関連人物一覧 -C-

Cameron, James ジェームズ・キャメロン
Canter, Jon ジョン・カンター
Carroll, Lewis ルイス・キャロル
Carter, Jim  ジム・カーター
Cawardine, Mark マーク・カワディン
Chapman, Graham グレアム・チャップマン
Chatwin, Bruce ブルース・チャトウィン
Clarke, Arthur C. アーサー・C・クラーク
Cleese, John ジョン・クリーズ
Cobb, Ron ロン・コッブ
Coleridge, Samuel Taylor サミュエル・テイラー・コールリッジ
Colman, Olivia オリヴィア・コールマン
Curtis, Richard リチャード・カーティス


Cameron, James  ジェームズ・キャメロン 1954.8.16-

 ハリウッドを代表する映画監督。一時は、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の監督候補の一人に挙がっていた。
 1992年、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化が一向に進展しないことに業を煮やし、自作の映画化権をコロンビアから買い戻そうと考える。最終的に買い取れたのは1993年に入ってからのことだが、1992年6月には監督候補を探し始めており、ちょうど『ターミネーター2』を大成功させた直後だったキャメロンの名前も出たらしい。今となっては、当時のキャメロンがもし『銀河ヒッチハイク・ガイド』を映画化していたらどんな作品になっただろうと想像するしかないが、映画化が不首尾に終わった後もアダムスとキャメロンには個人的な親交があったようだ。アダムスが『宇宙船タイタニック』を、キャメロンが『タイタニック』を製作した後、二人揃って急流下りに参加し、その時キャメロンがアダムスに向かって「タイタニックのプロジェクトに携わった二人が、ボートを転覆させまいと奮闘しているなんてヘンなもんだね」と言ったとか(Hitchhiker, pp. 304-305)。
 キャメロンの主な監督作品は以下の通り(*はドキュメンタリー)。

Piranha Part Two: The Spawning (1981)  『殺人魚フライング・キラー』
The Terminator (1984)  『ターミネーター』
Aliens (1986)  『エイリアン2』
The Abyss (1989)  『アビス』
Terminator 2: Judgment Day (1991)  『ターミネーター2』
True Lies (1994)  『トゥルーライズ』
Titanic (1997)  『タイタニック』
Aliens of the Deep (2005) * 『エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ』


Canter, Jon  ジョン・カンター

 イギリスのコメディ・ライター。ケンブリッジ大学でフットライツに所属し、1974年に彼が部長を務めていた時、アダムスもメンバーとして参加していた。その後、小説『宇宙の果てのレストラン』執筆時のアダムスは、カンターとフラットを共有していた。
 カンターの主な脚本作品は以下の通り。

"Murder Most Horrid"(1991-1999)

エピソードごとに話の内容はまったく異なるが、毎回必ずドーン・フレンチというコメディ女優がさまざまな役まわりで登場するという趣向の、コメディ・ミステリー。何人かの脚本家のうちの一人として、カンターの名前もクレジットされている。ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』でフォード・プリーフェクト役を務めたジェフリー・マッギヴァーンも3回ゲスト出演している。その他、ヒュー・ローリーやジム・ブロードバンド(映画『アイリス』でアカデミー助演男優賞受賞の経歴あり)らもゲスト出演した。

In Dreams (1992)

黒人コメディアン、レニー・ヘンリー主演のコメディ。

"The Good Sex Guide" (1993)

30分・計14回話のドキュメンタリー。7人の脚本家のうちの1人して参加。

The Man (1999) レニー・ヘンリー主演のコメディ。


Carroll, Lewis  ルイス・キャロル 1832.1.27-1898-1.14

 イギリスの作家。言わずと知れた『不思議の国のアリス』の作者だが、本名はチャールズ・ラトウィジ・ドジソン、オックスフォード大学の特別研究員・数学講師でもあった。
 キャロルは、数々の作品の中に秘かに42という数字を忍ばせている。このため、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中で「生命と宇宙と万物についての究極の答」が42なのはキャロルへのオマージュではないかとたびたび指摘されたが、アダムス自身は最後まで「単なる偶然の一致」と主張し続けていた。「子供の頃に『不思議の国のアリス』を読んだ、というか読んでもらったことがあるが、大嫌いだった。本気で恐ろしかったんだ。何ヶ月か前にもう一度手を伸ばして数ページ読んでみたが、その時の感想も『良い作品だけど、でもやっぱり……』だった」(Gaiman, p. 5)。
 が、アダムスの作品とルイス・キャロルとの関係は42だけに留まらない。アダムスはラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を書いた時に、第1話の意味で通常はあまり使わない 'Fit' という単語を使ったのはキャロルの『スナーク狩り』からの借用だと認めているし、また「?あなたが今朝、六つの不可能事をなしとげたというのなら、朝食は<宇宙の果てのレストラン、ミリウェイズ>でとるのがいちばん″」(『宇宙の果てのレストラン』、p. 134)という描写は、『鏡の国のアリス』第5章を思い起こさせる。

