う――。
 「もしアダムスが2001年に突然死していなかったら、新シリーズの脚本を書いていただろうか」という問いに対しては、「悩ましいところだけれど、ラッセル(T・デイヴィス)としては頼まざるを得ないんじゃないか。でも絶対締め切りには間に合わないよね。(第1シリーズの放送が終了した)今もまだ書いているかもしれないし、脚本が書き上がるまでにはドクターが2、3人代替わりしているかもしれない。でも、もし完成したとしたら、それは間違いなく凄いものになっただろうし、また彼ならきっと完成させたはずだとも思う」。
 モファットは、スコットランド生まれ。教師として働いた後に脚本家に転身し、最初の作品となったティーンエイジャー向けのコメディ Press Gang (1989-1993) で早くも高い評価を受けた。その後も、Joking Apart Coupling などを手掛けているが、現在のところ日本で観ることのできる彼の作品は『ドクター・フー』以外ではテレビ・ドラマ『ジキル』(2007年)と『SHERLOCK』シリーズ(2010-)のみ。2011年12月に公開されたスピルバーグ監督の映画『タンタンの冒険』の脚本には、エドガー・ライトジョー・コーニッシュと共に参加している。
 また、2010年から2017年の間、ラッセル・T・デイヴィスの後を継いで『ドクター・フー』新シリーズのメイン脚本家兼エグゼクティブ・プロデューサーに就任した。'Paris in the Springtime' が収録された2005年の時点では、この人事は本人を含め誰も予想していなかっただろうが、今となっては「アダムスが2001年に突然死していなかったら、新シリーズの脚本を書いていただろうか」という問いに対するモファットの答えは、より一層興味深いものとして聞こえる。


Moore, Alan  アラン・ムーア 1953.11.18-

 アメリカン・コミックやグラフィック・ノベルの原作者・編集者。彼が原作を手掛けた、切り裂きジャックをテーマとしたグラフィック・ノベル『フロム・ヘル』は、アダムスの Dirk Genlty's Holistic Detective Agency に触発されて書かれたという。2009年にみすず書房から出版された日本語訳『フロム・ヘル』の下巻には、訳者の柳下毅一郎氏による解説(「Murder, Myth & Magic」)が付いていて、その解説によると、

ダグラス・アダムスの Dirk Genlty's Holistic Detective Agency からヒントを得たムーアは、殺人の謎を解くために全宇宙の謎を解くようなミステリを考えた。切り裂きジャックの連続殺人の中に全宇宙が包含されているのを見たのである。キリスト以前からつらなる異教の伝統と二十世紀のはじまりがそこにはあった。

  ムーアはイギリス・ノーサンプトン生まれ。17歳の時に学校でLSDを販売したことで退学処分となり、いくつかの職を転々とした後、イギリスのコミック雑誌でコミック・ライターとなった。1982年から1985年にかけてイギリスのコミック雑誌で『Vフォー・ヴェンデッタ』を連載。1980年代後半にはアメリカのDCコミックで『ウォッチメン』を発表し、これまで子供向けの娯楽にすぎないと思われていたアメリカン・コミックのイメージを一変させた。この作品はヒューゴー賞の特別部門賞を受賞した他、2005年に『タイム』誌が選んだベスト長編100にも選出されている(コミック作品で選ばれたのは『ウォッチメン』のみ)。
 『フロム・ヘル』は『ウォッチメン』の後に書かれた作品で、1991年から1996年にかけて雑誌で連載され、1999年に(1998年に書かれた補遺「カモメ捕りのダンス」も含めて)1冊にまとまった形で出版された。後にジョニー・デップ主演で映画化され、2001年に公開されている。『フロム・ヘル』の作画を担当したエディ・キャンベル(1955.8.10-)はスコットランド出身のコミック作家で、現在はオーストラリアに在住している。


