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目次

2007.2.17. 冬休み中の出来事
2007.2.24. すべての映画は奇跡である?
2007.3.3. ある平均的な一日の記録
2007.3.10. 『血の婚礼/フラメンコ組曲』
2007.3.17. 『カルメン』/象牙を燃やした考古学者
2007.3.24. スクラップ大作戦
2007.3.31. ヒアリングマラソン、電動紙芝居付き
2007.4.7. 『春のめざめ』
2007.4.14. 『SF百科』あれこれ
2007.5.5. 非常事態勃発
2007.5.12. iPod nano を我が手に
2007.5.19. 二人の朗読者の近況
2007.5.26. オトメノナヤミ、それは夢のハイスクール・ライフ
2007.6.2. 二人のクリストファーの新刊小説
2007.6.9. 何故、クリスチャン・スレイター?
2007.6.16. 『あるスキャンダルの覚え書き』についての覚え書き
2007.6.23. ブレントウッドのポール・サイモン
2007.6.30. YouTube に乾杯
2007.9.1. 『The Last Laugh』鑑賞記
2007.9.8. 『ドクター・フー』vs『スター・トレック』
2007.9.15. 英語で科学を読む
2007.9.22. あなたはUFOを信じますか?
2007.9.29. 児童書コーナー逍遥
2007.10.6. コズロフ、アタマーノフ、ミリチン
2007.10.13. 『虐殺器官』
2007.10.20. やるせない本棚
2007.10.27. ようやく修理完了
2007.11.3. 宇宙のロマンを感じたい
2007.11.10. ニール・ゲイマンという作家について
2007.11.17. iPod nano の日々と、ウォークマンの日々
2007.11.24. サイレント映画への耐性
2007.12.1. タイムマシンの作り方
2007.12.8. 『雪の女王』公開を記念するなら


2007.2.17.  冬休み中の出来事

 丸2ヶ月の冬休みもあれよあれよという間に終わり、今日からまた毎週更新の日々が始まる。過ぎてしまえばあっけないとは言え、それでも2ヶ月となるとそれなりにこまごまいろいろあって、実際1月28日にはダグラス・アダムス関連アントニオ・ガデス関連の最新ニュースをアップしたし、その他にも思い付くまま挙げてみると――

 昨年最後の更新をしてから約1週間後の12月17日(日)の午後10時より、WOWOWで映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が放映された。WOWOW加入者の私としては嬉しい限りだが、にしてもその直前の午後8時からスピルバーグの『宇宙戦争』が流されたのは、単なる偶然だろうか? 
 いやいや、同じ宇宙人による地球攻略モノでありながら方向性がまったく違う二本の映画が立て続けにファーストランされるとあっては、番組編成に(良い意味で)何らかの意図を感じずにはいられない。WOWOWから毎月届けられる番組ガイドを見ても、さすがに『宇宙戦争』より扱いは小さいながら、『銀河ヒッチハイク・ガイド』もちゃんとあちこちのページできちんと解説されており、「ラジオ・ドラマを基にダグラス・アダムスが発表した小説は、1500万部の売り上げを記録。自ら映画化の脚本を完成させた01年、49歳で急逝した。だが、遺稿はユーモアと刺激に満ちたSF映画史に残る傑作を生んだ」とまで書かれているとあっては、そりゃ宣伝なんだから褒めて持ち上げて当たり前なんだけど、でも他の映画紹介文と比べても割に気合いが入っている気がする。という訳で、ここは一つWOWOW番組編成担当者の心意気に報いるべしと勝手に決意し、かくしてこの日は午後8時から『宇宙戦争』を、そして引き続き午後10時から『銀河ヒッチハイク・ガイド』を、リアルタイムで観る羽目に。
 実際に私と同じことをした人が、全WOWOW加入者の中で一体何人くらいいらっしゃったものか想像もつかないけれど(両方の映画を観た人ならたくさんいても、どちらか1本は生で観てもう1本は録画する、あるいは両方とも録画してから観るほうが普通だと思うし)、『宇宙戦争』直後の『銀河ヒッチハイク・ガイド』では特撮の安っぽさが目につくかなと思いきや、その点はあまり気にならなかった。むしろ、『宇宙戦争』の彩度を落とした映像の後で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のポップな色遣いが目を惹いた。
 しかし、よくよく考えてみれば『宇宙戦争』のトライポッドより『銀河ヒッチハイク・ガイド』のヴォゴン人のほうがよっぽど人類にヒドいことをしているのだが、映画として観ている分には『宇宙戦争』のほうがはるかに恐ろしい。服が宙を舞っているだけで、竦み上がるくらい恐ろしい。人間の感覚なんざ演出次第ということか、それとも私がスピルバーグ演出のカモなのか。

 先月末までいわさきちひろ美術館で開催されていた、「ノルシュテインの絵本づくり展」。西武新宿線という、私にとってはものすごく乗り慣れない電車に揺られ、私にとってはまったく未知なる上井草駅で降り、今にも雨が降り出しそうな灰色の空の下、ホームページからプリントアウトした地図を頼りにとぼとぼ歩き出したところ、恐らく私同様の心許ない来館者が跡を絶たないのであろう、美術館へと誘導する緑の旗が商店街のあちこちに翻っていて、私をほっと一安心させてくれた。おかげで迷うことなく美術館までたどり着いたものの、美術館の正面玄関がわからなくて間違って通用口(?)から入ろうとしてしまったことは、内緒だ。

 そうそう、ノルシュテインと言えば、12月22日(金)にこれまたWOWOWで放映された舞台『泥棒役者』を録画して観たところ、舞台本編が始まる前にまずは童話作家を主人公にした作品の解説がてら、主演のきたろうと片桐仁のお二人が東京・青山にある児童書専門の本屋、クレヨンハウスで気に入った絵本を探している様子が流されたのだが、その時きたろう氏が数ある絵本の中から選び出したのが他ならぬ『きりのなかのはりねずみ』だった。
 私から言うのもなんだけど、ありがとうございます。

 2007年2月14日(木)付の朝日新聞夕刊に、見開き全面広告で、アントニオ・ガデスの愛娘で現在アントニオ・ガデス財団会長でもあるマリア・エステベのインタビューがどどんと掲載されていた。
 「父が遺した作品はわずか五作品と少ないのですが、どれもが今やフラメンコの偉大な古典です。スペインが誇る文化遺産と言っていいでしょう」(p. 11)。ええもうまったくおっしゃる通り、だけど「五作品」とは『血の婚礼』『カルメン』『炎』『アンダルシアの嵐』の四作品に『フラメンコ組曲』を加えたということでいいのかな? それともロルカの戯曲『ベルナルダ・アルバの家』を基に製作された、『エル・ランゴ』のこと? ま、多分前者のことだろうとは思うけれど、こちらはまもなく始まる来日公演でも観られるから、そういう意味では後者のほうこそ「五作品」のうちの一つであって、そしていつか復活上演されたらいいな。

 と、今年も当ホームページは相変わらずな内容ですが(それでもついに7年目に突入)、よろしければまたお付き合いくださいませ。

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2007.2.24.  すべての映画は奇跡である?

 あと2日ほどで、第79回アカデミー賞が発表される。恐らくは心臓をバクバクさせて結果待ちしているであろう関係者の方々のお姿を、対岸の火事よろしく眺めて楽しむことこそが、ハリウッド映画業界とは縁もゆかりもない一般人たる私の年に一度の特権というもの。さてさて今年はどの作品が栄光に輝くのでありましょうか。
 だがしかし、日頃は「『ディパーテッド』なんか『インファナル・アフェア』の半分の値打ちもありゃしない」等々の暴言を平気で吐き散らす私でさえ、前回の更新で追加した「『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化への道のり」を書いていた時は、映画は出来上がったこと自体が奇跡みたいなものなんだから、不出来なところをあげつらうなんて人の道に反する行為だよなあと深く項垂れていた。とは言え、そんな殊勝な心がけは自分の趣味に合わない映画を一本観ただけでいとも簡単に吹っ飛んでしまい、つい先日も友人相手に映画『マリー・アントワネット』の悪口をぎゃんぎゃん吠え立てたばかりである(その節はご迷惑をおかけしました)。まったく、マーティン・スコセッシとソフィア・コッポラは、よくよく私と相性が悪いらしい。
 それにしても、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化への道のり」の内容は暗い。そりゃ20年に亘る不首尾の記録だから暗くて当然なのだが、若くして成功したセレブリティという表の顔に隠されていたダグラス・アダムスの裏の姿があぶり出されるようで、痛々しささえ感じられる。でも、不首尾だろうと何だろうと、映画の企画が彼の人生の相応の部分を占めていたことは確かなのだから、やっぱり当サイトで触れない訳にはいかない。それでも、当初の予定では状況や事情が一目瞭然でわかるようにと、映画関係の仕事と映画以外の仕事とを併記した年譜を添えるつもりだったけれど、さすがに傷口に塩を擦り込むような気がして止めた。
 勿論、製作過程がいかに艱難辛苦だったとしても、出来上がった作品の良し悪しの判断は本来それとは全く無関係に下されるべきである。だから、アダムスの死後にようやく完成した映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観て、率直に「つまらない」と感じた人が、私の書いた「映画化への道のり」を読んで意見を変える必要はない。実際、私とは比較にもならない程に製作過程の事情に通じているM・J・シンプソンも、この映画を一刀両断で切り捨てているくらいである。遠慮はいらない。
 私とて、今後も訊かれれば(訊かれないけど)まるでひとかどの映画評論家みたいな顔でエラそうに『ディパーテッド』や『マリー・アントワネット』を貶すことだろう。ただし、そうやって褒めたり貶したりすることは、一見対象作品について語っているようでいて実は自分自身の見識のほうが俎上に上げられている、ということだけは肝に銘じておきたいものだ――という訳で、今年も性懲りなく My Profile コーナーにて2006年のマイ・ベストを発表しております。興味のある方は、どうぞお立ち寄りください。

 そして今週の更新は、本日から新生アントニオ・ガデス舞踊団の日本公演が始まったことを祝って、私のささやかなガデス関連コレクションを9点追加。
 というか、本当は呑気にパソコン画面に向かっていないでとっとと渋谷に駆け付けるべきなのだが、残念ながら私が昨年7月に買ったチケットには3月以降の日付が印刷されている。2月中は仕事の予定が入りそうだったのでわざと避けたのだけれど、結局何の用事もなくて、こんなことなら初日のチケットを押さえておくべきだったと後悔しても後の祭り。ちぇっ。
 それから、ダグラス・アダムス関連の最新ニュースも一つ追加しておく。選んでくださった方、私から言うのもなんだけれど、どうもありがとうございました。その一方で、同じ本の158ページに書かれた映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』に対するコメントを読んだ時は軽ーく殺意を憶えたけれど、上記のような理由により歯を食いしばって耐えますとも、ええ。

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2007.3.3.  ある平均的な一日の記録

 私は毎朝起きて着替えて洗顔すると、テレビをつけて新聞を読む。そうやって、まだ眠くてぼーっとしたままの意識を少しずつ呼び起こすのだが、先月21日、朝日新聞をいつもの通りテレビ欄側から流し読みしていて文化欄までたどりつき、そこに載っていたカラー写真を見た途端いっぺんに目が覚めた。うわっ、これってマーティン・フリーマンじゃん!
 記事によると、三谷幸喜の代表的戯曲「笑の大学」が The Last Laugh のタイトルで英語に翻訳され、3月初旬までイギリス各地を巡業し、その後ロンドンで上演するとのこと。これまでのところ評価は好意的で、ロンドン・ウエストエンドでのロングランを目指しているとのこと。
 日本では2004年に映画化されたくらいだからかなり有名だとは思うが、「笑の大学」を全く知らない方のために簡単に説明すると、この作品は喜劇作家と検閲官との攻防を描いた二人芝居である。これまでに(テレビとかDVDで、だけど)観た三谷戯曲の中では、私はこの作品が一番好きで、映画版はちゃんと映画館に行って観賞した。それだけに、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』でアーサー役を務めたマーティン・フリーマンが、英語版「笑の大学」であの喜劇作家役をやると知っては冷静ではいられない。ちなみに相対する検閲官役はロジャー・ロイド・パック、映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』で魔法省のお偉方バーティ・クラウチだった人、とでも申しましょうか。ううう、ミーハー心が疼いてものすごく気になる、英語で笑いについての掛け合いをやられたところでどうせ私にはさっぱり理解できまいと分かっちゃいるが、観られるものなら是非観てみたい。
 と、その日はそんなことを考えながらとぼとぼ出勤し、とぼとぼ帰宅して夕刊をチェックしたところ、今度は4月に日本公開を控えたアンソニー・ミンゲラ監督の新作『こわれゆく世界の中で』の取材記事がでかでかと出ていた。『こわれゆく世界の中で』と言えば、これまたマーティン・フリーマンが、ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ、ロビン・ライト・ペンに続いて4番目にクレジットされている映画である。おおっ、朝夕続けてフリーマン関連情報を載せるとは朝日新聞もやるもんだと感心したのも束の間、ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ、ロビン・ライト・ペンの3人の名前はあれど、4番目の男フリーマンについては一言もなし。おいおいおい、ひょっとして誰もこの関連に気付いてないの? 「(ニューヨーク=水野孝昭)」という署名記事だから、やっぱり誰も気付いていないのかも……。
 この記事に限らず、最近になって時々映画館で見かけるようにもなった『こわれゆく世界の中で』の予告映像もまるっきり3人芝居の様相を呈していて、4番目のフリーマン目当てでこの映画を観に行こうと思っている私としては少々口惜しかったりする。まあいいんだけど。
 気を取り直して、その日ちょうど夕刊と一緒に郵便受けに入っていた、3月のWOWOWプログラムガイドを読む。そしてその13ページに、5月放送予定「『笑の大学』英国公演 三谷幸喜 世界の扉を開く」の記事を見つけて飛び上がる。えっ、何、英国版「笑の大学(ラスト・ラフ」の製作過程に密着だって?! うわ、うわわわわわわ、いやもうこれまでにも何度となく思ったことではあるけれど、WOWOWに加入していて本当に良かったっ。
 ……以上が、私のある平均的な一日の記録である。のべつまくなしこんなことばっかり考えているんだから、やっぱり、世間一般の常識とのズレが日に日にひどくなっていても不思議はない。

 そして今週の更新は、アントニオ・ガデス関連の関連人物としてマリソルマリア・エステヴェアドリアン・ガリアアントニオ・カナーレスの4人を追加。でも肝心の来日公演については、この期に及んでまだ観ていないため現時点ではノーコメントである。ものすごく不本意だが、仕方ない。
 それから、アダムス関連の最新ニュースと、ノルシュテイン関連の最新ニュースも追加している。前者はともかく後者はあまり「関連」じゃないかもしれないけれど、私個人としてはとても嬉しい話なので少々強引でも載せることにした。でもこれってまさか、私が2006年11月18日付の同コーナーで愚痴ったのが誰かの耳に届いたせいじゃないよねえ(ないないない絶対ない)。ま、何はともあれアレクサンドル・ペトロフの新作が劇場公開の運びになるのはめでたい限り、私も尻尾を振って映画館に駆け付けますとも。

追伸・先週の同コーナーで映画『ディパーテッド』と『マリー・アントワネット』の悪口を書いた直後に、両作品がアカデミー賞を受賞したのには心底驚いた。やっぱり、世間一般の常識とのズレが確実にひどくなっているな。
 ま、それはさておき、ヘレン・ミレンの主演女優賞受賞スピーチを聴いて、その余裕と風格とさりげないユーモアのセンスに感嘆する。前から素晴らしい女優さんだとは思っていたけれど、本当に凄い人がディープ・ソートの声を担当してくれたんだなあ。

