ダグラス・アダムス関連人物一覧 -C-

Cameron, James ジェームズ・キャメロン
Calame, Don ドン・カラム
Canter, Jon ジョン・カンター
Carroll, Lewis ルイス・キャロル
Carter, Jim  ジム・カーター
Cawardine, Mark マーク・カーワディン
Cerf, Christopher クリストファー・サーフ
Chadbon, Tom トム・シャドボン
Chapman, Graham グレアム・チャップマン
Chatwin, Bruce ブルース・チャトウィン
Chibnall, Chris クリス・チブナル
Clark, Fey フェイ・クラーク
Clarke, Arthur C. アーサー・C・クラーク
Cleese, John ジョン・クリーズ
Cobb, Ron ロン・コッブ
Coleridge, Samuel Taylor サミュエル・テイラー・コールリッジ
Colfer, Eoin オーエン・コルファー
Colgan, Jenny T. ジェニー・T・コルガン
Colman, Olivia オリヴィア・コールマン
Cornish, Joe ジョー・コーニッシュ
Cox, Brian ブライアン・コックス
Curtis, Richard リチャード・カーティス
Cuse, Carlton カールトン・キューズ


Cameron, James  ジェームズ・キャメロン 1954.8.16-

 ハリウッドを代表する映画監督。一時は、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督候補の一人に挙がっていた。
 1992年、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化が一向に進展しないことに業を煮やし、自作の映画化権をコロンビアから買い戻そうと考える。最終的に買い取れたのは1993年に入ってからのことだが、1992年6月には監督候補を探し始めており、ちょうど『ターミネーター2』を大成功させた直後だったキャメロンの名前も出たらしい。今となっては、当時のキャメロンがもし『銀河ヒッチハイク・ガイド』を映画化していたらどんな作品になっただろうと想像するしかないが、映画化が不首尾に終わった後もアダムスとキャメロンには個人的な親交があったようだ。アダムスが『宇宙船タイタニック』を、キャメロンが『タイタニック』を製作した後、二人揃って急流下りに参加し、その時キャメロンがアダムスに向かって「タイタニックのプロジェクトに携わった二人が、ボートを転覆させまいと奮闘しているなんてヘンなもんだね」と言ったとか(Hitchhiker, pp. 304-305)。
 キャメロンの主な監督作品は以下の通り(*はドキュメンタリー)。

Piranha Part Two: The Spawning (1981)  『殺人魚フライング・キラー』
The Terminator (1984)  『ターミネーター』
Aliens (1986)  『エイリアン2』
The Abyss (1989)  『アビス』
Terminator 2: Judgment Day (1991)  『ターミネーター2』
True Lies (1994)  『トゥルーライズ』
Titanic (1997)  『タイタニック』
Aliens of the Deep (2005) * 『エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ』
Avatar (2009)  『アバター』


Calame, Don  ドン・カラム 1968.10.10-

 アメリカの作家・脚本家。これまでに2冊のヤング・アダルト小説(Swim the FlyBeat the Band)を出版している。ウェブ版「ガーディアン」に2011年6月14日付で寄せた記事によると、10代の時に初めて小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んで、本を読むことのおもしろさを痛感したのだとか。同記事には、カラムが夏休みの読書として10代の少年少女に薦める10冊の小説が挙げられているが、1位が『銀河ヒッチハイク・ガイド』なのは当然としても、2位に Dirk Gently's Holistic Detective Agency を入れている辺り、かなりのダグラス・アダムス・ファンなのは間違いない。ちなみに、3位以下の作品は、

 3位 メルヴィン・バージェス Doing It
 4位 アンソニー・マクガワン Henry Tumour
 5位 M・T・アンダーソン Burger Wuss
 6位 John van de Ruit, Spud
 7位 ネッド・ ヴィズィニ Be More Chill
 8位 ジェイク・ウィズナー Spanking Shakespeare
 9位 スティーヴン チョボウスキー 『ウォールフラワー』
 10位 トム・ペロッタ Election

 カラムはニューヨーク生まれ。ニューヨーク郊外にあるアデルファイ大学を卒業後、ロサンジェルスに引っ越し、小学校の教員になる。クリス・コンロイと共に脚本の執筆を始め、テレビ・ドラマ『吠えるチビ犬ちゃん』(2001年)で脚本家デビューを果たした。その他の作品としては、やはりクリス・コンロイとの共作で映画『めざせ!スーパーの星』(2006年)がある。


Canter, Jon  ジョン・カンター

 イギリスのコメディ・ライター。ケンブリッジ大学でフットライツに所属し、1974年に彼が部長を務めていた時、アダムスもメンバーとして参加していた。『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる鬱病ロボット、マーヴィンの有名な台詞、「わたしの前で生命のことは言わないでください」(p. 120)は、もとはカンターがフットライツの舞台用に書いたものを、アダムスがカンターの許可を得て転用したものである。
 大学を卒業後、仕事がなくて金に困ったアダムスは、カンターがジョナサン・サイモン・ブロックらと暮らしていた一軒家に転がり込んだ。その後のカンターとアダムスとの同居生活については、2011年2月3日に発売されたペーパーバック I was Douglas Adams's Flatmate and Other Encounters with Legends の中で詳しく語られている。また、2013年にはジョン・ロイドとの共著で Afterliff を出版した。
 カンターの主な脚本作品は以下の通り。

"Murder Most Horrid"(1991-1999)

エピソードごとに話の内容はまったく異なるが、毎回必ずドーン・フレンチというコメディ女優がさまざまな役まわりで登場するという趣向の、コメディ・ミステリー。何人かの脚本家のうちの一人として、カンターの名前もクレジットされている。ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』でフォード・プリーフェクト役を務めたジェフリー・マッギヴァーンも3回ゲスト出演している。その他、ヒュー・ローリージム・ブロードベントらもゲスト出演した。

In Dreams (1992) 黒人コメディアン、レニー・ヘンリー主演のコメディ。
"The Good Sex Guide" (1993) 30分・計14回話のドキュメンタリー。7人の脚本家のうちの1人して参加。
The Man (1999)  レニー・ヘンリー主演のコメディ。
Posh Nosh (2003)

 2006年には、最初の小説 Seeds of Greatness を出版、この作品にはカンターとアダムスとの関係を垣間見させるような描写も出てくる(詳しくはこちらへ)。現在までに、計3作の小説を上梓している。


Carroll, Lewis  ルイス・キャロル 1832.1.27-1898-1.14

 イギリスの作家。言わずと知れた『不思議の国のアリス』の作者だが、本名はチャールズ・ラトウィジ・ドジソン、オックスフォード大学の特別研究員・数学講師でもあった。
 キャロルは、数々の作品の中に秘かに42という数字を忍ばせている。このため、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中で「生命と宇宙と万物についての究極の答」が42なのはキャロルへのオマージュではないかとたびたび指摘されたが、アダムス自身は最後まで「単なる偶然の一致」と主張し続けていた。「子供の頃に『不思議の国のアリス』を読んだ、というか読んでもらったことがあるが、大嫌いだった。本気で恐ろしかったんだ。何ヶ月か前にもう一度手を伸ばして数ページ読んでみたが、その時の感想も『良い作品だけど、でもやっぱり……』だった」(Gaiman, p. 5)。
 が、アダムスの作品とルイス・キャロルとの関係は42だけに留まらない。アダムスはラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を書いた時に、第1話の意味で通常はあまり使わない 'Fit' という単語を使ったのはキャロルの『スナーク狩り』からの借用だと認めているし、また「?あなたが今朝、六つの不可能事をなしとげたというのなら、朝食は<宇宙の果てのレストラン、ミリウェイズ>でとるのがいちばん″」(『宇宙の果てのレストラン』、p. 134)という描写は、『鏡の国のアリス』第5章を思い起こさせる。