 アリスは吹きだしてしまいました。「やってもむだです。ありえないことは信じられませんわ。」
 「練習が足らんとみゆるの」と女王様。「わらわがそちの年輩には、一日に三十分はお稽古したぞ。さようじゃ、ありえぬことを六つまでも朝食前に信じたこともあった。あれ、ショールがまたとんでいく!」(高山宏訳、p. 97)

 また、42についても、アダムス本人は関連を否定しているにもかかわらず、キャロル研究家のマーティン・ガードナー氏が1990年に発表した More Annotated Alice (キャロルの『不思議の国のアリス』に詳注をつけたもの。1960年に The Annotated Alice を出版され、それから30年間に集まった情報を付け加えて新たに More Annotated Alice というタイトルで出版された)に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する説明が含まれている。1994年に『新注 不思議の国のアリス』のタイトルで日本語に翻訳されているので、該当個所を抜き出してみると、

ダグラス・アダムの人気SF小説『ヒッチハイカーの銀河案内』を見ると、「万有についての究極の問い」に対する答が42だということになっている。(p. 222)

 ちなみに、ガードナーの原文は、

In Douglas Adams's pupular science-fiction novel The Hitchhiker's Guide to the Galaxy, forty-two is said to be the answer to the "Ultimate Question about Everything." (p. 120)

 「ダグラム・アダム」については訳文の間違い、「万有についての究極の問い」については本文の間違い、ということか。

 参考までに、キャロル作品に見られる42の主なものを挙げてみると、

『不思議の国のアリス』
 「規則第四十二条。『身の丈一マイルを越ゆる者はすべからく法廷から出ずべし』」(高山宏訳、p. 221)

『詳注 鏡の国のアリス』
 「おすみになる」と女王様はきっぱりと答えました。「誰にしたって、いっぺんに二つのことはできぬのでな。手はじめに自分はいくつか考えてみやれ――そち、いくつかの?」
 「七歳と6か月です。きっかりです。」(高山宏訳、p. 97)

「スナーク狩り」
四十二箇の荷箱はいずれも入念に荷造りし、
  それぞれにはっきりと名前を書きこんだのだが、
そのことを言い忘れていたために、
  波止場に置きすてられてしまったのだ。
(沢崎順之助訳、p. 280)

 なお、英国ルイス・キャロル協会会報『バンダスナッチ』(Bandersnatch)第42号には、キャロルの「42」特集が組まれているらしい。


Carter, Jim  ジム・カーター 1951-

 イギリスの俳優。ラジオ・ドラマ版『ダーク・ジェントリー』で、部長刑事(detective sergent)のジルクス役を務める。
 これまで数多くのテレビ・映画に出演している。妻は、女優のイメルダ・スタウントン。
 主な出演映画は以下の通り。

Flash Gordon (1980) 『フラッシュ・ゴードン』
Top Secret! (1984) 『トップ・シークレット』
The Company of Wolves (1984) 『狼の血族』
A Private Function (1984) 『最強最後の晩餐 』
Rustlers' Rhapsody (1985)『Mr. 早射ちマン』
Riders of the Storm (1986) 『アメリカン・ウェイ』
Haunted Honeymoon (1986) 『呪われたハネムーン』
A Month in the Country (1987) 『ひと月の夏』
The First Kangaroos (1988) 『青春のノーサイド/勝利への旅立ち』
Soursweet (1988) 『サワースィート』
The Raggedy Rawney (1988) 『ジプシー/風たちの叫び』
The Rainbow (1989) 『レインボウ』
Erik the Viking (1989) 『エリック・ザ・バイキング』
The Fool (1990)
The Witches (1990)
Crimestrike (1990)
Blame It on the Bellboy (1992) 『ベルボーイ狂騒曲 ベニスで死にそ〜』
The Hour of the Pig (1993)
Black Beauty (1994) 『ブラック・ビューティー/黒馬物語』
The Madness of King George (1994) 『英国万歳!』
Richard III (1995) 『リチャード三世』
The Grotesque (1995) 『グロテスク』
Brassed Off (1996) 『ブラス!』
Keep the Aspidistra Flying (1997)
Vigo (1998) 『ヴィゴ』
Legionnaire (1998) 『レジョネア 戦場の狼たち』
Shakespeare in Love (1998) 『恋におちたシェイクスピア』
Tube Tales (1999) 『チューブ・テイルズ』
Arabian Nights (2000) 『アラビアン・ナイト』
The Little Vampire (2000) 『リトル・ヴァンパイア』
102 Dalmatians (2000) 『102』
The Secret Life of Mrs. Beeton (2006) 『ビーンストーク ジャックと豆の木』
Dinotopia (2002) 『ダイノトピア』
Heartlands (2002)
Bright Young Things (2003)
16 Years of Alcohol (2003)
Ella Enchanted (2004)
Casablanca Driver (2004)
Modigliani (2004)
Out of Season (2004) 『ファイナル・ショット』
Cassandra's Dream (2007)
The Golden Compass (2007) 『ライラの冒険 黄金の羅針盤』
The Oxford Murders (2008)


