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目次

2002.2.16. 祝・1周年の、ちょっといい話
2002.2.23. 「大幅リニューアル」についての補足説明
2002.3.2. 本当に格好良い男とは
2002.3.9. 英国一有名らしい喜劇俳優
2002.3.16. 主人公としてのアーサー・デント
2002.3.23. プリーフェクトな人々
2002.3.30. human nature に基づく human behavior についての一考察
2002.4.6. お笑い対決 ゲルマン系 vs ラテン系
2002.4.13. お宝自慢3 〜これがホントの持ち腐れ〜
2002.4.20. イワンと仔馬の、あるべき関係を問う
2002.4.27. 3Wプラス1計画(仮称)
2002.5.4. Simon Says
2002.5.11. 1st anniversary of DNA's death
2002.5.18. 葬儀で「結婚」?
2002.5.25. たのしい川べ
2002.6.1. 眠れぬ日々
2002.6.8. マーヴィンのうた
2002.6.15. 疑惑のイントロダクション
2002.6.22. 我が家のプロコル・ハルム
2002.6.29. レディオヘッドを追いかけて
2002.9.7. みなさま、メールをどうもありがとう
2002.9.14. 英文学専攻の面目躍如?
2002.9.21. DVDプレイヤーついに購入
2002.9.28. アントニオ・ガデスの夜
2002.10.5. A Handful of Dust の行方
2002.10.12. リッチ・ティー・ビスケットとイズリントンの映画
2002.10.19. 追加更新の真相釈明
2002.10.26. ミスター・シンプソンのこと
2002.11.2. 「おもしろい」を見つけるために
2002.11.9. 英会話のテープ代わりに
2002.11.16. 勤務先変更につき
2002.11.23. ノルシュテインとタルコフスキー
2002.11.30. ボーイ・フロム・イートン
2002.12.7. 成功と挫折
2002.12.14. 大学で何を学ぶか


2002.2.16.  祝・1周年の、ちょっといい話

 今更ながら、新年あけましておめでとうございます。
 そしてこのホームページの1周年を記念して、ますます今更ながら、「My Profile」のコーナーも追加。
 という訳で(どういう訳だか)、今年もよろしくお願いします。

 さて、昨年12月15日に、2ヶ月の冬休み宣言と1周年に向けての大幅リニューアル宣言をアップロードした時、私の頭の中にあったのは「何はともあれアントニオ・ガデスのコーナーをどうにかしなくては」だった。
 しかし、ガデスについて丸1年も手つかずで放置していたのは、要するに私に何かを書くだけの知識がまったくなかったからで、まずはとにかく関連本と思われるものを読んでみるところから始めることになった。そこで何冊か図書館で借りてみたものの、自分がいかに分かっていないかを思い知らされるばかり。白状すれば、確かに私はガデスの熱烈なファンではあっても、スペインの文化や歴史はおろかフラメンコそのものについてすら触手をのばして考えたことは、恥ずかしながら今までほとんどなかったのだ。遅まきながら、それでも私個人としてはおかげでいい勉強になった(ロペ・デ・ベーガと言われても、もう怖くないぞ)。所詮付け焼き刃の一夜漬けだからたいしたことはないけれど、まあ一度立ち寄ってみてください。勿論、今後も随時更新していく予定。
 そんなこんなで頭がスペイン一色に染め上がっていた1月早々、思いもかけない人からのメールが私の元に届いた。
 送信者の名前は、MJ simpson。2001年、アダムスが死去する前に発売された、A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide という本の著者、その人。
 コンピュータ画面を眺めて、この事実に納得するまで、私はたっぷり10秒はフリーズしていたと思う。
 メールの内容は、「ダグラスの自伝を執筆する予定なので、彼が日本に旅行した時のことを何かご存知でしたら教えてください」というもので、震える指先で私が書いた返事は、「Sorry, I don't have any information.」。おかげでそれっきり返信メールも来ないけれど、そもそも著者本人でなく秘書か誰かが代理で送受信していただけかもしれないけれど、日本の検索サイトでDouglas Adams で検索してひっかかった、アドレスの最後にjpがすべてのサイトに同様のメールを機械的に送っただけかもしれない(日本語が読めるとはとても思えないし)けれど、それでもアダムス個人を直接知っている人とつながりが持てたことは、ものすごく嬉しい。本当に、素人のマネごとながらホームページを作っておいて良かったと思う。
 ともあれ、これまではいくらホームページというものはシステム上「世界に向けて公開している」と理屈ではわかっていても、全編日本語で書かれたこのサイトに、日本語の読めない人がわざわざ訪ねてくることは私の考慮の外にあった。今回のことは例外中の例外中の例外だろうが、でもこれを機に、万が一にも来てくださった方をつなぎとめるために、形だけでも英語で書いたページを用意するしかない!
 という訳で一念発起、1月6日にとりあえずのイングリッシュ・ヴァージョンを緊急アップロードした。ただし、これは本当に簡易版だったので、今回の更新で少しはマシなものに改訂したが、明らかな文法ミス等がございましたら、何とぞお知らせくださいませ。

 それから、嬉しいニュースがもう一つ。現在絶版中の本の再版を希望する人が投票し、その結果に基づいて出版社と再版を掛け合ってくれるというサイト、「復刊ドット・コム」で現在『銀河ヒッチハイク・ガイド』が復刊交渉中に入っているとのこと! 
 そこで、今この文章を読んでいるあなたにお願い。どうか、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にご投票ください。
 あなたの一票が、出版社を動かします(多分)。

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2002.2.23.  「大幅リニューアル」についての補足説明

 先週の「大幅リニューアル」の、どこが「大幅」なのかよく分からなかった方へ。ご使用になっているインターネットのブラウザによってはまったく変化がなかったかもしれないけれど、前回の更新で、私のホームページのほとんどのページに「スタイルシート」なるものを導入し、文字の大きさと改行ピッチを固定させていただいたのだ。一応、「大幅」でしょう? 反論は受け付けませんので、あしからず。
 たかが「スタイルシート」、今どきわざわざ胸を張るほどの技術ではないけれど、このスタイルシートを導入するにあたって、私がそれまで使っていたメールのブラウザが突如開かなくなり、貰ったメールも送ったメールもそのメールアドレスも全滅、という悲劇に見舞われたからには主張するだけは主張しておかねば私の気が済まない。スタイルシートとメール、何の関係もないじゃないかとお思いであろうが、決して機械オンチの被害妄想ではなく、風が吹いて桶屋が儲かるのと同じくらい、言われてみれば確かにその通りな、筋の通った理由があった。ただし、それを説明すると長くて退屈なだけだから割愛して、気になる方には私がマックOS8.0と、Pagemill 3.0のユーザーであることだけ告白して、あとはご想像にお任せする。古い機械と古いOSを使っていると、思いがけないところに落とし穴があるものだ。
 そのせいだけではないけれど、今年に入ってから本気で「新しいマシンに買い換えようか」と何度となく考えた。現在の愛機は、1997年11月購入のMacintosh Performa 5440。コンピュータの寿命は今では大体3〜5年というから、確かにそろそろ買い換え時なのかもしれないけれど、他の家電製品と違ってはっきり「壊れて使えなくなった」からではなく、ただ「性能が悪いから」というだけの理由で無下に捨てるのがしのびなくて踏み切れず、今日に至る。かと言って、古いマックを何台も並べて悦に入っていたアダムスと違って、私の部屋にはそんなスペースはない。勿論、それより何より今の私が手元不如意だという理由のほうがはるかに大きいのだけれど。
 と、この一ヶ月ばかり会う人ごとに相手構わずコンピュータ買い換え計画を話してきたが、相手はほとんど全員ウィンドウズユーザーなので、「で、次もマックを買うのか」と質問してくる。まったく、私を誰だと思っているのやら。迷うまでもなく、次に買うのもマックに決まっていますとも。

 そして今週の更新は、前回の更新では形式を整えるのに手一杯で内容がまるで追いついていなかった、アントニオ・ガデスの作品解説(『エル・ランゴ』『バルセロナ物語』)を少々と、関連人物紹介として3人の有名なバイラオーラ(クリスティーナ・オヨスステラ・アラウソピラール・ロペス)を追加。
 しかし、ガデスは電子メールを利用したりするのだろうか? 実は相当の使い手だった、と言われても「そうかもしれない」と思うし、コンピュータなんてこの先も一切手を出すつもりはない、と言われても「やっぱりそうだよな」と思うのだが。

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2002.3.2.  本当に格好良い男とは

 以前、フジテレビで「平成教育委員会」というクイズ番組が毎週土曜日に放送されていた。
 今でも特番というかたちで年に一度か二度放送されているからご存知の方も多いと思うが、今からもう何年前になるのか、この番組の放送が始まったばかりの頃、レギュラー解答者の中の一人が私の目を惹いた。
 その人は、姿も声も発言も、それはそれは抜群に格好良かった。どこがどう格好良いのかうまく説明できないのだが、とにかくその格好良さたるや、こういう言い方もあまり好きではないけれど、ほとんど日本人離れしていた。でも、私が不覚にもそれまで全然存知上げなかっただけで、その人は有名な役者さんで、番組司会者のツッコミによると、東京大学中退で、「仮面ライダー」の死神博士役をやっていらっしゃったらしい。
 その人の名前は、天本英世という。

 先日、スペインやらフラメンコの関連本を返却しに図書館へ行った際、気分転換に気楽に読める本はないかとエッセイ・コーナーをぶらついていて、ふと一冊の本が目にとまった。天本英世著『スペイン巡礼』。
 「平成教育委員会」で見惚れて以来、かの人のお名前は私の頭に刻まれていた。そして、同番組内でのご発言等々でスペインを魂の故郷のように愛していらっしゃることも知った。が、さらにその後、買い求めたガデスの公演プログラムにも文章を寄稿されているのを見つけ、ガデス本人とも個人的に親交をお持ちであることも知った時の、嬉しい驚きときたら! やはり、本物は本物を知るということであろう(そして、私の人を見る目に狂いはなかったということの証でもある。どんなもんだい)。
 しかし、天本氏本人が本を、それも七ヶ月にわたるスペイン全土をめぐる旅の本を出しておられたことは、これまた不覚にもまったく知らなかった。直ちにひったくるように借りて読んだところ、これが大当たり。あくまで天本氏個人の紀行文として書かれているため、彼のスペインとフラメンコに対する愛情と理解の深さが痛いくらい伝わってくるし、旅先の空気、現場感覚もとてもリアルだ。これだけでもスペイン好きの天本ファンには応えられない一冊だが、おまけにこの本にはガデス・ファンにとってはさらに応えられない一節があった。
 その箇所は、前回の更新時にというかたちで引用させていただいた。どれほど多くの言葉を費やすよりも、ある意味でもっともよくガデスの人柄を伝えていると思う。合わせて、そういうところに気付いて書き記す、天本氏自身の人柄も。私に言わせれば、本当に格好良いとはこういうことさ。外見の良さも重要だが、そこに内面の良さが滲み出た時こそ、本物になるというものよ(ファンのたわごととお聞き流し下さい)
 さらに、この本とは別にもう一冊、『スペイン回想』というタイトルの本が、『スペイン巡礼』の補遺として出版されている。これまた必読中の必読の一冊と声を大にして叫びたい。というのは、こちらはスペインの文化や歴史に興味はあるが実際には何の知識もない、つまり私のような人に向けて、フラメンコとは何か、ロルカとは何者か、スペイン内戦とは何なのかについて、踏まえるべきポイントをきちんと踏まえてとびきりわかりやすく説明してくれているからだ。何てこった、どんな専門書を繙くより先にまずはこっちを読めばよかった、でもガデスの話が出てこないのは私個人としてはちょっと寂しいなあ、と勝手なことを思いつつ読み進めていくと――最後の最後になって、出た、出ました、フランスで映画『血の婚礼』を観た時の話が!
 該当の数ページを全文引用した誘惑にかられたけれど、それはいくら何でもあんまりなのであきらめた。興味のある方は、『スペイン巡礼』と合わせて是非ご一読を。ただ、残念ながら現在は絶版のようで(売っているなら私は直ちに買う)、書店よりは図書館で探したほうが早いかもしれない。

 そして今週は、祝・『銀河ヒッチハイク・ガイド』(新潮文庫)奇跡の復刊!という訳で、再びアダムスのコーナーに戻る。日本でも昨日まで出演映画(『ハリー・ポッターと賢者の石』『ラット・レース』)2本がロードショー公開されていた、アダムスの憧れの人、ジョン・クリーズについて。

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2002.3.9.  英国一有名らしい喜劇俳優

 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』は、私も観た。
 英国一有名な喜劇俳優、ジョン・クリーズは「ほとんど首なしニック」の役で出演している。原作小説でもそんなに重要なキャラクターではないし、映画に至っては「ほとんど意味なしニック」状態、なのにそれにしてはエンド・クレジットに流れた「John Cleese」の文字がやけに大きいと感じたのは私だけか? まあ、続編『ハリー・ポッターと秘密の部屋』での活躍に期待しよう(と言っても、原作小説ではやっぱりたいして出番はなかったような気がするが)。
 シリーズものと言えば、クリーズは『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』でもちゃっかりレギュラーの座を獲得していて、製作されることだけは決まっているらしいシリーズ最新作でも当然出演予定になっている。クリーズが出ていようがいまいが『ハリー・ポッター』は観たけれど、『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』は彼が出ているというだけの理由でWOWOWで放映したのを録画して観て、案の定彼が出ているほんのわずかな場面だけは楽しかった。最新作ではクリーズも脚本に参加させて、映画の半分、とまでは言わないがせめて三分の一くらいの場面でジェイムズ・ボンドと絡んでくれるなら、レンタルビデオと言わず映画館まで足を運ぶのだが。

 ジョン・クリーズの出演作品一覧を眺めると、イギリスではとびきり人気の高い役者にして脚本家なのに、日本で公開されていて今でもレンタルビデオ等で簡単に見ることのできる映画作品の大半は、主役でもなければ脇役でもない、むしろ「客演」と呼びたくなるような役が多い。『バンデッドQ』しかり『シルバラード』しかり。さらに、セルフパロディとしかいいようのない『アウト・オブ・タウナーズ』とか(観ていないけれど世間の評判によれば)『ラット・レース』とか。これじゃあ日本では有名になりようがない。
 それらがおもしろくないとは言わないけれど、『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(ああ、何て呪われた邦題)のファンとしては、脚本家クリーズがもっと全面に出た作品を作ればいいのにと思う。もっとも、クリーズ自身が合格点を出せるような、精緻を極めて組み立てられるコメディの脚本というのは、それだけ時間と手間と才能が要求されてなかなか完成に至らないだろうから、この際だ、敢えて新作をとは言わない、1975年にBBCで放映されたテレビ・ドラマ、『フォルティ・タワーズ』全話を日本語字幕付きで観られるようにしてくれるだけでもいい。
 この作品は、4話分を収録した1巻ものだけはかろうじてレンタルビデオで観ることができたが、確かに日本人にはよくわからないところもあるにしろ、それでも本当によく出来ていてけたけた笑えた。20年以上前のコメディなのに、テンポが早くてちっとも古くさくないのも凄い。
 とは言え、この『フォルティ・タワーズ』が、イギリスのテレビ局で製作されたすべての作品の中から選びに選んで天下の英国映画協会(British Film Institute、BFI)が発表した、ベストテレビ番組100の中の、よりにもよって第1位に輝いた、という記事をインターネットで見つけた時は「いいのか、そんなことで」とちょっと思った。ちなみに『ドクター・フー』が3位で『空飛ぶモンティ・パイソン』が5位、そして『ブラックアダー』が16位。BFIのホームページを見れば、100位のランキング一覧に加えて、選出方法の丁寧な説明も出ているので興味のある方はどうぞ。
 蛇足ながら、テレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』は予選にも通っていなかった。悔しいけれど、まあ無理もないか。

