2011年5月、クリスチャン・エルケンブレッヒャー(Christian Erkenbrecher)の研究論文 The "Hitchhiker's Guide to the Galaxy" Revisited: Motifs of Science Fiction and Social Criticism が発売された。概要は以下の通りだが、まとめたのは素人の私なのでとんでもない誤読をしている可能性は高い。そのため、これはあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。
1 イントロダクション
『銀河ヒッチハイク・ガイド』についての簡単な説明。ラジオ・ドラマから映画まで、各種メディアの概略を述べた後、この論文では、作品の中核をなすのは小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』と『宇宙の果てのレストラン』の2作と看做してこの先の分析を進めていくことを宣言している。その上で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』がSFというジャンルをいかに参照しているかを精査したいと述べる。
2.1 サイエンス・フィクションの定義
そもそもSFとは何か。さまざまなSFの定義付けを参考にして、この論文におけるSFの定義は、「SFは、理想的には教訓的な登場人物が読者にメッセージを届けるものである。未来に目を向けることで現在を映し出すものだ、とも言える(p. 8)」("SF is ideally united by didactic character offering a message for the reader. It can be stated that Science Fiction , by attempting a look to the future, it mirrors the present.")。
2.2 SF史概略
SFの起源および発展の歴史を概説する。主要参考文献と思われるものは、デイヴィッド・プリングルの The Ultimate Encyclopedia of Science Fiction と The Cambridge Companion to Science Fiction 辺りか?
SFの起源として、トマス・モアの『ユートピア』(1516年)やフランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』(1617年)を取り上げ、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』、エドガー・アラン・ポー、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウエルズと続き、20世紀に入ってガーンズバックとパルブ雑誌の時代を経て、1930年代から50年代の「黄金期」、1960年代の「ニューウェーブ」を簡単に説明している。1980年代以降のSFについては、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の執筆以降だからという理由で省略された。ただし、最近のSFの特徴として以下の3点を挙げている(p. 24)。1・科学技術の進歩について悲観的な見方をする
2・ファンタジー色が強くなりがち
3・登場人物のモラルや心理といった「インナー・スペース」に目を向けることが多く、人類に限らずアンドロイドやロボットやエイリアンについてさえ同様の傾向がある
2.3 『銀河ヒッチハイク・ガイド』に見られるSFの基本パターン(テンプレート)
デイヴィッド・プリングルは、The Ultimate Encyclopedia of Science Fiction の中でSFにおける基本パターン(テンプレート)10項目を挙げた。この論文では、ブリングルの言う10項目が、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中でどのような形で使われているかを一つずつ検証していく。
1 異星間ロマンス(Planetary Romance)
主人公が、別の惑星に赴き、その惑星の誰かと恋に落ちるというパターン。『銀河ヒッチハイク・ガイド』にこの要素はない。
2 未来都市(Future City)
未来都市とその住人たちを描くというパターン。『銀河ヒッチハイク・ガイド』にこの要素はない。
3 災害(Disasters)
主人公が文明崩壊の危機、あるいは文明崩壊後の世界にいるというパターン。崩壊の理由は、エイリアンの侵略によるものでも人類自身の過ちのせいでもかまわない。『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、ヴォゴン人が地球を破壊するという点で、このパターンに則っていると言える。ただし、使い方にはアダムス独自のひねりが入っているが。
4 歴史改変(Alternative Histroies)
実際の歴史に「もし」を加えて、もう一つの歴史を創り上げるというパターン。初期の『銀河ヒッチハイク・ガイド』にこの要素はない(『宇宙クリケット大戦争』には出てくるが)。
