目次
2008.2.16. 祝・7周年 2008.2.23. 『ドクター・フー』再び 2008.3.1. Randezvous with 42 2008.3.8. 少女マンガになったジーヴス 2008.3.15. アメリカ製SFドラマあれこれ 2008.3.22. 3人目のミスター・スミス 2008.3.29 第6回ダグラス・アダムス記念講演 2008.4.5. デジタルハイヴィジョンレコーダーのある暮らし 2008.4.12. 食料問題について考える 2008.4.19. 『考える人 2008年春号』 2008.4.26. 平行宇宙は存在するのか? 2008.5.3. 本当にファン? 2008.5.10. 『チェブラーシカ』再び 2008.5.17. 七回忌 2008.5.24. PCロス 2008.5.31. Dreamweaver 始動 2008.6.7. 42と言えば 2008.6.14. コールドプレイの42 2008.6.21. セレブリティー・プレイリスト 2008.6.28. ジャガイモを食べたオオカミ 2008.9.6. Cyberduck から Dreamweaver へ 2008.9.13. SFX を手に入れるまで 2008.9.20. 追悼・ジェフリー・パーキンス 2008.9.27. 6作目?! 2008.10.4. ニール・ゲイマンのブログより 2008.10.11. ネットでラジオ 2008.10.18. 『MI-5』 2008.10.25. 『MI-5』再び 2008.11.1. 'City of Death' をDVDで観る 2008.11.8. スティーヴン・モファットのこと 2008.11.15. 売れる雑誌を作るには 2008.11.22. 『ドクター・フー』の敵役から『007』の敵役へ 2008.11.29. 2009年は波乱の予感?
今回の更新をもって、このホームページは7周年を迎えた。
丸7年ですよ、丸7年。小学1年生なら、もう中学2年生だ。よくまあ飽きもせず懲りもせず、それだけの年月をダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの話だけでひっぱり続けたものよ、と、自分でも感心するのとあきれるのが半々くらい、といったところか。
しかし、裏を返せば、こういうことに多大な時間を費やして何の支障が出ない程に、この7年の私の暮らしが平穏無事だったということでもある。物事は、好きだから、続けたいから、といった熱意さえあれば続けられるというものではない。たとえ自分でどんなに気をつけていたとしても、私や私の身内が大病を患ったり、地震や台風のような天変地異に巻き込まれたりと、思いがけない災難は避けようもなくやってくるものだ。そこまでご大層な災難でなかったとしても、仕事の担当が変わって毎日夜遅くまでの残業が当たり前になってしまったら、それだけでもうホームページどころじゃなくなっていたかもしれない。丸7年もの長い間、英語の文献に頭を抱えたり、映画館や劇場に足しげく通ったり、そんなことばっかりにうつつを抜かしていられた私は、何よりまず幸運であった。
そして勿論、これからも自分の幸運を信じて更新を続けるつもりでいる。ここまできたら、できるものなら是非10周年を狙いたいし。ホームページの内容と性格からいって、必ずしも長く続けることに意味があるものではないし、大体7年もやってる割にはこのアクセス数の少なさったらどうなのよ、と言われればそれまでなんだけれど、ま、それはまた別の問題ということで。
ともあれ、今年もよろしくお願いします。
さて、2008年を迎える前に、まずは毎年恒例(?)の「My Profile」コーナーの「2007年のマイ・ベスト」の話。
こんな瑣末なコーナーでも、7年分が揃うとそれなりのボリュームが出るものだね、とひとしきり自画自賛してから気を取り直し、まずは小説のマイ・ベストについて。2007年のベストは、5月に発売されるや否や飛びつくように買って舐めるように読んだ佐藤亜紀の『ミノタウロス』でほぼ確定だったのだが、同じ著者の本は既に2002年に選んでいることだし、なるべくなら違う作家にしたいという気持ちも働いて、年末に読んだこちらに決めた。このページのタイトルをみればあからさまなまでに明らかな通り、私はこの著者のことも随分前から割と贔屓にしている。そして久しぶりの新刊は、私のかなり高めの期待を上回る素晴らしい出来で、そういう意味でも嬉しいったらありゃしない。
映画のマイ・ベストのほうは、この7年の間で初めてベスト3作すべてを英語でない映画が占めた。英語の映画しか選んでいない年も多いことを思えば、ある意味快挙かもしれない。ただ、この3作を選ぶことについては迷わなかったけれど、1位と2位の順位付けにはちょっと迷った。作品としては申し分ないんだがあまりに怖くて気安く観直すことができない映画と、作品としての完成度はさておきあまりに気持ちが良くて何度でも繰り返し観たいと思う映画、どちらを優先したものか? 迷った末、結論から言えば2007年の私は前者の映画を1位に付けたけれど、2008年の私が同じ判定基準を採るかどうかは話が別、ただどちらにせよ今年も「どちらを1位にしたものやら」と真剣に悩んでしまうような作品にたくさん巡り会えますように。
そして今回の更新は、2007年中に片を付けておきたかったけれど積み残してしまった最大の課題、カート・ヴォネガット・ジュニアの追加と、2007年夏にきっちり片を付けたはずの『ドクター・フー』関連の大幅加筆。思わぬところに足をとられて、昨年末に予告していた「お色直し」はほとんど手つかずのまま(とは言え、実際にはかなりのページであれこれマイナー・チェンジを施したのだが、気付いてくれる人は少ないだろうなあ)、2ヶ月の冬休みはあっけなく過ぎ去ってしまった。
ダグラス・アダムスと『ドクター・フー』の関連については、昨年の夏にかなり徹底的に調べた上で、我ながら「ここまで載せるか?」と思うようなことまで書き加えたつもりだった。だから、少なくとも向こう当分、このページを更新する必要はあるまいと思っていた。
なのに、たった半年で大幅に加筆する羽目になろうとは。
2007年8月から、NHK教育テレビで『ドクター・フー』の新シリーズの放送が始まり、今も毎週火曜日に放送が続いている。私は2006年の年末から2007年3月にかけてNHK衛星第2で放送された時に観たし、DVD-BOXも購入済みだから特に気にしていなかったのだが、私のホームページに「ドクター・フー」でネット検索したと思われる方からのアクセスが少しばかり増え、現在テレビで放映中であることの影響力を感じてはいた。
とは言え、私が載せているのは『ドクター・フー』の新シリーズではなく、あくまでアダムスがかかわった旧シリーズの一時期に関することである。それだけに、ネット検索してアクセスしてくれた人の期待に応える内容になっているかどうかは心許ない。ただ、たまに巨大匿名掲示板を覗いてみると、『ドクター・フー』のスレッドの中に明らかに『銀河ヒッチハイク・ガイド』を知った上での書き込みと思われるものが見つかって、「おおっ」と思うことはあった。こういうところに書き込めるくらいだからかなりマニアックな方が多いのだろうが、イギリスのSFコメディ繋がりということで、知っている人は知っているということだろう。ともあれ、昔に比べて確実に日本での『銀河ヒッチハイク・ガイド』の知名度が上がっているようで実にめでたい、と呑気に浮かれていたところ、昨年の12月頃になってその匿名掲示板に「銀河ヒッチハイクガイドっぽいドクター」という書き込みがあるのに気が付いた。
この書き込みは、『ドクター・フー』の「クリスマスの侵略」と題されたエピソードについてのものらしい。私はこのエピソードはNHK衛星第2で放送された時に日本語吹き替えで観て、ホワイトクリスマスが軽いトラウマになりそうな終わり方ってどうなのよと思い、DVDは持っているけれどこのエピソードは見直さないままになっていた。でも、言われてみればこのエピソードではドクターはずっとパジャマとガウン姿だった気がするし、なるほど、そういう意味では「銀河ヒッチハイク・ガイドっぽい」。そこで、12月20日頃、軽い気持ちでDVDをセットし日本語字幕版で観て、クライマックス・シーンでのドクターの台詞、"just Arthur Dent" に初めて気付いて息を呑んだ。
いやもう、驚いたの何のって。
というか、日本語吹き替えでも日本語字幕でも「パジャマ男」になっている(だからNHK衛星第2で観た時には気付かなかった)ため、英語のリスニングに自信のない身としては、最初は本気で自分の耳を疑った。だってこれ、BBCのクリスマス特別番組なんでしょ? しかも、10代目ドクターに扮したデイヴィッド・テナントのお披露目の回でもあるんでしょ? そこで、敢えて他のSFコメディの主人公の名前を言わせるか、普通??
3回巻き戻して確認し、それでも確信が持てなくてネット検索し、ようよう私の聞き間違いでも幻聴でもないことに得心してから、改めてあまりの羨ましさに脱力する。要するに、イギリス本国では、大人だけならともかく小さい子供も観ることを前提としたゴールデンタイムの家族向けのドラマで、唐突に主人公が「アーサー・デント」の名前を出しても視聴者を置いてきぼりにしない、と判断されたってことだよね? 日本じゃ絶対ありえない、っていうか、現に日本語吹き替え版でも字幕でも「アーサー・デント」はなかったことにされているし!
確かに、このエピソードがイギリスで放送されたのは、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が公開されてから約半年後のことだった。そりゃイギリスでの映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の興行収入はかなり良かったけれど、でも『銀河ヒッチハイク・ガイド』が約1ヶ月かかって稼いだ興行収入の2倍以上の額を、1ヶ月遅れで公開された『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』がたったの1週間で叩き出したのも事実だ。また、私が映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』を公開第1週目の日曜にロンドンの映画館で観た時の感触では、客層は決して「家族向け」ではなかったし、それを言うならそもそも『銀河ヒッチハイク・ガイド』の内容はちっとも「家族向け」ではない。それでも、イギリスでは『銀河ヒッチハイク・ガイド』も「アーサー・デント」もすっかり定着していて、たとえ小説や映画に直接触れたことがなかったとしても、名前くらいは子供でも知っていて当然と見なされているのだ。あああ、何て羨ましい。
羨ましくてひとしきり身悶えした後、ふと考えた。2005年12月25日に「クリスマスの侵略」が放送され、2006年にもやはりクリスマス特別番組が放送されたらしいが、ということは2007年12月25日にも何かやるのかな? で、BBCの公式サイトをみると思った通り、'Voyage of the Damned' とかいうのを放送するという。そこで、本当に軽ーい気持ちで、YouTube でこの特別番組の予告映像をチェックしてみたところ――こ、こ、これって「宇宙船タイタニック」じゃん!!
……あのう、つかぬことを伺いますが、10代目ドクターの裏テーマは『銀河ヒッチハイク・ガイド』なんでしょうか? さらに調べを進めると、'Voyage of the Damned' の他にも、日本ではまだ放送されていない第3シーズンの中に、'42' なんてタイトルのエピソードまで見つかったんですけど……??
ううう、観たい、ものすごく観たい。日本では今のところ新シリーズの第2シーズンまでしか放送していないしDVDも出ていないけれど、何とか第3シーズン以降も日本で放送してくれないものか。根性と英語力があればイギリスで発売されているDVDを購入してPCで観ることも可能だが、それは本当の最終手段ということで、どうかお願い、私に「宇宙船タイタニック」と「42」を、日本語吹き替え&日本語字幕で観る機会をお与えください。
気を取り直して今回の更新は、やはりイギリスSFの話。といっても、コメディではなくシリアスなSFを書く作家、アーサー・C・クラークについて。
アーサー・C・クラークのSF小説の中に「42」のジョークが出てくることは、2005年、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のUK版公式サイトにある「Fact」コーナーを見て初めて知った。さすがダグラス・アダムスのお膝元、私も初耳なくらい濃くてレアな情報が並んでいて凄い、と感心したものだ。
そのUK版から数ヶ月遅れで製作された日本版公式サイトにも、UK版と同じフォームを使った「Trivia」コーナーはある。が、わざわざ「Fact」から「Trivia」に名称変更している割には、肝心の中身の方はストーリー紹介レベルの内容にすげ替えられていた。淋しいけれど、仕方がない。『銀河ヒッチハイク・ガイド』という言葉自体を初めて目にした人たちに向かって、いきなり「クラークの小説にも42が」とか言ったって通じるはずもないのだから。
ま、何はともあれクラークの小説に「42」が出てくると分かったからには、是非とも読まねばならない。幸い、クラーク作品はほとんど翻訳されているから、ここに出ているジェントリー・リーとの共著 Rama Revealed とやらだって、きっと日本語で読めるだろう。タイトルから察するに、私がはるか昔に読んだ『宇宙のランデヴー』(Randezvous with Rama)の続編と思われるが、書店のハヤカワSF文庫のコーナーには確か、『宇宙のランデヴー2』とか『宇宙のランデヴー3』とか『宇宙のランデヴー4』とか、ずらずらっと並んでいたはず。残る問題は、Rama Revealed が『2』か『3』か『4』のどれなのかということだ。
で、その答えがよりにもよって最後の『4』だと分かった時には、正直言って気が遠くなった。1作目の『宇宙のランデヴー』はそんなに分厚くない文庫本1冊だから読むのも苦ではなかったけれど、『2』以降はどれも上・下2巻、1作目の倍以上のボリュームがある。ということは、『4』の「42」にたどり着くまでに、計6冊も走破しなくてはならない。クラークの作品はSFが苦手な私にも比較的読みやすくて、『宇宙のランデヴー』もそこそこおもしろく読んだ記憶はあるけれど、それでも内容は今ではほとんど忘れてしまったし、だとしたらきちんと筋を追って読むのなら、『2』の上巻からではなくまた1作目から始めなくちゃいけないってこと?
申し訳ないが、さすがの私もそこまでは付き合い切れません。
ということで、私は不埒にも『2』も『3』も飛ばして『4』から始めることにした。クラーク・ファンの皆様には申し訳ないが、『4』の冒頭には『3』までの概略が付いているので、強引に読んで読めないことはない。しかし、あまり適当に読み飛ばして肝心の「42」を見過ごしてしまっては元も子もないから、そこそこ丁寧に文章を追っていく必要はある。まだかな、まだ出てこないかな、と、ストーリー展開とは別次元のわくわくを感じながら上巻を読み終わり、下巻の半ばを過ぎる頃からだんだん不安を感じ始め――そして最終ページまでたどり着いたものの結局「42」を見つけることができなかった時に私が受けた、精神的ダメージの大きさときたら。
UK版公式サイトの「Fact」がガセネタだったってこと? あるいは、翻訳者が「42」では日本人には通じまいと考えて意訳してくださった、とか?
考えられるとしたら、断然後者である。でも、それを確認するためには原書の Rama Revealed を手に取るしかない。日本語で読むだけでも気息奄々だというのに、何が悲しくて英語でクラークを読まねばならんのだ、これってひょっとして『2』と『3』を飛ばして読んだバチなのか?