 気を取り直して、今週は『銀河ヒッチハイク・ガイド』に新コーナー、「主要キャラクター紹介」を追加。まずは当然この人、アーサー・デントから。

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2002.3.16.  主人公としてのアーサー・デント

 私が初めて『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んだのは、高校3年生の夏休みのことだった。
 何の予備知識もなしに読み始めて、何度となくイスから転げ落ちそうになる程の衝撃を味わったが、それと同時に私は主人公のアーサー・デントが羨ましくてたまらなかった。そう、自分の意志や希望に反して宇宙のあちらこちらに吹っ飛ばされてばかりいる、あのアーサーのことが、だ。
 私も広大な宇宙に飛び出して銀河の驚異をこの眼で見てみたいと思ったから、ではない。それなら、アーサーではなくトリリアンを妬むべきだ。私が胸が痛くなるくらい切実にアーサーのことを「羨ましい」と思ったのは、あくまで彼が自分の意志とは無関係に旅を続けていくところにあった。そして、周りに毛の薄いサル扱いされながらも、彼らと何となく行動を共にしているところ。
 私がそれまで読んでいた小説の主人公たちは、たとえ物語の発端でどんなに甲斐性なしの役立たずであったとしても、さまざまな試練や体験を経て、いつの間にかまっこうで確固たる自分を取り戻していった。どんなに孤独で人づきあいがヘタであっても、信頼できる友だちやら恋人やらの愛を得ることができ、たとえ社会的には成功しなくても、代わりに自己の尊厳やら誇りやらを見出すことができた。それが、主人公というものだった。
 重度のフィクション・ジャンキーの私にとって、本=小説であり、そして小説を読むということは、もっとも手っ取り早くて安上がりで、かつ体裁の良い現実逃避だった。読んでいる間は逃避先の架空世界の主人公イコール私だから、「ダメな主人公が最後にはそれなりにまっとうな社会人になる」という物語はすなわち、「今はダメな私もそのうちまっとうな社会人になれるだろう」という慰めでもあった。しかし、本当の本当に自己嫌悪で落ちこんでいる時、とりわけ高校生3年の時、クラスに友達らしい友達もいなくて、学校の成績もぱっとしなくて、未来に希望どころか恐怖しか感じられなかった、そんな時には、架空世界の主人公が体験する試練や労苦を考えただけで、根性なしの私は暗澹とした気分になった。ダメだ、自分にはとても耐えられそうもない。ということは、私はいつまでもどこまでもダメな私のまま、世界に自分の居場所を見つけることができないのだろうか。
 でも、アーサー・デントという主人公は違った。
 アーサーは、自分の家を壊され、自分の星を壊され、宇宙服なしで宇宙空間に放り出されたり、はつかねずみに脳味噌を取り出されそうになったりする。次から次へと起こる災難に、いつまでたってもアーサーは自分で対処することができない。たまに何かのはずみでうまくいったとしても、それは単なる偶然の産物。しかし、それでも彼は何となく生きていく。パニックでヒステリーを起こしながら、ぶつぶつ文句を言いながら、神経を鎮めてくれる紅茶を探しながら。
 <黄金の心>号の仲間たちは、アーサーの友達だろうか? 友達じゃないとも言い切れないけれど、彼らの間柄はこれまで私が読んできた小説の中に出てきた「友情」とはまるで違う。アーサーが、彼らの信頼と友情を勝ち取るために受ける試練なんか、どこにもない。最初から最後までサルだのバカだのと言われながら、それでもアーサーは何となく彼らと一緒にいるし、彼らもそれを受け入れている。
 高校3年生当時の私は、そんなアーサーが羨ましかった。あんな風に生きられたらいいのにと思った。アメリカ人に言わせれば、負け犬の人生らしいけれど。
 それから随分と年月が経って、気が付いてみると、職場でしょっちゅうパニックを起こし、しょうもないことですぐ友人各位に愚痴メールを書き送り、何はさておき紅茶の買い置きだけは切らさない、という意味ですっかりアーサー・デント化した今の私は、そんな昔の私をいじらしく思う。

 今回は、地球を脱出するにあたって、よりにもよってアーサー・デントを地球人代表として救出した宇宙人、フォード・プリーフェクトについて。「主要キャラクター紹介」コーナーと銘打っておきながら、主人公一人しか載せていないというのはいくら何でもあんまりでした。

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2002.3.23.  プリーフェクトな人々

 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』がアメリカで発売されたのは、1980年に入ってからのこと。英語で書かれたイギリスの本なら、ほとんど同時にアメリカでも読めるのかと私は勝手に思っていたけれど、イギリスとアメリカはやはり別の国だった(当たり前か?)。
 当時のアメリカ人は、監督生を意味する 'prefect' という単語に馴染みがなくて、フォード・プリーフェクトという名前をジョークとして受け取れなかったらしいが、『ハリー・ポッター』旋風が席巻した今ならぴんと来る人も増えたかもしれない。何しろ、ハリー・ポッターが入学したホグワーツ魔法学校には、各寮ごとに監督生がいるのだから。ハリーの親友、ロンの兄のパーシーが自慢している、監督生を意味するPバッジとは、'prefect' のPである。と言っても、私は日本語訳で読ませていただいたので、日本語字幕付きの映画を観ていてマクゴナガル先生(だったかな?)が「監督生!」と呼んだ時に初めて気が付いたことを正直に告白しておく。
 'prefect' の出てくる映画と言えば、やはり本当の英国パブリック・スクールを舞台にした『アナザー・カントリー』が有名だろうか。寮の少年たちが監督生の座をめぐって政治的闘争を繰り広げる話なだけに、'prefect' という単語の登場頻度は非常に多い。この作品、今の日本ではすっかりやおい少女御用達映画の代表的存在ともなった感があるが、もともとは芝居として上演されていたものであり、そしてその脚本は実は私が大学生の時の第一外国語(今では死語かも)の英語の教材だった。
 語学の指定テキストの一覧に、Another Country というタイトルを見つけた時は、ジェイムズ・ボールドウィンの長編小説『もうひとつの国』のことかなあと思った。同じ Another Country でも『もうひとつの国』よりは『アナザー・カントリー』のほうが楽しそうなのは確かだが、お堅い語学の授業の教材にしていくら何でも楽しすぎないか? しかし、大学生協に平積みされた指定教科書は、やはりあの『アナザー・カントリー』なのであった。
 脚本 Another Country は、予想通り、いや予想以上におもしろかった。授業以前に映画を観たことがあったけれど、その時は若い少年たちの話にしては意外に重たくて陰気だったということだけが印象に残った程度だった。でも、芝居の脚本を丹念に読んでいくと、あの陰気さはどこへやら、若い男の子たちの笑える日常会話がちゃんとある。そうそう、こうでなくちゃ。1930年代のイギリス上流階級の子弟たちという設定ではあっても、私に言わせればある意味でこの芝居のテイストに一番近いのは、吉田秋生の傑作男子校マンガ『河よりも長くゆるやかに』だ。
 という訳で、もし私の目の前にするするすると演劇の神様が降りてきて、「古今東西現在過去未来を問わず、あなたが観たい舞台を一本だけ見せてあげる。さあ、何がいい?」と訊いてくれたなら、今の私は「1982年3月にクイーンズ・シアターで上演された、Another Country が観たい」と即答するつもりでいる。何てったって主人公ガイ・ベネット役がルパート・エヴァレットで、その親友ジャド役がケネス・ブラナーである。あきれ果てたミーハー根性、どうせ英語の台詞なんか聞き取れないくせに、と神様にバカにされたって、構うもんか。

 ともあれ、前回、前々回と続けて架空の人物紹介だったので、今回は実在の人物を二人紹介する。一人はラジオ・ドラマでフォードを演じた(でもテレビ・ドラマでは外されてしまった)ジェフリー・マッギヴァーン、そしてもう一人は、アダムス関連ではなくノルシュテイン関連で、映像作家のミシェル・ゴンドリー

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2002.3.30.  human nature に基づく human behavior についての一考察

 ジェフリー・マッギヴァーンを探して、映画『オネーギンの恋文』を観た。
 マッギヴァーンは、ベトロヴィッチとかいう人の役らしい。が、最後まで観てもそんな役名は日本語字幕には出てこなかった。名前も出ない端役となると、一体どうやって探せばいいんだ?
 サイモン・ジョーンズを探して『デビル』や『12モンキーズ』を観た時もたいがい苦労したけれど、あの時は少なくとも彼の声だけははっきりしていた。顔も、若い時のものなら分かっていた。しかしマッギヴァーンに関しては、顔写真一枚なく、ラジオ・ドラマのフォード役の声も地声でないので何のヒントにもならないし、テレビ・ドラマに至っては、フォード役を降ろされて出演すらしていない。となると、映画の原作であるプーシキンの長編詩『オネーギン』を読んでペトロヴィッチとやらの役柄を特定してから、改めて映画を観るしかないのか?
 そりゃあ、どういう形であれ読んでおいて損になる本ではないだろう。でも、プーシキンを「読まねばならぬ」と思って本屋の岩波文庫コーナーに立っていてふと我に返ると、どうして私が今『オネーギン』なのか、そもそも自分が何をしたいのかが分からなくなる。これがノルシュテイン関連本の一環だというなら、まだ話が早いのだが。

 さらにややこしいことに、先週私がアメリカ産のオフビートなコメディ映画、『ヒューマンネイチュア』を観に恵比寿ガーデンシネマに足を運んだのは、アダムス関連映画の一環としてではなく、ノルシュテイン関連としてなのだった。嗚呼、ややこしい。
 この映画の予告を観た時は、直感的に「好みじゃない」と思った。でも、監督がビョークのヴィデオ・クリップ、「ヒューマン・ビヘイヴィアー」を手掛けたミシェル・ゴンドリーと知って、行かずばなるまいと気を変えた。
 私とビョークとの付き合いは映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以降だから、歴史は浅い。この映画そのもの以上に音楽に心惹かれて、そこで初めてビョークという名前を頭に刻んだ。その後、私のホームページを見た人から、ビョークの「ヒューマン・ビヘイヴィアー」という曲のヴィデオ・クリップが「霧につつまれたハリネズミ」を下敷きに製作されているとの情報をいただき、泡を食って彼女のヴィデオ・クリップ集『ヴォリューメン』を買いに行った。ヴィデオもいいが曲を知らないんじゃ話にならんと思い、レンタルできるCDはレンタルさせていただき、最新アルバムだけは購入した。この文章を書いている今は『セルマソングス』を流しているが、ついこの間までは『ヴェスパタイン』をかけ続けていて、おかげで職場にいる時までうっかりすると「ぺい〜がんぽ〜えとりぃ〜」と調子外れな鼻歌が出そうになった。昨夜WOWOWで放映されたライブも、永久保存予定でばっちり録画している。つまり、ハマるだけハマった訳だ。
 私の場合はノルシュテイン・ファンが高じてビョーク・ファンになったのだけれど、この手のことはいくらでも起こりうると思う。たとえば、ある映画監督が好きだったとしたら、その映画監督が影響を受けた、あるいは好きだと公言する別の映画監督の作品も観てみようと考えるのは、ありがちな行動パターンじゃないか? 私の場合はちょっとやりすぎだけど。
 そこへ、ちょうど雑誌『ユリイカ』のビョーク特集号が出た。勿論、隅から隅まで楽しく読ませていただいた。どなたの執筆内容も、ごもっともである。が、一つだけ文句を言いたい。ミシェル・ゴンドリーと「ヒューマン・ビヘイヴィアー」について触れている執筆者が三人もいて、どうしてただの一人もノルシュテインの名前を挙げてくれないんだ!
 「ヒューマン・ビヘイヴィアー」を語るなら、必ず「霧につつまれたハリネズミ」に言及せよ、とは言わない。しかし、しかしだ、「物語の下敷きとなっているのは、金髪巻き毛のゴールディロックスちゃんが、留守中の熊のいえに勝手に上がり込んで椅子をこわしポリッジを食べつくし他人(熊)のベッドで昼寝までして行く、イギリスの童話『三匹の熊』のおはなし。(略)ビョークは空を飛び枝にひっかかり川を漂流し車にひかれかけソ連の宇宙飛行士になって月と地球を往復して、最後は熊に食べられてしまう。」(栩木玲子、p. 86)、「ぬいぐるみの熊とぬいぐるみのハリネズミが闊歩する、まったく人工的な森があって(略)なぜか殊更、ビョークが川に浸されながら仰向けに流れてゆくシーンは、それがあまりに自然を感じさせるからこそ印象的なのだった。」(陣野俊史、p. 155)、さらに「ビョークとゴンドリーはともにチェコのアニメーションがお気に入りだという。イジー・トルンカに始まり、ブジェチスラフ・ポヤル、ヤン・シュヴァンクマイエルやイジー・バルダにいたる人形アニメーションの系譜が、ゴンドリーによるビョークのクリップに影響を与えていることは確かに見て取れる」(田中純、p. 161)と、よってたかってここまで書いておきながら、ノルシュテインのノの字も出てこないのはあんまりだ。
 これは困る。私としてはとっても困る。なぜって、私がノルシュテインからビョークに関心を持つようになったのと同じように、今度は逆にビョーク・ファンにもノルシュテインを知って欲しいからだ。シュヴァンクマイエルならまだしもロシアのアニメなんて観たこともないであろう、ビョーク特集号の大半の読者にこそばっちりノルシュテインの名前をアピールして、一気にファン層の拡大を図りたいのに。そうでもしないと、いつまでたってもノルシュテインやロシア・アニメーションのファンの裾野が広がらない。
 裾野の広がらないことのどこが問題かって? 大問題ですとも。ファンの絶対数が増えなければ、『チェブラーシカ』の快挙に続く、ノルシュテイン作品集のDVD発売は夢のまた夢じゃないか!
 今回、文中で敢えてビョーク、ビョークと連呼したのは、私なりのささやかな宣伝である。ビョーク・ファンの誰かが「ビョーク」でネット検索をした時に、何のはずみでひっかかってくれることを祈って。

 そして今週は再びアダムス・コーナーに戻って、一人で二人分の頭を持つ、元銀河帝国大統領をご紹介。

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2002.4.6.  お笑い対決 ゲルマン系 vs ラテン系

 フランス語版『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、ザフォド・ビーブルブロックスという名前はザッピー・ビビシー(Zappy Bibicy)に変更されている。
 フランス語のニュアンスはよくわからないが、あんなキャラクターにしてはえらくかわいらしい名前を付けたものだ。というか、平気で人の名前に変えてしまうくらいのセンスだから、他の翻訳箇所も推して知るべし、フランスで『銀河ヒッチハイク・ガイド』があまり当たらなかったのもそのせいじゃないか、と私は秘かに思っている。
 でも、当たらなかったのはフランスだけではない。イタリア、スペインといった他のラテン語文化圏での売れ行きもよくなかったようで、あっさり絶版扱いにされている。それにひきかえ、イギリス以外でヒットしているのは、アメリカは別としても、もっぱらドイツ、スウェーデン、ノルウェーといったゲルマン語文化圏だ。正式にそれぞれの言語でどのくらいの部数が売れたのかは知らないけれど、友人がイタリアでイタリア語訳を、スペインでスペイン語訳を探して買ってくれた時はかなり大変だったのに対して、私がドイツでドイツ語訳を、スウェーデンでスウェーデン語訳を見つけるのはとっても簡単(どこの本屋でも普通に並んで売られていた)だったことから鑑みても、国ごとの人気の度合いはだいたい想像できる。
 ラテン系とゲルマン系では、やはり笑いに対する感覚が違うのだろうか? 
 さて、と、ラテン系でもゲルマン系でもない、東アジア系の私は考える。今まで意識したことはあまりないけれど、かくいう私にとって、ヨーロッパのお笑いに接する時、ラテン系とゲルマン系とではゲルマン系のほうが理解しやすいような気がする。『銀河ヒッチハイク・ガイド』とか、『宇宙船レッド・ドワーフ号』とか、『ブラックアダー』とか(ゲルマン系というより単なるイギリス系じゃないかと言われればそれまでだが)。それにひきかえ、高校生の時に前知識も何もないまま深夜放送を録画して観た映画で、それなりに有名なコメディらしいのに、くすりとも笑えないどころか全編ひたすら苛立たしいばかりの作品があった。それが、フランス映画界の名匠ルイ・マル監督の代表作、『地下鉄のザジ』。
 こんな映画をおもしろいと感じる人が、フランス人ならまだしも日本人の中にいるとは私にはとても信じられないが、どうやら大勢いらっしゃるようである。認めたくないが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に笑う人の数よりも多いんじゃないかと思う。
 ちなみに私は今話題の映画『アメリ』も苦手だ。きれいな映像、よく出来た脚本、主役のオドレイ・トトゥもマシュー・カソヴィッツも素敵だ。それは認める。でも、笑えない。笑うべきところで、笑うどころか自分の顔がひきつっているのが分かった。
 多分、これが決定的な「笑いに対する感覚の違い」なんだろうと思う。また逆に、私が小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を貸した友人の中で、「どこがおもしろいのかさっぱり分からない」と突っ返してきたうちの二人は、『地下鉄のザジ』の大ファンだったことが後になって判明した。
 ほーら、やっぱり。どちらがいいとか悪いの問題じゃなくて、ラテン系とゲルマン系のお笑いでは何かが決定的に異なるのだ。それが何なのか、うまく言葉で説明できないのが悔しいけれど。

