小説版『銀河ヒッチハイク・ガイド』6作目

 

 以下の文章には、オーエン・コルファーによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』のネタバレが含まれています。ご注意ください。


 『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』は、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの正式な続編にふさわしく、『ほとんど無害』のラストから繋がる形で書かれている。つまり、グレビュロン人の攻撃で「すべてのあり得る世界から消え失せ」(p. 353)たはずのアーサーやフォードを、どうにか理由をこじつけて救い出すところから始まるのだが、これはこれで立派な正攻法だろう。結果として、2005年に製作されたラジオ・ドラマ第5シリーズのエンディングと矛盾することになったのは、致し方あるまい。
 コルファーがひねり出した主要登場人物の救出方法とは、鳥の形をした新しい『銀河ヒッチハイク・ガイド』第二号に時間を地球消滅の直前で止めさせて、彼らを第二号が創り出したヴァーチャル・リアリティの夢の中に閉じ込めておく、というものだった。そもそもは主人であるヴォゴン人の命令で究極的に地球を滅ぼすつもりだった第二号がどうしてそのような行動に出たのかと言うと、ヴォゴン人の次なる主人のランダムが地球消滅の直前に後悔し、どうか自分たちを救って欲しいと願ったから。『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』は、第二号がバッテリー切れを起こたせいで、アーサー、フォード、トリリアン、ランダムがそれぞれの夢から目を覚ますところで始まる。
 ただし、彼らが目を覚ました先はグレビュロン人から攻撃されている地球である。このままでは死を待つばかりだが、そこに〈黄金の心〉号に乗ったザフォドがやってきて彼らを拾い上げてくれる。しかし、フォードがちょっかいを出したせいで〈黄金の心〉号のコンピュータがフリーズしてしまい、グレビュロンの放つ殺人光線が〈黄金の心〉号をも破壊しようとしたその時、今度は不死の異星人、ワウバッガーが〈黄金の心〉号に乗り込んで来る。そして例によってザフォドを侮辱し、この侮辱に対して「殺してやる」と息巻くザフォドに、不死に飽き飽きしているワウバッガーは、本当に自分を殺せるというのなら自分としても願ったり叶ったりだから、グレビュロンの殺人光線に耐性のある自分の宇宙船に乗せてやってもいいと持ちかける。そこでザフォドは、自分の知り合いの神、トールにワウバッガーを引き合わせてやると約束する。北欧神話の雷神トールならきっと、不死のワウバッガーをも殺せるはずだ、と。
 こうして物語は、ザフォドによる北欧神話の舞台や神々をめぐる冒険、トリリアンとワウバッガーの恋愛模様、新しい要素としてアイルランド出身の起業家、ヒルマン・ハンターと、彼が金持ちの客と共に(たまたま地球崩壊の前に)移住していた惑星ナノの管理運営をめぐる騒動、さらに任務を全うするためにはハンターのような地球からの移住者も抹殺しなければと考えるヴォゴン人の追跡等を取り混ぜながら進行していく。
 既存の登場人物を使って話を転がしていくコルファーの手腕たるや、なまじアダムス本人がストーリーテラーの資質をほとんど持ち合わせていなかっただけに余計に際立って見え、時に苦笑させられる程だ。ただし、その一方で、作品中にイタリック体で挿入された数多くの「ガイドによる注」が、スムーズなストーリーの進行を阻害している。
 単なるストーリーテリングに終わらないよう敢えてコルファーが意図したものだったとしても、「ガイドによる注」の大半は有効に機能しているとは思えない。確かに、テリー・ジョーンズニール・ゲイマンも指摘する通り、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はストーリーではなくアイディアで読ませる小説ではあるが、アイディアそのものの出来不出来もさることながら、それ以上にアダムスはバラバラなアイディアとアイディアをいかに繋ぐかについて、最大限の注意を払っていた。第一作目の小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、大統領に関する説明(p. 52)などで若干の「註」はあるけれど、残りの4作にはそういった単純な書き方は見られない。それに比べて、段落の終わりに「ガイドによる注」と付けてツッコミや補足を入れ続けるだけでは、良く言って単調、悪く言えば安直と評されても仕方ないだろう。
 既存のアイディアやフレーズが再利用されていることについては、今回のように他の書き手による続編執筆の場合には避けて通れないことだから、「安直」呼ばわりするは不公平だ。それどころか、コーエン自身が「公式の二次創作」と言い切っている以上、よくぞこれだけ詰め込んだものよと賞賛すべきかもしれない。他ならぬ私自身、「アンドロイドが持ってきたのは〈リッチ・ティー〉だった/いい趣味だ」(p. 22)に思わずニヤリとした一人である。この例などは、コルファーがマニアに向けた典型的なサービスだろうし、そしてまたこの手の引用を徹底的に洗い出すことこそ、マニアに課せられた務めでもあるだろう。それでも、フォードやザフォドが「フルーディ」を連発するのにはいささか辟易させられたのも確か(前5作では、タオルについての説明の箇所以外でこの単語が使用されたことってあったっけ?)。無論、その辺りの匙加減は個人の好みだろうが、私としてはアイディアはともかく既存の有名フレーズをそのまま文章に織り込むのは少々やり過ぎという気がした。
 それから、『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』における北欧神話の取り扱いについて。『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』では北欧神話がかなり積極的に取り込まれ、中でもトールは主要登場人物の一人となっている。『宇宙の果てのレストラン』や『宇宙クリケット大戦争』でも、トールを始めとする北欧神話の神々がちらと顔を出している以上、『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』でコルファーが大々的に登場させたとしてもおかしくはないのだが、北欧神話なら「ダーク・ジェントリー」シリーズの2作目 Long, Dark Tea-Time of the Soul で、アダムス自身によって既に十二分に活用された後なのだ。とりわけトールは Long, Dark Tea-Time of the Soul の主要登場人物であり、さらに未完に終わった「ダーク・ジェントリー」シリーズ3作目、The Salmon of Doubt にも登場する予定だったことも分かっている。Long, Dark Tea-Time of the Soul でアスガルドは描かれていたにもかかわらず、どうして『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』でも敢えてアスガルドの描写を入れたのか。ひょっとして、コルファーの野心は『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの続編を執筆するだけにとどまらず、自分が書いた『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』を『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズと「ダーク・ジェントリー」シリーズとの架け橋にしてやろうと目論んだ、とか?
 いくら何でもそこまで強気な企みをしたかどうかは別としても、『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』の結末を読む限り、コルファーの『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ7作目執筆への野心ならば、ささやかながら感じ取れなくもない。魚心あれば水心、6作目の反響次第でどうするか考えないでもない、とでもいうような。『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』に5点満点で3点の評価を下した雑誌 SFX の書評にも、「これで終わりにはならないんじゃないか("We suspect this is not the end.")」と書かれていたが、コルファー本人はさまざまなインタビュー記事の中で、さらなる続編執筆を手掛けるつもりはないと断言している。
 少なくとも、今のところは。

 

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