42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams

 

 以下は、2023年8月23日に発売されたアダムスの遺稿集、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に向けて書かれた、スティーヴン・フライの序文と、アダムスの友人たちがアダムスに宛てた文章の日本語訳である。
 ただし、訳したのは素人の私なので、とんでもない誤訳をしている可能性は高い。そのため、これはあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は、必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。





スティーヴン・フライの序文

ダグラス、
 一見、あなたがスマートフォンやタブレットをタップしたりズームしたりすることもなければ、AIのチャットボットに関わることもなく、「アレクサ黙れ」と言ったり、ツイートしたり、FacebookやFaceTimeやSkypeをいじることもなかったのは、忌まわしいことのように思えます。もちろんあなたは、このような新製品にも、このような新製品が私たちの生活に侵入し、あなたが突然この世を去った後、世界が大きく変わったことにも、驚きはしないでしょう。あなたはこれらすべてを見通していましたからね。でも、私たちは、あなたが今もここにいて、何を考えるべきか、どのように対応すべきか、こういったことすべてが一体何を意味しているのか(あるいは意味していないのか)について、説明してほしいのです。あなたはここにいて、イーロン・マスクに忠告(そして叱責)すべきでした。この男は、子供の頃からあなたの文章が大好きで、自分の「哲学」は小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』に拠っていると公言しているのですから。彼は、宇宙に打ち上げたテスラ・ロードスターのダッシュボードに「Don’t Panic」の文字を貼り付けさえしました。あなたの言うことになら彼も耳を貸すでしょう。生前のあなたに、多くの新規IT企業の親玉たちがそうしたように。
 おかしな時代になりました。正直、「ガイド」を無視してパニックを起こすほうがよっぽど楽です。
「この忌々しい荒野に、あなたはなんという大きな空洞を残していったのだろう」(※)F・スコット・フィッツジェラルドならあなたについてこう書いたでしょうか。目下、ダグラスの穴を埋めているのは、ヴォゴン人だの、三流どころだの、詐欺師だの、凡人だのです。それでも私たちは、あなたが現実を独特の角度から見ていたことを思い出さなくてはなりません。そうすることによって、曖昧なものを明確に、ありえないものをありえるものにできるのです。この馬鹿げた世界では、冷静なまなざしなどたいして役に立ちません。
 私たちにできるのは、せいぜい、ダーク・ジェントリーのアドバイスに従うことでしょうか。「考察不能なことを考察し、実行不能なことを実行しよう。言語に絶する難問に取り組む覚悟を決めて、ほんとに絶してるかどうか試してみるんだ」(『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』、p. 246)。

愛をこめて
スティーヴン

追伸/あなたがお亡くなりになった時にはまだ生まれてもいなかった赤ちゃんたちが、あなたの本を読み、今では投票に行ける年齢になったことはご承知でしょうか。あなたは、これまでと変わらず、愛され、大切にされています。

※ F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説「クレイジー・サンデー」より。村上春樹訳『ある作家の夕刻 フェッツジェラルド後期作品集』(中央公論新社、2019年、139頁)の訳文を利用した。


