TOPICS 〜DNAをめぐるあれこれ〜

A Shaun the Sheep Movie: Farmageddon 『ひつじのショーン UFOフィーバー!』
Allen Telescope Array アレン・テレスコープ・アレイ
the Almeida theatre アルメイダ劇場
Among Others 『図書館の魔法』
Apple macintosh アップル・マッキントッシュ
Arsenal アーセナル
atheist 無神論者
the Bable Fish バベル魚
Bestsellers 『ベストセラーズ』
Bibliophile: An Illustrated Miscellany 『人生を変えた本と本屋さん』
The Big Bang Theory 『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』
Black Cinderella Two Goes East ブラック・シンデレラ2
The Blizzards ザ・ブリザーズ
both the cop ふたりの警官
Brentwood School ブレントウッド・スクール
British Library ブリティシュ・ライブラリー
Brockian Ultra Cricket ブロッキアン・ウルトラ・クリケット
Cabin Pressure 「キャビン・プレッシャー」
The Cambridge Companion to Science Fiction 『ケンブリッジ版サイエンス・フィクション必携』
Celebrity Playlist セレブリティー・プレイリスト
Christmas Lectures クリスマス・レクチャー
Coldplay コールドプレイ
Comic Relief コミック・リリーフ
David Mitchell: Back Story 『デイヴィッド・ミッチェルのバック・ストーリー』
Deep Thought ディープ・ソート
Delayed spaceship 飛行が遅延しておりますことを……
Desert Island Discs 『無人島に持っていく音楽』
The Digital Village デジタル・ヴィレッジ
DNA DNA
elevator エレベーター
Encyclopaedia Galactica 『銀河大百科事典』
Everything Everywhere All at Once 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
Fenchurch フェンチャーチ
Fit the First 第1話
Footlights フットライツ
forty-two 42
fudge ファッジ
Godspell 『神の言葉』
Great Ape Project 大型類人猿プロジェクト
Greenpeace グリーンピース
The Guardian ガーディアン紙
Highgate Cemetery ハイゲート墓地
Hotblack Desiato ホットブラック・デザイアト
How many roads must a man walk down? 人は何本の道を歩かなくてはならないか
How to clone the Perfect Blonde 『ブロンド美女の作り方』
Hyperland ハイパーランド
'I really wish I'd listen to what my mother told me...'  子供のころ、かあさんが教えてくれたことを...
The Infinite Improbability Drive 無限不可能性駆動装置
Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat ジョセフと素敵な総天然色の夢衣
Journey Of The Sorcerer 魔術師の旅
Julie & Julia 『ジュリー&ジュリア』
L'Anomalie 『異常【アノマリー】』
Level 42 レヴェル42
'Life, don't talk to me about life.'  「わたしの前で生命のことは言わないでください」
Lord's Cricket Ground ロード・クリケット場
LOST 『LOST』
Lucifer 『LUCIFER/ルシファー』
Marks & Spencer マークス・アンド・スペンサー
Mastermind マスターマインド
Memorial Lecture 記念講演
mice はつかねずみ
Milliways ミリウェイズ
music 音楽
On SF 『SFの気恥ずかしさ』
The Origins of Virtue 『徳の起源』
Out of the Trees 『アウト・オブ・ザ・ツリー』
Pan Galactic Gargle Blaster 汎銀河ウガイ薬バクダン
Peep Show 『ピープ・ショー ボクたち妄想族』
"Pierre Menard, Author of Quixote" 「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」
Pink Floyd ピンク・フロイド
Procol Harum プロコル・ハルム
Radiohead レディオヘッド
Reclam Universal-Bibliothek レクラム百科文庫
Ressurrection 『復活』
retsina レチナ・ワイン
Rich Tea リッチティー・ビスケット
Rocket Men 『宇宙へ。』
Roosta ルースタ
the Rossettis ロセッティ一族
The Round House  ラウンド・ハウス
the RSPCA 王立動物虐待防止協会
the Ruler of the Universe 宇宙の支配者
Science Fiction 『サイエンス・フィクション』
Secret Empire 「秘密の帝国」
The Seven Moons of Maali Almeida 『マーリ・アルマイダの七つの月』
Share and Enjoy ともに楽しみましょう
Shoe Event Horizon 靴の事象の地平線
six impossible things 六つの不可能事
six pints of bitter ビールを6パイント
Spooks 『MI-5』
Star Wars 『スター・ウォーズ』
The Super Tutor 『英国エリート名門校が教える最高の教養』
Supergrass スーパーグラス
tea 紅茶
Tea and Sympathy 『お茶と同情』
telephone sanitizers 電話消毒係
Thor トール
Three Men in a Boat 『ボートの三人男』
tired TV producers  引退したテレビのプロデューサー
The Toaster Project 『ゼロからトースターを作ってみた』
towel タオル
Travis トラヴィス
typewriter タイプライター
Vogons ヴォゴン人
waiter ウェイター
whale マッコウクジラ
'When you walk through the storm...' 「嵐のなかを歩むときも……」
Wonko the Sane 正気のウォンコ
the worst poet in the Universe 宇宙一ひどい詩人
Year 2000 Problem 西暦2000年問題


A Shaun the Sheep Movie: Farmageddon 『ひつじのショーン UFOフィーバー!』

 クレイアニメーション「ひつじのショーン」シリーズ(2007年〜)は、イギリスのアニメーション製作会社アードマンを代表する作品「ウォレスとグルミット」シリーズのスピンオフとして生まれ、今ではテレビアニメーションとして「ウォレスとグルミット」以上に多くのエピソードが製作されている。2015年には劇場版『ひつじのショーン〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜』が製作され、続く第2弾『ひつじのショーン UFOフィーバー!』は2019年に劇場公開された。
 映画『ひつじのショーン UFOフィーバー!』には、ショーンが暮らす牧場の近くのスーパーマーケットが出てくる。このスーパーマーケットが「ミリウェイズ」という名前なのは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュなのだとか。『ひつじのショーン UFOフィーバー!』公式ツイッターは、2019年12月29日付のツイートで「ショーンとルーラが訪れるスーパーマーケット「Milliways」。英国作家 #ダグラス・アダムズ のSF小説「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズ2弾「宇宙の果てのレストラン」で登場するレストランの名前なんだそう。 コア〜。」とつぶやいていた。


Allen Telescope Array アレン・テレスコープ・アレイ

 地球外知的生命体探査(Search for Extra Terrestrial Intelligence)の一つとして、現在、アメリカ・カリフォルニア州に本拠地を置くSETI研究所は、カリフォルニア大学バークレー校と共同で「アレン・テレスコープ・アレイ」と呼ばれる電波干渉計を運用している。2007年に完成したこの電波干渉計にはパラボラアンテナが42台ついているが、SETI研究所の主任研究員(research director)で天文学者のジル・ターター(Jill Tarter)によると、アンテナが42台なのはたまたまではなく、『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュだったとのこと。ターターいわく、「42台のアンテナだったら、答えが出してくれてもおかしくない」。("Silent Witness" Cosmos Online Magazine)


Allen Telescope Arraye アルメイダ劇場

 ロンドンはイズリントンにあるアルメイダ劇場は、客席数こそ300席と少ないものの、1837年にまで遡ることのできる歴史の長さもさりながら、とりわけ10年程前にジョナサン・ケントとイアン・マクダーミッドが芸術監督に就任してからは、そのアイディアと企画力で一躍世界の演劇界の注目を集めることになった。ジュリエット・ビノシュの『ネイキッド』、ケイト・ブランシェットの『プレンティ』、また1998年には『氷人来たる』でケビン・スペイシーを初めてロンドンの舞台に立たせてもいる。2000年10月には、ロンドン・ニューヨークで絶賛されたシェイクスピアの『リチャード三世』『コレオレイナス』で、レイフ・ファインズ、ライナス・ローチというビッグ・ネームを伴って来日公演を果たした。
 そのアルメイダ劇場で、1995年8月22日、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』の朗読会を行った。
 その時の模様は、のちにカセット・ブックならびにビデオになって発売されている。


Among Others 『図書館の魔法』

 2011年に出版された、ジョー・ウォルトンのファンタジー小説。一人のSF/ファンタジー小説好きの少女モリが書いた日記、という体裁を採っており、日記の中に出てくるSF/ファンタジーを中心とした相当な数の小説の中に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』も含まれていた。
 『図書館の魔法』がことさら興味深いのは、モリの日記が1979年9月5日から1980年2月20日の期間に書かれていることだ。つまり、1979年末、トールキン 、アーシュラ・K・ル・グィン、ハインライン、カート・ヴォネガット・ジュニアといった作家の小説を愛読していたティーンエイジャーが、その当時、初めて『銀河ヒッチハイク・ガイド』と接した時の様子を、一例としてを垣間見ることができる。
 作中で『銀河ヒッチハイク・ガイド』が最初に登場するのは、1979年12月25日付の日記。「(友人の)ディアドリの包みには、『銀河ヒッチハイク・ガイド』と題されたSFらしき本が入っていた。」(下巻、p. 19)。
 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』のペーパーバックが発売されたのは1979年10月で、その後もベストセラーリストの1位に君臨し続け、発売から3ヶ月以内に早くも25万部を売り上げている。当然、当時のイギリスの書店では大々的に販売されていたはずだ。が、寄宿学校生のモリは、学外に出る折にはこまめに書店に足を運んでSFやファンタジーの棚をチェックしていたにもかかわらず、友人からクリスマスプレゼントとしてもらうまで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のタイトルさえ聞いたことがなかった。 なお、友人のディアドリは特に熱心なSFファンではなく、モリの趣味に合わせてプレゼントを選んだと思われる。
 次に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場するのは、1980年1月6日。「昨夜ベッドのなかで、ディアドリからもらった『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み終えた。ざっと目だけ通し、おざなりの礼を言うつもりだったのだが、意外にも遊び心にあふれた楽しい話だった。おかげで彼女に、心から感謝したくなった。一見しただけでは本当にバカみたいな本だし、自分で買うことはまずないからだ。読書クラブの面々は、もう読んでいるのだろうか?」(同、p. 81)
 いつもなら手に入れたSFは直ちに読むモリが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に限っては2週間も放置している。当時のコアなSF読者たちが『銀河ヒッチハイク・ガイド』をいかに軽んじていたか、よくわかるというものだ。日記に出てくる「読書クラブ」とは、寄宿学校の近くの公立図書館で定期的に開かれているSF/ファンタジー小説を中心とした読書会のことを指す。
 次は、1980年1月20日。モリは足の治療のため、寄宿学校ではなく、父親の家に滞在中だ。父親は、モリが幼い頃に母親と離婚し、三人の実姉(モリにとっては伯母)と暮らしている。「この部屋のなかにはラジオがあるので、わたしはBBCラジオ4でニュースを聞き、『ジ・アーチャーズ』を聞き、『園芸質問箱』を聞く。なんと、『銀河ヒッチハイク・ガイド』まで放送されていた。当然のことながら、ラジオドラマになっても抜群におもしろい。お祖父ちゃんが未だに教養報道局と呼ぶラジオ4から、かつて娯楽放送局と呼ばれていたラジオ1にダイヤルを替えてもいいのだが、伯母たちが嫌がるという点を別にすれば、替える理由は特にない。『ヒッチハイク・ガイド』のような掘り出し物があるラジオ4に対し、ラジオ1はポップ・ミュージックばかり流しているからだ。」(p. 119)
 モリは、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』がラジオドラマ化されたと勘違いしている。インターネットのない時代、この手の誤解はごく普通にあっただろう。
 最後の登場は、1980年2月14日。「読書クラブの面々」の一人、ウィムがモリに向かって言う。「「奇怪な人生を送るためには、そのほうがよかろう」ウィムは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場するザフォドの台詞を真似た。」(p. 223)
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』がSFファンのコミュニティで当然の教養として受け入れられるようになるまで、時間はほとんどかからなかった、ということか。
 『図書館の魔法』が2014年に創元SF文庫として出版された際、巻末には「本書中で言及される作品一覧(登場順)が付けられていた。その一覧には「ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(河出文庫)」と書かれている。細かいことを言うと、河出文庫の安原和見訳では新潮文庫の風見潤訳と違い、Zaphodは「ザフォド」ではなく「ゼイフォード」と表記されているのだが。
 著者のジョー・ウォルトンはイギリス・ウェールズ生まれで、現在はカナダで暮らしている。主な著作は、『ドラゴンがいっぱい! アゴールニン家の遺産相続奮闘記』(2003年)、《ファージング》三部作『英雄たちの朝』(2006年)『暗殺のハムレット』(2007年)『バッキンガムの光芒』(2008年)、『わたしの本当の子どもたち』(2014年)など。『図書室の魔法』(2011年)は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、英国幻想文学大賞を受賞している。


Apple Macintosh  アップル・マッキントッシュ

 ともかくアーサーはアップルを買った。(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 124)

 アダムスはマックユーザーだった。西暦2000年問題に対するアップルコンピュータ社のコメントが出ているページの冒頭に登場するくらいだから、筋金入りである。故に、アダムスの分身たる『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアーサー・デントも、シリーズ4作目で「破壊されなかったもう一つの地球」に戻った後、当然マックユーザーになる。
 今でこそ個人がパーソナルコンピュータを買うのはごく当たり前のことだが、この小説が発売された1984年当時、購入層はまだまだ一部のゲームファン、コンピュータファンに限られていた。ちなみに小説の中でアーサーがコンピュータを買ったのは、5年間暮らした先史時代の洞穴の場所を、その時眺めていた夜空の星の位置の記憶から割り出してみようと考えたためである。これはアーサーなりの真剣な目的であって、そういう目的なしに遊び感覚でコンピュータを買うのは金の無駄遣いだと彼が考えたりするあたりも、今となっては時代がしのばれる。
 アダムス自身について言えば、以前からコンピュータというものに興味を持ちあれこれ購入してもいたものの、1982年のインタビューの中ではコンピュータについて 'beyond Kafka's worst nightmares' (Gaiman, p.129) という言い方をしている。それが一転、アダムスが真性のコンピュータ好きになるのは、翌年の1983年、結局は企画倒れに消えた『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化の脚本執筆のためにロスに滞在した時のことだったという。
 なお、2000年1月2日、アダムスはBBCラジオ4で放送された「ブック・クラブ」という番組にゲスト出演し、リスナーからの「あなたは今でもマックファンですか」という質問に対して 'Absolutely!!!!' と答え、その時自分の書斎にあるマシンを列挙した。

where I sit in my study I can see a G4, a G4 cube Powerbook, two imacs and two old G3s and two apple cinema displays which are the most wonderful pieces of technological kit I've ever seen.

 リチャード・ドーキンスはアダムスへの追悼文の中で、「アップル・コンピュータはもっとも雄弁な擁護者を失った」(Apple Computer has lost its most eloquent apologist.)と書いた。


Arsenal  アーセナル

「いやいや、ただ世界が終わりかけているってだけの話だよ」
「なるほど、そうおっしゃいましたねえ」バーテンは、今度はアーサーを眼鏡ごしに見て、「そういうことになったら、アーセナルは負けずにすむわけですな」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 31)

 イズリントン地区にホームグラウンドを持つサッカー・クラブ。1886年にダイアル・スクエアという名前で設立され、当時の本拠地がロンドン南部のウルウィッチ兵器庫(Arsenal)の近くにあったことから、チーム名をアーセナルに変更した。1919年に1部リーグ(現在のプレミアリーグ)に昇格してから今まで一度もリーグ落ちしたことがなく、同じ年にリーグ優勝とFAカップを制したことのある3チームのうちの一つでもある。2001年には日本人のサッカー選手、稲本潤一も所属していた。
 また、競技場に最も近い地下鉄の駅、アーセナルは、このサッカー・クラブにちなんで名付けられている。

 


Atheist  無神論者

 アダムスは無神論者だった。それも自ら「過激な」という形容詞をつける程の。
 アダムスの作品には多くの神が登場する。生命と宇宙と万物についての究極の答えや神の最後のメッセージも明記されている。故に多くのインタビュアーがアダムスに向かって「あなた自身は神を信じていますか?」という問いを投げかけるが、晩年の彼は迷わずノーと答えていた。
 アダムスは宗教色の強い家庭で生まれ育った。彼の父親はケンブリッジ大学で神学を専攻し、聖職者の道を志していた(もっとも挫折して経営コンサルタントになったらしいが)というから、推して知るべしである。アダムス自身も高校生の頃まで学校の礼拝堂で働いていたし、ケンブリッジ大学進学のための奨学金を得たエッセイのテーマも宗教詩の復活に関するものだった。
 だが、アダムスいわく、学校で歴史や物理といった授業を受け、問題点の見つけ方、証明の方法、討議のやり方、といった論理的な思考を身につけていくうちに、それらの考え方が宗教の問題になると一切通用しないことに不満や疑いを感じ始めるようになる。そして、18歳の時に路上で説法をしていた福音主義者の話に耳を傾けているうちに「とんだナンセンスじゃないか、科学的にデタラメだと分かっているものをどうして鵜呑みにして信じなくてはならないんだろう」と思うに至った。
 とは言え、この時点のアダムスはまだ「無神論者」ではなくせいぜい「不可知論者」だった。神の存在に代わって、生命と宇宙と万物について説明できるだけのモデルがなかったからだ。だが、30歳を過ぎた頃、彼はついにそのモデルと出会うことになる。それが生物進化論、とりわけリチャード・ドーキンスの著作『利己的な遺伝子』と『ブラインド・ウォッチメイカー』(後に『盲目の時計職人』と改題)の2冊だった。そこには、生命や宇宙の多様性と複雑さの理由がとびきり単純な論理で解明されていた。かつて、神の存在は確かに生命と宇宙と万物についての最上の説明だったかもしれない。だが、現在では神に頼らなくても充分論理的で納得のいく説明がある。こうしてアダムスは「無神論者」になった。
 もっとも、無神論者ではあってもアダムスは宗教そのものには関心があるという。人はどうして宗教というものを作り出したのか、また何故それを維持し続けてきたのか。そういったことを考えるのは好きだという。そしてその結果は、彼の著作によく反映されている。
 いくつかのインタビュー記事の中でも、American Atheist という雑誌に掲載されたものは、さすがに雑誌名に「無神論」を標榜するだけのことはあってかなりまとまった長さと内容になっている。神や宗教についてのアダムスの考えを知る上では申し分ない。
 しかし、American Atheist の記事を読んだ一部のファンはこの説明に納得するどころか、アダムスのホームページの掲示板コーナーに非難や抗議の文章を送った。
 物議を醸したのは、アダムスが神を信じない、いや、神などいないことは明白な事実なのだから信じる信じないの問題ですらないと発言したことではない。問題は彼がこの記事の中で「僕の周りを見回して神を信じている人なんて、年寄りかちょっと教育程度の低い人くらい」とコメントしたことにある。
 自分に向けられた非難に対して、アダムスも反論している。神を信じている人全員が教育程度の低い人だと断言したのではなく、あくまで自分の近くにいる人についてそう語ったまでだ、と。
 実際の記事を読んでみると、問題の箇所は相当にきわどい。素人の不用意な翻訳や意訳で片付けるにはあまりに微妙なニュアンスを含んでいるため、敢えてここでは訳出しない。アダムスの遺作集、The Salmon of Doubt にも収録されている(pp. 95-101)ので、できれば原文で読んでほしい。かなりきわどい発言である分、逆に彼の本音を垣間見ることができるはずだ。また、インタビューのうちの一部分は、ドーキンスの『悪魔に仕える牧師』(pp. 297-298)、『神は妄想である』(p. 175)でも引用されている。


the Bable fish  バベル魚

「でも、ヴォゴン語なんて知らないよ」
「知ってる必要はない。この魚を耳に入れればいいんだ」
 フォードは電光石火のはやわざでアーサーの耳をぴしゃりと叩いた。耳の奥に魚がもぐりこんでいき、アーサーは悪寒を感じた。アーサーは恐ろしくなって耳をかきむしったが、それも一、二秒で、ゆっくりと驚きの眼をみはった。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.75)

 ジェフリー・パーキンスいわく、「バベル魚は、ほとんどのSF作品が無視している基本的な問題を解決してくれる、すばらしい仕掛けだ。すなわち、どうして宇宙人はみんな英語を話すことができるのか?」(original radio scripts, p.32)
 コンピュータ・ゲーム版『銀河ヒッチハイク・ガイド』にも、当然バベル魚は登場する。しかし、ラジオ・ドラマや小説で既にバベル魚にお馴染みのプレイヤーなら、他の宇宙人の言葉を理解するためにはまずバベル魚を手に入れて、それを自分の耳に入れさえすれば済むことを知っている。そこでゲーム版では「いかにして耳に入れるか」という点にひねりが加えられることになった。が、その「ひねり」たるや、「本当に(解答集なしで)自力で解決できる人がいるのか?」と思うくらいややこしい。

 そのマシンは、上部にあるボタンを押すと、足下の取り出し口からバベル魚が出る仕組みになっているか、いざボタンを押すと、バベル魚はものすごい勢いでとび出して、反対側の壁のふし穴に入ってしまう。それをどうにか捕まえる工夫をするのだけれど、まず思いつくのが、取り出し口の前につい立てを置くことだ。ところがそれだけではない。さらに脳ミソをタコヤキのようにひっくり返して、発想をドンデンガラリンと変えて「まさか」と思うようなことから試してみないと、なっかなか捕まらないのだ。なんと、ここでは4段階のひっかけがあって、ごていねいに、そのどれもが実におかしく笑える。(『月刊ログイン』1985年5月号、p.119)

 地球から脱出する際には、タオルは勿論、ガウンとジャンクメールの束もお忘れなく。


Bestsellers 『ベストセラーズ』

 ロンドン北部にあるミドルセックス大学の名誉教授クライヴ・ブルームによる、1900年以降にイギリスで出版された人気小説の研究本。イギリスでどのような小説が人気を博したかを時代ごとに検証すると共に、個々のベストセラー作家の紹介もしていて、「1975年から1999年」のカテゴリーにはダグラス・アダムスの項もある。
 2002年の初版本から該当箇所全文をそのまま引用すると、  

The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy (1978)
The Restaurant at the End of the Universe (1980)
Life, the Universe and Everything (1982)
So Long, and Thanks for All the Fish (1983)

Adams began his career as a producer and script editor with the BBC, working on radio programmes and on television serials such as Dr. Who. His witty and whimsical science fiction fantasy spoof became extremely popular and found a ready audience when broadcast on radio. (p. 186)

 他の作家の紹介欄でも、全著作ではなく代表作が何冊か列挙されているだけだが、それにしても『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ計5作のうち4作までしか挙げていないのは不思議な気がする。おまけに、出版年が間違っている。正しくは、シリーズ1作目が1979年で、4作目は1984年だ。
 著者のプロフィールについても、間違っているとは言えないが、アダムスのことを何も知らないままこの文章だけを読むと、何だかBBCの人気番組のライター兼プロデューサーがSFパロディ小説を出版して人気を博し、それが後にラジオ・ドラマ化されて小説のファンたちに大歓迎された、みたいに思えるのは私だけか?
 ちなみにこの本、2008年には改訂版が出版されている。こちらも合わせて確認してみたところ、上記の引用箇所は出版年間違いも含め一字の変更もなかったが、この後にもう2行ばかり新しい文章が追加されていた。  

Richard Dawkins dedicated his book The God Delusion to Adams who styled himself as a 'radical atheist'. The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy was made into a film in 2005. (p. 260)

 アダムスは「過激な無神論者」を自称しており、リチャード・ドーキンスは彼の著書『神は妄想である』をアダムスに捧げている。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は2005年に映画化された――と、2008年版にふさわしい最新情報が書き足されている。とは言え、こういう形でわざわざ引き合いに出されるほどに、イギリスではドーキンスの『神は妄想である』(2006年)は話題騒然の本だったのだろうか。

 


Bibliophile: An Illustrated Miscellany 『人生を変えた本と本屋さん』

 ハワイ在住のイラストレーター/デザイナー、ジェーン・マウントによる本と本屋と図書館を紹介する本。フルカラーのイラストが満載で、表紙や背表紙のイラスト付きで紹介されている本は1000冊以上にもなる。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、「熱狂的ファンを生んだ聖典」という括りで取り上げられていた。著者がアメリカ人なので、この本で描かれている『銀河ヒッチハイク・ガイド』の背表紙のイラストは、Harmony Booksのペーパーバックである。