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2007.3.10.  『血の婚礼/フラメンコ組曲』

 先日、ようやく新生アントニオ・ガデス舞踊団による『血の婚礼/フラメンコ組曲』の公演を観た。

 私が初めてガデスの舞台を観たのは、1989年の来日公演の時である。その数年前に映画『カルメン』を観てどっぷりハマっていたから、今度はあれを生で観られるのかと思っただけで心拍数が上がったものだが、実際に観た舞台版『カルメン』は、カルロス・サウラ監督には申し訳ないが映画の100倍くらい素晴らしくて、舞台が終わった時には文字通り腰が抜けていた。
 当時の私は一介の貧乏学生で、たかがロードショー映画を1本観るのにも前売券売り場で迷いに迷い選びに選ぶ有様、ましてや値の張る来日公演の舞台を観るなぞ贅沢の極みだったから、腰が抜ける程感動したといっても劇場に通い詰めるなぞとてもできない相談だった。それでも、後生大事に取っておいたチケットの半券を確認すると、私は1989年5月24日にS席12000円で観た後に、1989年5月30日にもう一度同じ『カルメン』をC席5000円で観賞している。この一事をもってしても、いかに当時の自分が度外れて興奮していたか(一つの舞台を観た直後に、もう一度同じ舞台を観ようとしたのはその時が初めて)、そしてまたいかに金銭的に余裕がなかったか(今の私は、舞踊作品を観るなら絶対S席、せいぜいA席しか狙わない)がよく分かる――何せ、今となっては悔やむことしきりだが、財政事情のためこの時の公演パンフレットの購入を踏みとどまったくらいだから。
 しかし、パンフレット以上に悔やまれるのが、この時の公演演目には『血の婚礼/フラメンコ組曲』もあったのに、まんまとそれを観逃してしまったこと。どうしても『カルメン』を二回観たいと思った当時の自分の気持ちはよく理解できるのだが、その後のアントニオ・ガデス舞踊団の来日公演では二度とこの演目が上演されなかっただけに、悔いても悔いても悔い足らない。
 結局のところ、1989年の私はまだ若くて、単にお金がないというだけでなく、生の舞台は本当に一期一会なんだということを分かっていなかったのだ。そのことを私の骨身に叩き込んだのが1991年のガデス引退宣言で、以来、時間と体力の許す限り金に(あんまり)糸目をつけずに劇場通いをするようになったが、金で解決できる問題など、所詮その程度の問題でしかない。ガデス本人も死去してしまった今となっては、日本経済がひっくり返る程の金を積んだところで、ガデス/オヨスが共演した『血の婚礼/フラメンコ組曲』の生の舞台を観ることなんて出来はしない。せいぜい映画『血の婚礼』のDVDを繰り返し観て、逃した魚の大きさに溜息をつくばかりである。
 さて、このたびの新生アントニオ・ガデス舞踊団結成と来日公演の情報が届いた時は、そりゃ勿論嬉しかった。彼の死と共に、彼の舞台演出までもが消えてしまってはあまりにもったいない、と思う一方、ガデス本人が不在の『カルメン』や『血の婚礼/フラメンコ組曲』を観て、果たして自分がどれだけ心惹かれるかについて、実は今一つ確信が持てなかった。1989年以降、スペイン国立バレエ団を始め、ガデス以外のスペイン舞踊家の作品もいくつか観たものの、それぞれにそれなりに興奮したり感動したりしつつもどうしてもガデスの時ほどには入れ込めずにいて、そのことをスペインに語学留学経験もある真性のスペイン好きの友人に話すと「結局スペイン舞踊のファンじゃなくてガデス個人のファンなんだよ」と看破された、ということもあるし、またもっとずっと単純に、舞台を観ながらアドリアン・ガリアをガデスと比較してしまうんじゃないかという恐れもあったし。
 かくして、不安と期待におののきながら『血の婚礼/フラメンコ組曲』を観たのだが――

 まず『血の婚礼』については、『カルメン』と違って映画と舞台で演出にほとんど違いはないと聞いていて、事実その通りなのに、カルロス・サウラ監督には本当に申し訳ないけれど映画より舞台のほうが圧倒的に美しい。舞台演出、の一語に尽きるのだろうが、人物配置、照明、どこを取っても完璧な空間設計がなされていて、クライマックスの決闘シーンは言わずもがな、結婚式の群舞のシーンでもあまりの美しさに泣けてきた。その上で、単に場面場面が美しいだけでなく、言葉のない舞踊だけでストーリーやキャラクターの心情が手に取るように分かる、というよりむしろ、あまりにすべてが自然なので「ダンス」を観ているという気がまったくしない。これこれ、これよ、私はこれが観たかったんだ!
 続いて、『フラメンコ組曲』。正直なところ、いくらガデス演出といってもフラメンコ組曲というからには演出するにも限度ってものがあるだろう、とちょっぴりタカを括っていたのだが、ええ、そんな私がバカでした。
 幕が開いた瞬間から、そこには私が愛してやまないガデスの美の世界があった。ガデス本人はいなくても、ガデスの舞台が確かにあった。しかもそれは、一応DVDで観ることのできた『血の婚礼』と違い、私にとってまったく初めての作品、ということはつまり、私個人に関して言えば、もう二度と観ることのかなわぬガデスの新作を目にしているのと事実上同じことになる。
 私に向かって「スペイン舞踊のファンじゃなくてガデス個人のファンなんだよ」と言った友人の言葉は正しい。けれども私は舞踊家ガデスのみならず、というかそれ以上に、演出家ガデスのファンなんだ。『フラメンコ組曲』を観ていてそのことが痛いくらい分かった、と同時に、いつまでもべそべそ泣いてないでしっかり拍手しなくてどうする、とも思ったけれど(これじゃほとんどアブない人だよ)、それでも涙が止まらなかった。
 という訳で、劇場を出る前に来週公演分のリピーター券を購入したことは言うまでもない――ってことはつまり、1989年5月24日から約18年経った今でも、やってることは基本的に同じってこと。いやはや。

 と、ここまで長々とガデス公演の感想を書いておきながら、そのくせ今週の更新は、間近に迫った第5回ダグラス・アダムス記念講演の講演者、リチャード・リーキーについて。それから、動物保護つながりということで、「Topics」コーナーに「王立動物虐待防止協会」も追加しておく。
 そして、この更新を済ませたら、今週末はいよいよ『カルメン』を観るぞ!

追伸・2007年3月7日付の朝日新聞夕刊を見ると、先週の同コーナーで紹介したマーティン・フリーマン出演の舞台 The Last Laugh について、原作者の三谷幸喜氏が連載エッセイ「三谷幸喜のありふれた生活」の中で取り上げていた。

劇作家にマーティン・フリーマン。これでまたぶっ飛んだ。マーティンはここ最近で一番笑った海外テレビドラマ「the office」の出演者。シラっとした顔でジョークを飛ばす、英国コメディアンの伝統を受け継いだ若手俳優だ。日本では「ラブ・アクチュアリー」のAV男優役が有名か。ますます期待が高まる。(p. 13)

 えーーーーー、『銀河ヒッチハイク・ガイド』については完全にスルーですか?
 ま、そういうことなら私も遠慮なく重箱の隅をつつかせてもらうけれど、「ラブ・アクチュアリー」でのフリーマンの役は、AV男優じゃなくてあくまでその代役(スタンドイン)じゃなかったっけ? それから、私だったら「the office」は「the Office」と表記するけどな――って、ああもう我ながら本当にたいした揚げ足取りだこと。
 

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2007.3.17.  『カルメン』/象牙を燃やした考古学者

 先日、ようやく新生アントニオ・ガデス舞踊団による『カルメン』の公演を観た。
 『血の婚礼/フラメンコ組曲』と違って、『カルメン』はガデス主演で何度も観ている。一体これまでに計何度観たのか、怖くて数えるのを止めている程だ。おまけに、家では舞台版のCDをさんざん流していて音楽にも馴染みまくっている、というか、誰も聞いていないのをいいことにウルトラでたらめなスペイン語もどきで一緒に歌いまくっていたりする。そのため、タバコ工場のシーンが始まった時は、ついいつもの習慣で声を出してしまいそうになった。ああもう、危ないったらありゃしない。
 それはさておき肝心の舞台はというと、カルメン役のステラ・アラウソ、以前にもまして身体が自由に動いている感じがした。決められた振付通りに踊っているというより、何だか心の赴くまま音楽に合わせて即興で踊っているかのように見える――って、これだから素人の考えることは恐ろしい。
 それからドン・ホセ役のアドリアン・ガリア、同じ振付でもやっぱり役のニュアンスは微妙に異なるようで、ガデスのドン・ホセが怒りで青ざめるタイプだとしたら、ガリアのドン・ホセは怒りで紅潮するタイプ、とでも言おうか。あと、カルメンを逃がした罪で投獄されて項垂れた時とか、自分を棄てようとするカルメンに縋り付く時のみじめさというか哀れさ加減はガデスのほうが上だった、と思ったら、3月13日付の朝日新聞朝刊に音楽舞踊評論家・高場将美による『カルメン』の批評記事が掲載されていて、それには「鏡の牢獄に閉じ込められて動けないホセ(ガリア)の姿に、ガデスの霊が同居しているのが筆者には見えた」(p. 24)と書かれており、ううむ、ガリアの姿にガデスの霊が同居している様なら私も何度となく感じたけれど、あの投獄シーンだけは全然同居してないと思ったのになあ。うむむむむ。

 話は変わって、前回の更新で追加した第5回ダグラス・アダムス記念講演の講演者、リチャード・リーキーについて。古代の人類の化石を発見したことと、発掘の模様を描いた本がベストセラーになったこととで結構有名な人らしいが、私はこれまで全然存じ上げなかった。クロマニヨン人とか北京原人とか、いろいろ奥深くて興味深い問題なんだろうけれど、恐竜から人骨に至るまで化石モノにはあまりロマンを感じないタチだから仕方がない(それでもリチャード・リーキーの名前くらいは一般教養としておさえとけ、と言われれば返す言葉もないが)。
 ともあれ、"Wildlife Management in East Africa - Is there a future?" という演題からも察するに、このたびのリーキーの講演内容は彼の専門分野である古代の人類の話ではなく、主催団体「Save the Rhino International」にふさわしく自然保護の話のようだ。ということで、リーキーの専門分野について知りたいなら『人類の起源』とかを読むべきだろうが、講演で語られる内容を推し量りたいだけなら『アフリカゾウを護る闘い ケニア野生生物公社総裁日記』で決まりだよな、と思ってとりあえずこの1冊だけを読んでみたところ、これが私の身勝手な目的にどんぴしゃな本だった。単なる野生動物保護活動の話だけでなく、生い立ちから化石発掘調査に携わるようになるまでの経緯、さらにどうして専門分野外であるケニア野生生物公社総裁の座に就任することになったかについても書かれていて、「リーキーって誰?」な私にとってはまさに格好である。2005年に翻訳が出たというタイミングも、私の自己都合にぴったりだし。
 さてこの本には、リーキーの発案で密猟の象牙を山と積み上げて燃やすくだりが出てくる。正規ルートでその象牙を売れば相当額の儲けが出て、その金を野生動物保護に回したほうがずっと有意義ではないかという反対意見を、リーキーは振り切った。敢えて暴挙ともとれるパフォーマンスをすることで、世界中のマスコミの注目を集め、象牙問題への関心を高めることのほうが大切だと判断したからだそうだが、言われてみれば私自身、大量の象牙に火をかける映像をテレビのニュースで見たことを思い出した。そうか、あれはリーキーの仕事だったのか。
 象牙の密猟・密輸に関して、日本は世界で肩身の狭い思いをしなくちゃならない国の一つである。象牙のキャンプファイアー映像が流れてから、日本の状況は少しは改善したんだろうか。それがなかなか難しいというのなら、とりあえずイギリスのthe RSPCAにならって日本にも動物虐待防止協会を作るというのはいかがだろう。
 いやホント、「美しい国」を本気で自称したいなら、そういうことも忘れちゃいかんよな。

 そして今週の更新は、アダムスの人脈の中でも特に『ドクター・フー』にまつわる2人、トム・ベイカーララ・ウォードを追加し、ピーター・デイヴィソンを加筆した。本当は、3月13日にNHK衛星第2放送で『ドクター・フー』新シリーズの最終話が放映されたのを期して、のつもりだったのに、この日は衆議院予算委員会集中審議の録画放送が急遽割り込んだために最終話の放映が1週間後の3月20日に延期になってしまい、不本意だったらありゃしない。

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2007.3.24.  スクラップ大作戦

 今を遡ること約2年半、私は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開時に出版された海外の映画雑誌・SF雑誌を買い漁った。そして先日、約2年半に亘って床の上に積み上げられていたそれらの雑誌に意を決してカッターナイフの刃を当て、スクラップにまとめた。
 同じ雑誌でも、国内の雑誌についてはとっくに片をつけていたが、同じことを洋雑誌に対して行うにあたっては私の中で相当の葛藤があった。雑誌は、該当記事だけでなくその周辺にちりばめられた各種情報にも後に資料的価値が出てくるのではないか、とか何とかいうもっともらしい理由もさりながら、日本への輸入価格で購入したせいで1冊あたりものすごく高くついたのに、それを無惨に切り刻んでしまうなんてもったいない、というセコい根性が働いたせいである。それでも、昨年9月に「映画評」を、今年2月に「映画化への道のり」を追加更新するために床に積まれた山の中から該当記事を探した時は重い雑誌をいちいちひっくり返すのが本当に面倒臭かったこともあって、ようやく決心がついた次第。
 最初の1冊目をバラしてしまえば、度胸は据わる。2年以上もの長きに亘る逡巡はどこへやら、始めてしまえば結構楽しい。ただし、雑誌によっては複数箇所に該当記事が出ているので切り抜き忘れには要注意、そのためにも最初から最後までぱらぱらとめくって一通りチェックする必要はある。チェックすれば、『銀河ヒッチハイク・ガイド』と直接関係のない記事にも目が留まる。これを最後に資源ゴミと化してしまうと思えば、そういう記事もついつい手を止めて流し読みする。ということで、作業は遅々として進まない。1時間もあれば十分、と踏んでいたのに、午後9時頃から始めて気が付くと日付が変わっており、おまけに床の上は作業開始前よりはるかに散らかっている。こうなったら、最後の1冊まできっちりケリをつけて片づけないことには寝るに寝られない。そろそろペースを上げてかからなくては、と思った矢先、SFX というイギリスのSF映画・テレビ雑誌の2005年5月号を手に取り目が釘付けになる。おおおっ、『ドクター・フー』新シリーズの批評が出ているじゃないか。しかも、星5つで大絶賛状態。2006年10月7日付の同コーナーにも書いた通り、日本では昨年秋からテレビ放送が始まったけれど、イギリスでの放送は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の公開と同じタイミングだったんだ。
 さらに同じ雑誌の6月号を開くと、今度はドクター役のクリストファー・エクルストンのインタビュー記事が長々と出ている。しかし、英語の活字が小さい。小さすぎて、深夜0時30分を過ぎてしょぼしょぼになった目と頭にはあまりにつらい。かくなる上は、この記事も切り取って後でゆっくり読むしかない。誰が何と言おうと、ないったらないっ。
 だったらせっかくなので、5月号の批評記事のほうも切り取くことにする。ただし、何がどう「せっかく」なのかについては深く考えてはいけない。さらに、よくよく見ると6月号には付録として『ドクター・フー』の特製ポストカードまでついている。さすがにこんなものは要らない、と言いたいところだが、何となく「せっかく」なのでとっておく。朦朧たる午前1時の判断、ということで深くつっこんではいけない。でも、さらなる付録として付いていたヒロイン役、ビリー・パイパーの特製ピンナップ・ポスターだけは迷わず処分した。悲鳴を上げたビリー・パイパーのファンの方がいらっしゃったら、ごめんなさい。
 さてさて、日本では先日3月20日に新シリーズのテレビ放送が最終回を迎え、翌21日にはエクスルトンがドクター役を務めた第1話〜第13話分のDVDが発売された。私は、前者についてはリアルタイムでテレビにかじりつき、後者についてはアマゾンで予約購入したことを、今ここで正直に告白する。ったく、どこまでハマってるんだか……。

 そして今週の更新もまた、当然のように『ドクター・フー』関連。アダムスが脚本を書き、前回の更新で追加したトム・ベイカーララ・ウォードの二人が出演したものの放送されずに終わった Shada について追加する。あれやこれやで、知らぬ間に何だか自分がとてつもない底なし沼に足をつっこんでしまったような気がしてならない。
 それから、アントニオ・ガデス関連の最新ニュースも追加。全く期待していなかっただけに、嬉しさも倍増である。勿論、ハードディスクドライブにがっちり録画させていただきますとも。ぐふふふふふ。

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2007.3.31.  ヒアリングマラソン、電動紙芝居付き