ダーク・マッグズ

 私たちが最後に会ったのは、1999年、放送局の受付でしたね。私が入っていったらあなたがちょうど出口に向かっているところで、私たちが待合室エリアに移動して現在進行中のBBCラジオ4のプロジェクトについて話をしました(あなたは The Hitchhiker's Guide to the Future、私はスティーヴン・バクスターの小説 Voyage のドラマ化でした)。
 その7年前、あなたは私の作品を聴き、私が小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの後期3作品をBBCラジオ用に製作するのに適任だと思いました。この取り組みは著作権の問題で崩壊し焼滅してしまい、それでもお互い1年かそこら待てば何とかなるさと希望を抱いていたものの、あなたとの再会する前、私はあなたの事務所から、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化権が売れたから新作のラジオドラマを作る望みは捨てたほうがいいと告げられていました。で、キーキーと音を立てるBBCの皮張りソファに座りながら、あなたは『銀河ヒッチハイク・ガイド』を古巣のラジオに戻す可能性はいつだってある、と言ったのでした。
 2001年、突然あなたは可能性の弧を離れ、映画が一時的に「製作中」の泥沼に放置されたため、オーディオ版の著作権が有効になりました。かくして、あなたがもういないにもかかわらず、我々はついにBBCラジオ向けに3作目4作目、5作目のラジオドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』を作り上げ、さらにはかつてあなたが望んでいた通り、あなたをキャスティングして役を演じてもらうことすらできたのです――あなたが何年も前に『宇宙クリケット大戦争』を朗読したオーディオブックのおかげでした。
 その後すぐ、BBCラジオ4はあなたのダーク・ジェントリー・シリーズから3作の製作を依頼してきました。最初の2作についてはあなたの原作小説に忠実に作りましたが、最後の3作目は The Salmon of Doubt のためのメモに基づいて作るつもりでした。最後の3作目は、私が創造力のある人たちに対して責任ある態度を取れていないように思えてプロダクション会社から離れたため、製作されませんでした。後から知ったのですが、あなたのエージェントであるエド・ヴィクターが、私抜きで製作することを彼らに許さなかったのです。私は今でも三部作を完成したいと思っていますし、エド・ヴィクターは正しい判断をしたとあなたも同意してくれることを願っています。
 オリジナルキャストによる『銀河ヒッチハイク・ガイド』のライブパフォーマンスは、2008年、王立地理学協会で行われ、翌2009年にはロイヤル・フェスティバル・ホールで行われました。3年後には、『銀河ヒッチハイク・ガイド』ラジオ・ショウ・ライブのツアーが2回にわたって立て続けに開催され、イギリス中の劇場でのべ35000人以上の大人や子供を楽しませ、あなたの作品を新たな層に紹介することができました。歴史は繰り返す、と言っていいのでしょうか、このツアーの運営で創造力のある人たちを失望させ、道半ばにして私たちは見殺しにされてしまいました。
 いろいろな種類の経験が混ぜこぜになっていて、そのうちの多くのものは私を誇らしい気持ちにしてくれますが、中には今でも冷や汗をかいて飛び起きてしまうものもあります。が、私が一番大切にしていて、あなたとも分かち合いたいと思っている瞬間は、サザンプトンのメイフェア劇場でショウを観たあなたのお母さまが私に話してくれた時のことです。「ラジオ・シリーズが放送された時は、時刻が遅かったこともあって、私はいつも居眠りしてたのよ」と、彼女は言いました。「まさかライブでパフォーマンスするのを観にきた観客の一人になるとは夢にも思わなかった。ダーク、ダグラスの作品がこんなにおもしろかったなんて、私、初めて知ったわ」
 ありがとう、ダグラス。

草々
ダーク


アルヴィンド・イーサン・デイヴィッド

 初めてあなたに手紙を書いたのは、今から30年ほど前、1994年でした。私は18歳、オックスフォード大学の学部生で、あなたの小説『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』の脚色を許可してほしかったのです。
 しばらくすると、あなたの素晴らしいエージェント、エド・ヴィクターから返事が届きました。手紙の控えを残しておけばよかったのですが、このような内容だったと記憶しています。
「ダグラスは、『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』という素材は舞台化には向かないんじゃないか、もっと言えばどんな種類の脚色にも向かないんじゃないかと思っています。それでも、あなたが挑戦しようとするのは止めません、とのことです」
 で、私たちは挑戦しました。複数の時系列と時間旅行と幽霊とエイリアンと幽霊みたいなエイリアンと殺人と馬が出てくる、ややこしくてすばらしくてこんがらがった小説を、舞台で上演できる代物に仕立て直そうと頑張ってみました。
 信じられないことに、数ヶ月後、あなたがその出来栄えを観に来てくれました。私は、胃のちぎれそうな思いであなたの2列後方の席に座り、あなたの作品の私たちなりのヴァージョンを見ているあなたを見ていた時のことを憶えています。最初の10分間、あなたがくすりとも笑わなかった時の絶望も、あなたが笑った時の安堵も、あなたの大きな笑い声が劇団員全員が勇気づけたことも憶えています。あなたが鉛筆を取り出し、プログラムに何かを書きつけたことも。
 舞台が終わった後の夕食会のことも憶えています。私は恐る恐るあなたに感想を聞きました。あなたは大きな頭を傾けて言いました。「うん、君は初めて僕にダーク・ジェントリーのテレビドラマ化も可能かもしれない、ドラマ化に向けて動き出してもいいかもしれないと思わせてくれたよ」。
 早すぎる死で、実現できずに終わった悲劇の一つです。20年後、私はあなたのために作りましたイライジャ・ウッドサミュエル・バーネットが主演です。NetflixとHuluとBBCアメリカで何百万もの視聴者に向けて配信され、他に類を見ないダーク・ジェントリーの世界を新しい世代に紹介することができ、彼らも私と同じように彼のことを好きになってくれました。
 あなたがこの番組を見ている姿を見ることができればよかったのに。あなたはきっとまた鉛筆を取り出したにちがいないと私は確信しています。