 そして今週は、お笑いにもっとも縁遠い男、アントニオ・ガデス関連のコレクションの一部を公開。私にとってラテン系は、シリアス路線のほうがずっといい。

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2002.4.13.  お宝自慢3 〜これがホントの持ち腐れ〜

 私がホームページに掲載する写真の出来は、いつもパッとしない。
 床に置いたモノを、200万画素のデジタルカメラで、天井の蛍光灯だけで、適当に撮影しているのだからそれも当然である。でも、あまり気にしていない。美的なことは脇において、ただ「こういうものがあります」ということさえ伝わればいいや、と思っている。
 という訳で、前回アントニオ・ガデス・コレクションとして追加した写真についても、写りが悪いことは承知の上で、映画『カルメン』のレーザー・ディスク版とDVD版を撮影する時も敢えてビニールのパッケージを外さなかった。何故かと言うと、私はレーザー・ディスクのプレイヤーもDVDのプレイヤーも持っていないので、実はこの二点、まったくの未開封状態なのである。さすがにDVDプレイヤーについてはそう遠くないうちに手に入れるつもりだけれど、LDプレイヤーはきっとこの先も購入することはないだろう。そして、LD版『カルメン』に収められている「フランス公開時予告」も、一度も観られないままになるだろう。それならいっそ、私は意地でも未開封のまま残してやる。そして、完全未開封であることをアピールするためのビニール・パッケージは絶対に破らないぞ、と、つまりは写真写りの良し悪しよりも、自分のつまらん意地を優先したという次第。
 ともあれ、本物のお宝は、LDでもDVDでもなく3点目のビデオである。プレス用に配られたもので、一般に販売されていない。わずか5分と短いものの、ガデズとオヨスのヨーロッパの舞台公演の模様がばっちり入っている。舞台版『カルメン』の実際の映像は、私はこれしか持っていない。
 ちなみにこのビデオは、私の友人が自宅の大掃除の時に見つけて、私が欲しがるかもしれないと思い、捨てずにとっておいてくれたものである。日頃、誰彼構わずアダムスだノルシュテインだガデスだと騒いでいると、たまにこういう僥倖に会う。合掌。
 最後のテレホン・カードについては、別に「Collection」コーナーに入れるつもりはなかった。が、本当に載せたかったものが大きすぎてうまく写真に収まらなかったので、デザインが同じテレホン・カードを代用することにした(これはこれで、今度は逆に小さすぎてうまくピントが合わなかったけれど、細かいことは気にしないったら気にしない)。
 本当に載せたかったものとは、同日本公演のポスターである。テレホン・カードの絵柄とまったく同じだが、ポスターだけに公演日程が書いてある。こちらも未発売。公演会場に貼ってあったものを、タダで有難く頂戴した。
 と言っても、勝手に外して持ち去ったのではない。1997年の日本公演の最終日、公演前の劇場ロビーで、一人の女性がグッズ販売の係員と何やら交渉しているのに気がついた。「今日が公演最終日でしょ? 公演が終わった後、どうせ捨てるのなら、ここに貼ってあるこのポスターを私にくれない?」。これは聞き捨てならん、と私も駆け寄って交渉に参加した。
 責任者に相談に行って戻ってきた係員の返事は、「公演が終わって、他のお客さまが劇場をお出になった後までここでお待ちいただけたら差し上げます」。勿論、待っておりますとも!
 公演終了後、ロビーから人気がなくなるのをもう一人の女性と二人で待ちながら、ガデスのことや舞台のことについてあれこれ楽しくおしゃべりをした。私より年輩のその女性は、東京都心に通勤する独身OLで、バレエに限らず演劇やオペラ、クラシック音楽といった舞台芸術が大好きで、お金と余暇はチケット代やCD代につぎ込んでいて、またそういう楽しみがあるから、「さあ、今日も頑張って働こう」という気持ちになるとのこと。私などとは比較にならないくらいの情報と知識をお持ちで、公演最終日に会場内のポスターを頼んで貰うという小知恵で、実はその前のガデスの公演ポスターも手に入れたとか。「勿論、販売していれば買うわよ。」
 今では彼女の顔も覚えていないけれど、ひょっとしたら都内のどこかの劇場で、お互いに気付かぬうちにすれ違っているかもしれない。あるいは、これからどこかですれ違うかもしれない。少なくとも、もしまた今度、アントニオ・ガデス舞踏団の来日公演が実現して、その最終公演が終わった後のロビーの片隅でなら、きっと。

 世界にはまだまだ未知なるお楽しみが埋もれている。私が見つけたお楽しみを、少しでも他の人に知らしめるべく、今回の更新はお薦めロシア・アニメーションの世界。合わせて、今日から東京・ユーロスペースにて上映開始となった、上海アニメーションのほうもよろしく。

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2002.4.20.  イワンと仔馬の、あるべき関係を問う

 前回の更新で追加したお薦めロシア・アニメーションのコーナーを作成するにあたっては、一つ頭の痛い問題があった。
 このコーナーで取り上げた長編2本、短編7本の作品は、私が過去10年くらいの間に東京各地で行われたアニメーション・フェスティバルの類で観たものの中から、個人的に気に入ったもので、なおかつ製作手法にバリエーションが出るように心がけて選んだ。どれを載せるかを決めるのにも悩んだが、それはどちらかと言えば楽しい悩みだ。後になって追加したり入れ替えたりしても、構わない訳だし。
 問題は作品選択そのものではなく、作品をリストアップすべく昔のパンフレットやチラシの類をひっくり返してとっくり調べてみたところ、なぜか公開されるたびに邦題が微妙に替えられているものがあることだった。一体、私はどの邦題を使えばいいのか。
 一番変転しているのは「イワンと仔馬」。もともとは「せむしの仔馬」だったが、いつの間にやら「せむし」という言葉が不適切ということになったらしく、ロシア・アニメ映画祭2000からは「イワンのこうま」になった。私としてはこの変更にも不満はあるが、しかしそれよりもっと解せないのは、その後発売されて現在もレンタルビデオ等で簡単に観られるようになったこの作品のタイトルが、今度は「イワンと仔馬」に変えられてしまったこと。
 「イワンのこうま」というタイトルでは、本来イワンと仔馬の友情物語として解されるべき内容であるのに、まるでイワンという人が馬を単なる所有物とみなしているようで不適切だ、とでも言いたいのだろうか? もともとのロシア語のタイトルが分からない私に邦題の適切不適切を断言する資格はないけれど、「イワンの」か「イワンと」か、「こうま」か「仔馬」か、こういう固有名詞は細かいところまできちんと統一して使ってほしい。せっかくインターネットが発達して情報がたやすく手に入るようになったというのに、この作品を観たいと思う人が「せむしの仔馬」とか「イワンのこうま」で検索したためにビデオ化されていることに気付くことができなかった、ということにでもなったらあんまりじゃないか。ちなみに英語のタイトルは Ivan and His Magic Pony で、直訳すれば「イワンと彼の魔法のポニー」だから、「イワンのこうま」とも「イワンと仔馬」ともどっちとも取れる。何の参考にもなりゃしない。
 その他の作品では、たとえば「私の悲しみを誰に伝えよう」と「わが悲しみを誰につたえよう」。
 一体どちらが正解なんでしょう? そして、私のこの悲しみを誰に伝えればいいのでしょうか?

 ロシア・アニメーションに限らず、最近は劇場公開された映画がビデオ化される時にあっさり邦題が変更されていることが多くて驚く。紛らわしいのでやめてほしいと思う。しかし、何と言っても私が一番たまげたのは、アン・リー監督の Ride with the Devil 。劇場公開時のタイトルが『楽園をください』で、これはこれで前売り券を買う時に妙に気恥ずかしくて俯いてしまった記憶があるが、後にビデオ化されるにあたって新たに付いたタイトルが『シビル・ガン』。
 何故、そうなる?

 気を取り直して今週の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』キャラクター紹介コーナーに、<黄金の心>号の紅一点、トリリアンを追加。

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2002.4.27.  3Wプラス1計画(仮称)

 初期の『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズでトリリアンという女性キャラクターの影が薄い理由について、Carl. R. Knopfは "Douglas Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction" と題された論文の中で、SFというジャンル小説の約束事の裏をかくためにアダムスは敢えて地球の生き残りの男女二人、アーサーとトリリアンを性的に結びつけなかったのだと深読みをした。
 私はこの説には納得できなかったけれど、しかし作者自ら「女性キャラクターを書く自信がなかったから」とあっさり告白してくれた日には、Knopfも立つ瀬がないというものだ。
 ちなみに、私が『銀河ヒッチハイク・ガイド』考の第2章を書いた時点では、アダムスの件の発言を既に知ってはいた。知ってはいたが、「女性を書かなかったのではなく、書けなかったのだ」と書く訳にもいかず、いや書いてもいいのだがそれではアダムスがおとなになれない「スクールボーイ」であることをこれ以上はない形で証明することになってしまう。それは私の本意ではないというのに。という訳で、結局あの文章の中では少々こじつけに近い形で逃げの手を打ってお茶を濁した。
 アダムスは「スクールボーイ」ではない、と反証するのはかなり難しい。なぜなら、アダムスは「スクールボーイ」だから。どうあがいても、その点は認めざるを得ない。勿論、開き直って「スクールボーイ」の何が悪い、と言うことはできる。だが、それも私の本意ではない。
 では、私の本意とは何か。
 それを筋道立てて説明できるくらいなら、四の五の言わずにとっとと書いているってば。

 でもある日、劇作家の鴻上尚二氏のエッセイを読んでいて、思わず膝を打つ記述に出くわした。そうか、こういう見方があったのか、まさに目からウロコ、さすが自ら創作に携わる人は視点が違う!
 このエッセイは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』とは何の関係もない、ある映像作品について書かれたものだった。でもそこに書かれていた内容は、そっくり『銀河ヒッチハイク・ガイド』にもあてはめられると私は思った。そして、この説をさらに押し進めていけば、三人のイギリス人作家、オスカー・ワイルド(Wilde)、P・G・ウッドハウス(Wodehouse)、そしてイーヴリン・ウォー(Waugh)を一つにまとめることができ、そしてその系譜に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を入れることが可能になる――題して、「3Wプラス1計画」(仮称)。
 もっとも、この気宇壮大な計画は、今のところ『オスカー・ワイルドの生涯』(山田勝著)という新書を一冊読んだだけで終わっている。あとはせいぜい、スティーヴン・フライ絡みで映画『オスカー・ワイルド』を観たくらいか。それも今では内容の大半を忘れてしまった。
 やれやれ。
 実際のところ、毎週の地道な更新活動だけで今の私には手一杯で、こんな大プロジェクトにかまける余裕なんてどこにもない。英文学を研究する学者でも学生でもないし。けれど、いつの日か「これでどうだ」と言えるものを呈示できる場所を確保しておくためにも、せめてこのホームページのメンテナンスだけは続けようと思う。

 そして今週の更新は、三人のWとはイギリス人であることくらいの共通点しかない、推理小説家サイモン・ブレットについて。でも、この人を抜きにして『銀河ヒッチハイク・ガイド』は語れない。

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2002.5.4.  Simon Says

 ラジオのプロデューサーとしてのサイモン・ブレットの業績は、いくら文献やネット検索で調べても、そもそも「ラジオのプロデューサー」という仕事がどういうものなのかよく分かっていない私にはあまりぴんとこない。ともあれ、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』はブレットの鶴の一声で製作が決定したようなものなので、その点だけは大いに感謝している。
 小説家としてのサイモン・ブレットに関しては、翻訳された長編推理小説はほとんど全部読んだ。ただし、たいていは図書館で借りて読んだので、現在私の手元にあるのはほんの数冊。それも古本屋で買ったため、ブレットには一銭の印税も稼がせてあげていない。感謝していると口では言いながら、非道な読者だ。
 でも、彼の代表作にあたるチャールズ・パリス・シリーズは、どれもそれなりにおもしろいので、気晴らしに何か気の効いたものを読みたいなあと思う時にはお薦めである。主人公のチャールズ・パリスは売れない中年の俳優。たまたまある殺人事件に巻き込まれてその場の流れで何となく事件を解決してしまったのが縁で、その後も折りにふれて素人探偵の真似事のようなことをさせられるが、本人は探偵ごっこを望んでいる訳では決してなく、あくまで俳優業で名を遂げたいと思っているのに、イギリスには役のつかない役者はごまんといて、能なしエージェントは役者としてのまともな仕事を見つけてくれない、というのが毎度の設定なので、パリスの事件解決法はかなり投げやりでいい加減で時にはただの運任せ、故に作家と一騎打ちする気分で読むような本格的な推理小説を期待する向きには物足りないだろうけれど、イギリスのショービジネスの裏側を垣間見せてくれる一方、適度なユーモアで頬を緩ませてもくれるという意味では、軽い気持ちで読んでみて損はないと思う。
 ちなみにこのシリーズの中では、私は『あの血まみれの男は誰だ?』が一番のお薦め。タイトルから分かる人にはお分かりの通り(勿論私は分からない人だが)、これは舞台『マクベス』の話。その制作過程で起こる殺人事件を、役者としての資質よりも探偵としての技量を買われて端役を貰ったパリスが追うという話で、推理小説の読み方としては邪道かもしれないけれど、実際の殺人事件の顛末はさておき、制作現場の舞台裏の話はとびきりおもしろい。
 とは言え、ブレットの全著作の中から1冊だけを選ぶなら、私は迷わずシリーズ外の長編サスペンス、『殺意のシステム』(1984年)を推す。エリート・サラリーマン、自他とも認める「成功者」だった主人公が、社内の出世競争に敗れて大きな挫折を味わったその日の夜、しつこくからみついてきた浮浪者をはずみで殴り殺してしまう。いつ警察に見つかるかと生きた心地もないまま数日が過ぎ、どうやら警察は自分の犯行にまるで気付いていないと悟った時、彼の頭には彼の人生を邪魔する、金を浪費するだけの愚かな妻や、出世を妨げた職場の後輩への完全殺人の計画が生まれる。
 この小説の語りは三人称だが、基本的に主人公の視点から書かれている。主人公はエリート志向のはなもちならない男だが、彼なりに刻苦して築き上げてきた自分の人生が実は砂上の楼閣だったことを知り、カッとなった勢いで思いもがけず殺人を犯してしまい、吐き気がするほどの恐怖で夜も眠れず、だがその一方で「俺は人を殺したことがある」という思いがやがてひそかな優越感と自負心の砦に変わっていく、といった心理プロセスは、凡百のスプラッタ・サイコサスペンスよりもずっと生々しく、そのくせ妙に共感できてしまうのがまた恐ろしい。なるほど、道理で殺人は一度やったらクセになる訳だ。
 また、この小説には、映画『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(1979年)が印象的に登場する。くたびれ果てた主人公がこの映画を上映している映画館に入るが、「彼が目にしたかぎりでは、映画はけっこう面白かったが、疲労のはなはだしい状態とお昼のビールが重なって、上映時間のほとんどを眠ってしまう結果となった」。ところが、彼にはまったく身に覚えのない犯罪のことで後に警察が彼を訪ねてきて、ちょうどその時間の彼のアリバイについて質問する。映画を観た、と言っておきながら、眠り込んでしまったせいで映画の内容についてほとんど答えられない彼に、警察はアリバイの信憑性を疑う。
 つまり、『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』は、あれを観ていて途中で寝てしまうなんて信じられない、とイギリスの警察が考えたとしても、小説の読者も納得するであろう映画だとして、サイモン・ブレットに選ばれた一本なのである。数多ある映画の中から、よりにもよってこういう状況にこういう作品をもってくる辺り、お国柄が偲ばれる。

 そして今回の更新はやはり『銀河ヒッチハイク・ガイド』関連で、一つは実在の、もう一つは(多分)架空の、ある二つの場所について。

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2002.5.11.  1st anniversary of DNA's death

