ともに楽しみましょう
更新履歴・裏ヴァージョン


更新履歴・裏ヴァージョン 目次へ
更新履歴・表ヴァージョンへ

目次

能書き 何でこんなページを追加することになったのかについての言い訳

2025年

2025.2.1. 我が家に猫がやってきた
2025.3.1. M・J・シンプソンの激辛映画評
2025.4.5. 『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』を読む
2025.5.3. 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』20周年
2025.6.7. 『ドクター・フー』新シリーズ20周年
2025.7.5. The Art of Neil Gaiman
2025.9.6. リニューアル作戦、始動
2025.10.4. 『マーブル館殺人事件』と『ホワイトハートの殺人』


能書き

 自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
 表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
 だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
 たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
 何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
 おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
 と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
 という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
 よろしければ、お付き合いください。

ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.2.1.  我が家に猫がやってきた

 今年も、今さらながら明けましておめでとうございます。

 突然ですが、2025年1月某日、一人暮らしの我が家に猫がやってまいりました。弟夫婦の友人夫婦が、野良猫を地域猫にするべく捕獲し、動物病院に連れて行って去勢手術と健康診断を受けさせたところ、猫エイズウイルスに感染していることが判明し、野に放てなくなった(かと言って自宅には猫エイズウイルスに感染していない先住保護猫がいるため、自分たちで引き取って飼うのは難しい)、ということで、回り回って私のところで暮らすことになった次第。
 とは言え、私はこれまでの人生で猫も犬も飼ったことがない。今回、思いがけない経緯で猫を引き受けることにしたものの、いかんせん右も左もわからない猫飼いの素人である。経緯が経緯だけに、元の保護主さんとLINEでやり取りさせてもらい(これまでLINEのアカウントを作ることは頑なに拒否してきたが、こうなったら仕方ない)、次から次へと湧き起こる不安や疑問に逐一対応してもらってはいるが、あれやらこれやら心配で心配で仕方がない。
 ……そんな話をこんなところに書いて一体何が言いたいのかというと、2ヶ月も冬休み期間があったにもかかわらず、そんなこんなであまりこのホームページ更新準備に傾注できなかった、その言い訳である。いやあ、猫がうちにやってきたらしばらくは私も猫のケアに専念してどこにも出かけないつもりだったから、自宅でホームページ更新作業をする時間だけはたっぷりある、と目論んでいた私が愚かだった。確かに自宅滞在時間は長くなったが、猫が何かをやったのやらなかったのといちいちハラハラドキドキし、思考の9割が猫に占められてしまって他のことはすっかり手つかず——いやはや我ながらこんなことになろうとは思わなかった。
 来月の更新日までには、猫との暮らしもさすがに落ち着いている、はず。今月こそは気を取り直して頑張りたいと思います。

 とは言え、当たり前だが最低限の更新準備はした。新年最初に更新している「My Profile」コーナー(2024年のベスト小説についてはクレア・キーガン著『ほんのささやかなこと』との二択で迷ったけれど、個人的に私のツボにささりまくったのでこちらに決めた)の他に、M・J・シンプソンによる映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の激辛映画評も追加。ただし、この激辛映画評は全4パートの長文で構成されているので、今回はそのうちの最初のパートだけを訳出した。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.3.1.  M・J・シンプソンの激辛映画評