私たちの挑戦を止めないでくれてありがとう。

アーヴィンド


ニール・ゲイマン

 あなたが亡くなった日のことを思い返しています。
 私はウィスコンシンにいて、香港在住のジャーナリストから電話でインタビューを受けていたら、私のコンピュータ画面にダグラス・アダムス死去とかいう見るからにアホらしいリンク先が表示されました。ふん、とばかりに鼻を鳴らしてそのリンクをクリックすると、BBCニュースの画面に飛び、そのニュースが目に飛び込んできました。
「大丈夫ですか?」香港のジャーナリストが言いました。
「ダグラス・アダムスが亡くなったって」
「ええ、そうですってね」彼は言いました。「今日はずっとそのニュースで持ちきりですよ。彼のことをご存知でしたか?」
「ええ」私は答えました。もちろん、私はあなたのことを知っていました。私たちはインタビューを続けたものの、私は他に何を話せばいいのかわからなくなっていました。数週間後、そのジャーナリストがもう一度連絡をくれたのですが、あなたの死を知った後の録音は、私の言っていることが支離滅裂で使い物にならないので、できればもう一度インタビューをやり直せてもらえないだろうか、とのことでした。
 私たちは死ぬとすべてと一体化し、すべての時間が一つになります。思い出してみると、私があなたに最後に会ったのは、1998年、あなたがコンピュータ・ゲーム「宇宙船タイタニック」の宣伝ツアーでミネソタ州にいた時のことで、また私が最初にあなたに会ったのは、1983年、あなたがイズリントンのアッパーストリートにあるあなたのフラットの玄関のドアを開けて私を迎え入れてくれた時のことでした。
 あなたは30歳で、私は22歳でした。あなたは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を映画化しようとしてみじめな時を過ごしたハリウッドから戻ったばかりでした。あなたは友好的で親切で愉快でした。あなたは私が持っていなかったあなたの本をくれ、私のためにサインもしてくれました。あなたは背が高く、少しばかり不器用でした。あなたは、自分のタオルのありかがわからない人間だけが、自分のタオルのありかを心得ているのはクールなことだと思い付くことができるのだと説明してくれました。あなたにはさまざまな側面がありましたが、どれもクールではありませんでした。
 続く数年間、私はあなたにインタビューし、あなたと鉢合わせし、やがて私はあなたに関する1冊の本を書きました(あなたは戸惑っていましたが、私の執筆には協力的でした。そして出来上がった本についても素敵な言葉をくれました。私にあなたの本に推薦文を書いてほしかっただけかもしれませんが)。
 あなたとの電子メールを取り戻せればいいのに。当時、私はパソコン通信サービスのコンピュサーヴを使っていて、私たちのやりとりは随分前に失われてしまいました。私はあなたに何か頼まれてお手伝いするのが大好きでした。あなたから小説『宇宙クリケット大戦争』のラジオドラマ脚本の執筆をお願いされたのは私にとって最大の喜びであり(何せあなたから頼まれたのですから)、同時に最大の悲しみでもありました(何せ私は引き受けることができなかったのですから)。あの頃は時間がなかったのです。
 (今となっては断って良かったと思っています。代わりにその仕事を引き受けたダーク・マッグスが作品に魔法をかけてくれた上、その後の人生の行く末で私は彼と一緒にラジオドラマを作ることになったのですから)
 あなたはユニークでした。もちろん、私たち全員がユニークなのは事実ですが、タイプとパターンに陥りがちなのも事実であり、その点あなたは後にも先にもただ一人のダグラス・アダムスでした。あなたのように「書かないこと」を芸術の域にまで高めた人に私はこれまで一度も会ったことがありません。あなた以外、陽気でありながら底無しにみじめであり続けられる人はいません。あなたのように気安い笑顔と曲がった鼻を持ち、当惑の薄いオーラを保護膜のように身にまとう人もいません。
 あなたの死後、私はあなたについて訊かれます。私は、あなたは世界的なベストセラー小説家であり、その作品の数々は今では古典とみなされているけれど、でも本当のところ小説家だったとは思わない、と答えています。
 というのも、私は、あなたという人は恐らく今ある言葉ではあてはめることのできない存在だと思っているからです。未来学者、とか、説明家、とか、そんな感じでしょうか。あなたはこの世界を忘れようのない形で説明することができました。絶滅危惧種の窮状を楽々と(というか、少なくとも驚くほど巧く、とすべきですね、あなたの執筆に限って「楽」という言葉を結びつけられませんから)劇的に表現することができましたし、アナログ人種に対してデジタル化するとはどういうことかを説明することもできました。あなたの夢やアイディアは、実際的であろうと非実際的であろうと、常に惑星サイズであり、あなたは私たちをあなたと一緒に運んでいってくれました。
 私たちはあなたが執筆している時にここにいられて幸運でした。今もここにいてくれたらいいのに。あなたがこの世界について何を言い何を思うのか知りたかった。あなたはちょうど70歳になるところですね。それでもそんなに高齢ではないでしょう? 今となってはどうしようもないけれど。
 あなたと話ができないことも、あなたの奇妙な電子メールも、あなたの予期せぬ電話も、懐かしく思えません。あなたという現象のすべてが懐かしてなりません。
 私がどこにいようと、あなたがどこにいようと。