 初めてロンドンに行った時、会員以外は入れないはずのロード・クリケット場に入れてもらい、いたく感動した。
 2度目に行った時には、ダーク・ジェントリー・シリーズの抜き書き片手にイズリントン界隈を歩き回り、小説に出てくる運河や駅の写真をとりまくった。
 いかにも日本人観光客でございという風体で、そのくせおよそ観光名所とは言えない場所でやたら興奮してカメラのシャッターを切りまくる。そんな私の姿が、地元のイギリス人の目にどう写っていたかは知るよしもないが、少なくとも一緒に旅する友人たちはいつも他人のふりをする。あるいは、別行動を申し入れる。
 ともあれ、今度またロンドンに行く機会があったら、その時には必ずやラウンド・ハウスアルメイダ劇場をデジタル・カメラに収めるつもり。そして、それらの素材で、ダグラス・アダムス関連オンリーのオリジナル・ロンドン・マップを作って公開するつもり――と、こうして次から次へと手つかずの企画の夢ばかりが膨らんでいく。
 でも、何より急務なのは、ついに英米で発売されたアダムスの未発表小説を読むことだろう。インターネット書店で注文したので、早ければ次回の更新までに届いているかもしれない。届き次第すべてをさしおいて最優先で読みたいと思うが、さて何日かかることやら。

 ところで、今日5月11日は奇しくもグラス・アダムスの命日にあたる。あれからもう1年、あっという間だったなあと思う反面、いつの間にやらすっかり「アダムスはもう死んで、この世にいない」という事実に慣れきっていることや、あるいは「アダムスはニューヨークの貿易センタービル爆破事件も知らないまま死んでしまったんだ」と考えると、「1年」という時の長さに改めて納得せざるを得ない。
 そこで今週の更新は、アダムスの一周忌にちなんで、ロンドンで行われたアダムスの葬儀の式次第と、私のアダムス・コレクションの中でも、彼の顔写真がカバーデザインに使用されているものを選んで5点追加することにした。
 とは言え、死んだ無神論者のイギリス人に対して「命日」だの「一周忌」だのといった言葉はおよそ似つかわしくないような気もする。じゃあ英語では何というのかと和英辞典で確認してみたら、"1st anniversary of his death" 。anniversary イコール「記念日」と決めつけていた私の感覚からすると、基本的にめでたいことや前向きな日に対してしか使わない言葉かと思っていたが、そういうものではないらしい。覚えたところであまり使い道のなさそうなフレーズではあるけれど、とりあえず一つ利口になったということで、善哉。

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2002.5.18.  葬儀で「結婚」?

 仏式と神式とカトリック式の葬儀になら出席したことがある。でも、イギリスの葬儀というのがどういうものか、アダムスの葬儀の式次第を目にしながら私にはイメージがつかめない。故人の好きな曲を流すという葬儀は日本でも時々あるけれど、それにしてもビートルズが4曲? でも、思い出してみれば、故ダイアナ妃の葬儀ではエルトン・ジョンが歌っていたか。
 幸いにして、私はまだ喪主を務めたことはない。が、親戚の葬儀などで裏方の手伝いをしていると、いくら葬儀屋任せで決まり切ったパターンにゆだねるにしても、それこそ弔電を読み上げる順番から香典返しを用意する数に至るまで、喪主がその場その場で決めねばならないことが意外にたくさんあることは知っている。そして、現場の慌ただしさに追われて、親しい人を亡くした衝撃や悲しみをつかの間忘れてしまうことが、葬儀というシステムが持つ有益な側面の一つだいうことも。
 勿論、親しい人の死にショックを受けたばかりの頭では、決断するにも選択するにも限度というものはある。ましてや突然の死に見舞われた場合とあっては、祭壇に飾る写真一つ選ぶにも身を切るような痛みを伴うだろう。葬儀が決まり切ったスタイルで行われるのは、残された者にとっては「故人の個性を生かしたオリジナルな式を」などと悠長に考えている精神的余裕がないからだ。私とて、もし自分が喪主の立場になったなら、定番通りの式を滞りなく終わらせるだけで精一杯に決まっている。
 アダムスの死は誰もが驚く突然の出来事だったから、前もって葬儀用の音楽が選ばれていたとはとても考えられない。となると、ロンドンから遠く離れたカリフォルニアの地であまりに思いがけない訃報に接した身内の方たちは、自身の悲しみに耐えるのみならず、プレスへの対応や葬儀の手続きに奔走する傍ら、一体どの曲にしようかとさぞ頭を悩まされたのだろうなあと、私は葬儀の式次第を入力しながら余計な想像をした。
 しかし、いくらアダムスがモーツァルトも贔屓にしていたにしても、葬儀で「フィガロの結婚」とはこれまた如何に? 歌詞のない序曲の部分を流したのだろうか。そう言えば以前、Four Weddings and a Funeral(邦題「フォー・ウェディング」)というイギリス映画はあったけれど、そういう問題じゃないだろう、多分。
 ちなみに私はオペラにはとんと疎くて、これまでで3回しか劇場に行ったことがないが、そのうちの1回は昨年秋に来日したバイエルン国立歌劇場の「フィガロの結婚」である。曲も筋書きも知らないくせにお高いチケットを清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した理由はただ一つ、私の中のダグラス・アダムス追悼のため。我ながら、無茶苦茶な動機だった。
 バイエルン国立歌劇場のみなさま、こんな客ですみません。でも、舞台はものすごくおもしろかったし美しかったです。ド素人ながらたっぷり楽しませていただき、とても良い追善になりました、って、やっぱりそういう問題じゃないか。

 そして今週の更新は、葬儀で弔辞を読み上げたアダムスの友人の一人、テリー・ジョーンズについて。

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2002.5.25.  たのしい川べ

 テリーはテリーでも、映画監督としてならジョーンズよりもギリアムのほうが私は好きだ。とは言っても、そもそもモンティ・パイソン映画以外のテリー・ジョーンズ監督作品を観たことがあったっけ? 大体日本ではまともに劇場公開されてもいないじゃないか。
 『エリック・ザ・ヴァイキング/バルハラへの航海』はビデオで観ようと思えば観られないこともなかったけれど、予告編だけ観たところ原作童話についていたマイケル・フォアマンのイラストのほうが私にはずっと魅力的だったので、無理に観なくてもいいやと思って、それっきり。これでは好きも嫌いも言えた義理ではなかった。
 ところで、入江敦彦著『英国映画で夜明けまで』(洋泉社、2000年)を読むと、著者が選ぶ英国映画ベスト10の中に、テリー・ジョーンズ監督作品が入っている。

 『The Wind in The Willows』は好きなものがギッシリの玩具箱のような、サンタの長靴のような映画。あのケネス・グレアムの古典小説を、あのアラン・ベネットが脚色した舞台(これも素晴らしかった)を、あのテリー・ジョーンズが、あのスティーヴ・クーガン主演で撮ったという、もう趣味の人間には辛抱たまらん、あのあの尽くしの作品である。早くに亡くなったグラハム・チャップマン以外はパイソンメンバー総出演というのも嬉しい。(p. 103)

 1996年製作のこの映画、『たのしい川べ』の邦題で劇場未公開ながらスターチャンネルとやらで放映されたことがあるらしい。出演者のリストを見れば、モンティ・パイソンのみならず、スティーヴン・フライも出ている。なるほど、これは確かに観てみたいが、果たして日本語字幕付きで観られる日は来るのだろうか。それまでにとりあえず、ケネス・グレアムの原作だけでも読んでおこう――そう、恥ずかしながら私はこれまで読んだことがないのであった(何しろサブタイトルが「ヒキガエルの冒険」とあっては、両生類が苦手な私としてはどうにも手に取る気が起こらない)。
 なお、細かいことを言うと、岩波書店から石井桃子訳で出版されている翻訳では、この本では著者のカタカナ表記はケネス・グレーアムとなっていた。でも、この程度の違いはほんのささやかなものである。『ハリー・ポッター裏話』(静山社)という本の中で、J・K・ローリングの愛読書として『川辺にそよ風』と訳されてしまったことに比べれば!

 そして今週の更新は、『川辺にそよ風』ならぬ『たのしい川べ』も90位にランクインしている、アメリカ・ラドクリフ大学の学生100人が選出した「英語で書かれた20世紀のベスト小説100」とほぼ同時期に発表された、ランダム・ハウス社の一部門であるモダン・ライブラリーの編集部が選出したベスト100を追加。ラドクリフ大学版では72位に入っていた『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、こちらのベスト100には漏れてしまったけれど(無理もないか)、比較参照の一環としてご利用いただけると嬉しい。

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2002.6.1.  眠れぬ日々

 モダン・ライブラリー版ベスト100を作成するにあたり、まずはラドクリフ大学版ベスト100を作った時に用意したエクセルのデータを利用して、共通する作品をコピー&ペーストし、それからその他の作品を手入力した。こういうとき、順位やら作家名やらで簡単に並び替えのできる表計算ソフトはとても便利だ。
 ちなみに、ラドクリフ大学版に出ていないがモダン・ライブラリー版に出ている作品は53にのぼった。ヘンリー・ジェイムズはヘンリー・ジェイムズでも、ラドクリフ大学版は『ある婦人の肖像』を選び、モダン・ライブラリー版は『黄金の盃』を選ぶといった違いもあるが、それよりラドクリフ大学版に入っているトニ・モリソンやアリス・ウォーカーがモダン・ライブラリー版では選外になっているのが興味深い。代わりにモダン・ライブラリー版に入っている作家、つまり今回私が手入力する羽目になった作家とその作品は、圧倒的に白人男性が多かった。正直に言えば、あとで図書館の文学事典をひっくり返してみて初めて「白人」だと分かった次第で、入力しているときは、「22位がジョン・オハラ? そんな作家、聞いたこともないぞ」状態だったのだけれど。
 ともあれ、後日図書館で簡単に調べられるようにと、新しい53作品を作家名順に並べ直したリストを出力した数時間後、ご愛用の図書館で借りてきた、ベスト100の高尚な文学作品とはほど遠いスティーヴン・キングの長編小説『不眠症』(文藝春秋、2001年)を読み始めた。キングの小説は、以前は新しい翻訳が出るたびに飛びつくように買って読んでいたが、上下2巻のハードカバーは安くないし、その割にはもう一度読み返したいと思うほど気に入る作品ばかりでもないので、最近はもっぱら図書館頼みとなりつつある。そしてこの『不眠症』だが、さすがにキング、読み出したら止まらなくはなるものの、話の展開が私の好みではない方向に流れていく(『暗黒の塔』シリーズ以外で<カ>が出てくるのは私は嫌い)ようで、「やっぱり買わずに読んで正解だったかも」とバチあたりなことを考え始めたとき、ある一節が目に飛び込んだ。

 わからなかった。まるっきり見当がつかなかった。運命に関することだろうか、とラルフは思った。ジョン・オハラの小説に出てくるサマラの約束とやらに関することだろうか、とラルフは思った。(p. 209)

 何て素敵な偶然の一致。

 ところで、これまで夏休みと冬休みを除いて毎週土曜日に地道に更新を続けてきたが、実は前回の更新は本来の更新予定日の5月25日ではなく28日になってしまった。コンテンツそのものは前々日の23日には完全に出来上がっていて、あとは25日当日にアップロードするだけだったのに、いざアップロードしようとすると、1週間前までは何の異常もなかったしその後も設定変更なんかした覚えもないのに、何度やってもどうしてもインターネット接続ができない。思いつくままに必死であれこれ試してはみたものの、基本的なコンピュータの知識のないままいじっている私にはなす術もなく、しかもよりにもよって翌日の日曜は何ヶ月かに一度回ってくる日曜出勤の当番だったこともあって、25日午後11時48分、涙をのんであきらめた。
 翌日の出勤に備えてとにかく布団には入ったものの、神経が立って眠るどころじゃない。目をつぶると、あそこをああすれば何とかなったんじゃないか、あるいはこうすればうまく繋がるんじゃないか、等々、考えても仕方のないことをつい考えてしまい、ますます眠れなくなる。それでもいつのまにか寝入りはしたが、翌日はてきめん睡眠不足で1日中朦朧としていた。普段の私はいたって安眠型で、『不眠症』というタイトルの恐怖小説を読んだ夜でさえ熟睡できたというのに。
 26日も27日も、ああでもないこうでもないと果敢に挑戦したにもかかわらず、私の素人考えではインターネット接続は復活せず、安眠できない夜が続き、日曜出勤の振替休日で休みが取れた28日にプロバイダーのサービスセンターに電話してようやく解決を見る。
 祝・インターネット&安眠復活。
 何はともあれ、ほっとした。

 そして今週の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ1の人気者、鬱病ロボットのマーヴィンについて。一時は、向こう当分更新できないかもしれないとまで思い詰めただけに、今こう書き記せるのがとても誇らしい。

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2002.6.8.  マーヴィンのうた

 スティーヴン・ムーアが歌うマーヴィンのうたは残念ながら聴いたことがないが、レディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」は拝聴させていただいた。
 でも、スティーヴン・ムーアがマーヴィンのレコードを出していることなら随分前から知っていたが、逆にレディオヘッドについては今年、「復刊ドット・コム」というサイト(現在絶版中の本の再版を希望する人が投票し、その結果に基づいて出版社と再版を掛け合ってくれる)で『銀河ヒッチハイク・ガイド』が候補に上がっていた時に、そこの掲示板に書かれていたのを読んで初めて知った。何でもヴォーカルのトム・ヨーク自身が、雑誌のインタビューではっきり言及していたとのこと。そして、『銀河ヒッチハイク・ガイド』なぞ知る由もなかった多くの日本のレディオヘッド・ファンの投票により、『銀河ヒッチハイク・ガイド』はめでたく復刊される運びとなった。ありがたいことである。ファンとはかくあるべしである。願わくばあと2,3人、日本でカリスマ的人気を誇るイギリス人、ロッカーでもサッカー選手でも誰でもいいから、好きな作家としてアダムスの名前を挙げてくれないものか。そうすれば、いまいち票が伸び悩んでいる『宇宙の果てのレストラン』も復刊されるかもしれないのだが。
 しかし、正直に言うと私は今回の件があるまでレディオヘッドというバンド自体をまったく知らなかった。いや、まったく知らなかったというのは正確ではなくて、最初にサイトの掲示板でレディオヘッドのトム・ヨーク、という名前を目にした時、記憶の片隅にひっかかるものはあった。――えーと、トム・ヨークって確か、(アダムスではなくノルシュテイン関連人物の)ビョークのアルバム「セルマソングス」の中の「アイヴ・シーン・イット・オール」をビョークと一緒にデュエットした人じゃなかったか? 
 ともあれ、私が知らないだけで有名なバンドらしいからアルバムはきっと買えるだろうと渋谷のタワーレコードに行ったところ、果たしてロック/ポップスの階の「R」のコーナーで、見落としようもない大きなフリップつきで一区画を占拠していた。そのフリップによると、マーヴィンのうたが収録されたアルバム「OK コンピューター」は、英国の雑誌で90年代のベストアルバムに輝いたこともある、1990年代のロックを代表する1枚だと書かれているではないか。しかも、その中でもよりにもよって「パラノイド・アンドロイド」は、唯一シングル・カットされた名曲だという。
 「名曲」って、マーヴィンのうたが、ですか? 「迷曲」の間違いではなく?
 私はてっきり、10曲くらい収録されているアルバムの中の1曲くらいならこういうのもいいじゃない、程度の軽いノリで作られた曲かと思っていたのに。
 帰宅して早速CDプレイヤーに入れてみたところ、マーヴィンを思い描きながら「パラノイド・アンドロイド」を聴く分にはなかなかもっともらしくて楽しいが、しかしとてもおもしろ半分で作られたとは思えない。いや、おもしろ半分どころか、アルバムのどの曲をとっても真剣も真剣、真剣すぎて複雑すぎて一度や二度聴いたくらいでは、ロックと言えばマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」あたりで時が止まったままの私には耳がついていかない。ただもうひたすら、私の知らないうちにロックってこんなところまで進化していたのか、と感心するばかり。
 そこで、私よりもずっと洋楽に詳しい弟にレディオヘッドを知っているかと訊いてみたところ、「イギリスのギター・ポップ」と即答された。ということは、レディオヘッドはロックではないのか? それに、あんなに暗くても「ポップ」というのか? ポップ=軽くて明るいもの、とこれまで思いこんでいたが、これまた私の一方的な勘違いだったのか?
 ともあれ、ロックだろうがポップだろうが名曲だろうが迷曲だろうが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンのみなさま、是非一度ご自分の耳で「パラノイド・アンドロイド」を聴いてみてください。なかなかいけます。そして、レディオヘッド・ファンのみなさま、今後も『銀河ヒッチハイク・ガイド』をよろしく。