The Big Bang Theory 『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』

 2007年から現在まで続く、アメリカの人気シチュエーション・コメディ。1話約22分。現在までに第11シリーズまで放送され、続く第12シリーズの製作も決定している。カリフォルニア工科大学の若手研究者たちのオタクな日々と恋愛模様を描く作品だけに、主人公たちは多くのSFやファンタジーについて言及するが、2007年9月24日に放送された記念すべき第1シリーズ第1話「オタク青年4人とセクシー美女の法則(Pilot)」では、主要キャラクターの一人が「42」と書かれた帽子をかぶって登場する。が、その後、2012年11月15日放送の第6シリーズ第8話「シェルダンの秘め事とナンバー43の法則(The 43 Peculiarity)」では、そんな帽子をかぶっていた当の本人が、黒板に書かれた43という数字の意味をめぐって「『銀河ヒッチハイク・ガイド』の究極解」かと勘違いする("In "Hitchhiker's Guide to the Galaxy" isn't 43 the answer to life, the universe and everything?")。嘆かわしい。
 しかし、2013年10月24日放送の第7シリーズ第6話「それぞれのロマンチックの法則」(The Romance Resonance)において、別の主要キャラクターが実は子供の頃から『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大ファンで、初版本を集めていたことが判明する(第7シリーズ第6話、つまり7×6=42であることにも注目あれ)。ただし、ここで登場する初版本はアメリカで発売されたハードカバー本。熱心なオタクならどうしてイギリスのペーパーバック版をコレクションしないのかと首を傾げたくなるが、ペーパーバックではテレビ映えしないという判断が下されたのかもしれない。

 


Black Cinderella Two Goes East ブラック・シンデレラ2

 1978年5月から約半年間、アダムスがジョン・ロイドと共にBBC Radio4の軽演芸部門のプロデューサーに就任していた時に製作した、約1時間のクリスマス特別番組。1978年12月25日に、BBC Radio4で放送された。
 プロデューサーとしてのアダムスは「あまり頼りにならなかった」(Gaiman, p. 39)ようで、「ブラック・シンデレラ2」の製作において実質的に現場を取り仕切っていたのはジョン・ロイド一人だった。ロイドいわく、アダムスは脚本にもキャストにもこだわりが一杯あった上に、本筋とはあまり関係のない細部にまで完璧を追求しようとするあまり、思いついたアイディアを次から次へと口に出すものだから、期間内に番組を仕上げなければならないというプレッシャーの下にあるスタッフ達をたびたび苛立たせてしまったらしい(Hitchhiker, p. 118)。
 とは言え、アダムスがまったく役に立たなかった訳ではない。二度とBBCラジオの仕事はしないと公言していたジョン・クリーズを説得し、別の場所でのテープ録音という形ながら、キャストの一人として参加させることに成功したのだから。クリーズの登場シーンを含むこの番組の一部分は、2004年に発売された3枚組CD、Douglas Adams at the BBC にも収録されている(L - Light Entertainment)。
 キャストの一覧は以下の通りだが、ジョン・クリーズのみならずキャストは全員フットライツ出身者だった。また、スタッフも、脚本のクライヴ・アンダーソン、Rory McGraht に加え、音楽を担当したナイジェル・ヘス、ニック・ローリー、作詞のジェレミー・ブラウンなど、フットライツ出身者が多数を占めている。

 

NARRATOR Richard Baker
TIMOTHENIA AND THE KING Tim Brooke-Taylor
PRINCE CHARMING Rob Buckman
FAIRY GODPERSON John Cleese
PRINCE DISGUSTING Peter Cook
GARDENIA AND MANNY Graeme Garden
HIMSELF David Hatch
CINDERELLA Maggie Henderson
WICKED STEPMOTHER Jo Kendall
BARON ODDBEEF Richard Murdoch
HIMSELF Bill Oddie
FAIRY-TALE LIBERAL PRIME MINISTER John Pardoe


The Blizzards  ザ・ブリザーズ

 アイルランドのバンド。小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年記念として2009年10月11日に発売される、オーエン・コルファーによる『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目 And Another Thing のテーマ曲を担当する。
 オーエン・コルファー本人のブログによると、「ダグラス・アダムスはピンク・フロイドと演奏したことさえあった。僕としてもこういう音楽との連携を続けたいと思い、ペンギン社のほうで、イマドキの歌手の中で『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンはいないか打診してくれた。候補はかなりたくさんいたけれど、リストの最初に名前が挙がっていたアイルランドの有名バンド、The Blizzards に目が釘付けになった」。
 The Blizzards の新曲は、コルファーの小説と同じ 'And Another Thing' というタイトルで、同日発売となる予定とのこと。また、2009年10月11日にロンドンのサウスバンク・センターで開催される『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年記念イベント Hitchcon'09 にて演奏される。
 The Blizzards は、2004年末にボーカル/ギター/作曲担当のNiall Breslin、ドラムの Dec Murphy、ベースの Justin Ryan と Anthony Doran、そしてキーボードの Aidan Lynch 5名で結成された。2005年に'First Girl to Leave Town' でシングルデビューし、現在までに A Public Display of Affection と The Domino Effect の2枚のアルバムを発表している。アイルランドでは評価・人気ともに高いバンドだが、イギリスでの正式にCDが発売になったのは2009年に入ってからのことで、イギリスでのシングルデビューは2009年夏の 'Buy It Sell It' になる。また、9月末には、彼らの最大のヒット作 'Trust Me, I'm A Doctor' が、そして10月にはこの曲を収録しているアルバム The Domino Effect が、それぞれイギリスで発売される予定。The Blizzards が、'And Another Thing' のシングル発売に合わせて本格的なイギリス進出を計画していると考えてまず間違いないだろう。


both the cop  ふたりの警官

「おい、撃ってきたぞ」身体を丸めて、アーサーが言った。「こんなことはしたくないって言ってたんじゃなかったか」
「そうだ、たしかにそう言った」
ザフォドが顔をあげた。
「おい、おまえたち、おれたちを撃ちたくないって言ったくせに!」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.266)

 惑星マグラシアまでザフォドを追ってきた、ブラグロン・カッパ星人のふたりの警官は、アダムスがアメリカのあるテレビ番組を見ていて思いついたキャラクターである。その番組とは、「刑事スタスキー&ハッチ」。
 アダムスいわく、「この番組で、二人の主人公は人を撃つのはよくないことだと思ったので、代わりに車をぶつけてやったんだ、と主張していた」。(original radio scripts, p.88)
 小説版『銀河ヒッチハイク・ガイド』では名無しの二人だが、ラジオ・ドラマ版ではちゃんと名前がついていた。すぐに銃で撃ちまくる警官コンビにふさわしく、シューティ(Shooty)とバン・バン(Bang Bang)という。ただし、演じたのは当時はまだ無名だったジム・ブロードベント。また、1994年に発売されたビジュアル・ブックでは、シューティをアダムスが、バン・バンをアダムスのエージェントのエド・ヴィクターが務めている。


Brentwood School ブレントウッド・スクール

 アダムスが1959年から1970年まで在学していたパブリック・スクール。
 イギリス・エセックス州ブレントウッドにあり、400年以上の歴史を持つ。アダムスが在学していた当時は男子校だったが、1974年より女子の入学も認められるようになった(と言っても現在でも11歳から16歳までは男子と女子で分かれて授業が行われ、第6学年の2年間のみ完全な男女共学となる。第6学年とは、普通教育修了試験のAレベル受験のための最終学年のことで、ブレントウッド・スクールのホームページによるとこの学年の大学進学率は95パーセントになるらしい)。
 ちなみに、有名人の子供時代の通信簿を集めた School Report という本には、1964年ジュニア・スクール在学当時のアダムスの成績表が、ブレントウッド・スクールの校章も鮮やかに掲載されている。それを見ると、「他の子供たちが将来は消防士になりたいと憧れる年齢の時に、僕は核物理学者に憧れていた。ただ、算数の成績があまりに悪かったので、実現しようとまでは思わなかった」(Gaiman, p. 4)というアダムスの言葉違わず、数学と物理の成績は見事に「C」、音楽と美術は「A」で、英語の成績は「B」だった。
 伝統あるパブリック・スクールだけあって、ブレントウッド・スクールにも寮がある。またもブレントウッド・スクールのホームページによると、現在は11歳から18歳の生徒を受け入れているとのこと。全寮制ではないようだが、アダムスは寮に入っていた。
 ちょうどアダムスが寮生だった17歳の時、テレビで『空飛ぶモンティ・パイソン』の放映が始まる(1969年10月)。アダムスは言うに及ばず、他の寮生にもこの番組は大人気で、テレビのある部屋に集まっては毎週見ていたという。ところがある日、他の仲間がみんなサッカーの試合か何かを見たがって、多数決で『モンティ・パイソン』が却下されそうな展開になった。そこで、どうしても『モンティ・パイソン』を見たいメンバー4人で学校を飛び出して、放送開始直前にたまたま学校のある街に住んでいたアダムスの祖母の家に駆け込んで無理矢理番組を観たのだとか(モーガン, p.224)。
 なお、遺稿集となったアダムスの The Salmon of Doubt には、"Brentwood School" と題されたエッセイが収録されており、ブレントウッド・スクールの思い出として「深い心の傷となった体験」(p. 7)が語られている。


British Library ブリティッシュ・ライブラリー

 ブリティッシュ・ライブラリーは、2022年3月11日、アダムスの生誕70周年を機に"Douglas Adams: The Man and his Galaxy" というオンラインイベントを開催した。詳しくはこちらへ


Brockian Ultra Cricket ブロッキアン・ウルトラ・クリケット

ある種族が、人生の意味についてのべつ議論するのはもううんざりだと考えた。そんな議論のせいで、かれらの愛するブロッキアン・ウルトラ・クリケットという娯楽(それらしい理由もなくいきなり人をぶん殴って逃げるという奇妙なゲーム)にしょっちゅう水を差されていたからである(安原訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 223)。

 ブロッキアン・ウルトラ・クリケットというゲームの名称は、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の献辞にも登場するアダムスの友人で、熱心なクリケット・ファンだったジョニー・ブロックにちなんで付けられた。


Cabin Pressure 『キャビン・プレッシャー』

 2008年から始まったBBC4のラジオ・コメディ。MJNエアーという飛行機会社のCEO兼キャビン・アテンダントのキャロリンと、機長のマーティン、副操縦士のダグラス、キャロリンの息子でキャビン・アテンダントの仕事を手伝うアーサーの計4人が、MJNエアーが所有するたった1機の小さいチャーター機(通称「ガーティ」)を舞台に繰り広げる、シチュエーション・コメディである。2008年から第1シリーズが始まり、これまで、クリスマス・スペシャルを含め、第4シリーズまで放送された。各シリーズは、6話で構成されており、1話は約30分。
 このコメディの第3シリーズ「Ottery St. Mary」の回に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』をもじった台詞が登場する。キャロリンは、付き合い始めたばかりの男性に愛犬の名前を訊かれ、こう答える。"Her name is not important."
 『キャビン・プレッシャー』の脚本家兼アーサー役のジョン・フィネモアは、自身のブログのコメントに書かれた質問に答えるという形で、この台詞が『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくるスラーティバートファーストの「私の名前はどうでもよい」(安原訳、p. 205)を意識して書いたと認めている("Absolutely yes about the Slartibartfast reference")。
 ジョン・フィネモアは、1977年9月28日生まれのイギリス人コメディ作家・俳優。ケンブリッジ大学在学中は、フットライツに所属していた。自身の番組の他にも、『ピープ・ショー ボクたち妄想族』の二人組で、やはりフットライツのメンバーだったデヴィッド・ミッチェルとロバート・ウェッブが手掛けたラジオのコメディ番組の脚本執筆にも参加している。また、マリー・フィリップスとロバート・ハドソンによるコメディ「Warhorses of Letters」が、ラジオ番組として製作される前に舞台にかけられた時には、ラジオではダニエル・リグビーが演じたコペンハーゲン役をフィネモアが演じた。


The Cambridge Companion to Science Fiction 『ケンブリッジ版サイエンス・フィクション必携』

 2003年にケンブリッジ大学出版局から出されたSFの解説書。20編のエッセイが、SFの歴史、SF批評、SFのサブジャンルとテーマ、の3つに分かれて収録されており、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はゲイリー・ウェストファールが書いた "Space Opera" というエッセイで採り上げられている。
 また、この本の冒頭には主なSFを年代別にリストアップしており、1979年の欄には『銀河ヒッチハイク・ガイド』の名前も挙げられている。このリストは、1516年、トマス・モアの『ユートピア』から始まっていて、すべてをここに転載すると煩雑すぎるため、1970年代と1980年代の作品のみ参考までに紹介する。

1970
Larry Niven, Ringworld ラリイ・ニーヴン『リングワールド』

1971
Terry Carr, ed., Universe 1 (annual original anthology) テリー・カー編集によるオリジナル・アンソロジー
Robert Silverberg, The World Inside ロバート・シルヴァーバーグ『内側の世界』

1972
Issac Asimov, The Gods Themselves アイザック・アシモフ『神々自身』
Harlan Ellison, ed., Again, Dangerous Visions (anthology) ハーラン・エリスン編集によるオリジナル・アンソロジー
Barry Malzberg, Beyond Apollo バリー・N. マルツバーグ『アポロの彼方』
Joanna Russ, 'When It Changed' ジョアンナ・ラス「変革のとき」
Arkadi and Boris Strugatsky, Roadside Picinic ストルガツキー兄弟『ストーカー』
Gene Wolfe, The Fifth Head of Cerberus ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』
Science Fiction Foundation begins the journal Foundation サイエンス・フィクション財団、雑誌 Foundation 刊行開始

1973
Arthur C. Clarke, Rendezvous with Rama アーサー・C・クラーク『宇宙のランデヴー』
Thomas Pynchon, Gravity's Rainbow トマス・ピンチョン『重力の虹』
Mack Reynolds, Looking Backward, from the Year 2000 マック・レナルズ 未訳
James Tiptree, Jr, Ten Thousand Light Years from Home (collection) ジェイムズ・ティプトリー・Jr.『故郷から10000光年』
Ian Watson, The Embedding イアン・ワトスン『エンベディング』
Science-Fiction Studies begins publication 学術誌 Science-Fiction Studies 刊行開始

1974
Suzy McKee Charnas, Walk to the End of the World スージー・マッキー・チャーナス 未訳
Joe Haldeman, The Forever War ジョー・ホールドマン『終りなき戦い』
Ursula K. Le Guin, The Dispossessed アーシュラ・K・ル=グウィン『所有せざる人々』

1975
Samuel R. Delany Dharlgren サミュエル・R・ディレイニー『ダールグレン』
Joanna Russ, The Female Man ジョアンナ・ラス『フィメール・マン』
Pamela Sargent, ed., Women of Wonder: SF Stories by Women About Women (anthology) パメラ・サージェント編のアンソロジー
Robert Shea and Robert Anton Wilson, Illuminatus! ロバート・シェイ、ロバート・A・ウィルスン『イルミナティ』シリーズ

1976
Samuel R. Delany, Triton サミュエル・R・ディレイニー 未訳
Marge Piercy, Woman on the Edge of Time マージ・ピアシー『時を飛翔する女』
James Tiptree Jr, 'Houston, Houston, Do you Read?' ジェイムズ・ティプトリー・Jr.「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」

1977
Mack Reynolds, After Utopia マック・レナルズ 未訳
Close Encounters of the Third Kind (dir. Steven Spielberg) 映画『未知との遭遇』
Star Wars (dir. George Lucas) 映画『スター・ウォーズ』

1979
Douglas Adams, The Hitch-Hiker's Guide to the Galaxy ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
Octavia E. Butler, Kindred オクティヴィア・E・バトラー 『キンドレッド 絆の召喚』
John Crowley, Engine Summer ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』
Frederik Pohl, Gateway フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』
Kurt Vonnegut Jr, Slaughterhouse-Five カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』
Alien (dir Ridley Scott) 映画『エイリアン』

1980
Gregory Benford, Timescape グレゴリー・ベンフォード『タイムスケープ 』
Gene Wolfe, The Shadow of the Torturer (The Book of the New Sun, 1) ジーン・ウルフ『新しい太陽の書1 拷問者の影』

1981
C. J. Cherryh, Downbelow Station C・J・チェリイ『ダウンビロウ・ステーション』
William Gibson, 'The Gernsback Continuum' ウィリアム・ギブソン「ガーンズバック連続体」
Vernor Vinge, 'True Names' ヴァーナー・ヴィンジ 『マイクロチップの魔術師』

1982
Brian W. Aldiss, Helliconia Spring (Helliconia 1) ブライアン・W・オールディス 未訳
Blade Runner (dir Ridley Scott) 映画『ブレードランナー』

1983
David Brin, Startide Rising デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』

1984
Octavia E. Butler, 'Blood Child' オクティヴィア・E・バトラー「血をわけた子供」
Samuel R. Delany, Stars in My Pocket Like Grains of Sand サミュエル・R・ディレイニー 未訳
Gardner Dozois, ed., The Year's Best Science Fiction: First Annual Collection (antology) ガードナー・ドゾワ編の年間ベストSFアンソロジー刊行開始
Suzette Haden Elgin, Native Tongue スゼット・ヘイドン・エルギン 未訳
William Gibson, Neuromancer ウィリアム・ギブソン『ニューロマンサー』
Gwyneth Jones, Divine Endurance ギネス・ジョーンズ 未訳
Kim Stanley Robinson, 'The Lucky Strike' and 'The Wild Shore' キム・スタンリー・ロビンソン「ラッキー・ストライク」『荒れた岸辺』

1985
Margaret Atwood, The Handmaid's Tale マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
Greg Bear, Blood Music グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』
Orson Scott Card, Ender's Game オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』
Lewis Shiner and Bruce Sterling, 'Mozart in Mirrorshades' ルイス・シャイナー、ブルース・スターリング「ミラーグラスのモーツァルト」
Bruce Sterling, Schismatrix ブルース・スターリング『スキズマトリックス』
Kurt Vonnegut, Galapagos カート・ヴォネガット『ガラパゴス』

1986
Lois McMaster Bujold, Ethan of Athos L・M・ビジョルド『遺伝子の使命』
Orson Scott Card, Speaker for the Dead オースン・スコット・カード『死者の代弁者』
Ken Grimwood, Replay ケン・グリムウッド『リプレイ』
Pamela Sargent, The Shore of Women パメラ・サージェント 未訳
Joan Slonczewski, A Door into Ocean ジョーン・スロンチェフスキ 未訳

1987
Iain M. Banks, Consider Phlebas イアン・M・バンクス 未訳
Octavia E. Butler, Dawn: Xenogenesis 1 オクティヴィア・E・バトラー 未訳
Pat Cadigan, Mindplayers パット・キャディガン 未訳
Judith Moffett, Pennterra ジュディス・モフィット 未訳
Lucius Shepard, Life During Wartime ルーシャス・シェパード『戦時生活』
Michael Swanwick, Vaccum Flowers マイクル・スワンウィック 未訳

1988
John Barners, Sin of Origin ジョン・バーンス 未訳
Sheri S. Tepper, The Gate to Woman's Country シェリ・S・テッパー『女の国の門』

1989
Orson Scott Card, The Folk of the Fringe オースン・スコット・カード『辺境の人々』
Geoff Ryman, The Child Garden ジェフ・ライマン 未訳
Dan Simmons, Hyperion ダン・シモンズ『ハイペリオン』
Bruce Sterling, 'Dori Bangs' ブルース・スターリング「ドリ・バンズ」
Sheri S. Tepper, Grass シェリ・S・テッパー 未訳 

 1979年に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が載せられているからには小説版のことだと思われるが、'Hitch-Hiker's' というスペルはイギリスで放送されたラジオ・ドラマでのみ使われていたものだ。ちなみに、ゲイリー・ウェストファールのエッセイでは、現在の統一スペル 'Hitchhiker's' になっていて、こちらは正しい。ついでに言うと、1979年には『銀河ヒッチハイク・ガイド』と並んでカート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』が挙げられているが、これは1969年の間違いである。もっと言えば、フレデリック・ポールの『ゲイトウエイ』も、1979年ではなくて1977年の作だし、1984年のオクティヴィア・E・バトラー作品は、'Blood Child'じゃなくて'Bloodchild' だ。
 何だかこの本の信用度がどんどん下がっていく気がするが、クリスチャン・エルケンブレッヒャーの研究論文 The "Hitchhiker's Guide to the Galaxy" Revisited: Motifs of Science Fiction and Social Criticism で書かれているSFの歴史に関する部分は、この本に収録されたエッセイに負うところが大きいようだ。そのため、合わせて読むと分かりやすいかもしれない。


Celebrity Playlists セレブリティ・プレイリスト

 アップル社の iTune Store には、「セレブリティ・プレイリスト」というコーナーがある。有名人がおすすめする曲を、ダウンロード購入できるという仕組みだ。日本版には入っていないが、iTune Store UK のセレブリティ・プレイリストには、実在の有名人たちに混ざってアーサー・デント、マーヴィン、ゼイフォード、トリリアンの名前もある。彼らの「プレイリスト」がリリースされた日付は2005年4月中旬であることから、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開に向けての宣伝の一環だったことは想像に難くないが、1曲あたり0.79ポンドで買えるので興味のある方はお試しあれ。
 なお、それぞれのキャラクターの選曲は以下の通り。 

アーサー・デント リリース:2005.4.18

1 Don't Panic Coldplay
2 We Might As Well Be Strangers Keane
3 Safe As Houses Stiff Little Fingers
4 Calling Occupants of Interplanetary Craft Carpenters
5 Move Your Feet (Radio Edit) JUNIOR SENIOR
6 Ordinary World Duran Duran
7 Never Turn Your Back On Mother Earth Sparks
8 Tunnel of Love Dire Straits
9 A Lonely Towe Ouzo the band
10 What a Wonderful World Louis Armstrong

マーヴィン リリース:2005.4.11

1 Robot Rock Daft Punk
2 This Is a Low Blur
3 Sorry Seems to Be the Hardest Word Ray Charles & Elton John
4 Cries and Whispers David Sylvian
5 Are Friends Electric? (Gray Mix) Gary Numan
6 Friday's Dust Doves
7 Cry Me a Rive Diana Krall

ゼイフォード リリース:2005.4.18

1 Paradise City Guns N' Roses
2 Rebel Rebel David Bowie
3 Keep On Loving You REO Speedwagon
4 I Believe in a Thing Called Love The Darkness
5 Funky President (People It's Bad) James Brown
6 Two Heads Jefferson
7 Are You Gonna Be My Girl JET
8 Stupid Is As Stupid Does South San Gabriel

トリリアン リリース:2005.4.11

1 Someday My Prince Will Come Grant Green
2 Embraceable You Charlie Parke
3 I'm Beginning to See the Light Duke Ellington
4 Everything Happens to Me Chet Baker
5 Sophisticated Lady Art Tatum
6 Not Yet John Coltrane
7 Cloudburst Dave Lambert Singers & Jon Hendricks
8 It Never Entered My Mind Miles Davis

 


Christmas Lectures クリスマス・レクチャー

 イギリスで1825年から続けられている、王立研究所主催による子供向けの科学講座。1991年にリチャード・ドーキンスが講師として5日間連続のクリスマス・レクチャーを行った際、ダグラス・アダムスは特別ゲストとして登壇し、『宇宙の果てのレストラン』の中の一節を朗読した。
 この時のレクチャーは、『進化とは何か ドーキンス博士の特別講義』(早川書房)という本にまとめられており、アダムスが写った写真も2枚掲載されている。

 

 


Coldplay コールドプレイ

 イギリスの4人組ロック・バンド。デビュー・アルバム『パラシューツ』の1曲目に収録された「ドント・パニック」は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』からの引用である。なお、この曲は、イギリスでは同アルバムからの4枚目のシングルとして発売された。
 メンバーのクリス・マーティン(ヴォーカル/ギター/ピアノ)、ジョニー・バックランド(ギター)、ガイ・ベリーマン(ベース)、ウィル・チャンピオン(ドラムス)は、1996年、ロンドン大学在学中に知り合った。大学での専攻はバラバラで、マーティンが古代史、バックランドが天文学と数学、ベリーマンが建築学、チャンピオンが人類学だった。1998年にバンドを結成し、2000年にはメジャーデビューを果たして『パラシューツ』を発表、全英チャート初登場1位に輝く。このアルバムは現在までに全世界で850万枚を売り上げた。続く『静寂の世界』『X&Y』も記録的なヒットとなり、グラミー賞をはじめ多くの音楽賞を受賞している。まさに、2000年代イギリスを代表するロック・バンドと言えよう。
 コールドプレイの初期の作品にはレディオヘッドの影響がみられると言われているが、デビュー・アルバムでの『銀河ヒッチハイク・ガイド』への言及も、レディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」を意識してのことかもしれない。が、「ドント・パニック」にとどまらず、2008年6月発売の『美しき生命』には、「42」というタイトルの曲が収録されている。ビルボードのウェブサイトによれば、この曲は「3つの全く関連性のないようなパートで構成され」ているらしく、やはり三部構成で書かれた「パラノイド・アンドロイド」を思い起こさずにはおかない(ただし、ボーカルのクリス・マーティンは、イギリスの音楽雑誌 Q のインタビューの中で「『銀河ヒッチハイク・ガイド』とは関係があるとも言えるし、ないとも言える」と曖昧な言い方をしていたが)。
 コールドプレイの主なアルバムは以下の通り。