 ダグラス・アダムスの非公式伝記本の著者、M・J・シンプソンによる映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の激辛映画評、前回のパート1に続き、今回の更新でパート2をお届けする。かなり長いが、全部でパート4まであるから、これでまだ半分だ。
 この映画評は、完成して公開された映画ではなく、その一歩手前の段階で関係者を集めて行われたスクリーニング上映に基づいている。とは言え、公開までほとんど日がないことから考えても、M・J・シンプソンが観たヴァージョンから大幅な手直しが行われたとは考えにくい。故に、映画のオープニングで流れるテーマ曲 "So long & Thanks for All the Fish" が、イルカの映像と合っていないとシンプソンは書いているけれど、私たちが実際に観ている完成版が、この時シンプソンが観たものとそんなに大きく異なっているはずがない。だからこそ、首をひねってしまう。合ってないって、どこが? 歌詞の意味がわからないって、何で??
 私もそこそこ以上に『銀河ヒッチハイク・ガイド』のマニアだから、初めて映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観た時は、(ロンドンの映画館で観たため日本語字幕がなかったせいもあるけど)頭の中で自分の持っている知識を総動員していた自覚はある。が、私とシンプソンとでは、総動員するマニアックな知識の方向性は見事なまでに正反対だ。
 映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』のオープニングを観れば、監督や脚本家の意図が「原作に忠実」でないことは明らかだ。ジョークの多くが「言葉」に拠るところの大きく、かつ、多くの人がそのジョークのオチに馴染み切っている『銀河ヒッチハイク・ガイド』を、どう映像で見せるか。シンプソンは、原作の「言葉」にこだわり、それをそのまま映画で使用しないことに憤っている。が、私は逆に、原作の長台詞を大胆に省略し、映像という別の形で見せたことを高く評価する。その上で、ラジオドラマや小説を執筆していた当時のアダムスにはなかった、その後のアダムスの進化生物学への関心を映画の中に取り込んだことも大いに評価する。
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』を愛する者同士でも、こんなにも意見が分かれるものなんですな。どちらの言い分に分があるか、それぞれにご自身で判断していただきたく、M・J・シンプソンの激辛映画評の最後に、2005年当時の私が書いた映画評へのリンクを貼っておいた。よかったら、こちらもご一読ください。
 それにしても、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が公開されてから今年でもう20年になるのか。あの3泊5日の弾丸ロンドン旅行は、20年も前の出来事なのか——イマドキの若い人にはピンとこないと思うけど、あの当時、iPhoneはまだ発売されていなかった。スマートフォンなしの海外旅行、今となってはありえないよね(苦笑)。

 さて今回の更新では、M・J・シンプソンの激辛映画評のパート2に加え、ユーリ・ノルシュテイン関連のニュースも追加した。昨年、私を凹みに凹ませたドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』が、ラピュタ新書として書籍化されていた!


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.4.5.  『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』を読む

 2025年3月8日付の朝日新聞朝刊の書評欄に、『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』(ラピュタ新書)が、「市井の観点による現実を知ると」のタイトルで三浦英之著『沸騰大陸』と合わせて取り上げられていた。
 書評の筆者は、作曲家の望月京氏。「やわらかなアニメの筆致とは対照的な彼の見解の妥当性を含め、真実のすべてを私たちが知ることはあるまい。だからこそ文化が大切なのだと彼は説く。(略)文化芸術を通して我々は自他を知る。人間の無知が人々の目を自分の利益だけに向けさせ、戦争で他人を殺す権利があると思わせているのだと。(略)公には報じられない、市井の観点による現実を知ることは世界との対峙の仕方を拡げてくれる。」
 昨年夏にドキュメンタリー映画の『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』を観て、私が2024年9月7日付の同コーナーで書き散らかした文章とは、さすがに品格が違う。
 と、素直に頭を下げるがしかし、この書評を読む限り、「文化が大切」というノルシュテインの言葉に筆者は特に異存はないように思える。『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』を観たり読んだりして私がもっとも頭を抱えたのは、「文化に内在するさまざまな偏見や差別を無自覚のまま摂取することのヤバさ」だったのだが。
 ノルシュテインがプーシキンを絶賛していることは前から知っていたし、そりゃそうだよな、私も「オネーギン」好きだしな、くらいにしか思っていなかったけれど、『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』の文脈で引用されるプーシキンの詩がよりにもよって「私は自らの神業のような記念碑を建てた」(1836年)なのはどうなのよ?

