音楽関連Topics  〜ダグラス・アダムスと音楽〜

 1999年のインタビューで、アダムスは、もし作家になっていなかったら何になりたかったですか、という質問に対して、第一にコンピュータ・エンジニア、第二に動物学者、と即答した後、少し口ごもりながら「それから、ミュージシャン」と付け加えた。
 アダムスはかなりの音楽好きだった。好きな音楽として、クラシックではバッバとモーツァルト、ロックではビートルズを上げている。イギリス人として、かなりオーソドックスな好みといえる。
 執筆中も音楽を流し続けるタイプだった。小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の時はケイト・ブッシュのシングル・レコード「嵐ヶ丘」を、『宇宙の果てのレストラン』の時はポール・サイモンのアルバム『ワン・トリック・ポニー』を聴き続けていたという(Gaiman, p. 89)。
 勿論、聴くだけでなく自分で演奏することにも熱心だった。子供の頃からピアノを習い、大人になってお金に余裕ができると早速アップライト・ピアノを購入、そして Duncun terrace の新居への引っ越しを機にグランド・ピアノに買い換えている。
 とは言え、アダムスにとって本命の楽器はピアノではなくギターだった。1964年にビートルズの音楽に出会ってすっかり感化され、12歳からギターの練習を始める。かなり練習熱心だったようで、妹のスーザンいわく、アダムスは地元のデイヴィッド・ジェイムズという名前の、目は悪いがギターの巧い少年と何時間でも練習していたとか(Webb, p. 167)。また、ダイアー・ストレイツのコンサートでは、他の人の目を意に介さず双眼鏡でひたすらマーク・ノップラーの指使いを追っていたらしい(同、p. 162)。
 練習の甲斐あってアダムスのギターの腕前はかなりのものだったようだが、学生時代は特にバンドを組んで演奏したことはなかったようだ。長じて後、ブックフェア等で作家仲間のケン・フォレットと演奏したことはあるが、フォレットはアダムスとの共演を楽しんだものの、アダムスには本物のミュージシャンとして活躍するには欠けているものがあると指摘している。それは、「ドラムの入ったちゃんとしたバンドで演奏するなら、ドラマーの指示に従わなくちゃいけない。ロック・バンドにおけるドラマーは、オーケストラにおける指揮者の役割を果たして、曲のテンポやペースを決める。それに合わせて演奏しなくちゃいけないんだ。悲しいかな、アダムスにはそれができない」(同、p. 164)。とは言え、ソロ演奏の技術の高さはフォレットも大いに認めるところであり、42歳の誕生日には、友人のデイヴィッド・ギルモアからピンク・フロイドのコンサートでギターのソロ演奏をする許可証を受け取っている。
 デイヴィッド・ギルモアに限らず、アダムスには音楽関係の友人・知人も多かった。アダムスが自宅で開くパーティには、同じくピンク・フロイドのニック・メイソン、ロビー・マッキントッシュ、プロコル・ホルムのゲイリー・ブルッカーなど、数々の一流ミュージシャンが招かれ、生演奏を披露している。

 また、1994年1月18日に放送されたラジオ番組 Desert Island Discs で、アダムスは自分の好きな音楽8作を挙げている。詳しくは、こちらへ。

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Kate Bush ケイト・ブッシュ
Ken Follet ケン・フォレット
Paul Simon  ポール・サイモン
Pink Floyd ピンク・フロイド
Procol Harum プロコル・ホルム


Kate Bush  ケイト・ブッシュ (1958.7.30-)

 イギリスのシンガーソングライター。アダムスは小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の執筆中、彼女のシングル・レコード、『嵐ヶ丘』('Wuthering Heights')を流し続けていた。好きで聴いているアダムス本人はともかく、当時同居していたジョン・カンターにとってはとんだ災難だったにちがいない(Webb, p. 147)。
 16歳の時にピンク・フロイドのデイヴィッド・ギルモアにその才能を認められ、彼とプロデューサーのアンドリュー・パウエルに支えられて19歳の時にアルバム『天使と小悪魔』でデビューする。『嵐ヶ丘』は、このアルバムから最初にシングル・カットされた曲で、全英ヒットチャートの1位に輝いている。
 彼女の主なアルバムは以下の通り。

The Kick Inside, 1978 『天使と小悪魔』
Lionheart, 1978 『ライオンハート』
Never For Ever, 1980 『魔物語』
The Dreaming, 1982
Hound of Love, 1985 『愛のかたち』
The Whole Story, 1986 『ケイト・ブッシュ・ストーリー』 ベスト・アルバム
The Sensual World, 1989 『センシュアル・ワールド』
The Rea Shoes, 1993 『レッド・シューズ』
Aerial, 2005 『エアリアル』
50 Words For Snow, 2005 『雪のための50の言葉』