 アリスは吹きだしてしまいました。「やってもむだです。ありえないことは信じられませんわ。」
 「練習が足らんとみゆるの」と女王様。「わらわがそちの年輩には、一日に三十分はお稽古したぞ。さようじゃ、ありえぬことを六つまでも朝食前に信じたこともあった。あれ、ショールがまたとんでいく!」(高山宏訳、p. 97)

 また、42についても、アダムス本人は関連を否定しているにもかかわらず、キャロル研究家のマーティン・ガードナー氏が1990年に発表した More Annotated Alice (キャロルの『不思議の国のアリス』に詳注をつけたもの。1960年に The Annotated Alice を出版され、それから30年間に集まった情報を付け加えて新たに More Annotated Alice というタイトルで出版された)に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する説明が含まれている。1994年に『新注 不思議の国のアリス』のタイトルで日本語に翻訳されているので、該当個所を抜き出してみると、

ダグラス・アダムの人気SF小説『ヒッチハイカーの銀河案内』を見ると、「万有についての究極の問い」に対する答が42だということになっている。(p. 222)

 ちなみに、ガードナーの原文は、

In Douglas Adams's pupular science-fiction novel The Hitchhiker's Guide to the Galaxy, forty-two is said to be the answer to the "Ultimate Question about Everything." (p. 120)

 「ダグラム・アダム」については訳文の間違い、「万有についての究極の問い」については本文の間違い、ということか。

 参考までに、キャロル作品に見られる42の主なものを挙げてみると、

『不思議の国のアリス』
 「規則第四十二条。『身の丈一マイルを越ゆる者はすべからく法廷から出ずべし』」(高山宏訳、p. 221)

『詳注 鏡の国のアリス』
 「おすみになる」と女王様はきっぱりと答えました。「誰にしたって、いっぺんに二つのことはできぬのでな。手はじめに自分はいくつか考えてみやれ――そち、いくつかの?」
 「七歳と6か月です。きっかりです。」(高山宏訳、p. 97)

「スナーク狩り」
四十二箇の荷箱はいずれも入念に荷造りし、
  それぞれにはっきりと名前を書きこんだのだが、
そのことを言い忘れていたために、
  波止場に置きすてられてしまったのだ。
(沢崎順之助訳、p. 280)

 なお、英国ルイス・キャロル協会会報『バンダスナッチ』(Bandersnatch)第42号には、キャロルの「42」特集が組まれているらしい。


Carter, Jim  ジム・カーター 1948.8.19-

 イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ版『ダーク・ジェントリー』で、部長刑事(detective sergent)のジルクス役を務める。
 ヨークシャー生まれ。これまで数多くのテレビ・映画に出演しているが、恐らく日本でもっとも知られているのはイギリスのテレビドラマ・シリーズ『ダウントン・アビー』(2010〜2015年)の執事チャールズ・カーソン役だろう。2019年の映画版『ダウントン・アビー』でも、同じ役で出演している。妻は、女優のイメルダ・スタウントン。
 主な出演映画は以下の通り。

Flash Gordon (1980) 『フラッシュ・ゴードン』
Top Secret! (1984) 『トップ・シークレット』
The Company of Wolves (1984) 『狼の血族』
A Private Function (1984) 『最強最後の晩餐 』
Rustlers' Rhapsody (1985)『Mr. 早射ちマン』
Riders of the Storm (1986) 『アメリカン・ウェイ』
Haunted Honeymoon (1986) 『呪われたハネムーン』
A Month in the Country (1987) 『ひと月の夏』
The First Kangaroos (1988) 『青春のノーサイド/勝利への旅立ち』
Soursweet (1988) 『サワースィート』
The Raggedy Rawney (1988) 『ジプシー/風たちの叫び』
The Rainbow (1989) 『レインボウ』
Erik the Viking (1989) 『エリック・ザ・バイキング』
The Fool (1990)
The Witches (1990)
Crimestrike (1990)
Blame It on the Bellboy (1992) 『ベルボーイ狂騒曲 ベニスで死にそ〜』
The Hour of the Pig (1993)
Black Beauty (1994) 『ブラック・ビューティー/黒馬物語』
The Madness of King George (1994) 『英国万歳!』
Richard III (1995) 『リチャード三世』
The Grotesque (1995) 『グロテスク』
Brassed Off (1996) 『ブラス!』
Keep the Aspidistra Flying (1997)
Vigo (1998) 『ヴィゴ』
Legionnaire (1998) 『レジョネア 戦場の狼たち』
Shakespeare in Love (1998) 『恋におちたシェイクスピア』
Tube Tales (1999) 『チューブ・テイルズ』
Arabian Nights (2000) 『アラビアン・ナイト』
The Little Vampire (2000) 『リトル・ヴァンパイア』
102 Dalmatians (2000) 『102』
The Secret Life of Mrs. Beeton (2006) 『ビーンストーク ジャックと豆の木』
Dinotopia (2002) 『ダイノトピア』
Heartlands (2002)
Bright Young Things (2003)
16 Years of Alcohol (2003)
Ella Enchanted (2004) 『魔法をかけられたエラ』
Casablanca Driver (2004)
Modigliani (2004)
Out of Season (2004) 『ファイナル・ショット』
Cassandra's Dream (2007)
The Golden Compass (2007) 『ライラの冒険 黄金の羅針盤』
The Oxford Murders (2008) 『オックスフォード連続殺人』
Swimming with Men (2018) 『シンクロ・ダンディーズ!』
Downton Abbey (2019) 『ダウントン・アビー』
The Good Liar (2019) 『グッドライアー 偽りのゲーム』


Cawardine, Mark  マーク・カーワディン 1959.3.9-

 世界自然保護基金(WWF)で活動する動物学者。『最後の光景』をアダムスと共著。2005年3月10日には、第3回ダグラス・アダムス記念講演会でスピーチをした。
 2009年からは、かつてアダムスと一緒に会いに行った稀少動物を、今度はスティーヴン・フライと一緒に探しに行くことに。その旅の模様は、2009年9月6日午後8時からBBC2でテレビ放送され、またフライとの共著として出版されている(序文はこちら)。その他にも多くの本を執筆しているが、日本語に翻訳されている著作には、ホエール・ウォッチングの旅を綴ったノンフィクション『波間に踊るクジラを追って』(1997年)や、『誰でも簡単に行ける! 秘境の野生動物とふれあう旅』(2013年)等がある。


Cerf, Christopher  クリストファー・サーフ 1941.8.19-

 アメリカの作曲家・風刺作家。アダムスとは親しい友人関係にあり、アメリカ版 The Salmon of Doubt では序文を書いている。この序文によると、サーフは1980年代の初期に、共通の友人だったアダムスのエージェント、エド・ヴィクターを通じてアダムスと知り合いになったという。また、彼はアメリカ版 The Salmon of Doubt の公式のスポークスマンという立場でもあった。
 作曲家としてのサーフの一番有名な仕事は、『セサミ・ストリート』だろう。彼はこの番組に製作開始当初から関わり、数多くの曲を提供した。また、『セサミ・ストリート』同様のパペット・ショウで、2001年から放送が始まった Between the Lions の製作にも参加しており、この番組に登場するライオンのライオネルが「42番」のラグビーシャツを着ているのは偶然ではないらしい。
 作家としても、サーフはヘンリー・ビアードらとの共著を何冊か出版しているが、そのうちの1冊 The Official Politically Correct Dictionary and Handbook は、『当世アメリカ・タブー語辞典―多文化アメリカと付き合うための英語ユーモア・ブック。』のタイトルで日本語に翻訳されている。


