多くの者は伝説的な巨大船<宇宙船タイタニック>号が一番だと言っていた。いまから数百年前に、しかるべき理由からアートリファクトヴォルという名の小惑星を集めた巨大発着場から出航した豪華船である。
(略)
レーザー光線に照らされた造船ドックの骨組のなかに横たわった<宇宙船タイタニック>号は、浜辺にうちあげられたアルクトゥールスの銀色をした超巨大クジラを思わせて、息を呑む見物だった。恒星間宇宙の闇を背景にして、光のピンや針が明るい雲のように林立していた。しかし、発進した宇宙船は、最初の無線通信――SOS――を最後まで送りだすことさえできぬうちに、突如として完全に存在を消してしまった。
しかし、その出来事は、幼年期の科学による災害であると同時に、別の科学が頂点をきわめたことの証拠でもあった。<宇宙船タイタニック>号の発進を三次元テレビで見た人数のほうが、当時存在していた人数より多いことが証明されたのである。これは視聴者研究学の最大の進歩であったといまでは考えられている。(『宇宙クリケット大戦争』、pp. 122-123)
『宇宙船タイタニック』は、アダムスがチーフ・ファンタジストを務めた会社、デジタル・ヴィレッジの最初の製品である。元々のアイディアは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ3作目の小説、『宇宙クリケット大戦争』に既に登場済みで、これをさらに発展させてCD-ROMのアドベンチャー・ゲームを製作し、またそのノベライズも同時に出版する形で、企画は進められた。
アダムスは、美しいグラフィックで人気を博したアドベンチャー・ゲーム『Myst』を気に入っており、自作のコンピューター・ゲームもそれに負けないものにしたいと考えていた。そのため、『宇宙船タイタニック』のデザイナーには映画『恋の闇 愛の光』(1995年)で美術チームの一員だったオスカー・チコーニとイザベル・モリーナを起用する。こうしてアダムスの希望通り、伝説的な豪華船の内装が整えられることになった。
このゲームでは、宇宙船タイタニックに乗り込んだプレイヤーは、船内のロボットたちと会話しながらゲームを解いていくことになる。プレイヤーがロボットの発言に対して返事を入力すると、TrueTalk
というプログラムが働いて、あらかじめ録音されている膨大なセリフの中から最適なものを選んで、音声で返答する。つまり、ゲームの製作者としては、プレイヤーがどんな返事をするかを想像し、それにふさわしい返答を何種類も事前に用意しておかなくてはならない。アダムスを含む何人ものライターが準備したセリフは、のべ6時間分にも及んだ。
その一方で、小説版も執筆しなければならない――アダムスとしては、最初は勿論自分で書くつもりだったが、結局ゲーム製作との同時進行は不可能と悟り、ゲームの中でオウムの声を担当していたテリー・ジョーンズに依頼することになった。テリー・ジョーンズはモンティ・パイソンのメンバーの一人で、アダムスとは旧知の間柄である。児童書やチョーサーについての専門書を出版していることでも有名だが、意外にも普通の小説を書くのは『宇宙船タイタニック』が初めてだった(内容の詳細についてはこちらへ)。
ゲーム製作に専念できることになったとは言え、案の定ゲームの完成は遅れに遅れた。当初の発売予定は1997年6月だったが、年末まで延期となり、結局それでも間に合わず、12月に小説版だけ先に出版されることになる。この小説、アメリカではハードカバーで、イギリスではペーパーバックで出版されたが、プロモーション・ツアーのタイミングも悪ければ、イギリス版ではアダムスの序文の一部が抜けていたりと、不運が重なったこともあって、英米どちらでもあまり話題にならず、ベストセラー・リストに入ることもなく終わってしまった。
肝心のゲームのほうは、1998年1月に発売と宣伝されたものの実際に店頭に並んだのは4月。ゲームを新発売するに最適なクリスマス・シーズンを逃してしまったこともあって、売り上げは関係者の予想を大幅に下回るものとなった。しかも、マック・ファンのアダムスのゲームだというのに、この時発売されたのはウィンドウズ版のみで、マック版の発売はそれから約1年後、1999年3月のことになる。
また、小説版とは別にゲームの公式項略本もゲームに先駆けて発売されている。が、こちらの売れ行きもはかばかしくなかったのか、マック版のゲームが発売されると定価19.95ドルの攻略本がもれなくパックでついていた。なお、この攻略本につけられたアダムスの序文についてはこちらへ。
ちなみに、日本でも日本語マニュアル付きのゲーム(ウィンドウズ版のみ)が発売されている。ゲームのパッケージには、「日本語マニュアル&完全日本語版へのアップグレードサービス付」と書かれていたが、製造元いわく「技術的な理由により」日本語版へのアップグレードは製作されなかった。しかし、ドイツ語版『宇宙船タイタニック』は製作され、ゲームも小説もなかなかのヒットとなったらしい。何と、小説版を元にしたラジオ・ドラマまで製作され、おまけにそのCDも発売されたという。