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能書き 何でこんなページを追加することになったのかについての言い訳

2026年

2026.2.7. 祝・25周年
2026.3.7. リチャード・ドーキンスとダグラス・アダムス


能書き

 自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
 表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
 だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
 たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
 何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
 おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
 と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
 という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
 よろしければ、お付き合いください。

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2026.2.7.  祝・25周年

 今年も、今さらながら明けましておめでとうございます。
 そして、このホームページは今年でついに25周年を迎えることとなりました。

 VHSのレンタルビデオが主流だった時代、自宅でのインターネット常時接続がまだ珍しかった時代にこのホームページをダイヤル回線(!)で立ち上げて、気づいてみたら今じゃネット配信や生成AIが当たり前になっている。そう考えると、25年という歳月はなかなか重い。
 その一方で、私自身についてはたいした進歩も変化もなく、ただただ歳を重ねただけのような気がする。もちろん、今では勤め人という立場からすっかり足を洗い、猫と隠居生活を謳歌している、という大きな変化はあるけれど、相変わらずの手作業でちまちまとこのホームページを更新していたり、プライベートの時間にやっていることは今も昔も変わりない。
 というか、25年間も同じ要領でホームページを更新し続けてきたことが、今となっては大問題なのだ。2025年9月6日付の同コーナーにも書いた通り、あまりにも長いことHTMLのタグを放置しすぎたせいでイマドキの仕様に合っていないらしいと気付いたのはいいが、25年の間に増えて増えて増えまくったHTMLファイルを一つ一つ訂正するのにものすごく手間がかかる――そりゃ、できる人は上手にプログラムを書いて一括変換とかするのかもしれないけれど、25年間も無策だった私にそんな技術があるはずもない。
 ということで、本日更新した25周年記念のリニューアルはまだ道半ばである。できれば、2026年のうちにカタをつけたいな、と、ヌルいことを考えている次第。どうかみなさま、今年も引き続きお付き合いください。

 気を取り直して今回の更新は、若かりし日のダグラス・アダムスへロング・インタビューの続き。長くかかったけれど、こちらはこれで完成だ。
 あと、いつものように 「my Profile」コーナーも更新したので、こちらもよろしく。2025年のベスト映画については、『教皇選挙』との二択で迷ったものの、昨年末に起こった香港の高層マンション火災で被災した方々への応援の意味もかねてこちらを選んだ。

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2026.3.7.  リチャード・ドーキンスとダグラス・アダムス

 今回の更新で、ダグラス・アダムス関連人物コーナーのHTML文書をイマドキの仕様に書き直すついでに、リチャード・ドーキンスの著作に出てくるダグラス・アダムスへの言及箇所をきちんとまとめることにした。
 というのも、昨年夏に日本語訳が発売されたリチャード・ドーキンスの新作『遺伝子は不滅である』にも、やはりアダムスの名前が出てきたから。出てくると言っても、実際のところ、割と同じような話が多い(『宇宙の果てのレストラン』に出てくる「本日の料理」とか、『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』のエレクトリック・モンクとか)のだが、ドーキンスの日本語訳もいつしか結構な冊数となり、これほど冊数が増えてくると、咄嗟にどの本のどこで何か引用されていたかなんていちいち憶えていられない(そんなことを把握しておきたいのは私くらいのものかもしれないが、それはまた別の話)。
 ちなみに、私が持っているドーキンスの著作には、栞がたくさんはさまれている。読んでいて作中にダグラス・アダムスの名前を見つけたら、すかさず挟んでおくからだ。なので、巻末に人名索引がついてない本であっても、一から読み直す必要はない。ふふふふふ、正直言って今回の更新ネタは楽勝だね、とか思ってナメてたら、なんのなんの、ドーキンスがアダムスを引用している箇所が思っていた以上に多くて、転記するだけでも結構手こずった。いやはやドーキンス、いくらなんでもアダムスのことが好きすぎるでしょ?!
 ただ、こうして実際に書き出してみると、ドーキンスの著作の翻訳者の方々がいかに丁寧な仕事をなさっているかが見えてくる。先にも書いた通り、ドーキンスが引用しているのは、同じ講演だったり同じ追悼文だったりするのだけれど、先行の訳文をコピペするのではなく、ちゃんとオリジナルで訳されているのだ。それだけに、並べてみるとその違いがよくわかるし、日本語訳に絶対の正解はないのだなとも思う(絶対の間違いならあるけどね)。
 それにしても、決して読みやすいとは言えないドーキンスの文章を、こうして次から次へと日本語で読ませていただけるありがたさよ。カラー図版が含まれているとは言え、『遺伝子は不滅である』(早川書房)の価格が1冊4950円(税込)はなのはいくらなんでも高すぎない?!とか、文句を言ってはいけないね。

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