Chadbon, Tom  トム・シャドボン 1946.2.27-

 イギリスの俳優。1979年にアダムスが脚本を書いた『ドクター・フー』'City of Death' に探偵役で出演、2005年にDVDが発売された時にはオーディオ・コメンタリーに参加し、また特典映像として付けられた 'Paris in the Springtime' にも登場している。
 ベッドフォードシャー生まれ。『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド』シリーズなど、主にイギリスのテレビ・ドラマを中心に活躍している。


Chapman, Graham グレアム・チャップマン 1941.1.8-1989.10.4

 モンティ・パイソンのメンバーの一人。ケンブリッジ大学在学中は、医学を専攻するかたわら、ジョン・クリーズらと共にフットライツで活躍。その縁で、アダムスは大学卒業後チャップマンと共同執筆を試みるが、そのほとんどが企画のままに終わり、18ヶ月ほどで二人の関係は破綻する。
 アダムスが最初にチャップマンと出会ったのは、1974年7月15日、フットライツのロンドン公演 Chox の初日のこと。「たくさんのフットライツOBたちが見に集まってきたんだ。その中にグレアム・チャップマンもいた。たくさんの人の波に揺られた後で、グレアムは、私が書いたスケッチの1、2本を特に気に入ってくれていた。それで彼は、「そのうち会って飲まないか?」と言ったんだ。」(モーガン、p. 225)。
 1974年当時のモンティ・パイソンは人気絶頂だったが、その一方でメンバーの一人一人が次なるステップを模索し始めた時期でもあった。実際、1974年秋から製作が始まった『空飛ぶモンティ・パイソン』第4シリーズでは、ジョン・クリーズは名前はクレジットされているものの実質的に参加していない。そのため、これまでクリーズと共同執筆していたチャップマンは、クリーズに代わる別の相手を捜していた。
 アダムスはハイゲートにあったチャップマンの自宅に招かれ、『空飛ぶモンティ・パイソン』第4シリーズのスケッチの手直しを頼まれた。やがて、チャップマンに連れられて番組の打ち合わせにも参加するようになる。実際にアダムスが書き直した部分はほんのわずかだったが、それでも番組の最後には「Silly Word」担当として名前をクレジットされている(『空飛ぶモンティ・パイソン』全シリーズを通じてライターとしてクレジットされたのはアダムスとニール・イネスの二人だけ)し、またカメオ出演のような形で二度ばかり番組に出演することもできた。モンティ・パイソンに憧れてケンブリッジ大学に進学したアダムスにとっては、ある意味で夢が実現した瞬間と言えるかもしれない。ただし、この後にアダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』で一世を風靡した際に、あたかもモンティ・パイソンの主要ライターの一人であったかのようにマスコミで宣伝されてしまったことについては「罪の意識を感じる」(モーガン、p. 229)という。自分の番組への貢献など微々たるものでしかなかった、と。
 それ故に、モンティ・パイソンと離れたところで行われるチャップマンとの共同製作は、アダムスとチャップマンの本領発揮となるはずだった。が、他のモンティ・パイソン・メンバーが新しい作品で活躍の場を広げて行くのを尻目に、チャップマンとアダムスの共同作品はほとんど企画段階で終わってしまい、どうにか日の目を見たBBC2深夜放送の『アウト・オブ・ザ・ツリー』(グレアム・チャップマンとサイモン・ジョーンズが主演)も、1度の放送のみで打ち切られた。この番組の一部は、Douglas Adams at the BBC にも収録されている。
 この他に、1980年に出版されたチャップマンの自伝 A Liar's Autobiography の共同執筆者4人の中にはアダムスの名前を見ることができる。が、この自伝そのものがあまり評判にならなかった上に、アダムスとチャップマンの人間関係を決定的に悪化させることにもなった。この自伝の中で、どの箇所をアダムスが書いたのか特定するのは困難だが、21ページの脚註2 "2. None of this is true. (I was in fact born in Stalbridge in Dorset but if you want to send any letters there please note that the correct postal address is Stalbridge, STURMINSTER NEWTON, Dorset)." はアダムスの手によるものらしい(Hitchhiker, p. 73)。なお、2012年にこの自伝は3Dアニメ化され、この年の東京国際映画祭で『ある嘘つきの物語 モンティ・パイソンのグレアム・チャップマン自伝』という邦題で早々と上映されている。
 チャップマンは、相手が誰であろうと、一緒に仕事をしやすい人間ではなかったようだ。太っ腹で、日曜になると貧乏だったアダムスやマーティン・スミスらに昼食をごちそうしてくれたり、有益なアドバイスをくれたりする反面、人を徹底的に貶したりおとしめたりすることもあった。おまけに、アルコール依存症の問題も抱えていた。テリー・ジョーンズによれば、当時のチャップマンはまだ自分がアルコール中毒だという自覚もなかったんじゃないか、とのことだが(Webb, p. 91)、仕事の時間も常に酒を飲んでいるというのは尋常ではない。アダムスいわく、「推測するに、彼と働いていた時期、彼は、基本的にボトル1本くらいのジンを毎日飲んでいた。だから、仕事に最適な雰囲気があったとは言えないね。グレアムの家で仕事が始まるのが、午前10時なんだ。そして全員が朝から飲んでいるから、終わりの方になると、みんな酔っ払っているか、グレアムが泥酔しているかなんだ」(モーガン、p. 231)。おまけに、酔っ払ったチャップマンは「暴力的になったり怒りっぽくなったりすることで自分自身を楽しませていたんだ。他人を楽しませようとしたことはなかった」(同、p. 232)とあっては。
 アダムスとチャップマンの最後の仕事は、Doctor on the Go というテレビ・シリーズの1エピソード、'For Your Own Good' だった。この番組の脚本編集を担当していたバーナード・マッケンナは、2005年6月4日から11月6日にかけてアダムスとチャップマンの二人とたびたび会っていたが、午前9時にアダムスと打ち合わせの約束を入れたとしても、午前11時前にチャップマンに会うのは絶対不可能な状態だったと語っている(Hitchhiker, p. 74)。それでもこの番組の脚本自体は8月には完成し、1977年2月2日に放映されたが、この頃にはアダムスはチャップマンと手を切っていた。直接の引き金となる出来事が何か起こったというよりも、数週間、あるいは数ヶ月に亘る険悪な関係に、アダムスがほとほとイヤになったというのが真相らしい。その後、チャップマンが禁酒をし、二人の関係は一応修復されたようだが、依然のような親密さは戻らなかったという。
 1989年10月4日、チャップマンは喉頭癌のため48歳の若さで死去した。奇しくも、『空飛ぶモンティ・パイソン』のテレビ放送開始からちょうど20年後のことだった。アダムスいわく、「最後に彼と話をしたのは、彼が亡くなる、わずか2〜3日前のことだった。彼とあまりしゃべらなくなってから少し時間が経っていた。(略)彼は、医者から見放されていた。担当の医者は、彼が回復しないことを知っていたんだ。だから彼は、それ以上病院にいてもしょうがなかったし、彼は真実を知っていたにちがいない。なのに、彼が完璧な確信とともにみんなに語っていたのは、彼が治療免除の時期にいて、これから全快に向かうということだった。(略)私には、彼が、ただ自分以外の全員に対して強がりを言っていたか、嘘をついていたように思えるんだ」(モーガン、p. 328)。
 チャップマンが死去した翌日、彼の訃報を知らせるBBCのニュース番組の中でアダムスはインタビューを受けた。この番組は、Douglas Adams at the BBC にも収録されているので聴くことができる。
 チャップマンのモンティ・パイソン以外の出演作品は、『チーチ&チョン/イエローパイレーツ』(1983年)『熱血刑事ハリー』(1987年)などがある。また、バーナード・マッケンナと共同で脚本を書いた The Odd Job (1978) では主演も務めている。