 そして今週の更新は、ようやく私の手元に届いた新刊、The Salmon of Doubt: Hitchhiking the Galaxy One Last Time のご紹介。

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2002.6.15.  疑惑のイントロダクション

  

 私の本棚は一見すると洋書が多い。一見した友人は感心するが、近寄ってよくよくみると、タイトルがどれもこれも The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy なのに気づき、迂闊に感心したのを後悔する。
 ダグラス・アダムスのコレクターとして、イギリスとアメリカで新刊が発売されたときけば、たとえ中身が同じと分かっていても私は迷わず両方注文する。読むため、というよりはコレクションの一環として買っている。金をドブに捨てているだけ、という気がしないでもないが、そういうことを考えてはいけない。
 アダムスの死後1年経ったのを機に発売された未発表作品集、The Salmon of Doubt: Hitchhiking the Galaxy One Last Time も、当然イギリス版とアメリカ版を手に入れたが、実際に手元に届いてから、中身が微妙に異なっている(イントロダクションの書き手が違う)ことを知って、一人ひそかにガッツポーズをした。たまにこういうことがあるから、やっぱり両方買わずにはいられない。
 アメリカやイギリスのコレクターも、やはり互いの国の版を手に入れているのだろうか? 表紙や装丁が違うという程度ならただのコレクターズ・アイテムだが、今回に限ってはイントロダクションの内容がまったく別なのだから、そうと分かればアメリカ人のファンだって、当然スティーヴン・フライの文章を読んでみたいと思うだろう。アメリカにおけるスティーヴン・フライの知名度はイギリス国内に比べてあまり高くないのかもしれないけれど、それにしても不思議な編集方針だ。イントロダクションを除けば、ページ数もまったく同じだというのに。それともこれは実は両方の版を売らんとする、英米の出版社の策略なのだろうか。
 まさかね。
 ちなみに、The Salmon of Doubt: Hitchhiking the Galaxy One Last Time は、イギリスではベストセラーリストの上位に顔を出しているのに、残念ながらアメリカではベスト20圏外にとどまっているようだ。やはり本国のほうが根強いファンが多いということか、はたまたスティーヴン・フライ効果の現れか?
 などとくだらないことを考えているヒマがあったらさっさと本文を読め、と言われれば返す言葉もないけれど。
 ともあれ今週の更新は、この本からも引用してお届けする。アダムスが大ファンだというイギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムについて。

 追伸・先日都内の児童書専門店に立ち寄ったところ、ノルシュテインの絵本「きりのなかのはりねずみ」(福音館書店)がどさっと平積みになっていた。去年の10月発売の絵本がまだ平積みとは、と思って奥付をみると、この5月に第二版として増刷されたものだった。それなりに順調に売れているようで、私としてもちょっと嬉しい。かくなる上は、アニメーション作品そのもののDVD化しかないでしょう、と思っていた矢先、朝日新聞の夕刊に関連記事を発見する。
 という訳で、その記事の内容についてはロシア・アニメーション情報をご覧あれ。

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2002.6.22.  我が家のプロコル・ハルム

 アダムスのインタビュー記事の中で、Procol Harumという固有名詞を最初に見た時は、何だこりゃと思った。そんな呼びにくい名前のバンド、実在するのかなとも思った。だから、近所のレンタルビデオ屋の大して広くもないCDコーナーで『ベスト・オブ・プロコル・ハルム』なんてアルバムがあっさり見つかった時には驚いた。またしても私が知らないだけで、結構有名なバンドだったのか、と。
 早速レンタルして家に帰り、CDプレイヤーにかけてみてまたまた驚いた。1曲目「青い影」とやらのイントロ、ものすごく印象的なパイプオルガンの響き――あれ、この曲なら私も知っている、いや知っているどころかこの曲の入ったCDすら持っている。映画『奇跡の海』のサウンドトラックという形で。
 慌てて、たいして量は多くないが整理もよくないCDケースをひっかき回してかのサウンドトラック・アルバムを取り出してみれば、確かに9曲目、 Procol Harum, A Whiter Shade of Pale と書いてある。近所のレンタルビデオ屋どころか自分の家にもあったとは、何たる不覚、何たるいい加減さ。映画自体は重くて暗くて救い難くて繰り返し観たいものではないが、映画の中で印象的に挿入される1970年代のロックの名曲(と映画のパンフレットに書いてあるから「1970年代のロックの名曲」なのだろう)を集めたサントラ自体は割と気に入って何度も聴いていたくせに、曲名もバンド名もまるで覚えちゃいなかった。ロックに限らず、私はあらゆる意味で音楽全般にあまりに基礎教養がない。何しろつい最近までミック・ジャガーという人は生粋のアメリカ人だと思っていたくらいである。彼に「サー」の称号が授与されなければ、一生アメリカ人だと思いこんでいたかもしれない。「スティングという人の声は好き。これまでに外国人の歌手の声を意識して聴いたことはないけれど、思い出してみれば昔、ポリスというバンドのヴォーカルの声だけは好きだったなあ」と言って周りを唖然とさせたこともある。例をあげればキリがない。
 そんな音楽オンチの私が持っている映画のサウンドトラックは、(オムニバスを除けば)『ピアノ・レッスン』と『奇跡の海』と『セルマソングス』のわずか3枚。なのにそのうちの2作が、映画そのものはたいして好きでもないはずのラース・フォン・トリアー監督作品で、おまけに相当に迂遠な関係とは言えその2作品のサントラに関することをホームページに載せることになるなんて、自分では意識していなくても、表面上はてんでバラバラな趣味のように見えても、私が直感的に「好き」だと感じて集めるものには、やはりどこかで共通のテイストがあり、細い線で繋がっているのかもしれない。そう、スティングとポリスのヴォーカルが実は同一人物だったのと同じように(って、そういう問題じゃないか)。

 そして今週も、先週に引き続き2週連続で私の苦手ジャンル、ロック音楽の話。鬱病ロボット、マーヴィンのうたを作ったイギリスのバンド、レディオヘッドについて紹介する。本当はマーヴィンのキャラクター紹介をした次の週に追加したかったのだが、資料が揃わず間に合わなかった。

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2002.6.29.  レディオヘッドを追いかけて

 先日、渋谷駅で「PABLO HONEY TOUR」と書かれたTシャツを着ている人を見かけた。
 お、レディオヘッドじゃん、と思った。
 この1、2週間というもの、訳もわからないままにアルバム『OKコンピューター』を聴き、『エグジット・ミュージック レディオヘッド・ストーリー』というアーティスト本まで読んだ。『OKコンピューター』発売当時の音楽雑誌も漁った。気分はにわか仕立ての追っかけである。おかげで、職場でも油断すると「えあばっくせいう゛まいら〜いふ」と鼻歌が出るようになった。それはそれで情けない話だが。
 蛇足ながら、バンド・メンバーの一人でベース担当のコリン・グリーンウッドは、ケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジで英文学を専攻していたという。ほう、ケンブリッジ大学というところはお笑い芸人のみならずロック・スターも輩出しているのか、と改めてその懐の深さに脱帽する。
 また、東芝EMIのホームページによれば、ドラムのフィル・セルウェイの愛読書はグレーアム・スウィフトの『ウォーターランド』だとか。原作が書かれたのは1983年だけれど、新潮社から日本語の翻訳が出たのはほんの数ヶ月前の2002年2月で、私はレディオヘッドとは関係なくたまたま図書館で見つけたので読んでみたところ、ものすごくおもしろかった。インターネット上の書評では好き嫌いがまっぷたつに分かれているようだが、スウィフトが1996年にブッカー賞を受賞した『ラスト・オーダー』(翻訳はこちらのほうが先に出ていた)よりも、私はずっと好き。私にとっての2002年上半期のベスト1小説になるのは確実で、ひょっとしたら来年の新年明けのホームページ更新時には「my profile」コーナーに2002年のマイベストとしてこの作品を挙げることになるかもしれない。
 という訳で日本在住のレディオヘッド・ファンのみなさま、よろしければ『銀河ヒッチハイク・ガイド』と共に『ウォーターランド』もお試しあれ。
 (しかし、『OKコンピューター』に入っている解説文で、いくら紙面に限りがあるとは言え、田中宗一郎氏が「パラノイド・アンドロイド」について「タイトルはSF小説から取ったものらしい」の一言で片づけているのはあんまりだと思う。他でもない、彼自身が編集している雑誌『SNOOZER』の中の、彼自身の署名があるインタビュー記事において、トム・ヨークはちゃんと『銀河ヒッチハイク・ガイド』という固有名詞を出してくれているというのに!)

 さて、2002年上半期も、多少のネット接続上のトラブルはあったものの、原則週1回の更新を続けてきたが、今年も今日から2ヶ月の夏休みに入る。実は今年の4月にノートブック・パソコンを購入したので、去年のようにクーラーのない部屋で大汗をかきながらコンテンツの準備をする必要はなくなったのだけれど、今年の夏もまた海外旅行に出かけるからその間はどのみち更新できなくなるし、それより何よりまたしても手持ちのネタの在庫が切れてしまったし。
 という訳で、今週の更新は最後の在庫より、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の主要キャラクター?の、スラーティバートファストについて。

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2002.9.7.  みなさま、メールをどうもありがとう

 丸2ヶ月のお休み中とは言え、昨年の夏休みと同様、今年も緊急告知や訂正で何度かアップロードした。そしてまた昨年同様、既に終わってしまったイベントのお知らせについては、今ではもう削除済みである。
 ただ、昨年と違うのは、それらの情報が、私のホームページを見た方々からメールで寄せられたものだったこと。おかげで、ノルシュテインのコーナーでは、「きりのなかのはりねずみ」の翻訳者であり、またノルシュテイン来日の折りには必ず通訳として付き添っていらっしゃる児島宏子さんが、2002年7月13日に東京・文京シビックセンターにて「ノルシュテイン『25日、最初の日』時代と美術のコンポジション」と題した講演会をなさったことが分かった(残念ながら私は行けなかった)し、またガデスのコーナーについては、スペイン在住の方からメールが届き、私が2001年2月12日のアップロード開始当初から垂れ流し続けていた、ファンにあるまじき世紀の大間違いをご指摘いただいて、大慌てて訂正した。どこをどう間違っていたかについては一生涯ノーコメントを貫くつもりだが、今回の更新で追加した、ガデス・コーナーの「最新ニュース」は、この方からいただいたメールの内容をほとんどそっくり転用しただけであることについては正直に告白するとともに、この場を借りて重ねて御礼申し上げます。
 その他、「NHKテレビ ロシア語会話」の8月放送分にソビエト・アニメーション『チェブラーシカ』が登場したことについても、放送日と時間をアップロードしておいた。今ではもう『チェブラーシカ』が登場する回の放送は再放送も含め終了してしまったのでホームページからは削除したが、チェブラーシカの写真が表紙を飾るテキスト『ロシア語会話8・9月号』は今でも書店に売れ残って、もとい販売されているはずなので、是非お近くの書店でご確認あれ。他の語学のテキストは1ヶ月に1冊のペースで発行されるが、ロシア語だけは2ヶ月に1冊ペースなのだ。
 おかげで学ぶコストも半分、という理由ばかりではないが、実は私は2002年の4月からの放送を毎回欠かさず録画して見ている。テキストを買ってただ見るだけ、予習も復習もまったくしない、といういい加減な学習態度のせいで未だにロシア語のアルファベットすらちゃんと覚えてはいないが、それでもそれなりに挫折もせず何とかついていけるのは、ロシア語の文法がスペイン語やドイツ語より簡単だから、では断じてない。まともにロシア語の文法を取り上げようとすると、あまりに難しすぎてみんな止めてしまうだろうから、いっそ文法の説明は極力減らしてしまおう、という番組製作サイドの方針のおかげである。それでも時々、動詞やら形容詞やら名詞の活用といった、思わず目が点になってしまうような話も出てくるものの、細かいことはよく分からないままにとりあえず「新・スタンダード40」と銘打たれた、長くてせいぜい3単語のフレーズの、それもロシア文字の下に書かれたカタカナの読み仮名だけを丸暗記するだけでまあ何とかついてはいける。ハラショー!
 さらに告白すると、実は私は昨年度のテキスト6冊を、2002年の3月末に都内の大型書店でまとめ買いして持っている。2002年4月からの放送に備えて予習しようと思ったから、では断じてない。たまたまその時に立ち寄った書店でパラパラとめくってみたら、テキストの最後のほうのページに、児島宏子さんのエッセイが連載されていたからである。それもずばり、「ロシア・アニメ館」というタイトルの。
 見つけてしまったからには、買うしかない。後で、他のエッセイとまとめて一冊の本として出版される可能性は、残念ながらかなり低いだろうし。
 おまけに、この手の語学のテキストは放送月かあるいはその翌月の分くらいしか売り場に置かれていないのが普通だが、なぜかその書店では私に買えと言わんばかりに一年分のバックナンバーがきっちり全部揃っていて、児島宏子さんのエッセイは6冊すぺてに見開き2ページで掲載されていた。それでも他の語学と違って12冊も買わずに済んだ、と思えばまだマシか?
 ちなみに2002年度版のテキストにも児島宏子さんの連載エッセイはある。今回のタイトルは「ロシアの色彩」で、これはこれでとても興味深い。本当に、どこかの出版社でまとめて本にしてくれればいいのに。

 2ヶ月の夏休みも過ぎてしまえばあっという間、今回の更新はアダムスノルシュテインガデスの最新ニュースの他、アダムスが大ファンだという作家、P・G・ウッドハウスについての紹介と、ウッドハウスの遺作となった、Sunset at Blandings に向けてアダムスが書いた序文の解説を追加。見た目にはとっても地味だけど、時間だけはものすごくかかったことを、言い訳がましく付記しておく。
 それから、「サイトマップ」なるものも今更ながら作ってみたので、こちらもよろしく。見逃しがちな細かいページにも、これで迷わずアクセスできる! ――とは言え、これを読んでいるあなたが実際にアクセスしたいと思うかどうかは、残念ながらまた別問題だけれども。

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2002.9.14.  英文学専攻の面目躍如?