しかし、たとえ原書に当たらざるを得ないとしても、まだ一抹の光明はあった。例のUK版公式サイトによると、Rama Revealed に「42」が出てくるのは、主人公が宇宙の存在理由を知らされた後だという。だとしたら、日本語で読んである程度の目星をつけ、原書についてはその該当箇所をチェックするだけで見つけることができるんじゃないか。でも、そうなると今度はたったそれだけのために Rama Revealed を購入するのが億劫になる。必要なページをちらっと立ち読みするだけで十分なんだけどな、何とならないものかなあ、と、ぐだぐだ考えているうちに約2年の月日が流れ、偶然先月になって、都内のしかるべき場所でしかるべき手続きを取ればこの本が閲覧可能なことを知ったのだった。いやほんと、東京って凄いわ。
かくしてめでたく Rama Revealed に「42」を発見し、前回の更新となった次第だが、それにしても『宇宙のランデヴー4』では「42」が「グーテンベルク聖書」と訳されていたとはね。どうやら当時の訳者の方は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』をご存知なかったらしい。訳者の苦労がしのばれる、と言うべきか、それとももっと率直に、「おかげで余計な手間がかかったじゃないか!」と言うべきか、さて。
そして今回の更新は、クラークと一緒に『宇宙のランデヴー』の『2』と『3』と『4』を執筆したジェントリー・リーについて。合わせて、『宇宙のランデヴー』でネット検索していてたまたま見つけた、イギリスの科学雑誌 New Scientist の読者が選ぶ、好きなSFアンケートの結果も追加した
スティーヴン・フライがポッドキャストを始めた、という。"Broken Arm" と題された第1話目は、2008年1月にテレビ版『最後の光景』の撮影でアマゾンを訪問していた際に腕を骨折した話らしい。
という訳で、噂にはきいていたけれどこれまで敢えて試してみる機会がなかったポッドキャストなるものを、私はこのたび初体験した。試してみれば、iTune のおかげでとても簡単、何とも便利な世の中である。悲しむらくは、せっかく約25分に亘ってスティーヴン・フライが話しているのを無料で聴くことができるというのに、私の英語リスニングの集中力が長くもたないということ。こればっかりは、そんじょそこらの技術革新では如何ともしがたい。
ともあれ、1日も早いご回復をお祈りします。テレビ版『最後の光景』のみならず、テレビ番組への出演やら映画の脚本執筆やら、相変わらず多忙を極めていらっしゃるようだけれど(と言うか、彼が2003年に監督した映画 Bright Young Things が、日本ではビデオリリースもされてないのはどういう訳よ?)、どうぞご無理をなさいませんよう。
そのスティーヴン・フライがかつて主役を務めたこともある、P・G・ウッドハウスのジーヴス・シリーズは、2005年頃から続々と日本語に翻訳され、現在も国書刊行会で数ヶ月に一冊のペースで新作が出版されているが、先日ついに少女マンガ版まで登場した。
2008年2月28日発売の『メロディ』4月号から連載が始まる、というので私も早速買ってみることに。普段の私は徹底した単行本派で、どんなジャンルであれ雑誌は滅多に買わないが、日本国内におけるP・G・ウッドハウス普及活動の一環として、今回に限っては話が別だ。
恐らく生まれて初めて買った少女マンガ雑誌をほくほく気分で家に持ち帰り、腰を据えて最初から最後まで読んでみたところ、これが意外なくらいくたびれた。雑誌ではなく、普段よく読むコミックスだったら、10冊やそこらを一気読みしたって疲労感なぞ微塵も感じないのに、だ。ええい、この差は一体何なのよ、と考えてみるに、コミックスと違って描き手と作品が数十ページでコロコロ変わる雑誌では、一つの作品世界から次の世界へとめまぐるしく頭を切り替えねばならず、どうやらそれが私にはストレスだったらしい。短編集のように一つ一つの作品が完結しているならまだしも、ほとんどが連載途中の長編とあっては、私には入り口も唐突なら出口も唐突な感じがして、その変わり目ごとにいちいち引っかかる。要するにどこまでも雑誌慣れしてないってことで、何だかとんだ田舎者になった気分だ。
それはさておき、お目当ての『プリーズ、ジーヴス』はとても感じが良かったのでほっとした。マンガだけは、いくら出来が良くて時代考証が完璧だったとしても、絵柄や線そのものを好きになれなければどうしようもない。良し悪しではなくあくまで単なる個人の趣味の問題なのだが、それだけに今回初めて目にした勝田文氏の線が私の好みに合っていて本当に良かった。さらに、雑誌には国書刊行会でウッドハウス作品を翻訳されている森村たまき氏の作品解説エッセイもついていて、これだけでも不慣れな雑誌を買って読む値打ちは十分にあったとも思う。
実を言うと、私は『プリーズ、ジーヴス』というタイトルを耳にして以来、「え、バーティはジーヴスに対して 'please' とは言わないんじゃないの?」と密かに疑問に思っていた。でも、本職の翻訳家の方がこのタイトルにゴーサインを出されているのだとすれば、素人の私がやきもきする必要はない。やれやれ、そういう意味でも一安心だ。
ともあれ、雑誌を読むのはやっぱり疲れるから、今後は『プリーズ、ジーヴス』のコミックスが刊行されるのを気長に待つことにする。『メロディ』は2ヶ月に1冊のペースで刊行される雑誌なので、コミックス1冊分の原稿が完成するまでには随分と時間がかかりそうだけれど、私は待つのは慣れているし(と言うか、ニール・ゲイマンの『アメリカン・ゴッド』はまだ?)。ただ、晴れてコミックス化の暁には、森村氏のエッセイももれなく収録されるといいな。
気を取り直して今回の更新は、前回の New Scientist の読者アンケートに続き、今度はイギリスの大手書店チェーン、ウォーターストーンによる愛読書調査を追加する。ま、参考までに。
前回と前々回の更新で新たに追加した、New Scientist とウォ−ターストーンによる2種類の愛読書調査は、どちらもイマイチ調査方法や基準が曖昧で、信憑性に欠ける気がする。特に前者。だったら載せなきゃいいじゃん、と言われればそれまでだが、でもせっかく見つけたものを無視するのもしのびなくて、やっぱり紹介することにした。
信頼度の問題はさておき、私はこの手の調査をみて、上位の作品の中に自分がまったく知らないものが入っていると少しばかり口惜しくなる。もっとも、もはや「若い」とは言えない歳になったせいもあり、本や映画に関する調査なら、読んだり観たりはしてなくてもタイトルくらいは知っていることがほとんどで、昨今では実際に「え、何これ?」と思うことはあんまりない。
それだけに、New Scientist 読者が選ぶ好きな宇宙SFアンケート結果の1位から3位まで、そのすべての作品がまったくの初耳だったのは意外だった。意外すぎて、口惜しいを通り越して「調査方法とか統計方法とか、いろいろ間違ってるんじゃないの?」と訝しんだくらいだ。もっとも、New Scientist という雑誌の実物を拝んだこともない私が知らないだけで、この雑誌には最近製作されたアメリカのSFテレビ・ドラマの話がしょっちゅう登場しているのかもしれないし、またそれらは実際に観てみれば案外おもしろいのかもしれない。
でも、だからってそれだけの理由でわざわざDVDをレンタルしてまで観る気はしないよなあ――と思っていた矢先、2位の『セレニティー』と5位の『バビロン5 次なる非常事態』がWOWOWで放映されることに気が付いた。ほほう、ちょうどいい機会だ、だったらものは試しで観てみようじゃないの。
くどいようだが、WOWOWで放映された『セレニティー』も『バビロン5 次なる非常事態』も、あくまで長編テレビ・ドラマの続編として製作された映画版である。当然ながら、オリジナルのドラマのほうを観ていないせいで、作品の設定とかキャラクターに馴染みのない者にはおもしろさが伝わりにくい。ということは分かっている。分かっているがしかし、そういう事情を最大限考慮に入れたとしても、どちらの作品ともそんなに斬新な出来だとは思えない。この程度なら、定番の『スター・トレック』とかがもっと上位に入ったって良さそうなものだ。何だか、ますます New Scientist の調査方法や統計方法が訝しく思えてくるではないか――いやいやいや、それとももはや「若い」とは言えない年齢になった私には、イマドキのSFドラマの良さが理解できないだけなのかもよ?
ま、何はともあれ、『セレニティー』とか『バビロン5』を愛する世代にも、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の良さだけは伝わっているようなので、良しとしよう。結局のところ、私にとって肝心なのはこの一事だからね。
気を取り直して今回の更新は、またまた新顔のSF作家、マイケル・マーシャル・スミスを追加した。2008年に入ってこのかた、何か妙にSFづいているなあ。
前回の更新で追加したマイケル・マーシャル・スミスは、私が作っているダグラス・アダムス関連人物一覧の中で、ケヴィン・スミス、マーティン・スミスに次ぐ三人目のミスター・スミスになる。いくら英米ではよくある名字とは言え、3人も揃うって多いよなあ、と思ってから気がついた。あ、考えてみればミスター・ジョーンズも、ピーター・ジョーンズ、サイモン・ジョーンズ、テリー・ジョーンズと、とっくに3人揃っていたか。
閑話休題。マイケル・マーシャル・スミス本人に話を戻すと、私が彼の名前を初めて意識したのはM・J・シンプソンによるアダムスの非公式伝記本を読んだ時のことである。その何年も前から、スミスの長編小説は何冊も日本語に翻訳され出版されていたのだが、まったく知らなかった。翻訳小説好きとしては、不覚だ。
ともあれ、スミスの翻訳小説のうち、まずはアダムスも読んでいそうな本を選んで読んでみることにした。スミスが処女長編小説『オンリー・フォワード』を出版したのが1994年で、『ダーク・ジェントリー』のテレビ・ドラマ脚本家候補としてアダムスと初めて直接会って話したのが1997年11月。マイケル・マーシャル・スミスの名前を脚本家候補に最初に挙げたのが誰だったのかは知らないけれど、アダムスがその提案を受け入れてスミス本人と会う気になったのだとしたら、その前の年に出版された『スペアーズ』に目を通した可能性が高い。
ということで、早速『スペアーズ』を図書館で借りて一読してみたところ、意外なくらいおもしろかった。「意外」と言っては失礼かもしれないが、でも「金持ちが病気や怪我に備えて自分のクローンを作り、必要に応じてスペアとして活用する、ディストピアな近未来SF」という手垢まみれな設定からは想像もつかないくらい、語りにユーモアのセンスがあって読んでいて楽しい。また、おかしなアイディアやガジェットが次々と登場したかと思うと、それらが後になって思いもかけない形でストーリー展開に色を添えたりもする。なるほど、これは悪くない。『ダーク・ジェントリー』のテレビ・ドラマ脚本家候補に選ばれたのもむべなるかなだ。
なお、2005年にマイケル・ベイ監督の映画『アイランド』が公開された時には、この映画が『スペアーズ』のパクリだという非難の声が一部では上がったらしい。私は『アイランド』はWOWOWで放映された時に観たけれど、どこが『スペアーズ』に似ているのかよく分からない。そりゃ、ドナーとして飼育されたクローンが脱走するという大枠のストーリーは同じかもしれないけれど、それを言うなら1993年から連載が始まった清水玲子の少女マンガ『輝夜姫』だって全く同じ。こんなの、SFにおけるタイムマシンとかアンドロイドのようなもので、いちいちオリジナリティを主張する程のものではないと思うし、そもそも『スペアーズ』のおもしろさの肝となっているユーモアのセンスは、アクション主体の『アイランド』にはまったく反映されていなかったとも思う。大体、『スペアーズ』をパクって映画に仕立てるなら、空飛ぶ超高層ビル(ショッピング・モール付き)だけは外せないでしょ、絶対。
さて今回の更新は、マイケル・マーシャル・スミス同様、ケンブリッジ大学でフットライツに参加していたクライヴ・アンダーソンを追加。イギリスでは、多くのテレビやラジオの番組に出演していてとても有名な人みたいだけれど、日本語で「クライヴ・アンダーソン」とネット検索しても、現時点では1件もまともにヒットしなかった。追伸・上記の文章を書いた後になって、アーサー・C・クラーク氏の訃報記事を目にした。2008年3月1日付の同コーナーにも書いた通り、私は氏の作品の熱心な読者ではなかったが、『海底牧場』や『幼年期の終り』や『宇宙のランデヴー』など、学生時代におもしろく読んだことを記憶している。
今頃、クラーク氏の魂は宇宙とランデヴーしているのだろうか。地球の表面にへばりついて生きている者の一人として、ご冥福をお祈りします。
先週の木曜日から土曜日までの3日間、東京・阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷にて第8回ラピュタアニメーションフェスティバルが開催されていた。が、私は結局行けずじまい。2004年にノルシュテインが『イワン雷帝』について語った時の録画映像が上映されるというので気になっていたのだけれど、阿佐ヶ谷は遠かった。残念。
行けなかったと言えば、3月12日にロンドン・王立地理学協会で開催された第6回ダグラス・アダムス記念講演。今回の講演者は私としてはどうにも好きになれないスティーヴン・ピンカーだから、ピンカーの姿を生で拝みたいという気持ちはさらさらないけれど、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年記念ということで、今回は特別にラジオ・ドラマのオリジナル・キャストたちが勢揃いしてドラマの一部を再現するとのこと、しかも、故・ピーター・ジョーンズに代わるナレーター役として秘密のスペシャル・ゲストが登場するとのことで、こっちは猛烈に気になる。気になるけれど、ロンドンはあまりに遠く、英語の壁はどこまでも高いため、自分でチケットをネット購入して参加しようかと血迷うことはさすがになかった。
わざわざ自分で乗り込むまでもなく、そのうちきっと誰かがネットやブログにアップしてくれるだろうと踏んでいたせいもある。実際、過去の講演についてはネットで検索すれば写真や記録や感想を見ることができるし、中でも昨年開催された第5回の記念講演については、きちんと編集された5,6分の映像が YouTube にアップされていて、現場の様子がすごくよく分かる。何せ、単に講演の映像だけでなく、講演開始を待っている人たちとかグッズ売り場とかオークションとか、さらには主催者たちへのインタビューまでついていて、たとえ英語がろくに聞き取れないとしても、現場の空気感がびしびし伝わってくるのだ。前回の更新で追加したクライヴ・アンダーソンの姿も、この映像で確認することができる。ついでに言うと、この映像を見たおかげで、今の私が金にモノを言わせて無理矢理参加したとしても、ものすごく場違いでものすごく気まずい思いをしただろうなあとも思った。
という訳で、講演が終了した3月13日以降、第6回記念講演についてさんざんネット検索をした挙げ句ようやく講演会の模様を書いたブログを見つけ、チケットはソールドアウトだったこと、ピンカーを紹介する係としてジョン・ロイドが登場したこと、そして秘密のスペシャル・ゲストがジェフリー・パーキンスだったことを知る。うひゃあ、これは確かにスペシャルだ――と私は思わず飛び上がったけれど、え、やっぱりマニアックすぎか?