Chatwin, Bruce  ブルース・チャトウィン 1940.5.13-1989.1.19

 イギリスの作家。テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』撮影時に、アダムスは彼の著書『パタゴニア』を読んでいたらしい。
 バーミンガム生まれ。モールバル・カレッジを卒業後、サザビーズに勤務するも1966年には退社し、1972年からはエジンバラ大学で考古学を学ぶ。遊牧民に関する研究で世界各地を旅する一方、『サンデー・タイムズ』にも寄稿、1978年に第一作『パタゴニア』を発表。南米パタゴニアを旅して出会った、不思議な光景や人々を綴った文章は、英国ホーソンデン賞をはじめ多くの賞を受賞した。1989年、南フランスのニースにてエイズのため死亡。
 主な著作は以下の通り。

In Patagonia (1977) 『パタゴニア』 めるくまーる 1990年
The Viceroy of Ouidah (1980) 『ウィダの総督』 めるくまーる 1989年

 1988年に、ヴェルナー・ヘルツォーク監督により『コブラ・ヴェルデ』のタイトルで映画化される。

On the Black Hill (1982) 『黒ヶ丘の上で』 みすず書房 2014年
Patagonia Revisited (1985) 『パタゴニアふたたび』 めるくまーる 1993年

 チャトウィンとポール・セローの二人が、パタゴニアについて語った対談集。

The Songlines (1987) 『ソングライン』
Utz (1988) 『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』 文藝春秋 1993年

 1992年に映画化される。ウッツ男爵役を演じたアーミン・ミューラー=スタールは、ベルリン映画祭主演男優賞を受賞した。邦題は『マイセン幻影』。

What Am I Doing Here (1989) 『どうして僕はこんなところに』 角川書店 1999年


Chibnall, Chris  クリス・チブナル 1970-

 イギリスの脚本家。『ドクター・フー』新シリーズの中でも、『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュ色が強いエピソード「42」で、英国脚本家組合賞を受賞した。
 ランカシャー生まれ。これまで主にテレビ・ドラマの脚本家として活躍しているが、唯一の映画作品『ユナイテッド ミュンヘンの悲劇』のパンフレットによると、「セントメアリ大学でドラマを専攻、その後シェフィールド大学で演劇映画の修士号をとった。Skyスポーツの公文書管理人、劇場管理人という異色の経歴を経て脚本家に。4年ロングランしたBBC制作の人気ドラマシリーズ「Born and Bred」(02-05)のクリエイター兼脚本家として注目され、05年には「秘密情報部トーチウッド」(06-08)のチーフライター兼プロデューサーとなって全26話のうち8話を執筆」したとある。
 『秘密情報部トーチウッド』とは、ラッセル・T・デイヴィスが製作総指揮を務める『ドクター・フー』のスピンオフ・ドラマのこと。チブナルが書いた『秘密情報部トーチウッド』の脚本について、デイヴィスは The Writer's Tale: The Last Chapter の中で、"He's just delivered 2.12. Best. Torchwood. Ever. I swear, it's wonderful. And he puts in the hours, which few do." (p. 192)と絶賛している。ただし、この脚本を最後にチブナルは『秘密情報部トーチウッド』を離れることを決意し、デイヴィスを残念がらせた。でも、『ドクター・フー』新シリーズの脚本はその後も執筆していて、そのエピソードは以下の通り。

'42' (2007)
'The Hungry Earth' (2010)
'Cold Blood' (2010)
'Dinosaurs on a Spaceship' (2012)
'The Power of Three' (2012)

  2018年からは、ラッセル・T・デイヴィススティーヴン・モファットの後を継ぎ、『ドクター・フー』の製作総指揮と脚本編集者を担当する。ただし、2022年の秋には13代目ドクターことジョディー・ウィテカーと共に番組を去ることを表明した。
 チブナルが脚本を手掛けたその他のテレビドラマ作品には、ファンタジー・ドラマ『CAMELOT 〜禁断の王城』(2011年)、『ブロードチャーチ〜殺意の町〜』(2013年〜2017年)『大列車強盗』(2013年)などがある。


Clark, Fey  フェイ・クラーク

 2022年5月26日に開催された第16回ダグラス・アダムス記念講演で、メイン講演者E・J・ミルナー=ガランドに先立って講演した。
 2013年、ロンドン大学で動物認知学の博士号を取得。イルカの認知の研究から始まり、その後は類人猿やキツネザルなどの研究も手がけている。現在はアングリア・ラスキン大学の特別研究員。


Clarke, Arthur C.  アーサー・C・クラーク 1917.12.16-2008.3.19

 イギリスのSF作家。アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインと並ぶ、言わずと知れたSF界の大御所だが、どちらかと言うと娯楽性より教養性の高い、生真面目なハードSFを多く執筆した。
 1998年、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』20周年を記念して製作されたBBCのラジオ番組のインタビューの中で、クラークのことを "predictive"(予言的な) と形容した。そして、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はあくまでコメディとして書いたものであり、自分はクラークのような未来予測型のSF作家ではない、と語る(もっとも、ブルース・ベスキ『宇宙の果てのアンソロジー』に収録されたエッセイ、"The Secret Symbiosis: The Hitchhiker's Guide to the Galaxy and Its Impact on Real Computer Science" で、1962年にクラークが真剣に書いた『未来のプロフィル』が大ハズレだったのに対し、コメディとして書かれた『銀河ヒッチハイク・ガイド』のほうが将来のテクノロジーの姿をはるかに的確に捉えていた、と述べているが)。
 さて、そんなアーサー・C・クラークの代表作の一つ、ヒューゴー賞/ネビュラ賞をダブル受賞した『宇宙のランデブー』(1973年)は、後に続編がジェントリー・リーとの共著で『宇宙のランデブー4』(1994年)まで出版されたが、この『宇宙のランデブー4』の中に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にまつわるジョークが入っている。物語の終盤で、主人公のニコルが宇宙の真の目的を説明された後、ベッドの中で独り笑いをするシーンがあって、

Nicole laughed to herself in bed. I can't imagine what Richard would have said after that discussion. A good theory, perhaps, but how does it explain the African dominance in the World Cup between 2140 and 2160? Or is the meaning of life no longer 42? She laughed again. (p. 431)

 クラークの未来予測によれば、「42」のジョークは数百年先まで有効ということか。
 ちなみに冬川亘の日本語訳では、この箇所は「あるいは、人生の意味はもうグーテンベルク聖書にはなくなっちまったのかな?」(下巻、p. 380)となっている。「42」を、「人生と宇宙と万物についての究極の答」ではなく、別名「42行聖書」とも呼ばれるグーテンベルク聖書のことと解釈されたようだが、でもグーテンベルク聖書だとしたら「42」ではなく「B42」なのでは?
 クラークはサマセット州マインヘッド生まれ。第二次世界大戦中は、イギリス空軍の将校としてレーダーの開発などに携わり、戦後はロンドン大学で数学や物理を学びつつSF小説や科学記事を執筆する。SF作家としてのデビューは、1946年にアメリカの雑誌に掲載された短編「抜け穴」。1956年にはスリランカに移住し、2008年にその地で亡くなった。享年90歳。
 クラークの主な著作は以下の通り(* は短編集、** はノンフィクション)。