 アダムスはケンブリッジ大学で英文学を専攻していた。とは言え、フットライツにかまけて勉強はあまり熱心ではなかったとのことだけれども、Sunset at Blandings への序文を書くにあたっては、英文学専攻の面目躍如とまではいかないまでも、それでもこの程度の知識は当然持っていますよと言わんばかりに、固有名詞をふんだんに盛り込んでいる。
 私も、大学で英文学を専攻していた。とは言え、アダムスにかまけて正統な英文学の勉強は単位取得のための最低限しかしなかったけれども、Sunset at Blandings への序文を訳すにあたっては、英文学専攻のなけなしの意地で、ちりばめられた固有名詞や引用文の正体だけはきちんと追いかけようと思った。
 おかげで何年かぶりに学生時代の教科書の『イギリス文学史』なる本を繙く羽目になり、いい勉強になった。今更「風習喜劇」がどうしたとか、知ったところでどうなるものでもないが、何事も知らないよりはマシである。序文に登場するシェリダンの『恋がたき』は邦訳が見つからなかったので、代わりに彼の代表作の『悪口学校』を読んでもみたが、素直にとてもおもしろかった。
 今では私も少しは大人になって、世間一般に古典とか名作とされているものを教養の一環として読むのは悪いことではないと考えるようになったが、もう少し若かった頃は、世間が高く評価しているというだけの理由で、シェイクスピアだのディケンズだのをとりあえず読む、という考え方が我慢ならなかった。だから、学生時代に教師に『悪口学校』を読むように薦められたとしても、それが試験やレポートの課題にならない限りは、敢えて読もうとはしなかっただろう。バカのくせに(あるいはバカゆえに)小生意気な私は、何に興味を持ち、何を読むかについても常に主体的でありたいと思っていた。シェイクスピアやディケンズがくだらない、というのではない。くだらないか素晴らしいかを決めるのは、あくまで自分という主体でありたいと思っただけだ。その結果、主体的でありすぎて(ウッドハウスのジーヴス・シリーズ全11冊を読破したことだけは学生時代の秘かな自慢だったが、無論『イギリス文学史』にはウッドハウスのウの字も出てきやしない)、まっとうな教養も知識もないまま卒業してしまい、今頃になって慌ててシェイクスピアをひっくり返しているのだから何とも滑稽だけれども、でも興味を持った時に始めるのが本当の勉強ってものでしょう、と開き直ることにする。
 開き直ったついでに、シェイクスピアを研究するなら、絶対10年前より今のほうがいいと断言してしまおうか。10年前に、論文中に引用されたシェイクスピアの台詞の出所を調べようと思ったら、「glossary」という用語集を引いて、そこからしらみつぶしに当たっていくしかなかったが、今ならインターネットのサイトで簡単に検索できる。今回、アダムスが序文の中で引用した箇所を探し当てられたのも、ひとえにこのサイトのおかげだった。

http://www.concordance.com/

 シェイクスピアに限らず、ディケンズやオースティンは勿論、19世紀までの有名な作家や聖書の検索もできる。インターネットって素晴らしい。
 残念ながら、20世紀のウッドハウスはリストの中には入っていなかったので、アダムスが引用したウッドハウス作品については、引用元を特定することはできなかった。80冊以上の、それも似たり寄ったりの作品の中からたった一つの文を探し出すだけの根性は私にはない。それどころか、翻訳作品のオリジナルを確認するだけでもどれだけ時間がかかったことか。長編小説はまだしも、短篇小説で、しかも翻訳者が勝手に選択してアンソロジーとしたあげく、本の中に原題の記載がどこにもないとなると、一体どの短篇を訳したものなのか分かりゃしない。結局、不覚ながらある一つの翻訳短篇だけは、正体不明のままになってしまった。いつか絶対つきとめてやる、と思ってはいるが。

 そして今週は、アダムスのノンフィクション、『最後の光景』を大幅改訂。それから、更新日直前になって「え、いつの間に?!」な情報が飛び込んできたので、ユーリ・ノルシュテイン・コーナーの最新ニュース(これまでは「ロシア・アニメーション情報」と銘打っていたが、今回から名称を変更)も大慌てで追加更新した。ああ、私が気づかぬうちに既に売り切れていたらどうしよう。

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2002.9.21.  DVDプレイヤーついに購入

 私に無断で(?)発売されていたDVD『ユーリー・ノルシュテイン作品集』を、急いで購入しようとパイオニアLTDのお問い合わせ番号に電話したところ、「現在は9月末の重版待ちの状態ですので、お届けは10月のはじめになりますがよろしいですか」との返事。
 やっぱり、やっぱり初回出荷分は全部売れてしまったか。当然だよな、欲しい人は迷わず絶対購入するもんな、発売されてからたっぷり2週間も気づかなかった私がみんな悪いよな、と頭の中でぼやきつつ、では都心の大型ショップを当たれば、ひょっとしたら店頭に在庫が残っている可能性はありますかと訊いてみたところ、相手は少しためらったあと、「実は初版には若干エラーがありましたので、回収させていただきました」。
 そういうことなら、私も喜んで重版を待たせていただきましょう。ノルシュテインのビデオまたはDVDが発売されるのを何のアテもなく待ち続けた年月の長さを思えば、あと2,3週間かそこらなんて待つうちに入らないというものだ。
 2002年4月13日付の同コーナーで、私はDVDプレイヤーを持っていないと書いたが、実は先月末に迷いに迷いに迷いまくったあげく、先月末にソニー製のプレイヤーを購入した。たかが再生専用のプレイヤー1台を買うのに何をそんなに迷ったかと言うと、私は映像とか音声の質にはこだわらないが、ただ一点、「DVDを再生している途中で止めてソフトを取り出して電源を切っても、次にもう一度電源を入れてそのソフトを入れた時、前回再生を止めたところからスタートできる機能」にこだわったからである。ソニーの新製品カタログにはそれが可能と書いてあるのに、なぜかどこの家電店の店員に訊いても「そんな機能は聞いたことがない」の一点張りで、じゃあこの文章はどういう意味かと彼らの鼻先にカタログを突き付けるとよく分からないと逃げられ、分からないならメーカーに確認してくれと詰め寄ると確認しようにも土日だからメーカーの営業には連絡がつけられないし平日もメーカーの営業は5時までだから平日5時までに出直せと言われ、こりゃダメだ、それなら自分でソニーに電話したほうがマシだと思ってカタログに出ていた相談窓口に電話したら、自社製品の相談窓口の人にまで「そんな機能は聞いたことがない」と斬り捨てられ、お願いだ、だったらカタログに出ているこの文章の意味を教えてくれと再三再四に亘って食い下がると、ようやく「大変失礼いたしました、お客様のおっしゃる通りでした」。
 何とまあ、製品購入アドバイザーたる相談窓口の人にまで知られていない新機能だったらしい。もったいない、私は画期的で素晴らしい機能だと思うのに。せっかく製品開発部だか何だかが頑張ったんだからソニーの営業の人ももっと宣伝すればいいのに、とも思うが、上記の家電店の店員に、私以外の客はこういう機能を欲しがらないのか訊いてみたところ、「そんなご希望は、聞いたことがないですね」。じゃあ私以外の客は一体どういう機能をリクエストするのか重ねて訊いてみると、相手はついに黙ってしまった。要するに、今時の家電店では客と店員が製品の機能について話をすることはないらしい。
 ともあれ、これでDVD『ユーリー・ノルシュテイン作品集』が届いたあかつきには、さっさとビニールのパッケージを外して観ることができる。それまでは既に購入済みのソフト、アントニオ・ガデスの『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』の3作と『チェブラーシカ』に加えて、2002年3月9日付の同コーナーで観たいのに観られないと嘆いた直後の3月20日に発売された、ジョン・クリーズ主演のイギリスのテレビ・ドラマ『フォルティ・タワーズ』全12話を観て、せいぜい楽しませてもらうつもり。
 そこで今週の更新は、いくら68分の短い作品とは言え既に3回も観てしまった映画『血の婚礼』と、合わせてこの映画の中でガデスが名前を挙げた、彼の尊敬する「本物の芸術家」、ビセンテ・エスクデロについて。

 ――と、あれやこれや観て楽しむばっかりで、なかなか自分のホームページ更新の準備が進まないのが目下私の悩みだが、前回更新した『最後の光景』は、仕上がりの見た目からは想像できないくらいものすごく時間がかかっている。白状すると、あの世界地図の部分だけで夏休み期間中の丸2週間を費やした。これで少しは Photoshop の使い方に慣れたと言えば慣れたのだが、きっとまたしばらく使わないうちにすっかり忘れてしまうだろうな。
 それから、アダムスが訪ねた世界の稀少動物たちのデータを調べていた時に、ちょっとおもしろい記述を見つけたので紹介したい。成長すると全長2メートル近くにもなり、ヤギやブタを襲って食うという世界最大種のトカゲ、コモドオオトカゲは、数ヶ月ばかり前にかのシャロン・ストーンの夫でサンフランシスコ・クロニクルの編集主幹のフィル・ブロンスタイン氏の足の指を噛んだことでも話題になった。何でも、近くに寄って見てみたいからと動物園の係員に檻の中に入れてもらった時の事故らしい。肉食のオオトカゲなどを至近距離で見たいと思う気持ちは私にはよく分からないし、噛みつかれたのも自業自得という気がしないでもないが、世界文化社から1985年に発売された『決定版 生物大図鑑 動物 哺乳類 爬虫類 両生類』によると、このオオトカゲは「飼うとよくなれ、人と散歩するほどになる」とのこと。
 実際、コモドオオトカゲとキスした女性爬虫類学者もいるくらいだし(この間の月曜日、9月16日放送の「世界まる見え! テレビ特捜部」をたまたま見ていたらそんな映像が出てきてびっくりした)、手なづけられないこともないのかもしれないが、ともあれ、あなたは『生物大図鑑』の編集者の言葉を信じて、コモドオオトカゲの檻に入る勇気はあるか?
 私は謹んで遠慮させていただく。

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2002.9.28.  アントニオ・ガデスの夜

 森瑤子の小説『ハンサムガールズ』にガデスの舞台『血の婚礼』が登場することは、私のホームページを見た人からのメールで教えてもらった。その方は森瑤子ファンで、この小説で初めてガデスの名前を知り、インターネット検索で私のホームページにたどり着いたとのこと。おかげで私は私でこの小説の存在を知ることができたし、拙いながらホームページを作って本当によかったと思う。
 私の手元にあるのは1991年2月発売の文庫本だが、単行本は1988年2月に集英社から出版されたとある。森瑤子氏は、この小説を書く少し前に東京で上演された『血の婚礼』をご自分で実際に観て気に入って、作品に取り込むことにされたのだろう。だから、小説ではなく氏のエッセイも丹念に漁れば、ひょっとしたらガデスについてのコメントが見つかるんじゃないかとも思ったが、勿論思っただけで行動には移していない。何だか、日に日にそういう「宿題」ばかりが溜まっていくような気がする。
 私は森瑤子作品を読むのはこの本がまったくの初めてで、ガデスのことを抜きにしても楽しく読ませていただいた。高校の演劇部で一緒だった5人の女性の物語がオムニバス形式で綴られていて、ガデスが登場するのは第五章、エステサロンのインストラクターとして自立している羊子の話。酔っぱらったはずみでバーで出会ったばかりの男性にガデスの公演を観たいとねだり、明くる日には羊子本人はすっかり忘れていたが、坂井と名乗るその男性からチケットが手に入ったとの電話が入り、一緒に行くことになる。公演を観た羊子は、「あたし、アントニオ・ガデスに恋をしてしまったみたい」(p. 303)と溜息をつく。
 私が初めてガデスの公演(私の場合は『カルメン』だったが)を観た時は、「恋をしてしまったみたい」どころの騒ぎではなく、ショックと興奮で腰が抜けてイスから立てなくなった。だから羊子の気持ちはよくわかる。わかるけれど、公演後、坂井に向かって「とにかく今夜は、アントニオ・ガデスの夜なんだから(略)それらしく、楽しく情熱的に過ごしたいわ」(p. 305)と言う気持ちはさっぱりわからない。生の舞台で踊るガデスを観た日には、他の男なんざ向こう当分目に入らないだろうと私は思うのだが、羊子に言わせればそういう問題ではないらしい。もっとも、ここで羊子が坂井とディナー&ビリヤードのデートをするのではなく、「素晴らしい公演を見せてくれてありがとう!」と坂井と固い握手を交わしてそのまま右と左に別れてしまっては、小説として成り立たなくなるか。
 そうそう、ついでに疑問がもう一つあったっけ。小説では触れられていないが、ところで羊子は坂井に公演のチケット代を払ったのか?

1・払った。でも、自立した女性が自分の分を払うのは当然だから、描写は省かれた。
2・払っていない。でも、デート代は男が払うのが当然だから、描写は省かれた。

 さて、正解はどちらでしょう?

 そして今週の更新は、小説家は小説家でも森瑤子ではなく、イーヴリン・ウォーについて。

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2002.10.5.  A Handful of Dust の行方

 今を遡ること7,8年前、イーヴリン・ウォーの代表作、A Handful of Dust のペーパーバックを買った。最初の1ページを立ち読みしただけで、私の英語力でウォーを読み通すのは少々難しいと分かったが、この本をアダムスが絶賛していることは知っていたし、それに何よりその時の横浜・有隣堂書店は「洋書すべて10パーセント・オフ」だった。
 その後、最初の1ページ目だけ読んでは「また今度にしよう」と自室の本棚に戻すという不毛なことを何度となく繰り返すうちに1年以上の時が過ぎ、1996年10月、A Handful of Dust の翻訳本、『一握の塵』が出版され、とびつくように購入した。
 こうして、ペンギン・ブックスのペーパーバックは事実上用無しとなってしまったものの、それでもいつか原書で読もうと思うかもしれない、というはかない希望を捨て切れず、今も私の本棚にウッドハウスのジーヴス・シリーズと並んで鎮座している。この手の「いつかきっと」本は他にも何冊もあって、この先の人生で劇的に英語力が伸びる可能性なんか限りなくゼロなのだからいい加減あきらめて処分してしまえ、という分別を、普通の洋書は古本屋で引き取ってもらえないから処分するとなると紙ゴミとして廃品回収に出すしかないがそれはちょっとしのびない、という感傷が凌駕して現在に至るが、先日親切な友人が普通のペーパーバックの類でも(その店でしか使えないクーポン券という形で)購入してくれる店がある、と教えてくれた。これでいよいよ A Handful of Dust とおさらばか、と思うと嬉しいような哀しいような複雑な心境だが、ちなみに友人が最近自分の本を売りに行ったところ、その店には既に私が2冊も持っている The Ilustrated Hitch Hiker's Guide to the Galaxy が麗々しくディスプレイされていたそうで、それもそれで嬉しいような哀しいような。
 
 そして今週の更新は、ウォーに続いて今度はイギリスの女性推理小説作家、ミネット・ウォルターズについて。
 もっとも、イギリスの女性推理小説作家なら、私個人としてはP・D・ジェイムズのほうが好き。最近ハヤカワ・ポケット・ミステリから出版された『神学校の死』も早速読んだところ、小説自体のおもしろさもさることながら、「イヴリン・ウォーは旅行記の中で、神学とは曖昧模糊としてとらえがたいものを、意味のはっきりした正確なものにする単純化の科学だと書いています」(p. 67)という記述に、ウォーの著作一覧を手入力したばかりの身としては、そうそうウォーは小説だけでなくその手の代物も書いているんだよねえ、としょうもない優越感に浸らせてもらったり、また小説の舞台となる神学校の夕食では神学生が何かを朗読することになっているが「本の内容の選択は神学生に任されていて」「スティーヴン・モービーがP・G・ウォードハウスの短篇『マリナー』を生き生きと読み」(p. 185)という描写に、そんなものを食事中に生き生きと読まれたら思わず吹き出してしまうんじゃないだろうかと余計な心配をしたりした(しかし、「ウッドハウス」でも「ウドハウス」でもなく、「ウォードハウス」ときたか)。

 それから、数年ぶりに見つけて嬉々として買った、ビスケットの写真もおまけに追加。

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2002.10.12.  リッチ・ティー・ビスケットとイズリントンの映画

 前回の更新で写真を追加したリッチ・ティー・ビスケットは、今年の夏にスイス在住の友人(日本人)の家で6泊7日の居候を決め込んだ折に、スーパー、もとい百貨店の地下の食料品売り場で見つけ、割れないように大切にタオルにくるんで機内持ち込みのカバンに入れて日本に持ち帰ったものである。空港の税関で係員にカバンを開けられた日には釈明に窮するところだったが、そうならずに済んで助かった。
 ところで、現在日本でもロードショー公開中の映画『アバウト・ア・ボーイ』の中に、ほんの一瞬ながらリッチ・ティー・ビスケットの姿が登場する。映画の前半で、ヒュー・グラント扮する軽薄無責任男のウィルが、おしゃれなショッピング・センターでシングル・マザーとおぼしき女性をナンパしようと狙っていたところ、彼女の夫とおぼしき男性が近づいてきたのでそれとなくあさっての方向を向く場面で、この女性が自分のショッピング・カートに入れるのがどう見てもリッチ・ティー・ビスケットなのだ。カメラのピントがビスケットではなく人物に合わせてあったため「絶対」と断言はできないけれど、イギリスのスーパーマーケットの菓子売り場で、ああいう形と色のものはリッチ・ティー・ビスケット以外まずないと思う。
 おまけにこの映画の舞台はロンドンのイズリントンで、これまた『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンには忘れることのできない地名である。残念ながら撮影自体は別の場所で行われたそうだけれど、まがりなりともイズリントンという舞台設定で、かつリッチ・ティー・ビスケットまで出てくるとあっては、この映画、何だか私のために特注で作られたかのような錯覚さえ感じた(ウィルの気持ちもよーく分かる、一生気楽に暮らしていけるだけの定収入があったら、私だって絶対働かないもんね)。
 イズリントンと言えば、近年なぜか日本でも「オシャレなセレブが注目するエリア」とか何とか奉られて女性誌の「最新ロンドン特集」にも登場するほどの人気スポットだが、ここは元々裕福な人々が暮らす場所ではなかった。公営住宅が建ち並び、治安も決して良くなかったようだが、1970年代ともなるとロンドンへの通勤に便利で比較的地価が安いという意味で、まだ若くて無名だった頃のアダムスのようなシングルが住むにはうってつけの地区となっていた。それから約20年が過ぎ、いつの間にやらロンドンのトレンド発信地(?)と変貌したらしいイズリントンは、今後は多くの映画や小説の舞台背景として登場することになるのだろうか。
 と、思っていたら、ミネット・ウォルターズが1997年に発表した小説、『囁く谺』の主人公で離婚歴2回の雑誌記者マイケル・ディーコンの住居もイズリントンだった。
 やっぱり、現在のイズリントンは小銭持ちのシングルが似合う場所らしい。