さらにそのブログによると、当日の模様はテレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』のメイキングを作ったケヴィン・デイヴィスが撮影していたとのこと。ということは、YouTube かどうかは分からないけれど、そのうち何らかの形でネットにアップされるにちがいない。いやほんと、有難い時代になったものよ。
そして今回の更新は、若かりし日のアダムスとロイドが製作を担当し、前回追加したクライヴ・アンダーソンが脚本を手掛けたラジオの特別番組「ブラック・シンデレラ2」と、その番組で音楽を担当したナイジェル・ヘスについて。アダムスとヘスの意外な関係には、私は結構びっくりした。
2008.4.5. デジタルハイヴィジョンレコーダーのある暮らし
2005年5月14日付の同コーナーにも書いた通り、私がデジタルハイヴィジョンレコーダーを購入してから早いものでもう丸3年が過ぎた。今では日々の暮らしになくてはならない必需品と化し、リアルタイムでテレビを観るよりも録画してから観る時間のほうが圧倒的に長くなったような気がする。
しかし、デジタル番組表を見て少しでも気になるものはとりあえず録画しておく、というのが習慣となると、結局観ないまま削除する番組も多くなる。これってまさに、"Dishwashers washed tedious dishes for you, thus saving you the bother of washing them yourself, video recorders watched tedious television for you, thus saving you the bother of looking at it yourself." (Dirk Genlty's Holistic Detective Agency, p. 3) 状態だよねえ、でもハードディスクの容量に限度がある以上、「そのうち観るさ」と思っていつまでも残しておく訳にもいかないしねえ、などと悩みつつ、それでも1年以上前に録画したきりほったらかしているくせに未だに削除しかねるものもあったりする。
映画『ラヴェンダーの咲く庭で』もまた、私のHDDの中で長きに亘って眠り続けていた未見作品の一つだった。何せクラシック音楽にはてんで疎いものだから、ジョシュア・ベルのヴァイオリンと言われてもその有難みが全然分からない。それでも、主演を務める二人のベテラン英国女優は私も好きだし、ついでにミリアム・マーゴリーズも出ている、やっぱり観ないまま消してしまうのはもったいない、ということで先月中旬、重い重い腰を上げてようやく観た。
予想通り、私好みのストーリーではないものの、主演二人の演技は素晴らしかったし、ジョシュア・ベルのヴァイオリンも、どう凄いのかよく分からないなりに「ほほう」と感服できた。ま、とりあえず消さずに観てよかったな、と思いながらエンドクレジットを眺めていて、不意に登場した「Music: Nigel Hess」の文字に首をかしげる。え、この映画で流れていたヴァイオリン曲って、定番のクラシック音楽か何かじゃなかったの? それとも、私が知らなかっただけで実は Nigel Hess って人がこの映画のために作曲したオリジナル曲だったのか、ひょっとして?
……それから約1週間後。クライヴ・アンダーソンが脚本を担当したラジオ番組「ブラック・シンデレラ2」について調べていて、そこに他でもない Nigel Hess の名前を発見した時の驚きときたら。ましてや、ヘスがフットライツ出身で、しかもアダムスとは同期で、おまけにケンブリッジ大学を卒業してからお互いい仕事がなくて困っていた一時期にはフラットを共有する仲だったなんて!
あ、いや、確かにアダムスの公式/非公式伝記にもヘスの名前はちゃんと出ているので、本当なら今さら驚くようなことではない。ないのだがしかし、ナイジェル・ヘスの名前を私はまるっきり知らなかったものだから、読んでも全然ピンとこなくてスルーしていたのだ。いやほんと、情けないったら。
ま、何はともあれ、『ラヴェンダーの咲く庭で』に関してはデジタルハイヴィジョンレコーダー任せにせず自分で観て正解だったということで、善哉。
そして今回の更新は、長らく中断していた『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の続き。決して、忘れていた訳ではありません。それどころか、喉の奥に刺さった小骨のようにずっと気になっておりました。
最近、食料品の値上げが相次いでいる。その背景にある原油高もさりながら、それ以上に小麦やトウモロコシといった原材料の値段の高騰が私には気がかりだ。近年の日本の食料自給率はものすごく低いし、何より私個人の食料自給率はゼロだから、万が一にも本格的な食料危機が起ころうものなら、なすすべもなくうろたえるばかりの自分の姿が目に浮かぶ。
という訳で、前回追加した『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第10章、「meat with a clean conscience」の内容はいつになく興味深かった。それにしても、結局誰からも試食されないままに終わった、金魚の培養肉で作ったフライって一体どんな味だったんだろう。とは言え、たとえ金魚フライが油で揚げられた瞬間に立ち会っていたとしても、「最初の一口」を試す勇気が私にあったかどうか。ましてや肉の培養過程をも目の当たりにしていたとしたら、きっと腰が引けてしまったに違いない。
もっとも、得体の知れない培養肉でなくても、普通に市販されているチキンナゲットですら、その製造過程を一度テレビで見て以来、口にするのが恐ろしくなった。知らなければ平気だけど、知ってしまったらもうアウト、混ぜ物って怖い。だから、ウラジミール・ミロノフが何と言おうと、私は自宅に自動ソーセージ培養マシンなんか置きたくないぞ。
しかし、何もそうまでして動物性タンパクにこだわらなくても、大豆タンパクを精進料理やマクロビオテックの手法を駆使して加工すれば、そこそこの味の肉もどきが作れそうなものだ。思い起こせばはるか昔、自由が丘の自然食系レストラン「オープンセサミ」で食べた豆腐素材の肉料理もどきは、少なくとも私の舌には十分もっともらしい味だった。大体、本物の肉ばかり食べるよりも、そのほうが健康にも良さそうだし。
問題は、普段の食事として摂るには、調理に手間と時間がかかりすぎることだろうか。私としては三食完全自炊が理想で、なおかつその三食の準備に十分時間をかけられれば申し分ないのだが、現実の生活の中ではなかなかそうもいかない。ま、私の場合、調理の時間のみならず、料理の腕もないんだけれど。
そうそう、問題と言えば、遺伝子組み換え食品の問題もあった。『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の著者マイケル・ハンロンに言わせれば、遺伝子組み換え食品を疑問視するのは非科学的な態度らしい。それでも私は、納豆や油揚げを買う時には「遺伝子組み換え大豆は使っていません」の表示のあるものを選ぶ――と言うか、納豆に関してはこの表示のついてない製品をまだ見つけたことがない。やはり日本人にとっては、納豆は「譲れない一線」なんだろうか。
ただ、そうは言っても、完全に密封された空間で育てられているならともかく、屋外で遺伝子組み換え実験済みの植物を育てられた日には、いつの間にか世界中に人為的に書き換えられた遺伝が蔓延するんじゃないかという気もする。勿論、それが何らかの大災害の直接の引き金になるとは私とて考えてはいないけれど、遺伝子の書き換えに限らず、技術的に可能だからという理由でいろんなことがなしくずし的に既成事実となっていくのは、あまり気持ちの良いものではないと思う。
……いつしか話が食料問題から外れてしまったけれど、気を取り直して今回の更新は『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第11章。そろそろ、最終章が射程圏内に入ってきた。
先日、ふらっと立ち寄った書店で平積みされた『考える人 特集 海外の長編小説ベスト100』という雑誌を見つけた。
へええ、くらいの軽い気持ちで手に取ってみたところ、ベスト100の選出は129名の日本の識者やライターの投票によるものらしい。そしてその投票を集計した結果、1位はガルシア=マルケスの『百年の孤独』になったらしい。
ふーん。『百年の孤独』、私も一応読んだことあるけどさ、ラスト1行の格好良さを堪能するためだけでも頑張って読み通すだけの価値があると思ったけどさ、そんなにも日本で人気があるとは知らなかったな。あ、でも、つい最近マルケスの作品集が新潮社から出版されていたっけ、自分では一冊も読んでいないからすっかり忘れていたよ、っていうかこの『考える人』って雑誌、新潮社から出ているんじゃん、127ページにはその「ガルシア=マルケス全小説」の宣伝まで載ってるじゃん――などと、くだらないことを考えながらパラパラと立ち読みを続けていたら、「各国のベスト100、ベスト50」を紹介するコーナーに出くわす。そして、そこにラドクリフ大の学生が選んだ「20世紀の英語小説ベスト100」を見付けるや否や立ち読みを止めて、雑誌を手にレジに向かった。
いやはや、よもや2008年にもなって、1999年に作成されたベスト100のリストを日本語の活字で目にする機会があろうとは。家に持ち帰ってから、その他のインタビューや座談会のページも丹念に目を通してみたが、さすがに117ページに掲載されたリストの72位に挙がっている他には、残念ながら『銀河ヒッチハイク・ガイド』は一切取り上げられていなかった。
まあね、期待するほうが間違っているとは自分でも思うけれど。何たって、新潮文庫の『銀河ヒッチハイク・ガイド』は絶版になって久しいし――って、そういう問題じゃないよな、きっと。ついでに、どうせイギリスのベスト100を載せるなら、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が選ばれていないオブザーバー紙のリストじゃなくて、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が4位になったBBCの「The Big Read」にしてくれればいいのに、とも思ったけれど、この雑誌の特集記事の方針は、あくまで一般投票じゃなくて識者による選出なのだから、「The Big Read」を期待した私のほうが間違っているよな、絶対。
間違いついでに、私がこれまで載せていたラドクリフ大選のリストでは Schindler's List が『シンドラーのリスト』になっていたけれど、『考える人』と照らし合わせてみて、これは『シンドラーズ・リスト』の間違いだったと気付く。ううむ、映画と本では邦題が違っていたのか。
念のため他の本についてもチェックしてみたところ、案の定あれこれ私の入力ミスが見つかり、慌てて訂正する羽目に。ううむ、さすが新潮社の校正はプロの仕事だ――って、単に私がいい加減なだけか、やっぱり?気を取り直して今回の更新も、引き続き『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』より。ったくパラレル・ワールドってヤツは、SFのアイディアとしては分かるけれど科学理論としてはどうにも分からん。
並行宇宙は存在するのか?
この問いに対する答えは、宇宙物理学の計算式によって導き出される、はずである。ということは、高校1年のゴールデンウィーク前に数学という科目を放り出したきりの私には、到底理解する術はない。ましてや、物理学者がかざした計算式に反駁するなど無限不可能性の領域であり、要するに何が言いたいのかというと、並行宇宙が存在するのか否かの問いに対して未来の宇宙物理学者がどういう結論を出そうとも、哀れな私はそれを鵜呑みにするしかないということだ。
以上の前提を踏まえた上で、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』第12章を読んだ私の感想は、「並行宇宙は存在したらいいな」である。宇宙は今我々が生息している一種類しかない、というよりも、無限の並行宇宙が同時多発的に存在している、と考えるほうが夢や希望があって楽しいじゃないか、と思う。
……並行宇宙を真面目に研究なさっている科学者の皆様、ものすごく非科学的な感想ですみません。これだから素人は困る、ですよね、きっと。
でも、2008年4月20日の朝日新聞朝刊の書評欄で、ポール・『タイムマシンをつくろう!』・デイヴィスの『幸運な宇宙』という本が取り上げられているのを見つけて、「あ、デイヴィスの新刊だ、今度書店に行ったらチェックしてみよう」と思えるようになっただけでも、私にしてはたいした進歩だと言いたい。英語も科学も心許ないながら、昨年の夏から今日まで『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の概要をだらだらとアップし続けてきた結果、一年前の自分と比べて科学についての知識、もしくは興味だけはかなり増えたと思う。
科学に対する好奇心や探究心が膨らむのは、無論、良いことに違いない。ただ、そのせいで読んでみたい本、気になる本が累積的に増えてしまい、休日も家に立て籠もって「読まねばならぬ」本とにらめっこしてばかりでは、つい運動不足になりがちである。で、たまに反省して、「少しは身体を動かさないと」としぶしぶ家を出て向かう先はと言えば、大抵いつも近所の本屋、というのも何か間違っているよな、絶対。そして今回の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第13章――ではなく、先に進む前に並行宇宙に関する一般向けの科学本を出している理論物理学者、ミチオ・カクを追加する。第12章をまとめるにあたって参考になればと、たまたま手に取った彼の著書『パラレルワールド』が大当たりだったのだが、こういうことがあるからますますもって本屋通いや図書館通いが止められない。
それから、『銀河ヒッチハイク・ガイド』をもじったディズニーの短編アニメについて、最新ニュース欄に追加した。何でも、アメリカ側から日本の製作スタッフに指示を出して、わざわざそういう台詞を入れたそうな。実際にアニメを観た日本人の何割に通じたかはさておき、この手のささやかな『銀河ヒッチハイク・ガイド』への言及は、私としてはやっぱり嬉しい。
このアニメに関する情報を私にメールでくださった方、どうもありがとうございました(本当は返信メールでお礼を申し上げたかったのですが、うまく送れませんでした)。
『パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ』には、『銀河ヒッチハイク・ガイド』と『宇宙の果てのレストラン』からそれぞれ一カ所ずつの引用がある。一度ならず二度までもというからには、著者のミチオ・カクはダグラス・アダムスのファンと考えて間違いあるまい、と言いたいところだが、この本は、一般読者の理解と注目を深めるべく、『スター・トレック』とか『ターミネーター』とか『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『マトリックス』といった有名どころから、『タウ・ゼロ』とか『スターメイカー』といったシリアスなSF小説まで、さまざまな作品が紹介されている。そのため、「二カ所だから」というだけの理由でカク教授をアダムスのファンと決めつけるのは、いささか早計という気がしないでもない。
そこで、翻訳されているミチオ・カクの他の本を何冊かあたってみたものの、残念ながら私の調べた限りではアダムスのアの字も見つからなかった。でも、せっかく見つけた1冊を紹介しないのもなんだし、まあいいか、ということで、前回の更新と相成った次第だが、更新から数日後、未練たらしくネットでうだうだ検索していて、イギリスの『テレグラフ』のサイトに掲載されていたカク教授へのインタビューにたどりつき、この記事の中に私が欲しかった答えを見つけた。'He is a fan, it turns out. Met the author once.'――そうよ、これこれ、私はこの一言が欲しかったんだ!