Parachutes, 2000 『パラシューツ』
A Rush of Blood to the Head, 2002 『静寂の世界』
X&Y, 2005 『X&Y』
Viva la Vida or Death and All His Friends, 2008 『美しき生命』
Mylo Xyloto, 2011 『マイロ・ザイロト』


Comic Relief コミック・リリーフ

 コミック・リリーフとは、1985年に設立されたイギリスのコメディー・ライターやコメディアンによるチャリティ組織である。集められた募金は、「セーブ・ザ・チルドレン」や「オックスファム」といった有名な組織に分配されるほか、イギリス国内のドラッグやホームレスといった社会問題に対するプロジェクトへの支援にも使われる。
 アダムスは、雑誌 The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book (1986)の編集者としてコミック・リリーフの活動に参加した。この雑誌には、モンティ・パイソンのメンバーでは、グレアム・チャップマンテリー・ジョーンズマイケル・パリンの3人、アダムスの友人関係では当然ジョン・ロイドジェフリー・パーキンススティーヴン・フライの名前もあるし、元ビートルズのジョージ・ハリソンやローワン・「Mr. ビーン」・アトキンソンも顔を出している。アダムス自身も、3本の短編小説("A Christmas Fairly Story", "Young Zaphod Plays It Safe", "The Private Life of Genghis Khan") を寄稿した。また、The Utterly Utterly Amusing And Pretty Damn Definiteve Comic Relief Revue Book (1989)にも原稿を書いている。
 この他、かつてアダムスが脚本を執筆したが、テレビで放送されずに終わった『ドクター・フー』Shada がビデオで発売された折に、その著作権料をコミック・リリーフに寄付した。


Deep Thought ディープ・ソート

「わたくしが申しあげたいのは、わたくしの回路はことごとく、生命と宇宙と万物についての究極の疑問の答えを計算することにふりむけられ、もはや引き返せないということです」ディープ・ソートは言葉を切り、全員の注意を集めていることを知って満足し、少し穏やかな声で続けた。「だが、そのプログラムを遂行するにはしばらく時間がかかります」
 フックは我慢できぬというように腕時計を一瞥した。
「どれくらいだね?」
「七百五十万年」(風見訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、pp. 223-224)

 1988年、カーネギー・メロン大学の大学院生のチームが、世界トップクラスのプレイヤーに匹敵するチェス・プレイング・マシン「ディープ・ソート」を製作した。日本アイ・ビー・エム社のホームページによると、このディープ・ソート、ひとつの回路基板上に250のチップと2つのプロセッサーが搭載され、1秒間に75万通りの局面を分析できた。これは 10手先まで読めることを意味する。
 ディープ・ソートは1988年に、トーナメントでグランド・マスターのひとりを打ち負かした最初のコンピュータとなる。その後、ディープ・ソートは6つのプロセッサーを搭載して、1秒間に200万通り以上の局面を分析できるようにパワーアップ、1989年10月に行ったカスパロフとの2ゲームのエキシビジョン・マッチに敗北するも、1993年には最年少グランドマスターのジュディット・ボルガーに勝利、また1994年6月には国際コンピュータ・チェス・チャンピオンのタイトルを獲得する(もっとも現在ではディープ・ソートはすっかり一昔前のマシンになってしまったようで、その後継たるマシン「ディープ・ブルー」がIBMリサーチによって開発されているけれど)。
 ディープ・ソートという名前が、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にちなんで付けられたことは言うまでもない。また、このマシンのことは、リチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』の補注でも取り上げられている。

 たとえば、ここに「スペクテイター」紙の一九九八年一〇月七日付けのチェス寄稿家レイモンド・キーンの発言がある。

 今のところまだ、タイトルをもつ選手がコンピューターに負かされるとちょっとした騒ぎになるが、おそらく、そういうことは長くは続かないだろう。これまで人間の脳に挑戦してきたもっとも恐るべき金属製の怪物は、「ディープ・ソート(深い考え)」という古風な名を付けられているが、これはまぎれもなく、ダグラス・アダムスに敬意を表した名である。(略)私は、強敵であるカナダ人、イゴール・イワノフに対する驚くほど印象的な勝利を目にしている。

(略)ディープ・ソートは、チェスの世界的トップ・プレイヤーの一つというだけではない。私にとってほとんどより衝撃的に思えたのは、この解説者が使わねばならないと感じている人間の意識を示す言葉づかいである。ディープ・ソートはイワノフの「絶望的な突進」を「小馬鹿にしたようにあしらう」。ディープ・ソートは「攻撃的」と描写されている。キーンはイワノフをなんらかの成果を「望んでいる」と述べるが、彼の言葉づかいは、ディープ・ソートにも「望む」といった単語を同じように喜んで使うであろうことを示している(pp. 442-443)。

 2003年にイギリスのBBCが行った愛読書アンケート、The Big Read で『銀河ヒッチハイク・ガイド』のヴィデオ・クリップが作成された際には、理論物理学者のスティーヴン・ホーキングがディープ・ソートの声を担当した。
 また、2007年にハヤカワSFシリーズJコレクションとして出版された伊藤計劃著『虐殺器官』には、ディープ・ソートがちらっと出てくる。

 なぜかといえば、テクノロジーの魔法、社会網有向グラフ解析(SNDGA)のご託宣があったからだ。NSAのディープ・ソート。全地球的ケビン・ベーコン・ゲーム。SNDGAなら、人生、宇宙、すべての答えだってさらりと教えてくれそうだ。(p. 240)

 日本でも、徐々に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が浸透してきたということだろうか。


David Mitchell: Back Story 『デイヴィッド・ミッチェルのバック・ストーリー』

 イギリスのコメディ俳優、デイヴィッド・ミッチェルが2012年に発表した自伝。この本の中でミッチェルは、謙虚な人間でありたいと丁重に振る舞った結果、時として自己肯定感が低い人間だと思われることがある、と書く。自分の能力に懐疑的な人のほうが好感を持たれやすいから、おかげで得をしているところもあるけれど、でもそのような低い評価に自分でも納得していると思われるのはちょっと違う、とも。

こういう時、僕は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の、運が悪くていかにもイギリス人って感じの主人公アーサー・デントが、危機に際して珍しく役に立つ振る舞いをした時のことを思い出す。クールで、かっこよくて、アメリカ人っぽい声の銀河大統領ゼイフォード・ビーブルブロックスが彼を褒め称えると、デントはこう返事する。「いや、まあ、たいしたことじゃあ……」。するとビーブルブロックスは、「なんだ、そうか。それじゃあいい。忘れてくれ。」(風見訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 172)

 1974年生まれのミッチェルは、ソールズベリーに生まれ、オックスフォードで育った。オックスフォードにあるパブリックスクールを卒業して、オックスフォード大学への進学が第一希望だったが不合格となり、ケンブリッジ大学に進学する。その結果、フットライツに参加し(「コメディオタクのティーンエイジャーとして、もちろんフットライツのことは知っていた。僕が尊敬する多くのコメディアンがここのメンバーだったからだ。ピーター・クック、ジョン・クリーズ、ダグラス・アダムス、スティーヴン・フライ。」)、ロバート・ウェブやオリヴィア・コールマンと知り合いになり、大学卒業後、彼らと組んで製作したコメディ番組『ピープ・ショー ボクたち妄想族』で一躍イギリスの有名コメディアンになるのだから、人の運命はわからない。


Delayed spaceship  飛行が遅延しておりますことを……

「恒星間飛行会社は当飛行が遅延しておりますことをお詫び申し上げます。ただいま、お客さまの旅行を快適で清潔に保つレモンの香りの紙ナプキンの積み込みを待っているところであります。いましばらくの御辛抱をお願いしたします。まもなく、コーヒーとビスケットをもって乗員がみなさまのもとにお伺いいたします」 (『宇宙の果てのレストラン』、p.110)

 これは、アダムスがロンドンからリーズまで飛行機で行こうとした時の体験談に基づいている。
 「普通、ロンドンからリーズに行く時は列車を使う。そのほうがずっと手っ取り早い。だが、その時僕は午前中にロンドンで人と会う約束があって、また同じ日の昼食時にリーズで別の人と会わなくてはならないという特殊な事情があって、そうなると両方の予定の時間を守るためにはは飛行機を利用するしかなかった。こういう旅行で飛行機を使うのは、お金もかかるし、居心地も悪いし、バタバタするし、空港を出たりするのやら何やらで結局のところ20分くらいしか変わらない。それでも、その飛行機にはたくさんの人が乗っていたのだから、彼らにとってこの20分は恐ろしく貴重なものだったと考えて差し支えないだろう??。
 我々の離陸予定時刻は11:15、到着予定時刻は12:15だった。
 11:15、我々は滑走路の上に鎮座していた。が、何も起こらない。異常なことも何も。
 11:20、依然として何も起こらない。
 11:25、パイロットが機内放送で遅延を謝罪した。彼が言うに、これは完全に私達のミスであります。私達は当機にバーの設備を積み込むのを忘れておりました。そのため、当機にはお飲物は何もございません。この問題を解決するため、私達はお客さまの旅行を快適にするコーヒーとビスケットを入手しようと鋭意努力している最中でございます。
 さらに5分経過。乗客はイライラし始めたが、そこはイギリス人らしく、何も言わなかった。ただ、自分たちの腕時計をじーっと眺めていた。
 またさらに5分経過。
 11:35、パイロットが再びアナウンスを入れた。みなさまの旅行を快適にするコーヒーとビスケットは当機に積み込まれましたが、離陸まで今しばらくお時間がかかります。彼は今度は何故遅れるのかについては全く触れなかった。きっと、エールフランスから砂糖でも借りるんだろう。
 結局、11:45になって、我々は30分遅れで離陸した。
 12:45、我々は着陸した。30分遅れで、だ。
 飛行機を使って旅行したすべての目的は消え失せてしまった。コーヒーとビスケットは言わずもがなひどい代物だったし、そもそもそれが給仕される頃には、スケジュール通りに運航されていれば、自分でリーズで買うことだってできたのだ。
 こうして僕は約束を破ることになったが、少なくともこの体験からジョークを得ることはできた。だが他の乗客達はそうはいくまい」(original radio script, p.247)


Desert Island Discs  『無人島に持っていく音楽』

 BBCラジオ4のインタビュー番組。ゲストは、無人島に持っていく音楽(8作)と本(1冊、ただし聖書とシェイクスピア全集を除く)を選ぶ。1942年1月29日から放送が始まり、もっとも長く続いているラジオの音楽番組としてギネス・ブックにも登録されている。
 1994年1月18日、アダムスはこの番組に出演し、8曲(うちバッハが3曲)を選択した(Hitchhiker, p. 234)。

 Shadows 'Man of Mystery' シャドウズ 「マン・オブ・ミステリー」
 the Beatles 'Drive My Car' ザ・ビートルズ 「ドライヴ・マイ・カー」
 Ligeti Requiem (from 2001) ジェルジ・リゲティ 「レクイエム」(『2001年宇宙の旅』より)
 Paul Simon 'Hearts and Bones' ポール・サイモン 「ハーツ・アンド・ボーンズ」
 Ella Fitzgerald 'All of Me' エラ・フィッツジェラルド 「オール・オブ・ミー」
 Bach the Schubler Chorale Number Five, the B Minor Mass, the Italian Concerto バッハ 「シュープラー・コラール集第5曲 われらと共に留まりたまえ」「ロ短調ミサ曲」「イタリアン・コンチェルト」

 無人島に持っていく1冊の本に関しては現時点では調べ切れなかったが、Douglas Adams at the BBC の「Music」ではなく「Science」のコーナーに収録されたこの番組の抜粋や、The Salmon of Doubt に収録された 'The Book That Change Me' と題された質疑応答形式の文章などから推測するに、アダムスが選んだのはリチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人』ではなかったかと思う。
 また、2006年11月26日に出演したイギリスのコメディアン、マット・ルーカスは、無人島に持っていく本としてアダムスとジョン・ロイドの共著The Deeper Meaning of Liff を挙げている。


The Digital Village  デジタル・ヴィレッジ

 1994年に創設された、デジタル・メディアとインターネットの会社。ロンドンはコヴェントガーデンにあり、最盛期の従業員は40名以上とのこと。
 アダムスはこの会社の創設メンバーであり、現在の肩書きは「チーフ・ファンタジスト (Cheif Fantasist)」となっている。この会社における彼の主な仕事は、新しい企画を興したり、新しいメディアを戦略的に取り込んでいったりすること。つまり、インターネットやコンピュータのこれからのありようについて具体的なイメージを作る、とでもいったところだろうか。
 デジタル・ヴィレッジの事業をみてみると、ニューヨークの出版社の一部門であるサイモン&シュースター・インタラクティブと共同でコンピュータ・ゲーム『宇宙船タイタニック』を製作したことと、インターネット上で『銀河ヒッチハイク・ガイド』地球編とでも言うべきサイトを作ったことくらい。となると、これはもうほとんどアダムス個人のためにある会社だったような気がする。そして、アダムスが映画化脚本の執筆のため渡米してほどなく、この会社は閉鎖になった。


DNA  DNA

 ダグラス・アダムスの頭文字は、DAである。だが、彼はDNAと書く。その理由は彼のミドルネームがノエル(Noel)だから。でも、普段このミドルネームを筆名には使わないのに、どうして頭文字で書く時だけ不意に出てくるのかと言えば、これはもうアダムス本人が単に自分の頭文字がデオキシリボ核酸(DNA)と同じになるのが気に入っているからに違いない、と思う。
 ちなみに、ケンブリッジ大学において生物の細胞内にある遺伝子の本体となる化合物質たるDNAが解明されたのが1952年、奇しくもダグラス・ノエル・アダムスがケンブリッジにて誕生したのと同じ年であった。ただし、デオキシリボ核酸の発見が世界的に発表されたのは1953年に入ってからのことなので、アダムスの頭文字がDNAなのは分子生物学に敬意を払っての命名ではなく、単なる偶然の一致であろう。


elevator  エレベーター

知能と予知能力を与えられた多くのエレベーターは、頭の要らない単純作業にひどい欲求不満をつのらせるようになった。なにしろ日がな一日、ただ上がっては降り降りては上がりをくりかえすだけなのだ。一種の実存主義的抵抗としてちょっと横に動く実験をしてみたり、意思決定に参加させろと要求したり、あげく地下でじっとうずくまってふさぎ込んだりするようになった。(安原訳『宇宙の果てのレストラン』、pp. 66-67)

 人がエレベーターに乗りたいと思うより先にエレベーターがその人がいる階に停止するよう、知能と予知能力を与えられたエレベーターがノイローゼになる。
 このアイディアをアダムスが思いついたのは、コメディ作家としての仕事が貰えず、金銭に窮してヒルトン・ホテルでボディガードのアルバイトをしていた時のことだった。早朝、誰かがエレベーターがめちゃくちゃにセットしたらしく、午前3時に廊下に座ってぼんやりと考え事をしていたアダムスの目の前で突然エレベーターが開き、彼にBGMを聴かせたかと思うと、再び何処かの階へ行ってしまったのだとか(Original Radio Script, p. 148)。


Encyclopaedia Galactica  『銀河大百科事典』

 銀河の東の渦状肢の外縁部にはずっとのんびりした文明社会が散在していたが、そこではすでに『銀河ヒッチハイク・ガイド』があの偉大なる『銀河大百科事典』にとってかわり、あらゆる知識と知恵の宝庫とされていた。『銀河ヒッチハイク・ガイド』には遺漏も多かったし、いいかげんな事項――少なくとも、ひどく不正確な事項もたくさん載っていたが、ふたつの重要な点で、かの古めかしく、退屈な大事典を凌いでいたのである。
 ひとつには、ガイドのほうがちょっと安い。いまひとつには、そのカバーに大きな親しみやすい文字で?あわてるな?と書いてある。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.7)

 『銀河大百科事典』と言えば、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズである。ずばり小説のタイトルになっている「ファウンデーション(財団)」というのは、そもそも『銀河大百科事典』の編纂業務から始まるくらいなのだ。おまけにシリーズを通して各章の冒頭には、ご丁寧に架空の書物『銀河大百科事典』からの引用が嵌め込まれている。
 勿論、小説『ファウンデーション』は百科事典編集の話ではない。一万二千年もの永きに亘って存続していた銀河帝国の没落の危機に際して、ハリ・セルダンという学者が、三万年は続くと予測される暗黒時代をせいぜい一千年程度に短縮すべく、心理歴史学という学問を駆使してそのための予防策を講じる、つまり「ファウンデーション(財団)」を設立するという話である。『銀河大百科事典』はそのための、ほんの手始めにすぎない。
 アダムスも、『ファウンデーション』三部作(『ファウンデーション』(1951年)『ファウンデーションと帝国』(1952年)『第二ファウンデーション』(1953年)のこと。ただし、1982年にシリーズ4作目『ファウンデーションの彼方へ』が出版され、おまけにこれまで全く別の系列だったもう一つの有名なロボット・シリーズとが一つにつながるという、全15作の未来史構想を打ち上げた。もっとも完成させる前にアシモフは死去したが、ともあれこの構想がある以上、現在では『ファウンデーション』三部作という言い方はよくないのかもしれない)を読んだことがあるという。1983年のインタビューで、「アイディアは魅力的だが、いかんせんあの文章じゃねえ。僕ならジャンク・メール書きにも彼を雇いたくない」(Gaiman, p.149)
 最後に、アダムスも認める魅力的なアイディアの「心理歴史学」について。かの『銀河大百科事典』の説明によると、

心理歴史学……ガール・ドーニックは非数学的概念を使って心理歴史学を次のように定義した。それは一定の社会的、経済的刺激に対する人間集団の反応を扱う数学の一分野であり……
 ……これらすべての定義において、扱われる人間集団が有効な統計処理を受けられるだけの充分な大きさを持っているという仮定が、その前提条件になっている。かかる集団の必要な規模はセルダンの第一定理によって決定される……さらに次のような仮定が必要となる。人間集団の反応が真に任意のものであるためには、その集団自体が心理歴史学的分析に気づいていないこと……
 すべての正当な心理歴史学の基礎は、次のような社会的経済的な力の特性に合致する特性を示すセルダン関数の展開に在り、それらは…… (『ファウンデーション』、p.26)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』が『銀河大百科事典』より売れているのも無理はない?


Everything Everywhere All at Once  『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

 2022年製作のアメリカ映画。監督の「ダニエルズ」とは、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの二人組を差すが、二人のダニエルのうちの一人、ダニエル・クワンは『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大ファンであり、Gizumodoのインタビュー記事の中で「ダグラス・アダムス的な『マトリックス』(The Matrix by way of Douglas Adams)を作りたかったと語っている。
 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』には『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響ではないかと思われる箇所はいくつかあった(洗濯物の置き場所が「042」だった、とか、物語の母と娘の関係が『ほとんど無害』のトリリアンとランダムの関係を彷彿とされる、とか)が、中でも私の目を引いたのは「マルチバース」の映像が、映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の無限不可能性駆動の描き方と似ていたことだ。『銀河ヒッチハイク・ガイド』が映画化された当時、長年のダグラス・アダムス・ファンの誰もがこの描き方を称賛したわけではなかったが、1988年生まれのダニエル・クワンは気に入ったものと思われる。


Fenchurch  フェンチャーチ

「わたしに質問をしようとしてたでしょ」彼女は言った。
「そうだった」アーサーは言った。
「よかったらいっしょに言いましょうか」フェンチャーチは言った。「それじゃ、私は……」
「……手提げ袋に入れられて……」
「……フェンチャーチ・ストリート駅の……」声をそろえて言った。
「……手荷物一時預かり所で拾われたの?」と締めくくった。(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 106)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ4作目、『さようなら、いままで魚をありがとう』に登場する少女。
 破壊されなかったもう一つの地球に戻ったアーサーが出会った彼女こそ、「他人にやさしくするのはなんとすばらしいことでしょうと説いた罪で、ひとりの男が磔にされてから二千年ばかりたったある木曜日、リックマンズワースの小さな喫茶店」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.6)で「これまで何がいけなかったのかに気づいた」(同、p.6)あの少女だった。
 フェンチャーチという奇妙な名前は、ロンドンにあるフェンチャーチ・ストリート駅にちなんでつけられた。オスカー・ワイルドの喜劇『まじめが肝心』のパロディである(『まじめが肝心』で、登場人物の一人は、赤ん坊の時にヴィクトリア駅の手荷物預かり所のカバンの中で発見された、という設定になっている)。この小説を書いていた時点ではアダムス自身はフェンチャーチ・ストリート駅に行った記憶すらなく、駅構内のイメージとしてはパディントン駅を念頭において書いたものの、「既にパディントン駅にちなんだ名前のクマがいるので、ロンドンのターミナル駅の中であれでもないこれでもないと考えて、フェンチャーチがいいんじゃないかと思った。名前として一番おもしろそうだ、という、ただそれだけ」(Gaiman, p. 162)
 蛇足ながら、フェンチャーチの住まいはイズリントンにある。


Fit the First  第1話

 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、1回の放映分のことを 'Fit' という。第1話なら 'Fit the First'、第2話なら 'Fit the Second' という具合に表記される。
 通常は「エピソード」という単語を使って、'Episode 1' 'Episode 2' と書かれることが多いのだが、アダムが 'Fit' という言葉を使ったのは、1876年に書かれたルイス・キャロルのナンセンス詩「スナーク狩り」(The Hunting of the Snark)からの借用らしい。ちなみに「スナーク狩り」の 'Fit' は以下の通り(訳は沢崎順之助)。

Fit the First The Landing 第1章 上陸
Fit the Second The Bellman's Speech 第2章 ベルマンの演説
Fit the Third The Baker's Tale 第3章 ベイカーの物語
Fit the Fourth The Hunting 第4章 狩り
Fit the Fifth The Beaver's Lesson 第5章 ビーバーの授業
Fit the Sixth The Barrister's Dream 第6章 バリスターの夢
Fit the Seventh The Banker's Fate 第7章 バンカーの運命
Fit the Eighth The Vanishing 第8章 消滅


