2015.2.7. 「2014年のマイ・ベスト」 2015.3.7. 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開から10年 2015.4.4. ジェイムズ・ゴスって誰? 2015.5.2. ニール・ゲイマン、ダグラス・アダムスを語る 2015.6.6. アマゾンのピンクのイルカ 2015.7.4. ガース・ジェニングスの近況 2015.9.5. ロビー・スタンプのあとがきを振り返って 2015.10.3. サラ・バラス「ボセス、フラメンコ組曲」 2015.11.7. 「何とかガイド」 2015.12.5. 『ドクター・フー』の幻の企画
毎年のことながら、遅まきの新年あいさつです。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
そして、これまた毎年のことながら、まずは「My Profile」コーナーに追加した「2014年のマイ・ベスト」について。
2014年は、本も映画もベスト1を選ぶのに迷いはなかった。ベスト本は、ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』、ベスト映画はウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』。これで決まり。
ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』、日本語訳が出たのは昨年だけど、アメリカで原著が出版されたのは今からちょうど50年前の1965年だった。これまでにも、「原著が出版されたのは昔だけど日本語訳が出たのは最近だから」という理由で、その年のマイ・ベスト本に選んだことはあったけど(振り返ってみれば、2005年のベスト本にはP・G・ウッドハウスの『エムズワース卿の受難録』を選んでいた)、昨年の同コーナーでも書いた通り、私としてはできれば数十年も前の小説の日本語訳は避けたいという気持ちがある。「昔の人が書いた昔の本など読む値打ちはない」とは全く思わないが、「2014年の」とわざわざ謳うからにはなるべく新しいものを優先したい。だがその一方で、「よくぞ日本語に訳してくださいました」とひれ伏して感謝せずにいられなくなるのが、日本でも好調なセールスが期待できそうな近年のベストセラー本の翻訳よりも、マイナーすぎて売れそうもないからこれまでずっと日本語訳が出なかったと思われる昔の本の翻訳に向けられがちなのも、無理からぬこと。ああ、悩ましい。
とは言え、2014年のベスト本に選んだジョン・ウィリアムズの『ストーナー』については、昔の本は昔の本でも、実は事情がちょっと違う。というのも、1965年にこの本が出版された当時は、アメリカで一部の読書家に高く評価されたもののたいして話題にもならず売れもせず、そのまま絶版になっていたが、21世紀に入って再評価され、ヨーロッパ各国の言葉に翻訳されると、オランダ、フランス、イタリア等の国々で思いがけないセールスを記録し、イギリスではちょっと遅れて2013年にベストセラーになったからだ。
私が初めてこの本に注目したのは2013年、大好きな作家ジュリアン・バーンズがその年のおすすめ本として Stoner という小説のタイトルを挙げていたのがきっかけだった。バーンズがそこまで薦めるなら是非読んでみたい、と思ったものの、海外文学が売れない売れないと叫ばれる昨今、かくも地味な小説の日本語訳が出ることなんてとても期待できない。で、しぶしぶ原著の電子書籍をダウンロード購入し、Kindleの英和辞書機能を駆使して読んでみたのだが。
素晴らしかった。貧農出身の主人公ウィリアム・ストーナーが、英文学の研究者として大学に勤務し、これといった業績もないまま生涯を終える、という物語。あらすじだけを読むとものすごくつまらなそうだが、実際に本文を読んでみると続きが気になって止められない。だから、とにかく騙されたと思って手に取って読み始めてほしい、と、大声で触れ回りたいところだが、日本語訳がないんじゃそれもできない。その点、オランダ人とかフランス人とかイタリア人はいいなあ、翻訳があるから全力で薦められるもんなあ、って言うかこういう小説がベストセラーになるというだけでその国の文化度が分かるというものだよ、と、一人不満を抱えていたら、何と日本語訳が出ると知り、どれほど嬉しかったことか。
だから、私は2014年のベスト本として『ストーナー』を迷わず推します――日本のベストセラーリストに『ストーナー』が載る日まで。
……気を取り直して、今年もまたのんびりペースでホームページの更新を続けたいと思います。2015年と言えば、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開から10年の節目。うひーーー、月日の経つのが早いったらないわ。
2015.3.7. 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開から10年
前回の更新で、ようやく『銀河ヒッチハイク・ガイドの哲学』を一通り紹介し終わった。