 私は、前回の更新で追加した Shada のオーディオ・ドラマCDを持っている。きちんと把握してはいないけれど、多分発売された2003年12月直後にはアマゾン・コムで「Douglas Adams」で検索して見つけ、購入したと思う。ただし、手元に届いてCDのジャケットをちらっと眺めて「ふーん」と思って、それっきりほったらかしていた。当時の私は『ドクター・フー』に何の感興もなかったし、今も当時も私の英語力ではテレビ・ドラマの音だけを収録したCDなんか聴いたって分かるはずがないし。
 それから約3年の月日が流れ、気がつけば『ドクター・フー』新シリーズにどっぷりハマっている自分がいて、そう言えばリチャード・ドーキンスの奥様のララって、確かアダムスが『ドクター・フー』の脚本を手掛けていた時に一緒に仕事していた人だったよな、でも何の仕事をしていたんだろう、BBCのスタッフかな、それとも端役か何かで出演していたのかな、と、軽い気持ちで調べてみて愕然。ララ・ウォードって、当時のテレビ・シリーズのヒロイン役だったんだ。おまけに、相手役のトム・ベイカーと共演直後に結婚し、スピード離婚していたとは。
 そして、この期に及んでようやく自分が Shada のCDを持っていたことを数年ぶりに思い出し、慌てて手に取ってよくよくチェックしてみると、うわあ、ジャケットにもちゃんと「Lalla Ward AS ROMANA」って書いてあるじゃないか。でもちょっと待て、主演はトム・ベイカーじゃなくて Paul McGann になっている、ということは、テレビ・ドラマの音をただ収録したんじゃなくてちゃんと最初から作り直したのか? にしても、Paul McGann って誰なのよ?
 という訳で、購入から約3年経ってようやくCDのビニールカバーを引き剥がす。で、聴いてみたら、「ほほう、これがミセス・ドーキンスの声か」と分かった以外は案の定何が何やらさっぱり理解できなくて落ち込み、リスニングのヒントになるような説明文もついていないのにがっかりし、そのくせキャストの顔写真と共に、その役のイラスト画のようなものがついているのに首を傾げる。何だこりゃ?
 で、改めて BBC、Doctor Who、Shada でネット検索してBBCの公式サイトにたどり着き、このオーディオ・ドラマがそもそもはウェブキャスト用として製作されたものだったことを知る。Paul McGann という人が、8代目ドクター役者であることも知る。さらに、妙なイラストと私が思ったものは、元を正せばウェブキャスト版で付けられていたアニメーションだったことも判明する。そして、このアニメーション付きの Shada が、今なお無料でダウンロード視聴できることも分かる。
 私が使っているマックのOSは今流行の YouTube も使えないくらい古いのだけれど、そんな私のマシンでさえ、試してみたら Shada は難なくダウンロードできた。さらに、1エピソードが約30分、全部で6エピソード、という構成ながら、ダウンロードする時には1エピソードがさらに6つか7つのパートに分けられているため、一回のダウンロードにかかる時間も短ければ、一回分を視聴する時間もせいぜい4,5分しかかからない――そう、まるで私の英語リスニングの集中力を考慮したかのように。
 おまけに、CDを聴いた時は誰がどこで何を言っているのか皆目見当がつかなかったのに、アニメーションというよりほとんど電動紙芝居レベルとは言え、音に絵がついているだけで格段に理解しやすい。実際、私が得た情報の8割くらいは、英語のセリフからではなく電動紙芝居映像からじゃなかったかとさえ思う。それはそれで情けない話だが。
 かくして、途中に休憩を挿みつつも計3時間、久しぶりのヒアリングマラソンを無事完走する。私が聴き取れた範囲だけでも、ドクターと船のコンピュータのやりとりとかとてもアダムスっぽくて笑えたし、後にこの話が Dirk Gently's Holistice Detective Agency にいかに転用されたかも薄らぼんやり理解できておもしろかった。そうそう、第1エピソードに出てきた車がわざわざフォード・プリーフェクトなのは、アダムスの脚本に書かれていた通りなのか、それとも脚色したゲイリー・ラッセルが付け足したのか?
 ま、何はともあれ、こんなアホな話のために休日の昼間から小さいコンピュータ画面を約3時間も睨んでいる私って、一体。

 気を取り直して今週の更新は、そのオーディオ・ドラマ版 Shada の監督ニコラス・ペッグと、8代目ドクターことポール・マッギャンについて。
 また、アレクサンドル・ペトロフ監督作『春のめざめ』公開に合わせて、三鷹の森ジブリ美術館にて原画展が開催されているとのことなので、ペトロフの師匠であるノルシュテインが以前同じジブリ美術館で行った時の企画展示と、それからこの冬に東京・ちひろ美術館で開かれた絵本づくり展の、2つのパンフレットをノルシュテイン・コレクションに追加する。

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2007.4.7.  『春のめざめ』

 東京・渋谷にある映画館シネマ・アンジェリカにて、アレクサンドル・ペトロフ監督の最新作『春のめざめ』を観た。
 全編、圧倒的に美しい。1枚の絵としても美しいが、それがまた見事に動く。幻想シーンの迫力もさりながら、写実的なシーンでも人物の動きにまったく違和感がないのが凄い。イマドキのモーションキャプチャーを使って俳優の動きをコンピュータにトレースしたならまだしも、ペトロフ独特のオイル・ペインティングの手法で、一体どうして小間使いバーシャの自然な動きが生み出せるのか。1枚の絵のデッサンもままならない私には、まさに想像の埒外である。
 時折、感嘆の溜息が出た。
 おまけに、久しぶりのロシア語の響きがとても気持ち良い。ペトロフの前作『老人の海』を観た時は何故か日本語吹き替えしかなくて随分がっかりしたものだが、『春のめざめ』がその二の舞にならなかったのは幸いなるかな。たとえ言葉の意味は分からなくても音だけで風情は倍増、でも作品の中でパーシャが部屋に入る時に口にした「モージュナ」(入っていいですか、の意味)が聴き取れた時はかなり嬉しかった。で、調子に乗ってこの4月からスタートしたNHKテレビのロシア語会話を見始めたのだけれど、一体いつまで続くことやら(とりあえず第一回目の放送は、ちらっと映った赤ん坊ハリネズミが壮絶に可愛かったので満足したが)。
 と、そんなこんなで作品そのものには大いに満足したものの、それとは別にひっかかりを感じたことが二つある。まず一つ目は、『春のめざめ』という邦題。2006年8月に広島国際アニメーションフェスティバルで上映された時の『マイラブ 初恋』のままで良かったのに、どうして変更したのだろう。それでも、敬愛するロシア語通訳・翻訳家の児島宏子さんが考えた末に選ばれたのなら文句を言うまいと思っていたが、ジブリの公式サイトによると、どうやら児島さんではなく、プロデューサーの鈴木敏夫氏の発案とのこと。だったら(?)、遠慮なくグチらせてもらおう。妙な意訳で観客のミスディレクションを誘うのは、止めてほしいよな。
 もう一つのひっかかりは、映画のパンフレット。普通の冊子ではなく、紙を綴じないでバラバラのままにしたのは、これをそのままポスターとして飾れるようにとの配慮らしいのだが、私としては扱いにくくて困る――って、そうお考えの方は、絵本『春のめざめ』をお買い求めください、ってことかしらん。
 ま、些事はともあれ、私が行ったのが平日だったせいか、映画館の中はかなり空いていた。東京近辺にごまんと生息しているはずの、いわゆるアニヲタと呼ばれる人々はどこで何をしているのやら。アニメ好きを自称するなら、たまにはこういう作品にも手を出してくれればいいものを。でないと、「三鷹の森ジブリ美術館第二回提供作品」に期待が持てないではないか。
 という訳で、東京近辺にお住まいのみなさま、お暇がありましたらシネマ・アンジェリカまで足をお運びください。4月13日(金)には上映終了とのこと、お早めにどうぞ。同時上映の短編アニメーション『岸辺のふたり』も、ノルシュテインお墨付きの大傑作なのでお見逃しなく。ただし、この作品のDVDを既に買って持っている私としては、心中複雑でしたがね。

 そして今週の更新は、前回に続いて『ドクター・フー』オーディオ・ドラマ版 Shada の出演者を紹介。ジョン・リーソンジェームズ・フォックスショーン・ビガースタッフの、計3人を追加した。

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2007.4.14.  『SF百科』あれこれ

 図書館や大型書店で『SF百科』とか Science Fiction TV という本を見つけると、私はいつも「ダグラス・アダムス」や「『銀河ヒッチハイク・ガイド』」の項目があるか確認する。たとえそんな項目があったとしても、私がとっくに知っている程度のことしか出ていないのが常なのだが、その1冊の中でどのくらいのスペースが割かれているかとか、どんな表現で紹介されているかとか、そういうことが気になって素通りできない。その挙げ句、今から約10年くらい前のことになるだろうか、銀座の今は亡き洋書専門店で見つけた SF Encyclopaedia とか何とかいう本で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が "already dated." (今となってはもう古い)と書かれているのを読んで憤懣やるかたなく思ったりするのだから、我ながらバカというかヒマというか。
 先日も、図書館内をこれといった目的もなくふらふら歩き回っていた時に、北島明弘著『世界SF映画全史』という本に出くわした。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は長らく映画化されなかったため、これまでは「SF映画」の本に出ている可能性はゼロだったが、2005年以降の本なら記載があってもおかしくない。そこでさっそく奥付をみてみたら、2006年4月発行となっている。おっ、これは期待が持てるぞと思って中を確認してみたところ、何のことはない、映画ではなくイギリスのSFテレビ・ドラマのコーナーに登場していた。
 ま、記載がありさえすれば別にどこのコーナーでもいいんだけど、と思いながら読んでみると、文章自体はそんなに長くはないのだが、妙に詳しい。そのくせ、微妙にズレている。「もともとは78年3月8日にスタートしたBBCラジオ4の番組で、二シーズンで13話を放送」(p. 965)とか。惜しい、正解は12話でした。
 そしてまた、ストーリー紹介も微妙。「"The Hitchhiker's Guide to the Galaxy" は宇宙旅行者必携のガイドブックだが、記述が不正確なので、フォード・プレフェクトがリサーチをしている。彼は地球に十五年も足止めされ、ハイパースペース・バイパスを作るために破壊される地球から危ういところでUFOにヒッチハイクして逃げ出す。そのとき地球人の友人アーサー・デントも助け出した」。フォード・プリーフェクトじゃなくて「プレフェクト」なのは間違いとは言えないけれど、でもこれだけを読むと何だかまるでフォードが主役みたいだし、「UFOにヒッチハイク」という書き方にも違和感を憶えるのは私だけか?
 とは言え、せっかく日本語で『銀河ヒッチハイク・ガイド』について詳しく紹介してくれているというのに、些末なことでいちゃもんを付けるのは恩知らずというものである。大体、5800もの作品を網羅するとあっては、小さなミスは避け難い。ということで、参考までにこの本での『ドクター・フー』の項目も合わせてチェックしてみたところ――「時間の管理人(Time Lord)であるドクター・フーは時空間を越えてさまざまなエイリアンと戦う」(p. 961)。うわあ、こちらのミスはかなり痛い。
 どこがミスなのか分からない、とおっしゃる方はこちらへ。確かにとてもありがちな誤解ではあるけれど、私が持っている渡辺時夫監訳『英国を知る辞典』(研究社、1988年)でも「主役のドクター・フーはターディス(Tardis)というタイムマシーンに乗って、仲間と過去や未来へ飛び、さまざまな悪と戦う」(p. 110)と、まったく同じ過ちを犯しているけれど、それにしたって『世界SF映画全史』の著者をしてこの間違いに気付かなかったということは、きっと『ドクター・フー』を実際にご自身でご覧になったことがないのであろう。
 勿論、私も自分のホームページで同レベルのミスをやらかしたことは一度ならずある。でも、ミスに気付けばすぐさま訂正できるホームページと違って、一度出版されてしまったものは取り返しがつかない。その昔、著書の中で Uncle Tom's Cabin を「アンクル・トムの船室」と訳してしまった英米文学の先生がいて、古本屋で自分の本を見つけるたび買い求めているというまことしやかな話をきいたことがあるけれど、気持ちは分かる。活字って怖い。

 ともあれ、この数週間というものずっと『ドクター・フー』関連の話ばかりが続き、これじゃ一体何のサイトなんだか分からなくなってしまいそうだから、とりあえずこの辺りでいったん打ち止めにする。本当はまだまだ追加すべき事項はたくさんあるのだけれど、それらはまた後日ということで。
 で、今週の更新は、イギリスで放送された『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関するカルトクイズについて。何問解けるか、みなさまも是非お試し下さい。

追伸・2007年4月12日付けの朝日新聞夕刊で、カート・ヴォネガットの訃報を知る。
 新潮文庫『銀河ヒッチハイク・ガイド』のあとがきで私は初めてその名前を知り、恐る恐る『タイタンの妖女』に手を出して、そしていっぺんにファンになった。以来、彼の小説作品はほとんど全部読んでいる。それだけに、「そのうちいつか」と思い続けたまま「関連人物一覧」のヴォネガットの欄をちゃんと加筆しないでこの日を迎えてしまったことについては、どんなに後悔しても足りない。ヴォネガットの冥福を祈りつつ、近いうちに今度こそちゃんと更新しようと思う。

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2007.5.5.  非常事態勃発

 2007年4月13日(土)の夜、その日の分のホームページ更新を終えた直後に、愛用のマックが突然動かなくなった。
 再起動しようとしても、画面は灰色のままで何のアイコンも出てこない。電源を切れば画面は黒くなり、電源を入れれば灰色になる。動きはそれだけ。おいおいおい冗談でしょ、よりにもよってこの数ヶ月、私は全然バックアップを録ってなかったというのに!
 このような非常事態勃発に対して、かつてこの私が「Don't Panic」なる標語を思い出せた試しがあっただろうか。ない。という訳で、この時も私はあっさりパニックに陥り、マックに詳しい友人知人に携帯メールを打ちまくったのだが、いやはやみなさまその節は大変お騒がせいたしました。
 かくして、方々からのアドバイスに従い、CD-ROMからの起動やら何やらを試したものの、やはりハードディスクドライブそのものが完全に破損してしまったらしく、ハードディスクそのものを交換するより手はないという結論に至る。ただし、バックアップを取り損ねていたもののうち、「これだけは、是が非でも」というものだけはかろうじて救い出すことができた。不幸中の幸いという言葉ではとても足りない、奇跡と呼ぶべき僥倖である。天は私を見捨てなかった、かくなる上は、天の恩恵に応えるためにも今後は毎日ちゃんとバックアップを録らねばなるまい。
 それはさておき、まずは壊れたマックの修理が先決である。ただし、いくらハードディスクを交換すれば元通りになると言っても、既に約5年に亘って使用してきたiBookではこれからもいろいろ不具合が生じるだろうし、だったらこれを機に新しいマックに買い替えたほうがいいのではないか、というよりそれが普通なんだろうけれど、単純にそうできないのが現在のマックの最大の瑕瑾である――クラシック機能のついていない新しいマックのOSXでは、私が今使っているOS9用のアプリケーション・ソフト、PageMill とか FileMaker とかがすべて使えなくなるのだ。それは困る、ものすごく困る。
 ああでもないこうでもないとさんざん考えた末、4月15日(月)、私はパソコンショップで新しいMacBookを注文した。合わせて、壊れたマックのハードディスク交換もお願いした。つまり今後はマック二台体制でいく、ということ。いきなりの大出費だが、ここでのんびり迷っていても仕方がない。週に一度のホームページ更新は誰に頼まれたものでもないけれど、私としては死守できるものなら死守したいし、それが無理ならせめてなるべく早く「PCトラブルにつき臨時休業中」のお知らせをアップしたいし。
 4月25日(水)、新しいMacBookが入荷できたとの知らせが入る。入荷まで割と日数がかかったのは、購入時にメモリを増やしてもらったため。続いて4月27日(金)、長年の相棒、iBookの修理が完了したのと知らせを受け取る。嬉しい知らせには違いないが、同時にそれは2台のマックの初期設定に悪戦苦闘する日々が始まりでもあった。インターネット接続とかメール送受信とかFTP接続とか、そういったものの設定には毎回かなり手こずるのだが、今回は二台ということでその手間も二倍。いやもうほんと、アカウントIDだのユーザIDだの、どうしてこんなに紛らわしいんだろう。
 そして今現在では、新旧どちらのマックからでもインターネットに接続でき、ホームページのアップロードもできるようになった。今後、この二台をどう使い分けていくかは検討中だが、とにかく今回のような「PCトラブルのため臨時休業」はなくなると思う。というか、思いたい。

 で、肝心の今週の更新だが、前回の更新で追加した『銀河ヒッチハイク・ガイド』カルトクイズの答えにもなった、イギリスの女優ルーラ・レンスカと、彼女ともどもラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出演した二人の俳優、ジョナサン・アダムスアントニー・シャープについて。いつもよりしょぼい内容になってしまったけれど、非常事態につきどうかご容赦ください。