Cawardine, Mark  マーク・カワディン

 世界自然保護基金(WWF)で活動する動物学者。
 Last Chance to See をアダムスと共著。2005年3月10日には、第3回ダグラス・アダムス記念講演会でスピーチをした。
 WWW Environment Handbookを作成している。


Chapman, Graham グレアム・チャップマン 1941.1.8-1989.10.4

 モンティ・パイソンのメンバーの一人。ケンブリッジ大学在学中は、医学を専攻するかたわら、ジョン・クリーズらと共にフットライツで活躍。その縁で、アダムスは大学卒業後チャップマンと共同執筆を試みるが、そのほとんどが企画のままに終わり、18ヶ月ほどで二人の関係は破綻する。
 アダムスが最初にチャップマンと出会ったのは、1974年7月15日、フットライツのロンドン公演 Chox の初日のこと。「たくさんのフットライツOBたちが見に集まってきたんだ。その中にグレアム・チャップマンもいた。たくさんの人の波に揺られた後で、グレアムは、私が書いたスケッチの1、2本を特に気に入ってくれていた。それで彼は、「そのうち会って飲まないか?」と言ったんだ。」(モーガン、p. 225)。
 1974年当時のモンティ・パイソンは人気絶頂だったが、その一方でメンバーの一人一人が次なるステップを模索し始めた時期でもあった。実際、1974年秋から製作が始まった『空飛ぶモンティ・パイソン』第4シリーズでは、ジョン・クリーズは名前はクレジットされているものの実質的に参加していない。そのため、これまでクリーズと共同執筆していたチャップマンは、クリーズに代わる別の相手を捜していた。
 アダムスはハイゲートにあったチャップマンの自宅に招かれ、『空飛ぶモンティ・パイソン』第4シリーズのスケッチの手直しを頼まれた。やがて、チャップマンに連れられて番組の打ち合わせにも参加するようになる。実際にアダムスが書き直した部分はほんのわずかだったが、それでも番組の最後には「Silly Word」担当として名前をクレジットされている(『空飛ぶモンティ・パイソン』全シリーズを通じてライターとしてクレジットされたのはアダムスとニール・イネスの二人だけ)し、またカメオ出演のような形で二度ばかり番組に出演することもできた。モンティ・パイソンに憧れてケンブリッジ大学に進学したアダムスにとっては、ある意味で夢が実現した瞬間と言えるかもしれない。ただし、この後にアダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』で一世を風靡した際に、あたかもモンティ・パイソンの主要ライターの一人であったかのようにマスコミで宣伝されてしまったことについては「罪の意識を感じる」(モーガン、p. 229)という。自分の番組への貢献など微々たるものでしかなかった、と。
 それ故に、モンティ・パイソンと離れたところで行われるチャップマンとの共同製作は、アダムスとチャップマンの本領発揮となるはずだった。が、他のモンティ・パイソン・メンバーが新しい作品で活躍の場を広げて行くのを尻目に、チャップマンとアダムスの共同作品はほとんど企画段階で終わってしまい、どうにか日の目を見たBBC2深夜放送の『アウト・オブ・ザ・ツリー』(グレアム・チャップマンとサイモン・ジョーンズが主演)も、1度の放送のみで打ち切られた。この番組の一部は、Douglas Adams at the BBC にも収録されている。
 この他に、1980年に出版されたチャップマンの自伝 A Liar's Autobiography の共同執筆者4人の中にはアダムスの名前を見ることができる。が、この自伝そのものがあまり評判にならなかった上に、アダムスとチャップマンの人間関係を決定的に悪化させることにもなった。この自伝の中で、どの箇所をアダムスが書いたのか特定するのは困難だが、21ページの脚註2 "2. None of this is true. (I was in fact born in Stalbridge in Dorset but if you want to send any letters there please note that the correct postal address is Stalbridge, STURMINSTER NEWTON, Dorset)." はアダムスの手によるものらしい(Hitchhiker, p. 73)。
