目次
2011.2.19. 10年間を振り返って 2011.3.6. 「生い立ちの記」スタート 2011.4.2. Weddekind? 2011.5.7. シリーズ6作目の日本語訳、発売決定 2011.6.4. 『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』上・下 2011.7.2. 「『銀河ヒッチハイク・ガイド』再訪」を読む 2011.9.3. 最新ニュースが、次々と 2011.10.1. ジェーン・ベルソン逝去 2011.11.5. Kindle4、購入 2011.12.3. イアン・マキューアンの盗作疑惑
自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
よろしければ、お付き合いください。
ついに来ました、10周年!
とは言え、率直な感想としては「え、もう10年になるの?」だったりする。歳をとるにつれ、月日の経つのがどんどん早くなる、というのは本当だ。それに、継続は力なり、10年も続けていれば少しは英語力が向上したり文章が巧くなってもよさそうなものだが、10年前と比べてちっとも進歩していない気もするし。
でも、10周年記念の今回の更新に向けて、過去10年分の同コーナーの目次を作ってみたら、私の能力アップ問題はさておくとしても、確かに10年分の月日が流れているんだなあと実感せざるを得なかった。たとえば、このホームページを設置した当初に使っていたマックは、(2002年2月23日付の同コーナーによると)1997年11月購入の Macintosh Performa 5440 で、ネット接続はアナログの電話回線だった。それが今では自宅にいながら Wi-Fi で無線接続だ。うむ、これは確かにたいした進歩ではないか。
他にも、たとえば2002年9月21日付をみると、嬉しそうに「DVDプレイヤーを買った」とか書いている。ってことはつまり、それ以前に購入した映像ソフトはDVDじゃなくてVHSテープだったってことで、映画作品はともかく、ビョークのビデオ・クリップ集『ヴォリューメン』をVHSテープで買ったことだけは今となっては本気で悔やまれる。さらにさらに、今じゃすっかり忘れていたけれど、プリンターなんか2002年12月にスキャナ・コピー機能付きの複合機に買い替えるまで、USB接続すらできない代物だった。USB以前の太くてごついケーブルなんて、イマドキの若者たちはひょっとすると見たことすらないのでは?
ハード技術だけでなく、ソフトの面でもこの10年で大きく様変わりした。このホームページを立ち上げた頃は、個人で自分のサイトを持つことが推奨、とまではいかなくても、そこそこ流行していたように思う。それがいつしかブログに変わり、SNSに変わり、そして今の主流はツイッターだ。だからと言って個人サイトやブログやSNSがツイッターに完全に淘汰された訳ではなく、今でもそれぞれに並立して存在していて、かく言う私も今じゃこのホームページとは別にブログとSNSを抱えていたりもする(たいして活用していないけれど)。ただ、2011年になって個人でHTML文書を作り、一からホームページをアップしようとする人は、10年前と比べて大幅減なのではないだろうか。
そう考えると、やはり10年というのはそれなりの年月なのだ。このコーナーの10年分の目次だけでなく、今回の更新ではダグラス・アダムスの死後10年分の関連年譜というものも新たに追加したが、この年譜に挙げたすべての本、すべてのドラマ、そして勿論映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』も、10年前には存在していなかったのだから。
さて、次の10年では、一体どんなものが新たにこの年譜に加わるのだろう。願わくば、これから先の10年間も、これまで同様に見守り続けたいものである。
ということで、今年もまた一年、よろしくお願いします。
と、言っておきながら、ここで唐突にお断りを申し上げなければならない。これまで過去10年に亘って、このホームページは、夏と冬の二ヶ月間の休みを除き、原則として毎週土曜日に更新してきたが、少なくとも2011年に関しては、毎月第一土曜日のみ更新させていただくことにする。これは、昨年末の人事異動で通勤時間が大幅に長くなったため、週に一度の更新ペースを維持するのがキツい、という切なくも世知辛い事情によるものだが、それだけでなく、これから更新していこうと考えている内容が、ちまちまと加筆していくよりもある程度まとまった形で追加したほうがいいのではないかと考えたせいでもある。
という訳で、次回の更新は3月5日。この日の更新に向けて、お正月時期からずっと鋭意努力中ですので、どうぞお楽しみに。
(当初は3月5日にアップするつもりで準備を進めていましたが、よんどころない事情により更新日が予定より1日遅くなってしまいました。すみません)
さて、このホームページの10周年達成を機に、今月から数ヶ月に亘り、ダグラス・アダムスの生い立ちを紹介していこうと思う。
第一回目の今回は、アダムスの父方の祖先について。「生い立ちの記」の冒頭にも書いた通り、このコーナーで書いた情報、とりわけ今回追加した部分は、基本的にアダムスの公式伝記によるものだ。2003年に出版されたこの伝記本を読んだ時から、「いつかは私も自分のホームページに書き加えねば」と思い続けて7年が経過、このたびようやく実行の運びとなった。
7年間も先送りにしてしまったのは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』が映画になったり新たな解説本が次々出版されたりと、他にも追加したい/しなくちゃならない新情報がたくさんあったから、という幸せな事情もあるけれど、無論それだけではない。本気でアダムスの生い立ちについて書くならそれなりの手間と準備が要るし、かと言って週に一度の更新ごとに20行とか30行とか少しずつ書き足していくというのもなんだしなあ、どうしたものかなあ、と決めかねていたせいでもあった。
で、昨年10月末、そろそろ10周年を迎える準備をしなくちゃ、でも何をどうしよう、と楽しく悩み始めた矢先、いきなり通勤時間の大幅増という予想外の事態に陥った。それでも11月中はこれまで通り週一度の更新を維持したが、同時に、この先も今までのペースで更新を続けるのはあまりにキツいということも分かった。せっかく10周年を迎えたのにこんな形で挫折するなんて、と落ち込まないでもなかったが、ここは一つ見方を変えて、更新頻度は月に一度に減らす代わりに、これまでずっと放置していたアダムスの「生い立ちの記」を短期集中連載したらどうだろう、と思い立つ。一ヶ月かけて準備するなら、毎回そこそこの長さの文章も用意できるだろうし、毎週更新しなくちゃというプレッシャーからも解放される。よし、この目標なら今の私にもどうにかクリアできそうだ。