Prelude to Space (1951) 『宇宙への序曲』早川文庫 1992年
Sands of Mars (1952) 『火星の砂』 早川文庫 1978年
Childhood's End (1953) 『幼年期の終り』 早川文庫 1979年/『幼年期の終わり』光文社古典新訳文庫 2007年
Against the Fall of Night (1953) 『銀河帝国の崩壊 創元SF文庫 1964年
Expedition to Earth (1953)* 『前哨』 早川文庫 1985年
Islands in the Sky (1954) 『宇宙島へ行く少年』 早川文庫 1986年
Earthlight (1955) 『地球光』 早川文庫 1978年
The City and the Stars (1956) 『都市と星』 早川文庫 1977年
Reach for Tomorrow (1956)* 『明日にとどく』 早川文庫 1986年
The Deep Range (1957) 『海底牧場』 早川文庫 1977年
Tales from the White Hart (1957)* 『白鹿亭綺譚』 早川文庫 1980年
The Other Side of the Sky (1958)* 『天の向こう側』 早川文庫 1984年
A Fall of Moondust (1961) 『渇きの海』 早川文庫 1963年
Tales of Ten Worlds (1962)* 『10の世界の物語』 早川文庫 1985年
Profiles of the Future (1962)** 『未来のプロフィル』 早川文庫 1980年
Dolphin Island (1963) 『イルカの島』 創元SF文庫 1994年
2001: A Space Odyssey (1968) 『2001年 宇宙の旅』 早川文庫 1977年
The Wind from the Sun (1972)* 『太陽からの風』 早川文庫 1978年
The Lost Worlds of 2001 (1972)** 『失われた宇宙の旅2001』 早川文庫 2000年
Rendezvous with Rama (1973) 『宇宙のランデヴー』 早川文庫 1985年
Imperial Earth (1975) 『地球帝国』 早川文庫 1985年
The View from Serendip (1978)** 『スリランカから世界を眺めて』 早川文庫 1988年
The Fountains of Paradise (1979) 『楽園の泉』 早川文庫 1980年
2010: Odyssey Two (1982) 『2010年 宇宙の旅』 早川文庫 1994年
The Sentinel (1983) 『太陽系オデッセイ』* 早川文庫 1986年
Odyssey File (1984)** 『オデッセイ・ファイル -アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』 パーソナル・メディア 1985年 ピーター・ハイアムズとの共著
The Songs of Distant Earth (1986) 『遥かなる地球の歌』 早川文庫 1996年
Arthur C. Clarke's July 20, 2019: Life in the 21st Century (1986)** 『アーサー・C・クラークの2019年7月20日』 旺文社 1987年
2061:Odyssey Three (1987) 『2061年 宇宙の旅』 早川文庫 1995年
Cradle (1988) 『星々の揺籃』 早川文庫 1998年 ジェントリー・リーとの共著
Rama II (1989) 『宇宙のランデヴー 2[上][下]』 早川文庫 1994年 ジェントリー・リーとの共著
Astouding Days -A Science Fictional Autobiography (1989)** 『楽園の日々 -アーサー・C・クラーク自伝』 早川書房 1990年
Beyond the Fall of Night (1990) 『悠久の銀河帝国』 早川文庫 2005年 グレゴリイ・ベンフォードとの共著
The Ghost from the Grand banks (1990) 『グランド・バンクスの幻影』 早川文庫 1997年
The Garden of Rama (1991) 『宇宙のランデヴー3[上][下]』 早川文庫 1996年 ジェントリー・リーとの共著
The Hammer of God (1993) 『神の鉄槌』 早川文庫 1998年
Rama Revealed (1993) 『宇宙のランデヴー4[上][下]』 早川文庫 1997年 ジェントリー・リーとの共著
The Snows of Olympus (1994)** 『オリンポスの雪』 徳間書店 1997年
Richter 10 (1996) 『マグニチュード10』 新潮文庫 1997年 マイク・マクウェイとの共著
3001: The Final Odyssey (1997) 『3001年 終局への旅』 早川文庫 2001年
The Light of Other Days (2000) 『過ぎ去りし日々の光[上][下]』 早川文庫 2000年 スティーヴン・バクスターとの共著
The Trigger (1999) 『トリガー[上][下]』 早川文庫 2001年 マイクル・P・キュービー=マクダウエルとの共著
Time's Eye (2003) 『時の眼ータイム・オデッセイ』 早川書房 2006年 スティーヴン・バクスターとの共著
Sunstorm (2005) 『太陽の盾ータイム・オデッセイ2』 早川書房 2008年 スティーヴン・バクスターとの共著
Firstborn (2007) 『火星の挽歌ータイム・オデッセイ3』 早川書房 2011年 スティーヴン・バクスターとの共著


Cleese, John ジョン・クリーズ 1939.10.27-

 モンティ・パイソンのメンバーの一人。テレビ番組『フロスト・レポート』に出ていた彼を見て、彼に憧れて、当時高校生だったアダムスはケンブリッジ大学進学を決心した。
 サマーセット州ウェストン・スーパーメア生まれ。ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジで法律を専攻。フットライツに所属し、グレアム・チャップマンエリック・アイドルらと知り合う。なお、クリーズらが製作した「ケンブリッジ・サーカス」は、ロンドン・ウェストエンドのみならず、ニュージーランドやニューヨークでも公演され、フットライツ史上もっとも成功した作品となった。
 帰国後、BBCのコメディ番組の脚本や出演を手掛けたが、フットライツ時代からの友人のグレアム・チャップマン、エリック・アイドルに、『フロスト・レポート』で知り合ったオックスフォード大学出身のテリー・ジョーンズマイケル・パリンと、さらにニューヨーク在住時に出会ったテリー・ギリアムの計6人でコメディ集団モンティ・パイソンを結成、1969年10月5日『空飛ぶモンティ・パイソン』第一シリーズがBBCテレビで放映された。
 モンティ・パイソンとしての作品以外では、1975年にBBCで放映されたコメディ・ドラマ『フォルティ・タワーズ』や、1988年製作の映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』で脚本と出演を担当(アカデミー脚本賞にノミネート)、日本での知名度こそ今一つだが、イギリスでは誰もが知っている有名人の一人である。
 アダムスが初めてクリーズと会ったのは、彼がまだ大学生の頃、ロンドンのラウンド・ハウスで何かの公演を観に行って、休憩時間にバーに寄った時のことだった。ふと横を見ると、そこに憧れのジョン・クリーズ本人が立っていた。好機を見計らって話しかけ、Varsity というケンブリッジ大学の雑誌のためのインタビューを申し込んだところ、クリーズは後輩の依頼を快諾し、実際その数週間後にインタビューすることができたという。
 アダムスにとって、ジョン・クリーズは「偶像(iconic figure)」(Morgan, p.171)だった。その気持ちは、大学を卒業し、モンティ・パイソンの別のメンバーであるグレアム・チャップマンと共同作業を始め、その関係で他のモンティ・パイソンのメンバーとも知り合いになり、『空飛ぶモンティ・パイソン』の仕事を手伝ったり、クリーズが設立したビデオ制作会社「ビデオ・アーツ」で小道具調達係を担当したりするようになっても、依然変わることがなく、クリーズも自分と同じ普通の人間なんだと思えるようになるまでに随分時間がかかったらしい(Gaiman, p. 136)。1978年にアダムスがジョン・ロイドと共に製作したBBCラジオ4のクリスマス特別番組、Black Cinderella Two Goes East では、当時BBCラジオとは仕事をしないと言っていたクリーズを説得し、出演してもらってもいる。
 また、アダムスが使っていたラップトップ型コンピューターには、愛娘ポリーと共にジョン・クリーズのビデオ映像が収められていた(Wroe, Jun. 3, 2000)。
 なお、アダムスの『新・地名辞典』には、クリーズのための言葉が登場する。

Goadby Marwood (n.)