 チャップマンは、相手が誰であろうと、一緒に仕事をしやすい人間ではなかったようだ。太っ腹で、日曜になると貧乏だったアダムスやマーティン・スミスらに昼食をごちそうしてくれたり、有益なアドバイスをくれたりする反面、人を徹底的に貶したりおとしめたりすることもあった。おまけに、アルコール依存症の問題も抱えていた。テリー・ジョーンズによれば、当時のチャップマンはまだ自分がアルコール中毒だという自覚もなかったんじゃないか、とのことだが(Webb, p. 91)、仕事の時間も常に酒を飲んでいるというのは尋常ではない。アダムスいわく、「推測するに、彼と働いていた時期、彼は、基本的にボトル1本くらいのジンを毎日飲んでいた。だから、仕事に最適な雰囲気があったとは言えないね。グレアムの家で仕事が始まるのが、午前10時なんだ。そして全員が朝から飲んでいるから、終わりの方になると、みんな酔っ払っているか、グレアムが泥酔しているかなんだ」(モーガン、p. 231)。おまけに、酔っ払ったチャップマンは「暴力的になったり怒りっぽくなったりすることで自分自身を楽しませていたんだ。他人を楽しませようとしたことはなかった」(同、p. 232)とあっては。
 アダムスとチャップマンの最後の仕事は、Doctor on the Go というテレビ・シリーズの1エピソード、'For Your Own Good' だった。この番組の脚本編集を担当していたバーナード・マッケンナは、2005年6月4日から11月6日にかけてアダムスとチャップマンの二人とたびたび会っていたが、午前9時にアダムスと打ち合わせの約束を入れたとしても、午前11時前にチャップマンに会うのは絶対不可能な状態だったと語っている(Hitchhiker, p. 74)。それでもこの番組の脚本自体は8月には完成し、1977年2月2日に放映されたが、この頃にはアダムスはチャップマンと手を切っていた。直接の引き金となる出来事が何か起こったというよりも、数週間、あるいは数ヶ月に亘る険悪な関係に、アダムスがほとほとイヤになったというのが真相らしい。その後、チャップマンが禁酒をし、二人の関係は一応修復されたようだが、依然のような親密さは戻らなかったという。
 1989年10月4日、チャップマンは喉頭癌のため48歳の若さで死去した。奇しくも、『空飛ぶモンティ・パイソン』のテレビ放送開始からちょうど20年後のことだった。アダムスいわく、「最後に彼と話をしたのは、彼が亡くなる、わずか2〜3日前のことだった。彼とあまりしゃべらなくなってから少し時間が経っていた。(略)彼は、医者から見放されていた。担当の医者は、彼が回復しないことを知っていたんだ。だから彼は、それ以上病院にいてもしょうがなかったし、彼は真実を知っていたにちがいない。なのに、彼が完璧な確信とともにみんなに語っていたのは、彼が治療免除の時期にいて、これから全快に向かうということだった。(略)私には、彼が、ただ自分以外の全員に対して強がりを言っていたか、嘘をついていたように思えるんだ」(モーガン、p. 328)。
 チャップマンが死去した翌日、彼の訃報を知らせるBBCのニュース番組の中でアダムスはインタビューを受けた。この番組は、Douglas Adams at the BBC にも収録されているので聴くことができる。
 チャップマンのモンティ・パイソン以外の出演作品は、『チーチ&チョン/イエローパイレーツ』(1983年)『熱血刑事ハリー』(1987年)などがある。また、バーナード・マッケンナと共同で脚本を書いた The Odd Job (1978) では主演も務めている。


Chatwin, Bruce  ブルース・チャトウィン 1940.5.13-1989.1.19

 イギリスの作家。テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』撮影時に、アダムスは彼の著書『パタゴニア』を読んでいたらしい。
 バーミンガム生まれ。モールバル・カレッジを卒業後、サザビーズに勤務するも1966年には退社し、1972年からはエジンバラ大学で考古学を学ぶ。遊牧民に関する研究で世界各地を旅する一方、『サンデー・タイムズ』にも寄稿、1978年に第一作『パタゴニア』を発表。南米パタゴニアを旅して出会った、不思議な光景や人々を綴った文章は、英国ホーソンデン賞をはじめ多くの賞を受賞した。1989年、南フランスのニースにてエイズのため死亡。
 主な著作は以下の通り。

In Patagonia (1977) 『パタゴニア』 めるくまーる 1990年
The Viceroy of Ouidah (1980) 『ウィダの総督』 めるくまーる 1989年