Ken Follet  ケン・フォレット 1949.6.5-

 イギリスの作家。多くのベストセラーを発表するかたわら、アマチュア・バンドでベース・ギターを弾く。
 1992年、フォレットはアダムスとアコースティック・デュオ、the Hard Covers を組んで、マイアミで開催された American Booksellers' Association Conference にて、アメリカの大物作家、スティーヴン・キング、エイミー・タン、デイヴ・バリーらのバンド、ロック・ボトム・リメイダーズ(the Rock Bottom Remainders)が初めての一般公開演奏する際の、サポートを務めたことがある。フォレットとしてはロック・ボトム・リメイダーズ のメンバーとして参加したかったようだが、既にベーシストは決定済みだったため、アダムスと演奏することになったようだ。後に、別の機会にアダムスがソロで演奏するのを聴いたフォレットは、「ハーモニーは巧いがリズムは巧くない」と評している。(Hitchhiker, p.279)
 残念ながらアダムスの演奏は残されていないが、フォレットの演奏なら比較的簡単に手に入る。彼が演奏に参加した Hoochie Coochie Man という曲が、チャリティとして製作されたthe Rock Bottom Remainders のCDアルバムStranger than Fiction に収録されているのだ。サンフランシスコにある発売元の Don't Quit Your Day Job Records のサイトからこの曲のみをMP3でダウンロードすることも、アルバムを購入することも可能。興味のある方は是非お試しあれ。
 フォレットは、ウェールズ州カーディフ生まれ。1970年にロンドン大学を卒業し、ウェールズの地方紙の記者を経て「ロンドン・イブニング・ニュース」の記者となり、同僚の記者がミステリー小説を書いて別収入を得ているのをみて自分も創作を志すことにする。1973年にはサイモン・マイルズの筆名で最初の小説 The Big Needle を発表、さらに作家としての腕を磨くために1974年にロンドンの出版社エヴェレスト・ブックスに入社し、出版業とベストセラー小説の作り方を学んだ。エヴェレスト・ブックスに入社3年にして副社長にまで出世するも、小説執筆に専念すべく1977年には退社、翌年発表した『針の眼』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞など多くの賞を受賞、ベストセラー作家の仲間入りを果たす。
 なお、妻バーバラ・フォレットは下院議員である。
 フォレットの主な著作は以下の通り(*は、当初ザハリー・ストーンの筆名で発表された)。

The Modigliani Scandal (1976)* 『モジリアーニ・スキャンダル』 新潮文庫 1997年
Paper Money
(1977)* 『ペーパー・マネー』 新潮文庫 1994年
Eye of the Needle
(1978) 『針の眼』 早川書房 1980年/新潮文庫 1996年
Triple
(1979) 『トリプル』 集英社 1981年
The Key to Rebecca
(1980) 『レベッカへの鍵』 集英社 1982年/ 新潮文庫 1997年
The Man from St. Petersburg
(1982) 『ペテルブルグから来た男』 集英社 1983年
On Wings of Eagles
(1983) 『鷲の翼に乗って』 集英社 1984年
Lie Down with Lions
(1986) 『獅子とともに横たわれ』 集英社 1986年
The Pillars of the Earth
(1989) 『大聖堂 上・中・下』 新潮文庫 1991年
Night over Water
(1991) 『飛行艇クリッパーの客 上・下』 新潮文庫 1993年
A Dagerous Fortune
(1994) 『ピラスター銀行の清算 上・下』 新潮文庫 1995年
A Place Called Freedom
(1995) 『自由の地を求めて 上・下』 新潮文庫 2000年
The Third Twin
(1997) 『第三双生児 上・下』 新潮文庫 1997年
The Hammer of Eden
(1998) 『ハンマー・オブ・エデン』 小学館 2000年
Code to Zero (2000) 『コード トゥ ゼロ』 小学館 2001年
Jackdaws
(2001) 『鴉よ闇へ翔べ』 小学館 2003年
Hornet Flight (2003) 『ホーネット、飛翔せよ』 ソニーマガジンズ 2004年
Whiteout (2004)
World Without End (2007) 『大聖堂ー果てしなき世界』
Fall of Giants (2010) 『巨人たちの落日』
Winter of the World (2014) 『凍てつく世界』
Edge of Eternity (2016) 『永遠の始まり』


