ダグラス・アダムス年譜 後半(1977年-2002年)

 この年譜は、あくまで参考資料とお考え下さい。最大限の注意を払って作成したつもりですが、入力ミスその他の誤りがまだまだ含まれているはずです。
 日付のはっきりしている事柄については、大小を問わず掲載しました。また、日付のはっきりしていない事柄については、表の掲載順に誤りがある可能性が高いので、くれぐれも鵜呑みにしないで下さい。

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家系図

出 来 事
1977 1 12 アダムスが書いた The Burkiss Way 用の脚本が、第7話として放送される。実は第6話分も依頼されていたが、やはり締切が守れずようやく書いた4分間分が第8話に採用された。
1977 1 19 Radio2のコメディ The News Huddlines が放映される。アダムスはこの番組にほんの数十秒の短編ギャグを書いて採用され、2ポンドを受け取った。
1977 2 4 サイモン・ブレットと会うため、ドーセットに行く。
1977 3 3 'kamikaze' の The Burkiss Way への採用と、ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』試作版(30分)の脚本執筆についての契約が成立。
1977 4 4 サイモン・ブレットに『銀河ヒッチハイク・ガイド』試作版の脚本を渡す。
1977 6 8 試作版の録音開始。
1977 6 27 効果音の録音と、役者の声を合体させる作業が行われる。
1977 7 - 試作版の脚本を「ドクター・フー」の脚本編集者ロバート・ホームズに送り、脚本執筆の仕事がもらえないか打診する。
1977 7 - 「ドクター・フー」のプロデューサー、グレアム・ウィリアムズから、脚本 'The Pirate Planet' 4話分のアウトライン執筆を依頼される。
1977 8 22 'The Pirate Planet' 4話分のアウトラインを書き上げる。
1977 8 31 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』全6話の製作許可が出る。
1977 11 1 「ドクター・フー」'The Pirate Planet' 第1話の原稿を渡す。
1977 11 1 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』収録・放送日程が決定する。
1977 11 9 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』収録開始。
1977 11 23 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』収録。
1977 12 13 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3話収録。
1978 1 26 「ドクター・フー」'The Pirate Planet' 第2〜4話の原稿をに渡す。
1978 2 21 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第5・6話収録。
1978 2 28 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第5・6話収録。
1978 3 3 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第6話のミキシング終了。
1978 3 8 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第1話放送。
1978 3 15 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第2話放送。
1978 3 22 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3話放送。
1978 3 29 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第4話放送。
1978 4 5 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第5話放送。
1978 4 12 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第6話放送。
1978 4 23 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』再放送開始。
1978 5 - BBC Radio の Weekending のプロデューサーに就任(ただし5回分のみ担当して、すぐ前任者に引き渡すことに)

1978

5

-

BBCラジオ4の軽演芸部門のプロデューサーに就任(ただし半年後に退職)
1978 5 - 「ドクター・フー」'The Pirate Planet' の撮影開始。
1978 8 2 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』クリスマス・スペシャル及び第2シリーズ執筆を承諾。
1978 8 10 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』ペーパーバック出版を Pan Books と契約をする(ハードカバーはArthur Baker Ltd. )。
1978 9 - 「ドクター・フー」脚本編集者に就任(1980年1月まで)。
1978 9 30 「ドクター・フー」'The Pirate Planet' の放映開始。
1978 11 20 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』クリスマス・スペシャル収録。
1978 12 24 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』クリスマス・スペシャル放送。

1978

12

25

「ブラック・シンデレラ2」放送。
1979 3 16-19 「ドクター・フー」の脚本家の一人が執筆不可能になったため、プロデューサーのウィリアムズと一緒に仕上げる。'The Gamble with Time' というタイトルは、'City of Death' に変更された。
1979 5 1-9 Science Fiction Theatre of Liverpool による舞台『銀河ヒッチハイク・ガイド』がロンドンのICAにて上演される。
1979 5 - 「ドクター・フー」初の海外ロケのためフランスへ行く。
1979 5 29 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の試作版の脚本を依頼される(締切は8月1日の予定だった)。
1979 8 23-27 World Science Fiction Convention に参加。
1979 9 28 「ドクター・フー」'City of Death' の放映開始。
1979 10 11 「ドクター・フー」'Shada' の脚本を脱稿。
1979 10 - 「ドクター・フー」'Shada' の撮影を、ケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジで開始(ただし、製作は途中で中止となった)
1979 10 12 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』発売。
1979 10 31 ロンドンのSF専門店 Forbidden Planet にてサイン会を行う。
1979 11 1 Sunday Times のベストセラー・リストのペーパーバック部門で1位になる。
1979 12 3 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第10話収録。
1979 12 - 『銀河ヒッチハイク・ガイド』レコード発売。
1980 1 3 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第11話収録。
1980 1 13 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第12話収録。
1980 1 15 Theatr Clwyd による舞台『銀河ヒッチハイク・ガイド』がウェールズの劇場にて上演される(2月23日まで)。
1980 1 21 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第8話放送。
1980 1 22 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第9話放送。
1980 1 23 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第10話放送。
1980 1 24 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第11話放送。
1980 1 25 ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第12話放送。
1980 3 26 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』ロケ撮影開始。
1980 4 - Radio4の Quote...Unquoter にパネリストとして出演
1980 6 7 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』スタジオ撮影開始。
1980 7 1 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』試作版をNational Film Theatre にてテスト公開。
1980 7 15 Rainbow Theatre Production による舞台『銀河ヒッチハイク・ガイド』上演開始(8週間の予定だったが、あまりの不評のため4週間で打ち切りに)。
1980 9 - グラスゴーにて『銀河ヒッチハイク・ガイド』のコンベンションが開催される。
1980 10 - 小説『宇宙の果てのレストラン』発売。
1980 10 - アメリカで小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』(ハードカバー)が発売される。
1980 - - 『宇宙の果てのレストラン』レコード発売。
1980 11 - セント・アンドリュー大学の講演会に参加。作家サリー・エマソンと出会う。
1981 1 5 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第1話放映。
1981 1 12 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第2話放映。
1981 1 19 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第3話放映。
1981 1 26 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第4話放映。
1981 2 2 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第5話放映。
1981 2 9 テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』第6話放映。
1981 2 - サリー・エマソンとニューヨークで再会、交際を始める。
1981 3 - ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』がアメリカの National Public Radio にて大々的に放送される(6ヶ月後に再放送された)。
1981 7 10 小説『宇宙クリケット大戦争』執筆の契約にサインする。

