ともに楽しみましょう
更新履歴・裏ヴァージョン


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目次
能書き 何でこんなページを追加することになったのかについての言い訳

2024年

2024.2.3. いつまで続く、めでたくない新年
2024.3.2. マルチバースの「42」
2024.4.6. 無職になった
2024.5.4. 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams
2024.6.1. 「最高の教養」とは
2024.8.3. インスブルックに行ってきた
2024.9.7. 『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』
2024.10.5. ニール・ゲイマンのスキャンダル
2024.11.2. スキャンダルの余波


能書き

 自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
 表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
 だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
 たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
 何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
 おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
 と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
 という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
 よろしければ、お付き合いください。

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2024.2.3.  いつまで続く、めでたくない新年

 今年も、今さらながらあけましておめでとうございます。

 が、しかし。「おめでとう」と書いておきながら全然めでたさを感じられない――と、同じような書き出しで始まる新年の挨拶を一体何年続ければいいのだろう。ウクライナ戦争はいっこうに終わる気配がなく、そこにパレスチナへのジェノサイドが加わり、さらに元旦には能登半島で大地震が起こって、地震発生から1ヶ月以上たった今なお、被災された方への救助や支援はこれまで以上にとっちらかっているように思える。この冬、私はもともと雪の兼六園を見に金沢観光しようかなとぼんやり計画していたが、今となっては現地に行って小銭を落としたほうが親切なのか、それとも救助や支援の邪魔になるから行かないほうがいいのか、それすらよくわからない。
 ほんと、むかつく。
 とは言うものの、そもそも長年業務の繁忙期だった冬季に、先のロンドン旅行に加え、国内旅行まで企てようとしたのには理由がある。何を隠そう、この私、今年度をもって長年の勤め人生活にピリオドを打つことになりましたの。
 えへへへへ。
 ということで、まもなく始まる私の新しい日々への抱負として真っ先に挙げたいのが、2001年から続けてきたこのホームページのリニューアルである(そもそも「ホームページ」ではなく「ウェブサイト」と言うべきなのかもしれないが、ここではずっと「ホームページ」と言い続けてきたのでとりあえずもうしばらく慣習を引きずることにする)。基本的にすべてを20年以上前の仕様で作っているため、このままじゃ「スマホ対応」なんて夢のまた夢なのだ。
 思い起こせばこのホームページを立ち上げた当初、私はガラケーすら持っておらず(初めて携帯電話を手に入れたのは2005年、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の着メロ(!)が欲しかったから)、テレビの録画にはVHSテープを使い(イマドキの若者は触ったこともないんじゃないか?)、テレビ画面でDVDを観るためにDVD再生専用プレイヤーを買ったりもした。正直、自分でも忘れかけてたけど、他でもないこのコーナーにかつての自分が書いた文章が動かぬ証拠だ。
 技術的なことだけでなく、内容面でも見直しが必要な箇所はたくさんある。ダグラス・アダムス関連で取り上げた俳優の出演映画リストとか、これまですごく手間と時間をかけて作成してきたけれど、今じゃ俳優のプロフィールなんてググれば誰でも簡単に最新の情報が手に入る。そうなると、私があくせく更新し続ける意味はあまりない。だったら、そういう箇所はもっと情報をしぼりこみ、簡素にまとめたほうがいいよね、きっと?
 当然、更新作業にはものすごく手間と時間がかかることが予想される。何せ、HTMLとCSSについて一から勉強し直さなきゃならないし――と、考えただけで心が折れてしまいそうだから、逆に宣言してしまおう。2026年、このホームページの25周年を機にリニューアル版を公表します。それまでもうしばらくこの古臭いスタイルにお付き合いください。