Paul Simon ポール・サイモン (1941.10.13-)

 アメリカ人ミュージシャン。アート・ガーファンクルと組み、サイモン&ガーファンクルとして1960年代後半から爆発的な人気を得た。1970年に発売された『明日に架ける橋』ではグラミー賞6部門を制するも、ポール・サイモンはその直後からソロとして活動するようになった。ギターの巧さでも定評がある。
 1965年、まだほとんど無名だったポール・サイモンは、イギリスのパブリック・スクールに呼ばれて300人ばかりの前で演奏したことがある。先見の明があるそのパブリック・スクールこそ当時アダムスが通っていたブレントウッド・スクールで、アダムスも幸運な300人のうちの一人だった。
 アダムスは直ちに彼の大ファンになった。レコードを買って、自分でもきちんと弾けるようになるまで何度も何度も聴いたという。アダムスいわく、「ギターを弾き始めた頃、ポール・サイモンが僕の先生だった」(Hitchhiker, p. 21)。
 後に、アダムスは小説『宇宙の果てのレストラン』を執筆している時に、当時発売されたばかりのポール・サイモンのアルバム『ワン・トリック・ポニー』をずっと流していた。そのため、この小説の献辞にはサイモンへの感謝の言葉が添えられている。
 また、ニューヨークに長期滞在していた時には、ポール・サイモン本人に会いに行こうと思い立ったこともある。レコード会社からマネージメント会社を経由して、どうにかアポイントを取り付けるところまでいったにもかかわらず、アダムスの身長がものすごく高いことが相手に伝わった(ポール・サイモンはかなり背が低い)せいで直前になって会合は流れてしまったとか(Webb, pp. 164-165)。
 ポール・サイモンの主なアルバムは以下の通り(* はサイモン&ガーファンクル名義)。

Wednesday Morning 3 A.M.P., 1964* 『水曜の朝、午前3時』
Sounds of Silence, 1966* 『サウンド・オブ・サイレンス』
Parsley Sage Rosemary and Thyme, 1966* 『パセリ、セージ、ローズマリー・アンド・タイム』
Bookends, 1968* 『ブックエンド』
Bridge Over Troubled Water, 1970* 『明日に架ける橋』
Paul Simon Songbook, 1965 『ポール・サイモン・ソングブック』
Paul Simon, 1972 『ポール・サイモン』
There Goes Rhymin' Simon, 1973 『ひとりごと』
Still Crazy After All These Years, 1975 『時の流れに』
One Trick Pony, 1980 『ワン・トリック・ポニー』
Hearts and Bones, 1983 『ハーツ・アンド・ボーンズ』
Graceland, 1986 『グレイスランド』
The Rhythm of the Saints, 1990 『リズム・オブ・ザ・セインツ』
Songs From the Capeman, 1997 『ザ・ケープマン』
You're the One, 2000 『ユー・アー・ザ・ワン』
Surprise, 2006  『サプライズ』
So Beautiful Or So What, 2011  『ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット』

 1994年1月18日、アダムスは Desert Island Discs というラジオ番組に出演し、無人島に持っていく音楽8作のうちの一つとしてポール・サイモンの「ハーツ・アンド・ボーンズ」を挙げた。