いやあ、長かった。きつかった。比較するのもなんだが、マイケル・ハンロンの『銀河ヒッチハイク・ガイドの科学』よりつらかった。何がつらいって、『科学』の時はたとえ英語が分からなくても関連する日本語書籍を読めばうすらぼんやり理解できたのに対し、『哲学』の時は引用されている文献の日本語訳を繙いてみてもまるで理解できなかったこと。哲学も行き着くところまでいくと数学というか数式みたいになるのね、ということだけは新たに知ったが、だからってそこに書かれている謎の記号の意味が分かったのかというと……私のサイトではこれまでにもさまざまなページで私の誤読や誤訳を警告する文章を載せているが、『銀河ヒッチハイク・ガイドの哲学』のページでは警告文の文字サイズを倍にしたほうがいいかも。
毎回同じことの繰り返しで恐縮だが、私が紹介した『銀河ヒッチハイク・ガイドの哲学』、何しろ哲学にも英語にも素人の私がやったことなので、とんでもない誤読をしている可能性はすごく高い。そのため、これはあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は必ずオリジナルにあたってください。絶対に、鵜呑みにしないでね。
では、気を取り直して今回の更新の話。
前回の同コーナーでも書いた通り、2015年は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開から10年の節目にあたる。という訳で、映画版に関することでまだ載せていないものはないか探してみたら、ゼイフォード役のサム・ロックウェルのインタビューが抜けていることに気が付いた。どうして彼の分だけ放置しちゃったんだろう。申し訳ない。
にしても、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』10周年ということは、私がこの映画を観るためだけに3泊5日の旅程でロンドンまで行ったのは、もう10年も前のことなのか。で、久しぶりに当時の旅の記録を読み返してみたのだが。
……何と言うか、やっていることも考えていることも10年前とほとんど何も変わっていない自分に苦笑。英会話の出来なさ加減も、情報収集の詰めの甘さも、せっかちであわあわと落ち着かない性格も、一向に改善されていないじゃないの。
でも、ささやかに変化があったとしたら、「日本語字幕なしで英語のドラマを観る」のが日常茶飯事になった、くらいだろうか。10年前はそんな機会は滅多になかったのに対し、今じゃTunnelBearのおかげでBBCやらITVやらチャンネル4やらで次から次へと放送される連続ドラマの類を追いかけるのに忙しい。ま、だからってリスニング能力が向上したということもなく、どちらかと言うと「分からなくても何とかなることが分かった」に近いのは確かだが、少なくとも今の私なら「ロンドンくんだりまで行って映画を観たところで、日本語字幕がないんじゃどのみち理解不能かも」とは思わないだろう。
その一方、この10年で見事なまでに体力は落ちた。正直言って、もし映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の公開が2015年の今だったとしたら、同じように3泊5日のロンドン旅行を強行したかどうか怪しい――今なら最低でも5泊7日くらいの日程を組むだろうし、仕事の都合でそんなに休めないとしたら行くのを断念したかもしれない。
命みじかし旅せよ乙女、とはよく言ったものだ。
2週間ほど前の3月15日、臨時でダグラス・アダムス関連の最新ニュースを2件ばかり更新した。
一つは、3月14日に放送されたミッチ・ベンによる 'Did Douglas Get It Right?' という30分のラジオ番組。放送日からしばらくはBBC iPlayer で聴くことができるから、これはもうなるべく早くお知らせしなくちゃ、と思った次第だが、私がより注目したのはもう一つのニュース、小説版 'Doctor Who: City of Death' に関することのほうだった。
アダムスが脚本を手掛けた 'Doctor Who: City of Death' のノベライズの執筆を、ギャレス・ロバーツが降板すると知った時は正直かなりがっかりした。2012年に彼が出した小説版 'Doctor Who: Shada' が素晴らしかっただけに、彼の 'City of Death' をすごく楽しみにしていたのだ。幸い、ロバーツに代わって別の人が執筆することになったため、'City of Death' のノベライズ企画そのものが潰えはしなかったけれど、でも新しい執筆者、ジェイムズ・ゴスって一体何者なのよ? 私は全然知らないよ??
という訳で、今回の定期更新に合わせて、ジェイムズ・ゴスについてネット検索してみたところ――長年ダグラス・アダムス関連のサイトを管理しているくせに、彼の名前をきいてすぐにピンとこなかった己の不明を恥じ入る結果に。ジェイムズ・ゴスって、アダムスの Dirk Gently's Holistic Detective Agency の舞台化を手掛けた人じゃないか!