Footlights フットライツ

 1883年に設立され既に100年以上の歴史を誇る、ケンブリッジ大学のコメディー・サークル。
 もともとは学内での公演が主体だったが、1960年頃から対外的に活動するようになり、ピーター・クックがオックスフォード大学のメンバーとも組んで始めたコント・グループ「ビヨンド・ザ・フリンジ」や、クックの後輩にあたるディヴィッド・フロストが大学卒業後に司会を務めたBBCの番組「ザット・ワズ・ザ・ウィーク・ザット・ワズ」などの成功で一躍その名を知られるようになった。殊に、フロストはBBCのプロデューサーとしても辣腕を奮い、オックスブリッジ出身の後輩たちを次々と自分の番組のライター/パフォーマーとして採用する。その中に、後にモンティ・パイソンを結成することとなるジョン・クリーズグレアム・チャップマンらの姿もあった。
 これらの番組が、当時ティーンエイジャーだった1952年生まれのアダムスを感化し、フットライツに参加すべくケンブリッジ大学進学を決意する。アダムスに言わせれば、将来コメディライターとしてメディア業界で仕事をしたければ、それが一番の近道だったということらしい。
 ところが、そこまで憧れて首尾良くケンブリッジ大学に進学したにもかかわらず、入学1年目のアダムスはフットライツに参加していない。当時のメンバーたちは「お高くとまっていて」(Gaiman, p. 10)新入りを快く迎える雰囲気ではおよそなかったため、アダムスはフットライツとは別の組織、CULES (Cambridge University Light Entertainment Society) という、コメディはコメディでもどちらかというとチャリティ系のサークルに入る。そして、刑務所や病院で慰問公演を行ったが、アダムスいわくそれらは思い出しただけで赤面するような悲惨な代物だったようだ。
 在学2年目になって、アダムスは友人らの励ましを受け、数本のスケッチを用意し友人のキース・ジェフリーともどもようやくフットライツのオーディションに臨んだ。フットライツには、伝統的に「スモーカー(smoker)」と呼ばれる非公式の公演があって、フットライツのメンバーでなくても事前のオーディションを通れば誰でも自分の書いたスケッチを自由に上演することができる。この公演で、アダムスは「他のフットライツのメンバーとは似ても似つかない、本当に気さくで親切な、ものすごくいい人」、(Gaiman, p. 10)サイモン・ジョーンズと出会い、彼の励ましで念願のフットライツ入りを果たした。
 しかし、せっかく入ったフットライツで、やはりアダムスのアイディアはなかなか受け入れられなかった。確かに、フットライツの卒業生たちはコメディの第一線で活躍している。だが、ティーンエイジャーのアダムスが「これぞフットライツ」と思いこんでいたもの、先に挙げた「ビヨンド・ザ・フリンジ」にしても、またジョン・クリーズが製作し、ロンドン・ウエストエンドで大成功を収めた「ケンブリッジ・レヴュー」にしても、フットライツで製作されたコメディそのものではない。フットライツの公演そのものは、守るべき規則や伝統に縛られていて、アダムスが思っていたほど自由な製作が認められる場所ではなかった。
 結局、アダムスはフットライツを飛び出し、ウィル・アダムスとマーティン・スミスと組んでゲリラ的レヴュー・グループ、「アダムス・スミス・アダムス」を結成する。ありがねをはたいて劇場を借り、なかなかの評判を得たところで、今度はフットライツのほうから1974年のフットライツの公演 Chox で作品を使いたいとの申し出が来て、アダムスらは快諾した。が、いざフタを開けてみると、彼らの脚本なのに実際にフットライツの舞台に立てたのはマーティン・スミスだけ、二人のアダムスは役を降ろされてしまった。この一件については、1999年のインタビューでも「未だに腹に立つ」とアダムスは言う。
 とは言え、この Chox こそが、アダムスにライターとしての初めての収入をもたらし、アダムスとグレアム・チャップマンを引き合わせるきっかけとなるのだから、何が幸いするか分からない。Chox は、フットライツの作品としても決して評判の高いものではなかったが、なぜかテレビ化され、大学を卒業したばかりのアダムスにスケッチの脚本料100ポンドが支払われたばかりか、フットライツ作品としては初めてウエストエンドで上演されることになり、観に来た多くのフットライツ卒業生の中に、テレビ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」を製作しつつも、そろそろ新しい活路を開きたいと思っていたグレアム・チャップマンの姿もあった。公演を観て、Chox の中でもとりわけアダムスが書いたスケッチを気に入ったチャップマンは、アダムスとの共同執筆を申し出る。プロのコメディ・ライターになるための人脈確保の場として、アダムスの思惑通りフットライツは見事に機能した訳だ。
 そして、大学を卒業してから2年後の1976年、アダムスはディレクターとしてフットライツに返り咲く。卒業生が大学のサークル活動で本格参加する、ときくと何だか奇妙な感じもするが、フットライツでは公演をアマチュアの域からプロフェッショナルなものに高めるため、卒業生をディレクターに迎え、2、3ヶ月の公演準備期間の週末にだけ来てもらい、指導を仰ぐというのはごく普通のことらしい。ただし、アダムスが招かれた時期に限っては、フットライツのクラブルームがあった場所が取り壊されてショッピングセンターになってしまったため、フットライツそのものの存続すら危ぶまれる状態にあった。おかげでアダムスは、ケンブリッジの町の一軒一軒を回って公演のチケット売りまでする羽目になる。アダムスいわく「ショウが終わる頃には、すっかりうちのめされて疲れ果てていたよ」(Gaiman, p. 16)。
 にもかかわらず、ようやく行われた公演 A Kick in the Stall の評判は芳しくなかった。しかも、その悪評の最たる理由がアダムスの「モンティ・パイソンかぶれ」にある、というのだから、アダムスにとっては余計に堪えたはずだ。「当時のケンブリッジのユーモアには、『空飛ぶモンティ・パイソン』の影響が色濃く残っていて、殊にそれは「アダムス・スミス・アダムス」の作品に顕著だった。」「(A Kick in the Stall で)ディレクターを務めたダグラス・アダムスは、小道具と場面転換を多用し、凝った構成の作品を創り出したが、『ケンブリッジ・イブニング・ニュース」はその成果を「壊滅的なまでにつまらないし、長すぎてうんざり』と評した」(Hewison, p. 172)。
 この失敗に懲りたフットライツのメンバーたちは、モンティ・パイソン系の笑いから足をひくことを決意する。テレビの『空飛ぶモンティ・パイソン』がいかにおもしろかろうとも、それはテレビならではの効果であって、直接的に舞台に移し替えることのできるものではない、と。
 2001年7月15日の日本経済新聞に、「コメディー支える名門大学クラブ」と題した記事が掲載された。それによると、2001年夏にフットライツは Far Too Happy というタイトルのコメディで好評を博し、ウエストエンドでも公演されたとのこと。さまざまな浮沈を経ながら、フットライツは現在も健在のようだ。
 なお、アダムスの先輩にあたるフットライツの卒業生には、グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズとエリック・アイドルといったモンティ・パイソンのメンバーの他、ミュージカル「キャッツ」の演出家としても有名なトレヴァー・ナンなど、またアダムスの後輩としは、スティーヴン・フライヒュー・ローリーの他、『ハワーズ・エンド』でアカデミー主演女優賞を、『いつか晴れた日に』で脚色賞を受賞したエマ・トンプソンなど、また『銀河ヒッチハイク・ガイド』の関係者では、ジョン・ロイドサイモン・ジョーンズジェフリー・マッギヴァーンなどの名前が挙げられる。。


forty-two  42

「きっと気に入らないと思いますよ」ディープ・ソートが言った。
「教えてくれ」
「よろしい」ディープ・ソートが言った。「生命と……」
「フム……!」
「宇宙と……」
「フム……!」
「万物についての究極の疑問の答は……」
「フム……!」
「答えは……」ディープ・ソートは言葉を切った。
「フム……!」
「答えは……」
「フムフム……!!」
「四十二です」感情を込めて言い、沈黙した。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、pp. 232-233)

 何故、42か。
 ルイス・キャロルの影響(キャロルはさまざまな作品に42という数字を忍ばせていることで有名)だとか、聖書を暗示している(15世紀中頃に初めて活版印刷本として出版されたいわゆるグーテンベルク聖書は、1ページ42行で組まれているため、別名「42行聖書」と呼ばれている)のだとか、さまざまに憶測されてはきたが、それらに対するアダムスの答えは一貫して「単なる偶然の一致」だった。
 1999年のBBCのインタビューの中で、アダムスは以下のように答えている。いわく、「生命と宇宙と万物についての究極の答」を決めるにあたって、とにかく数字にしよう、と考えた。数字は、答えとしてはっきりしていて、中立で、そのくせ何の意味もない。このジョークの要はあくまで「意味がない」ことだから、数字は数字でも、本当は別に何の意味もないのだが何だか意味ありげに思える数字、たとえば「3」とか「7」とか「13」といった思わせぶりな数字は外さなければならない。という訳で、まずは奇数は除外することにした。そして、偶数の中から何にしようかと考えた時に、以前ジョン・クリーズが製作していたビデオ・アーツ・シリーズに小道具係として参加していた時、製作仲間たちとおもしろい数字とは何か、という議論になったことがあって、最終的にその議論でクリーズが出した結論が確か「42」だったんじゃないかと思い出したのだ、と。
 アダムスのこのコメントに対して、グレアム・チャップマンの遺作集 Graham Crackers には、アダムスに最初に42という数字を提案したのはチャップマンだったという言及がなされている。チャップマン自身はビデオ・アーツ・シリーズの現場には立ち会っていないから、アダムスのコメントは間違いだ、というのだ。この件について質問されたジョン・クリーズもまた、1960年代にチャップマンと二人で執筆していた時に、一番おもしろい数字は42だとした、と認めている(Hitchhiker, p. 113)。クリーズが2014年に出版した自伝には、ケンブリッジ大学在学中にクリーズとチャップマンが一緒に書いたスケッチについて書かれているが、

重々しく説教を始めた司祭が、ロトの妻が塩の柱に変わったという聖書の文章を読みあげるうちに、これはなんとすごい事件だろうと急に気がついて、神の調味料の好みについていろいろ推測しはじめるというコントだったが、グレアムがこれを演じたときは大いに受けたものだった。とくに受けたのが最後のオチで、当惑したように長いこと口ごもっていた司祭が、最後にひとこと――「賛美歌四二番!(神の怒りが世界を焼き尽くすという歌)」。グレアムはのちに、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者ダグラス・アダムスと仕事をしているが、「生命、宇宙、その他もろもろ」の答えはこの説教がヒントになったのではないだろうか(『モンティ・パイソンができるまで』、pp. 224-225)。


 アダムスがどういう理由や経由で選んだにせよ、『銀河ヒッチハイク・ガイド』以降、42という数字が特別な意味を持つようになったことだけは間違いない。実際、2008年に出版されたピーター・J・ベントリー著『数の宇宙 ゼロ(0)から無限大(∞)まで』によると、2006年、あるウェブサイトが「1から100までの数字の中で、頭に浮かんだ数字を入力してください」と呼びかけたところ、「人気のあった順に、5、7、37、56、42だった。(略)通常よりかなりの高率で42という数が選ばれたのは、ダグラス・アダムスの小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響が表れていると言ってほぼまちがいない」(p. 185)という。1980年に結成されたイギリスのバンド、「レヴェル42」はあくまで「42」でなければならなかったし、英米のメディアで「究極の答」を引用した記事やエッセイを集めれば、恐らくは相当な数になるはずだ。ちなみに、検索サイトGoogle で"answer to life, the universe and everything" と入力すると、Google の電卓機能が働いて「42」という答えが表示される。
 また、スイス在住の友人の話によると、オーストリア版「クイズ・ミリオネア」で、以前「『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる、生命と宇宙と万物についての究極の答は?」という質問が出されたこともあったらしい。比較的難易度の低い質問という扱いだったが、解答者は正解を知らなかったため、会場の人たちに解答を訊く選択をしたところ、会場の人たちの正解は突出した数だったそうな。
 なお、アダムス本人の42歳の誕生日もまた特別なものとなった。1994年3月に自宅で開かれたパーティで、アダムスは友人のデイヴィッド・ギルモアから、同年10月に開催されるピンク・フロイドのコンサートでギターのソロ演奏をする許可証を受け取ったのだ。本番に向けて猛特訓した甲斐があって、本番ではまずまず上手く演奏できたらしい。


fudge  ファッジ

 この道を通るのはかれらが初めてではないようだった。大平原の左側に沿ってのびるその道はよく踏みならされているし、道ばたには点々と売店が立っていた。その一軒で、ふたりはファッジを買った。(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 260)

 フェンチャーチと共に、「神の最後のメッセージ」を探す旅に出たアーサーは、ついにメッセージが書かれた山のふもとまでたどり着くが、そこは既にチケット売り場でガードされた立派な観光名所と化していた。当然土産物屋もあり、二人はそこでファッジというお菓子を買う。
 ファッジとは、砂糖や牛乳やバターを混ぜて固めたお菓子で、味や食感はキャラメルに近い。土産用にきれいな箱に入れて売られるものもあるが、大きな塊を四角く切ってグラム売りされることもある。


Godspell 『神の言葉』

 See Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat (『ジョセフと素敵な総天然色の夢衣』)


Great Ape Project  大型類人猿プロジェクト

 チンパンジー、ゴリラ、オランウータンといった大型類人猿にも、人間と同等の道徳的権利を与えようとする運動。1993年にプロジェクト始動のきっかけとして出版された『大型類人猿の権利宣言』の中には、アダムスが書いた『最後の光景』の一部(pp. 59-60, pp. 73-78)が転載された。この本は、2003年に日本語に翻訳され昭和堂から出版されているので、ごく一部とは言え『最後の光景』を日本語で読むことができる。
 生前のアダムスは、ダイアン・フォッシー・ゴリラ基金の活動を熱心に支援していた。故に、彼がこのプロジェクトに賛同したとしても不思議ではないが、1990年にピーター・シンガーらがプロジェクトの計画を始めた当初から、態度を保留する学者たちの中でいち早くリチャード・ドーキンスが賛意を表明していた(『大型類人猿の権利宣言』、p. 294)ことを考えれば、ドーキンス経由でアダムスが名を連ねた可能性のほうが高いと思われる。勿論、ドーキンスの文章も『大型類人猿の権利宣言』に収録されているので、興味のある方は是非。
 1993年の発足当初、GAP(Great Ape Project)は各国ごとに組織されていたが、1997年以降は Great Ape Project International がアメリカに設置され、本部機能としての役割を果たしている。


Greenpeace  グリーンピース

 ダイレクトメールの山のなかには、捨てるわけにいかない郵便物も何通か混じっていた。ひとつは役所から送ってきた書類。三年も前の日付で、この家の取り壊しが予定されているという内容だった。そのほかに、この地域のバイパス建設計画全体を見なおすため、公聴会が予定されているという手紙。また、環境保護運動団体<グリーンピース>からの古い手紙もあった。彼はここにときどき寄付していたのだが、今度は人に飼われているイルカやシャチの解放計画に支援をお願いしたいというのだった。(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 72)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ4冊目の小説で、アーサーは「破壊されなかったもう一つの地球」の、破壊されなかったもう一つの自宅に帰ってくる。留守中に配達された手紙の中に、アーサーが時々寄付していた自然保護団体、グリーンピースからの募金協力願いもあった。
 アダムス自身もかつてグリーンピースに寄付したことがある。1984年10月、イギリスの起業家サー・クライブ・シンクレアがディナー・パーティの席上で、『さようなら、いままで魚をありがとう』の出版前の原稿(英米でこの本が発売されたのは同年11月)を購入したいとアダムスに申し出た。アダムスはコピーはその一部しかないからといったんは断ったが、アダムスの希望するところに1000ポンド分の小切手を寄付する、ということで話はまとまった。その時アダムスが指定した団体が、グリーンピースである。(Gaiman, p.122)


The Guardian  ガーディアン紙

「それで、クロスワードでもやろうと思って新聞を買って、駅のコーヒーショップでコーヒーを買った」
「クロスワードをやるの?」
「うん」
「どの?」
「たいていは『ガーディアン』だね」
「『ガーディアン』は受けを狙いすぎてると思うわ。私は『タイムズ』のほうが好き。それでできた?」
(『さようなら、いままで魚をありがとう』、pp. 142-143)

 上記の引用箇所から察すると、アーサーはガーディアン派、フェンチャーチはタイムズ派らしい。
 どちらもイギリスの日刊高級紙(quality paper)で、どちらかと言えばタイムズは保守派、ガーディアンはリベラル派になる。アダムスがどちらを読んでいるのかは不明だが、アーサー・デントというキャラクターが著者自身を多分に反映していることを考えれば、アダムスがガーディアン派である可能性は高い。
 なお、ガーディアン紙は『宇宙クリケット大戦争』の冒頭、アーサーとフォードが先史時代から現在に戻ってきた場面にも顔を出している。

 フォードが、テーブルごしに<ガーディアン紙>を投げてよこしながら、言った。
「故郷に帰ってきたんだ」アーサーが言った。
「そうだ」フォードが言った。「第一に」彼は新聞の欄外にある日付を指さして、「地球は二日後に破壊される」(p.36)


Highgate Cemetery  ハイゲート墓地

 ロンドン北部、ハムステッド・ヒースの東に位置する広大な墓地。ジョージ・エリオット、カール・マルクスといった著名人も眠るこの墓地に、2002年6月、アダムスの遺骨も埋葬された。
 ハイゲート墓地は東側と西側の二つに分かれており、アダムスの墓がある東側は入場料が2ポンド。ただしカメラを持ち込む場合はさらに1ポンド追加料金を払う。西側はツアー参加という形でのみ入場可能で、標準ツアー料金は3ポンド、やはりカメラを持ち込む場合は追加料金1ポンドがかかる。12月25日と26日以外は毎日開いているが、開場時間は季節により異なるので要注意。


Hotblack Desiato  ホットブラック・デザイアト

「ホットブラック・デザイアトか?」ザフォドがびっくりして言った。「知らないのか?“デザスター・エリア”のことを聞いたことがないのか?」
「ないわ」トリリアンが応じた。本当に知らなかったのだ。
「もっとも大きく……」フォードが言った。「もっとも大きな音をだし??」
「もっとも金持ちの……」ザフォドがつけ加える。
「ロックバンドさ……歴史上……」フォードは言葉を探した。
「歴史そのものだ」ザフォドが言った。(『宇宙の果てのレストラン』、pp.140-141

 宇宙一大きな音を出すロックスターの名前を決めあぐねていたアダムスは、窓の外の不動産屋の看板にその答えを見つけた。そしてその不動産屋に電話をして、名前の使用許可をもらったという。
 しかし、予想外に『銀河ヒッチハイク・ガイド』がヒットしたことで、逆にこの不動産屋に、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』からホットブラック・デザイアトの名前を勝手に借用したんだろう」という電話が何本もかかったらしい。アダムス曰く、これは「ひどく不公平だ」(Gaiman, p.162)。


How many roads must a man walk down?  人は何本の道を歩かなくてはならないか

「いいぞ、ばっちりだ! 深い意味がありそうでいて、しかもどうとでも解釈できる。人は何本の道を歩かなくてはならないか。やった、ばっちりだ、これならいける。いいぞ、フランキー、これで成功まちがいなしだ!」(安原訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 274)

 「生命と宇宙と万物についての究極の答」が「42」なら、「究極の問い」とは何か? それを計算するために作られたコンピュータ=地球が、計算を終える直前にヴォゴン人に破壊されてしまった。そのため、ベンジーとフランキーはもっともらしい「問い」をでっち上げることにする(映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、ベンジーとフランキーに脳みそを取り上げられそうになったアーサーが叫ぶ形になっているが)。
 ベンジーがとっさに思いついた「人は何本の道を歩かなくてはならないか」は、実はボブ・ディランの代表作「風に吹かれて("Blowin' in the wind")」の最初の1行目の歌詞にあたる。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man  

 片桐ユズル訳では、「どれだけ道をあるいたら/一人前の男としてみとめられるのか?」(『ボブ・ディラン全詩集』、p. 43)となっている。
 この曲は1962年に書かれ、1963年発売のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録された。同年、シングル・カットされている。この箇所を日本語訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んで「風に吹かれて」からの引用だと分かった人は少ないかもしれないが(勿論私は気付かなかった)、原書で読んだならピンと来る人は多いのではないか。ちなみに佐藤良明氏は、『英語青年』1982年9月号に発表した「対峙しない文学」の中で、この箇所を取り上げていた。  

意味を逃した言葉の空威張りが、意味を通してしまいそうになるナンセンス。"How many roads" と茶化しても、ディランもあの時代のことも呼び入れない(p.350)。

 まさに、「分かる人は分かる」の好例であろう。


How to clone the Perfect Blonde  『ブロンド美女の作り方』

 2003年に出版されたスー・ホルソンとリチャード・ホリンガムによる共著。序文で謳っている通り、クローン人間やタイムマシンといった8つのテーマについて「科学の最先端をわかりやすく、読みやすく解説したベストセラーねらいの本」で、著者は二人ともイギリスの科学ジャーナリストである。内容が内容だけに、『スター・トレック』を筆頭にさまざまなSF作品が取り上げられていて、『銀河ヒッチハイク・ガイド』もその一つ。この1冊の中に、計4回も登場する。

 このハイテクメガネに記憶装置まで積み込もうというのが、MITメディア研究所の最新プロジェクトだ。(略)開発のポイントは、メガネが「状況把握」をして、必要なときに必要な情報を選んで出すようにすることだ。そうしないと、交通量の多い道路を渡るときや、就職の面接中に、サッカーのスコアが流れてきて大変なことになる。これと似たアイデアは、ダグラス・アダムスの小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』で使われている。主人公のひとりがかけている「危険察知サングラス」は、危険が迫ると視界を真っ暗にするのだ――これなら、恐ろしい事態を目の当たりにしないですむ。(p. 205)
 
ホワイトは「健康体」のサルに別のサルの脳を移植し、数日間生かすことができたと説明した。(略)ホワイトは、この実験によって、人間の臓器移植が新しい段階を迎えると主張する。(略)
 しかし、他人の胴体で歩き回るとなると、倫理的に難しい問題が山ほど出てくる。(略)
 もちろん、どうしてもというのであれば、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のゼイフォード・ビーブルブロックスのように、頭をもうひとつ取り付けてもかまわない。ちょっと重いけれど、話し相手には事欠かないだろう。(pp. 211-212)
 
たとえばイギリスでは、人体冷凍保存は医療処置と認められていないので、遺産税を払う義務がある(財産がある人の話だが)。『銀河ヒッチハイク・ガイド』には、税金対策として一年間死んで過ごす男が出てくるが、実際には節税対策として認められていないのであしからず。(p. 270)

フィクションの世界では、不死は忌むべきものとして描かれることが多い。『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、永遠の生命をもつ宇宙人が、退屈しのぎに宇宙をめぐって、あらゆる生物を侮辱してまわる。(p. 290)


Hypeland  ハイバーランド

 アダムスが企画したテレビ番組(49分)。1989年末頃から製作が始まり、1990年9月20日にBBCで放送された。未来の通信テクノロジーに関するドキュメンタリーで、今となって番組の内容を振り返ってみると、インターネットの現在について当たっているところもあれば外れているところもあるようだ。トム・ベイカーが「ソフトウェア・エージェント」という役柄で番組のホストを務め、アダムスも本人役で出演している。テレビの前で居眠りをしたアダムスが未来のテクノロジーを垣間見るという設定になっているらしい。
 プロデューサーのマックス・ウィットビー(CD-ROM版『最後の光景』も彼のプロデュースしている)いわく、アダムスが脚本を書いたことになっているけれど、実際の執筆はウィットビーとの長時間に亘るセッションという形で進められ、そのセッションの間はずっとウィットビーがアダムスが付きっきりだったとか。そして、アダムスはアダムスで、気分転換のためにギターをいじったりすることは禁じられていたという(Hitchhiker, p. 263)。
 残念ながら、この番組は一度放送されたきりでビデオ等にはなっていない。が、番組の一部が Douglas Adams at the BBC に収録されているので、聴くことはできる。


'I really wish I'd listened to what my mother told me....'  「子供のころ、かあさんが教えてくれたことを...」

「ペテルギウス人といっしょにヴォゴン人の宇宙船のエアロックに閉じこめられ、まもなく宇宙空間で窒息死しようとしているこんなとき−−子供のころ、かあさんが教えてくれたことをもっとよく聞いておけばよかったとつくづく思うよ」
「で、おかあさんは何と?」
「わからない。聞いておかなかったんだもの」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』p.99)

 このジョークは、そもそもアダムスが大学時代にフットライツのショーのために書いたものだが、当時はボツになり、それから何年も経ってようやく陽の目をみることになった。その理由についてジェフリー・パーキンスいわく、「それは恐らく、人が宇宙船から放り出されるというシーンで使われなかったせいだろう」(original radio scripts, p.51)
 それからさらに20年が経過した後のこと。BBCラジオ4のインタビューの中で、アダムスに娘が生まれた時の話になり、アダムスが「自分の子供ができるまでは人が何を言っていても馬耳東風で、そしていざ自分の子供が生まれてみて初めて、自分に何の準備もないことに気がついた。こんな大変なことなのに、どうしてみんな今まで話してくれなかったんだ、って思ったけれど、勿論みんな話してくれていたさ、ただ自分がこれまで聞く耳を持たなかっただけだ」とか何とか話したのを受けて、インタビュアーがすかさず 'I really wish I'd listened to what my mother told me....' と返すと、アダムスは 'yes, exactly'と笑った。


The Infinite Improbability Drive  無限不可能性駆動装置

星と星のあいだに広がる魂も凍るような広大な宇宙空間を航行するのに必要な無限不可能性フィールドを発生させる機械をつくろうと、何度も何度も試みられてきたのだが、そのたびごとに例外なく失敗したからである。結局、そうした機械は究極的に不可能なのだ、と科学者たちは不機嫌な口調で言明した。
 ところがある日、例によって失敗した研究者たちが帰宅したあと、掃除に残されたひとりの学生がこんなふうに考えた――
 もし、この機械が究極的に不可能なら、論理的に言って、そのことこそ無限不可能性をあらわしているにちがいない。だから、その機械をつくるためにしなくちゃならんことは、それがどれほどありえぬことか正確に計算し、その数値を有限不可能性発生機に送りこみ、熱い紅茶を一杯いれればいいだけだ??スイッチを入れてみよう! (『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 113)

 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本は、決して完成されたプロットに基づいて書かれたものではなかった。それどころか一話一話が手探り状態、まさに「一行先は闇」といった状態だったため、「アーサーとフォードが宇宙服を着ないでヴォゴン人の宇宙船のエアロックから放り出されたらおもしろいだろうな」と軽い気持ちで第2話放送分を書き終えたまではよかったが、いかにして二人をこの窮地から救い出す方法を考えるのも自分である、ということにアダムスが気付いた時には手遅れだった。
 すっかり行き詰まったアダムスを窮地から救い出したのは、その時たまたまテレビで見た柔道の試合だったという。「番組の解説者が言うに、たとえば約250ポンドのパジャマ(柔道着のことか?)を着た日本人があなたをのしてしまおうとかかってきた、というような難題に直面した場合、それを解く手品があります。彼があなたを放り投げようとした時、その日本人をつまずかせるなり投げるなり向きをそらすなりしてみてください。そうすれば彼の250ポンドの体重はたちまちあなたにではなく彼にとって不利なものとなるのです。
 なるほど、と僕は考えた。僕の問題が「不可能」ということなら、その「不可能」そこが問題を解く鍵になる。」 (original radio script, p. 51)


Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat  『ジョセフと素敵な総天然色の夢衣』

ヴォゴン人の宇宙船が頭上高くを飛びすぎる瞬間、彼は鞄を開けた。『ジョセフと素敵な総天然色の夢衣』の台本を投げ捨て、『神の言葉』という台本も投げ捨てた。これから行くところでは、こんなものは必要ない。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』 p.45)

 フォードが役者を装って鞄に入れていたとされる、Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat とは、アンドリュー・ロイド・ウェバーが作曲、ティム・ライスが作詞したミュージカルである(ということは、フォードは歌って踊れる役者だった?)。
 この作品は、1968年にロイド・ウェバーとティム・ライスが学生用の短いミュージカルのようなものを学校長に頼まれて書いたのがはじまりで、最初はわずか15分かそこらの長さでしかなかったらしい。好評により再演を重ねるうち、少しずつ楽曲が増え、最終リライト版を1991年6月12日にロンドンのパラディウムという劇場で公演したときには2年にわたるロングランとなった。
 ロイド・ウェバーとティム・ライスの共同作にしては比較的知名度の低い作品ではあるが、この再演の成功で以前よりは知られるようになったと思う。ただ、物語の元は旧約聖書なので、Joseph は「ジョセフ」ではなく「ヨセフ」と訳したほうが適当かもしれない。1991年版のCDが日本で発売された時の日本語の題も、「ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート」だった。
 また、フォードが持っていたもう一冊の台本 Godspell も、やはり聖書を題材としたミュージカルだが、こちらは新訳聖書の「マタイ福音書」を基にキリストの半生を描いたオフブロードウェイ作品で、作曲・作詞はスティーブン・シュワルツ。初演は1971年で、1973年に映画化された。近年もイギリスやアメリカで再演され、日本でも2001年12月4日から16日まで東京・銀座の「ル テアトル銀座(旧セゾン劇場)」にて上演される。ただし、残念ながら邦題は映画も舞台も『神の言葉』ではなく、『ゴッドスペル』である。


Journey Of The Sorcerer 魔術師の旅

 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のオープニングで流れるギターのインストルメンタルは、イーグルスの4枚目のアルバム『呪われた夜』(One Of These Nights)の4曲目、「魔術師の旅」('Journey Of The Sorcerer')をアレンジして演奏したものである。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の基調となる音楽を選ぶにあたって、アダムスは何故かバンジョーの音色が入っているものにこだわって選曲したらしい。アダムスいわく、バンジョーには路上の、ヒッチハイカーっぽい感じがするから、だとか(original radio script, p. 32)。
 以降、すっかり『銀河ヒッチハイク・ガイド』のテーマ曲として根付いてしまった感があるが、映画でもジョビィ・タルボット編曲で印象的に使用されている。


Julie & Julia 『ジュリー&ジュリア』

 2009年に製作された、ノーラ・エフロン監督・脚本によるアメリカ映画。約50年前にフランス料理をアメリカに広く紹介したジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)と、ジュリア・チャイルドが書いた有名なレシピ本の料理524皿を1年で全部再現するという企画を立ち上げ、それをブログに書いて注目を集めたジュリー・パウエル(エイミー・アダムス)、この二人の女性の人生が並行して描かれている。
 この映画の中で、自分が設けたブログの締め切りに追われてヤケを起こしたジュリーに対し、夫のエリック・パウエル(クリス・メッシーナ)がダグラス・アダムスの締め切りに関する有名な言葉を持ち出して慰める場面がある。"I love deadlines. I especially like the whooshing sound they make as they go flying by"――丁寧に、これが「『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者ダグラス・アダムス」からの引用だという説明も付けて。映画に付けられた日本語字幕とは異なるが、垂水雄二訳では「私は締め切りが好きだ。締め切りが通り過ぎていくときにたてるヒューヒューという音が好きだ」(ドーキンス『悪魔に仕える牧師』、p. 290)となっている。


L'Anomalie 『異常【アノマリー】』

 2020年のゴンクール賞を受賞した小説。フランス国内だけで110万部を超える、ゴンクール賞受賞作としては異例のベストセラーになった本作の中で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が印象的に登場する。
 この小説では、考えられるありとあらゆるトラブルに対処できる意思決定システムの構築をアメリカの国防総省から依頼(正確には依頼された大学教授から業務を丸投げ)された、若き確率論研究者のエイドリアン・ミラーとティナ・ワンの二人が、「究極の“検討された状況にあてはまらないケース”に対する最終プロトコルを付加」する。「加えて、エイドリアン・ミラーがダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大ファンで、そのなかで提示されている“生命、宇宙、その他もろもろについての大いなる疑問”に魅了されており、その疑問について史上二番目に大きいコンピューター〈ディープ・ソート〉が七百五十万年にわたる計算の末に“42”という解答を導き出していたことにちなみ、その最終プロトコルに“42”の番号を割り振る」(p. 125)。そして、エイドリアン自身、起こるはずがないと思っていた「異常」事態が実際に起こり、「プロトコル42」は本当に、大真面目に発動されることになる。
 著者のエルヴェ・ル・テリエは、1957年、パリ生まれ。国際的な文学グループ〈潜在的文学工房(ウリポ)〉のメンバー(2019年に四代目会長に就任)として作家活動を行うのみならず、数学者、言語学者の顔も持っている。


Level 42 レヴェル42

 1980年代を中心に活躍したイギリスのバンド。バンド名は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる「生命と宇宙と万物についての究極の答」に由来している。2001年5月11日にアダムスが死去した際には、翌日2001年5月12日付でバンドの公式ホームページに訃報が掲載された。
 ジャズ・ファンク・バンドとして、1980年の結成当初はインストルメンタル曲を発表していたが、ベースのマーク・キングがヴォーカルも担当する形で歌もレコーディングされるようになる。1980年半ば頃からはポップス色が強くなり、「コンテンポラリー・ポップ・バンド」と形容されることも。1994年に解散したが、2002年に再結成している。
 レヴェル42の主なアルバムは以下の通り。

Level 42, 1981 『アーバン・ファッシネーション』
The Early Tapes July-August 1980, 1982 『ナイト・ロマンス』
The Pursuit Of Accidents, 1982 『ザ・パーシュート・オブ・アクシデンツ』
Standing In The Light, 1983 『サン・ゴーズ・ダウン』
True Colours, 1984 『トゥルー・カラーズ』
A Physical Presence, 1985 『フィジカル・プレゼンス』
World Machine, 1985 『ワールド・マシーン』
Running In The Family, 1987 『ラニング・イン・ザ・ファミリー』
Staring At The Sun, 1988 『ステアリング・アット・ザ・ザン』
Level Best, 1989 『レヴェル・ベスト』 ベスト・アルバム
Guaranteed, 1991 『ギャランティード』
Forever Now, 1994 『フォーエヴァー・ナウ』


'Life, don't talk to me about life'  「わたしの前で生命のことは言わないでください」

「そうよ、マーヴィン」トリリアンは快活に言った。「だいじょうぶだわ??こんなこと、生きていればよくあることだわ」
「生きてる!」マーヴィンが言った。「わたしの前で生命のことは言わないでください」 (『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 120)

 鬱病ロボットマーヴィンの有名な台詞は、実はアダムスのオリジナルではない。アダムスの友人のコメディ作家ジョン・カンターが、1972年のフットライツのショーのオープニングのために書いた台詞を、アダムスが借用したのだとか。(original radio script, p. 51)
 アダムスとカンターは、ケンブリッジ大学在学中はあまり親しくなかったが、卒業後、フラットを共有する仲となった(詳しくはこちらへ)。アダムスが小説『宇宙の果てのレストラン』の執筆を開始した当時も、二人はフラットを共有していたが、アダムスの執筆が例によって遅れに遅れたため、業を煮やした担当編集者の発案でアダムスは別のホテルにカンヅメにされてしまったが。(Gaiman, p. 88-89)


Lord's Cricket Ground  ロード・クリケット場

「ちょっと待ってくれ」彼はフォードに言った。「ぼくが子供のころ……」
「昔話はあとにしてくれ」
「クリケットが大好きだった。でも、そんなにうまくはなかった」
「あるいは、まったく止めてくれるとありがたい」
「でも、ばかげていると言わば言え。いつの日か、ロード・クリケット場で球を投げるのを夢みていたんだ」(『宇宙クリケット大戦争』、p.268)

 アーサーもあこがれのロード・クリケット場は、Lord'sと短縮して呼ばれることが多い。実際、アーサーの台詞「いつの日か、ロード・クリケット場で球を投げるのを夢みていたんだ」の原文は'And I always dreamed, rather stupidly, that one day I would bawl at Lord's.' (p.148) である。なお、発音は「ローズ」。「ロード」ではない。
 ロンドン北部、リージェント・パークのそばに位置し、最寄り駅はメリルボーン。プロのクリケットチーム、メリルボーン・クリケット・クラブ(Marylebone Cricket Club, the MCC)のホームグラウンドでもある。たかが一クラブの本拠地と思うなかれ、ここは1969年までクリケットの運営機関でもあった(現在はクリケット協議会という別の組織が担当しているらしい)という、まさにクリケットの聖地なのだ。
 なお、Lord's という名前は、1814年メリルボーン・クリケット・クラブのためにこのグラウンドを購入した、トーマス・ロード(Thomas Lord)に由来している。


LOST  『LOST』

  アメリカで2004年から2010年にかけて放送されたテレビドラマ・シリーズ。飛行機の墜落事故で南の島に取り残された者たちの過去を順に描きつつ、同時に島で次々と起こる謎めいた出来事を描いて日本でもヒットしたが、脚本家のデビッド・フューリーいわく、このドラマに登場する謎の数字、「4 8 15 16 23 42」で最後の数字が「42」なのは『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュなのだという。このドラマのファンダム「Lostpedia」のインタビュー記事の中で、「私は最後の数字を「42」にしようと考えた。(プロデューサーの)デイモン・リンデロフも同じ考えだったので、話は決まった」と語っている。


Lucifer  『LUCIFER/ルシファー』

 2016年から始まったテレビドラマ・シリーズ。悪魔のルシファーは、地獄を支配する仕事にうんざりし、目下のところ地球で休暇を過ごしている。ロサンゼルスでナイトクラブを経営しながら遊び暮らしていたところ、ひょんなことからロサンゼルス警察の民間顧問として殺人事件の捜査を手伝うことになった――という設定のミステリー(?)だが、このドラマの第2シリーズ第17話「刑事と女神の潜入捜査(Sympathy for the Goddess)」において、ダグラス・アダムスの名前が登場する。
 ストーリーの中で、とある謎のアイテムの正体が「本」だと判明した。が、貴重なアイテムが本であるはずがない、冗談のつもりかと言われたルシファーは、こう反論する。「だったら、もっと面白い本を選ぶ。ダグラス・アダムスとか、フロイトとか(”Well, if it were, I would have chosen something funnier, like Douglas Adams or Freud”)」。残念ながら、日本語字幕では「だったら/もっと面白い本を選ぶよ」だけで、ダグラス・アダムスの名前は出てこない。
 ロサンゼルスでナイトクラブを経営している悪魔、という設定は、ニール・ゲイマンのグラフィック・ノベル『サンドマン』(1989年)に端を発する。2000年から、『サンドマン』のスピンオフとしてルシファーが主人公のコミックス Lucifer のシリーズも刊行されている(全75巻)が、このコミックスにダグラス・アダムスの名前が出てくるのかは不明。


Marks & Spencer  マークス・アンド・スペンサー

 フォードの革鞄には、その下に何本かのペンと一冊のメモ帳、それにマークス&スペンサーの大きなバスタオルが入っていた。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 36)

フェンチャーチは、身を守るものと言ったら<マークス・アンド・スペンサー>百貨店の小さな布切れしか身につけていなかったが、なにしろ重力すらふたりには手出しできないくらいだから、寒いのも空気が薄いのもまるで気にならなかった。(『さようなら、いままで魚をありがとう』、pp. 190-191)

 フォードフェンチャーチもご愛用のマークス・アンド・スペンサーは、1884年設立の老舗スーパーである。高品質な衣料品・食料品をリーズナブルな価格で取り扱うことで知られる。自社ブランド「セント・マイケル」の製品も多く、タオルも勿論その一つだが、かのリッチ・ティー・ビスケットも「セント・マイケル」印のものが製造されたことがあった(今も製造しているかどうかは不明)。
 なお、アダムスのおすすめはマークス・アンド・スペンサー製の紅茶である。


Mastermind  マスターマインド

 1972年から放送の始まったBBCの長寿クイズ番組。解答者は、一般常識問題と、それぞれ自分が得意とする専門分野から出題された問題の両方を答えて、正解の多かったほうが勝ち抜けというシステムになっている。2004年11月に放送された回では、解答者は自分の専門分野に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を挙げて挑戦し、僅差で相手に敗れる結果に終わった。
 その時に出題された、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する問題と正解は以下の通り(安原和見訳による)。

Q1:フィヨルドの海岸線を設計し、ノルウェイのデザインで賞を受賞したマグラシアの技術者は誰でしょう? 答え

Q2:ラジオ・ドラマではスティーヴン・ムーアが声を担当した、ゼイフォード・ビーブルブロックスの個人的なカウンセラーの名前は何ですか? 答え

Q3:『さようなら、いままで魚をありがとう』で、ボーイング747の窓からアーサーとフェンチャーチが裸で飛んでいるのを目撃したボストンの女性は誰でしょう? 答え

Q4:『宇宙クリケット大戦争』に出てくる、小熊座アルファ星娯楽人工幻覚協会賞の受賞式で授与されるものは何ですか? 答え

Q5:エイリアンのロボットがローズ・クリケット競技場を襲撃する直前に、フォード・プリーフェクトが冒頭の一節だけを繰り返し歌っていた、ノエル・カワードの歌は何ですか? 答え

Q6:<黄金の心>号の設計に携わった、超知性を備えた青い色の名前は何でしょう? 答え

Q7:ラジオ・ドラマ第2シリーズで、リンチラとそのクローンを演じた役者は誰でしょう? 答え

Q8:ダグラス・アダムスはラジオ・ドラマの締切に追われた際、ジョン・ロイドが手助けに入りました。最初に脚本を共同執筆したのは、第何話だったでしょう? 答え

Q9:ラジオ・ドラマでは、アーサーのたった一人の兄弟はどのようにして不運な死を遂げたでしょう? 答え

Q10:『ほとんど無害』で、冥王星の軌道の外側で発見され、どこかの天文学者が飼っていたオウムにちなんでルパートというあだ名がつけられた第十惑星の名前は何でしょう? 答え

Q11:『さようなら、いままで魚をありがとう』で、銀河系中部統計調査報告のデータによると、銀河系の人間の脚は平均して二・四本で、かつ一体何を飼っているとされているでしょう? 答え

Q12:1971年に、ダグラス・アダムスが野原に酔っぱらって寝転がって『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアイディアを思い付いたという、オーストリアの都市はどこでしょう? 答え

Q13:ゴルガフリンチャムの美容師や電話消毒係や経営コンサルタントたちが開催した、第五百七十三回入植委員会の場所はどこでしょう? 答え

Q14:マジクサイズとヴルームフォンドルが着ていた、粗末な色あせた青いローブとベルトはどこの大学のものでしょう? 答え


<答え>

A1:スラーティバートファースト(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 257)

A2:ギャグ・ハルフルント(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 113)

A3:ミセス・E・ケイブルスン(p. 193)

A4:ローリー(p. 221)

A5:「彼氏に首ったけ」(『宇宙クリケット大戦争』、p. 51)

A6:フルヴー(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 54)

A7:ルーラ・レンスカ

A8:第5話

A9:オカピに囓られた

A10:ペルセポネ(p. 32)

A11:ハイエナ(p. 8)

A12:インスブルック

A13:フィントルウードルウィックス(『宇宙の果てのレストラン』、p. 306)

A14:クラックスワン大学(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 229)


Memorial Lecture  記念講演

 アダムスの死後、2003年から「ダグラス・アダムス記念講演」がロンドンの王立協会(the Royal Institution)で開催されている。この講演会は年に一度、アダムスの誕生日の3月11日に開かれ、その収益はアダムスが生前支援していたダイアン・フォッシー・ゴリラ基金(Dian Fossey Gorilla Fund)とサイ国際保護団体(Save the Rhino International)に寄付される。2005年は既に会場が予約されていたため3月10日になり、2006年には日程のみならず場所も変更となり、王立地理学協会(Royal Geographical Society)で開催された。2008年3月12日に開催される第6回の講演会も王立地理学協会で行われたが、今回はラジオ・ドラマ30周年を記念して、サイモン・ジョーンズらのオリジナル・キャストらによる朗読会という企画もあった。
 これまでの講演者は以下の通り。

 第1回 2003年3月11日 リチャード・ドーキンス
              "Queerer than we can suppose: the strangeness of science"
 第2回 2004年3月11日 ロバート・スワン
              "Mission Antarctica"
 第3回 2005年3月10日 マーク・カーワディン
              "Last Chance to See… Just a bit more"
 第4回 2006年3月23日 ロバート・ウィンストン
              "Is the Human an Endangered Species?"
 第5回 2007年3月15日 リチャード・リーキー
              "Wildlife Management in East Africa − Is there a future?"
 第6回 2008年3月12日 スティーブン・ピンカー
              "The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature"
 第7回 2009年3月11日 ベネディクト・アレン
              "Unbreakable"
 第8回 2010年3月11日 マーカス・デュ・ソートイ
              "42 - The answer to life, the universe and prime numbers"
 第9回 2011年3月10日 ブライアン・コックス
              "The Universe and Why We Should Explore It"
 第10回 2012年3月11日 ダグラス・アダムス生誕60年記念パーティ
 第11回 2013年3月12日 アダム・ラザフォード
              "Creation: the origin and the future of life"
 第12回 2014年3月11日 ロジャー・ハイフィールドサイモン・シン
              "The Science of Harry Potter and the Mathematics of The Simpsons"
 第13回 2015年3月3日 ニール・ゲイマン
              "Immortality and Douglas Adams" 
               この講演はウェブ上で公開されている。YouTubeのリンク先はこちら
 第14回 2016年3月10日 アリス・ロバーツ
              "Survivors of the Ice Age"
 第15回 2021年3月11日 スーザン・グリーンフィールド  
              "The Creative Mind: Insights from Neuroscience"
              新型コロナウイルス感染予防のため、オンライン開催された。詳しくはこちらへ。
 第16回 2022年5月26日 E・J・ミルナー=ガランド  
              "Finding optimism in a time of biodiversity crisis"
              新型コロナウイルス感染予防のため、オンラインでも開催された。詳しくはこちらへ。
 第16回 2023年5月18日 ジム・アル=カリーリジョン・ロイド                
              新型コロナウイルス感染予防のため、オンラインでも開催された。詳しくはこちらへ。


mice  はつかねずみ

「地球人よ、おぬしの住んでいた星は、はつかねずみが注文し、ねずみが代金を払い、ねずみが運営していたのじゃ。地球は、それが作られた目的を達成する五分前に破壊された。そこで、もうひとつ作らねばならなくなったのじゃ」
 アーサーの心は、たったひとつの言葉しか覚えていなかった。
「はつかねずみ?」 (『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 212)

 アダムスが書いたラジオ・ドラマの最初の脚本では、ねずみはねずみでもはつかねずみではなく、アレチネズミ(gerbil)という設定だった。この耳慣れない種類のねずみが取り上げられたのは、アダムスの昔のガールフレンドが飼っていたというだけの理由であり、ジェフリー・パーキンスの説得により普通のはつかねずみに変更された。(Gaiman, p.32)
 たとえ普通のはつかねずみにせよ、ラジオ・ドラマで「ねずみが喋る声」を合成するのはかなり大変だったらしい。最初は、俳優が普通に話したものを調音機でねずみっぽいキーキー声に変えようとしたところ、その結果出来上がったものはあまりに機械っぽくかつ聞き取りにくいものになってしまった。時間上の制約もあり第一回目の放送ではそのまま使用したものの、それ以降の放送分に関しては直ちに再挑戦して今度はこの難問を解決したという。まず、俳優たちに台詞を通常の半分のスピードで、かつ正しい抑揚で平坦に読ませて録音し、今度はそれを倍の速度で早回しして調整したのだ。パーキンスいわく、「あらゆる点でよくなった」。
 この変化にちゃんと気付いた、初回放送時からの熱心なリスナーたちはBBCに手紙を送った。中には「前の声のほうが良かった」と書いて寄越したものもあったとか。(original radio script, p. 88)


Milliways  ミリウェイズ

 宇宙の果てのレストラン、<ミリウェイズ>という名前は、単に天の川を意味する英語、'Milky Way' を縮めただけである。
 宇宙の果てのレストランというアイディア自体については、アダムスはプロコル・ハルムというイギリスのロック・バンドの曲「グランド・ホテル」から想を得たという。そこで、ラジオ・ドラマでミリウェイズが舞台となっている場面ではこの曲をずっと流してほしいとジェフリー・パーキンスに頼んだが、その場面は全部で20分もあるのに曲は3分ほどの長さしかなく、おまけにアダムスは「グランド・ホテル」とミリウェイズに一体どういう関係があるのかについて筋の通った説明をすることができなかったため、却下された。
 もっとも、ラジオ・ドラマ製作時から20年近くが過ぎた1996年2月9日、プロコル・ハルムのコンサート会場でバンド紹介に立ったアダムスは、「グランド・ホテル」とミリウェイズの関係について比較的筋の通った説明をしている。「私はものを書く時には割といつもBGMをかけますが、この時レコード・プレイヤーに乗っていたのは「グランド・ホテル」でした。この曲について私は常々興味深く思っていまして、それと言うのもキース・リードの歌詞はある美しいホテルのこと、銀器だとかシャンデリアだとかそういったもののことばかり語っているのに、突然曲の途中で何の脈絡もなくどこからともなくふってわいたような大音響のオーケストラのクライマックスがやってくるのです。このバックグラウンドの巨大な音は、一体何ごとなのでしょうか? そのうち、私はこう考えるようになりました。「まるでフロア・ショーか何かが始まったようなものじゃないか。何か巨大で、とてつもなくて、そう、ちょうど、宇宙の終わりみたいな」。こうして、「グランド・ホテル」から「宇宙の果てのレストラン」というアイディアは生まれたのです。」(The Salmon of Doubt, pp. 25-26)。
 また、テレビ・ドラマに出てくるミリウェイズのセットは、当時のBBCでは最大級のものだった。だが、あまりにも大きすぎてBBC最大のスタジオにも搬入できず、結局一部がカットされたとのこと。もっともプロデューサーのアラン・J・W・ベルに言わせれば、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、観ている人の想像力に任せることにして、たとえどんなに大きなセットがあっても、セット全体を決してワンショットで撮影したりしなかった。セットの一部だけを見せられると、人は実際のセットよりももっと大きいものを頭に浮かべる。セットの端なんぞ絶対に見ることはない」(Gaiman, pp. 82-83)
 なお、〈ミリウェイズ〉のキャッチフレーズについてはこちらへ


music  ミュージック

 「ダグラス・アダムスと音楽」参照


On SF 『SFの気恥ずかしさ』

 2005年に出版された、トマス・M・ディッシュのSF評論集。雑誌〈トワイライト・ゾーン〉1983年4月号に掲載され、この本に収録された書評エッセイ「王とその手下たち――〈トワイライト・ゾーン〉書評担当者の意見」の中で、ディッシュは、彼が書評を担当した過去2年間を「熱意がなく、紋切り型で、劣悪だった」とこき下ろす。その上で、ベストセラーリストの一位になったひどい本の代表例の一つとして「ダグラス・アダムスの歯のない奇想の新しい寄せ集め」(p. 136)と書いているが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ全体を指しているのか、シリーズ3作目『宇宙クリケット大戦争』だけを指しているのかは不明。
 著者トマス・M・ディッシュは、1946年アイオワ州デモイン生まれ。評論だけでなく、自身もSFやホラーといったジャンル小説に加え、詩や戯曲も手掛けていた。うつ病を患った末、2008年にニューヨークにて自死。享年68歳。


The Origins of Virtue 『徳の起源』

 イギリスの科学ジャーナリスト、マット・リドレー(1958.7.20-)が、1996年に発表した本。人間の社会における利他的行動を、生物進化学や社会学、経済学といったさまざまな観点から考察している。