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2007.5.12.  iPod nano を我が手に

 前回の同コーナーでは書かなかったけれど、このたびのPCトラブルで急遽 MacBook を新規購入した際に、私は合わせて iPod nano も購入した。
 iPod の類を買うのは、これが初めて。マックユーザーの一人として、本当は前からずっと欲しかったのだけれど、これまで使っていた iBook ではOSが古すぎて使えなかったのだ。で、今度新しいマックを買うときには絶対 iPod も一緒に買うぞとかねてより胸に固く誓っていた。
 さて、新旧2台のマックのインストールもあらかたケリがつき、無事に新体制下でのホームページ更新も済んだところで、いよいよ iPod nano をケースから出す。でもその前に、まずは手持ちをCDを MacBook に読み込む作業から始めなければならない。読み込み作業自体は iTune のおかげですこぶる簡単だし、前の iBook の時に比べて読み込み速度もかなり早くなっているが、それでもやっぱり意外に手間と時間がかかる。なるほど、だから最初から iTune Store で買ったほうが楽じゃん、と考える人が増えるんだな、きっと。
 その iTune Store も、前のマシンではやはりOSが古すぎて利用することができなかった。それだけに、やったね、ついに私も参加できるぞ、と無邪気に喜んではみたものの、我に返ってよくよく考えてみれば私には音楽を聴く趣味がほとんどないから買うものがない。せっかくの新機能、試してみたい気持ちは山々なのに。
 え、音楽を聴く趣味がないなら、そもそもどうして iPod nano が欲しかったのかって? そりゃ言うまでもなく、純粋な音楽CDはたいして持っていなくても、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のラジオ・ドラマやら小説版の朗読やらのCDなら何十時間分とあるからである。おまけに、BGMとして利用できる音楽と違って、こういうのはある程度集中してちゃんと聴かないことにはどうしようもないからである。ね、どうです、切実でしょう?
 そこで今週の更新だが、せっかくだから(?)私がここ数日かけて黙々と読み込みに励んだCDの山を紹介する。私が iPod nano を使うのは基本的に家と職場を往復している時間が中心になると思うのだが、今現在の私は家と職場がかなり近いので、一通り全部を聴き終えるまでに一体何日、というか何ヶ月かかることやら。ひょっとすると、1年経っても終わらないかも。

 ところで、昨日2007年5月11日は、ダグラス・アダムスの6回目の命日だった。アダムスの訃報を耳にしたのはついこの間のことのような気がする一方、アダムスの存命中には iPod はおろか iMac も存在していなかったのだと考えると、やはりそれだけの時間は流れているのだなとも思う。
 という訳で、週明けの出勤時には、ちょっとだけしみじみしながら iPod nano を装着し、アダムス本人による小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の朗読に耳を傾けることにしよう(しかし、アダムスの朗読だけでもシリーズ全5作を合わせると、25時間56分にもなるんだよなあ……)。

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2007.5.19.  二人の朗読者の近況

前回の更新で追加した私のCDコレクションのうち、小説を朗読している二人のイギリス人俳優、マーティン・フリーマンスティーヴン・フライについて――

 2007年3月3日付の同コーナーで書いた、イギリス版『笑の大学』こと The Last Laugh がこの夏、東京と大阪で上演されるらしい。しかも、日本語字幕付きの、オリジナル・キャストで。
 うひゃあ、日本にいながらにしてマーティン・フリーマンの生の芝居を拝める日がこんなにあっさり来るなんて、私は夢にも思わなかった。ううう、観たい、ものすごく観たい。と、そう思う日本人が、私の他に果たしてどのくらいいるものなのかまるで見当がつかないけれど、満員御礼になる程度に、でも私が無事チケットを手に入れられる程度に、いるといいな。

 という訳で、来日公演までの繋ぎとして、先日、フリーマンが出ている映画『こわれゆく世界の中で』を観に行った。舞台がロンドンのキングスクロス駅周辺、ということで比較的私の趣味の範疇だったにもかかわらず、映画自体はあんまり感心しない出来だったが、でも考えてみれば、アンソニー・ミンゲラの映画って世評の高い『イングリッシュ・ペイシェント』や『リプリー』でさえ、私はあんまり好きじゃなかったっけ。『こわれゆく世界の中で』に関して言えば、少なくとも役者としてのフリーマンが良かったのがせめてもの慰めだった。
 そのフリーマンの映画次回作はピーター・グリーナウェイ監督作品の Nightwatching で、何と主人公のレンブラント役を務めるらしい。レンブラントで Nightwatching ということは、要するに名画『夜警』にまつわる話なんだろうが、監督がグリーナウェイだけに一体どんな映画になることやら。
 グリーナウェイの映画は、『英国式庭園殺人事件』とか『プロスペローの本』とか、一時は割と好きだったんだけれど、『ベイビー・オブ・マコン』のあまりのエグさにドン引きし、それでも一応『グリーナウェイの枕草子』は観たもののそのトンデモ・ジャパンぶりにやっぱりドン引きして、それきりすっかり縁が切れている。それでも、せっかくフリーマンが主役で出るからには、できれば Nightwatching は映画館で観たいと思うが、あのグリーナウェイがレンブラントを主題にした映画で、私にも耐えられる程度のエグさにとどめてくれるかどうか、それが問題――あ、でもその前に、そもそも日本の映画館で上映されるかどうかという問題もあったか(え、それはいくら何でもグリーナウェイを見くびり過ぎ?)。

 一方、フリーマンと共に私の iPod nano の中で小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を朗読してくれているスティーヴン・フライについては、映画館でその姿を拝見したのは『Vフォー・ヴァンデッタ』が最後。この映画も、映画自体はあんまり感心しなかったが、フライの役どころだけはいたく気に入った。
 また、出演はしないものの、フライはこの夏日本で公開されるケネス・ブラナー監督の映画『魔笛』で、モーツァルトのオペラ歌詞の、英語翻訳を手がけているらしい。そんなのわざわざ英訳しなくても、映画なんだからドイツ語で歌って英語の字幕をつければよさそうなものだが、翻訳する過程でわざと微妙にストーリーとか台詞を変えたかったんだろうか。ま、もともとのオペラ自体をろくに知らない私にはどう改変されよう気付く由もないが、せっかくだから機会があれば映画館まで行ってみてもいいかなと思っている。

 そして今週の更新は、ダグラス・アダムス関連の最新ニュースに加え(またしてもこういうものが発売されると知って、もはや嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない)、アダムスのケンブリッジ大学時代からの知人でイギリスのコメディ作家、スー・リムについて。まさか、彼女の小説まで日本語に翻訳されているとは思わなかった。

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2007.5.26.  オトメノナヤミ、それは夢のハイスクール・ライフ

 思えば15、16、17と、私の人生暗かった。
 スー・リム著『オトメノナヤミ』を読んでいると、久しぶりにあの頃の暗澹たる日々が甦ってきて何とも気が滅入った。小説自体はあくまで明るい調子で書かれた青春ドタバタコメディなのだが、それだけに15歳だった頃の自分とのあまりの違いについ思いを馳せて、意味もなく落ち込んでしまう。
 この本に限らず、高校生活を題材にした明るい青春モノは、私はおしなべて苦手だ。ことに、英米のハイスクール・ライフを描いた作品には付き物のダンスパーティ、いわゆるプロムというヤツを観たり読んだりするにつけ、あんな習慣のない国の高校でよかったと心の底から思う。そんなものがなくても、既に十二分にみじめな日々だったというのに。
 その中で、アメリカの高校生ならみんながみんなプロムに胸をときめかせているという訳ではない、ということを最初に私に教えてくれたのが、スティーヴン・キングの小説『キャリー』だった。キングの小説を読んで、私は初めてアメリカの学校でも日本同様か、場合によっては日本以上に過酷ないじめがあることを知り、「一人一人の生徒に個性があることを是とする欧米の学校では、日本のような集団による陰湿ないじめはない」などと聞いたふうなことをのたまう学校教師たちが如何に何もわかっちゃいないかを悟り、逆に救われた気分になったのを、今でも昨日のことのように新鮮に憶えている。
 以来、『アバウト・ア・ボーイ』から『スパイダーマン』に至るまで、いじめられっ子が出てくる英米の作品には、私はつい肩入れする傾向がある。とは言え、母校の名誉のために書き添えておくが、実際のところ高校時代の私が本当の「いじめ」に遭っていた訳ではない。幸いにして、私の高校の御学友たちは、本格的ないじめに手を染めるにはあまりにお上品すぎた。それでも、当時の私は私なりに毎朝教室に入る時は石を飲み込む思いだったのだから、現在本物の「いじめ」に悩む小・中・高校生の辛さたるや想像してあまりある。それを「ナヤミ」などと軽く書くことは、到底できない。
 無論、そんな深刻な悩みを抱えず、愉快な「ナヤミ」に明け暮れる高校生活を過ごせたなら、それが一番である。私だって、楽しい文化祭の思い出の一つや二つ、手に入れられるものなら手に入れたかった。なのに、今甦るもっとも鮮烈な高校時代の文化祭の思い出ときたら、2日間にわたる文化祭期間中、視聴覚教室で垂れ流しにされていた映画『ローマの休日』を一人で3回も観たことだったりする。あの時初めてあの映画を観ていたく気に入ったことは確かなんだが、そういう問題じゃないよな、絶対。

 ま、そんな過去の暗ーーい話はとっとと忘却の彼方へ押し流すことにして、今回の更新はネット検索をしていてたまたま見つけた、テクノおたくのための小説ベスト20について。こういうのに投票する人たちの大半はきっとプロムに参加してないだろうな、と思うのはやっぱり私の偏見?

追伸・昨日2007年5月25日は6度目の「タオル・デー」で、私は今年も一人秘かにタオルを携えて過ごした。一緒に盛り上がれる同僚がいなくても全然平気な今の私は、高校時代とは比べものにならないくらい幸せだと思う。

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2007.6.2.  二人のクリストファーの新刊小説

 前回の更新で追加した、The Best Geek Novels の投票サイトはまだ健在のようで、私も投票しようかなと思ったけれど、30作品のうちの半分以上に「読んでない」をチェックしなければならないことに気付いて止めた。大体、たかが新品パソコンのネット接続ごときであたふたするような私は、ちっともテクノおたくじゃないし。
 それにしても、これだけマニアックな小説の大半が既に翻訳済みとは、日本の出版業界もたいしたものである。だが、それに輪をかけてここ2、3年というもの、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の新訳を筆頭に、まるで私一人をマーケティングしているかのような翻訳小説の出版が相次いでいるような気がする。アダムスの最新ニュース・コーナーにも載せている、P・G・ウッドハウス作品の翻訳作品は、国書刊行会のシリーズは当初の予定から大幅にラインナップが拡大されたし、文藝春秋から出ている選集も来月には最後の3作目が発売されるというし。
 また、これまでは児童書とグラフィック・ノベルくらいしか出ていなかったニール・ゲイマンに至っては、今年だけで共著を含め計3冊の小説が翻訳されることになった。そのうち2冊、『アナンシの血脈』と『グッド・オーメンズ』は既に発売されており、残る1冊、『アメリカン・ゴッド』は今度の11月に出版予定とのこと――ただし、The Best Geek Novels のリストの中では、数ヶ月ばかりフライングしてまるで出版済みであるかのようにこの邦題を載せてしまったが。
 さらにさらに、今年の4月末には、このホームページに登場する二人のクリストファーの翻訳小説、すなわちクリストファー・プリーストの『双生児』とクリストファー・ブルックマイアの『殺し屋の厄日』が、ほぼ同じタイミングで出版され、私を大いに驚かせてくれた。こういう偶然(?)も、起こるものなんだねえ。
 さて、翻訳されたからには私としても、どちらの作品も一応の義理で読まなくてはならない。それでもプリーストの『双生児』のほうは、アダムスとの関連性がなかったとしてもそれなりに興味が持てる内容だからまだいい。また実際に読んでみて、これまで私が読んだことのあるプリースト作品(『魔法』とか『奇術師』とか――あ、そう言えば来週末には『奇術師』の映画版『プレステージ』も公開されるそうで、私はほんのりと楽しみにしている)の中で一番気に入りもした。
 問題は、ブルックマイアの『殺し屋の厄日』のほうである。率直に言って、この本を都心の大型書店で偶然発見した瞬間、「見つけるんじゃなかった」と思ってしまった。
 ブルックマイアの最初の翻訳小説『楽園占拠』は、2004年10月30日付の同コーナーでも書いた通り、読んでそれなりに笑わせてもらった。だから、決して嫌いじゃない。嫌いじゃないけれど、『楽園占拠』ですら私にはシーンによってはグロすぎて胸が悪くなったというのに、このたび出版された『殺し屋の厄日』に至っては、文庫本の帯を読んだだけでも気分が悪くなりそうなエゲつなさ(何せ原題からして Quite Ugly One Morning だ)で、それでも巻末の解説に『銀河ヒッチハイク・ガイド』の文字を見つけた以上は買わずに済ますことはできない(でも、フォード・プリーフェクトを「事件記者」と紹介するのは残念ながらあまり正しくない。フォードは "roving researcher" (p. 15)で、風見潤訳では「遊軍記者」、安原和見訳では「現地調査員」となっている)と、涙をのんでレジに向かったものの、根性なしの私は未だに読みあぐねている。どうしたものやら。

 という訳で今週の更新は、翻訳について。だいぶ前にアップしたきりほったらかしていた、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の翻訳状況のコーナーを改訂した。ギリシア語とかヘブライ語訳なんて、ひとかけらも理解できないけれど、でも実物を拝めたら楽しそう。
 合わせて、「Topics」コーナーにもささやかに1項目を追加している。小説4作目に出てくる「正気のウォンコ」、私の中ではどちらかというと注目度の低いキャラクターだったのだが、ラジオ・ドラマ版では思いがけない大物(?)が声を担当していたんだね。

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2007.6.9.  何故、クリスチャン・スレイター?

 よもや私のホームページにクリスチャン・スレイターが登場する日が来ようとは、夢にも思わなかった。
 確かに、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第4シリーズのキャスト表には Christian Slater という名前があったけれど、でもきっとあのハリウッド俳優とは別の人にちがいないと勝手に思い込んでいた。だって、クリスチャン・スレイターと『銀河ヒッチハイク・ガイド』ですよ? 繋がらない、あまりに繋がらない。
 それでも一応念のためネット検索してみて、やっぱりスレイター本人が正気のウォンコ役を務めていることが分かり、第4シリーズが録音されていた当時、ちょうどロンドン・ウエストエンドの劇場に出ていてどうやらその折に依頼されたことも分かったが、それでもやっぱり私の中では「どうしてスレイターが?」という疑問が拭い切れない。そりゃウォンコはアメリカ人だから、アメリカの俳優が務めるほうがふさわしいかもしれないが、アメリカはアメリカでもウォンコは西海岸の人間でスレイターはニューヨーク出身だし、おまけに私のイメージではウォンコはスレイターよりももっと年上の人だったのだ。
 あ、いや、別にクリスチャン・スレイターという俳優が気に入らないのではない。格段の思い入れもないけれど、彼が出ているというだけで観るのを止めたりはしない。上手下手の問題ではなくあくまで個人的な好みの問題として、実際に私がそういう扱いをしている俳優は現時点で2、3人いるが、スレイターに関して言えば今回の更新のために彼の出演映画をリストアップしていて、実はそれなりの数の出演作を観ていることに気が付いた。ま、改めてそんなことに気付くということは、観て「今一つバッとしない」と思って記憶から自動消去されてしまった作品が多いということでもあるのだが。
 その典型が『バジル』で、私はこの映画を観ている間ずっと「ウィルキー・コリンズが書いた原作小説を読んでいるほうが、ずっとストレートにわくわくできるだろうなあ」と、ひどいことを考えていた――で、映画が公開された数年後に、原作小説が『ウィルキー・コリンズ傑作選1』として臨川書店から出版されて嬉々として読み、「やっぱり私が思った通り、小説のほうがおもしろい」という結論に至って、それっきり。
 それでも、『薔薇の名前』や『トゥルー・ロマンス』などは、かなり良く出来た映画だと私も思う。とりわけ後者は、クリスチャン・スレイターという役者をぴかぴかと輝かせていたように記憶している。問題は、どちらの作品も今から10年以上前の作品だということ。どうもそれから先はあまり作品に恵まれていないような感じで、おまけに実生活で暴行事件を起こしたこともあったようで、でもそんな回り道をしながら今なお毎年のように映画に出演し続け、さらには舞台『カッコーの巣の上で』を務めたりもしているのだから、俳優としての底力を持っている人なんだろうな、きっと。
 
 さて今週の更新は、ウォンコ役のスレイターだけでなく、第5シリーズで柱の上の老人役を務めた俳優、サイード・ジャフリーも追加。ウォンコと似たような謎の賢者じみた役柄ながら、こちらのキャスティングについては私も違和感はなかった。

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2007.6.16.  『あるスキャンダルの覚え書き』についての覚え書き
 