 1988年に、ヴェルナー・ヘルツォーク監督により『コブラ・ヴェルデ』のタイトルで映画化される。

On the Black Hill (1982)
Patagonia Revisited (1985) 『パタゴニアふたたび』 めるくまーる 1993年

 チャトウィンとポール・セローの二人が、パタゴニアについて語った対談集。

The Songlines (1987) 『ソングライン』
Utz (1988) 『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』 文藝春秋 1993年

 1992年に映画化される。ウッツ男爵役を演じたアーミン・ミューラー=スタールは、ベルリン映画祭主演男優賞を受賞した。邦題は『マイセン幻影』。

What Am I Doing Here (1989) 『どうして僕はこんなところに』 角川書店 1999年


Clarke, Arthur C.  アーサー・C・クラーク 1917.12.16-2008.3.19

 イギリスのSF作家。アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインと並ぶ、言わずと知れたSF界の大御所だが、どちらかと言うと娯楽性より教養性の高い、生真面目なハードSFを多く執筆した。
 1998年、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』20周年を記念して製作されたBBCのラジオ番組のインタビューの中で、クラークのことを "predictive"(予言的な) と形容した。そして、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はあくまでコメディとして書いたものであり、自分はクラークのような未来予測型のSF作家ではない、と語る(もっとも、ブルース・ベスキ『宇宙の果てのアンソロジー』に収録されたエッセイ、"The Secret Symbiosis: The Hitchhiker's Guide to the Galaxy and Its Impact on Real Computer Science" で、1962年にクラークが真剣に書いた『未来のプロフィル』が大ハズレだったのに対し、コメディとして書かれた『銀河ヒッチハイク・ガイド』のほうが将来のテクノロジーの姿をはるかに的確に捉えていた、と述べているが)。
 さて、そんなアーサー・C・クラークの代表作の一つ、ヒューゴー賞/ネビュラ賞をダブル受賞した『宇宙のランデブー』(1973年)は、後に続編がジェントリー・リーとの共著で『宇宙のランデブー4』(1994年)まで出版されたが、この『宇宙のランデブー4』の中に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にまつわるジョークが入っている。物語の終盤で、主人公のニコルが宇宙の真の目的を説明された後、ベッドの中で独り笑いをするシーンがあって、

Nicole laughed to herself in bed. I can't imagine what Richard would have said after that discussion. A good theory, perhaps, but how does it explain the African dominance in the World Cup between 2140 and 2160? Or is the meaning of life no longer 42? She laughed again. (p. 431)

 クラークの未来予測によれば、「42」のジョークは数百年先まで有効ということか。
 ちなみに冬川亘の日本語訳では、この箇所は「あるいは、人生の意味はもうグーテンベルク聖書にはなくなっちまったのかな?」(下巻、p. 380)となっている。「42」を、「人生と宇宙と万物についての究極の答」ではなく、別名「42行聖書」とも呼ばれるグーテンベルク聖書のことと解釈されたようだが、でもグーテンベルク聖書だとしたら「42」ではなく「B42」なのでは?
 クラークはサマセット州マインヘッド生まれ。第二次世界大戦中は、イギリス空軍の将校としてレーダーの開発などに携わり、戦後はロンドン大学で数学や物理を学びつつSF小説や科学記事を執筆する。SF作家としてのデビューは、1946年にアメリカの雑誌に掲載された短編「抜け穴」。1956年にはスリランカに移住し、2008年にその地で亡くなった。享年90歳。
 クラークの主な著作は以下の通り(* は短編集、** はノンフィクション)。

