2001年5月13日(日)付の朝日新聞朝刊に記載された、ダグラス・アダムスの訃報記事は以下の通り。

 ダグラス・アダムス氏
 (英脚本家、作家)AP通信などによると、11日、米カリフォルニア州サンタバーバラで心臓発作で死去、49歳。
 78年から放送された英BBCラジオのSF喜劇シリーズ「銀河ヒッチハイクガイド」で有名に。79年に小説化され、世界中で約1400万部売れた。著書はほかに「宇宙の果てのレストラン」など。BBCテレビの人気シリーズ「ドクター・フー」の脚本も書いた。(共同)

 日本の新聞各紙はいずれも訃報欄で一報するにとどまっているが、イギリスやアメリカではもっと大々的に取り扱われている。と言っても、現時点では各新聞社のサイトをインターネットで検索しただけなので、実際の紙面がどの程度割かれていたかまでは分からない。できればそう遠くないうちに確認したいと思っている。
 私が検索したのは、イギリスの新聞では「ガーディアン」と「ロンドン・タイムズ」、アメリカの新聞では「ニューヨーク・タイムズ」と「ロスアンジェルス・タイムズ」の計4紙。いずれも、アダムスの経歴や作品をかなり詳しく紹介していた。

 アダムスは、2001年5月11日(金)の朝、トレーニング・ジムで突然心臓発作に倒れ、サンタバーバラのコテージ・ホスピタルで蘇生措置が行われたが帰らぬ人となった。死の何日か前に医者から高血圧の危険性を指摘されてはいたが、これまで心臓病を患ったことはなく、健康状態は良好だったという。遺族は、1991年にアダムスと結婚した妻のジェーンと6歳の娘ポリー、アダムスの母親のジェーン・スリフト(アダムスの両親は彼が5歳の時に離婚し、アダムスは母方に引き取られたが、のちに母親は再婚した)。サンタバーバラにて遺族とごく親しい友人だけの密葬を終えた後、5月16日の午後3時から改めてロンドンで葬儀が行われ、同時にその式次第と写真がインターネットで公開された。

The Schubler Chorals - Johann Sebastian Bach
Sue Adams, Jane Garnier, James Thrift
Mary Allen
The Marriage of Figaro - Wolfgang Amadeus Mozart
Simon Jones
Terry Jones
I Wannabe (A Rockstar) - Margo Buchanan
Micheal Nesmith
Chris Ogle
Imagine - John Lennon
Hey Jude - The Beatles
Drive My Car - The Beatles
Paperback Writer - The Beatles

 そしてその三ヶ月後の9月17日には、トラファルガー・スクエアのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会で、アダムスの親族と友人が追悼式を行った。ゲスト・スピーカーとして、サイモン・ジョーンズマーク・カーワディンリチャード・ドーキンスらが集まり、また、アダムスの自宅でたびたび開かれたという即興コンサートで、アダムスと一緒にプレイしたミュージシャンらが「あなたにここにいてほしい」等の曲を演奏したという。なお、この時の模様は、BBCオンラインでインターネット中継された。

 彼の死は、世界中のファンのみならず彼のごく親しい人々にとってもあまりに突然の出来事だった。その知らせがいかに衝撃的だったか、5月14日付の「ガーディアン」に掲載された、リチャード・ドーキンスの追悼文を読むとよくわかる。
 日曜日の朝、ドーキンスはいつものように電子メールをチェックした。届いたニュースの見出しに目を走らせて、「ダグラス・アダムス」という名前を見つけ、にやりとし、いったん通り過ぎた後、もう一度戻ってその見出しをちゃんと読んでみると、「ダグラス・アダムス、心臓発作で死去」とある。
 「これは何かの冗談だろう。でなければ他のダグラス・アダムスさんのことだとか。そんなバカなことが、現実であるはずがない。それとも、私はまだ眠っているのか」("It must be part of joke. It must be some other Douglas Adams. This is too ridiculous to be ture. I must still be asleep." )
 アダムスとドーキンスの交際は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』とダーク・ジェントリー・シリーズを読んで感激したドーキンスがアダムスにファンレターを書いたことから始まる。以来、アダムスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画脚本の執筆のため1999年にアメリカに居を移した後も、二人はしょっちゅう電子メールを交換していた。また、ドーキンスの結婚相手は、もともとアダムスがテレビ・ドラマ『ドクター・フー』で一緒に仕事をしたことのある女性で、40歳の誕生パーティの席でアダムスがドーキンスに彼女を紹介したことがきっかけだったという。まさに家族ぐるみの付き合いだった訳で、そのためドーキンスはこの朝、妻にアダムスの死を告げるという辛い責務を負ってしまった。
 なお、ドーキンスがガーディアンに寄稿した追悼文と、セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会でのスピーチは、ドーキンスの最新エッセイ集『悪魔に仕える牧師』(早川書房)に全文収録されている。是非ご一読あれ。

 また、イギリスの作家・俳優のスティーヴン・フライも「オブザーバー」で短いコメントを載せている他、デジタル・ヴィレッジ社のホームページにも言葉を寄せていた。
 「君のことを知っている人はみんな――君に会ったことのない何百万もの人も含めて――君のことが大好きだった。僕にはこれ以上書くことなんて何も思いつかない。愛している。スティーヴン」(All those who knew you -- and that includes millions who never met you-- loved you. I can't think of anything more to write. Love. Stephen.")

 今はただ、世界中の『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンと共に、この言葉を手向けるのみ。

 "So long, and thanks for all the books."

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