 そして今週の更新は、ウォルターズに続いてまたもイギリスの女性推理小説作家、ルース・レンデルについて。
 それから、ようやく手元に届いたユーリ・ノルシュテインのDVDを含む、私のささやかなノルシュテイン・コレクションの一部も公開。

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2002.10.19.  追加更新の真相釈明

 自分で追加更新しておきながら、自分で言うのも何ですが。

 ルース・レンデルの夥しい著作一覧を、ダグラス・アダムス「関連人物一覧」と称して長々と掲載する意味なんてあるのか、とは私も思った。
 アダムスがレンデルを愛読していたことは、The Salmon of Doubt で初めて知った。前から知っていれば、レンデルの翻訳作品はあらかた読んだはずだけれど、著作一覧を手入力した時点では、読んだことのある本はわずか2冊で、それもはるか昔に『ロウフィールド館の惨劇』を読み、この本はおもしろいやらおっかないやらでえらく楽しかったが、続いて読んだ『薔薇の殺意』は何だか全然パッとしなくて、それきり手に取るのを止めていた。あとはせいぜい、ペドロ・アルモドバル監督の映画『ライブ・フレッシュ』(1997年)を観たくらいのものか。映画自体は割と気に入ったものの、それでもレンデルが書いた原作小説『引き攣る肉』にまでは手を伸ばそうとは思わなかった。
 でも、私のことだからこれから先、レンデル作品を片っ端から読むことになるだろう。という訳で、レンデルの著作リストは今後の私の読書案内も兼ねて作成することにした。まったく、アダムスがレンデルのどの作品が好きなのかを明言しておいてくれれば余計な手間が省けるのに、とグチったところで仕方がない。

 そしてまた、誰でも買える普通のDVDやLDを、ユーリ・ノルシュテイン「コレクション」と称して写真つきで掲載する意味なんてあるのか、とも思った。
 思ったけれどそれでも載せたのは、ひとえにDVD本体のピクチャー・レーベルがあまりに可愛かったから。DVDのパッケージの方はどうということもない、というより何も一枚の絵を四分割する必要はないんじゃないか、というのが本音だが、中を開けて本体を見て、思わずきゃーと嬉しい悲鳴が飛び出した。
 LDサイズでこのピクチャー・レーベルだったら最高だが、残念ながらLDのほうは何もなし。パッケージのデザイン性についても、ノーコメント。ただし、中に入っている解説文は最高で、この解説文が手に入っただけでも、プレイヤーがなくて観られないLDを高値で買っただけの甲斐はある(と、自分で自分に言い聞かせている)。
 さすがに、DVDとLDの二点だけで「コレクション」呼ばわりはあんまりなので、以前ノルシュテイン映画祭を開催していた時にラピュタ阿佐ヶ谷で購入した、『外套』の絵コンテの写真も入れることにした。この世に一点限り、という意味では本来こちらのほうこそ「コレクション」に入れるにふさわしいが、ちゃんとお金を出して買ったものとは言え、絵そのものをデジタル・カメラで撮影して自分のホームページに掲載することで著作権上の問題が生じたりはしないのだろうか、という不安は残る。そこで、私のホームページを見た人がどこかに転載したいという出来心を絶対に起こすことのないよう、敢えて安物の額に入れたまま、照明もピントもとことん無視して悲惨な画質の写真に仕上げて載せることにした。ただ、見方を変えると、ノルシュテインの作品にこういう汚しを入れること自体それはそれで一種の冒涜じゃないか、という気もして、やっぱり心穏やかではいられないが。
 ともあれ、この絵は普段私の机の上に飾られている。製作開始から既に20年以上の時が流れ、途中何度も中断を余儀なくされても、それでも現在も完成に向けて少しずつ少しずつ作られていく『外套』の絵コンテを見るたび、レベルもジャンルも全然違うけれど、私も私なりの完成形を目指して地道にホームページを更新していかなきゃなと決意を新たにする。

 そして今回の更新は、完成形へのさらなる一歩の意味で、ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大幅改訂を今週と来週の2週に亘って行うことにした。それから、最新ニュースとして、ついに予約開始となった、あの本も紹介。

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2002.10.26.  ミスター・シンプソンのこと

 ダグラス・アダムスの自伝が、ついに発売決定となった。
 著者のMJシンプソンは、2002年2月16日付の同コーナーで書いたように、今年の始めに私に英語の電子メールをくれた人である。SFやホラーの評論を中心に活動するジャーナリストで、さまざまなSF系、ホラー系の雑誌に寄稿しているそうだが、一冊の本として出版したのは、A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide が初めてだったらしい。とは言え、こういう本を出すくらいだから、彼がアダムスの自伝の筆者になったのは当然のなりゆきと思われる。
 が、しかし、実際にA Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guideを手にとってみるとよく分かるが、定価3.99ポンド、総ページ数96ページ、本というよりは小さなブックレットのような体裁なのだ。一般的な書籍の格付けで考えるなら、人気番組の攻略本の域を出てはいない。一流の書き手による一流の評論ではありません、と声高に謳っているも同然である。ただし、その中身のほうは、アダムスと『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する微細なデータがきちんと網羅されていて、そういう意味で私はとても重宝しているが、それはまた別の話だ。
 それに比べて、このたび発売されることになったアダムスの自伝は、勿論初版はハードカバー、値段は20ポンド。現時点での日本のアマゾン・コムの販売予定価格は3875円である。そう、今度は体裁も立派な「本」であること間違いない。
 アダムスの自伝の筆者として名乗りをあげた書き手が他にいたのかどうか、私は知らない。単に他に誰もいなかっただけかもしれないけれど、やったね、MJシンプソン! そう言って肩を叩いてやりたいような気がする。勿論、私が偉そうにそんなことを言う筋合いはまったくないのだが、ただ何となく。
 ちなみに、シンプソン個人のホームページは、http://www.mjsimpson.co.uk/。彼の批評記事その他がたくさん掲載されていて、『銀河ヒッチハイク・ガイド』以外に、どんな系統の作品を取り上げているかがよく分かる――つまり、ほとんどは私の知らない、あるいは知っていても敢えて観ようとは思わない(主にB級)SF・ホラー系作品のオンパレード。でも、なかにはユアン・マクレガーの未発表インタビューといった思いがけないものもあれば、日本映画『ジュブナイル』の批評記事なんてのもあった。シンプソンによるとこの作品の評価はA-、"This is a really good, fun film"とのこと。
 ふーん。
 ま、いつか機会があったら私も観てみようかな。ただ、同じA-評価の作品に『U.M.A. レイク・プラシッド』も入っていたのが、ちょっとひっかかるけれど。

 そして今週の更新は、先週に引き続きラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の話。言うまでもなく、今週もシンプソンの A Completely and Utterly Unauthorised Guide to Hitchhiker's Guide には大変お世話になりました。

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2002.11.2.  「おもしろい」を見つけるために

 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の歴史を振り返る時、私はこの番組の初回放送時にたまたま聴き、そのおもしろさをすかさず口コミで流し、かつBBCに投書してくれた人たちがいたことに、しみじみ感謝したいと思う。その人たちがいなかったら、極東の島国に住まうこの私が、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出会うことは絶対になかった。
 そこで、不毛な仮定は承知の上で、それでも敢えて問うとする。「もし、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』が不発に終わっていても、アダムスは別の形で作家として大成することができただろうか?」
 ファンとしては迷わず「Yes!」と答えたいところだけれども、もし「ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』が不発に終わった」という設定のパラレルワールドを覗く望遠鏡があったとしたら、その後のアダムス並びに「『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出会わなかった自分」の姿を見るために、私はきっとありったけの勇気を奮い起こす必要があるだろう。

 1978年放送当時から20年以上が過ぎ、現在のコンピュータ・テクノロジーとインターネットは「口コミ」の規模とスピードを飛躍的に拡大させた。有名な映画評論家や文芸批評家の言を待つまでもなく、まったく無名の素人がまったく無名のままに独自の批評を世界に向けて発信し、それを老舗の映画雑誌や文芸誌に掲載された文章とほとんど等価に受け入れるのはもはや当たり前のこと。勿論それは単なる無秩序で無制御で無意味な情報の氾濫でしかないと言うこともできるけれど、それ以上に大手広告代理店等の営業戦略とはまったく無縁なところにいる個々の感性が見つけた「おもしろい」を、送受信できる可能性はあまりに魅力的だと私は思う。
 ただし、私自身も含めて、「個々の感性」というヤツが本当に、さまざまな広告媒体とは無関係に独自で作動しているかどうか、そこのところが大問題なのだ。1978年当時ですら決してメジャーとは言えないラジオ・ドラマという媒体に耳を傾け、「これはいける!」と見なした人々のように、果たして今の私は、テレビや雑誌で大々的に宣伝されているもの以外の何かに、さりげなくアンテナを伸ばしているだろうか?
 ハリウッド超大作や一大ベストセラーといったものに、自分の感想として○×をつけているだけなら、それは結局のところ広告代理店の手のひらの上から一歩も出てないと私は思う。でも、どうか誤解しないでほしい。私は映画『マイノリティ・リポート』の公開もわくわくしながら待っているし、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』も予約購入して既に読み終わったという、自他共認めるとびきりのミーハーである。大々的に宣伝費を投じられた作品はくだらない、などとと言うつもりはまったくないし、また言えた義理もない。ただ、何かおもしろいものはないかとインターネットの世界をうろうろさまよいながら、時々どうしようもなく思うのだ。これほど効果的な媒体を手にしていても、結局それを使いこなすにはまず自分の中の好奇心の垣根を広げないことにはどうしようもないんだな、と。

 そして今週の更新は、20年以上の時の中で販売された、ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』のコレクションを追加。

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2002.11.9.  英会話のテープ代わりに

 今はどうだか知らないが、かつて私が学校で受けた英語の授業は、普通の中学・高校で行われていたいわゆる典型的な受験英語というヤツで、文法と講読が中心、と言うよりそれがすべてだった。その結果、私も多くの日本人と同様、読めても聞けない・話せない、という非実用的英語学習者の一員となった。
 かと言って、生来の怠け者である私は、英語能力を高めるための地道な努力を「しようかな」と思うことすらほとんどなく、ラジオ英会話のテキストを買ったことさえない(「ロシア語会話」のテキストは買うくせに)。英会話学校? 通うどころか、パンフレットを取り寄せたことすらありませんとも。
 だが、それでも私が普通の日本人よりほんの少しだけ「英語を母国語とする人の、英語を話すスピード」に慣れているとしたら、それはひとえに前回の更新で写真を追加した、ラジオ・ドラマThe Hitchhiker's Guide to the Galaxy (90分版)The Restaurant at the End of the Universe (60分版)のカセットテープのおかげである。この2本のテープだけは、「好きこそものの上手なれ」という言葉を信じて約2年、片道約1時間の通学時間中にウォークマンで聴き続けていた。もともとのストーリーや登場人物や台詞が分かっているから、たとえ英語そのものはロクに聞き取れなくても何となくついてはいける。何しろ普通の英会話と違って効果音は派手だし、鬱病ロボットのマーヴィンはいかにも鬱病ロボットのマーヴィンだし、ヴォゴン人の意味不明の詩と、またそれを聴かされて悶え苦しむアーサーとフォードの様子もおかしい。
 それに、いくら耳が悪かろうとも、同じテープを2年もひつこく聴き続ければさすがに慣れてきて、次第に聞き取れる言葉の数も増えてくる。しまいには台詞の大半を丸暗記してしまい、発音の良し悪しは別としてもテープにぴったり合わせて呪文のように唱えることさえできるようになった。
 しかし、問題はこうして聞き覚えた単語やセンテンスがまるで実用に向かないことである。'interstellar distances' (恒星間の距離)だの 'space-time continuum' (時空連続体)だのといった語彙がいくら増えたところで海外旅行中には何の役にも立たないし、"How are you?" と訊かれた時にマーヴィンの名文句、"I think you ought to know I'm feeling very depressed" (「わたしがいまとても落ちこんでいるのがおわかりになればいいんですがね」 『銀河ヒッチハイク・ガイド』、p. 118)で返す訳にもいかず、"Fine, thank you." としか言えないんじゃ、やっぱり使えないよなあ。

 気を取り直して、いよいよ今日からラピュタ・アニメーション・フェスティバルがスタート、ということで、今週の更新はノルシュテイン作品の解説を追加。
 DVDでも観られるけれど、せっかくのチャンスだからなるべくスクリーンに観たほうがいいに決まっているし、DVDには収録されていない『外套』や『おやすみなさいこどもたち』の上映もあるし、それに何よりノルシュテイン本人も来日していることだし、みなさまこぞって参加しましょう。ノルシュテイン作品以外にも、私のご贔屓の短篇『夢』も上映されるのでこちらもよろしく(と言っても、私は主催者でもなければ関係者でもないんだけど)。
 勿論、私もこれから出かけるつもり。そしてまた、ノルシュテイン・グッズの類を買い込むぞ。

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2002.11.16.  勤務先変更につき

 2002年11月9日より始まったラピュタ・アニメーション・フェスティバル2002、私も早速9日・10日の休日を利用して行ってきた。
 そして、先週の同コーナーで予告した通り、ノルシュテイン・グッズをごってり買った。コーヒー・カップもTシャツも買ったし、絵ハガキだけで40枚も買った。ディズニー・ストアやサンリオ・ショップでなら、私程度の買い物はまだまだおとなしいほうに分類されるのだろうが、恵比寿の東京写真美術館のグッズ販売コーナーで1万円札を2枚も出したバカはそう多くはないはずだ。当然、「2000円以上お買いあげの方にもれなく差し上げます」のノベルティーの布バッグとポスターも貰う。
 そのうち、ノルシュテイン・コレクションのコーナーに写真を追加するつもりだが、「もったいなくて人に出せない絵ハガキ」なんかを大量に買い込んで、私は一体何がしたいのやら。

 ところで、私事ながら、11月1日付の人事異動により勤務先が東京都新宿区から神奈川県横浜市に変更になった。
 私の勤め先では、毎年5月と11月に異動が発令され、みんな大体3年から5年くらいで新しい部署に異動になることが多い。私は前回の異動の発令から既に3年半を経過していたから、そう考えれば今回異動になっても不思議はなかったし、新しい職場は前の職場より自宅からずっと近くで通勤も楽だし、前の仕事に未練もないし、新しく課せられた仕事もイヤじゃないし、一勤め人としてはあらゆる意味で何の文句もないのだけれど、しかしここだけの話、今回の異動さえなければ100パーセント確実に行けたはずの11月11日午後6時からのノルシュテインのシンポジウムに参加できなくなったことだけは痛恨事であった。いや、終業時間と同時に横浜市の新しい職場を飛び出せば、どうにか6時に間に合わないこともなかったのだが、そんな私の都合など知る由もない新しい上司から「11日は夕方5時から会議があるのでよろしく」ととどめを刺されてしまった。
 そう、どんなに出世を捨てたとしても、給料を貰い続けたいのなら越えてはならない一線はある。
 そして思い起こせば昨年のラピュタ・アニメーション・フェスティバル2001はちょうどお盆の時期に開催され、ノルシュテインのシンポジウムはウィークデイの昼間に開かれたものだから、仕事の性質上お盆の時期にどうしても休みを取ることができなかった私は涙ながらにあきらめたのだった。2年続けて参加できないとは、ああ、何てついてない。
 そこで、このページをご覧になった方にお願いがあります。もし、11日のシンポジウムに参加した、という方がいらっしゃいましたら、簡単にで結構です、シンポジウムの内容をどうぞ教えてくださいませ。
 何とぞよろしくお願いいたします(とほほほほ)。