世の中には、実現不可能としか思えない目標を敢えて設定することで自分を追い込み実力以上の能力を発揮、そのたびに大きく成長していく立派な人がごろごろいることは知っている。私はその逆、実現可能範囲内に目標を定めてそれを地道にこなしていくほうが好きだ。そんなぬるいことをやっているから10年経ってもちっとも進歩しないんだ、と言われればそれまでだけど、親や教師や世間に命じられることなく自分で自分のペースを決められるというのも、大人になった醍醐味ってもんでしょ。
という訳で、今後しばらく続く予定の「生い立ちの記」の月一連載をお楽しみいただけると嬉しい。書いている私自身、今回の父方編の執筆のために今まであまり関心のなかったスコットランドの歴史とかヴィクトリア朝の犯罪史といったものに思いがけず目を向けることができ、とても楽しかった。グラスゴーの銀行倒産なんて、こんなことでもなければ私の知ったこっちゃなかったもんな。
世の中には、仕事上に有益な資格とか試験のために勉強し、キャリアアップを目指す立派な人がごろごろいることは知っている。私はその逆、その時々の自身の興味に従って、そのジャンルの本を自分勝手に繙くほうが好きだ。
以前、専門学校を出て専門職についた元同僚が、私が文学部出身と知ると、「お金にならないことを勉強するなんてありえない」と言い切ったことがある。その時は、「世の中いろんな考え方の人がいるものだ」と思ったけれど、今のご時世を考えれば一銭の得にもならないことにこそ学ぶ喜びを見出す私のほうが少数派なのだろう。単に経済的に恵まれている、ということなのかもしれないが、図書館で長年誰からも見向きもされなかったような本を本棚から引っぱり出して嬉々としていられる、というのは、そもそも、ものすごく安上がりな人生でもあるんだけどね。
前回の更新でダグラス・アダムスの父方の先祖を紹介したのに続き、今回は母方の先祖を紹介する。東日本大震災による目下の時勢や状況にまったくそぐわない内容なのは承知の上で、敢えて更新することにした。節電には精一杯の努力をするし、買いだめには最大限の自制をするが、できる範囲で日常生活をきちんと維持することも、ある意味「震災に屈しないぞ」という意思表示になると信じて。
では、気を取り直して。
2003年に出版されたアダムスの非公式伝記を読むと、彼の母方の先祖についてこう書かれている。Douglas' most notable ancestor was his great-grandfather, a German actor-director with the unlikely name of Benjamin Franklin Weddekind (1864-1918) who predated the theatre of the absurd with his use of distorted scenes, broken dialogue and caricature.
これを一読しての私の感想は、「ドイツ人の俳優兼演出家? 有名人(notable)とか言われても、19世紀末だか20世紀初頭のドイツ人俳優兼演出家なんざ私は一人も知らない。大体、Weddekind なんて名前自体、どう日本語で表記するのかも分からない。そりゃドイツ演劇の世界では有名な人かもしれないけれど、この時代のドイツ演劇について日本語で書かれた本を探すだけでも面倒くさそう。やだなあ」。
で、それきりずっと放置していたのだが。
今回の更新を機に、ダメもとで「Weddekind」をネット検索してみたら、正体があっさり解明した。え、ヴェデキントって、ミュージカル『春のめざめ』の元の戯曲を書いた人だったのか。でもって、代表作『地霊/パンドラの箱』は岩波文庫に入っていたのか。って言うか、ミスター・シンプソンよ、一般人にヴェデキントを紹介するにあたって「俳優兼演出家」でも間違いではないだろうけれど、その前に何故「劇作家」と書いてくれない……?。
忘れもしない、今からちょうど1年半ほど前、私は劇団四季マニアの同僚に引率されてミュージカル『春のめざめ』を観たのだった。この作品については、2007年のトニー賞授賞式をテレビで観た時に初めて知って「ちょっとおもしろそうかも」と思っていたが、同僚に誘われなければ行かないままに終わっていたことだろう。いやほんと、アダムスのご先祖さまの作品に触れる貴重な機会を逸しなくて良かった。やっぱり人との縁は大事にしないといけないね(そういう問題か?)。
勿論、岩波文庫の『地霊/パンドラの箱』のほうにもすぐさま手を伸ばした。この時点では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』で博士論文を書いた Marilette Van der Colff が、アダムスとヴェデキントには共通するテイストがあるとか何とか書いていることも知っていたから、その辺りも意識して読んだのだが、率直に言って私にはどこが似ているのかさっぱり分からかった。それどころか、女性の描き方や性の取り扱い方などの面では、二人は対極的ですらある。それも、アダムスよりも約80年前のご先祖さまのほうが、この点でははるかに進取の気性に富んでいるのだ。アダムスがトリリアンを描くにあたって「僕にとって女性はいずれにしろとても謎めいていて、彼女たちが何を望んでいるのかさっぱり分からない。それで僕は女性を書くときにはひどく神経質になるんだ、何かとんでもない間違いを書いているんじゃないかという気がして」(Gaiman, p. 166)とか言っているのをヴェデキントが知ったら、子孫のふがいなさに頭を抱えたんじゃないだろうか、とか、つい要らぬことを考えてしまった。
何はともあれ、興味のある方はヴェデキント作品も合わせて是非ご賞味ください。私は、ミュージカル『春のめざめ』を観て、いわゆる「劇団四季ミュージカル」にしては意外と過激だなあと目を丸くしたけれど、『地霊/パンドラの箱』に至っては、読んでいてあまりの過激さに何度となく目がテンになったことを正直に白状しておく。
それから、「生い立ちの記」の続きとは別に、3人のイギリスの有名人、スティーヴン・ホーキング、スティーヴン・フライ、ラッセル・T・デイヴィスついてもそれぞれ加筆したので、こちらもご確認あれ。
前回の更新から10日後、久々に大ニュースが飛び込んできた。オーエン・コルファーが書いた小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ6作目 And Another Thing... の日本語訳が、河出文庫で出版される!