 私の噂は偉大なルーシ全土に広まり
 その言語すべてが わが名を呼ぶ
 スラヴの誇り高き孫も
 フィン人も
 いまは野蛮なツングースも
 ステップの友 カルムイクも

 「最近、ある人が私のスタジオに来た。モスクワの監督学部で学んでいる人だが、まさに〈ステップの友 カルムイクも〉だった。私は言った、「ねえ、君も、もちろん、うれしいだろ。プーシキンがすばらしい偉大な詩のなかでカルムイクに言及していて」と。もちろんだ。あの詩はカルムイク女性に捧げられている」(p. 46)
 プーシキンが1836年にこのような詩を書いたことについては私も文句はないが、ヨセフ・スターリンによってカルムイク民族全体が「ドイツ軍との協力者(=ナチ)」扱いされ、全員まとめて中央アジアやシベリアに強制移住させられたこともある歴史を踏まえれば、21世紀の今、ロシア人から「うれしいだろ」と言われて心から喜べるカルムイク人がいるだろうか?
 私だったら、半笑いでその場をしのぐのが精一杯だけどね。あるいはいっそ、「そういうとこだぞ(怒)」と裏手でツッコミを入れるか?
 『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』を読むと、かつてはあんなに反プーチンだったノルシュテインがプーチン支持に変わったのは、ロシアによるウクライナ侵攻以降だったとはっきりわかる。2022年のウクライナ侵攻直後は、ノルシュテインもロシアのアニメーターたちが共同で発表した戦争反対のオープンレターに署名したはずなのに、と不思議だったのだが、「私も作戦が始まったときに反対の署名をした一人だ。だが今になって何が起きているか注意深く見ると、ロシアが挑発的な状況に置かれていたとわかった」(p. 143)。おいおいおい、それってプーチンのプロパガンダに乗せられましたと白状しているようなものじゃん!

 ……気を取り直して今回の更新は、M・J・シンプソンによる映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の激辛映画評のパート3。これもこれで、かなりつらいんですけど。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.5.3.  映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』20周年

 今から約20年前の2005年4月28日、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』はイギリスで一般公開された。
 ということは、この映画の公開を現地で見届けるために私がロンドンに3泊5日の旅行を強行したのも、ちょうど20年前なのか。当時でさえたいして若くなかったけれど、今にして思えば私もまだ若かった、とか思いながら久しぶりに旅行記を読み直してみたら、あの時の記憶が、感情が、びっくりするほど鮮明に蘇ってくる。もともとは誰かに読んでもらいたくて書いたものだったけれど、結局のところ未来の私自身が一番の読み手になっているような気がする。それで良いんだか悪いんだかはさておき、文章にして残しておくのってやっぱり大事だ。
 旅行記にも書いた通り、私は映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』に大いに満足している。当時も今も、ガース・ジェニングスが監督を引き受けてくれたことに感謝しかない。映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』がかくもキュートでポップなビジュアルに仕上がったのはひとえに彼のおかげだ。ハリウッドのスタジオ側の反対を押し切って、主演にマーティン・フリーマンを起用してくれたことにも頭が下がる。彼が監督でなかったから、ジョビー・タルボットが音楽を担当することもなかったはずで、いやもう「そろん、そろん、そろん(So long, so long, so long)」のオープニング曲がない映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』なんて私には考えられませんって。
 20年前にガース・ジェニングスの映画化監督としての才能や技量を疑問視していた人たちですら、今となっては彼が監督と脚本を担当したアニメーション映画『SING/シング』(2016年)とその続編『SING/シング:ネクストステージ』(2021年)の大成功の前では項垂れるしかないだろう。ふふん、見る目がなかったのは君たちのほうだったんだよ。
 ……というのが、今回の更新で最後のPart 4まで追加した、M・J・シンプソンの激辛映画評に対する私の率直な感想である。同じ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のマニアでありながら、同じ映画を観てこんなにも受け取り方が違うのか、というより、そもそも『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化に期待するものが全然違ってたからこうなるのも当然、といったほうがいいのか。
 ちなみに、私の映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』評はこちら。我ながら笑っちゃうほどM・J・シンプソンの批評と正反対の方向で映画を読み解こうとしている。彼も私も、『銀河ヒッチハイク・ガイド』マニアのメンツを賭けて書く、という姿勢だけは同じなのにね。
 
 さて、このホームページを見ているあなたの感想はいかがでしょうか?