Pink Floyd  ピンク・フロイド

 1960年代末から70年代に一世を風靡した、プログレッシヴ・ロックの代表的バンド。
 1964年に、ロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスン、リチャード・ライト、シド・バレットの4人で結成され、同年デビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』を発表する。が、メンバーの中心だったシド・パレットがドラッグの過剰摂取等でプレイできない状態となり、代わりにディヴィッド・ギルモアがギタリストとして参加することになった。以降、文学性の高い歌詞、クラシック音楽の手法も取り入れた高度な演奏や作曲法を基に『原子心母』や『狂気』など話題作を次々と発表し、プログレッシヴ・ロックの一時代を築く。1983年のアルバム『ファイナル・カット』で活動を停止するも、1980年代後半にはデイヴィッド・ギルモアを中心に再結成を果たした(ただし、ウォーターズは参加していない)。
 アダムスは、ピンク・フロイドのメンバーのデイヴィッド・ギルモア、ニック・メイソンと個人的に親交があった。この2人は、アダムスの自宅で開かれるパーティにたびたび招かれ、他の招待客の前で演奏を披露したという。
 中でも、1994年3月のアダムス42歳の誕生パーティでは、ギルモアはアダムスに誕生プレゼントとして同年10月28日にアールズ・コートで開催されたピンク・フロイドのコンサートにてギターのソロ演奏をする許可証を渡した。猛練習の末、当日アダムスが演奏した曲は、アルバム『狂気』に収録されている「狂人は心に」('Brain Damage')、「狂気日食」('Eclipse')の2曲。この時の演奏についてアダムスいわく、「僕が弾いた箇所は、指遣い自体は17歳のギタリストでもできるような簡単なものだった。が、実際にやってみて、ただ弾くだけなら難しくないが、きっちりゆっくり弾くこと、これが肝心なんだと分かった」(Hitchhiker, p. 277)。
 また、アダムスはピンク・フロイドが1994年に発表したアルバム、『対』の名付け親でもある。M・J・シンプソンによれば、1994年2月16日に開かれた自然環境保護の会合で、アダムスはやはりこの会合のメンバーだったギルモアとメイソンに会い、彼らがちょうど新譜のタイトルを決めかねていたところだったので、アダムスはDATで録音されている曲を聴かせてもらい、'The Division Bell' というタイトルを提案した。そしてこれを気に入ったギルモアは、命名代として件の自然環境保護団体に1万ポンドを寄付したという。
 しかし、ニック・ウェブの公式伝記本によれば状況は微妙に異なっている。アダムスはギルモアに、良いタイトルを思い付いた、でもそれを知りたければにまずサイの保護団体に2万5千ポンドの小切手を書くように言ったというのだ。迷った末に寄付をしたギルモアに、アダムスは'The Division Bell' を呈示した、と。(Webb, pp. 181-182)。どちらが事実に近いのかは不明だが、ともあれ 'The Division Bell' がアダムスの命名であることだけは間違いない。
 なお、ピンク・フロイドの主なアルバムは以下の通り。

The Piper At The Gates Of Down, 1967 『夜明けの口笛吹き』
A Saucerful Of Secrets, 1968 『神秘』
More, 1969 『モア』
Ummagumma, 1969 『ウマグマ』
Atom Heart Mother, 1970 『原子心母』
Meddle, 1971 『おせっかい』
Obscured by Cloud, 1972 『雲の影』
The Dark Side Of The Moon, 1973 『狂気』
Wish You Were Here, 1975 『炎〜あなたがここにいてほしい〜』
Animals, 1977 『アニマルズ』
The Wall, 1979 『ザ・ウォール』
The Final Cut, 1983 『ファイナル・カット』
A Momentary Rapse of Reason, 1987 『鬱』
Delicate Sound of Thunder, 1988 『光』
The Division Bell, 1994 『対』


Procol Harum プロコル・ハルム

 イギリスのロック・バンド。1967年のデビュー・シングル『青い影』でいきなり全英チャートの第1位となり、その後もヴォーカルとキーボード担当のゲイリー・ブルッカー、作詞担当のキース・リードらを中心に、メンバー・チェンジを繰り返しつつも多くのアルバムを発表、1977年頃にはグループとしての活動は停止していたが、1991年にまた再結成し、1997年には結成30周年を記念したリユニオン・ギグを行っている。ちなみに、プロコル・ハルムというバンド名はキース・リードの飼い猫の名前に由来するらしい。
 アダムスはプロコル・ハルムとゲイリー・ブルッカーの大ファンである。理想のロック・バンドを結成できるなら、ポール・マッカートニーとブルッカーの二人にヴォーカルを担当してもらいたいとまでいう(The Salmon of Doubt, p. 36)。また、1996年2月9日バービカン・センターで行われた、ロンドン・シンフォニー・オーケストラ共演によるプロコル・ハルムのコンサートでは、開演に先立ってバンド紹介をするという栄誉を担い、その中で「宇宙の果てのレストラン」のアイディアはプロコル・ハルムの「グランド・ホテル」という曲から着想を得たというエピソードを語った。(Millways 参照)
 なお、プロコル・ハルムの主なアルバムは以下の通り。

Procol Harum,1967 『青い影』
Shine on Brightly, 1968 『月の光』
A Salty Dog, 1969 『ソルティ・ドッグ』
Home, 1970 『ホーム』
Broken Barricades, 1971 『ブロークン・バリケード』
Live in Concert, 1972 『プロコル・ハルム・ライヴ』
Grand Hotel, 1973 『グランド・ホテル』
Exotic Birds & Fruits, 1974 『異国の鳥と果実』
Procol Ninth, 1975 『プロコル・ナインス』
Something Magic, 1977 『輪廻』
The Prodigal Stranger, 1991 『放浪者達の絆』

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