Moore, Patrick  パトリック・ムーア 1923.3.4-

 イギリスのアマチュア天文学者。2003年にイギリスの公共放送BBCが行った愛読書アンケート「The Big Read」で、最終投票に向けてアンケートの上位21作品のヴィデオ・クリップが製作された時、ガイドの声を担当した。また、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第4シリーズにも、本人役で出演している。
 ムーアはミドルセックス州ピナー生まれ。子供の頃は身体が弱かったため、家庭教師について自宅学習していたという。天文学に興味を持ったのは6歳の頃からで、11歳の時には早くも英国天文学協会のメンバーに選ばれた。1945年には英国王立天文学協会員になっている。第二次大戦後、お手製の反射望遠鏡で月の観察を開始し、現在では月の観測の権威の一人とされている。また、1957年からは天文学を紹介するテレビ番組 The Sky at Night 等でホスト役を務めるようになり、現在までに数多くの番組に出演している。著述業の面では、天文学についてのノンフィクションのみならずSF小説も発表しており、そのうちの何冊かは日本語に翻訳された(以前から親交の深かったクイーンのギタリスト、ブライアン・メイとの共著『Bang! 宇宙の起源と進化の不思議』など)。1968年にOBE(大英帝国勲章第四級勲爵士)を、1988年にはCBE(大英勲章第3位)を叙勲されている。


Moore, Stephen  スティーヴン・ムーア 1937.12.11- 2019.10.4

 ラジオ・ドラマ及びテレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』で鬱病ロボットマーヴィンの役を演じた。アダムスが自分で朗読するようになる以前に発売されたオーディオ・ブックでは、彼が小説版『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの最初の4作品を朗読している。また、2008年10月2日から放送の始まったラジオ・ドラマ『ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズでは、オーディン役を務めることになった。
 1956年から1959年にかけてthe Central School of Speech and Dramaにて学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台にも立ったことがあり、ローレンス・オリビエ賞の受賞歴もある。数多くのテレビ・ドラマに出演し、映画『ブラス!』(1996年)や『パイレーツ・ロック』(2009年)にも出演した。2016年、ラジオドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』のキャストが集結して行われた朗読の舞台 The Hitchhiker's Guide to the Galaxy Radio Show Live にも出演していたが、2019年10月に死去。享年81歳。


Morton, Rocky ロッキー・モートン 1955-

 イギリスの映画監督。アナベル・ヤンケルと共に、テレビ・ドラマ『マックス・ヘッドルーム』(1985年)で名を上げ、一時は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督候補に名前が上がったことがある。だが、結局意見がまとまらず、実現はしなかった。
 主な監督作品は以下の通り。

Max Headroom (1985)  『電脳ネットワーク/マックス・ヘッドルーム』
D.O.A. (1988)  『D.O.A』
Super Mario Bros. (1993)  『スーパーマリオ/魔界帝国の女神』


Mulville, Jimmy ジミー・ムルヴィル 1955.1.5-

 イギリスのテレビ番組のプロデューサー。製作会社ハットトリック・プロダクションズの創設者の一人で、この製作会社にジェフリー・パーキンスが加わっていた時に、パーキンスと共にアダムス宅を訪問し、アダムスと一緒に何か仕事できないかと話を持ちかけたことがあるらしい。残念ながら実現しなかったが、その時の様子はパーキンスがラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』25周年記念の脚本に寄せた序文の中に書かれている。
 リバプール生まれで、ケンブリッジ大学在学中はフットライツに所属していた。アダムスが大学卒業後にディレクターを務めたフットライツの公演 A Kick in the Stall に出演、翌年の1977年にはフットライツのプロデューサーに就任。1986年、フットライツで一緒だったロリー・マクグラスとヨーク大学出身のデニス・オドナヒューの3人でハットトリック・プロダクションズを設立した(ただし、1992年にロリー・マクグラスは解任されている)。ハットトリック・プロダクションズは、ジェフリー・パーキンスの代表作の一つである Father Ted や、サンジーヴ・バスカー The Kumars at No. 42 など、数多くの人気コメディ番組を製作している。残念ながら多くの作品は現時点では日本未公開だが、テレビドラマ版『ダーク・ジェントリー』のコンビ、スティーヴン・マンガン主演の『マット・ルブランの元気か〜い?ハリウッド!』(2011-2012)や、ダーレン・ボイド主演の『パパはスパイ』(2011-2012)は、揃ってWOWOWで放送された。

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