ニール


ロビー・スタンプ

 あなたがいなくて今も寂しい。
 他にも大勢の友人が同じ言葉であなた宛の手紙を書き始めることでしょう。というのも、あなたの友情と才能に触れられるという幸運に恵まれた私たちみんなにとって、この言葉は今なお真実だと確信しているからです。
 あなたは本当に最高に素敵な友人であり、私たちが一緒にとった最後のランチは、(当然ながら)ランチ時間に始まったけれど、終わったのはお茶の時間をはるかに過ぎた後でした。当時でさえとても貴重な時間だと思いましたが、今となってはその値打ちはいや増すばかりです。あなたのアイディアや、会話や、洞察や、とりわけ物の見方に対するあなたの尽きない関心などについて、私が心に呼び起こさない日は1日もないのではないかと思います。もし「超知性を備えた青い色」(※1) が実在していたら? サイは自分の世界をどのように体感しているのだろう? 私たちが本当に鬱病AIを手に入れたら?
 ここまで書いたところで、この手紙を初めて「ワードチェック」してみました。私が今も当然にようにMacを使っていて、文書作成アプリ「Pages」の文字数カウントのアイコンに「42」が使われていると知ったら、あなたはきっと喜んでくれるのではないでしょうか。
 あなたの人生に42という数字がつきまとっていたことに、あなたが少なからず相反する感情を抱いていたことを私は知っています。私が一番気に入っているのは、『死者の書』に出てくる「42カ条の否定告白」(※2)です。
 内容は、こんな感じ。
39条 私は神々の食料に損害を与えたことはありません
42条 私は聖なる牛を屠ったことはありません
 あなたもこの行動原則に従って生きていたことは知っていますが……

 私の父が亡くなったのはあなたが死去する1日前のことで、その夜も私は病院から戻るとあなたと電話で話をしました。あなたがカリフォルニアに引っ越して以来、あなたにとっては朝、私にとっては夜に、いつもやっていたように。
 その週の最初、私の父の容態が重篤だとわかると、あなたは私の家まで来てくれて、私の子供たちの面倒をみてくれていた義母に会い、大変な心配りと気遣いをもって、それまで一度も会ったことのなかった義母と20分以上も一緒に過ごしてくれました。あれから何年の経った今でも、シルヴィアからの電話を思い出すと涙が出そうになります(ええ、ここではハードルを高く設定していません)。
 あなたと電話で話しながら、私は台所の椅子に座り、あなたはこれまでの日々についての聴き手になってくれましたが、まもなくみまかろうとしている人のために、話し相手になってくれ、愛する人との最後の時間についての物語に耳を傾けてくれる以上のことがあるでしょうか。その後、私たちが、おめでたいことがあった時によくやっていたように、赤ワインとシャンパンとマルガリータで、アイディアと想像力に乾杯したのでした。その夜、私がどこが別の世界にいってしまいたいと願っていることに、あなはた気付いていましたね。
 どうしてまたしてもこの話を書くことを引き受けてしまったのでしょう? この話はあなたの葬儀の場で話したし、あれからもう何年も経ってしまいました。思うに、その理由は、あなたの親切と友情と家族への心遣いと、それから私が友人であるあなたに感じていた、いや、今なお感じている愛情を表したいからです。
 ほらね、私は本当にあなたがいなくて今も寂しい。

※1 "Super Intelligent Shade of Blue"、『銀河ヒッチハイク・ガイド』第4章に登場するフルヴーのこと(安原訳、p. 54)。

※2  古代エジプトの『死者の書』では、死後、生前の罪の裁きを受ける前に、42項目の悪事を行わなかったことを自ら告白することになっている。

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