 そして今回の更新は、前回予告しておいた通り、2023年ロンドン旅行の記録である。あと、例年通り「My Profile」コーナーも更新した。

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2024.3.2.  マルチバースの「42」

 今年のアカデミー賞授賞式は、日本時間の3月11日(月)に開催される。長編アニメーション賞には宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がノミネートされていて、受賞したらいいなと私は願っているが、対抗馬の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』に勝てる気があまりしない。
 『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』は、先日、WOWOWで放送されたのを録画して観た。前作『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)のほうは映画館で観て、その画期的な映像表現に心から感動したが、コロナ禍以降、映画館での上映終了とNetflixやDisney+での配信開始との時間差がどんどん短くなったことも手伝って、つい「余計な外出でコロナに感染したら目もあてられないし、ま、配信もしくはWOWOW待ちでいいか」と思ってしまった。
 よくない傾向だなと反省しつつ自宅のテレビ画面で観た『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は、数々の絶賛評にふさわしい、斬新かつとんでもなく手間のかかったアニメーションだった。ただ、すごく凝ってはいるものの、140分もの長尺を用いながらもラストがまさかの「続編に続く」だったことに、思わず拍子抜けしてしまったのも確か。製作側が三部作にする気まんまんだったとしても、私としては二作目は二作目なりに完結した完結したストーリーを示してほしかった。
 が、このコーナーで『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』についてあれこれ書いているのは、勿論、このアニメーションの中にたびたび「42」という数字が印象的に登場したからである。多次元宇宙をモチーフに、「アース42」なんてものまで持ち出されたら、これはもう『銀河ヒッチハイク・ガイド』オマージュ一択でしょ、と叫びたくなるが、でもこの作品の場合はちょっと違う気がする。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の「42」というより、黒人で初めて大リーガーのプロ野球選手になったジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を意識している気がする――ということで、ググってみたらやはりこのアニメーションの「42」はジャッキー・ロビンソンの背番号のほうだった。
 だよね。そうじゃないかと思ったよ。
 以前、『42』というタイトルの映画が製作されているというニュースを耳にして狂喜乱舞したものの、この「42」は「人生と生命と万物についての究極の答え」とは何の関係もないと知ってがっかりしたことがある。とは言え、この映画のおかげで多くのアメリカ人にとって「42」という数字に別の意味があるとがわかったこと自体は、私にとって僥倖だった。もし、若き日のダグラス・アダムスがアメリカの野球文化にもっと深く馴染んでいたら、「人生と生命と万物についての究極の答え」に「42」を選んでいなかったかもしれない。それこそ、マルチバースのダグラス・アダムスたちは「42」に代わるどんな数字を選ぶだろうね?

 そして今回の更新では、 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されている、ダーク・マッグスアルヴィンド・イーサン・デイヴィッドがアダムスに宛てた文章を追加した。


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2024.4.6.  無職になった

 この4月1日から、晴れて無職になった。
 高校を卒業して現役で大学に進学し、大学卒業と同時に就職し、休職や転職を一度も経験しないまま定年退職と相成ったため、どこにも所属しない自分、というのはまったくの初体験である。組織でうまく立ち回れた試しはなく、また仕事に対する思い入れもたいしてなかったとは言え、何者でもない一人暮らしの私、という己の立場についてうっかり深く考えたりすると、そのよるべなさに不安がどんどん広がっていく。やばい。
 が、その一方で、この不安が単なる「考えすぎ」であることもわかっている。言ってしまえば、無駄に無意味に感傷的になっているだけのこと。なので、しばらくは「よるべなさ」とやらにドキドキしてセンチメンタルな気分を味わってから、改めて今度は人事異動の恐怖にびくびくしたり理不尽な叱責にむかむかしたりするストレスと無縁になった解放感に浸ろうと思う。
 
 というわけで、今後はこのホームページの更新準備に費す時間を大幅に増やすことも可能になった次第だが、当面はこれまで通り、月に一度の更新ペースを維持するつもりでいる。ささやかながら旅行の計画もあるし、以前のような週に一度の更新ペースに戻るのはさすがにキツい。月に一度の更新ペースに馴染み切った今となっては、働きながらよくやってたな、としか思えない。当時は追加更新できる小ネタをたくさん手元に持っていた、というのもあるけれど、あの頃はまだSNSが未発達で、ツイッター(意地でも「X」とは呼んでやらん)やブログに時間を取られていなかったから可能だったのではないか。
 考えてみれば、このホームページの更新は月に一度でも、ツイッターでは基本的に毎日何かしらつぶやき、ブログでは基本的に週に一度くらいちょっとした記事を載せている。どちらも全然バズってないが、ネット上に文章を公表する高揚感とか緊張感をこのホームページの更新でしか味わえなかった頃に比べると、モチベーションが散漫になっているのは否めない。
 むむう。
 ま、新しく始まった無職生活も今はまだ試運転状態である。何事も最初からあまり決めつけすぎず、気負いすぎず、流れに任せてぼちぼちやっていきましょうか。