往来でジョン・クリーズをつかまえて、「バカ歩き」をやってくれと頼む人。

 「バカ歩き」とは、『空飛ぶモンティ・パイソン』の中の「バカな歩き方省」のスケッチで、ジョン・クリーズが披露したもの。数あるモンティ・パイソンのスケッチの中でも特に有名、というより一度見たら忘れられない、といったほうが正しいかもしれない。
 しかし、実際に「往来でジョン・クリーズをつかまえて、『バカ歩き』をやってくれと頼む」だけの勇気と無遠慮を持ち合わせたイギリス人がいるのかと思いきや、やはりいたらしい。

 このコメディー史に残る名スケッチは、クリーズの名前を有名にするとともに、彼に実害も及ぼした。あまりに強烈なインパクトゆえ、その後、行く先々で必ず「ねえ、バカ歩きをしてみせて!」と大声でリクエストされるようになってしまったのだ。メンバーの中でも人一倍気難しい彼は、とうとうキレてしまい、「人前でバカ歩きをするのはやめよう!」と、心に誓ったという。(須田泰成、pp. 133-134)

 これまでの主な出演作品は、

<テレビ>
Monty Python's Flying Circus (1969-1972) 『空飛ぶモンティ・パイソン』(脚本も担当)
Fawlty Towers (1975-1979) 『フォルティ・タワーズ』(脚本も担当)

<映画>
Monty Python and Holy Grail (1975) 『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(脚本も担当)
Life of Brian (1979) 『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(脚本も担当)
Time Bandits (1981) 『バンデッドQ』
Monty Python's Meaning of Life (1983) 『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』(脚本も担当)
Silvarado (1985) 『シルバラード』
Clockwise (1986) 『時計じかけの校長先生』
A Fish Called Wanda (1988) 『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(脚本も担当)
Eric the Viking (1989) 『エリック・ザ・ヴァイキング/バルハラへの航海』
Splitting Heirs (1993) 『相続王座決定戦』
Frankenstein (1994) 『フランケンシュタイン』
Fierce Creatures (1997) 『危険な動物たち』 (製作・脚本も担当)
The Out-of-Towners (1999) 『アウト・オブ・タウナーズ』
The World Is Not Enough (1999) 『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』
Rat Race (2001) 『ラット・レース』
Harry Potter and the Sorcerer's Stone (2001) 『ハリー・ポッターと賢者の石』
The Adventures of Pluto Nash (2002) 『プルート・ナッシュ』
Die Another Day (2002) 『007/ダイ・アナザー・デイ』
Harry Potter and the Chamber of Secrets (2002) 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
Charlie's Angels: Full Throttle (2003) 『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』
Around the World in 80 Days (2004) 『80デイズ』
The Day the Earth Stood Still (2008) 『地球が静止する日』
The Pink Panther 2 (2009) 『ピンク・パンサー2』
Absolutely Anything (2015) 『ミラクル・ニール!』

 この他に、アダムスが製作したコンピュータ・ゲーム『宇宙船タイタニック』で、「爆弾」の声を担当している(クレジットはKim Bread名義)。また、2014年に出版した自伝『モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝―』には、アダムスが「42」を着想したきっかけについての新説(?)が書かれている。


Cobb, Ron ロン・コッブ  1937-

 映画のコンセプト・デザイナー。彼が手掛けた主な作品には、『スター・ウォーズ』(1977年)の酒場のシーンに出てくるエイリアンや、『エイリアン』(1979年)の宇宙船、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン(タイムマシン車)などがある。
 1983年頃、ハリウッドで『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化の企画が持ち上がった時に、スタッフの中にはコッブの名前も入っていた。実際、コッブがデザインしたマーヴィンは、アダムスも気に入ったらしい――残念ながら、日の目を見ることはなかったけれど、その後もアダムスとの交友関係は続いたようで、1988年にアダムスが滞在先のオーストラリアでクリスマス・パーティを開いた時には、ジョン・ロイドジョン・カンターらと共にコッブも招待されている(Webb, p. 180)。


Coleridge, Samuel Taylor サミュエル・テイラー・コールリッジ 1772.10.21-1834.7.25

 イギリスの詩人・思想家。アダムスの小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency には、詩人としてのコールリッジの代表作、「老水夫行」("The Rime of the Ancient Mariner")と「クーブラ・カーン」("Kubla Khan")が効果的に取り込まれている。というより、この2作のことを知らないまま Dirk Gently's Holistic Detective Agency を読んでも意味が分からないままで終わる可能性が高いので、必ず事前に読んでおこう。
 コールリッジは、デヴォン州オタリー・セント・メアリーという村に、教区牧師で学校長でも父親の13人目の末子として生まれた。夢想家肌で、外で遊ぶよりも読書に耽溺し、幼い頃から「神童」とみなされるような早熟な子供だったという。9歳で父を死別し、その翌年にはロンドンのクライスツ・ホスピタル校で学ぶために一人、故郷の村を出る。クライスツ・ホスピタル校でも圧倒的な読書量と知識で他の学生達を魅了し、カリスマぶりを発揮していたらしい。1791年にケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに進学するも、世間知らず故に莫大な借金を背負い、また当時フランス革命の余波が吹き荒れていたカレッジで急進思想や政治運動に傾いた挙げ句、1794年に大学を中退した。政治運動のかたわらで、「会話詩」という新しいジャンルの詩を書くようになる。1797年にワーズワースと知り合ったことがきっかけとなり、ワーズワースとの共著『抒情歌謡集』(Lyrical Ballads, 1798)を匿名で出版、その巻頭に収録されたのが「老水夫行」だった。やはり1798年に書かれた未完の名作「クーブラ・カーン」ともども、これまでの「会話詩」とはまったく異なるコールリッジの「幻想詩」は、「一世紀後の象徴主義を先取りしたとも言える」(『対訳 コウルリッジ詩集』、p. 332)と、現在でも高く評価されている。しかし、私生活の破綻や金銭苦に加えてアヘン中毒の問題も抱え、さらにワーズワースとも仲違いしたことなどから、詩人コールリッジとしての活躍は長く続かず、その代わり今度は批評家・思想家としてのコールリッジの活躍が始まる。1811年からロンドンで行った名高い「シェイクスピア講義」や『文学的自伝』(1817年)の出版など、散文の方面での評価も高い。晩年には、彼がロンドン郊外のハイゲイトで暮らしていたことから「ハイゲイトの賢人」と呼ばれるようになり、1834年に死去。享年63歳だった。