その他にも、オーディオ・ドラマ版 'Shada' の製作にも携わっているし(私の手持ちのCDに入っていたリーフレットにも、彼の名前はちゃんと記載されていた)、もっと言えば、これまでにジェイムズ・ゴスが書いた多くの『ドクター・フー』関連のスピンオフ小説のうちの一つ、Doctor Who: Summer Falls も、Kindleでダウンロード購入して読んでいた……(言い訳にもならない言い訳をさせてもらえば、Doctor Who: Summer Falls は、ジェイムズ・ゴスではなくアメリア・ウィリアムズ名義で出版されているんだけどね)。
ああ、情けない。ともあれ、今日からは手のひらを返してジェイムズ・ゴスによる 'Doctor Who: City of Death' の発売を心待ちにしたいと思う。私はAmazon.co.jpで予約購入済だが、発売予定日の5月21日なんてきっとあっという間にやってくるだろうな。
気を取り直して今回の更新は、ダグラス・アダムス関連人物にジェイムズ・ゴスの名前を追加した他、リチャード・ドーキンスについても加筆した。昨年5月に邦訳の出た『ドーキンス自伝1』を先日ようやく読んだところ、『自伝1』ドーキンスがアダムスと知り合う前の、『利己的な遺伝子』出版直後の時点の話であるにもかかわらず、既にアダムスの名前が出ていることに気が付いたから。ったく、これだからドーキンスの著作は油断ならない。
それから、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』公開10周年記念の続きとして、製作総指揮の一人ロビー・スタンプが Film Tie-in Edition のペーパーバックに寄せたあとがきの冒頭部分を紹介。このあとがきはかなりの長さがあるので、この先、何回かに分けて追加更新していく予定なので、こちらもよろしく。
2015.5.2. ニール・ゲイマン、ダグラス・アダムスを語る
約2ヶ月前の3月3日、ロンドン・王立地理学教室で第13回ダグラス・アダムス記念講演が行われた。
今回の講演者は、作家ニール・ゲイマン。言わずと知れた、アダムスの最初の公式伝記本 Don't Panic: The Official Hitch-Hiker's Guide to the Galaxy (1988) の著者である。日本でこそ何故かブレイクし損ねているものの、英米では知名度の高い人気小説家でベストセラーリストの常連だ。今回の記念講演のチケットもソールドアウトだったようで何よりだが、かつてこの記念講演で講演した人たちと違い、ゲイマンは科学者でも科学ライターでもない。一体、何の話をするんだろう?
と、思っていたら、今回の記念公開はゲイマン側に意向を汲んでオンライン配信もしていたようで、記念講演の全貌がYouTubeにアップされていた。演題は、"Immortality and Douglas Adams"。これまでにも講演開始前の様子とかが部分的に公開されたことはあったけど、講演そのものを丸ごと公開してくれるなんて初めてのことだ。さすがニール・ゲイマン、ますますファンになっちゃうじゃないの。
という訳で、早速YouTubeで観てみたところ、やっぱり英語字幕のサービスまではなかったか、と、一瞬怯んだものの、ゲイマンの話し方はかなり聴き取りやすかった。さすが、あちこちで割と頻繁に講演とか朗読をなさっているだけのことはあって、話し慣れていらっしゃる。おまけに講演の冒頭は、彼がいかにしてアダムスと出会い、関わりを持つようになったかという、私のよく知っている事柄についてだったから、リスニングは自分でも驚くほど楽勝。ふふん、これならディクテーションだって出来ちゃうかもね、と、うぬぼれたのもつかの間、話の内容がアダムス個人に関することから離れ、人間にとってストーリーとは何ぞや、とか何とかいった話になった途端、あっという間に「話半分」の理解も怪しくなった。ああ、どうして知っていることを話されている時はこんなにも分かるのに、知らないことを話されるとこんなにも分からなくなるのだろう。ゲイマンが急に早口になった訳でも、急に難しい言葉を使い始めた訳でもないのに。
幸い(?)、話題が再びアダムスのことに戻ると、再び聴き取りやすくなった。電子本が出回ることで紙の本は存在しなくなってしまうのでは、という質問に対し、アダムスが紙の本をサメに例えた時の話とか。内容を(かなり)適当に要約すると、「サメはずっと昔からサメの形をしているが、それはサメの形態が完璧すぎてこれ以上進化する必要がないからだ。で、そのままの形を維持したまま、他の進化し続ける生き物と共存している。紙の本も同じこと。完璧な形態を持つ紙の本は、今後も、進化し続ける電子本と普通に共存していくだろう」。くーーっ、さすがダグラス・アダムス!
ゲイマンいわく、「ダグラス・アダムスは他の人とは違う物の見方ができる人。かつ、他の人に自分の見方を説明することができる人。そして、彼の話を聞いた人は、以前と同じ見方ができなくなってしまう」。小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を初めて読んで以来、この作者のような物の見方ができるようになりたいと思って大学で英文学を専攻して現在に至る私としては、「我が意を得たり!」以外の言葉が見つからない。
ありがとう、ニール・ゲイマン。2013年に出版されたあなたの小説 The Ocean at the End of the Lane、日本語訳が出るのを首を長くして待ってるからね!