 そんなこんなで今回の更新では、 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されている、ニール・ゲイマンロビー・スタンプがアダムスに宛てた文章を追加した。


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2024.5.4.  42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams

 アダムスが残した大量の未整理書類の中から興味深いものを選んで整理して1冊の本にまとめた 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams をぱらぱらと眺めていると、何よりもまずアダムスの物持ちの良さに感心する。ブレントウッド・スクール時代に友達と作った同人誌向けに書いた文章とか、学内でのスピーチの手書き原稿といったものは、「青春時代の思い出」の一種として捨てなかったのかなと思えなくもないけれど、大学卒業後、エージェントから届いた「あなたの『ドクター・フー』向けのアウトラインは不採用になりました」というお断りの手紙まで後生大事に残しておく気持ちは正直よくわからない。勿論、アダムスが手紙をその場で破って捨てなかったおかげで、その手紙が書かれた正確な日付も知ることができるのだから、今となってはありがたいけれど。
 手書きの原稿や手書きのメモについては、編集者のケヴィン・ジョン・デイヴィスが、それらの写真と一緒に活字化してくれているのもすごく助かる。アダムスの手書き文字は決して読みやすくない――というか、見てるだけで読む気が失せる、といったほうが正しいかも。ま、そもそもここに掲載されている手書きの文章のほとんどは、あくまでアダムス本人のための手控えであって、自分以外の人に読ませるつもりで書いてないからねえ。
 その証拠に、人に読ませるために書いた、というか、ブレントウッド・スクール時代に教師に提出した課題の手書きエッセイなどは、さすがに比較的読みやすい筆記体で書かれていた。むしろ、その末尾に書かれていた教師からの手書きコメントの筆記体のほうが読みづらかったくらいだ(苦笑)。
 ということで今回の更新では、それらの中から、アダムスが未来の電子書籍のありようについて考察したメモと、コンピュータ・ゲーム「Bureaucracy」のために書いたシノプシスを選んで訳して追加した。
 Kindleに慣れ切った今になってアダムスが電子書籍について書いたメモを読むと、当時の彼の考察がいかに適切で、いかに的を射ていたかが痛いほどによくわかる。本物の知性とか教養ってこういうことだよな、と感服すると同時に、高校3年生の夏休みに『銀河ヒッチハイク・ガイド』を初めて読んで「こういうものの見方のできる人間になりたい」と切に思った当時の私の判断は間違ってなかった、と、改めて自画自賛モードに入ってしまった。
 私はとかく自分に甘いので、すぐに自分で自分を褒めてしまう。
 しかし、本物の教養を身につけるために『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読みましょう、というのは、あながち私一人の主張ではなく、その証拠に文藝春秋から先月日本語訳が発売されたばかりのジョー・ノーマン著『英国エリート名門校が教える最高の教養』に収録された「教養のための必読リスト114冊」の中にも『銀河ヒッチハイク・ガイド』は入っていた。
 ふふん、どんなもんだい――と鼻高々になりたいところだが、残念ながらこの本については気になること、言いたいこともいろいろある。でも、それについては来月のこのコーナーで。


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2024.6.1.  「最高の教養」とは

 まずは朗報から。昨年、クラウドファンディングで出版されたダグラス・アダムスの遺稿集、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams の著者、ケヴィン・ジョン・デイヴィスがまた新たなクラウドファンディングを立ち上げた。それが、I Never Could Get the Hang of Thursdays。テレビドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の、注釈やプロダクション・ノートをたっぷり添えたテレビドラマ脚本の出版企画である。
 ケヴィン・ジョン・デイヴィス自身、テレビドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の製作に直接かかわった人である。それだけに、この企画には大いに期待が持てる。私が速攻でクラウドファンディングに飛びついたことは言うまでもないが、興味はあるけどまだ申し込んでいない人は是非一度、Unboundの公式サイトでご確認くださいませ。