正直言って、私としては感嘆符を一つ付けたくらいじゃ物足りないくらいの驚きというか衝撃だった。勿論、手放しで嬉しいことではある。でも、順調に版を重ねているシリーズ1作目に比べ、シリーズ5作目の『ほとんど無害』が現在のところ再版されている気配のないのを鑑みると、シリーズ途中で挫折した読者が多いんだろうなあと思っていたから、アダムス本人が書いた訳でもない6作目が翻訳されるなんて全く期待していなかったのだ。
いやほんと、河出書房新社のご英断には感謝あるのみである。『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』上下二巻の発売日、5月10日まではあと3日。わくわくしながら待とうっと。
日本語訳と言えば、今年の冬、日本のLaLa TV というケーブルテレビ局でついに『ドクター・フー』第3シリーズが放映されることになったらしい。『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』の一報を知った時ほどではないが、これはこれでそれなりに驚いた。
2006年に第2シリーズまでNHKで放送されたものの、それきり打ち切りになり、こりゃ日本での放送は絶望的だなと思って泣く泣く2008年12月にイギリスで第3・第4シリーズのDVDを購入し、根性で最後まで観たっていうのに、何で今更この期に及んで、という気もすれば、根性で観ただけではよく分からなかったところもこれでクリアになるから良かったじゃないか、という気もする。とは言え、考えてみれば私はケーブルテレビには入ってないからこのままじゃ観られない。だからって日本語訳欲しさのためだけに新たにケーブルテレビに入るのか、後で日本版DVDが出たら確認が必要なエピソード分だけレンタルすれば十分じゃないのか、でももしDVDが発売されなかったらそれまでだしなあ……。
ひょっとして、有難迷惑とはこのこと? いえいえ、そうではありません、断じて違いますとも、ええ。
『ドクター・フー』と言えば、前回の更新で、シリーズの脚本家兼エグゼクティブ・プロデューサーのラッセル・T・デイヴィスについて加筆したが、追加した内容は本当に偶然、ネタ探しのつもりではなく単なる趣味として The Writer's Tale: The Last Chapter (2010) を読んでいて発見した。
この本は、タイトルからも分かる通り、2010年6月19日付の同コーナーで紹介したデイヴィスとベンジャミン・クックによるメール書簡集 The Writer's Tale (2008) の続編である。2008年版のほうは、アダムス製作のコンピュータ・ゲーム『宇宙船タイタニック』をモチーフにした『ドクター・フー』第4シリーズのエピソード 'Voyage of the Damned' に関する記述があることはあらかじめ分かっていたため、私の立場上(?)チェックしない訳にはいかないという事情があった。ただ、結果として内容のおもしろさにつられて『宇宙船タイタニック』とは関係ない箇所まで全部読んでしまった、というだけの話。それに引き換え、2010年に出された続編のほうは、これはもうダグラス・アダムスとの関連性はまったく期待できないと分かった上で、純然たる The Writer's Tale のファンとしてAmazon.co.ukに注文して取り寄せた――もっと言えば、この続編をより楽しむためだけに、Torchwood: Children of Earth というテレビドラマのDVDまで購入して観た。ここまでくると、もはや誰の何のファンなんだか分かりゃしない、と自嘲しながら。
それだけに、この続編の中で、デイヴィスが小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』30周年記念ペーパーバックの序文を依頼された時のことについて書いているのを見つけた時は、本当に嬉しかった。デイヴィスが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に寄せた序文自体、まさに「最高!」だったけれど、そもそも依頼されたこと自体について彼がどう思ったのかは前から気になっていたのだ。その答えが、よもやまさかこんなところにあったとはね。「何十時間もかけてこんなの読んでる場合か」とか何とか言ってないで、素直に続編にも手を出して大正解であった。
気を取り直して今回の更新は、ダグラス・アダムスの「生い立ちの記」の3回目。3回目にしてようやく、アダムスの両親を紹介する。
合わせて、今年2月にイギリスで発売されていたペーパーバック I was Douglas Adams's Flatmate and Other Encounters with Legends についても、ダグラス・アダムス関連の最新ニュースに追加した。こんなタイトルの本が出るなんて、イギリスではダグラス・アダムスの知名度は抜群に高いんだなあ――ま、もしアダムスではなく他の人の名前が選ばれていたら、私がこういう本があること自体にまったく気づかないままだった可能性もあるから、そういう意味では有難いの一語に尽きる、とも言えるんだけど。追伸/上記の文章をアップロードした約1時間後、地元の書店から「予約されていた本が入荷しました」との電話が入った。予約した時は10日か11日になるって言ってたのに〜、と心の中で叫びながら書店にすっとんで行って、そして今、『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』上・下巻を購入して帰宅したところ。さあ、この週末は何もかも放り出してこの2冊を堪能するぞ!