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.6.7.  『ドクター・フー』新シリーズ20周年

 その昔ダグラス・アダムスも脚本編集者として参加したことがある、イギリスのご長寿SFテレビドラマ、『ドクター・フー』。アダムスが関わったのは1970年代末、約2年半ほどの短い期間だったが、番組そのものは1963年から放送が始まり、1980年代終わりにいったん自然消滅(?)しかけたものの、2005年、脚本家ラッセル・T・デイヴィスが製作総指揮を務めて新シリーズを製作し、当時のおおかたの予想に反して大成功させた。
 1963年から1989年までの旧シリーズに比べれば、2005年以降の新シリーズなんて私にはつい最近の作品群のように思えるが、よくよく考えれば新シリーズ開始からでも既に20年もの歳月が流れたことになる。振り返って全部観るには膨大すぎる旧シリーズですら実質的には20年間くらいしか製作/放送されていなかったことを考えると、もはや2005年以降の新シリーズだけでもエピソード数が膨大すぎ、よほどのマニアでもない限り、いちから振り返って全部観てなどいられない。新しいシリーズの放送と並走するように視聴してきた私のような年配者はいいけど、イマドキの10代、20代にそれを期待するのは無茶なのでは?
 が、しかし。一度は足を洗ったラッセル・T・デイヴィスが製作総指揮に復帰し、シューティ・ガトワを15代目ドクターに起用して2023年から始まった新シリーズは、2005年以降の新シリーズはもちろん旧シリーズのネタまで積極的に持ち込んでいて、正直私は面食らった。これでは若い世代はついてこられないのでは?
 ラッセル・T・デイヴィスが復帰した以降のシリーズから、『ドクター・フー』には従来のBBCだけでなくディズニープラスも製作に関わり、番組製作の予算は一気に潤沢になったように見える。のみならず、日本在住の視聴者にとっては、本国でのテレビ放送からほとんど時をおかず日本語字幕付きで配信してもらえるようになってすごくありがたい。ゴリ押しでBBCのサイトにアクセスし、ゴリ押しで英語字幕で観ていたかつての日々が嘘のような快適さだが、とは言えディズニープラスで配信されている『ドクター・フー』シリーズは2023年以降の作品のみで、現状、日本で2005年からの新シリーズを全部観ようとするならHuluに別途加入しなくちゃならない。そういうイギリス国外の事情も踏まえると、もう少し以前のシリーズの知識を必要としない脚本でもよかったんじゃないかとますます思えてくる。
 特に、先日放送(配信?)された、15代目ドクターとしての第2シリーズ最終話のラストシーン。「誰?」と思った視聴者は意外と多いんじゃないだろうか。もちろん私は知ってたけれど、知ってた私は私で「今さら?」というのが率直な感想だった。
 ラッセル・T・デイヴィスの脚本自体は好きだし、この先の新しいシリーズの成功も祈ってはいる。ラストがラストだけに、これで番組が打ち切りになることはないと思うけれど、今は期待より不安のほうが大きいのも確かだ。この先、一体どうなることやら。

 気を取り直して今回の更新では、今年の3月にイギリスのホームレス支援で知られる雑誌「Big Issue」の公式サイトに掲載されていたダグラス・アダムスへのトリビュート記事を紹介すると共に、その記事を書いたコメディアンのロビン・インスをダグラス・アダムス関連人物に追加した。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.7.5.  The Art of Neil Gaiman

 まずは速報。今年の11月、ロンドンで『銀河ヒッチハイク・ガイド』のライブイベントが行われるそうな。残念ながら今の私にはお世話すべき猫がいるため現地に行くことはできないけれど、イベントの詳細についてはダグラス・アダムス関連ニュースのコーナーをご参照ください。