5 先史時代のロマンス(Prehistorical Romances)
先史時代の人々が文明に目覚めていく姿を描くというパターンで、ポイントは人類学や古生物学といったジャンルの科学知識を駆使して書かれているところ。『銀河ヒッチハイク・ガイド』にこの要素はない。
6 時間旅行(Time Travel)
主人公が時間の流れの中を行ったり来たりするというパターン。初期の『銀河ヒッチハイク・ガイド』にこの要素はない。
7 異星人の侵略(Alien Intrusions)
SFのもっとも基本パターンと言われる、エイリアン侵略もの。『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、ヴォゴン人による地球の破壊がその典型だが、ウエルズの『宇宙戦争』に出てくる火星人と違い、ヴォゴン人は地球の表面には降りてこない。また、ヴォゴン人よりも15年も前にフォードが地球に来ており、これも一種の平和的な「異星人の侵略」と言える。
8 超能力(Mental Powers)
超能力は、SFよりファンタジーに親和性が強い。『銀河ヒッチハイク・ガイド』にも、ファンタジーに近い要素はいくつかある(無限不可能性理論など)が、超能力の要素は見つけられない。
9 スペース・オペラ(Space Opera)
ゲイリー・ウェストファールは、SFの解説書 The Cambridge Companion to Science Fiction というに寄稿した「スペース・オペラ」というタイトルのエッセイの中で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を「傑出した風刺型スペース・オペラの一例」と評している(詳しくはこちらへ)。デイヴィッド・プリングルも、「初期のスペース・オペラのアイディアやテーマが、アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中で容赦なくパロディ化されている」と書いた。『銀河ヒッチハイク・ガイド』がスペース・オペラだとしても、ジャンルの約束事をパロディ化しているという意味では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』は次の「Comic Infernos」に分類するほうが適当ではないか。
10 風刺(Comic Infernos)
SFには、遠く離れた未来や異星の世界を描くことによって、逆に現実世界の不条理を明らかにするという効果がある。風刺劇の発展形だ。『銀河ヒッチハイク・ガイド』はその典型。
以上の10項目に加えて、この論文ではもう一つ、新しいパターンを追加している。すなわち、「Mock SF」(SFパロディ)。これは、カール・R・クノッフのエッセイ "Douglas Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction." によるもの。主人公が地球を救う、というジャンルの約束事をのっけから覆し、人類の栄光を讃えるどころか主人公はエイリアンたちによってたかってサル呼ばわりされる。そして、本来なら秩序と指針の権化のようなSFにおいて、アダムスはわざと無秩序と無目的を持ち込んでいる。
3 『銀河ヒッチハイク・ガイド』に見られるSFのモチーフ、アイディア、手法
デイヴィッド・プリングルは、The Ultimate Encyclopedia of Science Fiction の中でSFにおけるよく知られた要素(アイディア)6項目を挙げた。この論文では、ブリングルの言う6項目が、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中でどのような形で使われているかを一つずつ検証していく。
3.1 エイリアン
SFに登場する異星の生命体は、いくつかの種類に分類することができる。「ヒューマノイド型」(外見は基本的に人間と同じ)、「動物型」(形状はさまざま)、「ハイブリッド型」(ヒューマノイドと動物の中間)、「実体なし型」(身体がない)など。
3.2 『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場するエイリアン
『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場する「ヒューマノイド型」は、フォード、ゼイフォード、スラーティバートファースト。「動物型」ははつかねずみ、バベル魚。「ハイブリッド型」はヴォゴン人。「実体なし型」は高次元生命体としてのはつかねずみ、〈黄金の心〉号の建設に携わったとして『銀河ヒッチハイク・ガイド』にちらっと登場する、超知性身体のフルヴー。
従来のSFでは、「ヒューマノイド型」のエイリアンは、人間と似て非なる者(超能力を持っている等)として描かれることが多かったが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のヒューマノイド型エイリアンはむしろ人間とたいして変わらない存在として描かれている。人類と比べて優れている訳でも劣っている訳でもない。いわゆる「ヒューマン・スピリッツの勝利」がコケにされている、とも言える。