 先日、映画『あるスキャンダルの覚え書き』を観た。
 監督がリチャード・エアーで、主演がジュディ・デンチ、ケリー・ブランシェット、ビル・ナイ。そうきいて、「おお、こりゃまた何と豪勢な」と思う私に同意してくれる人は残念ながら日本国内ではあまり多くないと思うけれど、パンフレットには「ロンドン郊外」としか書かれていないものの、実際に映画を観てみれば、ジュディ・デンチ扮するバーバラとケリー・ブランシェット扮するシーバが務める公立中学校が他ならぬイズリントンにあることが分かって(字幕では無視されたが、台詞の中に地名が出てくる。家に帰ってからネット検索し、私の聴き間違いでないことを確かめた)、思わずテンションが上がってしまった私に共感してくれる人に至っては……皆無だよなあ、やっぱり。
 蛇足ながら、監督のリチャード・エアーはイギリス演劇界を代表する演出家で、シェイクスピアから現代劇まで数多くの名舞台を手がけている。現在、ロンドン・ウエストエンドで大ヒット中のミュージカル『メリー・ポピンズ』もこの人の仕事だ。また、日本では未公開の作品が多いけれど、テレビや映画といった映像の世界でも高い評価を得ている。という訳で、イギリスの映画・演劇好きならリチャード・エアーのことは知っていて当たり前なのだが、私がこの監督の名前に過剰なまでに反応するのは、何のことはない、彼がケンブリッジ大学のフットライツ出身だからである。シリアスな演劇/映画一辺倒に見えて、その実、学生時代はモンティ・パイソンのエリック・アイドルらと一緒にお笑いをやっていたのかと思うと、ナイトの称号も持つイギリス演劇界の重鎮に対して何となく親近感が湧いてくるではないか。勿論こんなこと、本人に向かっては口が裂けても言えやしないが、でもフットライツのメンバーというなら、イギリスの演劇界にはやっぱり「ナイト」の称号持ちのトレヴァー・ナン(『キャッツ』とか『レ・ミゼラブル』の演出家)やらデヴィッド・ヘア(『プレンティ』とか『めぐりあう時間たち』の脚本家)といった、とんでもない大物が他にもごろごろいることだし、エアーにとってもフットライツの思い出は蓋をして隠しておきたい秘密の過去ということもあるまい。
 ともあれ、映画『あるスキャンダルの覚え書き』は、イズリントンにもフットライツにも何の思い入れがない人が観ても(というか、それが普通だ)十分以上に値打ちのある、とびきりおもしろくてとびきりおっかない作品なので、機会があったら是非ご覧あれ。ただし、「学校の先生」を神聖視したい人にはあまりおすすめできません。
 
 そして今週の更新は、がらりと方向を変えて音楽関連の Topics に、ミュージシャンのポール・サイモンを追加した。
 音楽全般に疎い私でも、さすがにこの人の代表曲なら知っている。でも、アダムスとの関係がなければ、サイモン&ガーファンクルの写真を見せられてもどちらがサイモンでどちらがガーファンクルか、生涯分からないままだったに違いない。

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2007.6.23.  ブレントウッドのポール・サイモン

 イギリスの鉄道の時刻表をネット検索してみると、ロンドンのリバプール・ストリート・ステーションから電車で約30分ほどで、アダムスが通ったブレントウッド・スクールがある街、ブレントウッドに着く。電車の本数はそれなりに多いから、学校がぽつんとあるだけの不便な僻地ということはなさそうだ。
 でも、それにしたって、いくら無名の若い頃とは言え、既にファーストアルバムも出していたアメリカ人ミュージシャンのポール・サイモンが、ロンドンから電車で30分かかる小さな街にわざわざ出向いて演奏したとは。それも、カレッジならまだしもパブリックスクールで、である。意外というか不可解というか、当時のブレントウッド・スクールには、余程ポップ・ミュージックに先見の目と強力な人脈を持つ教師がいたのだろうか。
 その謎を解明すべく、パトリック・ハンフリーズ著『ポール・サイモン』を拾い読みしてみたところ、答えはあっさり見つかった。

 一九六四年三月、サイモンはパリ滞在中に、ロンドン郊外のエセックスでブレントウッド・フォーク・クラブを運営するデヴィッド・マクロースランドに初めて会い、彼の招きで、一九六四年四月十一日、ロンドンへ行った。世界中の何百万人もの若者にとって、ロンドンは、当世風なものすべての指針となっていた。これはビートルズによるところが大きい。ポール・サイモンがロンドンに到着した日、ビートルズは「キャント・バイ・ミー・ラブ」でヒットチャートの一位を占めていた。(p. 39)
 
 デヴィッド・マクロースランドとともにブレントウッド・フォーク・クラブを運営していたデヴィッド・ラグは、この年の四月、ヒースロー空港に着いたサイモンを出迎えた。ラグはその翌日、ブレントウッドのレイルウェイ・インで彼の演奏を聴いたことを覚えていた。一九六四年四月十二日、ブレントウッドでのこの最初のショウは、サイモンの人生で驚くほど長い影響力をもつものとなった。入り口でチケットのもぎりをやっていたのは、エセックスのホーンチャーチから来た秘書で、キャシーという女性だった。彼女はラグと彼の妻となるジーンの友人だった。サイモンが英国に滞在していた八ヶ月近くのあいだに、キャシーは彼のガールフレンドとなり、インスピレーション源となり、のちに「キャシーの歌」や「早く家へ帰りたい」、「アメリカ」などの名作を生むきっかけとなった。(p. 41)

 この本によると、彼は「一九六四年から六五年にかけてのイングランドでの日々を、「わが人生でもすごく気に入っている時期」と呼んでいる」(p. 42)そうで、なるほど、そういうことならポール・サイモンがブレントウッド・スクールで演奏したのも納得である。人と人との縁とは、こういうことを差すのだな。
 ともあれ、この本を翻訳・出版してくれた音楽之友社に感謝を。翻訳されていなかったら、私はきっと生涯「ブレントウッドのポール・サイモン」に首をひねったままだったにちがいない。
 
 そして今週の更新も、引き続き音楽関係。ハンガリー出身の作曲家ジェルジ・リゲティと、イギリスのロック・グループ、スーパーグラスを追加する。ただしどちらの音楽も、私の耳には良さがさっぱり分からない。

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2007.6.30.  YouTube に乾杯

 新しいマックを手に入れてからはや二ヶ月が過ぎ、購入当初は観られることが嬉しくて毎日のように閲覧していたYouTubeにも、さすがに距離を置くようになった。楽しいんだけど、小さい画面を覗き込むようにして観ていると、肩こりがひどくて。
 YouTubeと言えば、私も著作権の問題は一応気になる。気になるものの、YouTubeというシステムの便利さは手放し難い。そこで、根本的に何の解決にもなっていないかもしれないが、自分が利用するに際しては自分なりのポリシーを掲げた。いわく、「レンタルして観られるものや、日本のテレビで放送されたものには手を出さない」。
 という訳で、代わりに日本にいては観ることのできない、イギリスやアメリカやドイツやスペインといった国々でアップされた映像を楽しませてもらうことに。常日頃からDVDのリージョン・コードという制度に憤りを感じていた分、意趣返しの趣きもあってますます楽しい。文句があるなら日本で観られる規格のDVDを発売しやがれ、てなものである。
 ただし、日本で今は発売されていないソビエトのアニメーションとか若き日のアントニオ・ガデスのお宝映像とかを眺めている分には何の問題もないが、「Douglas Adams」の検索結果となると、英語のリスニング能力に著しく欠ける身としては呑気に浮かれてばかりもいられない。イギリスのテレビ局でアダムスの特別番組が報道されたという情報をネットで手に入れたとしても、ほんの数ヶ月前までは「見られないけど、見たい」で済んだものが、今では「見られるけど、英語がなあ」である。いやはや、国境の壁は崩せても、言語の壁はいかんともしがたい――って、要するに単なる私の努力不足なんだが、でも努力できるかどうかも才能の一種なんじゃないかと思うし、そういう屁理屈をこね上げて自分を甘やかすことにかけては私は間違いなく才能に恵まれているとも思う。勿論、根本的に何の解決にもならないけれど。我ながらほんと、しょうがない。
 
 そして今週の更新は、アダムスと個人的に親交のあったイギリスのセレブリティ、ベン・エルトンメルヴィン・ブラッグの二人を追加。
 さて、英語のリスニング能力が壊滅状態なのに大学で英文学の専攻していた私にとって、必須科目だった「英語史」の授業は絶望的なまでに退屈か理解不能かのどちらかだったが、メルヴィン・ブラッグがプレゼンターを務めた2002年のテレビ・シリーズ、『英語の冒険:壮大な波乱万丈の冒険物語』のことはちょっと気になる。もし私が大学生の時にこの番組を観る機会を与えられていたなら、そして番組のプレゼンターとアダムスが友人同士だと知っていたなら、私も少しは英語史に興味を持てたんだろうか。ブラッグ本人の映像というだけなら、YouTubeで討論番組のホスト役を務めている姿を拝見し、討論の内容はよくわからないものの、そつのない仕切りぶりに何となく好感を抱けたのだが。
 来週から、このホームページは例年通り約二ヶ月の夏休みに入る。ちょうどいい機会だから、そんなことでも考えながら約7時間もの長さがあるこのドキュメンタリーを観てみようかな。ただし、私の行動範囲内のレンタルショップに入荷されていれば、の話だけれど。

 それではみなさま、良い夏休みを。なお、次回の更新は9月1日(土)の予定です。

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2007.9.1.  『The Last Laugh』鑑賞記
 
 7月20日、渋谷・パルコ劇場にて、イギリス版『笑の大学』こと『The Last Laugh』を観た。
 私の目当ては勿論、主演のマーティン・フリーマンである。何たって、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアーサー・デントである。生アーサーの演技を、二人芝居の喜劇でとくと堪能できる。しかも日本語字幕付き。ひょっとして私一人をマーケティングして製作したのかも、と妄想が膨らむ程に私向きの舞台だ。で、その妄想に応えるべく、少しでも良い席を確保せんがためにPLAY会員とやらにWeb登録し、めでたく前方の席のチケットを手に入れてからはフリーマンによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの朗読CDを聴き続けた(さすがにプロの役者だけあって、ダグラス・アダムス本人の朗読よりずっと巧い。ま、比較するのも何だけど)。
 かくして迎えた観劇当日は、かなり早めに渋谷に着き、地下1階のパルコブックセンターをうろうろしてからいざ劇場へと向かう。劇場があるのはブックセンターと同じパルコ・パート1の上階なのだが、私はなぜかパート3にあるものと思い込んでいて、わざわざパート3に行ってエレベーターで上がり、エレベーターが開いてそこが劇場ではなく映画館のシネクイントだった時には、軽く目眩がした。上演開始間際に駆け込んだ挙げ句に間違えるという、最悪の事態にならなくて良かったとは言うものの、自分のアホさ加減に下りのエレベーターの中で一人赤面する。パルコ劇場もシネクイントも、どちらも前に行ったことはあって、決して今回が初めてではなかったのに。
 ともあれ、今度こそ無事にパルコ劇場にたどり着く。演目が演目だけに、外国人の観客が目についた。ロビーを一通り意味もなくうろうろし、パンフレットを買う。着席してパンフレットを開いてみると、全ての文章が英語と日本語の二重表記になっている。多分、外国人客を意識した作りなんだろうけれど、おかげでボリュームの割には実際に読むところが少なくてちょっと寂しい。ついでに、マーティン・フリーマンの履歴欄の日本語訳で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』ではなく『銀河ヒッチハイクガイド』になっていたのも、許されてしかるべき誤差範囲内とは言え、ほんの少しだけ残念。でもよくよくチェックしてみると、出演映画として『ブレイキング・アンド・エンタリング』と表記されていたりして、こういうのはちゃんと調べて『こわれゆく世界の中で』という邦題を使って欲しかった――この映画のフリーマンは「主役」じゃないだろう、というところまでは突っ込まないけれど。
 そして肝心の舞台はと言うと、結論から言えば日本人が観るなら『The Last Laugh』より『笑の大学』のほうがいいと思う。そりゃ日本人が日本語で上演するオリジナルの舞台のほうが日本人向きなのは当たり前だが、「喜劇を作るとは」というテーマは『笑の大学』のほうがより鮮明に描き出されている気がしたのと、何より最後の最後で(究極の)喜劇とは何たるかの解釈が『笑の大学』と『The Last Laugh』では大きく異なっていて、私は『笑の大学』版のほうに一票を投じたいからでもある。
 と言っても、オリジナル版との比較から離れて『The Last Laugh』を観るなら、これはこれでとても良く出来ている。特に、マーティン・フリーマンのかわいらしいこと! イギリス人にしては小柄なことも手伝ってか、実にキュートでラブリーで、片手でチョコレートの箱を振っているだけでもおかしくてかわいい。表情はくるくるきびきびと変わり、でも絶対オーバーアクトしないのも申し分なし。勿論、相手役のロジャー・ロイド=パックも好演だったのだが、私の目がフリーマンに釘付け状態だったせいで見過ごしてしまったところは多々あると思う。そういう意味でも、私としては『The Last Laugh』のWOWOW放送もしくはDVD発売に期待を寄せているのだが、誰か何とかしてくれないものか。
 最後に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』マニアとして気になったことが一つ。『笑の大学』と違って、『The Last Laugh』に登場する検閲官は片手が義手という設定になっている。変更の理由について、脚色のリチャード・ハリスは「仕事以外の検閲官の姿を見せる」ために「彼を片腕が義手の退役軍人とし(義手=「手を貸す」という言葉には「助ける」という意味合いも含まれる)」たとパンフレットに書いていて、実際の舞台でもフリーマン扮する喜劇作家が検閲官に向かって「手伝ってほしい」の意味で「手を貸して」と口にし、相手の義手を思い出してうろたえるという場面があった。さてここで、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』でアーサーがマーヴィンに向かって「手を貸して」と言う場面が咄嗟に頭に浮かんだのは誇大妄想な私だけか、それともリチャード・ハリスやマーティン・フリーマンも少しは意識していたのだろうか――って、意識してない可能性のほうが高いよなあ、やっぱり。
 
 ともあれ、何かと暴走しがちな誇大妄想を日常生活に支障が出ない程度に制御しつつ、これからまた週に一度の更新を始めますので何とぞよろしく。
 それから、夏休み中にP・G・ウッドハウスの著作リストの中の不首尾と誤りを教えてくださったtomoki.y 様、本当にどうもありがとうございました。そのうち自分で調べる、とか書いておきながらそれきりずっとほったらかしていた謎が、おかげできれいに解消しました。
 感謝しています。

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2007.9.8.  『ドクター・フー』vs『スター・トレック』