Prelude to Space (1951) 『宇宙への序曲』早川文庫 1992年
Sands of Mars (1952) 『火星の砂』 早川文庫 1978年
Childhood's End (1953) 『幼年期の終り』 早川文庫 1979年/『幼年期の終わり』光文社古典新訳文庫 2007年
Against the Fall of Night (1953) 『銀河帝国の崩壊 創元SF文庫 1964年
Expedition to Earth (1953)* 『前哨』 早川文庫 1985年
Islands in the Sky (1954) 『宇宙島へ行く少年』 早川文庫 1986年
Earthlight (1955) 『地球光』 早川文庫 1978年
The City and the Stars (1956) 『都市と星』 早川文庫 1977年
Reach for Tomorrow (1956)* 『明日にとどく』 早川文庫 1986年
The Deep Range (1957) 『海底牧場』 早川文庫 1977年
Tales from the White Hart (1957)* 『白鹿亭綺譚』 早川文庫 1980年
The Other Side of the Sky (1958)* 『天の向こう側』 早川文庫 1984年
A Fall of Moondust (1961) 『渇きの海』 早川文庫 1963年
Tales of Ten Worlds (1962)* 『10の世界の物語』 早川文庫 1985年
Profiles of the Future (1962)** 『未来のプロフィル』 早川文庫 1980年
Dolphin Island (1963) 『イルカの島』 創元SF文庫 1994年
2001: A Space Odyssey (1968) 『2001年 宇宙の旅』 早川文庫 1977年
The Wind from the Sun (1972)* 『太陽からの風』 早川文庫 1978年
The Lost Worlds of 2001 (1972)** 『失われた宇宙の旅2001』 早川文庫 2000年
Rendezvous with Rama (1973) 『宇宙のランデヴー』 早川文庫 1985年
Imperial Earth (1975) 『地球帝国』 早川文庫 1985年
The View from Serendip (1978)** 『スリランカから世界を眺めて』 早川文庫 1988年
The Fountains of Paradise (1979) 『楽園の泉』 早川文庫 1980年
2010: Odyssey Two (1982) 『2010年 宇宙の旅』 早川文庫 1994年
The Sentinel (1983) 『太陽系オデッセイ』* 早川文庫 1986年
Odyssey File (1984)** 『オデッセイ・ファイル -アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』 パーソナル・メディア 1985年 ピーター・ハイアムズとの共著
The Songs of Distant Earth (1986) 『遥かなる地球の歌』 早川文庫 1996年
Arthur C. Clarke's July 20, 2019: Life in the 21st Century (1986)** 『アーサー・C・クラークの2019年7月20日』 旺文社 1987年
2061:Odyssey Three (1987) 『2061年 宇宙の旅』 早川文庫 1995年
Cradle (1988) 『星々の揺籃』 早川文庫 1998年 ジェントリー・リーとの共著
Rama II (1989) 『宇宙のランデヴー 2[上][下]』 早川文庫 1994年 ジェントリー・リーとの共著
Astouding Days -A Science Fictional Autobiography (1989)** 『楽園の日々 -アーサー・C・クラーク自伝』 早川書房 1990年
Beyond the Fall of Night (1990) 『悠久の銀河帝国』 早川文庫 2005年 グレゴリイ・ベンフォードとの共著
The Ghost from the Grand banks (1990) 『グランド・バンクスの幻影』 早川文庫 1997年
The Garden of Rama (1991) 『宇宙のランデヴー3[上][下]』 早川文庫 1996年 ジェントリー・リーとの共著
The Hammer of God (1993) 『神の鉄槌』 早川文庫 1998年
Rama Revealed (1993) 『宇宙のランデヴー4[上][下]』 早川文庫 1997年 ジェントリー・リーとの共著
The Snows of Olympus (1994)** 『オリンポスの雪』 徳間書店 1997年
Richter 10 (1996) 『マグニチュード10』 新潮文庫 1997年 マイク・マクウェイとの共著
3001: The Final Odyssey (1997) 『3001年 終局への旅』 早川文庫 2001年
The Light of Other Days (2000) 『過ぎ去りし日々の光[上][下]』 早川文庫 2000年 スティーヴン・バクスターとの共著
The Trigger (1999) 『トリガー[上][下]』 早川文庫 2001年 マイクル・P・キュービー=マクダウエルとの共著
Time's Eye (2003) 『時の眼ータイム・オデッセイ』 早川書房 2006年 スティーヴン・バクスターとの共著