そして今回の更新は、前回に引き続き、ロビー・スタンプによる The Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきの続き。ああ、思い返せばちょうど10年前の今日、私はロンドンにいたんだなあ。
それから、ものすごく久しぶりにアントニオ・ガデス関連の最新ニュースを追加。勿論、私はチケットを手配済みですとも。
上野・国立科学博物館で6月14日まで開催中の「大アマゾン展」に行ってきた。
アマゾンの動植物に関する企画展と私のサイト、何の関係もなさそうだが実はそうでもない。BBCのラジオ番組 Last Chance to See の企画でアダムスはアマゾンに取材に出かけていて、アダムズらがアマゾンマナティーを探した際の様子が放送されている(書籍版の Last Chance to See(邦題『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』)ではアマゾンの件は割愛されてしまったが)。
私はこの番組自体は聴いたことがない。1989年当時、「インターネットで海外のラジオ放送を聴く」という方法は一般に普及していなかったものでね。でも、この時の放送の一部分が後に「Douglas Adams at the BBC」というCDに収録されたおかげで、アマゾン川のボートの上でアマゾンマナティーが見えたの見えないのと大騒ぎしている様子だけは聴くことはできた――そんなのを映像なしの音だけで聴いておもしろいかと言われると、正直かなりビミョーだけど。
それから約20年、 Last Chance to See の20年後を追ったテレビ番組 Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams では、アマゾンマナティーは割愛されることなくちゃんと取り上げられていた。野生のアマゾンマナティーには会えなかったものの、保護センターでは会えた、等々。
ちなみに、上野の「大アマゾン展」では私はアマゾンマナティーは会えなかった。剥製も、骨格標本も、映像も、なし。じゃあ期待ハズレだったのかというと、そうでもない。アマゾンマナティーはいなかったけど、アマゾンカワイルカの模型と骨格標本と映像は堪能できたから。
アマゾンカワイルカは、確かに、アダムスの『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』には出てこない。でも、20年後の Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams には出てくる。このカワイルカ、興奮したり運動したりして血流がよくなると、何と体表がブルーグレーからピンクに変わるのだ。「大アマゾン展」では、ピンクのカワイルカがアマゾン川を泳ぐ様子が大型4Kシアターで映し出されていて、最前列に陣取って食い入るように観てしまった(挙げ句、ちょっと酔ったことは内緒だ)。
アマゾンカワイルカが展示されているコーナーには、世界のカワイルカが生息している場所を示す掲示もあった。先に書いた通り、『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』にはアマゾンカワイルカは出てこないけれど、同じカワイルカの仲間、中国のヨウスコウカワイルカなら出てくる。その当時、現地で保護され飼育されていたヨウスコウカワイルカ、チーチーの写真も載っている。本の中で、保護委員会のメンバーがアダムスたちに向かって、「わたしたちの世代で絶やすわけにはいきません。保護はわたしたちの義務です。たった二百頭しか残っていないのはわかっているのですから、防ぐ手だてを撃たなければ絶滅してしまうでしょう。そうなったら、子孫やのちの世代に顔向けができません」(p. 259)と語っていたが、あろうことか2015年の「大アマゾン展」のために用意された世界のカワイルカの分布図には、ヨウスコウカワイルカの名前はあるものの、「※ヨウスコウカワイルカは絶滅していると考えられている」の注意書きが付いていた。あああああ。
アマゾンを泳ぐピンクのイルカには、どうかヨウスコウカワイルカと同じ運命が待ち受けていませんように。『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』のヨウスコウカワイルカの写真を見て私が「あああああ」と頭を抱えたように、Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams の100年後の読者たちがアマゾンカワイルカの写真を見て「あああああ」と頭を抱えることになりませんように。
気を取り直して今回の更新もまた、ロビー・スタンプによる The Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきの続き。まだ終わりません。
ちなみに、5月21日に発売されたジェイムズ・ゴスによるノベライズ、Doctor Who: City of Deathは既に手元に届いているけれど、まだほとんど手つかず状態。来月の更新までに読めるといいけど、さすがにちょっと厳しいかな。
上野・国立科学博物館で6月14日まで開催中の「大アマゾン展」に行ってきた。
アマゾンの動植物に関する企画展と私のサイト、何の関係もなさそうだが実はそうでもない。BBCのラジオ番組 Last Chance to See の企画でアダムスはアマゾンに取材に出かけていて、アダムズらがアマゾンマナティーを探した際の様子が放送されている(書籍版の Last Chance to See(邦題『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』)ではアマゾンの件は割愛されてしまったが)。
私はこの番組自体は聴いたことがない。1989年当時、「インターネットで海外のラジオ放送を聴く」という方法は一般に普及していなかったものでね。でも、この時の放送の一部分が後に「Douglas Adams at the BBC」というCDに収録されたおかげで、アマゾン川のボートの上でアマゾンマナティーが見えたの見えないのと大騒ぎしている様子だけは聴くことはできた――そんなのを映像なしの音だけで聴いておもしろいかと言われると、正直かなりビミョーだけど。
それから約20年、 Last Chance to See の20年後を追ったテレビ番組 Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams では、アマゾンマナティーは割愛されることなくちゃんと取り上げられていた。野生のアマゾンマナティーには会えなかったものの、保護センターでは会えた、等々。
