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更新履歴・裏ヴァージョン


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目次
能書き 何でこんなページを追加することになったのかについての言い訳

2024年

2024.2.3. いつまで続く、めでたくない新年
2024.3.2. マルチバースの「42」
2024.4.6. 無職になった


能書き

 自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
 表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
 だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
 たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
 何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
 おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
 と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
 という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
 よろしければ、お付き合いください。

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2024.2.3.  いつまで続く、めでたくない新年

 今年も、今さらながらあけましておめでとうございます。

 が、しかし。「おめでとう」と書いておきながら全然めでたさを感じられない――と、同じような書き出しで始まる新年の挨拶を一体何年続ければいいのだろう。ウクライナ戦争はいっこうに終わる気配がなく、そこにパレスチナへのジェノサイドが加わり、さらに元旦には能登半島で大地震が起こって、地震発生から1ヶ月以上たった今なお、被災された方への救助や支援はこれまで以上にとっちらかっているように思える。この冬、私はもともと雪の兼六園を見に金沢観光しようかなとぼんやり計画していたが、今となっては現地に行って小銭を落としたほうが親切なのか、それとも救助や支援の邪魔になるから行かないほうがいいのか、それすらよくわからない。
 ほんと、むかつく。
 とは言うものの、そもそも長年業務の繁忙期だった冬季に、先のロンドン旅行に加え、国内旅行まで企てようとしたのには理由がある。何を隠そう、この私、今年度をもって長年の勤め人生活にピリオドを打つことになりましたの。
 えへへへへ。
 ということで、まもなく始まる私の新しい日々への抱負として真っ先に挙げたいのが、2001年から続けてきたこのホームページのリニューアルである(そもそも「ホームページ」ではなく「ウェブサイト」と言うべきなのかもしれないが、ここではずっと「ホームページ」と言い続けてきたのでとりあえずもうしばらく慣習を引きずることにする)。基本的にすべてを20年以上前の仕様で作っているため、このままじゃ「スマホ対応」なんて夢のまた夢なのだ。
 思い起こせばこのホームページを立ち上げた当初、私はガラケーすら持っておらず(初めて携帯電話を手に入れたのは2005年、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の着メロ(!)が欲しかったから)、テレビの録画にはVHSテープを使い(イマドキの若者は触ったこともないんじゃないか?)、テレビ画面でDVDを観るためにDVD再生専用プレイヤーを買ったりもした。正直、自分でも忘れかけてたけど、他でもないこのコーナーにかつての自分が書いた文章が動かぬ証拠だ。
 技術的なことだけでなく、内容面でも見直しが必要な箇所はたくさんある。ダグラス・アダムス関連で取り上げた俳優の出演映画リストとか、これまですごく手間と時間をかけて作成してきたけれど、今じゃ俳優のプロフィールなんてググれば誰でも簡単に最新の情報が手に入る。そうなると、私があくせく更新し続ける意味はあまりない。だったら、そういう箇所はもっと情報をしぼりこみ、簡素にまとめたほうがいいよね、きっと?
 当然、更新作業にはものすごく手間と時間がかかることが予想される。何せ、HTMLとCSSについて一から勉強し直さなきゃならないし――と、考えただけで心が折れてしまいそうだから、逆に宣言してしまおう。2026年、このホームページの25周年を機にリニューアル版を公表します。それまでもうしばらくこの古臭いスタイルにお付き合いください。