という訳で、今回の更新では、早速この記事のことをミチオ・カクの紹介内容に追加した。『テレグラフ』のインタビュー記事は、2008年3月に発売されたミチオ・カクの新刊 Physics of the Impossible が発売されたことを受けて行われたもののようだが、いやはやこれまた『銀河ヒッチハイク・ガイド』からの引用が見つかったとしてもちっとも不思議ではないタイトルである。気にはなるけれど、発売されてまもない本だからか、amazon.com のとびきり便利な「なか見!検索」機能はついていない(ちなみに、『パラレルワールド』の原著 Parallel Worlds にはこの機能がついていたので、「SFパロディ」という訳語の元が 'spoof' だったことが簡単に分かった。ったく、何て有難い)。かくなる上は、今度都心に出かけた折に、忘れず大型書店の洋書売り場で探してみよう。インターネット書店におされて、近頃は丸善や紀伊國屋のような老舗ですら洋書の売り場面積がどんどん縮小されているけれど、それでもこの本なら入荷されて新刊コーナーに並んでいてくれそうな気がする――って、買って読む気もないのに我ながら図々しい期待だよな、書店にお勤めのみなさま、すみません。その代わりと言ってはなんだが、私は日頃どんな雑誌も書店以外の場所では絶対買わないことにしていますので、何とぞ大目にみてやってください。気を取り直して今回の更新は、ミチオ・カクの加筆だけでなく、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第13章も追加した。
これで、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』も残すところあと1章のみ。これまで長く険しい道のりではあったが、本当にもうじき終わるとなると、やっぱりちょっと寂しいものだ。
それから、かなり久し振りにノルシュテイン関連の最新ニュースをまとめて3つばかり追加。「関連」と言え、どちらもあんまり直接的に関連している事柄ではないけれど、ノルシュテイン作品に興味のある人はチェックしておいたほうがいいことだと思うので、よろしければ足をお運びください。いやほんと、ソビエト時代のアニメーションだの絵画だのが、日本でこんなに大々的に喧伝される日がこようとはね。
今年7月、若き日のノルシュテインも製作に参加していた、ソビエト・アニメ最高の人気作『チェブラーシカ』が、スクリーンに甦る。めでたい限りである。数十年前の社会主義国家体制下で製作されたものだろうと、いいものはいいのだ。これを機にカチャーノフ作品のファンが一人でも増えてくれれば申し分ない。
が、しかし。2001年に『チェブラーシカ』がミニシアターで限定上映された時は、「チェブラーシカ ジャパン」という小規模な組織(というかほとんど個人?)による配給だったのに、今度は三鷹の森ジブリ美術館が配給を手掛けるという。私の手元にあるチラシによると、「提供:三鷹の森ジブリ美術館/スタジオジブリ/日本テレビ/ディズニー/フロンティアワークス 特別協賛:日清製粉グループ」とのこと。たった7年間で、この大変化は何なんだ。
そもそも『チェブラーシカ』のアニメーションは、配給権を持つアメリカの会社と原作者との間で権利関係がややこしいことになっているという記事を読んだことがある。そのため、「チェブラーシカ ジャパン」は裁判沙汰を抱え込んでしまったように記憶しているが、そういう問題は今ではすっかり解決したということなんだろうか――と思ってネットで検索してみたら、「チェブラーシカ ジャパン」は2006年1月末日で権利期間が終了したとのこと。で、その後、ソニー・クリエイティブ・プロダクツの傘下にあるフロンティアワークスという会社が配給やグッズ製作の権利を手に入れたらしい。ソニー・クリエイティブ・プロダクツのサイトによると、
「チェブラーシカ」に関係する全ての、また、あらゆる形での権利保持者と交渉し、ワールドワイド(旧ソ連地域を除く)、オールメディアで包括的なライセンスを保有しております。何か、すごく物々しい表現だと思うのは私だけか?
ともあれ、ソビエト・アニメーションのファンの一人として、『チェブラーシカ』が大々的に宣伝され、上映してもらえることを、今は素直に喜ぶとしようか。2001年に上映された時の日本語字幕はこうだなおみ訳だったが、今度は児島宏子訳に一新されるというのも気になるし。
気になると言えば、この夏の劇場上映が終わったあかつきには、私が持っている2002年発売の『チェブラーシカ』DVDとは別に、ジブリ美術館ライブラリーの中の1作として、「ウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメント」から新たにDVD発売されるのかどうかもかなり気になる。昨年末に、同じようなスタイルで配給された『雪の女王』のDVDは7月に発売されるらしいので、『チェブラーシカ』についてもそうなる可能性は高い。
2002年の「チェブラーシカ ジャパン」配給版DVDは現在は発売していないから、これからチェブラーシカのファンになる人にとっては間違いなく朗報だろう。しかし既に購入済みの私としては、字幕の違うDVDを二種類も購入するほどのチェブ・マニアかなあと自問自答することになりそうだ。そういうセコい悩みを吹っ飛ばして「絶対に買わねば!」と私を叫ばせてくれるような、スペシャルな特典映像が付いていたらいいんだけどな(え、その発想が既にセコいって?)。
気になるついでにもう一つ。ジブリ美術館では、『雪の女王』に続いて『チェブラーシカ』でも何か特別展示は行われるんだろうか。2007年12月8日付の同コーナーにも書いた通り、『雪の女王』の時は結局行かないままに終わったけれど、『チェブラーシカ』では「絶対に行かねば!」と私を飛び上がらせるような、スペシャルな企画があるといいな(あ、でも『崖の上のポニョ』と同日公開だから望み薄か?)。そして今回の更新では、ついに『『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の最終章を追加する。2007年9月から始めて約7ヶ月、長かったような短かったような。でも、明日の5月11日はアダムスの7周忌にあたるので、その前に完成できて良かった。
2001年5月11日にダグラス・アダムスが亡くなってから、丸7年が過ぎた。
毎年、この時期の更新ではなるべくアダムスの命日にふさわしい何かをアップしたいなあと思っていて、その結果、私の持っているダグラス・アダムス関連のコレクションを追加することが多かった。で、とりわけ今年は七回忌だから、アダムスの伝記関連の本やDVDを紹介しようかと考えていたのだが(M・J・シンプソンやニック・ウェブが書いたアダムスの伝記本が出たのは2003年だから、今からもう4,5年も前になるし)、急遽企画変更せざるを得ないトラブルが起こった。2007年5月5日付の同コーナーに書いた通り、約1年前に壊れてハードディスクを交換した私の長年の愛機 iBook が、先週またしても壊れたのだ。
近所のPCショップに駆け込んだところ、今度はマザーボードがやられたらしいとのこと。今、修理の見積もりを依頼中だが、型が古いから修理自体を断られる可能性もあるという。
私は壊れた iBook の他に、昨年購入した新しい MacBook を持っている。だからネットもメールも大丈夫だし、最低限のホームページの更新もできる。にもかかわらず、1年前にハードディスクを交換してまで古い iBook にこだわったのは、新しいマックではOSX以前のアプリケーション・ソフトが使えなくなるからだった。つまり、OSXヴァージョンが発売されていない『最後の光景』とか『宇宙船タイタニック』は完全にアウト、ということ。私がOS9にしがみつく理由が、ご理解いただけますよね?
ともあれホームページの更新に関しては、今まで使っていたホームページ作成ソフト PageMill が使えなくても、当座は自力でHTMLのタグをいじって簡単な手直しをすることはできる。七年かけて、私も少しは利口になった。ただし、Photoshop なしには、デジタル写真を加工してアダムス関連コレクションを追加することはできない。
え、Photoshop ならOSX用のソフトも販売されているんだからそれを買えばいいじゃん、って? おっしゃる通り、さすがの私もあきらめて注文しましたとも。ただ、ちょうど在庫切れで入荷に1週間から10日くらいかかるとのことなので、どうあがいても今回の更新には間に合わなかった次第。まあいいんだけど。という訳で、修理見積もりの結果をじりじりしながら待ちつつ、今回の更新ではコレクション紹介ではなく、代わりにモンティ・パイソンのメンバーの一人でアダムスともっとも関わりのあった人物、グレアム・チャップマンを大幅に加筆することにした。
残りのメンバー5人に関してはとっくにそれなりに更新していたのに、一番肝心のチャップマンのことを今日までつい後回しにしていたのは、アダムスとチャップマンの関係の、どうしようもなく暗い顛末を書くのが億劫だったから。でも、このまま放置して済ませていいような事柄ではないし、またこれはこれである意味、思いがけず49歳という年齢で亡くなったアダムスの七回忌にふさわしい更新内容になったかもしれない――欧米に「七回忌」という発想はない、という問題はさておき。
この1、2週間というもの、どうにも気分がふさいで仕方なかった。
それも無理はない。前回の更新で追加した、アダムスとグレアム・チャップマン、この二人の破局に至るまでの18ヶ月を改めてチェックしたりすれば、気持ちが滅入ることは最初から分かっていた。さらに今回の更新用として、彼らの共同作業の唯一の成果であるコメディ番組『アウト・オブ・ザ・ツリー』と、この番組の製作に参加したバーナード・マッケンナについても調べたりしたものだから、ますます憂鬱になるというもの。
単にアダムスとチャップマンの共同作業がうまくいかなかった、というだけならまだいい。が、アダムスや他のモンティ・パイソンのメンバーたちが、チャップマンの厄介な性格や破滅的な生き方について語るのを読んでいると、まったく何の関係のない私まで「あああああ」と呻いて頭を抱えたくなってくる。たとえばテリー・ギリアムいわく、「グレアムは本当に型破りな奴だから、面白い時はいいんだけど、少しでも流れが変わると自分を傷つけてしまう。それから彼の周りを傷つけてしまう。それで彼の周りの人たちのダメージのほうが、彼自身のダメージよりも大きいんだ。彼は、悪性のウィルスを自分を通じて他人に伝染させる」(モーガン、p. 325)。さらにアダムスいわく、「パイソン・メンバーが、グレアムのことを他人に頼ってばかりのアル中野郎で、問題ばかり引き起こす大きなお荷物だと感じながら、相当に怒り狂っていたことは想像に難くない」(同、p. 330)。あああああ。
だからと言って、チャップマンの後半生は不幸だったとか失敗だったと決めつけるのは早計というか失礼である。実際、何度となく仲違いしながらも、アダムスもジョン・クリーズも末期癌で入院中のチャップマンの許を訪ねている訳だし、そもそもチャップマンに限らず誰の人生についても、他人が幸不幸を勝手に断定するのは大間違いだ、と頭で分かっていても気が滅入る。ううう、困ったもんだよなあ、どうしたものかなあ――と陰気に悩んでいるうち、ハタと気付いた。今日まで私がずるずると落ち込んでいるのは、本当はチャップマンのせいではなく、前回の同コーナーにも書いた通り長年の愛機 iBook が壊れたので修理に出したところ、「検証用部品、修理用部品供給終了によりお取り扱いできません」との手紙と共に差し戻されたせいなんじゃないの?
ペットロス、という言葉もまだまだ社会的に認知されているとは言い難いのに、PCロスにヘコんでいる私。ううう、困ったもんだよなあ、どうしたものかなあ――って、どうするも何も修理不能と断言されたからには、金をドブに捨てる覚悟で修理の効かない中古 iBook を新たに購入するか、『最後の光景』や『宇宙船タイタニック』を潔くあきらめるかの二つに一つしかないんだけれど、どちらにしても見通しは暗い。またそれとは別に、7年間に亘って使い続けて来たPageMill 3.0 に替わる、OSX用のホームページ作成ソフトの購入についても早々に検討しなくてはならないときたもんだ。
ダメだ、やっぱりもうしばらくPCロスにヘコませてください――あ、でも思い起こせば明日はタオル・デーだから、やっぱり呑気に落ち込んでばかりもいられないか。
先週のこのコーナーでOSX用のホームページ作成ソフトの購入を検討云々と書いたけれど、検討するまでもなく今ではマック用市販ソフトは Dreamweaver CS3 だけになっていた。Dreamweaver よりももう一ランク素人向けのソフトで、GoLive とかいうのもあったんじゃなかったっけ、と思ったら、これが何と先月末にて販売終了とのこと。何てこったい。
おかげで迷うことなく Dreamweaver CS3 購入と相成った次第だが、とりあえず見よう見まねで適当に使ってみたところ、これが何とも分かりにくい。私がホームページ作成ソフトを使ってやりたいことなんざ所詮ものすごく低レベルのはずなのに、ソフトの使い方が分からなくて結局タグを直接いじる羽目になる。ええい、どうして他のページのアンカーポイントにリンクするのに、いちいちアンカーポイントを手入力しなくちゃならんのだ。私のサイトはこの作業がやたらと多いってのに、ヘルプ画面は案の定ちっとも参考にならないし、結局別途マニュアル本を買わなきゃダメってことか?