前回の同コーナーで追記した通り、5月7日と8日の週末2日間で、オーエン・コルファー著『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』上・下巻をあっという間に読了した。
今を遡ること約1年半前、原著 And Another Thing... を Amazon.uk. 経由でゲットして最後まで読み終えるには、精一杯頑張っても発売から1ヶ月以上かかったのに、日本語訳ならほんの数時間であっさり終わる。しかも、英語では辞書を引きつつ読んでもよく分からなかった箇所だって、当たり前だが日本語でなら何の苦もなく意味が取れる。というか、英語の語呂遊びのような箇所については、安原訳では毎度のことながらちゃんと説明書きもついている。ああ、何て有難い。
その一方、日本語訳で読んだ時の感想も、原著で読んだ時とそんなに変わらなかったことにはとりあえず安堵した。情けない話だが、2010年2月20日付の更新で原著の内容と感想を小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』のページにアップしたものの、このたび日本語訳で読んでみて印象や感想が全然違っていたらどうしよう、という不安もあったのだ。ところが、英語で読んでコルファーの手練なストーリーテリングを「巧い」と感じたところは日本語で読んでも「巧い」だったし、英語で読んで「うざい」と思ったところは日本語で読んでも「うざい」と思う。印象も感想も、英語で読もうが日本語で読もうが意外なくらい変わらない。中でも、英語で読んで数の多さにイライラさせられた "Guide Note" は、さっと読み流せる日本語訳の「ガイドによる注」になってもやっぱり数が多すぎてイライラする。アイディア豊富なのは分かったからさ、せいぜい半分に減らしてくれない?
とは言え、この豊富な「ガイドによる注」のおかげで『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』は上下2巻で発売される運びとなり、この2冊の両方にそれぞれ訳者あとがきがついているのはとても嬉しい。最初に分冊で発売されると知った時は、「分厚くなってもいいから1冊にまとめてくれればいいものを」と内心舌打ちしたけれど、そういうことなら話は別だ、分冊も悪くないじゃん、と手のひらを返す。実際、この訳者あとがきのおかげで、ボロクソにけなしている「サンデー・タイムズ」とは別に、リサ・タトルが「タイムズ」で絶賛している評のほうはまんまと見逃していたことに気が付くことができた。英米での発売当時、私も私なりにネット検索してめぼしい And Another Things... 評はことごとく漁ったつもりだったけど、本来なら一番最初にチェックすべき新聞評を素通りしていたとはね。我ながら情けない。
先にも書いたように、私はコルファーによる『銀河ヒッチハイク・ガイド』の続編を、訳者あとがきほどには手放しで絶賛できない。でも、一読する値打ちは十分あると思うし、何よりこの『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』を読むためにはシリーズ前5作を読まないことには始まらないから、オーエン・コルファー目当てで新たに『銀河ヒッチハイク・ガイド』を手にする人が一人でも増えてくれれば何よりだ。
さらに言えば、河出文庫『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズがすっかり定番商品となってくれれば、アダムスの他の作品、『ダーク・ジェントリー』シリーズとか『最後の光景』とかが翻訳される可能性だって出てくるかもしれない。もしそうなったら本当にすごい快挙なんだけど、そして願わくばこういうめでたい方向でこそ、「想定外」という言葉を思う存分使いたいんだけどな。
そして今回の更新は、ダグラス・アダムスの「生い立ちの記」の4回目。4回目にしてようやくアダムス本人が登場する。
それから、クライヴ・ブルームというミドルセックス大学名誉教授が書いた、イギリスのベストセラー解説本についても「Topics」欄に追加したので、こちらもよろしく。
2011.7.2. 「『銀河ヒッチハイク・ガイド』再訪」を読む
前回の更新でダグラス・アダムス関連の最新ニュースに載せた、クリスチャン・エルケンブレッヒャーによる研究論文 The "Hitchhiker's Guide to the Galaxy" Revisited: Motifs of Science Fiction and Social Criticism (直訳すれば、『銀河ヒッチハイク・ガイド』再訪 ―SFと社会批判のモチーフ―」って感じ?)を早速手に入れて読んでみた。
本当はその前に、昨年10月に発売された南アフリカの大学教員 Marilette Van der Colff が書いた論文 One is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe を読むべきなのだが、こちらは最初の数ページを拾い読みしただけで、いまだ手つかず。『銀河ヒッチハイク・ガイド』に見られる実存主義哲学云々、という一節に出くわすや否や、「こりゃ気合いを入れ直して読まないと手に負えないぞ」と、あっさり腰が引けてしまった。私としてもできればこの夏には決着をつけたいんだけれど、節電が叫ばれるこのご時勢に、クーラーなしの猛暑の中で難解な英語の研究論文を読み通せるかなあ……?