Colfer, Eoin オーエン・コルファー 1965.5.14.-

 アイルランドの児童文学作家。今は亡きアダムスに代わって、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の6作目、And Another Thing... (邦題『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』)を執筆する。この小説は、2009年10月12日にペンギン・ブックスより発売された。
 コルファーに白羽の矢が立ったのは、アダムスの配偶者ジェーン・ベルソンの意向によるものらしい。かねてよりコルファー作品のファンだったベルソンは、続編を書くならコルファー以上の適任者はいないと語り、全面的なサポートを約束している。
 ペンギン・ブックスやガーディアンのサイトに掲載された記事によると、ペンギン・ブックスにとってもこの画はかなり思いがけないものだったようだ。それでも、申し出には迷うことなく飛びついたという。『銀河ヒッチハイク・ガイド』には今でも多くのファンがいるけれど、次世代にもファン層を広げることができるのではないか、また、ヤング・アダルト小説にジャンル分けされているせいでこれまでコルファーの作品を読んだことのない大人たちにとっても、コルファーの小説を手に取るきっかけになるのではないか、と。
 コルファーはアイルランドのウェクスフォード生まれ。小学校の教師として勤めながら小説を書き、1998年に第1作目 Benny and Omar を発表した。2001年に出版した『アルテミス・ファウル 妖精の身代金』がヤング・アダルト小説のベストセラーとなり、現在までにアルテミス・ファウル・シリーズとして計6作を出版している。
 勿論、コルファーも学生時代から『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンで、続編執筆についてはこれまでにないプレッシャーを感じたという。コルファー自身のホームページに、『銀河ヒッチハイク・ガイド』との出会いや感想や現在の心境などを書いた文章がアップされているので、興味のある方はこちらへ。また、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年を記念してマクミラン・チルドレン・ブックスから2009年9月1日に出版された新装版のペーパーバックにも、序文を寄せている。
 コルファーの主な著作は以下の通り(* はアルテミス・ファウル・シリーズ)。

Benny and Omar (1998)
Benny and Babe (1999)
Going Potty (1999)
The Wish List (2000) 『ウィッシュリスト 願い、かなえます』 理論社 2004年
Ed's Funny Feet (2000)
Ed's Bed (2001)
Artemis Fowl (2001)* 『アルテミス・ファウル 妖精の身代金』 角川書店 2002年/角川文庫 2007年
Artemis Fowl: The Arctic Incident (2002)* 『アルテミス・ファウル 北極の事件簿』 角川書店 2003年/角川文庫 2007年
Artemis Fowl: The Eternity Code (2003)* 『アルテミス・ファウル 永遠の暗号』 角川書店 2006年/角川文庫 2008年
The Legend of Spud Murphy (2004)
Artemis Fowl: The Opal Deception (2005)* 『アルテミス・ファウル オパールの策略』 角川書店 2007年
The Legend of Captain Crow's Teeth (2006)
Half Moon Investigations (2006)
Artemis Fowl: The Lost Colony (2006)* 『アルテミス・ファウル 失われし島』 角川書店 2010年
The Legend of the Worst Boy in the World (2007)
Artemis Fowl: The Time Paradox (2008)*
Airman (2008)  『エアーマン』 偕成社
Plugged (2011)
Artemis Fowl: The Last Guardian (2012)*
W.A.R.P. The Reluctant Assassin (2013)
W.A.R.P. The Hangman's Revolution (2014)
W.A.R.P. The Forever Man (2015)


Colgan, Jenny T.  ジェニー・T・コルガン 1972.9.14-

イギリスの小説家。テレビドラマ『ドクター・フー』のノベライズを何冊も手掛けており、中でも2018年に出版された Doctor Who: The Christman Invasion では、元になったテレビドラマのエピソードからさらに踏み込んだ形で『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュを行っている。
 イギリス・スコットランド生まれ。エディンバラ大学で学んだ後、2000年に最初の小説でロマンチック・コメディの Amanda's Wedding を出版する。ジェニー・コルガン名義でロマンチック小説や児童書を、ジェニー・T・コルガンでSF小説を、次々と発表している。


Colman, Olivia  オリヴィア・コールマン 1974.1.30-

 イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ版『ダーク・ジェントリー』で、ダーク・ジェントリー探偵事務所のただ一人の所員、ジャニス・ピアーズ役を務める。
 ケンブリッジ大学に在学していた時にフットライツに参加していたことがきっかけで、フットライツのメンバーだったデイヴィッド・ミッチェルとロバート・ウェブと知り合う。デイヴィッド・ミッチェルとロバート・ウェブとの関係は、コールマンがブリストル・オールド・ヴィック演劇学校に転学した後も続き、彼らのコメディ番組『ピープ・ショー ボクたち妄想族』や『おーい、ミッチェル!はーい、ウェッブ!!』に出演したことで俳優としての地歩を固めた。『セレブになりたくて 〜サイモンの青春日記〜』や『エグザイル 戦慄の絆』『ブロードチャーチ 殺意の街』など、数多くのテレビ・ドラマやコメディで活躍し、『ナイト・マネジャー』ではゴールデングローブ賞テレビ部門の助演女優賞を受賞した。近年では『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007年)や『コンフェッティ 仰天!結婚コンテスト』(2006年)、『思秋期』(2010年)、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年)、『私が愛した大統領』(2012年)、『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』(2013年)、『カムバック』(2014年)、『ロブスター』(2015年)、『オリエント急行殺人事件』(2017年)といった映画にも出演。『女王陛下のお気に入り』(2018年)で、アカデミー賞主演女優賞を受賞した。


Cornish, Joe  ジョー・コーニッシュ 1968.12.20-

 イギリスのコメディ・コンビ、Adam & Joe のうちの一人。2003年にイギリスの公共放送BBCが行った愛読書アンケート「The Big Read」で、最終投票に向けてアンケートの上位21作品のヴィデオ・クリップが製作された時、フーク/ファウク(ディープ・ソートが究極の答えを計算するのを止めさせようとする哲学者と、750万年後にディープ・ソートから究極の答えを聞く男)の声を担当した。
 2011年には、映画『アタック・ザ・ブロック』で監督デビューを果たす。同年、スティーヴン・モファットエドガー・ライトらと共に脚本を担当した、スピルバーグ監督初の3D映画『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』も公開された。アメコミ映画『アントマン』(2015年)の脚本にも携わっている。


Cox, Brian  ブライアン・コックス 1968.3.3-

 イギリスの物理学者。2010年3月10日に開催された第9回ダグラス・アダムス記念講演の講演を行った。
 研究のかたわら、一般向けの科学書を執筆したり、テレビ番組のホスト役としても活躍、2010年にBBC2で放送された全5話の Wonders of the Solar System と全4話の Wonders of the Universe は、それぞれ「神秘の太陽系」「神秘の大宇宙」という邦題でBS朝日で放送されている。また、Wonders of the Universe を元にして書かれたアンドルー・コーエンとの共著は、2013年、『ブライアン・コックス 宇宙への旅』のタイトルで日本語訳が出版された。
 この番組の冒頭で流されたコックスの紹介文には、「1968年イギリス生まれ マンチェスター大学で博士号を取得 現在はスイスのジュネーブにある欧州原子核研究所で研究を続けている」と書かれていて、勿論間違ってはいないのだが、彼が物理学の道を目指す前に D'Reamというロックバンドのメンバーとして一世を風靡したことは付け加えてもいいかもしれない。このバンドの 'Things Can Only Get Better' という曲は、1997年にトニー・ブレア率いる労働党の選挙キャンペーンで使用されたことでとりわけよく知られている。2010年には、OBE(大英帝国勲章第四級勲爵士)を授与された。



Curtis, Richard  リチャード・カーティス 1956.11.8-

 イギリスの脚本家。生前のアダムスとは親しい友人同士だった。
 1983年にカーティスが初めてアダムスと出会ったのは、ロサンゼルスだった。ハリウッドから脚本執筆の誘いを受けて渡米したカーティスは、当初、一緒に仕事をしていたプロデューサー宅に滞在していた。カーティスに言わせればそのプロデューサーはとても良い人だったようだが、監督とは意見が合わず、脚本家として信頼されていないのではないかと思い始める。それに、そもそも一緒に仕事をする人と生活も共にするのはどうかと考え、イギリスを発つ前にジョン・ロイドに教えてもらったアダムスの滞在先の電話番号にかけてみることにした。当時、アダムスもまた、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化企画をすすめるべく、後に結婚することになるジェーンと一緒にロサンゼルスに滞在していたのだ。ジョン・ロイドが製作したテレビ番組『ノット・ザ・ナイン・オクロック・ニュース』に脚本家として参加していたカーティスは、ケンブリッジ大学のフットライツ出身者の知り合いも多かったけれど、アダムスとはまだ一面識もなかった。カーティスいわく、