で、買いましたよ、買いましたとも。買った挙げ句、他のページのアンカーポイントにリンクさせたければ「プロパティインスペクタ」(Dreamweaver CS3 はWin & Mac 仕様になっているんだけど、いかにもウィンドウズなネーミングだと思うのは私だけか?)の所定位置に手入力しなくちゃいけないことを学びましたとも。10年前に発売された PageMill 3.0 でならドラッグするだけで簡単にリンク設定できたのに。ああ切ない。
勿論、最新の Dreamweaver CS3 には、PageMill 3.0 ではおよびもつかないWebデザインツールがしこたま搭載されているのであろう。問題は、買ってきたマニュアルをパラパラとめくってみても、「ロールオーバー」とか「ビヘイビア」といった用語すら私には初耳状態だということ。何せ過去7年、「テキスト主体のサイトだから」という大義名分を掲げて技術的な勉強はほとんどしてこなかったからなあ……。
ま、いつまでも過去をぐずぐず惜しんでばかりいても仕方がない。安からぬ金額で Dreamweaver CS3 を買ってしまったからには、この際だ、少しは真面目に Webデザインに取り組んでみようか。でもって、今年もこのサイトは例年同様7月から丸2ヶ月の夏休みに入る予定だけど、大幅変更と言いつつちっとも様変わりしていないレイアウトを、今度こそがらりとチェンジできたらいいな(と言ってもあくまで「いいな」レベルの話なので、間違っても本気で受け取ってはいけません――って、今から逃げを打っててどうするんだよ、私)。
そして今回の更新は、がらりと趣きを変えてイギリスのロック・バンド、コールドプレイについて。
コールドプレイと言えば、若手ながら今やイギリスを代表するロック・バンドの一つになった感さえあるけれど(何せこの私でさえバンド名を知っていた)、彼らもまた『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンだったとはね。なまじ前々回のグレアム・チャップマン、前回の『アウト・オブ・ザ・ツリー』と、2回続けて暗いトーンの更新内容だっただけに、今回は未来に繋がる明るい話題で嬉しい。
42と言えばすべて『銀河ヒッチハイク・ガイド』絡みだと決めつけるのは早計である。というより妄想である。さすがの私も、そのくらいはわきまえている。でも、前回の更新で追加したコールドプレイの場合は、まもなく発売の4枚目のアルバムに収録された曲のタイトルが「42」なのは、絶対「生命と宇宙と万物についての究極の答」にちなんでのことだと思う。
ただし、それでもあくまで「思う」であって、今の段階ではそうだと断言できないのが口惜しい。状況証拠は真っ黒なものの、決定的な証拠に欠けるとでも言おうか。という訳で、決定的な証拠を手に入れるべく、ここ当分はいつもなら手に取ることのない洋楽関係の雑誌に目を光らせることにする。何せ、アルバム発売のタイミングを逃してしまうと、図書館の所蔵されるような本と違い後から雑誌のバックナンバーを探すのは厄介だ。忘れもしない、レディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」の時は、神保町の古本屋でビニールで包まれた、当然定価に比べて割高のバックナンバーを3冊も買う羽目に。しかもその3冊のうち、インタビュー記事の中に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てきたのは1冊だけで、残る2冊は完全に「ハズレ」であった。切ないねえ。
が、しかし。私の努力と淡い期待も空しく、今のところコールドプレイの『美しき生命』の記事で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に言及しているものは見つかっていない。やっぱり、日本語の雑誌をアテにした私が悪かったのか、あきらめて洋雑誌を漁るべきか。
ところで、我が家の近所のCDショップの壁には先日までコールドプレイとレディオヘッドのポスターが並んで貼られていた。ま、レディオヘッドもベスト盤がちょうど発売されたばかりだから、CD発売のタイミングといい音楽のジャンルといい、ポスターが並んでいたとしても決して不思議ではない。むしろ、それを見て何とも微妙な気分になった私のほうが間違っている、というか病んでいるよな、絶対。---------------------------
42と言えばすべて『銀河ヒッチハイク・ガイド』絡みだと決めつけるのは早計である。というより妄想である。さすがの私も、そのくらいはわきまえている。でも、たまにはホームページ関連のネタから遠く離れた普通のベストセラー小説も読みたいねえ、と思って手に取ったところ、
運命ねえ、と私は心の内で呟いた。ばっかみたい、と感じた。私たち、いったい、いくつだと思ってるの? 私のその問いに、彼は答えて、にっこり。
「四十二!」
先生に当てられて答える小学生の子のように、得意げに言った。その瞬間、私は、ものすごく当り前である筈のことに、今頃になって気付いた。私の年齢って、数字だったんだ!(略)私は、自分の年齢と運命的に出会った。初めまして、四十二さん。目の前に、生まれて初めて出会った出会った年齢が、私だけのためにいた。(略)私は、霊長類ヒト科、メス、四十二歳。ただそれだけのことを知るために四十二年をかけた。(山田詠美『無銭優雅』、pp. 4-5)
などという文章を目にして、「ええっ、まさか、ひょっとして?!」といちいち本気で色めき立つ自分が情けない。巻末に掲げられた「出典」をみても、この小説の「四十二」は『銀河ヒッチハイク・ガイド』とはまったく何の関係もない、とは思いつつも、それでも0.000001パーセントの可能性が捨てきれず、この小説が出版された2007年1月当時にあちこちの雑誌や新聞に掲載されていた著者インタビューにもっときちんと目を通しておけばよかった、とかつい考えていたりするから、いやほんと、我ながらどこまで未練がましいのやら。
気を取り直して今回の更新は、コールドプレイに続きまたしても音楽関係の話。アダムスも出演したラジオの音楽番組と、その番組に出演してアダムスの著作について語ったことのあるイギリスのコメディアン、マット・ルーカスを追加した。
私が新譜の音楽CDを予約して購入するのは、一体何年ぶりだろうか。ひょっとすると初めて? いやいやいや、いくら何でもそんなことはあるまい、と言いたいところだが、どう頭をひねっても予約してまで買った音楽CDがどうしても思いつかないから困ったもんだ。CDはCDでも、ラジオ・ドラマとか小説の朗読とかのCD ならいくらでもあるんだけどねえ。
ともあれ、3、4日前に発売されたばかりのコールドプレイの『美しき生命』である。中でもとりわけ「42」である。上記のような私であるからして、音楽性の良し悪しなぞ語れるはずもないが、せめて好き嫌いくらいは語りたい、と思いつつも、「へええ、これが42かあ」以上の感想が出てこない。ううう、やっばり聴いた音楽の絶対量が少なすぎるんだな、きっと。コールドプレイにしても、「ドント・パニック」が収録されたファースト・アルバム『パラシューツ』しか聴いてないし。
という訳で(?)、とりあえず当分は『美しき生命』を iPod nano に入れてひたすら繰り返して聴くことにする。そうすれば、そのうち何となく掴めるだろう。多分。
ところで、私は先週から引き続き書店の雑誌コーナーでコールドプレイの「42」の根拠探しをしていたのだが、やっぱり今日に至るもそれらしい記事を見つけることができなかった。が、ネット検索してイギリスの音楽雑誌『Q』のインタビュアーが『銀河ヒッチハイク・ガイド』との関連について質問している記事をようやく発見できたので、「コールドプレイ」欄に書き足しておく。クリス・マーティンの返答は何だかビミョーだったけど、ま、いいでしょ。
一方、ガーディアンのサイトに掲載されていたアルバム評には、「ま、いいでしょ」で片付けられない不穏さがあった。私がテキトーに訳して原文のニュアンスを壊すといけないから敢えてそのまま引用するが、"I have a terrible feeling that 42 is a reference to the meaning of life in The Hitchhiker's Guide to the Galaxy"。
確かに、イマドキの若いモンがいつまでも30年も前のネタを引きずるんじゃない、とか、そもそも他人のジョークで自分の音楽を補完するのはいかがなものか、とか言われると、さすがの私も返す言葉もない。ないがしかし、「42」に限らず、そもそもこのアルバムの表紙だってドラクロアの超有名絵画を引っ張ってきている訳だし、引用が悪いと言うならこちらについても文句をつけてしかるべきだ――って、これはいくら何でも強引すぎる屁理屈だよな、失礼しました。
気を取り直して今回の更新は、前回の『無人島に持っていく音楽』に続いてまたしても音楽関係の話。映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の宣伝活動の一環だったんだろうけれど、iTune Store UK のセレブリティ・プレイリストに名を連ねているアーサー・デント、マーヴィン、ゼイフォード、トリリアンの、おすすめの楽曲を紹介する。
さらに、イギリスの4人組ロック・バンド「トラヴィス」も追加した。バンドのメンバー4人のうち2人が、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のサウンドトラックに収録されているゼイフォードの大統領選キャンペーンソング製作に参加していることに、発売から2年以上経ってようやく気付いたもので。
iTune Music Store UK のセレブリティー・プレイリストに『銀河ヒッチハイク・ガイド』のキャラクターたちが入っていることは、リリースされた2005年4月当時から知っていた。が、その頃の私が使っていたiTune のヴァージョンが古かったため、iTune Music Store にアクセスすることもできず、指をくわえているしかなかった。くそう、新しいマックを買って最新の iTune を手に入れたら、真っ先にチェックしてやると誓いながら。
なのに、約1年後にマックを買い替えた時にはセレブリティー・プレイリストはすっかり忘れていたのだから、まったくファンにあるまじきお粗末さである。それでも、数日前に唐突に気付いたのは何のことはない、コールドプレイと銀河ヒッチハイク・ガイドでネット検索しまくっていたら引っかかっただけのこと。いやはや、アーサー・デントのおすすめ曲の中にコールドプレイの「ドント・パニック」が入っていなかったら、二度と思い出さなかったかもしれない。危ないところであった。
で、実際のプレイリストだが、前回の同コーナーにも書いた通りとにかく私には音楽に関する見識がまったくないため、正直なところ「ふーん」以上の感想を持ちようがない。ないがしかし、アーサーの選曲に「ドント・パニック」は入っていてもマーヴィンの選曲にレディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」が入っていないのは、あまりに「そのまんま」だからなのかなあ程度の感想は持った。あと、トリリアンはジャズが好きという設定は、ラジオ・ドラマや小説には特になかった気もするけれど、言われてみれば何だかもっともらしい気もする。
にしても、セレブリティー・プレイリストに登録するための手続きは一体どうなっているのだろう。実在のアーティストだけでなく架空のキャラクターでもオッケーということなら、もっといろんな登録があっても良さそうなものだけれど、日本版でもUK版でもそんなに登録数が多くないということは、宣言効果の割に登録費用が高いんだろうか。音楽全般に興味の薄い私はともかく、常日頃 iTune Music Store でダウンロード購入しまくっている音楽好きの人たちにとっては、自分の好きなアーティストのプレイリストを知りたい、そして聴きたいと思うのはごく自然な流れだと思うんだが、そういうものでもないのかしらん。私は、自分の好きな小説家の愛読書は、手に取ってみたいと思うんだけどな。
そして今回の更新だが、数週間ぶりに音楽関連の話ではなく、マサチューセッツ工科大学教授セス・ロイドについて。ロイドの専門は量子コンピュータだそうで、自分でアップしておいて言うのもなんだが、苦手な音楽関連の話からようやく離れても、やっぱりよく分からない、もとい、さっぱり分からない分野の話なのがちょっと悲しい。
それから、とっくにアップしたと思い込んでいてほったらかしになっていた、アダムスが製作を手掛けたテレビ番組『ハイパーランド』も追加する。こういったビデオ化されていない海外の番組も、今じゃ自宅にいながらにしてYouTubeで観られるんだから、ほんと、有難いったら。
セス・ロイドの『宇宙をプログラムする宇宙』に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくることは、馴染みの図書館で「それらしい」本をチェックしていてたまたま見つけた。長年こういうことばっかりやっているせいで、マニアとしてどんどん勘が鋭くなってきているというか、社会人としてますます危ない領域に入り込みつつあるというか。
勿論、「これは絶対間違いない」と勢い込んで手に取った本が、大ハズレなこともよくある。というかそれが普通なのだけれど、中でも究極にハズレだった1冊が、『灰谷健次郎対談集 オオカミがジャガイモ食べて』(小学館、1981年)。
ジャガイモを食べるオオカミと言えば、そりゃもうノルシュテインの『話の話』(1977年)に決まっている。『話の話』を一度でも観たことのある人なら、オオカミが焼けたジャガイモを食べるあの印象的なシーンだけは絶対に忘れないはず。おまけに、児童文学者として名高い灰谷健次郎氏の対談集と来た日には、これはもう絶対間違いない。あとは、一体誰と対談した時に『話の話』の話になったのかを突き止めるために読んでみるだけのこと。
で、まだかまだかとわくわくしながら読み進めていくうちに、絵本作家の田島征彦氏との対談でジャガイモを食べるオオカミの話がついに出た、と思ったら、田島 それからもう一つあるんだけど。ある著名な漫画家が、オオカミがニワトリやほかの動物たちを食べるので、ウサギに説教されて、最後にジャガイモを食べるようになって、めでたしめでたしという絵本をかいているけど、これは絶対に許せないな。
オオカミがジャガイモを食べるわけはないし、肉食動物と草食動物のちがいを、へんな人道主義を子どもにまちがって教える絵本作家がいる。こんな人道主義が、屠殺業者への差別を子どもの心の中につくっていくのです……絶対に許せないね、ぼくは。(pp. 122-123)……田島氏の主張はもっともである。もっともだがしかし、私が期待していたのとはあまりに方向性が真逆で思わず唖然とする。ともあれ、田島氏にはいつか、ジャガイモを食べるオオカミなんてと毛嫌いせず、騙されたと思って『話の話』のオオカミを観てもらえたら嬉しいんだけどな。
気を取り直して今回の更新は、ウィットブレッド賞改めコスタ賞が行った、読書アンケートについて。言うまでもなく、私がこれまでに一番多く読み返した本は『銀河ヒッチハイク・ガイド』ですとも。
それから、『宇宙の果てのレストラン』に出てくるウェイターに関するちょっとした話も追加した。イギリス人にとっても、単純に高級レストラン=フランス料理というイメージなのかしらん。
さらにさらに、アントニオ・ガデス舞踊団の来日公演決定のお知らせも追加しておく。2009年3月の公演だからまだまだ先のことではあるけれど、待つ楽しみも捨て難い。さて、来週からこのホームページは例年通り約2ヶ月の夏休みに入る。次回の更新は9月6日の予定。現時点では特に夏休みの計画もないけれど、5月31日付の同コーナーに書いた通り、この期間を利用して少しでも Dreamweaver と仲良くなりたいものよ。
ということで、みなさまも素敵な夏をお過ごしください。
2008.9.6. Cyberduck から Dreamweaver へ
今日からまたしても週一回のホームページ更新が始まる。さて、約二ヶ月ぶりにこのコーナーの文章を書くにあたって、そう言えば夏休み直前には何を書いていたんだっけか、と振り返って読んでみて愕然した。「Dreamweaver と仲良くなりたい」って、おいおいおい、自分でこんなことを書いていたことすら完全に忘れていたよ。
ということで、今回もまた私のホームページのデザインやレイアウトはほとんど変更なしである。ただし、これまではホームページのアップロードには Dreamweaver ではなく、FTP接続専用ソフトの Cyberduck を使っていたが、8月31日にジェフリー・パーキンス氏の突然の訃報(正直言って信じられない気持ちで一杯だが、次週以降に改めて彼の業績を書き直そうと思っている)をアップロードした時からは、それも Dreamweaver でできるように設定したことだけは、言い訳がましく付け加えておきたい――さすがに自分でも、「いくら何でもレベルが低すぎ」とは思うけれども。