それに引き替え、The "Hitchhiker's Guide to the Galaxy" Revisited: Motifs of Science Fiction and Social Criticism の馴染みやすいこと馴染みやすいこと。この論文では冒頭にまず「SFとは何か」の定義付けが行われているが、この構成の流れは何のことはない、私の卒業論文とまったく同じなのだ。私の卒論の一部はリライトして「『銀河ヒッチハイク・ガイド』考」と題してこのホームページに載せているけれど、実際の卒論にはこの前にSFの定義と20世紀SF史の概略が付いている。ただ、読んでもつまらないしどうせ不首尾だらけだろうから、とホームページのほうでは割愛した。
そうそう、思い返してみれば私も卒論のためのゼミ発表の際に、「まずはSFの定義付けから始めろ」とゼミ担当教員に指摘され、でも結局自力じゃどうにもならなくて別の教員に泣きついて助けてもらったのだった。エルケンブレッヒャーは何人かの研究者によるSFの定義を並べた後、ブライアン・W・オールディスの『一兆年の宴』を持ち出して、"Science Fiction is whatever is been sold under the label SF"(日本語訳だと「便宜上それをサイエンス・フィクション≠ニいうラベルでくくっているだけ」(p. 16)となっている)と開き直っているけれど、いやあ当時の私も同じフレーズでぶち切れたかったよ。それもこれも今となっては懐かしい思い出だけど。
内容もさりながら、読みやすさという意味では、そもそも著者はドイツ人で英語ネイティブでないためか、英語自体が凝りすぎずくだけすぎずで分かりやすい。その点でも、私としてはすごく助かった。
さらに言うと、この論文では『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの中でも初期の作品、ラジオ・ドラマの第1・2シリーズと小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』および『宇宙の果てのレストラン』に的を絞っているところも、これまた私の卒論と同じだったりする。洋の東西を問わず、考えることはみな同じってことだね。おかげで、書き手の意図が汲み取りやすいったらない。
勿論、論文構成の初期設定が同じでも、切り口や論点まで同じということにはならない。なまじ上記のように論文の初期設定が似ているだけに、切り口の違いがより鮮明になる。ベタな言い方をすれば、「へええ、そう来るか」って感じ。詳細な内容については、Marilette Van der Colff の論文と共に改めて紹介したいと思うが、修士だの博士だのの学生やら教員やらが『銀河ヒッチハイク・ガイド』を論文のテーマに取り上げて認められるとは、ほんと、いい時代になったものだと思う。私が学士論文のテーマにすると騒いでいた頃は、ゼミ担任にもゼミ仲間にも「数年先には誰も憶えていないような、せいぜい一時の流行モノ」程度にしか受け取ってもらえなかったんだけどね。
が、しかし。いい時代にはいい時代なりの落とし穴がある。エルケンブレッヒャーの論文についての論評とか感想とかが見つからないかなあとネット検索していたところ、あるサイトでその他の研究者たちによる『銀河ヒッチハイク・ガイド』の論文が一般公開されていて、PDFの有料ダウンロードという形で手に入れることが分かった。そのこと自体はめでたい限りなのだが、問題はその値段。日本の Amazon 経由で購入したエルケンブレッヒャーの論文は、100ページかそこらの薄い冊子ながら5000円近い値段だったが、冊子の体裁にすらなっていない有料ダウンロードのPDFにもかかわらず、同じくらいの値段がついているのってどうなのよ――そりゃ1本の論文を買うだけならまだいいよ、でも何本もまとめてダウンロードするとなると、結構な金額になるんじゃないの?
ま、私の人生においてはこれも一種の必要経費、とうそぶく他ないか。ふうう。
気を取り直して今回の更新は、ダグラス・アダムスの「生い立ちの記」の5回目。今回は、アダムスの義母とその家族について紹介する。
それから。2011年に入ってからというもの、更新頻度をこれまでの週1回から月1回に減らして今日まで来たけれど、勝手ながら夏休みは例年通り2ヶ月取らせていただくことにする。という訳で、次回の更新は9月3日。
それではみなさま、良い夏休みをお過ごしください。追伸/2010年10月30日付の同コーナーで私が見たい見たいと騒いでいたイギリスのテレビ・ドラマ Sherlock が、NHKのBSプレミアムにて8月22日から3夜連続で放送されることに! 信じて待ってて良かった、もう嬉しすぎ。
2011年からこのサイトの更新頻度を週に一回から月に一回へと減らした。にもかかわらず(?)、2011年は何だか思いがけないハイペースで次から次へとダグラス・アダムス関連のビッグ・ニュースが舞い込んできているような気がする。
今年5月に発売されたオーエン・コルファー著『新 銀河ヒッチハイク・ガイド 上・下』は私には大事件だったが、それ以上に驚いたのが『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(みすず書房)の発売である。2011年6月4日付の同コーナーで期待を込めて「もしそうなったら本当にすごい快挙」と書きはしたものの、何せ原著の Last Chance to See... が出版されたのは今から約20年も前のこと、正直言って実現するとは思っていなかった。取り急ぎ、読書用と保存用と貸し出し用として計3冊を購入した後、今は夏休み中だけど9月の次回更新予定日まで待ってなんかいられない、と、直ちにダグラス・アダムス関連の最新ニュース欄を更新した。
Last Chance to See... の日本語訳は、以前、小泉麻耶によるCD-ROM版で読んだことはある。が、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの翻訳ですっかりお馴染みの安原和見訳で読むとなると、感慨もまたひとしおだ。原著に入っていた写真はちゃんと採録されている上、原著が発売されてから20年経つからという理由で『これが見納め』のためだけに新しく追加された注釈もあったりして、さすがはみすず書房、実に丁寧な作りである。ああ、ありがたやありがたや。
ところで、私が『これが見納め』の発売を最初に知ったのは、2011年7月24日付の朝日新聞朝刊1面の広告欄だった。たまにこういう大当たりが来るから、時代錯誤と思われようと紙の新聞は止められない。
と、古いメディアを引きずる一方、この夏、新しいメディアにも首を突っ込んでみることにした。ツイッターのアカウントを取得したのである(今更ツイッターのどこが「新しい」んだ、と言う声が聞こえる気もするが、気にしない気にしない)。
おっかなびっくりツイッターを始めてから数週間が経った頃のこと。ようやく少し操作に慣れてきて、ダグラス・アダムス関連人物の中でツイッターをやっている人たち、スティーヴン・フライとかマーク・カーワディンとかマリー・フィリップスらを「フォロー」しておもしろがっているうちに、アダムスのエージェント、エド・ヴィクターのアカウントを発見した。で、軽い気持ちで拾い読みしてみたところ――ちょっと待て、『ドクター・フー』'Shada' のノベライズ出版決定って何?!
エージェント自らがつぶやいているくらいだからガセネタではないと思ったけれど、一応あちこちネット検索し、ウェブ版ガーディアンで2011年3月24日付の記事になっているのを確認して、ようやく「これは冗談じゃないんだ、本当に小説版'Shada' が出るんだ」と実感する。そして、今は夏休み中だけど9月の次回更新予定日まで待ってなんかいられない、と、直ちにダグラス・アダムス関連の最新ニュース欄を更新した。
予定通り、2012年3月に出版されますように。
上記2つのニュースほどのインパクトはないし、「最新」というにも古すぎる話だが、この他にも夏休み中にネット検索していて、ある種の『銀河ヒッチハイク・ガイド』の新刊情報を見つけた――ドイツ・レクラム百科文庫版『銀河ヒッチハイク・ガイド』(2008)。
レクラム百科文庫と言えば、岩波文庫が範としたことでも知られるドイツの由緒正しき文庫本シリーズ。そのシリーズに、かのゲーテやシラーと並んで『銀河ヒッチハイク・ガイド』も入ったって?!