「ヒューマノイド型」でないエイリアンは、トリビアのような形でさまざまなものが出てくる。ただし、アダムスはいわゆる宇宙モンスターのような、単純な敵タイプのエイリアンは登場させていない。また、異なる種族同士での意思疎通を可能にするための方法として登場するバベル魚は、アイディアそのものも画期的だが、意志疎通ができれば平和がもたらされるのではという想定をひっくり返すという点でも興味深い。
3.3 テクノロジー
SFでは、それぞれの時代に実用化されていたテクノロジーの、その一歩先を予想する。1940年代初期なら原子力、1950年代ならコンピュータ、といった具合に。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』にもSF特有の科学技術に関するテーマ、宇宙旅行や人工知能や情報技術は登場するが、他のSF作家とはアプローチの仕方が異なっている。
3.3.1 テクノロジー全般
『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場するSFっぽいテクノロジーは、日常生活にかなり近い形で描かれている。未来のテクノロジーを予測するというより、最新テクノロジーに潜むナンセンスを暴く、というか。例としては、「栄養飲料自動合成機」とか、ヴォゴン人の詩の朗読装置とか。
3.3.2 「ガイド」
アダムスが1970年代末に書いた「銀河ヒッチハイク・ガイド」という電子書籍は、見事な未来予測となった。また、他のSFではこの手の科学技術はすごく進んだ、ほとんど神秘的なまでのものとして描かれている(そのため、神話にちなんだような名称がつけられることが多い――『2001年 宇宙の旅』のHAL 9000とか)のに対し、アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」はそういう神秘化をからかうかのようにごく日常的な言葉(Don't Panic)が使われている。
3.3.3 移動手段
アーサーとフォードが地球からヴォゴン人の宇宙船にヒッチハイクするシーンでは、いわゆる物質転移が行われているが、その仕組みについてアダムスは具体的な説明をしていない。代わりに、「塩分とタンパク質が少し失われる」といった表現で、従来の典型的なSFファンをからかっている。
3.3.4 人工冬眠
多くのSFで、広大な宇宙空間を移動するための手段として人工冬眠技術が使用されている。人工冬眠技術の扱い方において『銀河ヒッチハイク・ガイド』が他のSFと決定的に違うのは、人工冬眠するのは人ではなく惑星マグラシア丸ごとだという点だ。また、人工冬眠する理由も、宇宙旅行をして高邁な思想を広めるだとか新しい惑星を発見するだとかいう立派なものではなく、単なる金儲けだというのも皮肉が効いている。
3.4 宇宙旅行
宇宙旅行はSFの定番であり、勿論『銀河ヒッチハイク・ガイド』にも出てくる。
最初に登場するのはヴォゴン人の宇宙船。テクノロジーに関する具体的な描写はないが、外観が黄色というのは、アーサーの家を壊すブルトーザーの黄色と呼応している。
次に、《黄金の心》号。この宇宙船は、他のSFにも類をみない「無限不可能性駆動」で動く。これは、単なる移動の手段というだけでなく、「無限不可能性駆動」が作動している間はどんなにありえないことでも起こりうるという状態を作り出し、結果、アーサーとフォードは《黄金の心》号に拾われることになる。理屈の上では、「ものすごくありえない」は「不可能」ではないから。
アーサーが「無限不可能性駆動」のボタンを押して、ミサイルをマッコウクジラとペチュニアの鉢に変えるシーンがあるが、これもまた従来のSFが目指す秩序と指針の真逆をいく。
さらに、「無限不可能性駆動」のせいでこれまでのハイパースペースが不要になった、という話は、従来のSFにおける宇宙旅行をコケにしているとも言える。ましてや、ハイパースペースためのバイパス工事のせいで地球が破壊されるとあっては。
また、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の冒頭でフォードが説明する「ティーザー」(安原訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 74)も、従来の惑星間旅行をからかっているといえる。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の世界において、宇宙旅行に決死の覚悟は必要ない。単なるちょっとした娯楽なのだ。
3.5 武器と星間戦争
いかにもSFな武器と言えば、レーザー銃や核兵器。どちらかと言うと、小説よりも映画やコミックといったビジュアル系のメディアでフューチャーされることが多い。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』にも、SFの典型的な武器は出てくる。ヴォゴン人の宇宙船に搭載された「スタン光線(stun-ray)」(同、p. 97)とか。二人の警官がゼイフォードを逮捕する時に使用する「瞬殺光線(Kill-O-Zap)」(同、p. 275)とか。ただし後者は、せっかくの優れた武器も使い手が間抜けではどうにもならないというオチになる。