しかし、自ら望んで Dreamweaver に移行したものの、実は Cyberduck という名前やアイコンのデザインが割と気に入っていたので、これっきり縁が切れてしまうのも残念だったりする。いや、もっと正確に言えば、Cyberduck という名前やアイコンのデザインが『宇宙の果てのレストラン』に出てくる「ゴムのアヒル」(p. 252)と何らかの関係がありそうに思えてしようがないのだが、それが事実であることを、あるいは単なる私の妄想であることを証明してくれる何かを今日まで発見できないせいで、どうにも落ち着かなかったりする。見るからに絶対「それっぽい」と思うんだけどなあ、違うのかなあ。もし、どなたか、Cyberduck の名前の由来をご存知の方がいらっしゃいましたら、どうかご教示くださいませ。
さて、Dreamweaver をほったらかしにした夏は、代わりに Dirk Gently に専念した夏でもあった。1987年に出版された小説を、20年以上経った(!)今になってようやく読み解くなんざ、アダムスのファンとしては手抜かりもいいところだが、勿論、この小説を読むのはこれが初めてではない。過去に3回か4回くらい読み通したものの、そのたびに「部分的には理解できても、全体としては何が何だかよくわからない」で終わっていただけの話。それが、この期に及んでようやく何とか把握できたのは、英文の読解力が向上したからというよりは、20年に亘って溜め込んだ余計な知識が作品の理解を助けてくれたからだった。
忘れもしない、初めて Dirk Genlty's Holistic Detective Agency を読んだ時は、「Coleridge って何?」だったもんなあ。辞書を引いた後、せめて「Coleridge って誰?」と思おうよ、私、と自分で自分にツッコミを入れたことは、今でも鮮明に記憶している。イギリスでは定番中の定番な詩人でも、日本ではバイロンとかワーズワースとかテニスンといった他のイギリスの詩人と比べると、コールリッジの知名度はかなり低いように思うのだが――え、そんなの言い訳にもなってないか、やっぱり?ともあれ、今回の更新で追加した Dirk Genlty's Holistic Detective Agency のストーリー紹介と作品解説は、内容が内容だけにネタバレ全開になっている。私が気付いた伏線も、片っ端から書き出してある。そのため、原著でフツーにこの小説を読める英語力をお持ちの方には、できれば先にご自分でお読みになった上で参照していただけると有難い。その上で、私の勘違いやら見過ごしやらをご指摘いただけたなら、なおのこと有難い――実を言うと、今回の更新を機にこっそり書き直したものの、これまで私が Dirk Genlty's Holistic Detective Agency の紹介として載せていた文章にはとんでもない間違いがあったのだった。ううう、思い返すも恥ずかしい、というか、情けない。
夏休み明け第一回目の大幅更新に向けて、よっしゃ今回は『ダーク・ジェントリー』関連でいくぞ、と決めたのは7月半ばになってからのことで、そのきっかけとなったのが、イギリスのSF映画・テレビ関連の雑誌 SFX を購入したことだった。
この秋から始まるラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズ関連の記事が、7月2日発売の SFX 8月号に出ているということは、7月に入った直後にインターネットで知った。いっそ知らなきゃよかった、知ってしまったからには手に入れずにはいられないじゃないかとぼやきながら渋谷に向かったものの、約3年前に映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の記事を求めて洋雑誌を漁っていた時に大層お世話になった渋谷のブック・ファーストがいつの間にか別の場所に移転し、移転先がとんでもなくしょぼいことになっていて愕然とする。3年前にはものすごく分かりやすいところに大々的に並んでいた(ように記憶している)映画関係の洋雑誌なんて、もはや1冊も見つからない。仕方がないので炎天下の渋谷を横切り、タワーレコード上階の洋書コーナーに行ってみるも、やはりない。
まさか SFX 1冊を手に入れるのにこんな苦労をさせられるとは思わなかった、と悄然と肩を落として帰宅し、無駄足を踏むのは二度と御免ということで、恥を忍んで(自意識過剰と言われようと、この手の雑誌を電話で確認してまで購入するのは結構恥ずかしい。雑誌のタイトルを言っただけでは通じないから、どういう種類の雑誌なのかをいちいち説明しなくちゃならないし)横浜の有隣堂に電話で問い合わせてみたところ、「取り扱っておりません」。次に神保町の三省堂本店に電話してみると「あ、今なら在庫もございます」とのこと、朗報にほっとしたのもつかの間、「『X-ファイル』の特集号でよろしゅうございますね?」と訊かれてちょっとテンションが下がる。私だって別に『ダーク・ジェントリー』特集号だとは思ってなかったけど、よりにもよって私があまり好きではない(というか、最初の2話までみて投げ出した)『X-ファイル』とは。ついてない。
次の日曜までに買いにいきますので取っておいてください、とお願いして電話を切った後、念のためネット検索して、7月2日発売の8月号が本当に『X-ファイル』特集で間違いないか確認してみる。イギリス本国ならともかく、空輸されて販売される日本では発売日と販売日がずれていてもおかしくないから、というより、何で今さら『X-ファイル』の特集なのかと憤懣やるかたなかっただけ、というのが本音だったのだが(この時、私は映画『X-ファイル』の2作目が製作されていることも知らなかった。私の脳みそは、興味がないことはいつだって完全に無視してしまう)、おかげで『X-ファイル』特集号が、8月号ではなく一つ前の7月号だったことが分かる。私が買いたい8月号は、『ダークナイト』特集らしい。バットマンにも大して思い入れはないけれど、『X-ファイル』はずっとマシ、少なくとも『ダークナイト』は私も映画館で観るつもりだし(そして実際8月に観た)。
そこで再度三省堂本店に電話して『X-ファイル』の特集号をお断りし、次号が入荷したら連絡してもらうことにする。かくして7月中旬にはめでたく問題の8月号を手に入れ、三省堂本店の近所の喫茶店で早速中身を確認したところ――私のお目当ての記事は、わずかに1ページだけであった。この1ページのために、交通費を含め自分が一体いくら支払ったかなんて、絶対に計算してはいけない。
そして今回の更新は、先月末に交通事故で他界されたジェフリー・パーキンスについて。享年55歳とは、あまりに切ない。
いよいよ来月から、ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズの放送が始まる。ということで、BBCの公式サイトに貼られた予告音声を聴いてみたところ、第2シリーズは第1シリーズ以上に原作小説 The Long Dark Tea-Time of the Soul にあまり縛られずに製作されているような気がする。「製作されている」と断言できないのは、英語の予告音声を一度聴いて正確に内容が理解できるリスニング能力がないことに加えて、原作小説を読んだのがはるか昔のことなのでストーリーの概要すらきちんと把握している自信がないためだが、そんな私でも約5分程の予告音声を聴いただけで「おお、これは!」と思わず色めき立つような台詞や効果音が入っていたりして、なかなか楽しい。雑誌 SFX に掲載されていた記事にも、ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズは『銀河ヒッチハイク・ガイド』とクロスオーバーさせる、という監督ダーク・マッグスのコメントが出ていたくらいだから、多分いろんな仕掛けや遊びが用意されているのだろう。
でも、あんまり原作小説から離れられてしまうと、私のリスニング能力では半永久的に理解不能になりかねないからつらいところなんだよなあ、などと呑気なことを考えつつ予告音声を聴いていると、最後の最後でナレーターが、"affectionately dedicated to Geoffrey Perkins" と締めくくるではないか。おかげで浮わついた気分も一瞬で吹っ飛び,どんと落ち込む羽目に。
ああもうまったく、どうしてまだ55歳の若さのジェフリー・パーキンスの追悼なんかしなくちゃならないんだ。おまけに、ロンドン・タイムズやガーディアンにも大きく取り上げられたパーキンスの追悼記事をネットで読んで、彼の仕事について初めて知ったことが多いというのも、これまた何とも情けない。
2008年8月29日金曜日、午前9時半のメリルボーン・ハイ・ストリート。私はこの道を歩いたことはないけれど、それでもロンドンの地図で位置を確認すれば、何となく想像はつく。ロンドン中心部に程近くてどちらかというと上品なエリアで、通り沿いにはちょっと高級感のある店やカフェが並んでいるにちがいない。平日のその時間なら、通勤で歩いている人は多かっただろう。パーキンス自身もまた、自宅から仕事場へ向かう途中だったのか。
いつかまたロンドンに行く機会があったら、追悼の意をこめてメリルボーン・ハイ・ストリートを一人で歩いてみたいと思う。
気を取り直して今回の更新は、はるか昔に成仏なさっているはずのイギリスの詩人、サミュエル・テイラー・コールリッジについて。国内外を問わず、私は詩にも詩人にもほとんど関心がないけれど、『ダーク・ジェントリー』のおかげでコールリッジの "slimy things did crawl with legs" だけは忘れずにすみそうだ――こんなのだけ知っていても何の役にも立たない、という問題はさておき。
それから、久しぶりに ENGLISH VERSION も更新し、日本語に翻訳されたダグラス・アダムス・コレクションを1点追加した。新訳『銀河ヒッチハイク・ガイド』が2005年に発売される前に、こんな形でダグラス・アダムスが日本語で紹介されていたとは、つい最近まで知らなかった。不覚だ。
……そして、さらに。つい先日イギリスから届いた、まさに驚天動地なスペシャル・ニュースもアップしたので、こちらは是非ご確認あれ。いやもう何と言うか、良いとか悪いとかそういう問題でなく、こんなことが現実に起こるかもしれないなんて私は想像だにしなかった!
2009年10月に小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』6作目が出版される、との衝撃的なニュースを耳にしてから1週間以上が経ち、ようやく私の心にも事実を事実として受け止めるだけの余裕が出てきた。
率直に言って、海外のアダムス・ファン・サイトのニュース欄で最初に速報記事を目にした時は、デマか冗談だろうと思った。それから、リンクが貼られていたペンギン・ブックスの公式サイトに進み、デマでも冗談でもパロディでも盗作でもなく、アダムスの未亡人ジェーン・ベルソンの肝煎りで本当の本当に続編が、それもオーエン・コルファーとかいう別の作家によって書かれるのだと知った時は――マジかよふざけんな冗談じゃないぜと天を仰いだ。
私は基本的に、熱烈な原作ファンが陥りがちな「神聖にして、冒さざるべき」的な姿勢だけは取りたくないと考えている。だからという訳ではないけれど、ファンの間でも賛否両論分かれる映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』にもかなり好意的だし、ダーク・マッグスによるラジオ・ドラマの新シリーズに至っては万々歳だ。『ドクター・フー』やコールドプレイの「42」なんかも、素直に嬉しいと思う。それでも、何ごとにも限度というものがあって、まったく別の作家が、シリーズ5作目『ほとんど無害』の続きを、オマージュでもスピンオフでもなく「正伝」として出すなんて、いくら何でもありえない!
……と、憤りまくっていたのだが。
時間の経過と共に、最初に受けた衝撃が少しずつ薄れていくのに合わせて、BBCとかガーディアンといったイギリスのメディアのサイトにニュース記事が掲載され始め、単なる速報だけでなくジェーン・ベルソンやオーエン・コルファーやペンギン・ブックスの関係者らのコメントなども読めるようになると、なるほど、そういう考え方もあるのかと、徐々に前向きに6作目を受け入れる気持ちが芽生えてきた。生前のアダムスが、全5作よりも全6作で終わらせたほうがいいんじゃないかと言っていたとか何とかいう話を、あんまり言葉通りに受け止めるのは何か違うような気がするけれど、ともあれヤング・アダルド小説の作家であるオーエン・コルファーが手掛けることによって、今まで小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』をちゃんと読んだことのなかった若い世代が手に取るきっかけになったとしたら、それは悪いことではないし、そもそもコルファーによる続編が文句なしに素晴らしい作品となる可能性だって、決してゼロではない。だから、「そんなの可能性どころか、ほとんど無限不可能性領域なんじゃないの」などと、今から毒づくのはよそうじゃないか。
という訳で、どうにかこうにか気を取り直して今回の更新は、問題のオーエン・コルファーその人について。
しかし、よくよく考えてみると、一人の作家が亡くなった後にその代表作の続編が別の作家によって書かれることに決まった、というだけの話がかくも大々的に報じられるなんて滅多にないことだ。この一事をとってみても、イギリスにおける『銀河ヒッチハイク・ガイド』の浸透ぶりが伺えるというものではないか。
それにひきかえ我が日本では、ひょっとするとアダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』よりコルファーのアルテミス・ファウル・シリーズのほうがまだしも知名度が高いくらいかもしれない(私は知らなかったけれど)。だとすれば、日本のコルファー・ファンがこれを機に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を知ってくれれば、日本におけるダグラス・アダムスの知名度が上がってめでたしめでたし――って、それはそれで何だか微妙に口惜しい気もするから、我ながら勝手だ。
さらに、ノルシュテイン関連の最新ニュースとして、新刊書籍情報も追加。2006年3月18日付の同コーナーにも書いた通り、私はとっくに原書で購入済みだが、結局ちゃんと読み通さないうちに日本語訳が出版されそうで、嬉しいやら情けないやら。
ニール・ゲイマンという作家はとにかく筆マメな人のようで、自身のブログに毎日こまめに近況を綴ってくれる。ファンから届いたメールにも、ブログ上でこまめに返答したりする。英語を読むのが億劫な私が、ゲイマン本人のこまめな更新に追いつけず、ついブログのチェックを滞らせてしまう程に。
さて先月中旬、オーエン・コルファーが『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの6作目を書く、というニュースに一通りパニックした後で、Don't Panic: Douglas Adams & The Hitchhiker's Guide to the Galaxy の著者にして現在はベストセラー作家でもあるゲイマンなら、きっと自分のブログにこの件について何か書いているんじゃないかと思った。たとえ彼自身がこの一件に関して特にコメントしたいと考えていなかったとしても、どこぞの度胸と英語力のあるゲイマン・ファンがメールで質問しそうなものだし、ゲイマンのこれまでの筆マメさと誠実さからいって、そういう質問を受け取っておきながらまったくのノーコメントで片付けることはないんじゃないか、と。
検索結果は、私の睨んだ通りであった。2008年9月19日(金)の日記には、ファンからの質問、「あなたも続編執筆を依頼されたことがありますか、もし依頼されたとしたら、あなたは引き受けましたか?」があって、それに対するゲイマンの返答が載っている。いわく、続編の執筆を頼まれたことはないが、生前のアダムスに『宇宙クリケット大戦争』のラジオ・ドラマの脚本を依頼されたことならあって、それは断った(ダーク・マッグが引き受けて、良い仕事をした)。オーエン・コルファーのことはとても好きだし、良い本になることを祈っている。彼なら6作目執筆に真剣に取り組んでくれて、アダムス本人が書くよりも早く仕上がることだけは間違いないだろうけれど、それでも出来上がった本は「ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』」にはならないと思う。また自分としては、自分の本の続編を書きたければ生きているうちに自分で書くので、死んでから別の誰かに書いてほしいとは思わない、そういうのは読者の想像の中とか同人誌の中にとどめておいてほしい――。
他の人への配慮を忘れず、でも断るべきはきちんと断る、実にまっとうで誠実な良いコメントだと思う。「同人誌」('fanfic')の一語を付ける辺りも、全方位的に抜かりない。私なんざ、改めて惚れ直してしまったくらいだ。ただし、私の大雑把にかいつまんだ訳文ではオリジナルのニュアンスが損なわれていること必至なので、きちんと読みたい方はゲイマンのブログで是非ご確認ください。
それにしても、2007年夏に発売予定だったゲイマンの『アメリカン・ゴッド』の日本語訳は、一体どこでどうなっているのだろう。書店で2007年夏以降に発売された金原端人訳の新刊を見かけるたびに、軽くイラっとするのは私だけか?