Amazon.de を使わなくても Amazon.co.uk 経由で注文できたのを幸いに、早速取り寄せてみる。ドイツ語がまったく読めない私がレクラム百科文庫を購入するなんて、後にも先にもこの1冊だけにちがいない。
果たして、私の手元に届けられたレクラム百科文庫版『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、本文はドイツ語訳ではなく英語の原文のまま収録されていた。ただし、各ページには英単語の説明や注釈がついており、巻末には詳細な作品解説やアダムスの年譜、参考文献も添えられている。ドイツ語が読めなくても、英語の固有名詞を拾い読みするだけで、その内容がいかに充実しているかが私にも分かる。さすがは天下のレクラム百科文庫、だ。
それにしても、普通の『銀河ヒッチハイク・ガイド』のドイツ語訳ペーパーバックばかりかこんな本まで発売されるんだから、ドイツにおける『銀河ヒッチハイク・ガイド』人気の高さが伺われるというものである。そしてまたこういう本が出るからこそ、前回の同コーナーでも触れた、クリスチャン・エルケンブレッヒャーの研究論文みたいなものも書かれたり出版されたりするんだろう。
そんなドイツの現況が羨ましいと言えば羨ましいが、ま、このサイトを立ち上げた2001年の頃を思えば、今の日本だってたいしたものだ。『これが見納め』は発売されたし、河出文庫の『銀河ヒッチハイク・ガイド』は11刷にたどり着いたし、シリーズ5作目『ほとんど無害』もついに重版されたし。
日本でもようやく時代が私に追いついた、とか、言ってみる?
寝言はさておき、今回の更新ではアダムスの生い立ちの記は一休みして、この半年間で溜まった情報をまとめて追加したり加筆したりした。その中には、勿論、レクラム百科文庫やエルケンブレッヒャーの研究論文の詳細も入っている(詳しくは更新履歴コーナーでご確認あれ)。
よろしければ、ご一読ください。
2011年9月7日、アダムスの未亡人ジェーン・ベルソンが亡くなった。享年59歳。
この悲しい事実を私が最初に知ったのは、ツイッターだった。駅のプラットフォームで電車が来るのを待ちながら、iPhone のツイッター・アプリを操作していた時、ジェーンの死を知らせるツイートを見つけ、反射的に「えっ?」と声が出た。そのツイートには、彼女の訃報を載せたウェブページへのリンクがあって、リンク先のウェブページを読んでもなお、私は半信半疑だった。むしろ、「私が英語を読み間違えているのかな?」と首をひねり、'pass away' という英熟語を別の iPhone アプリで検索したくらいだ。どうやら私の英文読解は間違っていないらしい、と分かってからも、情報の行き違いから生じた誤報か何かじゃないだろうか、と思った。
でも、誤報じゃなかった。
その後の追加情報によると、ジェーンは乳ガンで数ヶ月の闘病生活を過ごし、眠っている最中に安らかに息を引き取ったらしい。ああ、まだ59歳の若さなのに。というか、一人娘のポリーはまだたったの17歳なのに、父親に続いて今度は母親までも亡くなってしまうなんて!
正直に言うと、私はオーエン・コルファーによる小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』6作目は、「書かれる必要はなかった」と思っている。箸にも棒にもひっかからない駄作、とまでは言わないが、あまり意味のない蛇足にすぎなかった、と。そして、前回の更新で最新ニュースとして追加した『ドクター・フー』'Shada' のノベライズ出版についても、第一報を受けた時は咄嗟に「今さらどうして?」と思った(ま、こちらはまだ実際に読んでないから、「必要ない」とまでは言わないけどね。実際、『銀河ヒッチハイク・ガイド』6作目よりは、おもしろい作品に仕上がる可能性も高そうな気がするし)。
が、ジェーン・ベルソンが亡くなった今となっては話が別だ。かくなる上は、父親の名前で印税やら契約金やらを稼げるだけ稼いでください。勿論、17歳の若さで両親と死別するつらさはお金には換えられないと分かっているけれど、そのつらさがほんの少しでも軽減することを祈っています。
――と、イギリス在住の赤の他人についてこんなことを考えていてふと我に返ると、何だか自分がファンとかマニアの域を越えて、ストーカーにでもなったような気がしてくる。とりわけ、今年に入ってから更新を続けているアダムスの「生い立ちの記」の続きを準備していると、勝手な想像で他人の家庭をああでもないこうでもないと書き連ねることが、何だかひどく罰当たりな行為に思えてならない。
なので、当初の予定では今回の更新で「生い立ちの記」の続きをアップするつもりだったけれど、急遽内容を変更し、この夏アメリカでウェブ投票された「SF&Fベスト100」を紹介することにした。合わせて、「Topics」コーナーに本を2冊(1冊はアダムスおすすめ本で、もう1冊は『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出てくる科学解説本)も追加。
それから、さらなるダグラス・アダムス関連の最新ニュースとして、iPad や iPhone 対応の『銀河ヒッチハイク・ガイド』アプリを紹介する。この秋リリース予定らしいが、先に書いた通り今の私は iPhone ユーザー、おかげでいつ発売になってもさくさくダウンロードできる。へへへ、私にしては珍しく余裕だ――というか、開発が遅れてずるずる先延ばしになった挙げ句、「iPhone 4S 以上のマシンを推奨」なんてことにならないよう、スケジュールを守って早いとこ発売してくださいね。追伸/2011年9月11日付の朝日新聞朝刊に、『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(みすず書房)の書評が出た。朝日新聞の書評欄になら絶対に出るだろうと信じていたので、見つけたからと言って驚きはしなかったが、でも嬉しいことに変わりはない。どうかこの本が、一人でも多くの人に届きますように。
そういう意味では、私としては感謝こそすれ文句など言えた義理ではない――と思うのだけど、だから書くべきかすごく迷ったけれど、でも本気のファンとしてはどうしても看過できないことがあったので、やっぱりここで書いておこうと思う。
書評を書いた斎藤環氏いわく、原著の出版は一九九〇年、英米では広く読まれたこの名著が今まで翻訳されなかったのは不可解なことだ。「SF作家」の肩書が邪魔したわけではないと信じたいのだが。
「不可解」とまでお書きになるからには、斎藤環氏も当然『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』が出る以前から Last Chance to See のことをよくご存知だったんだろうけれど、それにしては、
それでも「かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまう」とアダムスは言う。「生物多様性」の大切さについて、これほどシンプルで説得力のある言葉をほかに知らない。
あのう、「かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまう」と書いたのは、アダムスではなくマーク・カーワディンなんですが!