ちなみに、上野の「大アマゾン展」では私はアマゾンマナティーは会えなかった。剥製も、骨格標本も、映像も、なし。じゃあ期待ハズレだったのかというと、そうでもない。アマゾンマナティーはいなかったけど、アマゾンカワイルカの模型と骨格標本と映像は堪能できたから。
アマゾンカワイルカは、確かに、アダムスの『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』には出てこない。でも、20年後の Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams には出てくる。このカワイルカ、興奮したり運動したりして血流がよくなると、何と体表がブルーグレーからピンクに変わるのだ。「大アマゾン展」では、ピンクのカワイルカがアマゾン川を泳ぐ様子が大型4Kシアターで映し出されていて、最前列に陣取って食い入るように観てしまった(挙げ句、ちょっと酔ったことは内緒だ)。
アマゾンカワイルカが展示されているコーナーには、世界のカワイルカが生息している場所を示す掲示もあった。先に書いた通り、『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』にはアマゾンカワイルカは出てこないけれど、同じカワイルカの仲間、中国のヨウスコウカワイルカなら出てくる。その当時、現地で保護され飼育されていたヨウスコウカワイルカ、チーチーの写真も載っている。本の中で、保護委員会のメンバーがアダムスたちに向かって、「わたしたちの世代で絶やすわけにはいきません。保護はわたしたちの義務です。たった二百頭しか残っていないのはわかっているのですから、防ぐ手だてを撃たなければ絶滅してしまうでしょう。そうなったら、子孫やのちの世代に顔向けができません」(p. 259)と語っていたが、あろうことか2015年の「大アマゾン展」のために用意された世界のカワイルカの分布図には、ヨウスコウカワイルカの名前はあるものの、「※ヨウスコウカワイルカは絶滅していると考えられている」の注意書きが付いていた。あああああ。
アマゾンを泳ぐピンクのイルカには、どうかヨウスコウカワイルカと同じ運命が待ち受けていませんように。『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』のヨウスコウカワイルカの写真を見て私が「あああああ」と頭を抱えたように、Last Chance to See: In the Footsteps of Douglas Adams の100年後の読者たちがアマゾンカワイルカの写真を見て「あああああ」と頭を抱えることになりませんように。
気を取り直して今回の更新もまた、ロビー・スタンプによる The Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきの続き。まだ終わりません。
ちなみに、5月21日に発売されたジェイムズ・ゴスによるノベライズ、Doctor Who: City of Deathは既に手元に届いているけれど、まだほとんど手つかず状態。来月の更新までに読めるといいけど、さすがにちょっと厳しいかな。
この数ヶ月というもの、ロビー・スタンプによる The Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきをダラダラと訳していて、今回の更新もやはりその続きなのだが、その割にはこのコーナーではこれまで一度もあとがきの内容についてコメントしてこなかった。
その理由は簡単、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』が公開されて既に10年も経ったというのに、それでもこのあとがきを訳していると、当時の関係者各位の絶望感がひしひしと感じられて、思わず「あああああ」と頭を抱えたくなるからである。単に、映画化に難航したというだけの話ではない。今だからかろうじて言えるけど、2001年5月にアダムスが49歳の若さで突然の心臓発作に見舞われたのも、映画化企画が完全に行き詰まっていたことからくるストレスが一因だったのでは、と思わずにいられないからだ。
せめてもの慰めは、アダムスの死後に完成した映画が、一部の批評家や墓の下のアダムス本人が何と言おうと、少なくとも私の目から見て「これでよし!」な出来だったことか。さらに嬉しいことには、この映画で本人の予想に反して主役に抜擢されたマーティン・フリーマンが、10年後の今では、世界規模の知名度と人気を誇る俳優となった。私が言うのもなんだが、2004年にハリウッドのスタジオ側の懸念を押し切ってマーティン・フリーマンを主役に起用してくれた監督のガース・ジェニングスには、どんなに感謝しても感謝し切れない。
が、しかし。次から次へと大作、話題作、問題作に出演し続けるマーティン・フリーマンに対し、ガース・ジェニングスのほうは2作目の映画『リトル・ランボーズ』が2007年に公開されたきり、新作映画の話が全然入ってこない。レディオヘッドのPVを手掛けたりしているようだけど、ほぼ同世代で互いに友人同士でもあるイギリスの映画監督エドガー・ライトの快進撃と比べると、ちょっと寂しい。『リトル・ランボーズ』、私は結構好きなのにな。
と、思っていたら、どうやら新作映画の企画が固まりつつあるらしい。コアラが主役(?)のアニメーションでタイトルは未定、声の出演者として、『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒーが決定したとか。『怪盗グルー』シリーズを手掛けたイルミネーション・エンタープライズ製作、ということは、公開規模の大きい長編CGアニメになりそうだけど、どうか無事に完成までこぎつけますように。まったく、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』完成までの紆余曲折を考えると、声の出演者が決まったくらいでは全く楽観できないわ。
さらにネット検索をすすめてみると、何と今年の1月、ガース・ジェニングスは小説を出版していた。タイトルは、The Deadly 7。心の中の「7つの大罪」が身体の外に吸い出されてモンスターとなる(?)という設定のヤングアダルト小説で、イラストもガース・ジェニングス本人が手掛けている。ネット上の評価もかなり良さそうで、これは期待が持てる。というか、読むしかないでしょ!