 と、ここまでは文句なしにめでたい話だったが、ここからは少しめでたくない話に移る。前回の同コーナーで紹介した、ジョー・ノーマン著『英国エリート名門校が教える最高の教養』――この本に収録された「教養のための必読リスト114冊」の中に『銀河ヒッチハイク・ガイド』も入っていたため、今回の更新でダグラス・アダムス関連Topicsコーナーにこの本を追加したが、実際の本を読んでみると手放しに喜べなかったのだ。
 そもそも、日本語訳のタイトル『英国エリート名門校が教える最高の教養』と、表紙カバーに書かれた「世界のリーダーが学んでいる「知の貴族」になる方法」「秘伝の読書ガイド114冊収録」が、実際の本の内容をミスリードしている。この本の原題は、The Super Tutor: The best education money can buy in seven short chapters であり、原題のタイトル「スーパーチューター」とは、受験教師である著者ジョー・ノーマンの、有名パブリックスクールに大勢の生徒を合格された手腕に対して向けられた称号である。ジョー・ノーマン自身、ウィンチェスター校からオックスフォード大学に入学してはいるが、教員としてバブリックスクールやオックスブリッジで勤務したことはない。日本語のタイトルや副題をみると、まるで実際にパブリックスクールで行われている授業内容を紹介しているように思えるけれど、この本はあくまで学外の「受験教師」の立場で、パブリックスクールへの進学を希望している生徒やその親、あるいはパブリックスクール+オックスブリッジという華麗なる学歴に憧れる人に向けた、一種の自己啓発本なのだ。
 というわけで、「秘伝の読書ガイド114冊」にしても、実際にどこかのパブリックスクールで生徒に配布されたものではなく、あくまで受験教師のジョー・ノーマン個人が選んだものにすぎない。それでも『銀河ヒッチハイク・ガイド』が選ばれたこと自体はありがたいが、「ノンフィクション(原則、笑えない)」「フィクション(あまり笑えない)」「フィクション(笑える)」といった括りで114冊を紹介していくにしても、著者名順でも出版年順でもなく、思いつくままに列挙したとしか思えない雑なリストになっている。たとえ著者の「思いつくまま」だったとしても、それならなおさら原著の出版年くらいは添えるべきだと思うが、それもないままリストの中でフローベールの『三つの物語』とドナ・タートの『黙約』が横並びで紹介される。「雑」としか言いようがない。
 致命的なのが、イギリスの知的エリートである著者が「教養」を身につけたいと願う人に向けた本でありながら、「十八世紀の批評家ジョン・ラスキンは言っている」(p. 97)と書かれていたことだ。日本ではジョン・ラスキンの名前を知らなくても普通だと思うけれど、人様に「教養」を説くイギリス人知的エリートがやらかしていいミスではない。
 もちろん、これはジョー・ノーマンのミスではなく、翻訳者のミスだったということもありうる。だが、「マルセル・プルーストの非常に長く入り組んだ小説『失われた時を求めて』は、語り手がマドレーヌを味わう場面から始まる」(p. 186)は、さすがに翻訳者のミスではないだろう。『失われた時を求めて』を一度でも読んだ、あるいは読もうとして途中で挫折したことのある人なら誰でも知っているが、『失われた時を求めて』の冒頭にマドレーヌは出てこない。私が持っている岩波文庫でこの有名なマドレーヌの件が出てくるのは、第一巻の111ページである。
 「『失われた時を求めて』はマドレーヌで始まる」は、実際に読んだことのない人の多くが抱く勘違いであり、私も実際に読むまでそう思い込んでいた。読んでも読んでもマドレーヌが出てこないことに首をかしげたくらだい。だからこそ、「『失われた時を求めて』は、語り手がマドレーヌを味わう場面から始まる」と書いた瞬間、『失われた時を求めて』を読んだことがないのがバレてしまう――「知の貴族」がきいてあきれる、としか言いようがない。
 返す返すも残念な1冊だった。

 気を取り直して今回の更新は、『英国エリート名門校が教える最高の教養』と、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されている、マーゴ・ブキャナンがアダムスに宛てた文章を追加した。

 最後にもう一言。例年、7月から2ヶ月の夏休みをとっているけれど、今年は6月から2ヶ月の夏休みに入ります。ということで、次回の更新は8月3日。世間的には夏休み真っ盛りの時期だけど、よろしくお願いします。