 わたしは人間の社会的本能に関するあいまいでおぼろげな理解が簡単に政治哲学に翻訳できると考えるほど浅はかではない。(略)それでもなお、本書で探求してきたように人間の本性を新たに「遺伝子功利主義」的に理解することによって、あやまちを避けるためのいくつかのシンプルな教訓が導きだせる。人間は、公益を高めようとする本能と、自己利益を高め反社会的行動に走ろうとする本能をあわせ持つ。われわれは前者の本能を奨励し、後者の本能を抑えるように社会をデザインしなければならないのである(pp. 349-350)。
 
信頼関係を築きあげることが可能な小規模集団における、自由な個人どうしの、物品や情報、財産、そして権力の自発的交換を基盤とした社会。わたしはそのような社会のほうが、官僚的国家主権主義に成り立つ社会よりも、より公平で繁栄した社会になりうると信じている(p. 355)。

 東日本大震災直後の日本の一般市民の行動と、その後の日本政府および東京電力の対応とを考えると、私にはマット・リドレーの言葉がより説得力を持って迫ってくるように思えてならない。

 われわれはその手のなかに、完璧に調和のとれた道徳的社会をつくりだすことはできなくとも、現在よりもましな社会をつくりだす本能を持っているのだ。われわれはこの本能をひきだすために直感を磨かなくてはならない。これは主に同等な者どうしの取引を奨励することを意味する。(略)なぜなら、それが信頼のもとであり、そして信頼こそが美徳をつくりあげるものだからである(p. 357)。

 アダムスはこの本を気に入っていて、友人知人に薦めていた。公式伝記によると、著者のニック・ウェブもその中の一人で、アダムスに1冊買ってもらったのだとか(p. 39)。


Out of the Trees 『アウト・オブ・ザ・ツリー』

 アダムスがグレアム・チャップマンと共同製作したテレビのコメディ番組。1975年10月に収録され、1976年1月10日にBBC2の深夜枠で放送されたがほとんど話題にならず、続編の製作が見送られたばかりか、BBCのアーカイヴに保存されることすらなく当時のビデオテープは消去されてしまった。ただし、後にチャップマンが番組のテープを個人的に保有していたことが分かり、2006年にロンドンのナショナル・フィルム・シアターで "Missing Believed Wiped" というイベントが行われた際に上映されたらしい。
 脚本を執筆したのは、アダムス、チャップマン、それにバーナード・マッケンナの3人。内容は『空飛ぶモンティ・パイソン』もどきに終始しており、たいしておもしろくなかったようだ。アダムス自身は、1999年のインタビューの中で 'semi-funny' と振り返っている。ただし、この番組に登場したジンギス・カンのスケッチは、1986年にアダムスは短編小説 The Private Life of Genghis Khan" として再利用された。
 出演は、チャップマンの他に、サイモン・ジョーンズやマーク・ウィング・デイヴィなど、後にラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出演することになるフットライツ出身者たちの姿もある。音楽は、モンティ・パイソンとゆかりの深いニール・イネスが担当した。


Pan Galactic Gargle Blaster  汎銀河ウガイ薬バクダン

『銀河ヒッチハイク・ガイド』にももちろんアルコールの記述があります。それによると、いま最高の飲み物といったら、?汎銀河ウガイ薬バクダン?なんです。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.29)

 ジェフリー・パーキンスいわく、「たくさんの人が汎銀河ウガイ薬バクダンのレシピに関心を持っている。実のところ、地球の大気の状態では汎銀河ウガイ薬バクダンを調合することは不可能なんだが、でもこの本(original radio scripts)の売り上げで、将来スペースシャトルのチケットを買い、低軌道下でも調合できるかどうか試してみるつもりなので、読者のみなさんはお喜びください。(と言っても、これは実際には完全にナンセンスですね。というのも、本の収益は全額すでに豪勢な昼食代に消えてしまいましたから)」(p.32)
 とは言え、実はかつてこの地球上で汎銀河ウガイ薬バクダンが調合されたことがある。『銀河ヒッチハイク・ガイド』が舞台化された時、劇場のバーで販売されたのだ。勿論、本物の太陽虎の牙は入っていなかっただろうけれど。


Peep Show  『ピープ・ショー ボクたち妄想族』

 2003年から放送が始まり、2009年には第6シーズンが製作された、イギリス・チャンネル4の人気コメディ番組。フラットで共同生活する冴えない二人の主人公、マークとジェレミーの頭の中を覗き見するようなスタイルのコメディ・ドラマで、中でも2005年11月11日に放送された第3シーズンの第1話では、マークとジェレミーとの会話の中に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくる。
 真面目で気弱なマークは、不良のティーンエイジャーにカツアゲされて帰宅する。ジェレミーがマークに向かって「もっとタフになれよ/21世紀だぞ/今に「マッドマックス」みたいになる」と言うと、マークは「ああはならないだろ」と反論する。するとジェレミーは、

You live in your Hitchhiker's Guide world where you wander around in your dressing gown and have a nice cup of tea (「銀河ヒッチハイク・ガイド」風に紅茶を手にガウン姿か?)  

 マーク役のデヴィッド・ミッチェルとジェレミー役のロバート・ウェッブは、共にケンブリッジ大学でフットライツに所属していた。『ピープ・ショー ボクたち妄想族』の他に、『おーい、ミッチェル!はーいウェッブ』というコメディ番組でもコンビを組んでいる(この番組にソフィー役で出演しているオリヴィア・コールマンもフットライツ仲間だった)。
 2009年に出版された The Rough Guide to The Hitchhiker's Guide to the Galaxy の中の「フットライツ」の説明書きには、現在活躍中のフットライツ出身者として「イギリスのコメディ番組『ピープ・ショー ボクたち妄想族』のデヴィッド・ミッチェルとロバート・ウェッブの二人」の名前も挙がっている。その上で、「ミッチェル演じるマーク・コロガンはもったいぶっているかと思えば自信がなくてすぐ気後れする、そのくせ一貫して保守的なところなど、アーサー・デントを改善したようなキャラクターだろう。一方、ロバート・ウェッブの演じるジェレミーはミュージシャン志望で自分をやたらクールに見せたがるが、こちらはフォードとザフォドの中間地点に位置している」(p. 123)とあるが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』と『ピープ・ショー ボクたち妄想族』との比較が上記の台詞を踏まえて書かれたものかどうかは不明。


"Pierre Menard, Author of Quixote"  「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」

 1941年に書かれた、ホルヘ・ルイス・ボルヘス作の短編小説。
 アダムスに言わせると「たった6ページの長さだけれど、読めば必ず薦めてくれてありがとうの手紙を僕に送りつけたくなるはず」("Foreword", p.xii) 。
 なお、岩波文庫のホルヘ・ルイス・ボルヘス著『伝奇集』に収められている日本語訳では、11ページの長さになっている。


Pink Floyd  ピンク・フロイド

 「ダグラス・アダムスと音楽」参照


Procol Harum プロコル・ハルム

 「ダグラス・アダムスと音楽」参照


Radiohead  レディオヘッド

 イギリスのロック・バンド。オックスフォード近郊のパブリック・スクール、アビントン・スクールで知り合った仲間でオン・ア・フライデーというバンドを結成、アビントン・スクール卒業後メンバーはイギリス各地の大学に進学するも、夏の休暇ごとに集まって活動を続ける。1991年にEMIとメジャー契約を果たし、バンド名をレディオヘッドに変更した。メンバーは、トム・ヨーク(リード・ヴォーカル/ギター/キーボード)、コリン・グリーンウッド(ベース)、エド・オブライエン(ギター/バッキング・ヴォーカル/パーカッション)、フィル・セルウェイ(ドラム)、ジョニー・グリーンウッド(ギター/キーボード)の5名。
 1992年、EP『Drill』、続いて翌年ファースト・アルバム『パブロ・ハニー』を発表する。イギリス国内では期待されたほどのヒットにはならなかったが、逆に海外で人気が高まり、アメリカでのツアーで成功を収めたことによって、イギリスでも再評価されるようになった。1995年にセカンド・アルバム『ザ・ベンズ』が発売されると、ロンドン・タイムズは「レディオヘッドは、この国きっての最も優れたバンドとして、突如、開花した」(『エグジッド・ミュージック』、p. 222)と絶賛する。続くサード・アルバム『OKコンピューター』は、1990年代のロックを代表する1枚とまで評価され、全世界で600万以上のセールスを記録した。
 この『OKコンピューター』に収録され、シングル・カットされた「パラノイド・アンドロイド」という曲のタイトルは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の人気キャラクター、鬱病ロボットのマーヴィン(Marvin the Paranoid Android)に由来する。作詞担当のトム・ヨークはインタビューの中で、「そう、『ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・ギャラクシー』という本に出てくるんだよ、マーヴィン・ザ・パラノイド・アンドロイドっていうのが。年がら年じゅう、どれだけ自分が落ち込んでるかを、喋ってまわってるやつなんだ。『これはほっとくには勿体なさすぎるな』と思って(笑)」(『SNOOZER』1997年6月号、P. 35)。
 6分半にも及ぶこの大曲は三部構成になっており、トム・ヨークいわく「それぞれは別の時に、別の精神状態で書かれ、それらをあとからくっつけた」(『エグジッド・ミュージック』、pp. 274-275)、そしてコリン・グリーンウッドいわく「ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』なんかがそうだったように、いくつかの曲を重ね継ぐ方法さ。そういうことを試してみたかったんだ。本質的に異なる要素から、音楽的な意味を生むことはできるだろうか、って。?パラノイド・アンドロイド?はレコーディングのわりと初期の段階でできあがっていた曲だった。聴き返しては、みんなでくすくす笑っていたんだ。悪さを働いている生徒みたいな気分だったよ。だってこれだけ変化に富んだ6分半の曲をやっている人間なんて、俺達以外誰もいなかったからね。ばかばかしくなるくらいに。」(同、p. 275)。
 もっとも、出来上がった曲を聴いてくすくす笑った人は少ないと思われるが、『エグジッド・ミュージック レディオヘッド・ストーリー』の著者マック・ランダルの言葉を借りれば、「?パラノイド・アンドロイド?のような曲の概念自体がばかばかしいのだ。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場する哀愁のロボット、マーヴィンからタイトルがとられた、ということを考えても、レディオヘッドは冗談でこの曲をやっているのではないか?という思いを強くさせられる一方だ。しかしながら、この曲の大胆なまでの試みはそれ自体がスリリングで、何度か聴き返すうちに、独立したそれぞれのパートがひとつになることの意味が見えてくるようになり、苦さからあこがれまで、そしてそう、ほんのわずかながら、パラノイアといった感情までもが湧き上がってくるのだ。」(同、pp.275-276)。
 『OKコンピューター』のワールド・ツアーの模様は、1999年にリリースされたドキュメンタリー映像『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』で観ることができる。「それは90年代におけるロック・バンドのワールド・ツアーの空気をみごとなまでに捉えていた。気力を消耗させられる忙しさと怠惰の繰り返し。その極端さは、しまいに、なぜそんな思いをしてまで彼らは我慢しているのだろう、と思わされずにいられないほどだ(そうだ。そうだった。音楽のために彼らは我慢しているんだった。レディオヘッドについて、言いたいやつは何でも言うがいい。でも彼らが自分たちの音楽のためにどれだけ苦しんでいるかを見せたがらないことを、非難する権利は誰にもないのだ」(同、pp.304-305)。約1年もの間、レディオヘッドに密着して撮影した監督グラント・ジーは、後に映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のDVDに特典映像として収められたメイキング・ドキュメンタリーも手掛けることになる。
 なお、レディオヘッドの主なアルバムは以下の通り。

Pablo Honey, 1993 『パブロ・ハニー』
The Bends, 1995 『ザ・ベンズ』
OK Computer, 1997 『OKコンピューター』
Kid A, 2000 『キッドA』
Amnesiac, 2001 『アムニージアック』
Hail to the Thief, 2003 『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』
In Rainbows, 2007 『イン・レインボウズ』
The King of Limbs, 2011 『ザ・キング・オブ・リムズ』
A Moon Shaped Pool, 2016 『ア・ムーン・シェイプト・プール』


Reclam Universal-Bibliothek  レクラム百科文庫

 ドイツの出版社レクラムが1867年から現在まで刊行し続けている古典作品を中心とした文庫本シリーズ。日本では、この文庫をモデルに岩波文庫が作られたことでも知られているが、2008年、『銀河ヒッチハイク・ガイド』も、この栄えあるレクラム百科文庫の仲間入りを果たした。
 レクラム百科文庫には創刊当初からの通し番号がつけられていて、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はNr. 19744。つまり、2008年までに2万点近くの作品がレクラム百科文庫として出版されてきたことになる。
 当然、いくら「古典作品を中心」といっても、レクラム百科文庫には日本の岩波文庫等と比べればもっと娯楽色の強い小説や戯曲等も多く収録されている。そういうベストセラーが見込める作品を出すことで、逆に大部数の売り上げが期待できないが質の高い作品も揃えることができるから、というのがレクラムの出版方針のようだ。ただし、娯楽作品とは言っても、「その際その娯楽性には厳しい限界を設けていた。つまり倫理的・教育的に国民を教育し導くという視点から、あくまでも健全娯楽に限り、不健全で、人々の欲望をそそるようなもの、破壊的なもの、エロ・グロ・ナンセンスといった俗悪な作品は、慎重に遠ざけていた」(戸叶勝也、p. 223)という。また、いったんレクラム百科文庫として出版した限り、安易に絶版や在庫切れにはしない、という方針もあるため、一時的なベストセラーでその場限りの売り上げを狙うこともあまりなかったのではないか。
 とは言え、そもそもレクラム百科文庫に収録される以前から、ドイツでは『銀河ヒッチハイク・ガイド』の人気は高く、ドイツ語訳のペーパーバックは絶版の憂き目を見ることなく現在まで販売され続けている。が、レクラム版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の画期的な点は、ドイツ語訳ではなく英語の原文がそのまま収録されており、しかも各ページの下部に平均して5、6個の英単語とかイディオムのドイツ語訳、あるいはドイツでは馴染みの薄い固有名詞についての注釈等が付けられていることである。つまり、英語を勉強したことのあるドイツ語ネイティブの人に、「英語で『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでみようかな」と思わせる作りになっているのだ。加えて、巻頭にはアダムスが書いた "A Guide to the Guide"があり、巻末には作中に出てくるいくつかのフレーズについての相当に詳しい説明書きと、アダムスの著作一覧+参考文献+参考ウェブサイト、アダムスの年譜、さらに14ページにも亘る詳細な解説まで付いている。
 私はドイツ語はまったく読めないが、そんな私でさえ、文中の固有名詞を拾い読みしただけでレクラム百科文庫の解説の恐ろしいまでの充実ぶりはよく分かった。私と違って、ドイツ語が少しは読める方にとってはきっと有益な情報が満載だと思うので、興味があれば是非お買い求めください。


Resurrection  『復活』

It is an important and popular fact that things are not always what they seem. The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy, p.119.

 ダグラス・アダムス推薦の1冊。
 19世紀ロシアの文豪トルストイが書いた、重厚な長編小説と『銀河ヒッチハイク・ガイド』、一見何の関係もなさそうだが、アダムスに言わせるとこの両者は「ものごとは見た目通りとは限らない」というテーマで共通する。
 『復活』という小説の冒頭、主人公の青年貴族は陪審員として裁判所に向かう。しかし、その裁判に被告として出廷した女性はかつて自分の家で働いていた小間使いだった。彼は遊びで彼女に手を出したものの彼女をほったらかして家を出てしまい、その結果彼の知らぬ間に彼女は妊娠し、ヒマを出され、そうなると彼女としては生きていくには娼婦になるより道はなかった。そしてついには、客に毒薬を飲ませて殺害し金品を強奪したという、まったくの無実の罪に問われて被告席に座らされる羽目に陥ったのだが、そもそも彼女が堕落するきっかけは陪審員席にいる青年貴族の彼自身なのだ。その事実に気づいた時、これまで彼が上品で、立派で、道徳的だとすら考えていた社会の姿が根底から覆され、彼の世界観は大きく変わることになる。つまり、「ものごとは見た目通りとは限らない」。
 普段、我々は固定した視点で世界を見ている。決まった見方、固定概念にとらわれていて、とらわれていることに気づきすらしない。確かに、その方が日常生活には便利だ。でも、ものの見方を変えれば世界は大きく変わる。普段は当たり前だと思って気にも留めないでいることも、視点が違えばひどく奇妙で不可思議なものに思えてくる。そういう新しい視点を見つけること、それがアダムスにとって何より大切なのだという。『最後の光景』の企画で絶滅寸前の動物を追って世界各地を旅した時も、さまざまな動物たちの視点で地球を見つめ直すと世界はまるで違って見え、それはとても素晴らしい体験だったとか。


retsina  レチナ・ワイン

 彼は力を失い、よろめいた。眼がくらんで、身体が痛かった。絶望を感じながら走ろうとした。しかし、足は急に弱くなってしまっていた。前に跳ぼう、宙に跳びだそうとした。そのとき、手にしている鞄の中には、ギリシャのオリーブ・オイルばかりでなく、免税割り当ていっぱいのレチナ・ワインも入っていることを思い出した。その嬉しいショックのせいで、少なくとも十秒間ほど、自分がまた飛んでいることに気づかなかった。 (『宇宙クリケット大戦争』、p. 185)

 ギリシャの伝統な白ワイン。味は辛口で、ギリシャ・ワイン全体の約4割を占めている。
 レチナ・ワインの特徴は、未発酵のブドウ果汁に松ヤニを添加して作られていること。古代よりギリシャではワインに香料やスパイスなどを加えて飲まれていたが、これは風味づけのみならずワインの保存性を高めるのに有効だったためらしい。レチナ・ワインはその伝統を受け継ぐものであり、松ヤニによる独特の風味はギリシャでは現在も愛され、広く飲まれている。


Rich Tea  リッチティー・ビスケット

「いま買ってるとこだ。それから、ビスケットも買った」
「種類は?」
「リッチティー」
「あれ、おいしいわよね」(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 143)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ4作目に出てくる「リッチティー」という銘柄のビスケットは、イギリスではごく普通に町のスーパー等で販売されている類のものだ。1991年にイギリスのヨークシャー・テレビジョンで製作されたテレビ・ドラマ Rich Tea and Sympathy は、イギリス人なら誰でも知っているこのビスケットの名称に、『お茶と同情』Tea and Sympathy) を掛け合わせたものと思われる。
 リッチティーの味と形は、森永のマリー・ビスケットに近い。丸形で薄くて、もっともプレーンなビスケットである。私の知る限りでは、St. Micheal 製のものとマクビティ製のものがあって、どちらも青いビニールの包装に包まれている(一度だけ赤い包装のものも見かけた)。マクビティのビスケットなら、日本でもダイジェスティブ・ビスケット等が明治製菓から発売されているが、何故かリッチティーは日本では生産・販売されていない。それでも以前は輸入菓子を取り扱うスーパーや小売店(ソニー・プラザや大丸ピーコックなど)で時折入荷されていたが、最近は全く見あたらなくなった。(写真はこちら)
 上記の引用箇所は、破壊されなかったもう一つの地球に戻ったアーサーが、フェンチャーチと名乗る女性と交わす会話部分だが、ここでアーサーはフェンチャーチにビスケットにまつわるある体験を語ってきかせる。簡単にまとめると、列車の発車時刻より早く駅に着いたアーサーは、駅の売店でガーディアン紙とコーヒーとビスケットを買って、売店のテーブルに腰掛けた。テーブルに向かって左手に新聞、右手にコーヒー、中央にビスケット。すると、真向かいに見知らぬ男性が腰を下ろしたかと思うと、やおら自分が買ったばかりのビスケットの封を開け、一枚つまんで食べ始めたではないか。アーサーは驚いたが、そこは英国紳士、まるで何事もなかったかのような顔をして、自分もビスケットに手を伸ばし、一枚食べた。すると、相手はまた手を伸ばしてビスケットを取った。アーサーも、負けじと次のビスケットを食べる。こうして、8枚パックのビスケットを二人で食べ尽くすと、相手の男性は無言のまま席を立って去っていった。後に残されたアーサーも、ちょうど電車の時間が来たのでコーヒーを飲み干し、テーブルから立ち上がり、新聞を取り上げた時、その新聞の下に未開封のままのビスケットがあるのに気が付いた。
 この話は、1976年のケンブリッジ駅でのアダムスの実体験に基づく。だが、この体験談をラジオやテレビで何度も話したため、たびたびこの話が無断借用されるようになり、実体験者としてはこうして小説内に書くことで白黒をつけたかったのだという。その無断借用の一例が、ジェフリー・アーチャーの短編小説「破られた習慣」("Broken Routine")で、この短編小説がアダムスの『さようなら、いままで魚をありがとう』(1984) より先に出版されたため、逆にアダムスのほうに無断借用疑惑がかかってしまった。(Gaiman, p. 138)
 「破られた習慣」では、駅ではなく列車内、ビスケットではなく煙草、ガーディアン紙ではなくイブニング・スタンダード紙だが、話の骨子は同じである。ただし、アーチャーを盗作呼ばわりするのも早計だ。なぜなら、この短編の入っている短編集、『十二本の毒矢』(A Quiver Full of Arrows, 1980)の冒頭の著者ノートに、「本書に収められた十二の短編のうち、十一編は現実に起きた事件にもとづいている(それらにかなりの粉飾を施して味つけしたものである)」(p. 6)と、ちゃんと断り書きが記されているのだから。
 21世紀に入ると、イギリスの作家イアン・マキューアンが、小説『ソーラー』の中でやはり列車内で起こった同じような出来事を描き、作品内でアダムスについても言及している。
 ともあれ、アダムスとしてはこのビスケットの話を余程気に入っていたのか、2001年2月27日、アメリカのテキサス州ダラスで開催された、米国BEAシステムズ(世界を代表するE−ビジネス・インフラストラクチャ・ソフトウェア企業の1つ)のユーザーカンファレンスでの基調講演の中でも使ったらしい。3月5日のZDネット・ジャパンの記事によると、アダムスはインターネットやインターネット業界について「言いたい放題の限りを尽くした。しかし、なかなか当を得た例え話と、巧みな話術により、場内は爆笑の嵐」だったとのこと。そして、講演の締めくくりに例の話を持ち出した。「待ち時間に、新聞とコーヒー、そしてクッキーを買い……」
 アダムスがビスケットではなくクッキーと言ったのは、聴衆がアメリカ人であることを考慮して敢えて変更したためか、それとも単にこの記事を書いた記者がビスケットとクッキーとを混同したためかは不明。
 ちなみに、2004年にイギリスで出版された『英国流ビスケット図鑑 おともに紅茶を』という本では、リッチティーは数あるビスケットの中でも一番最初に採り上げられている。この本によると、リッチティーには大小2種類の丸形があり、その他に細長いフィンガータイプもあるらしい。そして、「リッチティービスケットの味は、ショ糖、麦芽糖、ブドウ糖などさまざまな糖と、ごく少量の塩によって決まる。ではどんな味かと言えば、もちろんお茶に浸す(ダンク)のに適した味だ。リッチティーはダンク嫌いにさえ、ダンクさせてしまう」(p. 85)という。
 果たしてアダムスもリッチティーをダンクして食べていたのだろうか。少なくとも『さようなら、いままで魚をありがとう』で語られる逸話では、アーサーがリッチティーをコーヒーに浸けて食べていたとは考えにくいが。


Rocket Men  『宇宙へ。』

 NASAの宇宙開発の歴史を秘蔵映像で綴った、BBCのドキュメンタリー映画。映画の終盤近くで、ハッブル宇宙望遠鏡が宇宙に放出されるが、その時の操作盤に「Don't Panic」と書かれたステッカーが貼られているので、ご注目あれ。


Roosta  ルースタ

 ザフォドは男の正体を推しはかろうとした。まじめタイプだ。大声で笑ったりしないタイプである。彼はきっとかなりの時間を費やして廊下をあちこち走り、ドアというドアを壊して、秘密の目印をつけてまわったのだろう。
「自己紹介をさせていただこう」男は言った。「わたしの名はルースタだ。そしてこれがわたしのタオルだ」
「やあ、ルースタ」とザフォドは言った。
「やあ、タオル」と、ルースタが古ぼけて汚い花柄のタオルをさしだしたので、ザフォドはつけ加えた。そいつをどうすればいいかわからなかったので、ザフォドはタオルを片隅に放りなげた。(『宇宙の果てのレストラン』、p. 73)

 ザフォドが『銀河ヒッチハイク・ガイド』本社ビルで出会う謎の男。ザフォドをフロッグスター星系第二惑星に置き去りにする。
 ルースタの正体を推しはかろうとしたのはザフォドだけではない。ラジオ・ドラマ第7、8話でこの役を演じることになった俳優のアラン・フォードも同様だった。が、それも当然のこと、何しろ作者のアダムス自身からして分かっていなかったのだから。