Cleese, John ジョン・クリーズ 1939.10.27-
 
 モンティ・パイソンのメンバーの一人。テレビ番組『フロスト・レポート』に出ていた彼を見て、彼に憧れて、当時高校生だったアダムスはケンブリッジ大学進学を決心した。
 サマーセット州ウェストン・スーパーメア生まれ。ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジで法律を専攻。フットライツに所属し、グレアム・チャップマンエリック・アイドルらと知り合う。なお、クリーズらが製作した「ケンブリッジ・サーカス」は、ロンドン・ウェストエンドのみならず、ニュージーランドやニューヨークでも公演され、フットライツ史上もっとも成功した作品となった。
 帰国後、BBCのコメディ番組の脚本や出演を手掛けたが、フットライツ時代からの友人のグレアム・チャップマン、エリック・アイドルに、『フロスト・レポート』で知り合ったオックスフォード大学出身のテリー・ジョーンズマイケル・パリンと、さらにニューヨーク在住時に出会ったテリー・ギリアムの計6人でコメディ集団モンティ・パイソンを結成、1969年10月5日『空飛ぶモンティ・パイソン』第一シリーズがBBCテレビで放映された。
 モンティ・パイソンとしての作品以外では、1975年にBBCで放映されたコメディ・ドラマ『フォルティ・タワーズ』や、1988年製作の映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』で脚本と出演を担当(アカデミー脚本賞にノミネート)、日本での知名度こそ今一つだが、イギリスでは誰もが知っている有名人の一人である。
 アダムスが初めてクリーズと会ったのは、彼がまだ大学生の頃、ロンドンのラウンド・ハウスで何かの公演を観に行って、休憩時間にバーに寄った時のことだった。ふと横を見ると、そこに憧れのジョン・クリーズ本人が立っていた。好機を見計らって話しかけ、Varsity というケンブリッジ大学の雑誌のためのインタビューを申し込んだところ、クリーズは後輩の依頼を快諾し、実際その数週間後にインタビューすることができたという。
 アダムスにとって、ジョン・クリーズは「偶像(iconic figure)」(Morgan, p.171)だった。その気持ちは、大学を卒業し、モンティ・パイソンの別のメンバーであるグレアム・チャップマンと共同作業を始め、その関係で他のモンティ・パイソンのメンバーとも知り合いになり、『空飛ぶモンティ・パイソン』の仕事を手伝ったり、クリーズが設立したビデオ制作会社「ビデオ・アーツ」で小道具調達係を担当したりするようになっても、依然変わることがなく、クリーズも自分と同じ普通の人間なんだと思えるようになるまでに随分時間がかかったらしい(Gaiman, p. 136)。1978年にアダムスがジョン・ロイドと共に製作したBBCラジオ4のクリスマス特別番組、Black Cinderella Two Goes East では、当時BBCラジオとは仕事をしないと言っていたクリーズを説得し、出演してもらってもいる。
 また、アダムスが使っていたラップトップ型コンピューターには、愛娘ポリーと共にジョン・クリーズのビデオ映像が収められていた(Wroe, Jun. 3, 2000)。
 なお、アダムスの『新・地名辞典』には、クリーズのための言葉が登場する。

Goadby Marwood (n.)

往来でジョン・クリーズをつかまえて、「バカ歩き」をやってくれと頼む人。

 「バカ歩き」とは、『空飛ぶモンティ・パイソン』の中の「バカな歩き方省」のスケッチで、ジョン・クリーズが披露したもの。数あるモンティ・パイソンのスケッチの中でも特に有名、というより一度見たら忘れられない、といったほうが正しいかもしれない。
 しかし、実際に「往来でジョン・クリーズをつかまえて、『バカ歩き』をやってくれと頼む」だけの勇気と無遠慮を持ち合わせたイギリス人がいるのかと思いきや、やはりいたらしい。

 このコメディー史に残る名スケッチは、クリーズの名前を有名にするとともに、彼に実害も及ぼした。あまりに強烈なインパクトゆえ、その後、行く先々で必ず「ねえ、バカ歩きをしてみせて!」と大声でリクエストされるようになってしまったのだ。メンバーの中でも人一倍気難しい彼は、とうとうキレてしまい、「人前でバカ歩きをするのはやめよう!」と、心に誓ったという。(須田泰成、pp. 133-134)

 これまでの主な出演作品は、

<テレビ>
Monty Python's Flying Circus (1969-1972) 『空飛ぶモンティ・パイソン』(脚本も担当)
Fawlty Towers (1975-1979) 『フォルティ・タワーズ』(脚本も担当)

<映画>
Monty Python and Holy Grail (1975) 『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(脚本も担当)
Life of Brian (1979) 『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(脚本も担当)
Time Bandits (1981) 『バンデッドQ』
Monty Python's Meaning of Life (1983) 『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』(脚本も担当)
Silvarado (1985) 『シルバラード』
Clockwise (1986) 『時計じかけの校長先生』
A Fish Called Wanda (1988) 『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(脚本も担当)
Eric the Viking (1989) 『エリック・ザ・ヴァイキング/バルハラへの航海』
Splitting Heirs (1993) 『相続王座決定戦』
Frankenstein (1994) 『フランケンシュタイン』
Fierce Creatures (1997) 『危険な動物たち』 (製作・脚本も担当)
The Out-of-Towners (1999) 『アウト・オブ・タウナーズ』
The World Is Not Enough (1999) 『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』
Rat Race (2001) 『ラット・レース』
Harry Potter and the Sorcerer's Stone (2001) 『ハリー・ポッターと賢者の石』
The Adventures of Pluto Nash (2002) 『プルート・ナッシュ』
Die Another Day (2002) 『007/ダイ・アナザー・デイ』
Harry Potter and the Chamber of Secrets (2002) 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
Charlie's Angels: Full Throttle (2003) 『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』
Around the World in 80 Days (2004) 『80デイズ』