 そして今週の更新は、勤務先変更を機にMy Profile コーナーを若干修正すると共に、ノルシュテイン関連人物コーナーに映画監督アンドレイ・タルコフスキーを追加。

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2002.11.23.  ノルシュテインとタルコフスキー

 私は、タルコフスキーを通じてノルシュテインを知った。

 1986年の末に、「タルコフスキー」とかいう名前のソビエトの映画監督の訃報記事を新聞で読んだ。かなり大きな囲み記事で掲載されているくらいだから、私が知らないだけできっと有名な監督なんだろうなと思った。その数週間後、タルコフスキー追悼としてテレビの深夜枠で放映された『惑星ソラリス』という映画を、軽い気持ちでビデオ録画して観たところ、そのラストシーンに腰が抜けるほどびっくりした。
 そして、いっぺんにファンになった。
 1987年4月29日、タルコフスキーの『ストーカー』というSF映画が上映されるというので、東京・千石にある三百人劇場に行った。当時はまだロシア共和国ではなくソビエト社会主義共和国連邦だったことから「ソビエト映画の全貌」と銘打たれた映画祭の一環だったが、ついでに言うとこの時はまだ4月29日は「みどりの日」ではなく「天皇誕生日」と呼ばれていた。そう考えると、今となっては本当に一昔前のことなんだなあ、と何だか時代がしのばれる。
 ともあれ、その日のプログラムは『ストーカー』の他に、ソビエトの短篇アニメーションとやらもくっついていた。近年でも三百人劇場では「ロシア映画の全貌」や「中国映画の全貌」といった企画が行われているが、今では各回入替制が徹底されているのに対し、当時は1回の入場料金でいっぺんに二本観られる、いわゆる普通の名画座と同じスタイルだったので、まずは短篇アニメを観て、それから満を持して『ストーカー』を観ようと考えて午後から出かけたところ、劇場前は立ち見必至の大行列。ようやく中に入ると、案の定客席の後ろで立ち見になったが、どうせ短篇アニメ3本が終われば、今座っている客の大半が入れ替わるはず、だから本命かつ上映時間が2時間40分の『ストーカー』はゆっくり座って観られるはず、と計算し、どうでもいいアニメより空席状況にぬかりなく目を光らせるつもりだった。
 が、しかし。
 この時、上映された3本の短篇アニメこそが、ノルシュテインの『あおさぎと鶴』『霧につつまれたハリネズミ』そして『話の話』だった。『惑星ソラリス』にも腰が抜けたが、『霧につつまれたハリネズミ』には本当にたまげた。『話の話』に至っては、呆然としているうちに終わってしまった。何だ何だ何が起こったんだ、こ、これは一回観たくらいじゃ手におえないぞ!
 ともあれ、動揺しつつも首尾よく『ストーカー』上映前に席を確保し、何とか気持ちを切り替えて『ストーカー』を観た。この映画も、勿論私の期待を裏切らない素晴らしい作品だったのだけれど、今となってはタルコフスキー以上に3本の短篇アニメが気になって仕方がない。そこで、背後には2時間40分の『ストーカー』に立ち見で耐えた観客がたくさんいたのは分かっていたが、心の中でその人たちに手を合わせ、そのまま引き続き『あおさぎと鶴』と『霧につつまれたハリネズミ』と『話の話』を観ることにした。
 こういう時、完全入替制じゃない、って素晴らしいと思う。近年、シネコンスタイルの完全座席指定制に慣れた身には立ち見や行列は確かに辛いけれど、二本立て上映には時として思いもかけない素晴らしい出会いがある。

 かくの如く、私にとってノルシュテインとの最初の出会いがタルコフスキーとのカップリング上映だったこともあって、両者の類似が指摘されるのはごく当然のことに思えた。難しいことはさておき、どちらの作品にもやたら「水」が出てくるし。だから、ノルシュテインとしてはタルコフスキーではなくエイゼンシュテインを師事しているのだと知った時のほうが驚いた。『話の話』と『戦艦ポチョムキン』の、一体どこが似ているって?
 それは、単に映像として映っている「モノ」のことではなく、例の「モンタージュ理論」とやらのことなんだろう、ということまでは私にも分かる。でも、漠然と納得したまま放置するのではなく、そのうちきっちり自分の頭で理解した上で、このホームページにも解説を載せたいと思う。思うけれど、2日や3日のやっつけ仕事ではとても無理、だからこれもまた後日の宿題とする。
 ということで、今週の更新は、ノルシュテイン関連から再びダグラス・アダムス関連に移り、関連人物一覧に、今日から東京・銀座の映画館でロードショー公開が始まった映画『ガール・フロム・リオ』の主演男優、ヒュー・ローリーを追加。それから、ヒュー・ローリーの相棒で、数週間前から都内で上映されている映画『ゴスフォード・パーク』にも出演しているスティーヴン・フライについても加筆したので、こちらもよろしく。

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2002.11.30.  ボーイ・フロム・イートン

 イギリスにおいては、オックスブリッジ出身といえばとびきりのエリートである。それはもうそれだけで立派に一つの「階級」のようなものだ。その点で、日本における東大卒・京大卒とはニュアンスがちょっと違う。
 と、分かっていても、ダグラス・アダムスの関連人物一覧などを作っていると、アダムス本人がケンブリッジ大学出身だから必然的に交友関係もオックスブリッジ出身者が多くて感覚が麻痺してしまい、「この人はケンブリッジだったかな、それともオックスフォードだったかな」と思うことはあっても、「凄い、この人もオックスブリッジ出身なんだ」と感心することはあまりない。
 が、そんな私も、ヒュー・ローリーの学歴にはぶっ飛んだ。え、かの有名なパブリック・スクール、イートン校のご出身だって? あの、『ブラック・アダー』のプリンス・ジョージが? ネズミのスチュアートのパパが?
 イートン校経由ケンブリッジ大学進学、というだけでもたいした学歴なのに、イートンの学生時代はボート部のキャプテンで寮長(Prefect)も務めていて、ケンブリッジ大学でもボート部で大活躍した、とは。百歩譲ってそこまでならまだ(ケンブリッジ大学にも日本の大学入試でいうところのスポーツ推薦枠のような制度があると仮定して)親が金持ちなだけの体育バカという可能性もないことはないが、でもそれなら1年の時からフットライツに参加するのは絶対に無理だろうし、おまけにその時のガールフレンドがかのエマ・トンプソンで、1981年には二人してフットライツの部長と副部長も務めていた……って、よく知らないけれど、でも何をどう考えてもヒュー・ローリーという人は、絵に描いたようなエリート中のエリートなんじゃないか?
 と、主役男優にものすごい先入観をもった状態で、公開されたばかりの映画『ガール・フロム・リオ』を観に行った。
 ヒュー・ローリー演じる主人公のレイモンドは風采のあがらない銀行員。唯一の趣味はサンバで、妻に内緒で夜間スクールでサンバ教室の先生をやっていたりする。ある日、ふとしたことで、大嫌いな銀行の上司と自分の妻が実は不倫関係にあることを知ったレイモンドは、クリスマス休暇前で人のいなくなった自分の銀行の金庫室から金を奪い、あこがれのサンバダンサーに会いたい一心でリオ・デ・ジャネイロに飛ぶ。
 決して大笑いする映画ではないけれど、ほほえましいやら気の毒やらで何度もくすくす笑った。物語の展開も、善人は善人なりに、そうでない人もそれなりに、きちんと登場人物全員におとしまえをつけてくれるあたり、好感が持てる。この映画の監督、クリストファー・マンガーの前作『ウェールズの山』よりも、私はこちらのほうが気に入った。
 肝心のヒュー・ローリーは、暗くて地味な銀行員のくせに実はひそかなサンバマニアという役を、何の過剰さもなく自然にこなしていた。さすがはベテランのコメディ役者、台詞の間合いも素晴らしい。だから観ていて思った、私もあなたにアーサー・デントを演ってほしい、あなたにアーサーの台詞を言ってほしい、と。
 そして、家に帰ってこの文章を書き始めるまで、彼がボーイ・フロム・イートンであったことなどすっかり忘れていたことを付け加えておく。

 今週の更新は、今更ながら改めて、ヒュー・ローリーをはじめ多くのコメディアンを輩出した、ケンブリッジ大学のコメディ・サークル、フットライツについて徹底検証。

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2002.12.7.  成功と挫折

 フットライツのオーディションで親切に励まされて以来、アダムスはサイモン・ジョーンズと良い友人になった。この友情が後になって、サイモン・ジョーンズに彼の役者としてのキャリア最大の当たり役をもたらすのだから、人生って何がどう幸いするか分からない。
 勿論、役者として生きていく上で、いつまでも「あのアーサー・デントの」と前置きされ続けることはあまり嬉しいことではないのかもしれないが、たとえ一作なりと主役を演じて皆の記憶に残ることができたというのは、ほとんどの役者が代表作もなく消えていくことを考えれば、やっぱり幸せなことなんじゃないかと私は思う。
 あ、いや、現役の役者さんをつかまえて「記憶に残ることができた」などと過去形で語るとは何たる無礼、これからの更なるご活躍を極東の島国から地道に応援させていただくので平にお許しを(でも、アダムスのドキュメンタリー・ビデオ、Life, the Universe, and Douglas Adams に登場した彼の姿が、50歳かそこらにしてはあまりに老けていたのでつい……って、これじゃ無礼の上塗りもいいところじゃないか!)。
 ともあれ、アダムスとジョーンズの二人のことを考えるたび、私はいつも「情けは人のためならず」という格言を思い出す。私も他人にはなるべく親切にしようっと。

 入会のいきさつのみならず、アダムスとフットライツの関係を振り返ると、うまくいった話よりもうまくいかなかった話のほうがずっと多い。アダムスが演出を務めたフットライツの公演 A Kick in the Stall の失敗は、その最たるものだ。これまでこのホームページでは、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』以前のアダムス」についてはあまり言及してこなかったけれど、表面的にはケンブリッジ大学にも進学したしフットライツにも入ったしグレアム・チャップマンとも知り合ったし、そういう意味では順風満帆、希望通りの人生を歩んでいるようにみえて、実は27歳の時にラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』で大成功を収めるまでには多くの挫折と失敗が潜んでいたことがよく分かる。
 2003年3月発売予定のアダムスの自伝が無事出版されれば、無名時代のアダムスについてさらに詳しいことが分かるだろう。そして私もそれに合わせて来年こそはアダムスの詳細な年譜も作成するつもりでいるが、その前にアダムスの略歴コーナーも、いくら「略歴」とは言えもう少しマトモなものにしたいと思う。あの「略歴」を読んだだけだと、一流大学を卒業してあっという間に大ヒットを飛ばしたように受け止められても無理はない。大体、「関連人物一覧」コーナーでは、アダムスとほんの少しでもかかわったことのある人々についてやたらと細かいことまで長々と書いているくせに、肝心の当人についてはほったらかしというのは、バランスが悪いにも程がある。
 と思ってはいるが、今回の更新も、大学時代のアダムスとかかわった人物を二人新たに追加紹介。やはりフットライツで一緒だった、ジョン・カンターという友人と、それから、一応英文学専攻だったアダムスの、学問上の研究テーマであった18世紀の詩人、クリストファー・スマートについて。

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2002.12.14.  大学で何を学ぶか

 アダムスがケンブリッジ大学に進学した主目的はクリストファー・スマート研究ではなくフットライツに入ってコメディ作家になることだったが、私が大学で英文学を専攻することに決めた最大の理由は、アダムスが英文学を専攻していたからだった。
 高校3年生の夏に初めて『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、その発想や視座の多様さ、自由さに完全にノックアウトされ、こういう考え方やものの見方は一体どこから生まれたのだろう、それは単にダグラス・アダムスという個人の資質であって英文学の薫陶とは何の関係もないのかもしれないけれど、大学で専攻していたくらいだからまったく関係ないとも言い切れないだろうし、何か片鱗というかヒントのようなものが拾えるかもしれない、まっとうな英文学作品なんてほとんど読んでいないし無理矢理読んだディケンズの『二都物語』もぐだぐだかったるい描写が多くてちっともおもしろくなかったしオースティンの『高慢と偏見』もすぐ姉妹の名前がごっちゃになってしまい何度も挫折した挙げ句姉妹の名前をしおりに書いてようやく読了できたというていたらく、唯一ブロンテの『ジェーン・エア』だけは例外的におもしろかったけれど少女小説に毛のはえたようなストーリーとキャラクターがひたすらわかりやすかっただけでそれについて研究したいとは思わないし読書感想文を書けといわれても困るかも、確かに翻訳小説は好きで山ほど読んでいるが考えてみればジェフリー・アーチャーとかフレデリック・フォーサイスとかそんなのばっかりで、正統な文学作品というならロシア文学のほうがよっぽど好き、ドストエフスキーでもトルストイでもゴーゴリでもチェーホフでも文庫本で読めるようなメジャー作品はほとんど総なめにしているけれど、でもだからと言ってそれを敢えてロシア語で読みたいかと訊かれれば想像しただけで顔がひきつるしなあ、という私なりの試行錯誤を経て、そうなるとやはりアダムスに殉じて英文学を選ぶしかない、という結論に至った。
 結果として、その選択は大正解だった。高校生の私がぼんやり想像した「片鱗というかヒントのようなもの」がたくさん手に入ったばかりでなく、さらに肝心な「情報を集める手段」と「集めた情報を分析し論理的にまとめる方法」を(私なりのレベルでとは言え)体得することができた上、さらにさらに、いくら何でも卒業論文の研究テーマとしてお笑いSFを直接取り上げるのは無理だよなと思っていたらあっさりそれが許可されて、おまけにそれを容認してくれたゼミの担当教員ときたら(日本の、ではなく)世界の現役中世英文学研究者の中で確実にベスト10入りするような大物で、でもさすがに分野が違いすぎるので、たまたま(?)同じ大学に入ってきたばかりで当時はまだ勤務年数が浅くてゼミを持っていなかったがSFというジャンルにめちゃくちゃ詳しくてそして今なら(くどいようだが日本の、ではなく)世界の現役米文学研究者の中でベスト10に入ること間違いなしな教員に、自分の書いたものを読んでいただくことさえできてしまった。英語の日常英会話すら怪しくて英検2級にもあやうく落ちかけた、この私が、である。恐悦至極を通り越してほとんど詐欺じゃないかと、今振り返っても背筋に冷たいものが走るが、あくまで自分のことだけを考えるなら本当に幸運だったし、卒業論文を書くことをこんなに楽しめた学生はあとにも先にもいないじゃないかとさえ思う。
 大学で何を学ぶか。フットライツにかまけたアダムスも、そんなアダムスにかまけた私も、英文学専攻の学生としての、あるべき理想の姿からは程遠い。それでも首尾良くコメディ作家として成功したアダムスはまだしも(ジョン・カンターについて調べてみれば、フットライツで部長を務めたからってみんながみんな大成功するとは限らないということがよくわかる)、大学での専攻とはまったく関係のない仕事をし、また職場でたまに「英語しか話せない人からかかってきた電話」を受けると身体が固まってしまう私は、今どきの「学力低下問題」や「大学教育の在り方」を憂うテレビの教育番組や出版物に出てくる典型的な「大学まで出たけれど」人間だ。でも、卒業後の就職のことだけを考えて進学する学部を選び、簿記の専門学校に通い公認会計士の資格試験に奔走し、TOEICの点数に一喜一憂することを義務づけられているかのような今の大学生を見ていると、将来の仕事に直結しないことを存分に学ぶことができる機会と時間が持てるからこそ、大学で学ぶ価値があるはずなのにと思わずにはいられない。

 ともあれ、今週の更新内容は、先週に引き続きアダムスの関連人物、エリック・アイドルマイケル・パリンについて。2002年も終わりになって、「モンティ・パイソンのメンバーの一人」とだけ書いて放置していた最後の二人に、ようやく片がつけられた。

 と、すっきりしたところで、今年も冬休みに突入されていただきます。
 次回の更新は2ヶ月後の2003年2月15日(土)の予定。さて、どんな大幅リニューアルになりますことやら、乞うご期待!
 (と、今から自分で自分にプレッシャーをかけたものの、でもまずは目先の締め切り優先で年賀状作成にとりかからねば。)

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