シリーズものを描いていると、ある回の最後に新しい登場人物を登場させ、次の回の冒頭に再登場させてうまく使うつもりで、宙ぶらりんのままにしておくことがある。こんなキャラクターは必要ではなかった、あるいはふさわしいキャラクターではなかったとか気づいたとしても、もう役者がそこに来ている以上、とりあえず何かをやってもらうしかない。(Gaiman, p. 165)

 アラン・フォードにとっては、とんだ災難だったにちがいない。
 ルースタが初めて登場する第7話の脚本の完成は遅れに遅れ、アダムスが複写式の紙にタイプし、カーボンコピーされた紙きれを役者に渡して収録するという有様だった。実際、当初の予定ではルースタという役柄が登場する予定はなく、ルースタ役の役者も待機していなかったという。が、突然アダムスがでっちあげた新キャラクターに対応すべく、プロデューサーのジェフリー・パーキンスは大急ぎでルースタ役を探す羽目になり、ザフォド役のマーク・ウィング・ディヴィが急遽友人のフォードを連れてきたというのが真相らしい。(Hitchhiker, p. 119)
 ともあれ、それでも後にアダムスが小説版にもルースタを登場させたということは、まったく「不必要な登場人物」ではなかったということなのだろうか。


the Rossettis ロセッティ一族

 ラファエル前派の代表的画家・詩人のダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1828.5.12-1882.4.10)と、その妹で詩人のクリスティーナ・ロセッティ(1830.12.5-1894.12.29)のこと。イタリア移民の子としてロンドンに生まれ、19世紀ヴィクトリア朝のイギリス文化に少なからぬ影響を与えた。
 小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency では、マイケル・ウェントン=ウィルクスは自身の雑誌 Fathom に彼らに関する連載記事を書いていたが、編集長の座を追われた途端にボツになっている("His series on the Rossettis: discontinued.", p. 144)。


the Round House ラウンド・ハウス

 1967年に開館した、ロンドン・ハムステッドにある劇場。もともと、蒸気機関車の円形機関庫だったことから円形をしており、その名がつけられた。ロック・コンサートや映画など、主に若者向けの企画が多い。映画館・図書館・ギャラリーも併設している。
 大学生だったアダムスは、この劇場のバーで憧れの人、ジョン・クリーズ(当時32歳)に初めて会った。


the RSPCA  王立動物虐待防止協会

 the Royal Scoiety for the Prevention of Cruelty to Animals の略。
 1824年に設立された任意団体で、動物の虐待を防止し、必要とあらば法的手段にも訴えることを目的としている。会員数約7万人。
 アダムスの母方の祖母もこの団体の会員で、熱心に活動していた。アダムスの両親が離婚した後、アダムスは母親や妹と一緒にエセックス州ブレントウッドにある祖母の家に移るが、この家はいつも怪我をした動物でいっぱいだったらしい。(Hitchhiker, p. 15)


the Ruler of the Universe  宇宙の支配者

「あなたは宇宙を支配しているのですか?」ザフォドが訊いた。
 男は彼に微笑した。
「そうしないように努めているのだがね」男は言った。(『宇宙の果てのレストラン』、p. 258)

 どこでもない場所の中心のどこかにある小さな暗い場所の、ちっぽけな土地の中央に立つ小屋に住む、ひょろりと背の高い男。彼こそが、実は宇宙の支配者だった。
 アダムスいわく、宇宙の支配者は、我々が現実だと思っている世界というものは、あくまで我々が感知したささやかな電気信号を基に、我々が頭の中でこしらえたものにすぎない、という考えを極度に押し進めた形で抱いているキャラクターである。そのため、彼は何物をも決して信用しないし、何かが証明されたとか確認されたと認めることもなく、それ故に何が起ころうと自分の直観だけで反応するが、この徹底した無関心こそ、逆に彼が宇宙の支配者として最適であることの証なのだという。「無関心もここまでくると、彼はもはや論理的なものや有益なものを創り出すことはできない。彼を紹介するときに書いた通り、『統治したいと思うような人は統治することを許されないとしたら、統治することになるのは誰だろう?』」(Gaiman, pp.162-163)。
 宇宙の支配者は、ラジオ・ドラマ版では最後の第12話に登場する。最初の予定では、この役はジョナサン・プライスが演じるはずだったが、彼がスタジオ入りしたときにはまだ脚本が仕上がっておらず、代わりにザーニウープと自動操縦装置を演じることになった(ザーニウープは宇宙の支配者と対話しているという設定なのに、どうしてザーニウープのセリフは完成していて宇宙の支配者のセリフは未完ということがありうるのか、私にはよく分からないが)。雑誌『ラジオ・タイムズ』には、宇宙の支配者役は Ron Hate と書かれたが、実際に担当したのは、スティーヴン・ムーア。この間違いは、『ラジオ・タイムズ』の原稿締切までに収録が済んでいなかったために起こったらしい。


Science Fiction 『サイエンス・フィクション』

 現代批評の学術用語を解説するシリーズ The New Critical Idiom の1冊として、アダム・ロバーツがサイエンス・フィクションについて書いた巻。その第2版に、ラジオドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』も取り上げられている。
 ロバーツは、サイエンス・フィクションを定義する困難さを説明するため、まずはゲイリー・ウェストファールが1998年に出版した The Mechanics of Wonder: the Creation of the idea of Science Fiction の中で書いたSFの定義を例に挙げた。

サイエンス・フィクションとは、「サイエンス・フィクション」とレッテルを貼られたテキストから成る20世紀の文学ジャンルであり、レッテルが貼られたテキストには、明示的であれ暗示的であれ、以下の3つの物語的特徴と関連づけられる。

A. 散文で書かれていて、
B. 科学的事実や解説の描写している、もしくは科学的思考の過程を映し出していて、
C. 書かれた当時にはまだ存在していない進化の側面を描写したり描き出したりしている。

 が、ウェストファールの定義にあてはまらないSF作品はいくらでもある、と、ロバートは続ける。小説ではない映画「スター・ウォーズ」やチャペックの戯曲「ロボット」はどうなる? 小説だとしても、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』やウィリアム・ギブソンとブルース・スターリングの共著『ディファレンス・エンジン』は?

ひとたび定義を決めると、今度は定義にはずれた作品を「真のSFにあらず」と排除したくなる。自論を支えるための循環論法になりかねない。この状況は、ダグラス・アダムスの人気SFラジオドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』(1978-1980)――この作品もウェストファールの定義にあてはまらない一例だ――に出てくるジョークと似ている。この作品に出てくるある惑星は素晴らしい繁栄を広く謳歌していたため、「実に貧しい者はひとりもいなかったから――少なくとも、語るに足るほどの者のなかには」(安原訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、pp. 155-156)。このことは、批評の二分化を促す恐れがある。批評家が敬意をこめて「古典SF」とみなす作品と、「これは本当のSFではない」として批評の値打ちがないとみなされ無視される作品とに分けられてしまう。しかしながら、SFとは単純に二つに分けられるようなものではなく、複雑で相互作用的な話法を持ち、それぞれに良かったり悪かったり程々だったりする。(p. 23)

 ラジオドラマ版から直接引用されている箇所は、原文では "nobody was really poor; at least, nobody worth mentioning." となっている。が、実際のラジオドラマの脚本ならびに小説では、"no one was really poor - at least, no one worth speaking of." 。どうしてこんなにも微妙な引用間違いが起こったのかは不明。
 ロバーツは、ウェストファールによるSFの定義だと『銀河ヒッチハイク・ガイド』は当てはまらない、と書くが、当のウェストファールはというと、2003年に出版された The Cambridge Companion to Science Fiction に寄稿した際、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を「スペース・オペラ」というジャンルに入れている。詳しくはこちらへ

 次に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場するのは、「SFとテクノロジー」と題された第5章。ここでは、SF作品に登場するロボットについての解説がある。アシモフのロボットらしいロボットから、ほとんど人間と見分けがつかないフィリップ・K・ディックのアンドロイドまで紹介した後、

 言い換えると、SFのテキストにおけるロボットとは、テクノロジーと人間がもっとも直接的に融合された物なのだ。ロボットは機械の他者性、つまり無機物が生命を得るという偏執的感覚を実体化したものである。単に人間に機械の服を着せたという以上の意味があることを、いくつかの主要な例を上げて示してみよう。ダグラス・アダムスが作り出した〈シリウス・サイバネティックス〉製の「人間そっくりの人格」、GPP機能搭載のロボットは、単に笑いにつなげるためのものだった。アダムスのラジオ・シリーズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、多くのSFの約束事がしばしば上手に風刺されている。が、シリーズの中でもっとも愛されている創造物であり続けているマーヴィンは、巨大な知性を持ちながら定期的に鬱病になるアンドロイド――ただし、カシャカシャと金属製の音を立てたり油圧式の吐息やため息をついたりすることからも、アンドロイドというよりロボットに近いことがわかる。マーヴィンは、最高に進化した機械の知性体であると同時に人間特有の欠陥である病的資質の特性も併せ持っている。彼は、自分で繰り返し主張しているように、「惑星規模の頭脳の持主」だ。彼はあまりに頭がよいので人間の意識を読み解くこともできるし、またあるエピソードでは、あまりに丈夫なので文字通り宇宙の終わりまで生きながらえることもできる。どれほどの金持ちとて叶わない。が、同時に彼は常に落ち込んでいてみじめな気分なので、彼をそばに置いておくのは苦役だ。彼は、自分自身を含めてこの世のすべてを憎んでおり、自分自身のみじめな人生を語るだけで、警備員を退屈のあまり死に至らしめることすらできる。「人間そっくりの人格」を与えられたロボットは人間そっくりの人格障害にも罹るのではないか、というジョークは、全12話のエピソードのあちこちで見受けられるかもしれないが、マーヴィンというキャラクターが特に大成功だったのは、彼が機械特有の執拗さで鬱を表明し続けることにより、機械に人間らしさを追加しただけでなく、人間の特性に機械らしさを追加したからでもある。彼は、潜在的に、機械と人の融合体なのだ。(p. 118-119)

 この文章でも、ロバーツはあくまでラジオドラマ版の『銀河ヒッチハイク・ガイド』にのみ焦点をあてている。それも、この本の巻末には参考文献としてSF小説とSF映画/テレビドラマの一覧が掲載されているが、そのどちらにも『銀河ヒッチハイク・ガイド』は載せないという徹底ぶりだ。さらに言うと、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を The Hitch-Hiker's Guide to the Galaxy と表記している――'Hitch-Hiker' というスペルはラジオドラマ版でしか使用されず、かつ、2000年にはアダムス自身がすべてのスペルを原則として 'Hitchhiker' で統一するよう決めたにもかかわらず、2006年に出版された本で敢えて 'Hitch-Hiker' にこだわっているのだから、それなりの意思や思い入れがあってのこととしか考えられない。なのに、119ページの引用箇所では、"Adams's radio series The Hitchhiker's Guide to the Galaxy (1978-1980)” と書かれている。こだわりのありようが、正直よくわからない。


Secret Empire 「秘密の帝国」

 デジタル・ヴィレッジのプロジェクトの一つとして企画され、実現しないままに終わったSFテレビドラマシリーズの一つ。詳しくはこちらへ。


The Seven Moons of Maali Almeida 『マーリ・アルマイダの七つの月』

 スリランカ出身の作家シェラン・カルナティラカが2022年に発表し、ブッカー賞を受賞した長編小説。内戦下にある1990年のスリランカで死亡したジャーナリストが、冥界の役所から7日間の猶予期間を与えられ、幽霊となって地上に戻り自分の死亡理由を探る、という奇想天外な物語が、「おまえ」という二人称で語られる。この小説の中に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュと思われる箇所がある。
 シェラン・カルナティラカは、さまざまなインタビューの中で、特に大きな影響を受けた作家としてジョージ・ソーンダーズ、カート・ヴォネガット、ダグラス・アダムスの3人の名前を挙げている。ブッカー賞のサイトには、カルナティラカを『マーリ・アルマイダの七つの月』執筆へと導いた10作の小説がリストアップされており、そこには当然『銀河ヒッチハイク・ガイド』も入っていて、カルナティラカいわく、「生命とか、宇宙とか、ありとあらゆる壮大な概念を、不条理とユーモアを交えて語る」ところを尊敬しているのだとか。
 シェラン・カルナティラカは、1975年、スリランカのコロンボに生まれ、ニュージーランドの高校、大学に進学した。コピーライターの仕事をしながら、2010年に最初の長編小説 Chinaman を出版。この小説で、旧英国領の優れた小説に与えられるコモンウェルス賞を受賞している。


Share and Enjoy ともに楽しみましょう

 'Share and Enjoy' は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくるシリウス人工頭脳会社苦情処理部門のモットーである。言うまでもなく、私のホームページの名前もここから頂戴した。
 小説の中では、このフレーズは『宇宙の果てのレストラン』の冒頭でアーサーが栄養飲料自動合成機に紅茶を出させようと奮闘する際に、合成機がアーサーに向かって繰り返し使用する程度でしか登場しないが、もともとのラジオ・ドラマでは、そもそも'Share and Enjoy' はシリウス人工頭脳会社の社歌の一節という設定で、それを200万のロボットが大合唱するというシーンがあった。あったが、ラジオ・ドラマのプロデューサーのジェフリー・パーキンスいわく、「200万人に何かを歌わせて、何を歌っているのか聞き取るのは不可能だ。その200万というのが、ただでさえ何を言っているのか聞き取りにくいロボットだとしたら、ますます不可能だ。さらに、その歌をなるべく平たんに(アダムスの脚本のト書きによれば、'exactly flattened fifth out of tune')歌わせるとなったら、もはや不可能という言葉さえ生ぬるい。きゅうりから日光を抽出しろと言われるようなものだ」(original radio script, p.186) ということで、実際には200万のロボットを代表して6人の人間が合唱した声を加工して作ったのだとか。


Shoe Event Horizon  靴の事象の地平線

つまり、靴屋が増えれば増えるほど、靴をたくさん作らねばならなくなり、靴はいっそう質の悪いものになっていく。質が悪ければ悪いほど人々は新しい靴を買い換えねばならなくなり、靴屋は増加していき、ついには、この星の経済はわたしが?靴の事象の地平線?と呼ぶものを越えてしまった。もはや靴屋以外のものを作ることは経済学的に不可能になっていた。その結果は――崩壊だ、荒廃と飢饉だ。 (『宇宙の果てのレストラン』、p. 99)

 このジョークも、3日間ロンドンで靴を探した時のアダムスの実体験に基づいている。
「特別なものじゃない、ごく普通の靴が欲しかっただけだ。オックスフォード・ストリートでは石を投げれば半ダースの靴屋に当たるといわれているが、丸3日も探し回った後では本当に石を投げてやりたくなったね。で、靴は買えたのか? 答えはノーだ。店から店へ、実際ほとんど隣同士で、同じ計量器を備えていて、そして見事に同じ型で同じサイズの靴の在庫を切らせていた。誰がこれを組織したんだ? そいつはもう捕まったのか?」 (original radio script, p. 227)


six impossible things  六つの不可能事

バスタブロン星系の広告会社がこんなキャッチフレーズを考案した――「朝のうちに六つの不可能事をなし遂げて、最後の仕上げに宇宙の果てのレストラン〈ミリウェイズ〉で朝食を!」(安原訳『宇宙の果てのレストラン』、p. 141)

 〈ミリウェイズ〉こと宇宙の果てのレストランのキャッチフレーズで使われている「朝のうちに六つの不可能事(six impossible things this morning)」は、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』第5章で白の女王がアリスに向かって言った言葉、「さようじゃ、ありえぬことを六つまでも朝食前に信じたこともあった("Why, sometimes I've believed as many as six impossible things before breakfast.")」(p. 97)からの引用である。


six pints of bitter  ビールを6パイント

「ビールを六パイント」フォード・プリーフェクトは<馬丁屋>のバーテンに注文した。「急いでくれ。世界が終わりかけているんだ」

 「ビール」と翻訳されているが、原文の bitter とはホップが多く、苦みの強い生ビールのこと。イギリスのパブではもっともポピュラーなビールである。日本で一般的に飲まれているピルスナータイプのビールと比べると、もっと褐色がかった濃い色をしている。
 また、pint はイギリスでミルクやビールを売る時に使われる単位で、1パイントは0.568リットル。故に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の冒頭で、筋肉を弛緩させるためとは言え、アーサーフォードは昼間から1.5リットル以上ものビールを飲んだ計算になる。


Spooks  『MI-5』

 イギリス・BBCのスパイ・ドラマ。2002年に第1シーズンが放送され、2011年からは第10シーズンの放送も決定している人気シリーズだが、第5シーズンの第2話において、ロリー・マクレガー演じるMI-5のメンバーの一人、技術職のコリン・ウェルズの愛読書が『銀河ヒッチハイク・ガイド』だということが、思いがけない形で判明する。
 日本でも、2008年9月にDVDボックスが発売され、レンタルも始まったので、興味のある方は是非ご覧あれ。

 


Star Wars  『スター・ウォーズ』

 『スター・ウォーズ』の生みの親、ジョージ・ルーカスも『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンであるらしい。そのおかげかどうかは知らないが、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』でパン切りナイフが登場するシーンでは、スター・ウォーズ・シリーズと同じ、本当のライトセーバーの効果音が使用されていた。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化に際して、イギリス的な笑いのセンスを理解できないハリウッドの重役たちが作品を「お笑いスター・ウォーズ」(Gaiman, p. 104)にしようとするのにアダムスが必死で抵抗していたことを考えれば、何とも皮肉で幸せな結末と言えるかもしれない。
 とは言え、アダムスは映画『スター・ウォーズ』そのものは決して嫌いではなかったようだ。1977年12月にイギリスで封切られると、自分のガールフレンドと、ジョン・ロイドと、ロイドのガールフレンドの計4人で観に行き、ロイドいわく「4人とも映画をすごく気に入った」(Hitchhiker, p. 96)とか。ちなみにアダムスは続編にあたる『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)を、この時とは別のガールフレンドと一緒に観に行っている。


The Super Tutor  『英国エリート名門校が教える最高の教養』

 著者のジョー・ノーマンは、イギリスのパブリックスクールへの進学を希望する(主に)男子生徒を指導し、そのうちの多くの生徒を合格へと導いた実績を持つ、優秀な受験教師(スーパー・チューター)である。ノーマン自身、有名パブリックスクールの一つ、ウィンチェスター・カレッジを経てオックスフォード大学に進学した。本書は、誰もが「知の貴族」を目指して教養や思考能力を高めるための道しるべとして書かれたものであり、冒頭に書かれた「教養のための必読リスト114冊」の中に、フィクション(笑える)部門の一冊として『銀河ヒッチハイク・ガイド』も入っていた。

『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムス(河出文庫)
「まったく取るに足らない青緑の星」が、銀河バイパス建設のために取り壊された。その星の生存者たちによるばかばかしくも哲学的なSF小説。「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズの続編『宇宙の果てのレストラン』『宇宙クリケット大戦争』『さようなら、いままで魚をありがとう』『ほとんど無害』(いずれも河出文庫)も面白い。命がある限り、必ず笑いは訪れる。(p. 41)

 原著 The Super Tutor: The best education money can buy in 7 short chapters は、2019年4月に発売された。『英国エリート名門校が教える最高の教養』の邦題で文藝春秋から日本語訳が出版されたのは、それから5年後の2024年4月である。
 日本語のタイトルを見ると、実際にパブリックスクールで行われている教育を紹介したもののように思われる。が、先にあげた「教養のための必読リスト114冊」にしても選書したのはあくまで受験教師のジョー・ノーマンであって、パブリックスクールの教員が在校生に示した「必読リスト」ではない。とは言え、原著のタイトルにそのようなミスリードを促す要素はないので、ジョー・ノーマン本人に罪はないことも確かである。ただし、「わたしは読者の皆さんにさまざまな本を勧めているが、実は九割しか読了できていない(古すぎる、長すぎる、あまりにも奇妙であったり退屈であったりしたという理由で)一割は投げ出しているのだ。いつか自分が放り出してしまった本にもう一度挑戦したい。その前に死んでしまうかもしれないが、急ぐ必要はない」(p. 85)とも書いていて、自分で読了できなかった本を「必読リスト」に入れるのはさすがにどうかと思う(紹介文から見る限り、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はシリーズ全巻を読了しているはずだが)。


Supergrass  スーパーグラス

 イギリス・オックスフォード出身のロック・グループ。公式サイト、http://www.supergrass.com/にアクセスすると、「このイントロはダグラス・アダムスに捧ぐ」の文字が出る。映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督ガース・ジェニングスもスーパーグラスのファンで、1999年に「パンピング・オン・ユア・ステレオ」で彼らのミュージック・クリップを手掛け、また『銀河ヒッチハイク・ガイド』後の2005年秋にも「Low C」を撮影している(この作品はフロリダ州にある「マーメイズ・オブ・ウィーキー・ワッチー・スプリングス」の保護キャンペーンも兼ねていた)。
 1994年にシングルCD「コウト・バイ・ザ・ファズ」でデビュー。ギャズ・クームス、ミック・クイン、ダニー・ゴフィーの3人組だったが、2002年には、ギャズの兄でデビュー時からサポートメンバーだったロブ・クームスが正式メンバーとなり、現在に至る。
 それにしても何故ダグラス・アダムスなのかと訊かれて、ロブ・クームスは「もともと天文学が好きで、カーディフ大学で天文学と物理学の勉強をしたから」と答えている。それ以上の詳しいことは分からないが、アルバム『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』の製作中に天文学者カール・セーガンのテレビ番組を観て影響を受け、アルバム発売後のツアーを「Carl Sagan Taught Us Everything We Know Tour」と名付けているくらいだから、天文学に興味があるというのは決してその場しのぎの出まかせではないだろう。
 スーパーグラスの主なアルバムは以下の通り。

I Should Coco, 1995 『アイ・シュド・ココ』
In It for the Money, 1997 『イン・イット・フォー・ザ・マネー』
Supergrass (X-Ray Album), 1999 『スーパーグラス』
Life on Other Planets, 2002 『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』
Supergrass Is 10, 2004 『スーパーグラス・イズ・テン−ザ・ベスト・オブ 94-04』
Road to Rouen, 2005 『ロード・トゥ・ルーアン』


tea  紅茶

 アーサーは眼をぱちくりさせてスクリーンを見つめた。なにか大事なものをなくしたような気がした。突然、それが何だかわかった。
「この船に紅茶はあるかい?」と、彼は訊ねた。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 156)

And there, stepping out on to the lawn was Mike, the warden's wife, with a tray full of tea things, which I fell upon with loud exclamations of delight and hello.
Meanwhile, I had lost Mark altogether. He was standing only a few feet away, but he had gone into a glazed trance which I decided I would go and investigate after I had got to grips with some serious tea. (Last Chance to See, p. 118)

 アーサー・デント同様、アダムスも大の紅茶好きだった。『最後の光景』の取材で絶滅寸前の飛べない鳥、カカポを探してニュージーランドを訪れた時に、くたくたに疲れていたアダムスに歓喜の声を上げさせたのも紅茶だったし、また遺作となった作品集、The Salmon of Doubt には、イギリスにやってきたアメリカ人が紅茶を楽しむための、アダムス流の正しい入れ方が紹介されている。

マークス・アンド・スペンサーに行って、アール・グレイ・ティーのティーパックを買いましょう。滞在先に戻ったら、薬缶でお湯を沸かします。沸くのを待っている間に、紅茶のパックを開けてにおいを嗅いでみてください。ただし、気をつけて――ちょっとクラクラするかもしれませんよ、完全に合法的なものなんですけどね。お湯が沸いたら、少しティーポットに注いで、軽くポットの中でお湯を回して、そしてお湯を捨ててください。ポットにティーバックを2つ(ポットのサイズによっては3つ)入れましょう(王道を行くならティーバックではなくてティーリーフを使うべきなのですが、今回は初級編ということにしておきます)。薬缶をもう一度火に戻してお湯を沸騰させたら、沸き立っているお湯を大急ぎでポットに入れましょう。2分か3分そのままにしておいて、それからティーカップに注ぎます。アール・グレイならミルクではなくレモンを入れるべき、という人もいますね。お好みでレモンを搾ってください。私としてはミルクのほうが好きです。あなたもミルクのほうがいい、というのなら、紅茶を入れる前にあらかじめカップにミルクを入れておいたほうがいいでしょう。熱い紅茶の中にミルクを入れると、ミルクが煮立ってしまいますから。(註・このやり方は社会の慣習からすると間違っています。社会的慣習に従うのなら、紅茶を入れてからミルクを入れてください。ただし、この社会的慣習というヤツには、何の論理的、物理的理由もありません。実のところ、イギリスという国では、何かについて知っているとか考えているということ自体が、社会的慣習に反すると思われています。このことは、イギリスを訪問する際には心に留めておいたほうがいいですよ。) (pp.68-69)