 さて今回の更新では、The Art of Neil Gaiman: The Story of a Writer with Handwritten Notes, Drawings, Manuscripts, and Personal Photographsという、ニール・ゲイマンの伝記と作品紹介を兼ねた本の中から、ゲイマンがダグラス・アダムスの伝記本を手がけることになった経緯や結果について書かれた章を丸ごと紹介する。
 この本は、2014年5月、今から10年ほど前に発売された。私が持っているのは2015年に発売されたペーパーバック版で、かっこいいフォントの文字で構成された素敵なデザインの表紙が印象的だが、2014年に発売されたハードカバー版の表紙には、腕を組んだゲイマンの写真がでかでかと載っている。この表紙を見ただけで、当時の彼がいかにセレブリティ作家としてもてはやされていたかよくわかるというものだ。とは言え、ベストセラーリストの常連で、見た目もいいし、スピーチも上手、と来た日には、そりゃ当然そうなるわな、と、私も誇らしく思いこそすれ、かっこつけすぎ、とか、調子に乗りすぎ、とは全く思わなかった。
 それが今や……。
 2024年10月5日付の同コーナーにも書いた通り、現在のニール・ゲイマンは複数の女性から不同意の性行為で訴えられている。今年1月、ゲイマン本人が自身のサイトで沈黙を破り、女性たちと性的関係にあったのは事実だが「不同意」ではなかった、と反論しているが、それで彼を取り巻く社会的状況が変わった様子はない。
 当時のゲイマン自身は既婚者だったから、不同意は論題だがたとえ合意の上だとしても性行為はダメだろう、と私は思っていたが、ゲイマンと当時の配偶者アマンダ・パーマーは「オープン・マリッジ」という形だったそうで、夫婦以外の相手との性行為はお互いに了承の上、というところもあったようだ。当事者同士がそれでいいなら他の人間がとやかく言う筋合いではないけれど、ニール・ゲイマンとアマンダ・パーマーに関して言えば、ゲイマンは「オープン・マリッジ」後も他の女性と性的な関係を持つ気まんまんで、かつ、そのせいで離婚の賠償請求されないようあらかじめ言質を取っていたように思えて、いよいよ気が滅入る。
 というわけで、以前あれほど楽しみにしていたテレビドラマ『サンドマン』第2シリーズがおとといからNetflixで配信開始になったにもかかわらず、まだ観ていない。多分、そのうち観るとは思うけれど。ゲイマンのスキャンダルが表沙汰になったのは、この第2シリーズの撮影終了まであとほんの数日というタイミングだったそうで、第2シリーズの製作にかかわったキャストやスタッフのみなさまにはただただ気の毒としか言いようがないしね。

 ともあれ、今年もまた例年通り、2ヶ月の夏休みに入ります。というわけで、次回の更新は9月6日。ともにこの猛暑をどうにか生き延びましょう——と言っても、9月6日じゃ猛暑はまだ終わってない予感しかないけどさ。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.9.6.  リニューアル作戦、始動

 この2ヶ月というもの、かつてない猛暑に心が折れて自宅に籠ってばかりだった。どこかに出かけるにしても、最寄駅まで10分くらい歩かねばならず、昼間はそれがつらい。かと言って、今の私は世話する猫がいるから、日が暮れてから出かけるのも難しい。
 だったらこのホームページの更新準備も順調に進みそうなものだが、今回の更新で新たに追加するのは2001年8月12日に「オブザーバー」の公式サイトに掲載された、「サイバースペースのルイス・キャロル」というタイトルの記事が一つだけ。何だかまるでやる気を感じられない。
 正確には、イマドキの仕様に更新するため、ほぼ20年ぶりにHTMLとCSSのについて独学した、というべきか。実際にタグをいじり始める前に最低限おさえておかなきゃいけないHTMLとCSSの仕組みを把握するのに、えらく時間がかかり、実際にいじり始めてからも、あまりに元の仕様が古いせいで思いがけないトラブルが発生し、段取りよく更新する手管を身につけるまでにさらに余計な手間がかかってしまった。故に、私の奮闘がイマイチ伝わらない結果になったという次第。
 これまで、私はHTMLのタグなんて古ければ古いほど原始的な作りだから問題なく動くものだろう、と思い込んでいた。でも、そういうものではなかったのね。むしろ、古い仕様のままだと「非推奨」扱いされてしまうのね。いやあ、恥ずかしながらこの歳になって初めて知りましたわ。
 と、前向きに取り組んではみたものの、昔の仕様をイマドキの仕様に変更するのは想像以上に骨が折れた。一番シンプルな「裏ヴァージョン」から手をつけてみたものの、それでも過去25年分(!)もある。一回一回の更新で追加されるテキスト量は少なくても、さすがに25年も積み重なると結構な量だ。
 もっと前から始めていれば楽だったのに、と、今さら嘆いてみても仕方ない。できれば、25周年にあたる2026年の最初の更新のタイミングで、少なくともダグラス・アダムス関連サイトの部分だけは全面リニューアルしたいと考えている。そして、そちらに手を取られる分、これからの数ヶ月は実際の更新内容のほうがいささかおざなりになると思う。
 何とぞご理解くださいませ。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る