その他の武器は、SFというよりもっと現実世界に近いもの。惑星マグラシアのミサイルとか。もしくは、知性そのものが武器となる――マーヴィンが宇宙船に話しかけることで宇宙船を自殺に導く、とか。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』の登場人物は、強い武器を使って危機を脱出したりしない。彼らが生き延びるのは、単なる奇妙な偶然のおかげである。
そして、アダムスの手にかかると星間戦争も単なるジョークになる。
3.6 人工知能
1960年代頃までのSFに登場する人工知能は、人類に変わって理性的な決断を下してくれる良いAIか、人類を抑圧する悪いAIかのどちらかだった。コンピュータ技術の発達に伴い、SFにおける人工知能もネットワークで繋がるようになり、独自の意識を持って人類に半旗を翻すようになる。代表例は映画『マトリックス』。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる人工知能と言えば、まずディープ・ソート。このコンピュータは未来予測もするが、それは超自然的行為ではなくあくまで進んだ技術のなせる技というのがアダムスらしい。そして、ディープ・ソートが予言・製作した人工知能が地球。
《黄金の心》号には、エディという人工知能が搭載されている。極めて高度なコンピュータであるにもかかわらず、「記録として」いちいち紙にプリントアウトする辺りがリアルでおかしい。アダムスはAIを闇雲に恐れるのではなく、おもしろがっている。
そしてマーヴィン。限りなく人間に近い形態で作られたのがアンドロイド(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)、あくまで機械然としているのがロボット(『スター・ウォーズ』のR2D2)、という区分けで考えれば、マーヴィンはアンドロイドだ。「人間そっくりの人格」(同、p. 128)を搭載されたマーヴィンは、ずっと落ち込んでいる。惑星サイズの頭脳があるのにそれにふさわしい仕事を与えられないためだが、「自分の能力を十分に活かすことができない」という不満は、1980年代初期のイギリスの大卒者たち、大学を卒業したのに就職できない若者たちの心理を反映しているとか。
「銀河大百科事典」と「シリウス人工知能株式会社」のロボットの定義をみても、アダムスがSFに出てくるロボット像を正しく踏襲すると同時に、それをからかう気持ちもあったことが伺える。
3.7 タオル
何気ない日常品が、アダムスの手にかかると宇宙旅行者必携のアイテムに変わる。詳しくは、『宇宙の果てのアンソロジー』に収録された Mark W. Tiedemann のエッセイ、"Loop-Surface Security: The Image of the Towel in a Vagabond Universe - A Semiotic (Semi-Odd) Excurtion"を参照のこと。
3.8 多世界/並行世界
ここで言う「多世界」とは、単に宇宙には数多くの惑星があり、さまざまな世界がある、程度の意味。いわゆる別次元の並行宇宙の問題は、初期の『銀河ヒッチハイク・ガイド』には登場しない(『ほとんど無害』では中心テーマとなっているが)。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』で並行宇宙のアイディアに近いのがマグラシアの惑星建設事業である。トリリアンとゼイフォードとフォードは、「録感テープ(Sens-O-Tape)」(同、p. 235)でマグラシアの惑星カタログを実際にその現場にいるように体感する。また、マグラシアは地球がヴォゴン人に破壊されると「地球第二号」の製造を請け負いもする。
地球ははつかねずみが発注した一製品にすぎないという設定は、地球とは知的生命体が住む唯一無二のものだという考えを根底から覆す。さらには、神のような超自然の存在をも否定する。このような姿勢は、アダムスの無神論的世界観を反映している。
3.9 哲学的/宗教的問題
SFは「科学」を取り扱うフィクションだが、哲学的/宗教的問題に言及することも少なくない。宇宙とは、時間とは、我々が存在する意味は? SFは、時にそういった問いと向き合おうとする。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』でも、そういったトピックがあちこちで取り上げられている。ただし、そういったトピックはアダムス自身の考え方を伝えるためではなく、いかに人類一般が勝手な理由づけをしているかを笑い飛ばすためにある。そして、「生命と宇宙と万物についての究極の答え」をめぐるやり取りでは、哲学そのものをジョークにされてしまう。
宗教に関しては、アダムスは不可知論者、後に一歩進んで無神論者になった。その考え方が顕著に表れているのが、バベル魚。それから、マグラシアによる地球製造。アダムスが、いかに「神が地球を創った」的な考えを嫌っているかがよく分かる。
哲学的主題は矮小化され、宗教的主題は攻撃される。どちらの問題もSFにはよく登場するが、普通のSFでは主人公が何らかの解答なり解決なりを見つけ出すのに対し、凡人アーサーはそういった主題に出会いしはしてもいかなる結論にも辿り着けない。
4 社会批判の要素
4.1 社会批判としてのSF?
