Islington Map 2 〜アダムスが暮らしたイズリントン〜

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1・Arlington Avenue

 グレアム・チャップマンとの共同執筆にも挫折し、経済的にも行き詰まったアダムスは、母親が再婚相手と暮らしているドーセットに身を寄せた。そして、仕事でロンドンに出る必要がある時には、フットライツ時代からの友人で、その当時はコメディ作家を目指しながら広告のコピーライターの仕事をしていたジョン・カンター宅のソファを使わせてもらっていたという。と言っても、その住まいはカンター、王室顧問弁護士のジョニイ・ブロックとその妻クレア・ゴーストが共有していたもの。彼らの親切に対して、後にアダムスは小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』で献辞を捧げている。

ジョニイ・ブロックとクレア・ゴースト
そしてアーリントンのみなさんに
お茶と同情とソファをありがとう (『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 4)

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2・Kingsdown Road

 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』や『ドクター・フー』の脚本編集の仕事など、アダムスがドーセットからロンドンに出向くことが多くなった。ちょうどその頃、クレア・ゴーストの妊娠していたこともあり、アダムスはジョン・カンターと二人で新たな住居に移ることにする。1978年1月、二人が引っ越したキングスダウン・ロードのフラットは、イズリントン界隈でもあまりガラの良くない場所にあり、おまけにものすごく狭かったが、金のない二人に選択の余地はなかった。が、このフラットでアダムスは小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を執筆している。

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3・St Albans Place

 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』が大ベストセラーとなって後も、アダムスはしばらくカンターとの共同生活を続けていたが、1981年から恋仲になったサリー・エマソンのすすめでSt Albans Placeのフラットを購入することにした。1981年9月にはエマソンは夫との家を出て、このフラットでアダムスと共に暮らすようになる。当時、小説『宇宙クリケット大戦争』を執筆中のアダムスに、やはり作家であるエマソンがアイディアを提供したり意見を述べたりすることもあった。が、結局二人の不倫の関係は長くは続かず、エマソンは夫の元へと帰り、アダムスは広いフラットに一人残されることに。
 ひどく落ち込んだアダムスに、大学時代からの友人のメアリー・アレンは新しいルームメートとして一人の女性を紹介する。二人はフラットを共有するだけの間柄からスタートし、後に親密な友人となり、やがて夫婦となった。

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4・Duncan Terrace

 ジェーンとの新しい結婚生活のために、アダムスはダンカン・テラスにある大きなジョージ王朝様式の家を購入した。イギリスの規則により外装を変えることはできなかったが、内装はSt Albans Placeの親しい隣人でもある気鋭の建築家に依頼して、徹底的に作り替えた。特にこだわった音響設備には、当時の価格にして3万ポンド以上もの金をかけ、ものすごいものに仕上げたという。この家で、アダムスとジェーンはたびたびパーティを開いた――知り合いの一流ミュージシャンたちを招き、彼らの生演奏がついた、ロンドンの限られたセレブのみが味わえる、恐ろしく贅沢なパーティを。

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