9月末日、Amazon.com で発売されたばかりの Kindle, Wi-Fi, 6" E Ink Display - for international shipment、通称 Kindle4 を購入した。
電子書籍リーダーについては、「電子書籍元年」とマスコミで騒がれた2010年頃からずっと気になってはいた。モノとしての本、紙の本は大好きだが、日本で出版された日本語の本はともかく、海外で出版され海外から輸入される洋書の類に関しては、紙媒体で買うよりデジタル媒体で買うほうがエコなんじゃないだろうか。何より、発売から待たされることがないというのもいい。
本当なら、マックユーザーで iPhone ユーザーでもある私としては迷わずiPad、と言いたいところだ。しかし、日本ではいつまで経っても iBooks アプリで買える本が増える気配がない(ったく、どこが「電子書籍元年」なんだよ、もうじき2011年も終わろうというのに!)。おまけに、カバンに文庫本を入れるような感覚で持ち歩くには、私にとって iPad は重すぎる。そもそも、iBooks アプリだけなら iPhone にもインストールできるから、そうなると今の段階では電子書籍リーダーとしての iPad にはさほどありがたみがない。
それにひきかえ、Kindle なら Amazon.com で販売されているキンドル・エディションの本は何でも購入可能だ。すべての本がキンドル・エディションになっている訳ではないけれど、新刊は勿論、めぼしい本のほとんどが網羅されている。おまけに、Kindle の本体価格も、iPad よりはるかに安い。
が、しかし。私が購入する洋書のほとんどはダグラス・アダムス関連のコレクションであり、コレクションである以上、たとえ電子書籍媒体で発売されていたとしても、私は紙媒体を取り寄せるほうを選ぶ。としたら、Kindle 本体を買ったとしても、結局は宝の持ち腐れで終わるんじゃないだろうか。iPad なら、電子書籍リーダー以外の活用法もいろいろあるけれど、Kindle はそうじゃない。それに、いくら iPad より安いと言っても、Kindle だってタダじゃないのだ。Kindle 本体分の値打ちを取り戻すほどに、私は洋書を読むのだろうか……?
と、悶々を悩み続けた末、このたび思い切って Kindle 購入に踏み切った理由はいくつかある。
まず、現在のとんでもない円高水準。その割には輸入食品や輸入雑貨の値段がいつまで経っても一向に下がらない(成城石井とか BODY SHOP とか)ことが解せない私としては、直接的に円高の恩恵を受けられる数少ない機会を利用しない手はない。
それから、ネット上の友人から教えてもらったのだが、今の Kindle には、(有料で別途ダウンロードした)英和辞書を組み込むことができること。カーソルをその単語の上に移動するだけで、画面の上部または下部にその単語の日本語訳が表記される、つまり、もはやいちいち辞書を引くことなしに洋書が読める。これは凄い。というか、これに慣れたら、もはや紙媒体では読めなくなるかもしれん。
そして、キンドル・エディションの電子書籍 Douglas Adams: The First and Lost Tapes の発売。前回の更新でダグラス・アダムス関連ニュースに載せたように、Kindle 本体を持っていなくても、パソコンやフマートフォンに、キンドル・アプリをインストールすれば読むことはできる。でも、こういうマニアックな本は、今後ますます電子書籍のみの発売になるにちがいない。だったら、いつまでも迷っていないで、そろそろ買い時なんじゃないだろうか……?