ま、そうは言っても、今なおまだほとんど手つかず状態のDoctor Who: City of Death を読み終えてからの話なんだけどね……。
かくしていろいろなものが手つかずのまま、例年通り、2ヶ月の夏休みに入ります。夏休み後の更新では、今度こそロビー・スタンプによるThe Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきの日本語訳を完成させてみせるぞ!(と、先に宣言しておけば、私の性格上、これ以上先延ばしにすることはあるまい――多分)。
夏休み前に宣言した通り、今回の更新でロビー・スタンプによる The Hitchhiker's Guide to the Galaxy: Film Tie-in Edition のあとがきの日本語訳を最後までお届けする。
ああ、長かった。
でも、実を言えば、この長い長いあとがきも、夏休みの間に訳した後半部分は、前半と比べてはるかにラクだった。英文が急に簡単になったからでも、私の英文読解力が向上したからでもない。書かれている内容が、映画化企画が思うように進まなくてつらくて苦しい日々を綴ったものから、映画化企画がついに始動しスタッフやキャストにも恵まれて順調に撮影が進み、無事完成にこじつけるまでの日々を描くものに代わった途端、読んでいる私の気分が一気に向上したからである。
今となって振り返ってみても、最初の三分の二は読んでいてつらいばっかりだった。ずっと希望が見出せないままならまだいいが、「今度こそいけそう」と思った矢先に鼻先でドアがぴしゃんと閉められる、その繰り返しはキツい。挙げ句、本望を果たせぬままアダムス本人が急死するのだから、本当にキツい。
それにひきかえ、今回訳出した、監督候補としてガース・ジェニングスの名前が浮上した後の展開ときたら、これまでのトラブル続きが嘘のようなスムーズさ。そりゃ悪天候で撮影がスケジュール通りに進まない、といった程度の問題は起こるけれど、スタッフもキャストも一致団結して乗り切ろうとしている様子に心打たれずにはいられない。実際、その場にいたロビー・スタンプの心情をついうっかりリアルに想像して、思わず泣きそうになった。
映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』、原作ファンの中にも貶す人は大勢いるけれど、何度でも言う、私は大好き。そして、他でもないこのスタッフとこのキャストで映画を作ってくれたことにものすごく感謝している。本当にありがとう、ロビー・スタンプ!
さて、もう一つの夏休みの宿題だった(?)、ジェイムズ・ゴスのノベライズ Doctor Who: City of Death も、無事読了した。正直、ギャレス・ロバーツによるノベライズ Doctor Who: Shada ほどには楽しめなかったけれど、これはジェイムズ・ゴスが悪いというより、テレビドラマ Doctor Who: City of Death のストーリーの骨子をアダムスが Dirk Genlty's Holistic Detective Agency でばっちり再利用したせいで、テレビドラマ版そのものではなく、Dirk Genlty's Holistic Detective Agency の文章や構成と比較しながら読んでしまったからだ(特に冒頭の先史時代の地球のシーンとか)。アダムス自身の手によって、テレビドラマ Doctor Who: City of Death の不都合や不自然を改善し、Shada を含むさまざまな新しい要素を盛り込んで書き上げた Dirk Genlty's Holistic Detective Agency と比べられたら、そりゃジェイムズ・ゴスの分が悪すぎるというもの。
なお、アダムスが脚本を手掛けた『ドクター・フー』の残る1本、The Pirate Planet を、再びジェイムズ・ゴスがノベライズすることになったらしい。テレビドラマ版 Doctor Who: The Pirate Planet は、今観ると映像的にはかなり頭の痛い仕上がりだけど、場面とか台詞はおもしろかったし、何よりこの時のアイディアやストーリーをアダムスは後に他の作品で(あんまり)再利用してないから、今度こそ余計な比較に気を取られることなくジェイムズ・ゴスの手腕を楽しめるはず。発売予定は来年の2016年とのこと。首を長くして待っているよ!