 今年の4月くらいから、今回の夏休み中にこそ、ダグラス・アダムスと『ドクター・フー』に関する事柄について、まとめて一気に片をつけようと思っていた。でも、手持ちの資料は限られているし、一番厄介な 'Shada' 関連のことは既に整理して更新済みだから、そんなに手間はかからないだろうとタカを括っていた。というか、『ドクター・フー』関連の更新だけではあまりにしょぼいので、他に何を追加したものかと考えていたくらいだ。
 それが、8月に入ってから、たまたま Science Fiction Audiences: Watching Doctor Who and Star Trek という本を見つけたことで状況は一変した。軽い気持ちで本を手に取り、index をチェックすると、予想以上に Adams, Douglas の名前が載っているページが多い。でも、どうせ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者も脚本を書いていたことがありますとか、彼が書いたのはこのエピソードですとか、その程度の記述だろうと思ったら――(旧シリーズだけで)30年以上続いた番組で、数百ものエピソードがあるというのに、その中でわずか2年半しか関わりを持たず、たった3つのエピソードしか書かなかった(そのうちの1つは製作中止)アダムスの作品が、まさかここまで大きく取り上げられているとは。
 ファンとしては、どんな形であれアダムスの作品が取り上げられ、検証されるのは嬉しい。その気持ちに嘘偽りはないけれど、実際に辞書を引いたりメモを取ったりしながら Science Fiction Audiences: Watching Doctor Who and Star Trek などというタイトルの本を読むのは結構悲しい。こういう本は、余程の『ドクター・フー』マニアか余程の『スター・トレック』マニア、あるいはSF全般に関心があって英文読解に不自由しない人が読むものであって、間違っても英文読解に難ありの『銀河ヒッチハイク・ガイド』マニアが四苦八苦しながら読むような本じゃないよな、と思いつつも、気付いてしまった以上は無視できないのがつらいところ。せめて7月上旬に気付いていたなら、時間的に余裕があってまだラクだったのに。
 おまけに、ちょうど同じ時期に、たまたま見つけて嬉しいんだか悲しいんだか複雑な気分になったものが他にもあった。今ではとっくに廃盤になっていて、入手はかなり困難なはずの、20年以上前に日本で発売された『ドクター・フー』のビデオテープ、『サイバーマンの逆襲』('Revenge of the Cybermen', 1975)と『死のロボット』('The Robots of Death', 1977)。アダムス本人は1,2年の差で直接的には関わっていないものの、どちらの作品も脚本編集者はロバート・ホームズ、アダムスが仕事欲しさに『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を送った相手である。それにしてもどうしてこんなにマイナーでマニアックなビデオが、我が家のご近所で簡単にレンタルできたりするのやら。
 観ましたよ、見つけた以上は毒を食らわば皿までの精神で観ましたとも。最初の3分間くらいは、覚悟していたとは言え(2001年11月3日付の同コーナーでも書いた通り、私が『ドクター・フー』の旧シリーズを前にも少し観たことがある)想像を絶して悲惨な映像に唖然とし(特撮が拙いとか、そういうかわいらしいレベルの問題ではない)、5分を過ぎる頃には最初の衝撃も薄れて普通にうんざりし、10分を過ぎればあとはもうツッコミを入れる気力も失せてひたすら早く終わってくれることを祈るのみだった。アダムスもよくまあこんなのの脚本家になりたいと思ったもんだよなあと、我ながらひどいことを考えながら。
 が、30年前に製作された当時の基準では、これでもそれなりの出来だったのもかもしれない。いまどきの、もはや実写だかアニメだかの区別もつかないほどに洗練されたCG映像に慣れ過ぎたせいで、私のほうでこの手の映像に対する許容範囲が年々狭くなり、そのせいで「正視に耐えない」とまで思ってしまうのかもしれない。だったら、Science Fiction Audiences: Watching Doctor Who and Star Trek にならって、同じく数十年前に製作されたSFテレビ・ドラマ、『スター・トレック』を比較がてら観てみればいいんじゃないか。ちょうど今、NHKの衛生第2で再放送されていることだし。
 という訳で、観ましたよ、ったくどこまでヒマなんだよと自分で自分にツッコミを入れながら観ましたとも。そして、『スター・トレック』の映像は多少古めかしいものの、今でも十分「正視に耐える」ことに驚き、ネットで製作年代を確認したら『スター・トレック』のほうが『死のロボット』より10年以上前に製作されていることにさらに驚く。やっぱり私の心が狭いんじゃなくて、『ドクター・フー』旧シリーズの映像の拙さが別格だっただけじゃないかっ(2005年以降に製作された新シリーズでは「普通に観られる」クオリティに進歩しているのが、ほとんど奇跡だ)。
 驚愕の事実はまだ続く。BBCの『ドクター・フー』公式サイトで『死のロボット』の紹介ページをみると、シリーズの中でも出色の出来云々と書かれているではないか。おいおいおい、あれで 'one of the very best' ってことは、他のエピソードは一体どんなレベルなんだよ。
 とは言え、このページには、'another source often cited for the story is Agatha Christie's Murder on the Orient Express, in which a group of people in an enclosed environment are killed off one by one by an unknown murderer.' ともある。でも、閉ざされた環境の中で一人また一人と殺されていくのは、『オリエント急行殺人事件』というより『そして誰もいなくなった』じゃなかったっけ? だとしたら、'one of the very best' の信憑性もかなり低い、ということでいいのかな、本当にいいのかな?
 
 気を取り直して今週の更新は、2005年の出版と同時に買ったくせにずっと読まないでほったらかしにしていた、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の序文を紹介。夏休み期間を利用して、こちらも少しずつ読み進めてはいたけれど、科学の知識のない身としてはかなりキツかった。

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2007.9.15.  英語で科学を読む

 以前、英語が堪能な女性と二年間ばかり一緒に仕事をしたことがある。その人は、帰国子女でもなければ高校・大学時代に長期語学留学をしたこともなかったのに、日本語訛の欠片もないきれいな発音で英語を話し、楽々と英文メールを書いていた。隣席の私は、「世の中にはこういう人もいるんだなあ」と日々感嘆していたものだ。
 と、呑気に感嘆するばっかりで、「自分も努力すれば彼女みたいになれるかもしれない」「頑張って少しでも彼女に近づこう」とは思わない/思えない辺りが、私の英語力が一向に伸びない根本的な原因なんだろうが、それはさておき、彼女と彼女の語学力のことで強く印象に残っていることが一つある。彼女のビジネスバッグに無造作につっこまれていた分厚いペーパーバック、それだけならまずまず「ありがち」な光景なので私もいちいち気に留めないけれど、問題はその本が、普通の小説や流行のノンフィクションではなく、一般人向けに書かれた物理だか化学だかの解説書だったことにある。
 念のために付け加えておくと、私や彼女の仕事に物理や化学の専門知識はまったく必要なかった。そんなものが必要だったら、そもそもこの私が同僚として働いていられるはずもない。あくまで彼女は、趣味の読書の範疇でそのペーパーバッグを読んでいたのだ。
 彼女に言わせれば、その手の「文系読者のために書かれた理系の解説本」なら、日本語で読むより英語で読むほうがいいという。その理由として、つい読み流してしまいがちな日本語と違って、一つ一つの文章をちゃんと追って読む英語のほうが結局きちんと意味を掴むことができるから、ロジック重視の内容なら日本語よりも英語のほうが向いているから、英米のほうがこの手の本のニーズが強いため日本で出版されるものより内容が充実しているから、ついでに、英語力を伸ばしたいなら凝った表現の多い文芸書より手堅い文章で書かれた解説書を読むほうが有効だから、等々、実にもっともらしい理由をあれこれ私に語ってくれた。
 そんな彼女の意見に感銘を受け、私がペリカン・ブックスの類を読んでみようと試みたりしなかったことは、言うまでもない。日本語でも読みたくないし、たとえ読んでも理解できそうにない本を、何が悲しくてわざわざ英語で読まなくちゃならんのか。まったく、できる人というのはとんでもないことを考えるものだと思って、おしまい。
 それだけに、まさか自分が英語で書かれた科学の本と本気で格闘する日が来ようとは夢にも思わなかった。まったく、人生何が起こるか分からない。もっとも、私が今 The Science of the Hitchhiker's Guide to the Galaxy を必死で繙いているのは、ひとえにこの本の日本語訳がないからであって、数年前に退職し何処かの国へと旅立って行った彼女と違い、もし日本語に翻訳されているとしたら、あるいは、いつの日か翻訳されるかもしれないとほんの少しでも期待することができるなら、英語で科学を読むなどという無謀なことには絶対手を出したりはしないんだけど。
 
 という訳で、今回の更新も悪戦苦闘の末に『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』より、第2章の前半部分をお届けする。この章は他と比べてやたら長いので、どうかご容赦ください。

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2007.9.22.  あなたはUFOを信じますか?

 昨今の日本では、「スピリチュアル」の隆盛に押されてUFOはすっかり鳴りを潜めてしまった。一時期は、UFOを信じるの信じないのとしょっちゅうテレビで公開討論もどきが行われていたような気がするが、今ではまず見かけない。勿論、本当のUFO信者の方々は、マスコミが騒ごうが騒ぐまいが関係なく、私の知らないところで日々UFOとのコンタクトに精進なさっているのだろうけれど。
 『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の著者マイケル・ハンロンは、UFOについてかなり否定的だ。ちなみに私個人の現時点での見解は、「いわゆるUFOについては甚だ懐疑的、でも地球外生命体は存在するにちがいない」である。ただし、その生命体が我々が考えるところの「知的」なものかどうかは怪しいし、そもそも我々の基準で「知的」か否かを判断できるかどうかも怪しいと思う。ついでに、地球外生命体とのファースト・コンタクトなるものに対しては、ほのかな憧れというかロマンのようなものを感じないでもないけれど、一方で遭わぬが華という気もするので無理に探索しないほうがお互いのためじゃないかなあとも思う。相手の地球外生命体の意向がどうあれ、人間様のこれまでの歴史を振り返ってみただけでも友好的なファースト・コンタクトは望み薄だし。夢は夢のまま終わらせるほうが、却って平和でいいんじゃなかろうか。

 話は変わって、先日、この4月末に購入したばかりの新しい MacBook が唐突にネット接続できなくなった。
 これまでの私ならもっと大騒ぎするところだが、2007年5月5日付の同コーナーにも書いた通り、今の私はマック2台体制でホームページの更新等をしているので、1台の調子が悪くなっても何とかなる。実際、もう1台の古いマックでは支障なく接続できるということは、プロバイダーとかADSLモデムに問題があるとは考えにくい。一番怪しいのは新しい MacBook のLANケーブルの接続口。普通、LANケーブルを差し込むとカチッと音がして、抜く時も上部のつまみを押さえないと引っかかって抜けないものだが、私の MacBook は購入当初から差し込む時も抜く時も全く何の抵抗もなく、そのせいでケーブルに軽く触れてただけで外れたりしていた。これって絶対設計ミスだよなあ、と思っていたけれど、どうやら単に私のマシンの不具合だったらしい。修理のために購入先のパソコンショップに持っていくと、店員のみなさんにも珍しがっていただけた。
 修理には、2〜3週間はかかるとのこと。結構日数がかかるものだなあと思いつつも、購入から1年以内なので修理費はかからないし、マック2台体制のおかげでネットもメールも一通りできる。大丈夫、特に問題はない、と心に余裕を持って帰宅し、それからおもむろに気が付いた。私が古いマックにインストールした iTune はOS9 対応用の「2.0.4」なんだが、ひょっとしてこの古いヴァージョンの iTune では、MacBook と一緒に購入した iPod nano を接続してデータを転送することはできないんじゃないか?
 ひょっとしたらできるのかもしれないけれど、いい加減なことを適当にやった挙げ句、万が一にも iPod nano が iTune 2.0.4. でしか同期しなくなっても悲しい。という訳で、9月14日に発売された、The Hicthhiker's Guide to the Galaxy, Live in Concert を私が歩きながら聴くのは、もう少し先のことになりそうだ。

 そして今回の更新は、勿論、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』第2章の後半を追加。この本を読んで概要をまとめるのに必要なのは英和辞書くらいのもので、ネットで YouTube の類をチェックする必要はないけれど、でもダーク・ジェントリーのラジオドラマの放送が始まるまでには無事修理を終えた MacBook に戻ってきてほしいものよ。

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2007.9.29.  児童書コーナー逍遥

 ネット上にアップされている『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の書評には、「読みやすい」とか「分かりやすい」といった言葉をみかける。日々読解に呻吟している私でさえも、マイケル・ハンロンの文章自体は決して難しいものではないと思う。問題は、私に基本的な科学がなさすぎることだ。何せ、とっさに恒星と惑星の区別がつかなかったりするし。
 という訳で、英語と科学の二重苦から現実逃避したい一心で、普段は滅多に足をのばすことのない図書館の児童書コーナーをうろうろしていた時のこと、生前のアダムスがもっとも親しくつき合っていたモンティ・パイソン・メンバー、テリー・ジョーンズが書いた児童書を見つけた。『騎士見習いトムの冒険〈1〉 偉大なる騎士サー・ジョン!』『騎士見習いトムの冒険〈2〉 美しきエミリア!』。奥付をみると、原著が出版されたのが1999年と2000年、翻訳がポプラ社から出版されたのが2004年と2005年。へええ、こんな本が出ていたなんて全然知らなかった。
 ジョーンズの児童書なら、代表作『エリック・ザ・ヴァイキング』は読んだことがある。ヴァイキングの神話に基づくファンタスティックなストーリーで、マイケル・フォアマンのカラーイラストも魅力的な、大判のきれいな本だ。それに比べると『騎士見習い』シリーズのほうは文章が主体で、ハリー・ポッター程ではないがそれなりの長さがあり、マイケル・フォアマンのイラストは付いているものの挿し絵の域にとどまっている。おまけに、このタイトルから察して、ジョーンズのもう一つの顔である、中世英文学の専門家としての知識が十全に活用されて書かれていること間違いなし、とあらば、これはもう借りて読むしかない。
 かくして2冊まとめて一気読みし、めでたく『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の憂さ晴らしを果たした。ただし、私以外の、大半の「テリー・ジョーンズって誰?」な日本人でも同じように楽しめるかどうかについては、少々疑問の余地がある。
 私はジョーンズが、1・モンティ・パイソンのメンバーの一人で、もともとコメディ出身であり、かつ、2・Chaucer's Knight: The Portrait of a Medieval Mercenary という著書が専門家からも高く評価されるくらいだから、中世ヨーロッパに関する彼の知識は付け焼き刃ではない、と知っている。だから、窮地に陥った主人公の姿ですらおかしみを込めて描写されていたり、また「みなさんがテレビや映画を見て何となくイメージしている中世ヨーロッパ像には、いろいろ間違いがあるんですよ」といった示唆的な文章がくっついていたりするのも、私には「テリー・ジョーンズが書くからにはこうでなくっちゃ」なのだが、著者について知らない人には、おふざけが過ぎるとか、ストーリーの流れが阻害されてうっとうしいと思えるかもしれない。そのくせ、中世ヨーロッパの歴史と文化についてもきちんとした知識を持っているような人にとっては、作中でジョーンズが披露している程度の事柄なら「いちいち説明されるまでもない」になりかねない気もするし。
 でも、ダグラス・アダムス関連でネット検索して私のサイトに辿り着き、今この文章を読んでいる方なら、私同様に楽しく読める可能性は高いと思う。本の装丁とマイケル・フォアマンの扉絵があんまりマッチしていないのと、シンプルな原題(The Knight and the Squire, The Lady and the Squire)に比べて邦題が妙にごたついているだけはちょっと残念だけど、良かったら是非ご一読あれ。

 そして今回の更新は、久し振りにノルシュテイン関連より。やはり図書館の児童書コーナーを徘徊中に見つけた、短編アニメーション「霧につつまれたハリネズミ」の原作者セルゲイ・コズロフについて。合わせて、ナレーターを務めたアレクセイ・バターロフも追加した。
 一応、来週以降は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の続きに戻りたいと思ってはいるが、どうなることやら。

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2007.10.6  コズロフ、アタマーノフ、ミリチン

 前回の更新で追加した、「霧につつまれたハリネズミ」の原作者セルゲイ・コズロフの児童書が日本語に翻訳されていることについては、たまたま図書館の児童書コーナーをうろうろしていて気が付いた。その時は、「えーーー、こんな本が日本でも出版されていたのなら、絵本『きりのなかのはりねずみ』の原作者紹介欄にも書いておいてくれればいいのに」と思ったけれど、家に帰って確認すると、何のことはない、ちゃんと『ハリネズミくんと森のともだち』のタイトルが挙げられているではないか。うっ、やはり詰めが甘いのは私のほうだったか。
 詰めが甘いと言えば、またしてもジブリ美術館でノルシュテイン絡みのイベントが行われていることを知ったのも、つい先日のことであった。5月から始まっていたというのにねえ。幸い、この『3びきのくま』展は丸1年くらいやっているそうなので、「しまった、見逃した」にはならずに済んだものの、私は既に2回もジブリ美術館に行ったことがあるというのに、何言ってんだかさっぱりわからないロシア語での朗読を聴くためだけに、我が家からかなり遠い三鷹くんだりまで、またぞろ足を運ぶことになるんだろうか――って、なるんだろうなあ、多分。
 でも、実際に行くとしても、まだまだ先のことになると思う。というのも、12月15日からジブリ美術館ライブラリーの配給で、ソビエトのアニメーション『雪の女王』+『鉛の兵隊』が公開されるから。その頃ならきっと、美術館のほうでも関連展示の一つくらいあるはず、と勝手に踏んで、『3びきのくま』展とまとめてチェックしようと考えている。
 勿論、関連展示だけでなく、『雪の女王』+『鉛の兵隊』の日本語字幕付き劇場公開そのものについても大いに楽しみにしている。『雪の女王』はこれまで日本語吹き替え版でしか観たことがないし、『鉛の兵隊』はこれまで一度も観たことないし。どちらの作品も、直接ノルシュテインが製作に関わっている訳ではないにしろ、監督のアタマーノフミリチンは、ノルシュテインを語る上で欠かせない人たちでもあるし。
 ま、そんな事実が映画館に足を運ぶ動機付けになるような人はまずいないだろうけれど、それに私が『雪の女王』だけでも映画館まで足を運んでスクリーンで観る価値はある、といくら力説したところでどうにも説得力がないけれど、でも、若き日の宮崎駿監督に「アニメーターをやっていく決心が出来た」(『ロシア・アニメ映画祭2000』パンフレット、p. 26)と言わしめた作品、と書けば、少しは「おっ」と思っていただけるだろうか。よろしければ、あなたも是非ご自分の目でお確かめあれ。