 なお、アダムス推薦のアール・グレイは、茶葉にベルガモット(柑橘系)の香りを加えたブレンド・ティーなので、紅茶の香りそのものを楽しむならミルクやレモンを入れずにストレートで飲んでもよい。アイスティーにも最適とされている。
 また、ミルクが先か紅茶が先か、の論争だが、新井潤美によれば「紅茶にミルクを先に入れること、レースのテーブルマット(ドイリー doillies)を使うこと――これらはすべてアッパー・クラス、さらにはどれだけ非アッパー・ミドル・クラスであるかを示す指標なのである」(『階級にとりつかれた人びと 英国ミドル・クラスの生活と意見』、p. 152)とのこと。


Tea and Sympathy  『お茶と同情』

お茶と同情とソファをありがとう(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p.4)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』の翻訳本の解説にも書かれている通り、『お茶と同情』という映画は存在する。ただし、内容は私の知る限り『銀河ヒッチハイク・ガイド』とは何の関係もない。
 これはブロードウェイでヒットしたドラマを映画化したもので、監督は『巴里のアメリカ人』『恋の手ほどき』のヴィンセント・ミネリ、主演は『地上より永遠に』『めぐり逢い』のデボラ・カー。1956年製作のアメリカ映画である。
 物語は、「シスター・ボーイ」といじめられている一人の学生に、デボラ・カー扮する舎監の妻が何かと目をかけてやっているうちに、次第に二人の間に愛情が芽生え始める、というもの。タイトルになっている「お茶と同情」とは、舎監の妻として学生に与えて許されるもののことで、つまり「お茶」をあげてもいいが「夕食」に招くのは不可、「同情」は構わないが「恋愛」はタブーという、舎監の妻の心得を意味する。
 製作されてから約半世紀が経った今になってこの映画を観ると、「男子たるもの、詩など読むくらいなら酔っぱらって殴り合いの喧嘩をするほうがマトモ」的価値観が当たり前のこととしてまかり通っていることのほうに時代色を感じてしまう。もっとも、だからこそ「1950年代のアメリカ」の一端を理解するにふさわしい映画である、と言えなくもないが。
 なお、1991年にイギリスのヨークシャー・テレビジョンで、Rich Tea and Sympathy なるタイトルのテレビ・ドラマが制作されたらしい。コメディのようだが、詳細は不明。


telephone sanitizers  電話消毒係

「はい。電話消毒係や広告屋の重役の死体なんかが船倉に並んでいるんですよ」
 船長は彼をじっと見つめた。とつぜん、船長は頭をのけぞらせて笑い出した。
「いやいや、彼らは死んじゃいないんだ。いやあ、とんでもない。冷凍されているだけなんだよ。いずれ生きかえるのだ」
 フォードは彼としては実に珍しいことをした――眼をぱちくりさせたのである。(『宇宙の果てのレストラン』、p. 236)

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』以前にも、アダムスは電話消毒係をめぐるジョークを書いている。「ナバロンの電話消毒係」と題されたそのスケッチでは、英雄的な電話消毒係の一団が雄々しくも電話を消毒するためだけに城に突撃する。
 ラジオ・ドラマの放送当時、ゴルガフリンチャムの箱船船団B号船の乗船メンバーに加えられたことについて、電話消毒係からBBCにクレームの手紙が届いた。自分たちに攻撃の矛先が向けられたことには憤慨するが、いまいましい経営コンサルタントどもを槍玉にあげた点に関してはよくやった、と。一方、経営コンサルタントからも手紙が届いたが、そこには自分たちがバカにされたことについては遺憾に思うが、電話消毒係のひねくれ者の件については感謝したいと書かれていたとか。(original radio script, p. 127)


Thor  トール

「さらには……アスガルドの殿堂から何人かの神がおいでのはずです」
 彼の右手遠くで、雷が轟いた。稲妻がステージに向けてとんだ。兜をかぶった毛むくじゃらの一団が満足そうに座っていたが、彼に向けてグラスを挙げた。
 いつもいるな、とマックスはひとりごちた。
「鉄槌の扱いには気をつけてくださいよ」と彼は言った。 (『宇宙の果てのレストラン』、p. 159)

「トリリアン?」アーサーはまた叫んだ。
 しばらくして、トリリアンが頭をふりふり、雷の神にささえられてよろめきながらあらわれた。
「この娘はわしといっしょにここに残る」トールが言った。「ヴァルハラで大パーティが開かれている。わしらはそこに……」 (『宇宙クリケット大戦争』、p. 205)

 トールは北欧神話に出てくる雷神。北欧神話の最高神オーディンの息子で、もっとも力が強い。どんなに遠くに投げても必ず自分の手元に戻ってくるという鉄槌、締めると力が倍になるという帯、それから鉄槌を扱う時に使う手袋の、三つの宝物を持っている。なお、「アスガルド」とは北欧神話の神々が住むという高い山の上にある城砦のことで、「ヴァルハラ」はその中にある戦死者のための宮殿のこと。
 トールが初めて『銀河ヒッチハイク・ガイド』世界に登場するのは、宇宙の果てのレストランのシーン。彼は他のミリウェイズの客の一人として中に神々と共に席についている。ここではトールという固有名詞は出てこないが、雷や鉄槌といった言葉で雷神トールだと分かる。
 次に登場するのは、『宇宙クリケット大戦争』でアグラジャグの憎悪の大聖堂を脱出したアーサーが飛行を覚え、乗り込んでいく「史上最長にしてもっとも破壊的なパーティ」(p. 187)の会場。ここで、トールはトリリアンに「ミリウェイズで会わなかったかい?」と話しかけナンパする(p. 194)。
 また、トールという名前は、木曜日を意味する英語 Thursday の語源でもある。が、ヴォゴン人が地球を破壊したのが「ある木曜日」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』p. 6)だったのは、単なる偶然の一致だろう。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズではあまりいいところのないトールだが、ダーク・ジェントリー・シリーズ2作目の The Long Dark Tea-Time of the Soul では準主役級で登場する。この小説では北欧神話が大幅に取り入れられているので、必ず北欧神話の基礎知識を仕入れてからお読みになることをおすすめする。


Three Men in a Boat  『ボートの三人男』

 ジェローム・K・ジェロームが1889年に発表したユーモア小説。ヴィクトリア朝の英国紳士3人(と犬が一匹)がキングストンからオックスフォードまでテムズ川をボートで旅するという物語は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』とは直接的には何の関係もないが、文章やユーモアのセンス、また主要登場人物同士の(仲が良いのか悪いのか分からない)関係など、共通点は意外に多い。河出書房文庫『ほとんど無害』に付けられた大森望氏による解説でも、P・G・ウッドハウスと並んでジェローム・K・ジェロームの名前が挙げられている他、2009年に出版された The Rough Guide to The Hitchhiker's Guide to the Galaxy では『ボートの三人男』の紹介に丸1ページが費やされている。

 『ボートの三人男』の登場人物、Jとその友人のハリスとジョージは、アーサーとその仲間たちによく似ている。まとまりがなく注意散漫、ちょっとした不満からトラブルを引き起こすが、そもそも何が問題なのか分かっていないために解決に辿り着くことはない――『銀河ヒッチハイク・ガイド』にもしょっちゅう出てくるテーマだ。どこまでもどうしようもなく無能なくせに、それでも彼らがどうにかこうにか切り抜けていくところなども、実にイギリス的である。アーサーなら、きっと彼らの良い仲間になれることだろう。(p. 19)

 


tired TV producers  引退したテレビのプロデューサー

「つまり、凍った理髪屋なんかを保存してあるっていうんですか?」アーサーが訊いた。
「そうだよ」と船長。「何百万人もいる。理髪屋、引退したテレビのプロデューサー、保険セールスマン、人事係将校、ガードマン、広告会社重役、経営コンサルタントなどだ。われわれはよその星に植民するのだ」(『宇宙の果てのレストラン』p.236)

 これは明らかに翻訳ミス。「引退した」ではなく「くたびれた」とすべきだろう。
 しかし、実はラジオ・ドラマの脚本の時点で、 'tired' という単語も元々は'Tri-D' (3次元)のタイプミスだったという。でも、ゴルガフリンチャム箱舟船団B号船には、3次元テレビのプロデューサーでなくくたびれたテレビのプロデューサーが乗っていてもふさわしいだろうとの判断で、'tired' になった。勿論、小説版でも'tired' になっている。


The Toaster Project  『ゼロからトースターを作ってみた』

 イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートでデザインを専攻する大学院生トーマス・トウェイツが、卒業制作の課題として、自力で「地中から原材料を掘り起こすところから始めて」(p. 8)トースターを作るという試みに挑戦した。「トースター・プロジェクト」と名付けられたその企画は、「ニューヨーク・タイムズ」等の大手メディアにも採り上げられ、2011年には本として出版されることに。日本でも2012年に『ゼロからトースターを作ってみた』という邦題で飛鳥新社から出版されている。
 トウェイツにとって、トースターとは「世界のほとんどの地域で、ありふれた、一般的な道具」(p. 28)だが、人間がそのありふれた道具を大量生産/大量消費することは、地球環境に大きな負荷がかかるということでもある。

 僕は現在の快適な暮らしに本当に感謝しているし、そしてテクノロジーの大ファンだ。でも、僕らが日常生活で使っているもののなかには、それがなくても、そのことに気づきもしないような製品が少なくないように思える。(略)
 僕にとって、トースターとはすなわち、必要なものと不必要なもののボーダーライン上にある、多くの製品の象徴なんだ。(pp. 29-30)

 とは言え、トウェイツが他でもないトースターを象徴として選んだのにはもう一つ別の理由があった。それは、「僕がダグラス・アダムス好きだということ」(p. 30)。『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ5作目の『ほとんど無害』に出てくる「自分ひとりではトースターひとつ組み立てられない。サンドイッチなら作れるが、それだけだ」(『ほとんど無害』、pp. 148-149)というフレーズに触発されたから。

 僕がこの本を読んだのは14歳のときだった。この一節が僕に大きな影響を与えたのは間違いなく、10年後、修士2年目の課題について思い悩んでいたときに、脳のシナプスからその記憶がよみがえったんだ。(pp. 31-32)

 2009年、トウェイツは無事ロイヤル・カレッジ・オブ・アート大学院を卒業した。
 彼の公式サイトはこちら。「トースター・プロジェクト」以外の企画もチェックすることができる。


towel  タオル

 

ARTHUR Who's Roosta?
FORD Mate of mine. Antoher researcher on the Guide, great little thinker is Roosta and great hitcher. He's a guy who really knows where his towel is.
ARTHUR Knows what?
FORD Where his towel is.
ARTHUR Why should he want to know where his towel is?
FORD Everybody should know where his towel is.
ARTHUR I think your head's come undone.
(orignial radio script, p.136)

 タオルは、間違いなく『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中でもっとも有名なジョークの一つである。
 小説版では冒頭に登場するこのジョーク、しかし実は一番最初の、6話完結のラジオ・ドラマ(第1節から第6節)には存在しない。1978年12月24日に放送された、クリスマス・スペシャル(第7節)の中で初めて登場することになる。
 アダムスにとって、これは元を正せばほんの内輪受けのジョークだったらしい。休暇でギリシャに行って数人の友達と小さなヴィラに滞在した時のこと、毎朝みんなで浜辺に出かけようとすると、アダムス一人がいつも自分のタオルを見つけられなくて、仲間をさんざん待たせたのだとか。その時の経験から、本当に人とうまくやっていける人というのは、自分のタオルのありかをちゃんとわきまえている人なんじゃないか、と思うに至ったようだ。(orignial radio script, p.148)
 内輪受けのジョークだっただけに、アダムスとしては当初これを作品に入れるのは気乗り薄だったが、蓋を開けてみると意外なまでに好評だった。今に至るもいかにこのタオルの話が知られているか、それを示すエピソードが2000年6月3日付のガーディアン紙に掲載されている。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、タオルのありかをわきまえてさえいれば何がなくとも大丈夫、ということになっている。それを受けて、ホスピスで死に瀕したある女性は「私は大丈夫。自分のタオルのありかはわかっているから」と語ったという。勿論、その女性はタオルがあれば命が助かると本気で考えた訳ではあるまい。死を目前に控えた時、その恐怖や不安に対し「タオルがあれば大丈夫」というジョークを安心や安全の象徴として用いただけのことだろう。もっとも、この話を担当編集者から聞いたアダムスはさすがに大いに当惑したそうだが。
 ともあれ、これほどのタオル人気にあやからないという手はない、ということで便乗商品のタオルも発売されたことがある。最初、マークス・アンド・スペンサーが製作に名乗りを上げた(何と言ってもフォードが地球で愛用していたタオルはマークス・アンド・スペンサー製だ)が、これは実現せずに終わった。
 その後、1984年になって、アダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』のコンピュータ・ゲームの広告担当者と話している中で、企画倒れに終わったタオルのことに触れたところ、相手の広告業者の乗り気となり、話がトントン拍子に進んで今度こそ制作・発売されることとなった。発売元はHH Towel 、第一弾は紫っぽい色と青っぽい色の2色で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のタオルに関する記述が、英国版ペーパーバックで該当する頁番号入りでタオルの全面に転写されている。第二弾は、「スコーンシュラス・シルバー」と「ビーブルブロックス・ブラウン」の2色で、値段は14ポンド95セントだった。
 ちなみに、アメリカのSF雑誌 Starlog 1986年6月号の33頁には、うれしそうな顔でこのタオルを広げたアダムスの写真が掲載されている。ただし、モノクロ写真なのでタオルの色までは分からない。が、転写されて文字なら何とか読める。以下の通り書き出してみたところ、基本的に小説版と同じだが、そのままでは長すぎるので適宜省略されていることがわかる。

The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy has a few things to say on the subject of towels.
A towel, it says, is about the most useful thing an interstellar hitch hiker can have. Partly it has great practical value - you can wrap it around you for warmth as you bound across the cold moons of Jaglan Beta, use it to sail a mini raft, wet it for use in hand to hand combat, use it to ward off noxious fumes, wave it in emergencies, and of course dry yourself with it.
Most importantly a towel has immense psychological value. What any strag (non-hitch hiker) would think is that any man who can hitch the length and breadth of the galaxy, struggle against terrible odds, and still know where his towel is, is clearly a man to be reckoned with.


Travis トラヴィス

 イギリスのロック・バンド。メンバーはフラン・ヒーリィ(ボーカル)、アンディ・ダンロップ(ギター)、ダギー・ペイン(ベース)、ニール・プリムローズの4人で、うちヒーリィーとダンロップの2人は、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のサウンドトラックに収録されたゼイフォード・ビーブルブロックスの大統領選応援キャンペーンソング(Vote Beeblebrox)に参加している。
 グラスゴー出身で、1997年にシングル「アンダー16・ガールズ」メジャーデビュー。3作目のアルバム『インヴィジブル・バンド』(2001年)は全英チャート1位を獲得し、イギリスを代表するバンドの一つとなった。なお、ダギー・ペインは2004年に女優ケリー・マクドナルドと結婚しており、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のプレミア会場には夫婦で登場している。
 トラヴィスの主なアルバムは以下の通り。

Good Feeling, 1997 『グッド・フィーリング』
The Man Who, 1999 『ザ・マン・フー 』
The Invisible Band, 2001 『インヴィジブル・バンド』
12 Memories, 2003 『12メモリーズ』
Singles, 2004 『シングルス』(ベストアルバム)
The Boy With No Name, 2007 『ザ・ボーイ・ウィズ・ノー・ネーム』


typewriter タイプライター

 2005年11月30日、生前のアダムスが使っていたタイプライターがクリスティーズのオークションにかけられ、2000ポンドで落札された(写真はこちら)。このタイプライターはアダムスがデジタル・ヴィレッジで使用していたもので、サイの保護団体 Rhino Recovery に送られていた。収益は、Rhino Recovery が受け取っている。


Vogons  ヴォゴン人

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズでもっとも有名な悪役と言えばヴォゴン人だが、その名前は実は魚のタラの一種である。でもアダムスいわく、「いかにも『ドクター・フー』や『スター・トレック』に出てくる悪役のように聞こえないか?」(Gaiman, p. 166)
 ちなみにラジオ・ドラマでは、アーサーの家を壊しに来るプロッサー氏と地球を壊しに来るプロステトニック・ヴォゴン・イェルツの二役を同一の俳優が声を担当している。と言ってもこれは単に一人の役者が急病でこられなくなり、代役としてビル・ウォリスが掛け持ちすることになったためらしい。(original radio script, p. 32)
 後に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が映画化された時も、ヴォゴン人は決して「見ていて楽しくなるような姿はしていなかった」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 60)けれど、映画のDVDが発売された頃、ドイツ語圏スイスの新聞のある広告欄でヴォゴン人のアップ写真が採用された。その新聞の画像はこちら


Waiter ウェイター

 ウェイターは、丁重な小さいウェイターらしい咳払いをした。
「当店にお見えになるお客さまが、いささか失見当を起こされるのはめずらしいことではございません。なにしろ時間旅行のあとでございますから」(安原訳『宇宙の果てのレストラン』、p. 135)

 小説『宇宙の果てのレストラン』では、「ウェイター」としか書かれていないが、ラジオ・ドラマの脚本やテレビ・ドラマのキャスト一覧には「ガークビット(Garkbit)」という名前がついている。ただし、実際にラジオ・ドラマやテレビ・ドラマの中でウェイターがこの名前で呼ばれることはない。
 また、ラジオ・ドラマの製作当時、特にたいした理由もなくウェイターはフランス人だと思われていた。が、これまた特にたいした理由もなくイギリス人という設定に変更され、アンソニー・シャープが非の打ちどころのない上流階級の人物として演じることになる(Original Radio Script, p. 106)。


whale  マッコウクジラ

 もうひとつ、忘れられてしまったことがある――見知らぬ惑星の数マイル上空に突如出現してしまったマッコウクジラのことだ。
 それは鯨にとって自然に保持できる位置ではなかったので、この哀れで、純真な生き物は、自分は鯨であるという意識に慣れる時間はほとんどなく、もはや鯨ではないという事実に慣れるしかなかったのである。(『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 172)

 アダムスは「この哀れで、純真な生き物」のアイディアを、『キャノン』というテレビの探偵ものを観ていて思いついたという。
 「その番組で、登場人物たちは信じられない程くだらない理由で四六時中銃を撃ちまくっていた。たまたまその通りを歩いていたというだけで、いともあっさり殺されてしまう、その人が一日の残りの時間をどう過ごそうかと考えていたかなんて、まるでおかまいなしに。
 僕はこのささやかな気まぐれ行為にイライラし始めたんだが、それは単に登場人物たちが殺されたからではなく、誰もまるでそのことについてどうにも気に留める様子がないからだった。殺された人たちを慮ってくれそうな人々――家族や友人、郵便配達人でもいい――は完全にカヤの外に置かれていた。「お休みなさい、かわいい王子さま」も「彼女はこの先きっと死んでしまったのね」も「ほら見ろよ、俺は今夜こいつとスカッシュをする約束だったんだぜ」もなし、ただバーンをぶっ放して、そいつを脇にどけて、また次へ。こう言っては何だが、彼らはただの大砲の餌食でしかなかったんだ。
 僕はこの線でいこうと考えた。プロットの中のちっぽけなディテールのために殺されることだけが唯一の役目というキャラクターを書こうと。そして、うまいこと聴いている人たちにそいつのことを気遣ってもらうよう仕向けよう、たとえストーリーの中の他の登場人物たちが全く無関心だったとしても。僕のこの試みはうまくいったと思う、というのも、この箇所があまりにも残酷で無神経だと指摘する多くの手紙を受け取ったからだ。もし僕がたまたまこのクジラの運命について触れず、そのまま通り過ぎていたらこんな手紙は来なかっただろう。仮に、クジラじゃなくて人間という設定にしたとしても、手紙は来なかったかもね。」
 その不幸なクジラの恨みという訳でもないだろうが、ラジオ・ドラマ製作時にクジラのシーンが全く理由不明のまま二度までもマルチ・トラックのテープから消えてしまうという事故が起こった。不吉な噂も流れたが、ジェフリー・パーキンスいわく「もう少し技術に強い人がその場に居たなら、きっと僕らが機械の使い方をちゃんと心得ていないせいだと思っただろうよ」。(original radio script, p. 88)
 後に『銀河ヒッチハイク・ガイド』の舞台が製作された時には、宣伝の一環で25フィートもあるクジラの風船がタワー・ブリッジからテムズ川に投げ込まれた。もっともあまり大きな宣伝にもならず、「スタンダード」紙にわずか3分の4インチのスペースで「警察は大変遺憾に思っている」という記事が出たにとどまったばかりか、舞台そのものもあまりの悪評に8週間の上演予定を3週間も早めて終わらせるという、無惨な結果となった。(Gaiman, p.56-57)


'When you walk through the storm...' 「嵐のなかを歩むときも……」

 コンピュータが歌を歌いだした。 「嵐のなかを歩むときも……」甘ったるい鼻声で、「頭を高くあげよう……」  ゼイフォードが金切り声で黙れとわめいたが、その声をかき消して大音響がとどろいた。しごく当然のことながら、それは近づく破滅の音だとだれもが青くなった。 「闇を……恐れては……いけない!」エディは切々と歌いあげる。(安原訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 175)

 マグラシアからのミサイル攻撃を受けた時に〈黄金の心〉号のメイン・コンピュータのエディが歌い出したのは、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世が1945年に製作したミュージカル『回転木馬』の中の一曲、"You'll never walk alone" である。
 しかし、この曲を『銀河ヒッチハイク・ガイド』で使用したことを理由に、アダムスが往年のミュージカル・ソングのファンだったと考える訳にはいかない。と言うのも、この曲は1963年にリヴァプール出身のロック・バンド、ジェリー&ザ・ピースメイカーズがカバーを発表したことでイギリスでヒットし、その人気から今度はリヴァプールのサッカークラブ、リヴァプールFCのサポーター・ソングとなったからである。多くのイギリス人同様、アダムスにとっても、"You'll never walk alone" はミュージカル『回転木馬』というよりむしろサッカーの応援歌という印象のほうが強かったにちがいない。なお、現在ではリヴァプールFCのみならず、日本のFC東京を始め、数多くのクラブチームのサポート・ソングとして広く歌われている。


Wonko the Sane 正気のウォンコ

「わたしが思うに」と正気のウォンコは言った。「どんな文明でも、爪楊枝のケースにくわしい使用方法を書くほどになったら、もうまともな頭をしているとは言えない。そんななかで暮らして正気を保つことなんかできないよ」(『さようなら、いままで魚をありがとう』、p. 218)

 正気のウォンコというキャラクターは、実際にアダムスが爪楊枝の説明書きを目にした時に思いついたものだという(Gaiman, p. 166)。爪楊枝に説明書きが必要になるほどにイカれた世界で、それでも正気を保って生きて行くにはどうしたらいいか? 外と中をひっくり返した家を建てることで、気のふれた宇宙全体を収容してしまえばいい。
 なお、ラジオ・ドラマ第4シリーズでは、この役をハリウッド俳優のクリスチャン・スレイターが務めている。


the worst poet in the Universe  宇宙一ひどい詩人

 英国エセックス州グリーンブリッジに住む、宇宙一ひどい詩人ポーラ・ナンシイ・ミルストーン・ジェニングスには、実在のモデルがいる。アダムスが学校で一緒だった人だそうで、彼はよどんだプールの中の死んだ白鳥についてのおぞましい詩を書いていたのだとか。(Gaiman, p.166)」


Year 2000 Problem 西暦2000年問題

 かつて、西暦2000年を迎えた際に、年号を二桁で管理しているコンピュータが誤作動を生じ、社会的混乱を引き起こすのではないかと恐れられたものだ。が、幸いなことに、大きな事故や問題は起こらなかった。
 今では削除されてしまったけれど、1999年当時、アップルコンピュータ社のホームページには、西暦2000年問題に対してコメントを出しているページがあり、その先頭にはアダムスの言葉が載せられていた。
 まずは英語版から。

http://www.apple.com/about/year2000/

 このページを開くと、その冒頭に以下の文章が掲載されていた。

Year 2000 Readiness Disclosure

"We may not have got everything right, but at least we knew the century was going to end."

-Douglas Adams

 続いて、同じページの日本語版。

http://www.apple.co.jp/about/year2000/

 すると、当然のことながら上記の英語版の日本語訳が出てくる。

西暦2000年問題への対応について

「すべてを正しく行なうことはできなかったにしろ、少なくとも20世紀が終わろうとしていることは計算済みだ」

ダグラス・アダムス(英国のSF作家)

 英語版ではダグラス・アダムスと名前だけが書かれているのに対し、日本語版ではわざわざ(英国のSF作家)の但し書きが付けられているところに注目していただきたい。英米では、米国アップルコンピュータ社の作った2000年問題対応のホームページの先頭に肩書なしで登場するほどに、ダグラス・アダムスの名前は知られていた。

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