小説 Doctor Who: City of Death あとがき


 以下は、2015年5月21日に発売された小説 Doctor Who: City of Death につけられた、著者ジェイムズ・ゴスによるあとがきの抄訳である。
 ただし、訳したのが素人の私であるので、少なからぬ誤訳を含んでいる可能性が高い。そのため、この訳はあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は、必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。 また、「あとがき」である以上、テレビドラマ版と小説版、どちらのネタバレも含んでいるのでご注意あれ。


AFTERNOTE

 'City of Death' は、『ドクター・フー』史上もっとも多くの書き手が参加し、かつ、どれが本来あるべきストーリーなのかもっともあやふやな作品である。この本をもともとは私が書く予定でなかったように、オリジナルの脚本もまた、ダグラス・アダムスが書く予定では決してなかった。
 そもそもデイヴィッド・フィッシャーから渡された 'A Gamble with Time' は、品格ある伯爵と伯爵夫人がカジノでイカサマ賭博をやっていたが、それは自分たちの時間旅行の費用を捻出するためだった、という賑やかなストーリーだった。1920年代と1970年代という設定で、すごくすごく限定的にパリでのロケ撮影が計画されていた。
 1970年代後半、イギリス及び『ドクター・フー』は危機的な財政状況にあったが、プロデューサーのグレアム・ウィリアムズと、プロダクション・ユニット・マネージャーのジョン・ネイサン=ターナーはフィッシャーの脚本に必要だった以上に長い時間をかけてロケ撮影できる予算を捻出することができた。が、それはつまり、急いでフィッシャーに新しい原稿を書いてもらわなければならないということでもある。当時のフィッシャーは離婚問題の渦中にあったため、どんな仕事であれ引き受けられる状態ではなかった。
 かくして突然、今となっては有名な話だが、ある木曜日、当時『ドクター・フー』の脚本編集者だったダグラス・アダムスがグレアム・ウィリアムズの自宅に渋々出向き、タイプライターの前に座り、二人して喋りまくった内容をダグラスがタイプした。時々、監督のマイケル・ヘイズがコーヒーを作っては顔を出し、書き上げられたものに目を通し、撮影を始めなきゃならない月曜までには脚本はできているだろうと安心した。
 実際、脚本は完成したし、そして見事な出来栄えだった。全世界で 'City of Death' が嫌いだという人は3人しかいないが、その3人も着実に追い詰められつつある。ちょうどこの番組の放送中にITVがストをしてくれたおかげで、'City of Death' は『ドクター・フー』全シリーズの中でも高視聴率をとった作品として、常に上位にランクインしている。1979年には他に観るものがほとんどなかったということもあって、何度も再放送され、『ドクター・フー』史上最高のストーリーの一つと讃えられてもいる。放送当時、私は4歳だったが、それでもその時のことは憶えている。何を観ているのか全く分かっていなかったが、それでも子供向け番組「Basil Brush」とゲーム番組「The Generation Game」の間に放送されていた作品に目が釘付けになっていた。
 ただし、みんなが(何度も何度も)観ているのは、最終的に完成された番組である。が、この本は、主にリハーサル用の脚本を基にしている。リハーサル用の脚本は、デイヴィッド・フィッシャーのアイディアからグレアム・ウィリアムズがまとめたアイディアを使い、ダグラス・アダムスが書いたものだ。実際に放送されたものとは少しばかり異なっている。いくつかのシーンは編集の段階で完全に削除されていたり、あるいは強調すべきポイントがずらされていたりする。トム・ベイカーララ・ウォードジュリアン・グローヴァーといった役者たちは自分たちのセリフを言うのが殊の外楽しかったようで、互いのセリフに磨きをかけた。その結果、出来上がったものは脚本とは驚くほど異なっていた。
 例を挙げてみよう。学術論文でドクターの異性への対応について “You are a beautiful woman, probably.”とだけ書かれていたシーン。元々の脚本では、”You are a beautiful woman. He was probably trying to summon up the courage to invite you out to dinner.” となっていた。
 別の有名なシーンを挙げると、脚本ではエッフェル塔の上から「エレベーターを使う、それともジャンプする?」となっていたセリフが、実際のテレビ放送ではロマーナは「エレベーターを使う、それとも空を飛ぶ?」に変わっていた。後者のほうが詩的な感じがするし、何よりダグラス・アダムスの『宇宙クリケット大戦争』と『さようなら、いままで魚をありがとう』を思い起こさずにおかない。
 このような素晴らしい改変例は他にもたくさんある(元の案では、ドクターとロマーナはマカロニチーズを探しに出かけることになっていた)。多くはそのままにしたが、そのほうがおもしろいと思った箇所については敢えてオリジナルを採用することにした。何と言っても、シェイクスピアにクロケットをやらせるというアイディアは素晴らしいし。
 実際に放送された 'City of Death'、中でも第4話は、大半がパリで撮影された。アダムス本人も認めていた通り、長い週末を乗り切った時点で彼は疲れ切っていた。そのため、第4話の脚本はかなり短めになっていて、あちこちのト書きに「長めに走り回ってくれると助かる」と書かれていた。