と、揺れに揺れる私の心にとどめを刺したのが、Kindle4 発売のニュースである。従来の Kindle3 より軽くて薄くて値段が安い。その分、メモリが少なくなったが、3000冊の容量が1400冊になった、と言われても、そもそも100冊読むかどうかも怪しい私にとっては関係ない。音声機能もなくなったけど、聴くより読むほうがはるかにマシだから、これもオッケー。また、現在売り出されている機種では通信は Wi-Fi のみで3Gは使えないが、これまた自宅が Wi-Fi 仕様の私にはほぼ問題なしだ。
ということで、Kindle4を手に入れてから約一ヶ月が過ぎた。実物に触ってみると、思った以上に軽くて薄い。惜しむらくは、iPhone や iPad に比べると、Kindle はハッとするほどの美しさに欠けることくらいか。とは言え、Kindle のイーインクのほうが iBooks よりも読んでいて目が疲れないし、予想した通り日本語辞書機能はすこぶる快適だしで、電子書籍リーダーとしての実用本意で考えれば、やっぱり Kindle の圧勝なのであった。
……と、何だか今回は Kindle の話ばっかり書いてしまったけれど、Douglas Adams: The First and Lost Tapes もマニアにとってはかなり興味深い内容を含んでいたことを今さらながら付け加えておく。しかし、電子書籍から引用した文章を載せる場合、ページ数を付けられないのが不便だなあ。
そして今回の更新は、以前にPDFで購入したクリスチャン・シュレーゲルのセミナーペーパー「『銀河ヒッチハイク・ガイド』における宗教と無神論について」を紹介。それから、ダグラス・アダムス関連人物としてドン・カラムを新たに追加すると共に、アダムスのエージェント、エド・ヴィクターについても加筆したので、こちらもよろしく。
イアン・マキューアンは、私にとって、新作の日本語訳が出れば迷わず読みたいと思う小説家の一人である。初期の過激でエグい(という評判の)作品群は読んでいないが、新潮クレストブックスに収録されている作品は全部読んだし、『つぐない』の邦題で映画化された『贖罪』も読んだ。なので今秋、新潮クレストブックスの新刊として出版されたマキューアンの最新作『ソーラー』にも、ほとんど条件反射のように手を出した。
主人公はノーベル物理学賞を受賞したことのある科学者マイケル・ビアード。風采はあがらないし性格もよろしくないし、若い頃の業績で得た「ノーベル物理学賞を受賞」の肩書きだけで役職や女を手に入れて生きているような、ろくでもない男である。自身のだらしなさが原因でさまざまなトラブルに見舞われることになるが、すべて自分に都合の良いように解釈し、どこまでも自分に甘い。読んでいて、ビアードのあまりの身勝手さに笑い、でも考えてみれば自分も「ノーベル物理学賞を受賞」って言われるとそれだけでつい平伏しちゃうよな、とも思い、楽しくページを繰りながら小説の半ば近くまで進んだまでは良かったのだが、155ページまでたどり着いたところで、突然、冷水を浴びせられたみたいに凍り付いた。
列車の中で、ビアードと見知らぬ同乗者が向かい合って座っている。ビアードがポテトチップスの袋をあけて食べ始めると、その同乗者はやけにしげしげとビアードを見つめる。と、彼が目を上げたとき、例の同乗者が前に乗り出し、依然として不気味にじっとこちらを見つめたまま、テーブルの両肘を突くのが見えた。おそらく、わざと彼の真似をしているのだろう。それから、片方の前腕をクレーンみたいに袋のほうに倒すと、ポテトチップスを一枚盗んで――たぶん袋のなかのいちばん大きな一枚だ――、それを一、二秒顔の前に掲げてから、ぱくりと食べた。
こ、これって『さようなら、今まで魚をありがとう』に出てくるリッチティー・ビスケットの話じゃないの? まさか、本当に同じオチがつくってことは――うわああああ、本当にオチまで同じじゃないか!
ありがちと言えばありがちなエピソードである。私だってこのエピソードはアダムスの専売特許だとは言わないし、マキューアンを盗作だと糾弾するつもりもない。盗作どころか、すごく良く書けていて「さすが」とさえ思う。ただ、マニアとしては知っておきたい――マキューアンは『さようなら、今まで魚をありがとう』を知った上で敢えて転用して書いたのか、あるいはただの偶然だったのか。
で、ここまで読んだ段階で、私はインターネットで "Solar McEwan Douglas Adams" で検索するという愚挙に出た(せめて最後まで読んでから検索しようよ、という意味での「愚挙」ね)。そして、2008年にヘイ・フェスティバルで起こった事件を知る。事件の概要について、詳しくは今回の更新でダグラス・アダムス関連人物にイアン・マキューアンを追加したのでそちらを読んでいただくとして、ううむ、さすがはイギリス、せいぜい数百人程度の一般読者の集まりだっただろうに、それでもちゃんと『銀河ヒッチハイク・ガイド』に気付いて指摘する人がいたとは。
それにひきかえ、日本の代表的な文芸雑誌『文學界』2011年12月号に掲載された『ソーラー』の書評を読むと、「文学史に是非記録したいと思うほどの名場面、名描写が満載で(「電車で向かい席の男に自分のポテチを食われてしまう事件」などは笑いなしに読むのが難しい傑作)、これだけ楽しませてくれれば十分との気分にもなる」(p. 303)。この書評を書いた阿部公彦氏は、少なくとも『ソーラー』を初めてお読みになった時点では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のことはあまりご存知なかったにちがいない。ったく、あの場面を読んで能天気に笑えるなんて羨ましいよ!
ウィキペディアによると、阿部氏は1997年にケンブリッジ大学大学院英米文学専攻博士課程を修了したとのことだが、「そうか、ケンブリッジ大学に在学したことがあってもダグラス・アダムスを知らない人は知らないんだね」などと嘆く私のほうが絶対的に間違ってる。ましてや、「ケンブリッジ大学で英米文学を専攻したなら、ダグラス・アダムスはちゃんと押さえておけ」というのは言いがかりも甚だしい――と頭では分かってるんだけど、でも今回の件でまたしてもイギリスと日本での『銀河ヒッチハイク・ガイド』の認知度の差を再確認させられたようで、やっぱりちょっと切ないぞ。
気を取り直して今回の更新では、ダグラス・アダムス関連人物にイアン・マキューアンと共にジョナサン・サイモン・ブロックを追加した。ついでに、ジョナサン・サイモン・ブロックとの絡みで、「Topics」欄に「ブロッキアン・ウルトラ・クリケット」も追加。
さらに、久しぶりにアントニオ・ガデス関連の最新ニュースを更新した。フラメンコ・ワールド・コムから届いたメルマガによると、アントニオ・ガデス舞踊団のDVDおよびブルーレイが発売されたらしい。これだよ、これこれ、私はこれを待ってたの!それから。年内の更新は今回が最後、例年通りまた二ヶ月の冬休みを取らせていただきます。という訳で、次回の更新は2012年2月4日。来年もまた、どうぞよろしく。