気を取り直して今回の更新は、当初の予定を繰り上げて10月2日(木)から第1話の放送が始まった、ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』の第2シリーズについて。日程変更が正式にいつ頃決まったのかは知らないけれど、制作現場は大変だったんじゃないだろうか。
それから、アダムスの最新ニュースとして、先月末に発売されていたP・G・ウッドハウスの新刊『ジーヴスと封建精神』のお知らせも追加する。コルファーの『アルテミス・ファウル』シリーズ4冊がようやく片付いたところで、気分一新してこっちに取りかかろうっと。
ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』の第2シリーズ、Long Dark Tea-Time of the Soul がついに10月2日(木)から放送開始となったので、早速BBCの公式サイトで聴いてみた。
思い起こせば、2004年にラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3シリーズが始まった時には、日本にいてもネットで公式サイトにアクセスするだけで簡単に聴けることに素直に驚き、新鮮に感動したものだった。それが今では私の中ですっかり当たり前のことになってしまっているのだから、慣れとはまったく恐ろしい。
と言っても、頑張って聴いたラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズも、第1シリーズの時と同様、私のリスニング能力では「やっぱりよく分からん」どまりだったことは言うまでもない。予定では、第2シリーズの放送開始前までに Long Dark Tea-Time of the Soul を読み返して、ストーリーやキャラクターを復習しておくはずだったんだけどねえ。
しかし、今さら己のリスニング能力不足にめげているヒマはなかった。というのも、その2日後の10月4日には、同じBBCラジオ4で今度はジェフリー・パーキンスの追悼番組が放送されたから。こちらもやはり公式サイトで聴くことができる、と分かった時には、正直に言って「げっ、ラジオ・ドラマ30分でも結構おなか一杯なのに、この上さらに1時間も英語を聴かなきゃならんのか」とも思ったけれど、こんな番組を聴けるチャンスを逃す訳にはいかない――たとえ半分も聞き取れなかったとしてもだ。
この追悼番組のタイトルは、'King of Comedy'。有名コメディアンでもなければ有名映画監督でもない、テレビ及びラジオの一プロデューサーに対してこういう言葉が冠されるのは、かなり異例なことではないだろうか。実際、この番組のアナウンスの中で「パーキンスの名前は、彼の製作した番組ほどには知られていないと思われるが」とか何とか語られていたけれど、そりゃそうだろうと私も思う。が、それでもなお、'King of Comedy' の名にふさわしいと見なされたところにこそ、パーキンスの真の凄さがある。
幸い、この番組は私にとって、ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』よりはまだ聞き取りやすかった。番組では、公私共にパーキンスと親交のあった人々が、パーキンスの人柄や学生時代のエピソードをはじめ、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』や『スピッティング・イメージ』、Father Ted といったパーキンスの代表作の製作裏話などを語っていくのだが、クライヴ・アンダーソン、ジョン・ロイド、サイモン・ジョーンズ、ハリー・エンフィールドといった、私にも馴染みのある人たちも大勢出演していた。そして番組の最後には、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第1シリーズのラスト・シーン、ルイ・アームストロングの 「この素晴らしき世界」が流され、私としてはまさに感無量の一語に尽きた。
BBCラジオのみなさま、かくもいろんな番組をネット配信してくれてどうもありがとう。それにひきかえ、NHKの公式サイトでは今のところニュース報道プラスアルファ程度の配信しかしていないようだが、もうちょっと積極的になってくれないものだろうか――あ、いや、ラジオが聴きたきゃラジオで聴け、と言われてしまえばそれまでだけど、たまたま現在我が家にはAM放送を正しく受信できる装置がないもので、つい。
気を取り直して今回の更新も、ちょっとBBC絡みの話。2008年秋からBBCで第7シリーズが放映予定となっている人気テレビ・ドラマ『MI-5』と、9月20日付の更新でENGLISH VERSIONには載せておいた、『大型類人猿の権利宣言』という本を紹介する。さらに、2009年に出版社を変えて発売されることになったらしい Last Chance to See についても、最新ニュースに追加した。ところで、いよいよ明日はアントニオ・ガデス舞踊団の2009年来日公演のチケット発売だ――と思ったら、いつの間か11月24日(月)発売予定に変更されていた。まあ、いいんだけど。
「UK-Japan 2008」の一環として、今年の日本ではさまざまなイギリス関連のイベントが催されている。おかげで、日本にいながらにしてジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を堪能することができたし、「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み」なんてのも、訳が分からないなりに楽しむことができた。
さて、今から半年くらい前だっただろうか。私が気付いていない企画が他にもあるんじゃなかろうかと「UK-Japan 2008」の公式サイトをチェックして、『MI-5』とかいうイギリスのテレビ・ドラマがBS-11デジタルで毎週日曜に放送されていることを知った。本国ではなかなか人気が高いスパイ・ドラマのようで、英国アカデミー賞(BAFTA)の受賞歴もあるという。おまけに、キャストの中には映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出ていたアンナ・チャンセラーの名前も挙がっている。公式サイトによると日本でのテレビ放送は何故かシーズン4からで、おまけに私が気付いた時にはそのシーズン4の放送も既に始まっていたが、1話完結スタイルのようだから何とかなるだろう、何ともならなければ見るのを止めるまでのことさ、くらいの軽い気持ちで、生まれて初めてBS-11というテレビ局にチャンネルを合わせてみたところ――予想以上におもしろさで、あっという間にどっぷりハマる羽目に。話の展開が早いのに加えて、プロのスパイだけあって登場人物はどいつもこいつもひどい嘘吐きなので、片時も油断できません。
このドラマ、イギリスでは2002年から毎年10月から12月くらいにかけて各シーズン約10話が週1回ペースで放送されていて、今月末からはシーズン7が開始される予定らしい。一方、日本では今年の春からシーズン4の放送が週1回ペースで始まり、シーズン4の後はそのままシーズン5、6と続けて放送されて現在に至っている。と言っても、BS-11デジタルで観ているだけでは、今回の話がどのシーズンの何話目なのかなんて特に示されないため、いつの間にか新しいシーズンに突入していた、ということは普通に起こる。と言うか、少なくとも私には起こった。
一視聴者としてドラマを楽しく観ている分には、それで何の問題もない。週に一回の頻度で国家転覆/ロンドン壊滅モノのテロ行為を阻止しなくちゃならないなんてイギリスの諜報機関も大変だね、と、対岸の火事よろしく呑気に眺めているまでだが、ある日、ドラマの中に突然『銀河ヒッチハイク・ガイド』の一言が出て来た時は思わず泡を食った。ちょっと待て、これって一体どのシーズンの何話目なのよ?!
幸い、インターネット検索のおかげで謎は程なく解明し、めでたく前回の更新と相成った。しかし、日本での『MI-5』シーズン6の放送があとほんの2話を残すばかりとなったのは、個人的にはあまりめでたくない。日曜の夜の楽しみが一つ減るかと思うと、寂しい限りだ。仕方がない、シーズン6の10話目の放送が終わった暁には、DVDとして発売されたシーズン1から3のほうをレンタルして観るとしようか。
さて今回の更新は、再び『ダーク・ジェントリー』の話に戻る。シリーズ第1作目の小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency においてサミュエル・テイラー・コールリッジの詩が果たす役割について、「作品解説」のコーナーに加筆。本当は夏休み明けの更新でまとめて追加する予定だったが、思った以上に手こずってしまった。
それから、アントニオ・ガデス舞踊団の2009年来日公演のスケジュールがようやく決まったようなので、こちらも最新ニュースに追加。3演目も上演してくれるのは嬉しいが、思った以上にタイトな鑑賞スケジュールになりそうだ。
前回に引き続き、今回もイギリスのスパイ・ドラマ『MI-5』の話。
あるエピソードで、一人のベテランのスパイが紛争後の混乱状態にあるバルカン半島に潜入し、本国イギリスに情報を送ることになった。冷戦時代と違い、今ならハイテク機器を使って暗号化されたデータを転送することもできるけれど、ベテラン・スパイはその手の高度なデジタル装置に頼るほうが却って敵に暗号を解読される危険性が高いと考え、敢えてオールド・ファッションなアナログ・スタイルを採ることにする。すなわち、情報を送る側である自分と受け取る側の相手とが同じ本を所有し、何ページの何行目の何語目、という情報を暗号に書き換えて送る、というもの。これなら、たとえ途中で敵に情報を横取りされ暗号が解読されたとしても、彼らが使っている本を特定できなければ意味をなさない。
よくある手法だ。私だって知っている。ただし、このやり方だと、情報を送る側のスパイがその本を肌身離さず持っている必要がある。一度本をなくしてしまったら、侵入先で新たに買い求めるのはたやすいことではないからだ。だったらどこででも売っているようなベストセラー本にすればいいじゃん、と言いたいところだが、上記の方法で情報をやり取りするためには、たとえ同じ『ダ・ヴィンチ・コード』であったとしても版が異なれば使えない。だからこそ敵に暗号を見破られる危険が少なくていいのだけれど、その反面、実際にテロリスト集団にスパイとして潜入している時に、特定の1冊を後生大事に持ち歩くのは本の種類によっては悪目立ちする可能性もある。いかついおっさんが、ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を生涯の愛読書よろしく常に携帯しているのを見たとしたら、記憶に残ること間違いなしなように(そりゃ私も『レベッカ』は好きだけどさ、でもやっぱり目立つでしょ)。
以上を踏まえて(?)、『MI-5』のベテラン・スパイが選んだ一冊は、E・M・フォースターのエッセイ集『民主主義に万歳二唱』の初版本であった。
なるほど、これなら異国のイギリス人がしょちゅうパラパラ開いて読んでいたとしても、あまり違和感がないかもしれない。とは言え、『民主主義に万歳二唱』の初版本なら古書としてそこそこ良い値がつくだろうに、版が同じならペーバーバックでも十分用は足りるだろうに、そんな希書をスパイ活動の道具に使ってボロボロにするなんてもったいない気もする。フォースター・ファンが見たら、思わず悲鳴を上げるのではないか。それとも、「そうそう、イギリス人なら『民主主義に万歳二唱』は必読必携の一冊でしょ!」と膝を打つ?
私自身は、フォースター作品はこれまで『ハワーズ・エンド』や『インドへの道』といった小説しか読んだことがなく、おまけに何故かどれもイマイチ乗り切れなかった。でも、これも何かの縁かなと思い、図書館でみすず書房から出ているフォースター著作集の中の1冊、『民主主義に万歳二唱1』を借り出して、敵地に潜伏しているイギリスのスパイ気分で楽しく読み進めていくうち(「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときには、国家を裏切る勇気をもちたいと思う」(p. 105)と書かれた「私の信条」なんかまさにベストマッチ)、思いがけず前回の更新で『ダーク・ジェントリー』の作品解説として引用した、サミュエル・テイラー・コールリッジに関する記述を発見した次第。
ああ、これだから「縁」ってヤツはバカにできない――と言うより、単に私がとてつもなくヒマなだけか、やっぱり?
気を取り直して今回の更新は、これまたイギリスのテレビ・ドラマの話。2005年11月にイギリスで発売されていた、アダムスが匿名で脚本を書いた『ドクター・フー』の 'City of Death' のDVDについて。
それから、ノルシュテイン関連の最新ニュースとして、ジブリ美術館主導によるロシアアニメーションフェスティバル開催の情報も追加する。ネットで応募して、当選すれば無料で招待だそうな。世の中、変われば変わるものよ。
2008.11.1. 'City of Death' をDVDで観る
ダグラス・アダムスが匿名で脚本を書いた『ドクター・フー』の 'City of Death' が2005年にイギリスでDVDとなって発売されたおかげで、自宅のパソコンでも簡単に観られるようになった。日本在住のアダムスのファンにとっては、誠にめでたい。
しかし、今年の夏、遅まきながらこのDVDの存在をAmazon.co.uk で発見した時に私が素直に喜んだと言えば嘘になる。むしろ、「日本語字幕付きで観てさえあんなにつらかった『ドクター・フー』の旧シリーズを、今度は英語字幕で観るのか」と思うと軽く目眩がした、と言ったほうが正しい。だから、DVDが自分の手元に届いてからもしばらくそのまま放置していたのだが、先日、重すぎる腰を上げて、しぶしぶパソコンにDVDディスクを挿入した、のだが。
意外や意外、これが結構おもしろかった。
自分でも心底驚いたことに、約30分のエピソードが計4話、つまり全部で2時間ほどの長さがあるドラマを、最初から最後まで、ほとんど退屈することなく観てしまったのだ。退屈どころか、時々、あはははと笑いさえした。ほんの一年ばかり前、ご近所でビデオを借りて'City of Death' とほぼ同時期に製作された『死のロボット』と『サイバーマンの逆襲』を観た時には、苦痛のあまり床の上をのたうち回ったというのに(詳しくは2007年9月8日付の同コーナーへ)、この差は一体何なんだ、ひょっとして私はいつの間にか、アダムスの名前がありさえすれば何でもオッケーな人間に成り下がってしまったのか?
いやいやいや、そんなはずはない。その証拠に、テレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観れば、その悲惨な特撮映像に耐えきれず私は今でも床の上をのたうち回るのだから。ならば、'City of Death' をこんなにも楽しく観続けることができたのは、一体何故なんだろう。
と、しばし腕組みして考えた結果、答えは二つ見つかった。
まず第一に、'City of Death' の舞台はパリで、撮影はロケが中心であること。私が前に観た『死のロボット』や『サイバーマンの逆襲』は、別の惑星で暮らすエイリアンたちの話だったので、役者はみんな奇天烈な衣装を着せられ素っ頓狂なメイクを施され、今となってはおよそ正視に耐えない代物と化していたが、'City of Death' の登場人物は普通の人間もしくは普通の人間のフリをしたエイリアンなので、妙ちくりんな服装やメイクが入り込む余地があまりない。セットにしても、よその惑星とか宇宙ステーションの中とかいう設定だとハリボテ感がありすぎてたちまち「観ているだけで苦痛」レベルになるが、パリで人間に化けて暮らすエイリアンの話ならば、普通のお屋敷のセットで十分だ。おかげで、映像の質はせいぜい「ちょっと古臭いテレビ・ドラマ」レベルに留まる。勿論、そういう効果を狙って脚本が書かれた訳ではないけれど、'City of Death' における「『ドクター・フー』シリーズ初の海外ロケ」は、当時の製作スタッフの意図とはちょっと異なる理由で大きな成果に繋がった(と思う)。
それから、退屈と無縁でいられたもう一つの理由は――「映像が少々どんくさくても、そもそも英語字幕を追いかけるのに忙しくてろくに観ているヒマがない」。
……おあとがよろしいようで。
そして今回の更新は、'City of Death' の特典映像、'Springtime in Paris' に出ているイギリスの脚本家、スティーヴン・モファットについて。ラッセル・T・デイヴィスだけでなく、彼のことまで取り上げる日が来ようとは思わなかったぞ。
それから、アントニオ・ガデスの生涯を振り返ったDVDが発売されたので、こちらも最新ニュースに追加する。こういう映像を日本版DVDで観ることができるとは、何たる幸せ!
