以下は、コンピュータ・ゲーム『宇宙船タイタニック』のノベライズ本(1997年)にアダムスが寄せた序文である(ノベライズしたのはテリー・ジョーンズ)。ただし、訳したのが素人の私なので、少なからぬ誤訳を含んでいる可能性が高い。そのため、この訳はあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は、必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。
「宇宙船タイタニック」のアイディアを初めて思いついたのは、他のオリジナルなアイディアの時と同じで、どこからともなく出てきた単なるフレーズだった。何年も、それは小説『宇宙クリケット戦争』に出てくるちょっとした余談に留まっていた。「宇宙船タイタニック」は処女航海の直後に「突如として完全に存在を消してしまった」と私は書いた。次のプロットに移るまでの、ちょっとした文章だった。「これもいいけど、まず先に急ぎのプロットのほうを完成させなくちゃ」と思ったのである。で、小説『宇宙クリケット戦争』では二つか三つの段落で終わってしまったが、しばらくしてから「このアイディアはもっと膨らませる余地があるぞ」と考えるようになり、しばらくあれこれいじくり回してみた。一時は独立した1冊の小説に仕上げることも検討したが、あまりいい考えとも思えず、それでもいつも気になってはいた。
1980年代半ばに、私はインフォコムという会社と共同でテキストオンリーのコンピュータ・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』を製作した。その仕事はすごくおもしろかった。プレイヤーは、機械とのヴァーチャルな会話に引き込まれる。そういったものを書いていると、ヴァーチャルな聴衆がどんな反応をするかを想像し、準備を整えようとする。でも、数千年もの長きに亘って人類の文化が証明してきた通り、テキストでできることはものすごくたくさんあるけれど、昨今のコンピュータが可能にしてくれたことは、結局のところ、印刷術が生まれる以前の、昔ながらのインターラクティブなストーリーテリングを復活させただけのように私には思えた。勿論、その頃の人類は「インターラクティブ」という言葉は使わなかった。「インターラクティブ」でないものを知らなかったのだから、わざわざ特別な呼び名をつける必要はなかった。誰かが立ち上がって物語を語り出したら、聴衆は反応する。すると物語の語り手は、それに対して反応を返す。印刷術の誕生が、インターラクティブな要素を取り払い、物語をぎちぎちの型に閉じ込めたのだ。コンピュータによるインターラクティブなストーリーテリングは、この二つの形式を一つにまとめる最良の手段になるかもしれない、と私は思った。しかしながら、このメディアが発達途上だった時期にコンピュータ・ブラフィックスの波が押し寄せてきて、この種のゲームを絶滅に追いやってしまった。テキストはとても豊かなメディアだが、コンピュータの画面上ではつまらなく見える。テキストゲームは光ったり動いたりしないし、ということで、光ったり動いたりものに道を譲らざるを得なかった。
初期のコンピュータ・グラフィックスは、勿論、トロくて粗くて見苦しかった。メディアとしてあまり関心を持てなかったが、おとなしく待っていればそのうち良くなるんじゃないかと思った。果たして10年後、良くなっていた。ただ、インターラクティブという点では、画像を指してクリックするだけなので、むしろ大幅に退化していた。テキストゲームなら、プレイヤーを対話に引き込んでくれたのに。両者を結びつける方法はないものか……。
この時期、私は友人と共に、デジタル・ヴィレッジというデジタルメディアの会社の立ち上げに関わっていた。その最初の大きなプロジェクトとして、芸術レベルのグラフィックスに加えプレイヤーがゲームのキャラクターと対話できるような構文解析ツールを備えた、CD-ROMのアドベンチャー・ゲームを作るというのはどうだろう。ここで突然、「宇宙船タイタニック」のアイディアが浮上した。
我々が着手したこのプロジェクトがどんどん巨大化していく中で、ノベライズの企画も出てきた。普段の私の仕事は小説を書くことだが、今回は普段の私の仕事とはまるで異なり、何と、始まりだけでなく、中間の過程と、(驚くべきことに)はっきりとしたエンディングのあるストーリーを組み上げようとしたのだからすごい。しかしながら、出版社は売り上げを促進するためには小説はゲームと同時に出版しなくてはならないと主張した(私にはこれはおかしな主張に思えた――出版社はこれまで私の本をCD-ROMのゲームのおまけが付いていなくても売ってくれていたのだから。でも、これが出版社の言い分であり、知っての通り出版社は惑星ゾグの出身だから仕方がない)。私がゲームと小説を同時に仕上げるのは無理だった。小説を書くなら、そもそも最初に始まった企画であるゲームから手を引かなくてはならない。となると、誰に小説を書いてもらえばいいだろう?
ちょうどこの頃、テリー・ジョーンズが製作会社のオフィスに顔を出していた。半分イカれた作業員に飼われていたけれど船に取り残されてしまったオウム、というキャラクターの声を担当してくれることになったのだ。実際、彼はあの役のために生まれてきたと言ってもいい。テリーは、我々が何ヶ月もかけて作り上げたグラフィックやキャラクターのアニメーションにすべて目を通すと、このプロジェクトに大興奮し、致命的な一言をつぶやいた。「何か他に君たちのお役に立てることはないかな?」私は答えた。「小説を書いてみるというのは?」「いいよ。ただし」と彼は続けた。「裸で書いてもいいならね」
テリーは既知宇宙でもっともよく知られた有名人の一人であり、彼のお尻は彼の顔よりちょっとだけマイナーにすぎない。勿論、厳密に芸術的な必要がある場合に限られてはいるが、彼の芸術作品にはものすごく頻繁に登場する。「空飛ぶモンティ・パイソン」に出てくる「裸のオルガン弾き」や「キャロル・クリーヴランドとベッドにいる男」、映画「ライフ・オブ・ブライアン」に出てくる「穴ぐらの裸隠遁者」(この映画を彼は全裸で撮影したが、彼以外のキャストは大体服を着たままだった)など、ジョーンズ氏にとって創造的な人生とはすなわち裸で大騒ぎ、だった。彼は有名な映画やテレビの監督であり、脚本家であり、中世の研究者であり、栄えある児童文学賞を受賞した『エリック・ザ・バイキング』をはじめとする児童小説の作者でもあるが、それでもまだ新しい仕事に挑戦する妨げにはならなかった。それゆえに、『宇宙船タイタニック』は裸で書くという条項が出てきたのだ。お尻丸出しでワードプロセッサーの前に座った男からは、一体どんなに新鮮で、軽やかで、リリカルな言葉が出てくるだろう。
私が25年前に初めて会った時、彼はエグゼターにある緑豊かな郊外の通りでかわいい花柄のドレス姿で戦略核兵器の装置をカートに乗せて持ち歩いていたが、以来、テリーとはいつか共同作業してみたいと思っていた。まもなくみなさんにもお判りいただけるだろうが、彼は私が自分で書くよりずっとおかしくてやらしくてすてきな小説を書き上げてくれたし、ついでにとびきりユニークなクレジットも手に入れた――「オウムと小説 テリー・ジョーンズ」ダグラス・アダムス