 そして今回の更新は、再び『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』に戻って第3章を追加した。
 しかし、今の私の本音を言えば、この章で書かれているコンピュータ科学の発展の歴史よりも、修理に出したきり一向に戻ってくる気配のない自分のコンピュータのほうがはるかに気掛かりだった。ついに10月3日からは、BBCでラジオ・ドラマ「ダーク・ジェントリー」の放送も始まったというのに。そりゃ、たとえネット配信版で聴きそびれたとしても、11月にはCD版が発売されることが決まっているから問題ないと言えば問題ないんだけれど、ただ何と言うか、CDではどうしてもラジオ・ドラマの「リアルタイム」感に欠けるんだよなあ。
 などと思っていた矢先、ようやく修理に出したパソコンショップから連絡が入り、嬉々として受け取りに行ったまでは良かったのだが――家に戻って早速LANケーブルを差し込んでみると、確かに修理前と違って差し込むと「かちっ」と音はするものの、相変わらずネットに接続することはできず、しかもエラーの理由として「ケーブルが接続されていません」と表示されるではないか。おいこらちょっと待て、形式的に部品を交換しただけかよ、客に返品する前にちゃんと作動するかどうかの確認すらしなかったのかよ!?
 かくして、一度は持ち帰った愛機を再びパソコンショップに運び込む羽目に。「ダーク・ジェントリー」の「リアル・タイム」は、今度こそ本当に不可能かもしれん。嗚呼。

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2007.10.13.  『虐殺器官』

 先日、『虐殺器官』というタイトルの小説本を図書館で借りてみた。
 普段の私は、こんなおっかないタイトルと表紙絵の本を手に取ったりはしない。「近未来軍事諜報SF」というジャンルには頭痛しか感じないし、ついでに著者の伊藤計劃という方のこともまったく存じ上げないのだが、ただ少し前に、私の好きな作家が自身のブログ上でこの本のことを褒めていたのが記憶にあったものだから、騙されたと思って軽い気持ちで読んでみることにしたまでのこと。ま、実際に読んでみて、どうしても生理的に受け付けないようなら、途中で挫折したっていいんだし、と。
 案の定、のっけからかなりエグいシーンで幕を開ける。でも、書かれている内容をいちいち頭の中で具体的に視覚化しないように気をつけていれば我慢できない程ではないし、文章も内容も、過剰なグロテスクをひけらかして悦に入るような悪趣味とは明らかに一線を画していて、大丈夫、これなら私にも読めそう、というか、読み出したらあまりにおもしろくて止められなくなってしまった。
 この本もSFであるからには、当然、何らかの科学(サイエンス)に則った上で、それを巧く上滑りさせる(フィクション)ことで成り立っている。ひどく大雑把で乱暴な説明だけど、私の考えるところのSFとは、現行の天文学とか物理学を背景に宇宙旅行とか星間戦争とかを描くようなものであり、私が日頃あまりSFに興味を持てない理由の一つは、根本的に天文学とか物理学に興味も知識もないせいで、作者がそれをどう調理してみせてくれようと、その妙技に感心しようがない点にある。ところが、幸いなことにこの本で取り上げられている科学に関しては、私にも妙に馴染みがあった。
 ネタバレになるから詳しくは書けないけれど、これって要するにスティーブン・ピンカーだよね? それから、進化論と遺伝子とミームのくだりはリチャード・ドーキンスでしょ? いやはや、ダグラス・アダムス関連のホームページを作る過程でしぶしぶ読んだ本の知識も、思いがけないところで役に立ってくれるじゃないか。
 さらに読み進めていくうち、まあ作中のあちこちでモンティ・パイソンのネタが出てくるのは今じゃ日本でもそれなりに「ありがち」なのかもしれないけれど、『2001年宇宙の旅』の作曲家リゲティの名前まで出てくるとは、偶然とは言え不思議な縁だなあ、重なる時は重なるものだなあと思っていたら――

なぜかといえば、テクノロジーの魔法、社会網有向グラフ解析(SNDGA)のご託宣があったからだ。NSAのディープ・ソート。全地球的ケビン・ベーコン・ゲーム。SNDGAなら、人生、宇宙、すべての答えだってさらりと教えてくれそうだ。(p. 240)

 で、出たあーーーーーー!
 いまだかつて、日本人によって書かれた小説の中に、こんなに「さらりと」『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場したことがあっただろうか。あったのかもしれないが、寡聞にして私は知らない。
 という訳で、図書館に本を返したら、その足で書店に行って購入することにします。次の作品が出るのも、気長に楽しみに待っています。いやほんと、タイトルと表紙に臆さず読んでよかった。好きな作家の鑑識眼を信じてよかった。
 私と同じように「近未来軍事諜報SF」なんて勘弁してよ、と思う方も、私と同じように騙されたと思って一度試しに手に取って読んでみてください。『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくる出てこないにかかわらず、今という時代に誠実かつ生真面目に向き合った、一読するに値する小説だと思います――って、私が書いたんじゃ説得力が全然ないか、やっぱり。

 それにひきかえ、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』のマイケル・ハンロンときたら。第3章「ディープ・ソート」で、わざわざ対戦型チェス・コンピュータ「ディープ・ブルー」の話を持ち出しておきながら、その前身にあたるコンピュータ、「ディープ・ソート」については触れずじまいなんだもんなあ。ダメじゃん。
 ついでに言うと、ハンロンは19世紀の数学者チャールズ・バベッジが考案した「差分機関(Difference Engine)」が実現していたらどんな世の中になっていただろうとか何とか書いているけれど("It is entertaining to speculate what would have happened had Babbage's blueprints been turned into reality in the 1830s. What effect would a fully functional, programmable mechanical computer have had on Britain's nascent Industrial Revolution?" , p. 38)、ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの共著、『ディファレンス・エンジン』(1990年)のことは知っているのだろうか。私には、ハンロンは『ディファレンス・エンジン』のことも、『ディファレンス・エンジン』に代表されるスチームパンクSFのことも全然知らないで書いたように思えてならないんだが。
 ちなみに私は、ハンロンがバベッジについて書いた英語の文章を読解するに際しては、1991年に角川書店から発売された黒丸尚訳『ディファレンス・エンジン』の巻末についている、アイリーン・ガン編集「差分辞典(ディファレンス・ディクショナリ)」に大いに助けられた。長年本棚の片隅でほこりをかぶっていた本だったが、まさかこんな形で利用する日が来ようとは。

 そして今回の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第4章。そもそも、21世紀の今でもこういう話が「科学」の範疇で語られること自体、私には違和感があるのだけれど。

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2007.10.20.  やるせない本棚

 あなたが、そんなに親しくない知人の家に初めて招待されたとする。その人の家には大きな本棚があって、そこに並んでいる本を見るともなしに見てみたら、『悪魔に仕える牧師』『神は妄想である』というタイトルが目に飛び込んできたとする。
 その時、あなたならどんな反応を示すだろうか? 本の内容について知人に質問する? それとも、「やばい、今後は話題に注意しなくちゃ」と思いつつ見なかった振りをする?
 私だったら絶対、「見なかった振り」を採る。だって、ネタがネタだけに、一歩間違ったらとんでもないことになりそうで怖いじゃないか。余程親しい間柄ならともかく、そうでないなら避けて通るほうが利口というものだ。
 自分でもそう思うだけに、今、自分の本棚を眺めてやるせなく感じる。怖がらずに質問してさえくれれば、『悪魔に仕える牧師』も『神は妄想である』も、タイトルこそおっかないが悪魔崇拝の話とはまったく関係ないこと、どちらの本も著者はオックスフォード大学教授にして『利己的な遺伝子』で広く世界に知られている分子生物学者のリチャード・ドーキンスであること、ドーキンスは私が愛してやまない『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者ダグラス・アダムスとは個人的に非常に親しい間柄で、どちらの本にもアダムスの作品や発言が引用されているのみならず、『神は妄想である』に至ってはアダムス本人に献辞が捧げられていることを、滔々と説明(もしくは釈明)することができるものを、「見なかった振り」をされてしまったらそのチャンスもないではないか。
 前回の更新で追加した『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』第4章に出てきた、スティーヴン・アンウィンによる神の存在/非存在の計算に対するドーキンスの反論は、『神は妄想である』の159ページから165ページにかけて書かれている。マイケル・ハンロンが英語で書いたベイズ推計についての説明は、統計学そのものに無知な私にはまるきり理解不能だったけれど、『神は妄想である』が日本語に翻訳されていたおかげで、おおまかながら把握することができたし、またドーキンスのツッコミ加減がおかしくて結構笑わせてももらった。

 そんなことをして何の役に立つのか知らないが(私の意見では、何の意味もない)、掛け率においてまず神が先行し、それから後方に落ち、またスタート時点の五○%まで這いのぼるという、抜きつ抜かれつのベイズ競争の最後に、アンウィンの計算によれば最終的に、神が存在する尤度六七%という数字が得られる。そのあとアンウィンは、六七%という彼のベイズ評決はけっして高いものではないと判断し、そこで、「信仰」を緊急注入することでそれを九五%まで増大するという、思い切った手を打つ。まるで冗談のような話だが、これは本当に、彼のやり方なのである。彼が自分のやり方をどう正当化するのか、ご紹介したいのはやまやまだが、何一つ説明はない。(p. 162)

 いやほんと、いろんな意味で私にとってこの本は買って読んで所有しておくべき1冊にちがいないのだが、タイトルがタイトルだけに世間の誤解は避けられないのが辛いところだ。
 念のために書き添えておくと、私はドーキンスの言い分は筋が通っていてまっとうだと思うけれど、私自身は完全な無神論者ではなく、文学の神様も演劇の神様もお笑いの神様も何でもあり、敢えて言うなら「祈りの数だけ神はいる」くらいに考えている、その場しのぎの実にいい加減な多神論者である。『神は妄想である』のすぐそばには、笙野頼子の『金昆羅』が並んでいるし、テレビで『オーラの泉』とかも平気で楽しく観ていられる。ただ、この番組を観ていると、時折私の耳元で、何が前世だ何が守護霊だとドーキンスがきーきー怒っている声が聞こえてくるような気がして、それがまた私にはおかしくて仕方なかったりするのだが、テレビの見方としては歪みすぎだよな、やっぱり。

 そして今回の更新も、引き続き『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第5章を追加。これぞまさしく宇宙の話、って感じのテーマだけれど、その分「天文学的数字」に疎い私にはキツかった。

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2007.10.27.  ようやく修理完了

 2007年9月22日付の同コーナーにも書いた通り、9月半ばから修理に出していたマックが、ようやく戻ってきた。
 正確に言えば、9月末にはいったん修理されて戻ってきたのだが、これまた2007年10月6日付の同コーナーにも書いた通り、ちゃんと直っていなかったため再度の修理に出していた。事情が事情だけに、修理を依頼したパソコンショップの人にも「至急」でお願いしたにもかかわらず、2度目の修理でもきっちり2週間以上待たされ、結局のところ最初に修理に出してから完治するまでに5週間以上もかかった計算になる。
 購入1年未満の保証期間中なのにこの扱いは何なのよ、もう別の会社の製品に乗り換えてやる!と啖呵を切れないのが、マックユーザーの悲しいところ。ま、問題のあった箇所はLANケーブルの差込口とロジックボードだったため、ハードディスクそのものは無事で、修理が終わった後もデータその他が消されず残っていたのはせめてもの救いか。いくらデータそのものはUSBメモリに保存してあるから大丈夫とは言え、ネット接続の設定やらソフトのインストールやらを全部やり直すのは面倒だし、とりわけ大量のCDをiTuneで読み込む作業をまた一からやるのかと思うと、想像しただけでうんざりだったし。
 で、修理中の5週間は、古いマックでこのホームページを更新し、ネット検索とウェブメールもこなしていたのだが、OS9.2、IE5で今のネット世界を渡っていくのは実に危険だということがよく分かった。迂闊にリンク先の見知らぬサイトやブログに飛ぶと、途端にフリーズしたりシャットダウンしたりする。それどころか、昨日まで何事もなく見られたサイトですら、翌日からちゃんと表示されなくなることもある。古いブラウザでは対応し切れない最新のシステムが次々と導入されていくせいなんだろうけれど、高度なデザイン性が要求されるサイトならともかく、たくさんの人にアクセスしてもらうことが最優先のはずのソーシャル・ネットワーク・サービス系のサイトにまで、9月のある日を境に入れなくなった時は、切なかった。
 それにひきかえ私のホームページは、古いマシンの人にも電話回線で接続している人にもやさしい作りになっている。単に技術もソフトもなくて高度なプログラムやらスクリプトが使えないから結果としてそうなっているというだけの話なんだが、こういう目に遭うと、いわゆるブログの類には手を染めるまいと改めて思う。自分のブログに自分でアクセスできなくなったら、みっともないもんね。
 
 そして今回の更新も、やはり『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』。第5章の宇宙の終わりに続き、第6章は宇宙の始まりについて。
 この手の問題を、「何となくのイメージ」ではなく、きちんと計算式で理解できる人って凄いと思う。私なんか、どうして遠い過去や未来の宇宙の姿を数式で割り出せることができるのかさえ、微妙に納得できてない有様なのに。
 それから、ダグラス・アダムス関連の最新ニュース欄に、現在放送中のラジオ・ドラマ、Dirk Gently's Holistic Detective Agency公式サイトを追加した。このサイトから、インターネット経由で最新の回を聴くことができるので是非お試しあれ――放送は10月3日から始まっているのに、今頃になって更新とは遅まきながらもいいところだが、何せ古いマックではアクセスすらできなかったもので。

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2007.11.3.  宇宙のロマンを感じたい

 『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』第5章および第6章の概略をまとめるにあたっては、フレッド・アダムズとグレッグ・ラフリンの共著『宇宙のエンドゲーム』に大変お世話になった。実際、この本なしには手に負えなかった。徳間書店さま、翻訳本を出版してくれてありがとう。このたびは本当に助かりました。
 と言うと、まるで私が『宇宙のエンドゲーム』を熟読したかのようだが、さにあらず。何度かトライしたものの、「目が滑る」とでも申しましょうか、どうにも頭に入らなくて結局関係箇所だけを拾い読みするのが精一杯だった。どちらかというと、科学的知識のない一般人向けに書かれた本なんだけどねえ。宇宙の成り立ちや盛衰について、21世紀仕様にアップデートされた知識をさりげなく持っているような人間になれたら、さぞ格好良かろうとも思うのにねえ。
 ホームページ更新のための必要にかられて手に取った『宇宙のエンドゲーム』ですらこのザマなのだから、第6章でマイケル・ハンロンに「読んで本当に理解することができた人はどれだけいただろう」と書かれてしまったブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』など、はなから手に取る気にもならない。ええ、所詮私も「科学を信仰する」愚か者の一人。100億年後の地球とか宇宙とか言われても、時間の感覚がまるで掴めないし。それどころか、あまりの分からなさについ開き直って、「そんなものが分かったって、一体何の役に立つのさ」と不貞腐れてしまいそうになるし。
 思い起こしてみれば、宇宙物理学だの天文学だのといった高尚な学問を理解する以前の問題として、私はプラネタリウムすら何がおもしろいのかよく分からなかったりする。なので、子供の頃に学校から強制的に連れて行かれたのを別にしては、大人になって自分でお金を払って行ったことなど一度もない。しかしその一方で、プラネタリウムに行ったり望遠鏡で星をみたりすることが好き、何時間眺めていてもちっとも飽きません、と言える自分だったらいいなあと歪んだ願望を抱くことならある、というから勝手なものだ。現実には、夜空を眺めながら3分たりと黙って観察している自信はないけれど。
 宇宙のロマンを解するようになりたい、と願う人間は、ロマンチスト予備軍なのか、それとも根本的にロマンチスト失格なのか? 私個人に限って言えば、どうにも後者のような気がしてならない。
 ついでに告白すると、私はたとえ100億円のあぶく銭が手に入ったとしても、ロケットに搭乗して宇宙旅行をするなんざ御免である。理由は、宇宙酔いするのがイヤだから――って、やっぱり私にはロマンチストになる素養は限り無くゼロだな。
 
 気を取り直して今回の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』はまた一休み。代わりに、ちょうど現在、製作を務めた映画『スターダスト』が日本でも公開中の、Don't Panic: The Official Hitchhiker's Guide to the Galaxy Companion の著者、ニール・ゲイマンについて大幅加筆した。
 10月28日付の朝日新聞朝刊によると、ゲイマンはこの映画の公開に先駆けて来日していたらしい。ということは、きっといろんな雑誌に彼のインタビューの類が掲載されるのだろうけれど、合わせて Don't Panic にも言及してくれている記事は見つかるだろうか。それとも、期待するだけ空しいかしらん。

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2007.11.10.  ニール・ゲイマンという作家について