現在WOWOWで放映中のイギリスのテレビ・ドラマ『ジキル』(全6話)も、後1話を残すばかりとなった。
私は、基本的に怖い話は苦手だ。だから、おっかない目つきで血まみれのシャツを着たジェームズ・ネスビットの予告映像だけでもう十分、本編は観ないで済ませたいところだが、脚本がスティーヴン・モファットとあってはそうも言っていられない。幸い、映画ではなくテレビ・ドラマだったせいか、少なくともこれまでの放送分については、怖いことは怖いもののエグイ映像がないことに個人的には救われている。
私が「スティーヴン・モファット」という固有名詞を意識したのは、無論、『ドクター・フー』の新シリーズからである。この番組が最初にNHK衛星放送第2で放送された時は、確か午後11時くらいの割と遅い時間から始まったように記憶しているが、主演のクリストファー・エクルストンだけが目当てでこの番組を観始めたくせに、意外といけるじゃん、結構おもしろいじゃん、とハマり始めたちょうどその頃、モファットが脚本を担当した第9話「空っぽの少年」を観て、ラストシーンのあまりの恐ろしさというかおぞましさに、我ながら情けないくらい震え上がってしまったのだ。所詮お子様向けのおちゃらけSFとタカを括っていたのに、まったくもって何たる不覚!
そしてその翌週、やはりモファットの脚本による第10話の冒頭で呈示された、解決策のくだらなさときたら――その落差の大きさに、思わず膝をついて「参りました」と頭を下げる他なかった。今になって振り返るなら、ヒューゴー賞短編映像部門を3年連続で受賞したのは伊達じゃない、ということになるのだろうか。
正直に言って、私は『ジキル』よりも「空っぽの少年」のほうが怖かった。と言っても、『ジキル』がつまらないという意味ではない。ドラマとしておもしろいという意味では十二分以上におもしろいのだが、ただ、怖い話だと思って観たものが怖かったとしても、それはいわゆる「想定の範囲内」だが、怖いはずがないと油断していたものが思いがけず怖かった時は、予想していなかっただけに虚をつかれて竦み上がることになる、というだけの話。
スティーヴン・モファットの手による『ドクター・フー』の脚本は、他の脚本家のエピソードと比較しても、怖さとバカバカしさの振幅の差が大きいように思う。勿論、筋の通った脚本として成立させるためには、おちゃらけているシーンとシリアスなシーンとの間に一貫性があることが絶対条件となるが、その辺りのコツを、モファットはアダムスが脚本を書いた 'City of Death' から会得したにちがいない――とまでは、さすがの私も言いません。ええ、言いませんとも。いくら 'City of Death' の特典映像、'Springtime in Paris' の中でモファット自身が、"there's much to learn from the way he did it." と語っているとしても、ね。
そして今回の更新も、やはり'City of Death' の特典映像、'Springtime in Paris' に出ていた脚本家、ロブ・シアマンについて。
また、小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency でちらっと登場する、オペラ歌手二人とヴィクトリア朝の詩人の兄妹も合わせて追加する。厳密に言うと、「登場する」というより「登場しない」のほうが正しいのかもしれないが、それはさておき。
それから、2009年のアントニオ・ガデス舞踊団来日公演のチケットが公式サイトから一足先に申し込めるようになったので、最新ニュースに更新しておいた。まだお求めになっていない方は、是非お早めに。え、私? 私は勿論、とっくに手配済みですとも。
小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency の登場人物の一人、マイケル・ウェントン=ウェイクスは、嫌われ役としてかなり手厳しく描かれている。労することなく雑誌の編集長の座を父親から譲り受けたものの、雑誌の売り上げを伸ばすどころか経費を無駄遣いして赤字を増やし、母親から引導を渡されるや否やあっさり絶望&逆上する、才能なし甲斐性なしのお坊ちゃん。英語で読んでいるだけなので自信はないが、ここまで作者に容赦してもらえない登場人物は、アダムスの全作品の中でも珍しいのではないか。
確かに、マイケルが最終的にやらかす行為を思えば同情の余地はないし、私自身、常日頃いわゆる親の七光り系の人々に向ける視線はおよそ好意的ではない。にもかかわらず、私の中には何となくマイケルをかばいたくなる気持ちもあって、それは一体何故だろうとしばし腕組みをして考えた結果、見つかった答えは――「売れる雑誌を作れと言われても、私だって何が売れるか見当もつかないもんなあ」であった。
私は普段、雑誌というものを滅多に買わない。買うとしたら、コールドプレイの新譜紹介とか、ノルシュテインのインタビューといった、このホームページのネタに直結する記事が出ている場合くらいのもので、そういった場合を除けば多分年に1冊も買っていないと思う。自分が買いたいと思わない以上、雑誌にどういう記事を載せれば他の人が買いたがるかなんてさっぱり分からないし、たとえどうにかこうにかアイディアをひねり出して1冊の雑誌を形にすることができたとしても、本と違って雑誌はまたすぐ次の号を作らなければならない。そんな自転車操業をほぼエンドレスに続けていくなんて、想像しただけで目が回る。
世の中には、時代の空気を読むのが得意な人がいる。あるいは、時代の空気を作るのは俺だと豪語する人もいる。きっと、雑誌の編集者にはそういう人が向いているのだろう。私とて時代の空気にまったく無関心/無関係という訳ではないが、そういうものを積極的に取り込みたい、呼び込みたいという意識に欠けている気がする。マイケル・ウェントン=ウェイクスは、少なくとも私よりは時代の空気を気にして生きているタイプだったろうが、 Dirk Gently's Holistic Detective Agency においては致命的なまでに場の空気が読めない人として描かれており、これじゃ雑誌の編集者としては無能ぶりを晒すのがオチだろうなと読者に思わせる、という意味では、アダムスの戦略は至って正しい。正しいのだけれど、第14章でマイケルを部屋から追い出した後、空気が読めない=ダメなヤツ、という暗黙の了解の上でスーザンとリチャードがマイケルを笑い者にするシーンでは、私はつい哀れなマイケルの肩を持ちたくなるのであった。
その一方、前回の更新で追加したように、1980年代後半のハイ・アート系の雑誌で、マイケルがベルカント・オペラとかラファエル前派とかの特集記事を載せようとしてボツにされた、ということはつまり、当時のアダムスがそういう記事を「時代の空気が読めていない」と考えていたということでもあって、その点はかなり興味深いと思う――勿論、架空の雑誌に掲載されなかった幻の記事についてあれこれ想像をめぐらすなんざ、世間の人に知られれば空気が読めないどころか普通にドン引きされること間違いなしなんだけどね。
そして今回の更新内容もまた、時代の空気をまるっきり無視。'City of Death' に出ている3人の俳優、ジュリアン・グローヴァー、カトリーヌ・シェル、トム・シャドボンの3人を追加する。
それから、最終話の放送が終わったばかりのラジオ・ドラマ、Long Dark Tea-Time of the Soul のCDが早くも発売されたので、最新ニュースで紹介しておく。と言っても、現時点ではまだ Amazon.co.uk から私の手元には届いていないのだが、今週中くらいには入手できるといいな。
2008.11.22. 『ドクター・フー』の敵役から『007』の敵役へ
『ドクター・フー』の 'City of Death' に出てくるエイリアンは、ジャガロス族という。普段は人間に化けて生活しているが、たまに化けの皮をはいでエイリアンの本体を晒した時に現れるのは、ぎょっとする程に作り物じみた、見苦しい深緑色の顔面マスクだ。どこからどう見てもガラス玉にしか見えない目玉とか、あんなのが本当に生物だというなら違う意味でいろいろ怖かったりするのだが、幸いなことにジャガロス族は一人しか生き残っていないため、画面の見苦しさはかなり抑えられている。
さらに番組の視聴者にとって幸運だったことに、ジャガロス族は人間に化けるにあたって、なかなか見栄えのする男性の姿を選んでくれた。それが、ジュリアン・グローヴァーである。
私はこれまでグローヴァーの名前の意識したことはなく、'City of Death' を観ながら「へええ、こんなエイリアン役をやっているにしては(失礼)、やけに渋くてカッコいい役者さんだなあ」とか思っていた。が、そう思ったのはどうやら私だけではなかったらしく、'City of Death' の直後に、彼は映画007シリーズ第12作目『007/ユア・アイズ・オンリー』(1981年)の敵役に抜擢されている。
役者の値打ちは、大作映画に出るかどうかで決まるものではない。ましてや、娯楽アクション映画の準主役を務めることが、役者としての長いキャリアの中でどれだけの値打ちがあるかなんて人それぞれの考え方次第、私なぞに知れたものではないだろう。でも、長い役者人生の中では当然ながら浮き沈みがあって、華が出てくる時とそうでもない時があるとしたら、'City of Death' 撮影当時のグローヴァーは、役者としてまさに上がり調子の時期だった、とは言えるかもしれない。
私は、イギリスのスパイものが好きな割には007シリーズにはこれまであまり興味がなく、映画館でちゃんと観たのは昨年公開の『007/カジノ・ロワイヤル』だけである。『007/ユア・アイズ・オンリー』に関しては、その昔テレビで放送された時に日本語吹き替えで一応観ているものの、他のシリーズ作品とごちゃごちゃになっていてどんなストーリーだったのかさえ思い出せない。当然、ジュリアン・グローヴァー扮する悪役なんて、悲しいくらい憶えていない。という訳で、来年1月にシリーズ最新作『007/慰めの報酬』が日本で公開されるのを機に、その宣伝もかねてこれまでのシリーズ作品をテレビ放送してくれたなら、『ユア・アイズ・オンリー』だけはグローヴァー目当てで喜んで観直すんだけどな(え、やっぱり勝手すぎ?)。
そして今回の更新は、数週間ぶりに 'City of Death' から離れて別の話に移る。未完に終わった『ダーク・ジェントリー』シリーズ3作目の小説、The Salmon of Doubt の内容を紹介。
ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第2シリーズも無事終わり、今から約1年後にはこの The Salmon of Doubt がラジオ・ドラマ化される予定だそうだが、こんなにも未完成の小説を一体どうまとめるんだろう? 私には見当もつかないが、ま、そういう悩みは監督・脚本のダーク・マッグスに一任することにして、私はこれからロシア・アニメーション・フェスティバル会場である、「スペースFS汐留」というところに出かけてきます。にしても、参加申し込みのサイトには「応募者多数の場合は抽選」とか書いてあったけれど、抽選に外れた人はいたんだろうか?
前回の同コーナーにも書いた通り、スペースFS汐留で11月22日・23日の2日間に亘って開かれていたロシアアニメーションフェスティバルに行ってきた。
ロシアアニメーションと言っても、従来のマニアックでアート志向の強い上映会とは違って、今回のは「ジブリ美術館提供によるチェブラーシカの宣伝会」の趣きが強いことは、参加申し込みのサイトを見ただけで十分予想ができた。だから、会場で数多のチェブラーシカ・グッズが売られているのを見ても、せいぜい「いやはや私が初めて「ソビエトアニメーションフェスティバルで観た時には……」などと、年寄りくさい感慨に耽るくらいのものである。また、今月発売された『チェブラーシカ』のDVDに続いて『ミトン』のDVDも12月12日に発売されることになったらしく、その宣伝チラシも受け取ったが、ジブリがそのネームバリューを十全に発揮して一人でも多くの人にカチャーノフ作品を届けてくれるなら、それはそれでめでたいことだと素直に思う。私自身は、ジェネオンエンターテインメントから2004年に発売されたヴァージョのDVDを既に持っているから、あまり関係ないとしても、だ。
が、しかし。そんな可愛げのないすれっからしの私も、会場ロビーに貼られていた、チェブラーシカのイメージボードに添えられていた文字を何気なく読んだ途端、驚愕のあまりマジでのけぞった。おいおいおい、「劇場版 新生チェブラーシカ 2009年公開予定」って何なのよ?!
いやもう心底たまげたの何のって、こんなに驚いたのは久し振り――と書きたいところだが、実はあんまり久し振りでもない。だって、オーエン・コルファーが小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の6作目を書くと発表したのが今年の9月のことだから。ったく、何て世の中だ。
スペースFS汐留の会場スタッフの一人にお伺いしたところによると、『チェブラーシカ』の新作は、ロシア・日本・韓国の3カ国による製作とのこと。掲示されていたイメージボードが描かれたのはロシアで、製作の総監修のような役割をロシアが務めるが、今は亡きカチャーノフに代わって監督するのは日本人、そして実際の製作とか撮影が行われるのは韓国なんだそうな。日本の商業用セルアニメーションの多くがコスト削減のため韓国に外注されているという話はきいたことがあるけれど、今回の韓国での製作がそういう理由によるものなのか、はたまた今やロシアや日本よりも韓国のほうが人形アニメーション製作が盛んに行われていて技術も進んでいるからなのか、さすがにそんなことまでは訊けなかったが、ともあれ2009年内には公開される予定とのこと。よほどのことがない限り、多分私は『新生チェブラーシカ』を観に映画館に足を運ぶとは思うけれど、それにしても「時代は変わった」という言葉で片付けるのが物足りないくらいに、時代は変わったもんだよ。
気を取り直して今回の更新は、とっくにアップしていたと思っていたけれど実はまだホームページに載せていなかった、2002年4月発売のダグラス・アダムスのドキュメンタリー・ビデオ、LIfe, the Universe and Douglas Adams について。このビデオが製作された時には、まだ映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』は影も形もなかったのかと思うと、時間の流れってヤツをしみじみ感じずにはいられない。
と、何かにつけてしみじみしてしまうのが歳を取った証拠かねえ、と、またついうっかりしみじみしつつ、今年のホームページ更新は都合により今回が最後になります。要は、来月中旬にしばしの日本脱出を試みるからなのだけれど、2009年の更新開始は例年通り2月の第3週目の土曜日、2月21日の予定。
ということで、今年も1年間お付き合いくださりありがとうございました。コルファーの6作目といい新生チェブラーシカといい、波乱必至の2009年もまたよろしくお願いします。