2025.10.4.  『マーブル館殺人事件』と『ホワイトハートの殺人』

 前回の同コーナーで「HTMLとCSSをイマドキの仕様に更新」と書いたが、その後、HTMLとCSSについて『1冊ですべて身につくHTML&CSSとWebデザイン入門講座』(SBクリエイティブ)という本を買って何週間もかけて勉強したところ、私がこのホームページでやりたい/やろうとしていることを実現するにはCSSだけでなくJavaScriptを勉強する必要がある、ということがわかった。
 我ながら気づくのが遅すぎる。よよよよよ。
 とは言え、落ち込んでばかりもいられないので、今度は『1冊ですべて身につくJavaScript入門講座』(SBクリエイティブ)という本を買う。JavaScriptをちゃんと理解して活用できるようになる自信はあんまりないけど、とりあえず今回の更新が済んだら挑戦してみる予定。
 さて、結果は如何に?

 気を取り直して今回の更新だが、先月、私も大好きなアンソニー・ホロヴィッツの大人気ミステリー小説『カササギ殺人事件』シリーズの3作目、『マーブル館殺人事件』が出版され、嬉々として購入し、いそいそと読み出したところ、物語の冒頭でいきなり『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てきて狂喜乱舞した。おお、これは私のホームページでも紹介しなければ、ということで、ダグラス・アダムス関連Topicsのコーナーに追加しておく。
 ほんと、意外なところで思いがけず『銀河ヒッチハイク・ガイド』への言及が見つかったりするから、イギリスの現代小説は油断できん。
 などと思いながら、『マーブル館殺人事件』に続き、ほぼ同時期に日本語訳が出た、クリス・チブナルのミステリー小説『ホワイトハートの殺人』も読んでみる。クリス・チブナルと言えば、イギリスのテレビドラマの製作/脚本家、というより、私にとっては『ドクター・フー』第3シリーズでダグラス・アダムスをトリビュートしたエピソード「42」の脚本家だ。そんな彼が初めて書いたミステリー小説は、おもしろくない訳ではないけれど、小説というよりテレビドラマのノベライズのように思えた。実際、イギリスでは小説が実際に出版されるより先にITVが小説のテレビドラマ化を発表されているようで、うん、まあ、そうだね、そんな感じだよね。
 その点、アンソニー・ホロヴィッツは、長年にわたって小説家と脚本家の二足のわらじを履き続けてきただけのことはあって、その使い分けが巧いと思う。先に挙げた『カササギ殺人事件』も、小説ならではの語り口と構成のおもしろさで唸らせてくれたし、その上で、この作品がテレビドラマ化される時には自身で脚色を手がけ、テレビドラマならではの映像と構成のおもしろさを見せてくれた。
 残念ながらクリス・チブナルの小説『ホワイトハートの殺人』は、よくできたテレビドラマになることは期待できても、『カササギ殺人事件』のような捻りはあまり期待できない。

 今回の更新では、『マーブル館殺人事件』と合わせて、というか、むしろこちらのほうが本命なのだが、2011年に電子書籍の形で出版された、1979年のダグラス・アダムスへのロング・インタビューも追加した。本当にロングなインタビューなので、今回はPart Oneだけを紹介。


ページの先頭に戻る   トップ画面に戻る