SFに社会批判など不要、という考え方と、SFこそ社会批判に最適、という考え方がある。前者の言い分は、SFに社会批判的要素があったとしても象徴的すぎて実際に社会を改革しようという運動には繋がらないというもの。しかし、たとえ直接的な政治的活動に結びつかなかったとしても、現実の社会を写す鏡としてのSFの役割は否定できないし、核戦争や環境汚染が引き起こす危険等について知らしめる役割も果たしていると言えるのではないか。
この論文で言うところの「社会批判」の定義は、「社会構造を分析し、実際的な解決を得るための明確な手段を提示すること」。となると、『銀河ヒッチハイク・ガイド』は「いかに実際的な解決」とかけ離れているかを問うことになる。また、社会批判には、直接的に述べられるものと、文章の中から引き出される間接的なものの2種類がある。
パロディと風刺の違いについては、パロディは「(パロディ化する)対象のスタイルをユーモラスに真似たもの」であり、風刺は「人間や社会の問題点を、誇張したり皮肉ったりしてからかうこと。批判したり人を傷つける意図を持って行われることが多い」。この定義に従えば、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はSFをパロディ化し、現実社会を風刺しているということになる。
4.2 政府や官僚構造への批判
アーサー・デントの自宅倒壊とヴォゴン人の地球破壊、どちらの事例でも適切な一般公示が行われたとは言えない。官僚が決めたことに、しぶしぶ従わされるばかりだ。
銀河大統領のゼイフォードのありようを見れば、アダムスの政治批判ははっきりしている(真の支配者は別にいて、大統領職はあくまで真の権力の所在を一般人の目をそらせる役割でしかない)。ステレオタイプではあるが、むしろステレオタイプを利用して政治家の腐敗をからかい、裏で権力を行使している者たちを批判している。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』における政治批判については、『宇宙の果てのアンソロジー』に収録されたヴォックス・デイのエッセイ、"The Subversive Dismal Scientist: Douglas Adams and the Rule of Unreason" に詳しい。
4.3 人間行動と性格特徴の批判:人類の思い上がりを非難する
無神論者のアダムスは、科学的かつ理性的に世界のありようを説明しようとする。科学的事実に基づかないという理由で、宗教的な考えは否定される。バベル魚はその好例。ただし、神を消し去るだけに飽き足らず、さらにその先までいく(黒を白と言い含める云々)という人類の性格特徴も示している。満足することができない、という性格特徴は、惑星マグラシアに自分好みの惑星を発注する金持ち証人たちの姿にも見ることができる。この二つの例は、人類の欠点を直接的に批判している。
マグラシアについては、経済に関する批判でもある(景気が復活するまで人工睡眠状態で待つ)。人類の欲深さをほのめかすと共に、企業経営のやり方を皮肉っている。
性格特徴についての批判、という点では、人類の思い上がりがとことんコケにされている。地球は「ZZ9 Plural Z Alpha」という地番のついた宇宙の片隅にある小さな惑星であり、『銀河ヒッチハイク・ガイド』には「ほとんど無害」としか書いてもらえない。そのちっぽけな地球の中でも、人類は三番目に利口な生物に過ぎないという。こういった記述は、大抵のSFでは地球人の主人公が出会うエイリアンよりも優れているという設定になっていることを考えると、ジャンルSFに対する批判にもなっている。地球は「究極の問い」を計算するためのコンピュータにすぎなかった、という展開といい、『銀河ヒッチハイク・ガイド』では何度も何度も地球中心、人類中心の考え方が否定される。
こうした考え方はアダムスの環境問題に対する関心の現れとも解釈できる。
4.4 SFコメディにおける社会批判の有効性
SFコメディに社会批判を盛り込むことは可能だ。ただし、読者がそれをきちんと把握できるかどうかの問題は残る。アダムスの意図を理解するためには、ある意味「行間を読む」作業が必要になってくるからだ。
また、アダムスは社会の問題点を指摘しても改善案を提示しない。その点を非難することもできようが、むしろ答えを出さず読者自身に委ねることこそアダムスの狙いだったのではないか。
5 まとめ
この論文では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を社会批判の要素から分析しようと試みた。そのためにまずはSFの歴史に目を向け、これまでのSFに多くみられるモチーフや手法をアダムスが自作の中でどのように故意に転用しているかを調べた。
テンプレートに関しては、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はコミック小説をもじったスペース・オペラだと断言することができる。モチーフについては、古典SFの主要素の中でも「エイリアン」と「テクノロジー」に特に注目すべきと思われる。
最後に、アダムスがSFの約束事をひっくり返したのは単に読者をおもしろがらせるためだけでなく、現実社会の問題に目を向けさせるためでもあったことを明らかにした。『銀河ヒッチハイク・ガイド』における隠喩は現実の生活に結びついており、読者は自分が生きている実世界との類似を認識させられることになる。