 そして今回の更新は、前回予告しておいた通り、2023年ロンドン旅行の記録である。あと、例年通り「My Profile」コーナーも更新した。

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2024.3.2.  マルチバースの「42」

 今年のアカデミー賞授賞式は、日本時間の3月11日(月)に開催される。長編アニメーション賞には宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がノミネートされていて、受賞したらいいなと私は願っているが、対抗馬の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』に勝てる気があまりしない。
 『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』は、先日、WOWOWで放送されたのを録画して観た。前作『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)のほうは映画館で観て、その画期的な映像表現に心から感動したが、コロナ禍以降、映画館での上映終了とNetflixやDisney+での配信開始との時間差がどんどん短くなったことも手伝って、つい「余計な外出でコロナに感染したら目もあてられないし、ま、配信もしくはWOWOW待ちでいいか」と思ってしまった。
 よくない傾向だなと反省しつつ自宅のテレビ画面で観た『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は、数々の絶賛評にふさわしい、斬新かつとんでもなく手間のかかったアニメーションだった。ただ、すごく凝ってはいるものの、140分もの長尺を用いながらもラストがまさかの「続編に続く」だったことに、思わず拍子抜けしてしまったのも確か。製作側が三部作にする気まんまんだったとしても、私としては二作目は二作目なりに完結した完結したストーリーを示してほしかった。
 が、このコーナーで『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』についてあれこれ書いているのは、勿論、このアニメーションの中にたびたび「42」という数字が印象的に登場したからである。多次元宇宙をモチーフに、「アース42」なんてものまで持ち出されたら、これはもう『銀河ヒッチハイク・ガイド』オマージュ一択でしょ、と叫びたくなるが、でもこの作品の場合はちょっと違う気がする。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の「42」というより、黒人で初めて大リーガーのプロ野球選手になったジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を意識している気がする――ということで、ググってみたらやはりこのアニメーションの「42」はジャッキー・ロビンソンの背番号のほうだった。
 だよね。そうじゃないかと思ったよ。
 以前、『42』というタイトルの映画が製作されているというニュースを耳にして狂喜乱舞したものの、この「42」は「人生と生命と万物についての究極の答え」とは何の関係もないと知ってがっかりしたことがある。とは言え、この映画のおかげで多くのアメリカ人にとって「42」という数字に別の意味があるとがわかったこと自体は、私にとって僥倖だった。もし、若き日のダグラス・アダムスがアメリカの野球文化にもっと深く馴染んでいたら、「人生と生命と万物についての究極の答え」に「42」を選んでいなかったかもしれない。それこそ、マルチバースのダグラス・アダムスたちは「42」に代わるどんな数字を選ぶだろうね?

 そして今回の更新では、 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されている、ダーク・マッグスアルヴィンド・イーサン・デイヴィッドがアダムスに宛てた文章を追加した。


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2024.4.6.  無職になった

 この4月1日から、晴れて無職になった。
 高校を卒業して現役で大学に進学し、大学卒業と同時に就職し、休職や転職を一度も経験しないまま定年退職と相成ったため、どこにも所属しない自分、というのはまったくの初体験である。組織でうまく立ち回れた試しはなく、また仕事に対する思い入れもたいしてなかったとは言え、何者でもない一人暮らしの私、という己の立場についてうっかり深く考えたりすると、そのよるべなさに不安がどんどん広がっていく。やばい。
 が、その一方で、この不安が単なる「考えすぎ」であることもわかっている。言ってしまえば、無駄に無意味に感傷的になっているだけのこと。なので、しばらくは「よるべなさ」とやらにドキドキしてセンチメンタルな気分を味わってから、改めて今度は人事異動の恐怖にびくびくしたり理不尽な叱責にむかむかしたりするストレスと無縁になった解放感に浸ろうと思う。
 
 というわけで、今後はこのホームページの更新準備に費す時間を大幅に増やすことも可能になった次第だが、当面はこれまで通り、月に一度の更新ペースを維持するつもりでいる。ささやかながら旅行の計画もあるし、以前のような週に一度の更新ペースに戻るのはさすがにキツい。月に一度の更新ペースに馴染み切った今となっては、働きながらよくやってたな、としか思えない。当時は追加更新できる小ネタをたくさん手元に持っていた、というのもあるけれど、あの頃はまだSNSが未発達で、ツイッター(意地でも「X」とは呼んでやらん)やブログに時間を取られていなかったから可能だったのではないか。
 考えてみれば、このホームページの更新は月に一度でも、ツイッターでは基本的に毎日何かしらつぶやき、ブログでは基本的に週に一度くらいちょっとした記事を載せている。どちらも全然バズってないが、ネット上に文章を公表する高揚感とか緊張感をこのホームページの更新でしか味わえなかった頃に比べると、モチベーションが散漫になっているのは否めない。
 むむう。
 ま、新しく始まった無職生活も今はまだ試運転状態である。何事も最初からあまり決めつけすぎず、気負いすぎず、流れに任せてぼちぼちやっていきましょうか。

 そんなこんなで今回の更新では、 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に収録されている、ニール・ゲイマンロビー・スタンプがアダムスに宛てた文章を追加した。


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