2024.8.3.  インスブルックに行ってきた

 このホームページを更新するにあたって例年7月から8月にかけてとっている夏休みを今年に限り1ヶ月前倒しにしたのは、他でもない、6月下旬に約2週間ほどの日程でオーストリア旅行に出かけていたからだった。そして、長年の憧れだったインスブルックにも行ってきた。
 ……なぜインスブルック、とお思いでしょうか? そんなもん、ダグラス・アダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアイディアを最初に思いついた、少なくとも思いついたと主張している場所がインスブルックだったからに決まってますわ、おほほほほ。
 インスブルックについての記述は、アダムスが1983年に書いたエッセイ、"A Guide to the Guide: Some unhelpful remarks from the author" に登場する。このエッセイは、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズを1冊にまとめた各種さまざまな全巻本の冒頭に掲載されていることが多いから、英語圏の『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンには割とお馴染みだと思うし、そしてこれを一読すれば「インスブルックに行かねば」という気持ちになる――とまでは言わないが、少なくとも私が「行かねば」と思ったことに納得していただけるはずだ(随分前に私なりの訳出を試みたので、よかったら参考までにどうぞ)。
 インスブルックはそんなに大きな街ではないので、私はザルツブルクに滞在中の1日を使ってザルツブルクから電車で約2時間ほどかけてインスブルックを日帰り観光した。が、今となっては1泊してどっぷりインスブルックに浸ってもよかったかな、という気もしている。日帰りでも、暑いくらいの好天に恵まれ、黄金の小屋根とか、王宮といった、メジャーな観光エリアをあくせく一通り見て回ることはできたけど、若き日のアダムスが歩き回ったかもしれないインスブルックの横道をだらだら散策する余裕まではなかったしね。
 ということで、私以外の『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンのみなさまもぜひ一度、行ってみたい旅行先の一つにインスブルックを追加されてはいかがでしょう?
 そう言えば先日、将棋の藤井聡太名人もアンケートで「好きな都市」を訊かれて「インスブルック」と答えていらっしゃったけ。だからって、藤井聡太名人が『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンだった、ということではなく(一瞬期待したことは否めない)、インスブルックは鉄道好きにとっては看過できない街だった、ということらしい。
 私もインスブルック駅は利用したけれど、鉄道マニアの視点はまったくなく、ケーブルカーにも乗らなかった。鉄オタに言わせれば、「せっかくインスブルックまで行ったのに、もったいない」の一語かもしれない。それにしてもインスブルック、ハプスブルク家の歴史とかオーストリア・アルプスとかウィンター・スポーツといった表の顔とは関係ないところで、いろんなマニアを引き寄せてるなあ。

 そして今回の更新は、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されていた、アダムスのファンレターへの返信の定型文面と、テクノロジーについての講演レジュメを追加した。
 さらに、ユーリ・ノルシュテイン関連の最新ニュースとして、現在の上映中のドキュメンタリー映画についても追加しておいたので、興味のある方はこちらもぜひ――私は観てめちゃくちゃ凹んだけど、とにかく観ないことには始まらないので。