そして今は、ガース・ジェニングスの小説 The Deadly 7 をKindleで読んでいるところ。電子書籍でも挿絵のイラストはちゃんと収録されていてありがたい。
2015.10.3. サラ・バラス「ボセス、フラメンコ組曲」
ここのところずっとダグラス・アダムス関連の話が続いているけれど、今回はアントニオ・ガデス関連の話。
シルバーウィークまっただ中の9月22日、「flamenco festival in Tokyo」として渋谷・東急シアターオーブにて上演された、サラ・バラスの「ボセス、フラメンコ組曲」に行ってきた。
フラメンコの公演を観ること自体、かなり久しぶりだった。新生アントニオ・ガデス舞踊団の来日公演以来、ってことは、約4年ぶり? 以前は、スペイン国立舞踊団の来日公演等に通ったこともあったけれど、観ればそれなりに感動するものの、やっぱり私はフラメンコそのものが好きというよりアントニオ・ガデス本人の舞踊とか振付が好きなんだなあと感じることも多く、ここ数年、何となく足が遠のいていた。だから、パルコ劇場プロデュースのメルマガが届き、「flamenco festival in Tokyo」という見出しを見た時も、「パルコでフラメンコ?」と思っただけだったが、「パコ・デ・ルシア、アントニオ・ガデスなど巨匠たちへのオマージュ」という煽り文句を目にした途端、「こ、これは絶対チケットを取らねば!」と手のひら返しすることに。
我ながら勝手なもんだ。
ともあれ首尾よくチケットを先行予約し、良い席を確保したまでは良かったが、公演前日、私にしては珍しく夜更かししてしまい、当日は居眠りするんじゃないかと内心ひやひやしていた。ちなみに、場内はほぼ満席、1階前方の私の周囲は見るからに本気のフラメンコファンだらけ。ろくすっぽ分かっちゃいない素人は私くらいだったかも。
ともあれ、そんな素人の私にもサラ・バラスの凄さは一目瞭然だった。ひとたび幕が開けば、あまりの巧さに感動とか感激の域を通り越し、あっけにとられてただ呆然。最後まで観ても、「す、すげえ……」という頭の悪すぎる感想しか出てこない辺りは心底情けないが、さすがスペイン一の人気を誇るだけのことはある、やっぱり本物は違う!
そしてカーテンコール。最初からそういう予定があったのかなかったのかはっきり分からないけれど、サラ・バラス本人が通訳の方をそばに呼び、スペイン語で挨拶された。踊っていた時の大迫力とはうってかわって、何というか、良い意味でとてもかわいらしい感じなのがすごく印象的で、そんな彼女が、挨拶の最後で、「この公演を、パコ・デ・ルシアとアントニオ・ガデスに捧げます」と言った時には、思わずほろりと泣いてしまった。
この公演自体は、カマロン・デ・ラ・イスタ、エンリケ・モレンテ、モライート・チート、カルメン・アマジャも含む計6名の巨匠へのオマージュとなっている。なのに、カーテンコールでサラ・バラスが敢えてパコ・デ・ルシアとアントニオ・ガデスの二人の名前だけを挙げたのは、彼女がこの二人と出会ったのはスペインではなく日本だったから。
そういうことが普通に起こるくらいに、多くのフラメンコのトップランナーたちが頻繁に来日してくれている。それは、日本にそれらの来日公演を可能にするだけの、本気のフラメンコのファンがたくさんいる、ということでもある。先に書いた通りのヘタレな私は、そういう方々に足を向けて寝られないよ!
閑話休題。私がパルコ劇場のメルマガに登録したのは、その昔、マーティン・フリーマン主演の舞台「The Last Laugh」のチケットを確実に取りたい一心からだった。以来、このメルマガの情報を活用してチケットを取ることは全くなかったが、このたび約8年ぶりで有効活用させていただいた。ありがたや。
そして今回の更新は、またしても映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の話。これまで、映画評やらキャストのインタビューやらロビー・スタンプの回想やらいろいろアップしてきたけれど、今回からは、The Making of The Hitchhiker's Guide to the Galaxy という本を下敷きに、「映画のメイキング」について順次紹介していきたい。「映画化までの道のり」と題して映画化決定までのプロセスを長々とした文章に綴ったことはあるのに、実際に製作された映画のメイキングそのものについては、これまでまとめて書いたことはなかったのよね。ったく、個人の趣味サイトとは言え、恐るべき情報のアンバランス。
映画『ギャラクシー街道』を観に行った。
あらかじめ断っておくと、三谷幸喜脚本は嫌いじゃない。むしろ好き。『笑の大学』とその英語版「The Last Laugh」、どちらも良かった。賛否両論あったNHKの大河ドラマ『新撰組!』も、毎週わくわくして観ていた。当然、来年放送予定の『真田丸』も大いに楽しみにしている。
が、三谷幸喜監督/脚本の映画だけは、これまであまり好きになれなかった。それでも、話題作だし人気もあるし今度こそきっと、と思い続けて映画館に足を運んでいたが、『ステキな金縛り』でついに力尽き、『清洲会議』はWOWOWで放送された時に録画して観て、「映画館で観なくて良かった」と思った。
そして、今回の『ギャラクシー街道』である。映画館で流れる予告映像だけで、私の好みじゃないことは容易に予想できた。だから、黙ってスルーすれば良かったのだが、問題はこの映画のタイトルだ。
何だか妙に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』と似てません?
ただの偶然、という可能性もある。「The Last Laugh」に主演したマーティン・フリーマンの当時の代表作が映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』だったことを思えば、三谷幸喜が『銀河ヒッチハイク・ガイド』を全く知らないというのは不自然な気もするが、三谷幸喜本人がオーディションして俳優を選んでいない以上、知らなくたって不思議はない。でも、もしこのタイトルの相似が偶然じゃなかったら? 三谷幸喜が、自身初のSF作品で『銀河ヒッチハイク・ガイド』をオマージュしていたら??