  一緒にランチに行こう、ということになって、そのまま四時半まで話し込んだ。ランチが終えると、「うちに来いよ」と彼は言った。二人で夕食を食べていると、ジェーンが出て来た。彼女は法律の試験勉強をしていたんだ。で、彼だったか彼女だったかが言った。「今晩はうちに泊まれば?」 次の日の朝になると、二人揃ってこう言った。「雇い主と一つ屋根の下に暮らすなんて絶対にヘン、このままうちにいればいいじゃない」。という訳で、僕は長々と滞在することになったんだ。手厚いおもてなし、なんてレベルの話じゃない、まったくの赤の他人を何のお試し段階も踏まずに長期滞在させるんだから(Webb, pp. 224-225)。

 また、ニック・ウェブの公式伝記本によると、カーティスが自分の仕事仲間である映画監督をアダムスに紹介した時、「ダグラス、こちらは映画『人類創世』を作ったマイケル某だよ(註:公式伝記本では"Michael ***" とぼかされているが、『人類創世』の製作者マイケル・ゴラスコフのことか?)」と言えばよかったものを、つい「ダグラス、『人類創世』は知ってるよね?」と言ってしまったばっかりに、この映画が嫌いだったアダムスが立て板に水の勢いで貶しまくったこともあったとか。もっとも、目の前にいるのがその映画を作った当人だったと分かった後でも、アダムスの舌鋒はおさまらなかったらしい(同、p. 225)。
 この一件が災いした、という訳でもないだろうが、残念ながらハリウッドでの仕事は二人揃って不首尾に終わった。
 ロンドンに戻った後、アダムスはカーティスにコミック・リリーフの活動を呼びかけられ、雑誌 The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book (1986)の編集を手がけることになった。が、この企画のPRを担当したユーゲン・ビアに言わせれば、アダムスは編集者としては実質的にはほとんど何もやっておらず、もっぱら共同編集者のPeter Fincham とリチャード・カーティスが手がけていたとのことだが、真相は不明(Hitchhiker, p. 227)。
 ともあれ、その後も二人の交友は続いていた。カーティスとダグラスが知り合うきっかけを作ったジョン・ロイドは、M・J・シンプソンによるアダムスの非公式伝記本のアメリカ版ペーパーバックに寄せた序文の中で、アダムスが亡くなる1、2年前にアダムスとカーティスがランチを共にした時のことを書いている。
 レストランに向かう道すがら、カーティスが何気ない日常会話としてアダムスに今の仕事を訊くと、アダムスいわく、存在の意味について検証しているところで、もう少しでその答えに手が届きそうだ、とのこと。カーティスとしても、その話をもっと突っ込んで聞きたいという気持ちもあったが、アダムスとの付き合いが長いカーティスは、アダムスに先を促したが最後、次に自分が口を挟めるのはせいぜい1時間半後になると推測することもできた。そこで、どちらかというとその日は仕事の話は抜きにして他愛ないゴシップやジョークで過ごしたい気分だったカーティスは、アダムスの長話を封じ込めるのに有効な三語を口にした。「ジェーンはどうしてる?」(pp. xvi-xvii)。
 カーティスはニュージーランド生まれ。オックスフォード大学在学中にローワン・アトキンソンと出会い、共同でコメディ作品を手がけるようになった。1978年に大学を卒業後、ジョン・ロイドが製作するテレビ番組『ノット・ザ・ナイン・オクロック・ニュース』に脚本家の一人として参加する。1983年から始まったジョン・ロイド製作の『ブラック・アダー』シリーズや、1989年からの『ミスター・ビーン』シリーズなど、ローワン・アトキンソンとのコンビで多くの脚本を執筆、イギリスのテレビ・コメディ界を代表する人気作家となった。また、『彼女がステキな理由』で映画の脚本家としてもデビュー、続く『フォー・ウェディング』や『ノッティング・ヒルの恋人』など多くのヒット作を手がける。『ラブ・アクチュアリー』、『パイレーツ・ロック』、『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』では、脚本のみならず映画監督にも初挑戦した。アダムスに参加を募ったコミック・リリーフの活動では現在副会長を務めており、1994年には大英帝国第五級勲爵士、2000年には大英帝国第三級勲爵士を授与された。
 カーティスの主な脚本作品は以下の通り(* はテレビ作品)。

Not the Nine O'Clock News (1979)*  『ノット・ザ・ナイン・オクロック・ニュース』
The Black Adder (1983)* 『ブラックアダー 大英帝国一のアホ』
Spitting Image (1984)* 『スピッティング・イメージ』
Blackadder II (1986) * 『ブラックアダー 15代目も変わり者』
Blackadder the Third (1987) * 『ワル知恵執事のブラックアダー』
Blackadder: The Cavalier Years (1988) *
Blackadder's Christmas Carol (1988) * 『ブラックアダーのクリスマス』
The Tall Guy (1989)  『彼女がステキな理由』
Blackadder Goes Forth (1989) * 『陸軍大尉になったブラックアダー』
Mr. Bean (1989) * 『ミスター・ビーン』
Four Weddings and a Funeral (1994)  『フォー・ウェディング』
Bean (1997)  『ビーン』
Notting Hill (1999)  『ノッティング・ヒルの恋人』
Blackadder Back & Forth (1999)
Bridget Jones's Diary (2001) 『ブリジット・ジョーンズの日記』
Love Actually (2003) 『ラブ・アクチュアリー』
Bridget Jones's Diary: The Edge of Reason (2004) 『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月』
The Girl in the Cafe (2005)* 『ある日、ダウニング街で』
Mr. Bean's Holiday (2007) 『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』
The No. 1 Ladies' Detective Agency (2008-2009) * 『ようこそ!No.1レディース探偵社へ』
The Boat That Rocked (2009) 『パイレーツ・ロック』
War Horse (2011) 『戦火の馬』
About Time (2013) 『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』
Mary and Martha (2013)* 『ヒラリー・スワンク ライフ』
Trash (2014) 『トラッシュ! ―この街が輝く日まで―』
Roald Dahl's Esio Trot (2015)* 『素敵なウソの恋まじない』
Yesterday (2019) 『イエスタデイ』


Cuse, Carlton  カールトン・キューズ 1959.3.22-

 アメリカのテレビドラマ製作者/脚本家。Hulu製作による新作テレビドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本に携わっている。まだ試作段階だが、アダムスの原作を忠実に映像化するというより、現代風にアレンジされたものになるらしい。
 カールトン・キューズが製作総指揮した主なテレビドラマ作品は以下の通り。

Nash Bridges (1996-2001) 『刑事ナッシュ・ブリッジス』
Lost (2004-2010) 『LOST』
Nash Bridges (1996-2001) 『刑事ナッシュ・ブリッジス』
Bates Motel (2013-1017) 『ベイツ・モーテル』
The Strain (2014-2017) 『ストレイン』
The Returned (2015) 『ザ・リターン』
Colony (2016-2018)『COLONY/コロニー』
Jack Ryan (2018-2019) 『トム・クランシー/CIA分析官 ジャック・ライアン』

 この他に、『カリフォルニア・ダウン』(2015年)や『ランペイジ 巨獣大乱闘』(2018年)といった映画作品の脚本も手がけている。

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