2024.9.7.  『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』

 ユーリー・ノルシュタインのアニメーション作品のファンのみなさま、東京・阿佐ヶ谷の映画館、Morc阿佐ヶ谷で9月11日まで上映予定のドキュメンタリー映画、『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』はご覧になりましたか?
 私は7月末に観て、本当は8月3日付の同コーナーで感想を書こうと思っていたのに実際に観てみたら凹みすぎて心の整理ができず、感想を1ヶ月先延ばしにしてしまった。そして1ヶ月の今、少しは心の整理が付いたものの、感想を書こうとするとやっぱり凹む。
 私の思い違いと言ってしまえばそれまでだけど、でもかつては反プーチンを堂々と表明していたあのノルシュテインが、まさかプーチンのウクライナ侵攻を全面的に支持し、ウクライナのゼレンスキー大統領がとっとと降伏しないのを「臆病」呼ばわりするなんて、想像だにしませんでしたよ。それどころか、外国のメディアを相手にロシアのウクライナ侵攻に反対の声を上げたせいでロシアの当局に拘束されるんじゃないかしらと要らぬ心配までしていたくらいだ。ったく、2022年5月7日の同コーナーに書いた自分の文章を改めて読み直してみて、恥ずかしいったらありゃしない。
 ドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』は、ノルシュテインとの計3回のオンライン通話の動画を整理/編集して作られているため、インタビュアーとの対話というより、どうしてもノルシュテインの長口舌を一方的に聞かされるような形になる。その上で、ノルシュテインとしては「ロシアは世界中から誤解されている」と言いたいんだろうけど、ウクライナ共和国が独立した国である以上、親欧米派の大統領を選ぶのはウクライナ国民の勝手だろ、と思うし、「一番悪いのは悪徳資本家だ」とか言われても、いやいやそもそも「オリガルヒ」ってロシア語なんですけど、と言い返したくなるし、「文化/教養が大切」ってことには私も同意だけど、でもノルシュテインがプーシキンを例にあげてロシア文学の優位性を説こうとすればするほど、ノルシュテインの中にあるウクライナ民族やウクライナ語やウクライナ文化に対する見下しっぷりが露わになっていくような気がして、いよいよいたたまれない。なるほど、これがロシア人男性の中に巣食う「大ロシア主義のマチズモ」ってヤツですか、「第三のローマ」は今も健在ですな、と冷笑して終わりにするのは簡単だけど、つられてプーシキンのことまで嫌いになりそうだよ、ったくどうしてくれるんだよ!
 しかし、この映画の感想を書くにあたり他の人の意見や感想をググっていたところ、2022年に掲載されたロシア語通訳の児島宏子さんへのインタビュー記事が見つかった。この記事によると、2022年のウクライナ侵攻開始直後、ロシアのアニメーターたちが「戦闘行為を非難し、ウクライナからの即時撤退を求めた」とある。チェブラーシカのキャラクター・デザインを務めたレオニード・シュワルツマン氏を筆頭に、ノルシュテインも署名したそうだが、「今回のウクライナへの軍事侵攻も、自分たちを守るはずの軍隊が、よりによって兄弟国で残酷なことを…という衝撃もあるように感じます」という児島宏子さんの至極もっともな見解は、映画『ユーリー・ノルシュテイン 文学と戦争を語る』のため、通訳としてノルシュテインとオンラインインタビューをした後も変わりはないのだろうか?

 気を取り直して今回の更新は、またしても 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams から。ラジオドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』が放送される直前に、アダムスが宣伝を期待して雑誌編集者に送った手紙の文面と、デジタル・ヴィレッジで企画したけれど企画倒れに終わった幻のテレビドラマシリーズ、「秘密の帝国」を紹介する。加えて、「Topics」コーナーに『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュを含んだ小説『マーリ・アルマイダの七つの月』を追加した。



2024.10.5.  ニール・ゲイマンのスキャンダル

 前回、ユーリー・ノルシュタインのネトウヨ化を嘆いたのに続き、今回はニール・ゲイマンのスキャンダルに頭を抱えている。

 ニール・ゲイマン。数々のグラフィック・ノベルやヤング・アダルト小説を発表、質の高さと人気の高さには定評があり、昨今では手掛けた作品が次から次へと実写化/舞台化され、ますます人気を不動のものにしている。インタビューやSNSでの発信では、全方位的に目配りを効かせた上で、きちんと自分の意見を主張することもできる。勿論、私にとってのニール・ゲイマンが何よりもまずダグラス・アダムスの最初の伝記本、Don't Panic: The Official Hitchhiker's Guide to the Galaxy の著者であることは言を俟たないが、とにかく安心感/安定感の塊のようなニール・ゲイマンが、この期に及んで複数の女性から不同意の性行為を強要されたと訴えられるって、一体どういうことなのよ?
 私がググって見つけたガーディアンの記事によると、ゲイマン本人は違法な行為はしていないと主張しているが、それは彼女たちと一切性的関係はなかったという意味ではなく、あくまで「同意の上だった」とのこと。長年ニール・ゲイマンの絶対的支持者だった私としては彼の言葉を信じたいのは山々だが、既婚者でありながら配偶者以外の誰かと性的関係を持つことの道徳的是非はいったん脇に置き、さらに5億歩譲ってゲイマンの主張通り双方の合意の上でなされた行為だったとしても、その相手の一人が「家族でニュージーランド滞在中に雇っていたベビーシッター」だったという時点で、さすがの私も庇いようがない。
 あーあ。どうしてそうなっちゃうかなあ。
 周りの迷惑を顧みない無頼の人とか火宅の人を気取る(時代錯誤な)作家ならまだしも、ニール・ゲイマンだけは目端の効いた心遣いと立ち振る舞いのできる良識人だと思い込んでいただけに、ショックは大きい。浮気とか不倫はあくまで夫婦間の問題であって他人が口出しすることではないと重々承知しているが、まさか自分たち家族が雇っているベビーシッターに手を出すほど愚かなセレブリティだとは思わなかった。
 読書家のニール・ゲイマンなら、当然、トルストイの『アンナ・カレーニナ』も読んだことがあるだろう。この長編小説の冒頭で、(アンナの兄の)ステパンは妻に浮気がバレた時、浮気そのものには全く後悔していない、というか老けて美しくなくなった妻は夫の浮気に寛容であるべし、と思っている彼でさえ、「たまたまあの女がうちの家庭教師だったというのはまずかった。たしかにまずかったよ! うちの家庭教師の尻を追い廻すなんていうのは低級下劣なことものな」(中村融訳、岩波文庫)とひとりごちる。
 19世紀の、家父長制ゴリゴリの、男性絶対優位主義のロシア貴族ですら、「低級下劣」と見做すようなことを、21世紀の、リベラルの、ポリコレの何たるかを十分以上に心得ているはずのニール・ゲイマンが、まんまとやらかしてくれるとはな! ほんと、情けないの一語に尽きる――が、それでもテレビドラマ「グッド・オーメンズ」第3シリーズは観たいと思う私自身もそこそこ情けない。っていうか、テレビドラマ「サンドマン」第2シリーズも観たいんですけど。
 くううううう。