と、一人で悶々としていたところ、ツイッター経由で、「ぴあ映画生活」というサイトに掲載された三谷幸喜のインタビュー記事を教えていただいた。その記事によると、「そもそも『ギャラクシー街道』というタイトルは、名作SF『銀河ヒッチハイク・ガイド』を思い出せずにいた三谷監督が「えーっと、何とかガイド…、ガイド、あっ、街道!」という流れで決定したそうだ。」
……『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンとしては、喜ぶべきか悲しむべきか。
ともあれ、全く関係がないという訳ではないと分かったからには、たとえどれほど予告映像がおのれの趣味に反していようとも、奇跡の逆転を信じて映画館に行くしかない。パンフレットも買うしかない。後から「しまった、この映画はちゃんと映画館で観るべきだった、パンフレットも買っておくべきだった」と頭を抱えても手遅れなのだ。
そして結論から言うと――奇跡の逆転は起こらず、タイトルを除けば完全な無駄足だった。とは言え、映画のラストシーンで流れる曲のタイトルが「The End of the Universe/宇宙の果てまで」なのは、やはり何かしらダグラス・アダムスに含むところがあるのだろうか。だとしたら、『銀河ヒッチハイク・ガイド』について一切言及されていないパンフレットを買った意味も少しは出てくるのだけれど。
深呼吸して気を取り直し、今回の更新も映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のメイキングの続き。
CGではない着ぐるみ系のエイリアンがたくさん出てくるSFコメディ映画、という意味では、『ギャラクシー街道』も『銀河ヒッチハイク・ガイド』も同じなんだけどねえ。でも、作品の方向性は見事なまでに逆なんだよなあ。
現在、BBCでテレビドラマ『ドクター・フー』の第9シリーズが放送されている。主演は、12代目ピーター・カパルディ。このドラマだけは、いつどこで『銀河ヒッチハイク・ガイド』へのオマージュやら目配せやらが出てきてもおかしくないので、私は毎週目を皿のようにして観ているが、とりあえず現時点では直接的な言及はない――と思う。
が、しかし。2015年7月6日付のウェブ版ラジオタイムズの記事によると、『ドクター・フー』公式インスタグラムに“Answer to the question of life, the universe and everything in the galaxy”というラベルが貼られた意味ありげな青い瓶の写真があった、とのこと。ううむ、私の目が節穴で見過ごしたのか、第9シリーズの中にそれっぽい瓶が出てきた記憶が全然ない……それともこれから出てくるのか、あるいは単なる小道具係さんのジョークだった、とか、実際には使用されることなく終わった幻の企画だった、とか?
ともあれ、本日12月5日、イギリスでは第9シリーズ最終回が放送される。と言っても、時差の関係で日本では12月6日早朝になるため、残念ながら今回の更新の前に観ることは叶わない。さて、最終回に青い瓶は登場するのでしょうか? それともやっぱり出ないのでしょうか?
ああ、つい明後日の方向に期待が膨らんでしまうじゃないの。
ともあれ今回の更新は、前回と同様に映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のメイキングの続きだが、合わせて本当に幻で終わってしまった『ドクター・フー』30周年特別番組の話も追加。
実は先日、ツイッター経由で知り合った方に、イギリス・カーディフで開催されている「ドクター・フー・エクスペリエンス」という特別展に行かれた時のお話を伺う機会があり、そこで売られていた『ドクター・フー』50周年記念のフルカラーの冊子を見せていただいた。当然英語だし、その場でぱらぱらと流し見しただけでは分からなかった(正確には4代目ドクターことトム・ベイカーの紹介コーナーの文章だけ流し見し、その中にダグラス・アダムスの名前が出ていないことだけは取り急ぎ確かめた)が、私の眼光が鋭すぎたせいか、ご親切にも「良かったらお貸ししますよ?」と申し出てくださった。
普段の私なら一も二もなく飛びつくところだが、その時ばかりはためらった。何故かって? その方とは初対面も同然だったということもあるが、それより何よりその冊子にはピーター・カパルディのサインがあったからだ。それも、その方がカパルディ本人に直接会ってその場でサインしてもらったもの。そ、そ、そんな貴重なものをお預かりして、万が一にも粗相があったら、それこそお詫びのしようもないではないか!
……でも、「この冊子には絶対何かある」という自分の直感を無視できず、結局お言葉に甘えてお借りした。そして、「幻の30周年企画」のコーナーに思いがけずアダムスの名前を発見した、という次第、勿論、万が一の粗相も起こらず、無事に冊子をお返しすることができた。
今の世の中、何もかもがきな臭くなる一方だけど、ささやかな善意と信頼のネットワークもちゃんと機能しているんだなと思う。本当に、ありがとうございました。私も、機会があったらこのネットワークにお返ししなくちゃいかんよな。
さて、今年の更新も今回が最後。次回の更新は、2016年2月6日――ということは、おっと、2001年から始めたこのホームページもついに15周年だよ!