 という訳で、この撮影用の脚本は、リハーサル用脚本と、最終的にテレビで放送されたものとが混ざっている。脚本には削除されたサブプロットを含まれていないと知って、残念に思われるかもしれない。いくつかの削除シーンや、ひどく改竄されたシーンは含まれている。勿論、私はそれらすべてを盛り込んだ。ダグラス・アダムスのト書きは最高におもしろいので、可能な限りそれもそのまま使用している(「ロマーナは花瓶を持ち上げ、伯爵夫人の頭で叩き割った。伯爵夫人はカブの袋のようにくずおれた」「誰の目にも明らかに、タンクレディは鳩時計から飛び出してきたかのように見えること」「パトロンは他人事のように肩をすくめた。テーブルから壊れた瓶の首を取り上げると、一瞬それを眺め、そしてゴミ箱に放り込んだ」)。元の脚本には、剣や拳や足や銃を使ったたくさんの戦闘シーンも盛り込まれていた。これらも当然、すべて復活させた。あるシーンで、私は伯爵に少しばかり大きな銃を持たせたが、変更したのはそのくらいだ。私が嘘をついていなければ、だけれど。
 そのほかにも、たくさんのことを脚本は教えてくれた。たとえば、ダグラス・アダムスは 'A Gamble with Time' の脚本で伯爵夫人のファーストネームを「ハイジ」としていた。これは勿論、大した金脈だった。仕事を始めた初日、私は友人にEメールで「伯爵夫人にはファーストネームがあった! これで謎がすべて解ける」と書き送った。うん、まあ、そういうことだ。
 脚本を読んで驚いたことが二つある。一つは、第1話の終わり。私はどうして伯爵が顔のマスクを取るのか疑問に思ったことはなかった。『ドクター・フー』に出てくるモンスターは、第1話のラストでそういうことをするものだ。だが、仕事を進めていくうち、私はだんだん不安になってきた。どうして彼はそんなことをしたのだろう? そりゃ、ト書きには別の、もっとおもしろい説明がついている。「彼は自分の顔をしげしげと注視している。彼は右目の上あたりを掻いているようだ。手を止める。またしげしげと見る」
 この件を読んで、私は考えた。ひょっとして、伯爵は本当にこの瞬間まで、自分の顔だと思っていたものはただのマスクであり、その下には恐ろしいものが潜んでいるということを知らなかったのでは? だとすると、多くのことに合点がいく。あれこれ考えて不安になりながら第3話まで進むと、リハーサル脚本にはっきりと、伯爵は自分の正体に気づいたばかりであり、多分これは夢なんじゃないかと思っていると明記されているではないか。これには驚いた。少し辻褄が合わないところもあるけれど、そもそも話の繋がりは不安定なものだ。バラバラになったスカロスの中でも、他の者と比べれてより一貫した自我を持ったとしてもおかしくない。伯爵が結婚した理由も分かるというものだ(とは言え、バーバラ・カートランドの忠告に従い、寝室の中に踏み込むことはしなかった)。さらに、『ドクター・フー』史上もっとも笑えるシーンにも、新たな光を当てることになる。第2話は、伯爵と伯爵夫人がドクターを尋問するシーンで始まるが、これがもし伯爵が自分は人間ではないと知った直後に行われたことだったとしたら? きっといろいろなものが違って見えるはずだ。
 脚本に加え、もともとのストーリーラインも、プロット上の行き詰まりとしか思えない箇所を解決するのに役立った。伯爵は、自分の実験を遂行するためには7枚のモナリザを売らなければならないと強く主張する。が、オークションは一度も開かれていない。見たところ、何百万年もかけて計画した後、伯爵は何だかひょいっと戻ってきたような感じがする。デイヴィッド・フィッシャーが書いたオリジナル・ストーリーラインははるかに単純明快だった。伯爵はロマーナと会い、彼女がタイムマシンを作れると知って、彼女に作らせようとする。このプロットの一部は放送されたテレビドラマの中にも残されているが、リハーサル用脚本には地下室でドクターとロマーナが交わす長いやりとりが含まれていた。簡単に言えば、伯爵はロマーナと会った途端、それまでの計画を放り出したのだ。そりゃ誰だってそうするだろう。
 'A Gamble with Time' には、あの不運な画家の名前がブルジェであるとも書かれていた。ジョン・クリーズ本人は、アート批評家の名前はキム・ブレッドとヘレナ・スワネツキーなんじゃないかと言っていた(私はあまりいいとは思えなかったが)。私自身、ちょっとした変更や作り込みはしたけれど、あくまでほんのささやかな改変だったと思いたい。とは言え、ダッガンとロマーナの長い一夜については空白部分を埋めるという誘惑には勝てなかった。彼女にとってはパリで過ごすただ一度の夜なのに、ただ椅子に座って寝ているだけで終わらせるなんて、あんまりじゃないか。同様に、K-9にももう少し活躍させてあげたが、こちらは残念ながらいささか少なすぎた。結局のところ、パリは石畳の道としつけの悪い犬の落し物で有名な街だから仕方がない。
 リサーチと言えば、フランスびいきの人類学者であるスティーヴン・クラークの本(中でも Paris Revealed1,000 Years of Annoying the French に出てくるオスマン男爵とドン・ペリニヨン、それからパリの水道水に対するイギリス人特有の偏見に関する記述)には大いに助けられた。ティラー・マッツエオによるアートの密輸に関する調査 The Hotel on Place Vendo^me や、ガストン・パレウスキーが愛人ナンシー・ミットフォードに宛てた手紙(彼女はスカリオーリ伯爵がいた時代のパリで暮らしていて、始終金切り声を上げていた)も役に立ったし、それから私をパリに連れ出してくれたパディ・フリーランドに感謝を。もっとも、私は高いところが苦手なので、エッフェル塔の一番上までは行かなかったけれど。
 最後に、この本をダグラス・アダムスとデイヴィッド・フィッシャー、そしてどこにいても引く手数多なジャグロス族のギャロスに捧げます。

ジェイムズ・ゴス、2015年

 

 

 

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