 この他に、アダムスが製作したコンピュータ・ゲーム『宇宙船タイタニック』で、「爆弾」の声を担当している(クレジットはKim Bread名義)。


Cobb, Ron ロン・コッブ

 映画のコンセプト・デザイナー。彼が手掛けた主な作品には、『スター・ウォーズ』(1977年)の酒場のシーンに出てくるエイリアンや、『エイリアン』(1979年)の宇宙船、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン(タイムマシン車)などがある。
 1983年頃、ハリウッドで『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化の企画が持ち上がった時に、スタッフの中にはコッブの名前も入っていた。実際、コッブがデザインしたマーヴィンは、アダムスも気に入ったらしい――残念ながら、日の目を見ることはなかったけれど、その後もアダムスとの交友関係は続いたようで、1988年にアダムスが滞在先のオーストラリアでクリスマス・パーティを開いた時には、ジョン・ロイドジョン・カンターらと共にコッブも招待されている(Webb, p. 180)。


Coleridge, Samuel Taylor サミュエル・テイラー・コールリッジ 1772-1834

 詩人にして思想家・批評家。
 ワーズワースの親友で、共著『抒情歌謡集』(Lyrical Ballads, 1798)には彼の代表作「老水夫行」("The Rime of the Ancient Mariner")が巻頭でおさめられている。
 Dirk Gently's Holistic Detective Agency に登場し、未完の名作「忽必烈汗」(Kubla Khan, 1797)誕生秘話?が明かされる。


Colman, Olivia  オリヴィア・コールマン 1974.1.30-

 イギリスのコメディ女優。ラジオ・ドラマ版『ダーク・ジェントリー』で、ダーク・ジェントリー探偵事務所のただ一人の所員、ジャニス・ピアーズ役を務める。
 多くのテレビ・ドラマで活躍しているが、近年では『コンフェッティ 仰天!結婚コンテスト』(2006年)といったコメディ映画にも出演している。



Curtis, Richard  リチャード・カーティス 1956.11.8-

 イギリスの脚本家。
 アダムスは、友人関係にあったカーティスにコミック・リリーフの活動を呼びかけられ、雑誌 The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book (1986)の編集を手がけることになる。が、この企画のPRを担当したユーゲン・ビアに言わせれば、アダムスは編集者としては実質的にはほとんど何もやっておらず、もっぱら共同編集者のPeter Fincham とリチャード・カーティスが手がけていたとのことだが、真相は不明(Hitchhiker, p. 227)。
 カーティスはニュージーランド生まれ。オックスフォード大学在学中にローワン・アトキンソンと出会い、共同でコメディ作品を手がけるようになる。1978年に大学を卒業後、ジョン・ロイドが製作するテレビ番組『ノット・ザ・ナイン・オクロック・ニュース』に脚本家の一人として参加した。1983年から始まったジョン・ロイド製作の『ブラック・アダー』シリーズや、1989年からの『ミスター・ビーン』シリーズなど、ローワン・アトキンソンとのコンビで多くの脚本を執筆、イギリスのテレビ・コメディ界を代表する人気作家となった。また、『彼女がステキな理由』で映画の脚本家としてもデビュー、続く『フォー・ウェディング』や『ノッティング・ヒルの恋人』など多くのヒット作を手がける。2003年の『ラブ・アクチュアリー』では脚本のみならず映画監督にも初挑戦した。アダムスに参加を募ったコミック・リリーフの活動では現在副会長を務めており、1994年には大英帝国第五級勲爵士、2000年には大英帝国第三級勲爵士を授与された。
 カーティスの主な脚本作品は以下の通り(* はテレビ作品)。

Not the Nine O'Clock News (1979)*  『ノット・ザ・ナイン・オクロック・ニュース』
The Black Adder (1983)* 『ブラックアダー 大英帝国一のアホ』
Spitting Image (1984)* 『スピッティング・イメージ』
Blackadder II (1986) * 『ブラックアダー 15代目も変わり者』
Blackadder the Third (1987) * 『ワル知恵執事のブラックアダー』
Blackadder: The Cavalier Years (1988) *
Blackadder's Christmas Carol (1988) * 『ブラックアダーのクリスマス』
The Tall Guy (1989)  『彼女がステキな理由』
Blackadder Goes Forth (1989) * 『陸軍大尉になったブラックアダー』
Mr. Bean (1989) * 『ミスター・ビーン』
Four Weddings and a Funeral (1994)  『フォー・ウェディング』
Bean (1997)  『ビーン』
Notting Hill (1999)  『ノッティング・ヒルの恋人』
Blackadder Back & Forth (1999)
Bridget Jones's Diary (2001) 『ブリジット・ジョーンズの日記』
Love Actually (2003) 『ラブ・アクチュアリー』
Bridget Jones's Diary: The Edge of Reason (2004) 『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月』
The Girl in the Cafe (2005)* 『ある日、ダウニング街で』

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