 気を取り直して今回の更新では、1989年にSF雑誌「インターゾーン」に掲載された、ダグラス・アダムス作品の評論記事を紹介する――ただし、長いので今回はその前半部分だけ。



2024.11.2.  スキャンダルの余波

 まずは前回、同コーナーでさんざん愚痴ったニール・ゲイマンのスキャンダルに関する続報から。私がすごく楽しみにしていたテレビドラマ「グッド・オーメンズ」第3シリーズは、当初予定されていた全6話ではなく、90分の全1話で完結になると決まったそうな。
 第2シリーズでばっさり打ち切ってしまうにはあのラストは思わせぶりすぎるという、大人の判断がなされたのだろう。打ち切られなかっただけでもありがたいと思わなければいけないのかもしれないが、第1シリーズが製作された時のニール・ゲイマンの奮闘ぶりをリアルタイムで追っていただけに、こんな結末を迎えたことが残念でならない。
 Netflix製作のテレビドラマ「サンドマン」第2シリーズについては、ゲイマンのスキャンダルが発覚した時には製作がかなり進んでいたこともあって、少なくとも目下のところ、2025年に配信されそうな気配ではある。でも、たとえ第2シリーズの視聴回数がどんなに多かったとしても、第3シリーズが製作される可能性は限りなく低いだろう。
 この2作のほかにも、ディズニーで製作されるはずだった小説『墓場の少年(原題 The Graveyard Book)』の映画版は、「サンドマン」第2シリーズとは逆にまだ準備段階だったことも手伝ってか、企画はいったん停止されることになった。監督候補のマーク・フォースターをIMDbで検索してみたら今後の予定作として The Graveyard Book が載っていたので、現時点では完全に中止と決まったわけではないと思われるが、正直、首の皮一枚でかろうじて繋がっているようなものだと思う。
 いろいろつらい。
 で、つい考えてしまう。もし、ダグラス・アダムスが今も健在だったとして、彼は各種さまざまなキャンセル・カルチャーから逃れることができただろうか。当時はともかく現在の基準に照らし合わせ、セクハラやパワハラで訴えられることはなかっただろうか。たとえそういうことがなかったとしても(そう信じたいが)、たとえば2021年、全米ヒューマニスト協会が1996年にリチャード・ドーキンスに与えた「ヒューマニスト・オブ・オブザ・イヤー」賞を剥奪すると決めた時、ドーキンスの盟友たるアダムスは一体どんなコメントを出しただろうか……?

 気を取り直して今回の更新は、1989年にSF雑誌「インターゾーン」に掲載されたダグラス・アダムス作品の評論記事の後編を追加。この評論記事もまた、今になって振り返ってみるといろいろ考えずにはいられない。


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