 ニール・ゲイマンと言えば、今では多くのファンと受賞歴を持つ作家である。その彼が、まだ若くて駆け出しのジャーナリストだった時に手掛けたダグラス・アダムスと『銀河ヒッチハイク・ガイド』の解説本について、彼自身は一体どう思っているのか、私はずっと関心があった。
 私にとっては、1988年というタイミングでゲイマンが Don't Panic: The Official Hitchhiker's Guide to the Galaxy Companion を書いてくれたことは、ものすごくラッキーだった。何せ、インターネットなど夢のまた夢、日本にいて『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する情報を手に入れる術などほとんどなかった時代の話である。それだけに、新宿・紀伊国屋書店の洋書売り場で偶然見つけた時はどんなに嬉しかったことか。ひょっとすると、この本は私がこれまでに読んだ洋書の中で、もっとも一行一行を噛み締めるように読んだ1冊かもしれない。それこそアダムス本人の著書よりも熱心に――って、それはそれで何とも倒錯した話ではあるのだが。
 それだけに、Don't Panic: The Official Hitchhiker's Guide to the Galaxy Companion 以降、ゲイマンが同じような解説本の仕事をしていないことが私には気がかりだった。勿論、オリジナル作品の作家として目覚ましい活躍をしていること自体は喜ばしいことではあるのだが、ゲイマンにとって Don't Panic が単に世に出るための足掛かりに過ぎず、作家として名をはせた今となってはあまり振り返りたくない仕事だったとしたら? それがゲイマンの本音だったとしたら、私はちょっと切ないぞ。
 果たして、前回の更新で追加した2003年に行われたゲイマンへのインタビューは、そんな私の長年の杞憂を一気に解消してくれた。おまけに、このインタビューの中でゲイマンがアダムスについて語る言葉の一つ一つに尊敬と親しみが溢れている感じがして、これがまた私には嬉しいの何の。他の誰でもない、あなたがこの本を書いてくれたことに、私は心から感謝します。
 2007年になって、ゲイマンの小説作品が次々と日本語に翻訳され、言うまでもなく私も片端から読んでいる。『アナンシの血脈』『グッド・オーメンズ』、『スターダスト』、そして、ああ、『アメリカン・ゴッド』の発売が待ち切れない! おかげで、最近では私にとってもゲイマンは普通に「新作が楽しみな作家」の一人となった感があるけれど、でも何年経とうと何冊読もうと、彼が Don't Panic: The Official Hitchhiker's Guide to the Galaxy Companion の著者であることを、私が忘れることはないだろう――たとえ日本の全マスコミから無視され続けたとしても(映画『スターダスト』のパンフレットでも、案の定一言も触れられていなかったし。少しは期待してたんだがなあ)。

 そして今週の更新は、ラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第1シリーズの最終話が放送されたことを受けて、このドラマに出ていたキャスト3名(ジム・カーターオリヴィア・コールマンフェリシティ・モンタギュー)を追加する。
 また、このラジオ・ドラマのCD発売を記念して(?)、私が現在持っている『ダーク・ジェントリー』シリーズのオーディオ・テープの類も公開。勿論、このたび発売されたCDもとっくにアマゾン・コムに注文済みだが、私の手許にはまだ届いていない。

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2007.11.17.  iPod nano の日々と、ウォークマンの日々

 11月8日に発売されたはずのラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』第1シリーズのCDが、ようやく届いた。
 一応ネットを通じてほとんどの回は試聴済みとは言え、初めてCDを再生する時はちょっと興奮する。『銀河ヒッチハイク・ガイド』のラジオ・ドラマとは、当たり前だが音のタイプが全然違うことに改めて感じ入りつつ、耳をすまして聴いていたのだが――
 ううむ、全然聴き取れない。もう、笑っちゃうくらいついていけない。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の時はもともと「知っている」からどうにか聴けただけで、ただでさえ翻訳がなくて何年も前に洋書で読んだきりなのに、その原作小説からもかなりアレンジの入った『ダーク・ジェントリー』のラジオ・ドラマは、まるで歯が立たない感じがする。ま、今後何度となく繰り返して聴いて、少しずつでも理解したいとは思うけれど。
 そのためにも、まずはiTune でマックに取り込んで iPod nano に移行してやらなくちゃ、なのだが、現時点でも私の iPod nano 4GBの容量は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の朗読やらラジオ・ドラマやらだけで既に三分の二くらいが占められていたりする。そりゃ、今回のラジオ・ドラマを収録したCD3枚分くらいはまだまだ余裕で入れることができるけれど、『ダーク・ジェントリー』と言えば前回の更新でコレクションとして追加した、小説版の朗読CDもある。勿論、本来ならとっくに読み込ませているべきなんだが、前回私がアップした画像を注意深く見た方にはお分かりの通り、アダムス本人による完全版のCDなんか、いまだにビニールを開封してもいないときたもんだ。
 ったく、こんな調子だからいつまで経っても私の英語リスニング能力が上がらないのもむべなるかなである。しかし、この上さらに小説『ダーク・ジェントリー』2冊、計14時間分の朗読を iPod nano に入れた日には、これから製作されるラジオ・ドラマ『ダーク・ジェントリー』の第2、第3シリーズを追加して入れることができるんだろうか。この他にも、Douglas Adams at the BBC とか、サイモン・ジョーンズらが朗読した The Salmon of Doubt なんてのもあったりして、ううう、私の iPod nano にいわゆる「音楽」が入る余地はどこにもないぞ。
 ま、それはさておき、同じ『ダーク・ジェントリー』の朗読でも、3時間の長さしかない短縮版のカセットテープなら、その昔はウォークマンに入れて繰り返して聴いていたものだ。つい数年前まではそれが普通だったはずなのに、iPod nano ユーザーになった今では、重くてかさばるカセットテープのウォークマンなんてとても持ち歩けたものじゃない。まったく、一度贅沢を憶えるともうダメだね、とか何とか慨嘆しつつ、そのくせ使いもしないウォークマンをこの期に及んで「捨てられない」身の悲しさよ(どのくらい「捨てられない」かについては、2003年4月5日付の同コーナーをご参照ください)。でも、こうして後生大事に取っておいても、ひょっとしたら長年ほったらかしているうちに壊れて動かなくなっているかもよ、と思い、ものは試しで電池を入れてみたところ、案の定うんともすんとも言わないではないか。く〜っ、今度の小物金属ゴミの回収日には絶対捨ててやる。
 ちなみに、たとえこのウォークマンを捨てたとしても、私の横にはカセットプレイヤーが2個もついててダビングも可能なCDコンポが鎮座している。だから、たとえウォークマンを捨てたところで、カセットテープそのものが聴けなくなる訳ではない。それだけに、これまで捨てられなかったのはひとえに私の貧乏性のなせる技。イマドキの、何でもすぐに捨てて新しいものに買い替えるライフスタイルってどうよ、とは思うが、使えもしないものまで溜め込んでいる私のライフスタイルも、実に情けないよなあ。
 
 そして今週の更新は、前回に引き続き『ダーク・ジェントリー』のコレクションを追加。小説本を6点ばかりをアップしたが、それにしても久しぶりに手に取ってみたら、思った以上に紙の変色が進んでいて哀しかった。なるべく日の光に当てないようにしているんだけれど、他に対処法ってあるんだろうか。
 それから、モンティ・パイソンのメンバーの中でアダムスが一番親しく付き合っていたテリー・ジョーンズについても、ネット検索していて見つけた(私に言わせれば)ちょっといい話を加筆した。

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2007.11.24.  サイレント映画への耐性

 1981年頃、アダムスはテリー・ジョーンズに誘われて、リバイバル上映されたサイレント映画の大作『ナポレオン』(1927年)を観に行った。
 サイレント映画というからには、もともとの映画には音はついていないのだが、彼らが観たのは後から新たに音楽を付け足して復元されたヴァージョンである。二人揃って二日酔いだったにもかかわらず、退屈して居眠りするどころかあまりのおもしろさに片時もスクリーンから目が離せなかったとか。
 ほう、そんなにおもしろい映画なら私も観てみたいものだ、とぼんやり思っていたら、このインタビュー記事をネットで見つけた数日後、NHK衛星放送でこの映画の第一部/第二部が二夜連続で放映された。まったく、何と私に好都合なタイミングであろうか。嬉々としてハードディスク・ドライブに保存し、期待に胸を膨らませて観たのだが――。
 私が観たのは、アダムスやジョーンズが観た音楽付きで復元されたヴァージョンに、さらに日本語の活弁がついたもの。1927年の封切当初に無音の状態で観た観客に比べて、まさに至れり尽くせりである。なのに、眠い。体調は万全、二日酔いでも睡眠不足でもないのにどうにも眠くて、まるで心が湧き立たない。眠気対策としてお茶を飲んだり柔軟運動をしてみたり、それでもひたすら眠気と戦い続けるのみで、まったく何度早送りボタンの誘惑にかられたことか。おかしい、どうしてこんなに退屈なんだろう。確かにサイレント映画なんて滅多に観ないけれど、以前エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』とかグリフィスの『イントレランス』とかを観た時は、ちっとも退屈しなかったのに。
 『ナポレオン』を観てかくも玉砕した理由の一つは、私にナポレオンという人やその時代に思い入れや知識があまりないためだと思う。故に、映画で語られるナポレオンの幼少期の姿を観ても「ああ、そうですか」以上の感慨を持てない。教養の一環として自分でもちゃんとこの時代の歴史を把握していれば、「この映画ではナポレオンという人をこういう解釈でとらえているのか」とか何とかもっと能動的に観ることもできるのだろうが、そうでない身としては「ふーん」で終わってしまう。
 それに加えて、私自身の中でサイレント映画を観ることに対する耐性というか集中力というかが、いつの間にかかなり失われているような気がする。以前は、サイレント映画に限らず、理解できないことを覚悟の上で難解そうなアート系の映画にもちょっと頑張って観に行ったりもしたものだが、最近ではその手の背伸びは滅多にやらなくなった。いや、背伸びどころか、近頃では地元・川崎のシネコンで上映されるかどうかだけが、映画館で観る/観ないの判断基準となりつつある。シネコンの快適さに慣れてしまうと、スクリーンに前の人の頭が被さるようなミニシアターの類に、同じ料金を払って観に行く気がしなくなってしまうのだ。こうして、ますます口当たりのいい映画しか観られなくなるという悪循環。
 ま、なけなしの向上心を必死で煽り立ててまで、たいして興味のないサイレント映画に目をこらす必要もないと言えばないんだが、でも向上心がなくなるだけならまだしもつられて好奇心までなくしてしまったら、俄に人生丸ごとつまらなくなりそうで危険きわまりない。ここは一つ、アダムスを見習って「死ぬほど退屈することも、これまた一興」くらいの好奇心というか発想の転換で、何ごとも億劫がらずに外に出ることを心がけるべきかしらん。

 気を取り直して今週の更新は、4週間ぶりに『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』に戻って1項目を追加。今回のも、かなり手強い素材だった。

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2007.12.1.  タイムマシンの作り方

 『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第7章で紹介されている、ポール・デイヴィスの『タイムマシンをつくろう!』の原題は、How to Build a Time Machine である。私だったら何のひねりもなく「タイムマシンの作り方」と訳しかねないところを、「つくろう!」に変えたセンスはとても素敵だ。実際に作れるかどうかは別として、というか作れやしないけれど、少なくとも挑戦くらいはできそうな気して思わず本に手をのばしたくなるではないか。
 実際に中身を読んでみれば、私の理解力程度では挑戦どころか理屈を飲み込むだけでも精一杯なのだが、ただでさえ分かりにくい時間にまつわる物理の話にしては、随分と分かりやすく書かれている本だと思う。イラストや図が多い割には全体で200ページ足らずの長さしかないのも、素人にはとっつきやすくていい。おかげで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』第7章の概略をまとめる時には、すごく参考になった。というより、『タイムマシンをつくろう!』を一通り読んで、ようやく『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』でマイケル・ハンロンが書いていることの意味が少しは見えた、といったほうが正しいくらいかも。いやはや、お世話になりました。
 しかし、しかしである。プロローグで著者がタイムマシンというアイディアについて語るにあたって、「イギリスの視聴者(著者をふくめ)は、BBCのTV番組『ドクター・フー』に登場する時間の主人ドクター・フーとその魅力的な仲間のご婦人の冒険にわくわくしたものだった」(p. 11)って、毎度のことながらどうしてこうなるのやら。原著を確認していないからこの間違いが著者のせいなのか訳者のせいなのか断言することはできないけれど(試しにアマゾン・コムの「なか見!検索」機能を使ってみたが、肝心のプロローグを飛ばして第1章しか見せてもらえなかった)、2007年4月14日付の同コーナーにも書いた通り、やっぱり間違いは間違いだよねえ。
 なお、どこが間違っているのか分からないという方は、こちらをご参照ください。ま、あくまで瑣末なことだし、ありがちなことでもあるんだけれど。
 
 ちなみに、もしタイムマシンが実現したとして、私が一番行ってみたいのは平安時代の日本である。実際の源氏物語絵巻の世界を自分の目で垣間見て、平安貴族の装束の質感や牛車のスピード感を味わい、同じ日本語でありながら今の私と当時のみやこ人との間でどのくらい話が通じるのか(あるいは通じないのか)を、是非とも体験してみたい。ただし、行った先に永住する羽目に陥る危険性が0.1パーセントでもあるなら、根性なしの私は断固としてタイムマシンに乗り込むことを拒否するだろうな、きっと。
 
 そして今週の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第8章を追加。いやほんと、タイムマシンは実現できなくても一向に構わないけれど、翻訳マシンのほうは私の目の黒いうちに何とか実現していただけないものだろうか。

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2007.12.8.  『雪の女王』公開を記念するなら

 来週から、東京・渋谷の映画館、シネマ・アンジェリカでソビエト・アニメーションの傑作『雪の女王』(1957年)が公開される。配給はジブリ美術館ライブラリー。ということは、2007年10月6日付の同コーナーでも書いた通り、きっとジブリ美術館で関連展示が行われるに違いないと踏んで、久しぶりにジブリ美術館の公式サイトをチェックしてみると、案の定『雪の女王』特別展示についての情報がアップされていた。
 が、「『雪の女王』とその時代」と題された展示の内容をよくよく読んでみると、『雪の女王』という作品そのものを仔細に検討している訳でもなければ、ソビエト・アニメーションの歴史を繙く訳でもない。代わりにあるのは、1920年代から1960年代のソ連と日本の歴史年表と、当時の読売新聞の記事、って――あのう、率直に言って、もうちょっと何とかならなかったんでしょうか?
 誤解のないように付け加えると、1920年代から1960年代のソ連の歴史そのものには私も割と興味はある。何たって、この時代はまさにロシア・アヴァンギャルドの全盛と消滅の過程だ。でも、展示そのものを見ないで言うのもなんだけど、この手のことは政治の表舞台の出来事を並べた歴史年表で語れることでもなければ、当時の読売新聞を読んで理解が深まるものでもないと思う。実際、ジブリ美術館公式サイトに載っている《企画意図》を読んでも、1920年代から1960年代のソ連史を、ロシア・アヴァンギャルドの興亡と絡めて見せる「意図」などどこにも見当たらないし。
 別にロシア・アヴァンギャルドなんかあってもなくてもいいじゃない、って? 確かに、ソ連の歴史を語る時にはもれなくロシア・アヴァンギャルドを付けるべし、とはさすがの私も申しません。でも、今回はあくまで『雪の女王』というアニメーションを深く知るために、ソ連の歴史を振り返ろうと言うんでしょ? だったら、ソ連と日本の歴史年表じゃなくて、ソ連の歴史年表とその時代の絵画/アニメーション年表を作って見せてほしかった。どこまでも私個人の意見ではあるんだけれど、絵画の世界においては社会主義リアリズムによって完全に駆逐されたロシア・アヴァンギャルドが、1960年代以降、ソビエト・アニメーションに姿を変えて復活した、と思い込んでいるもので、つい(まあね、確かに『雪の女王』はロシア・アヴァンギャルドな作品ではないかもしれないけどさ)。
 そんな私の勝手な妄想はさておくとしても、せめて『雪の女王』のおもしろさ、美しさが気に入った方に、『雪の女王』以降、1960年代のソビエト・アニメーションには、ヒートルークとかカチャーノフとか、他にもこんなに素敵な作品があるんだよと伝えるような展示であっても良かったのにと思う。でも、件の《企画意図》を読む限り、ジブリ美術館側の真の狙いは、『雪の女王』やソビエト・アニメーションの紹介ではなく、あくまで「『雪の女王』を観た宮崎駿監督」のようだ。そりゃ私も宮崎アニメの大ファンだし、現在製作中の新作も心から楽しみにしているけれど、今回の展示に関してだけは、ちょっと残念。
 
 気を取り直して今週の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』の第9章を追加した。
 先週の翻訳マシンに続き、今週のお題はテレポーテーション。テレポート装置ときいて私が真っ先に思い浮かべるのは言わずと知れた「どこでもドア」だが、この本には出てこなかった。
 
 さて、今回の更新を最後に、今年もまた2ヶ月間の冬休みに突入する。次回更新予定は、2008年2月16日。
 この予定日にちゃんと更新することができれば、当サイトは7周年を迎えることになる。ということで、2ヶ月の冬休みの間に、7周年にふさわしいお色直しができるといいんだけど、正直に言って私は今からかなり弱腰だ。

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