1981

9

-

サリー・エマソン、夫との家を出てアダムス宅に来る。
1981 10 - アメリカで小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』(ペーパーバック)が発売される。

1981

12

-

サリー・エマソン、アダムスの許を去る。
1982 8 - 小説『宇宙クリケット大戦争』、英米同時発売。
1982 9 - 『新・地名辞典』執筆のため、LA近くにある Malibu のビーチハウスを借りる。共著のジョン・ロイドが執筆にいそしむ一方、アダムスは『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化権の交渉に忙しかった。
1982 12 20 ロンドン・Evening Standard にて、アイヴァン・ライトマンが『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化権を取得し、自身がプロデューサーとなることを条件にコロンビアに売った事実が公表される。
1983 - - 映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本執筆のためLAに渡り、Coldwater Canyon 近くに家を借りる。
1983 - - 映画の脚本をめぐってプロデューサーと折り合いがつかないまま、ロンドンに戻る。
1983 11 1 小説『さようなら、いままで魚をありがとう』執筆の契約にサインする。
1983 11 - 『新・地名辞典』発売。
1983 - - インフォコム社とコンピューター・ゲームの製作で合意。当初の契約では、『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズ2作と、その他の4作の、計6作が製作されることになっていた。
1984 1 12 小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』で Pan Golden award を受賞。ケンジントンの高級クラブでパーティが開かれた。
1984 2 - コンピュータ・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』製作のため、マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在。
1984 - - 小説執筆のため、デボン州にあるホテル、Huntsham Court に10週間滞在する。
1984 5 - コンピューター・ゲームの共同制作者 Steeve Meretzky、ゲームの脚本執筆のためアダムスが滞在中のHuntsham Court を訪問。
1984 - - Pan Books の編集者に、ハイド・パーク近くのホテル、ザ・バークレーにカンヅメ状態にされて小説を仕上げる。
1984 9 - コンピューター・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を仕上げるため、マサチューセッツ州ケンブリッジに向かう。
1984 10 - ロンドンにて、コンピューター・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』の販売戦略の打ち合わせを行う。
1984 10 - サー・クライブ・シンクレア、発売前の『さようなら、いままで魚をありがとう』の第一稿を1000ポンドで購入。
1984 10 - ニューヨークのロックフェラー・センターにてコンピューター・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』についての記者会見を行う。
1984 11 - 小説『さようなら、いままで魚をありがとう』 、英米で同時発売。
1984 12 - コンピューター・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』がアメリカで発売される。
1985 5 - コンピューター・ゲーム『銀河ヒッチハイク・ガイド』がイギリスで発売される。
1985 6 - 実父が死去。
1985 - - 『銀河ヒッチハイク・ガイド』のタオル発売。
1985 - - Sunday Times の依頼を受けて、マダガスカルに行きアイ・アイに会う。
1985 11 1 ラジオドキュメンタリー「Natural Selection: In Search of the Aye-Aye」、BBCラジオ4で放送。
1985 12 3 小説ダーク・ジェントリー・シリーズ2作の執筆に契約にサインする。イギリスでのハードカバー出版権をWilliam Heinemann が取得,。
1986 1 10 小説ダーク・ジェントリー・シリーズ2作の、アメリカでのハードカバー出版権をSimon and Shuster が取得、出版予定は1986年4月だった。
1986 4 5 Radio4 の Loose Ends という番組に出演し、イギリスの有名コメディアンが書き下ろしたコミック・リリーフの本を発売することを発表する。
1986 6 - 小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency 発売。
1986 9 26 BBC1 のWoganという番組にゲスト出演し、'London to New York the Silly Way' の企画について語る。
1986 12 - The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book 発売
1987 - - 電子メールでのファンレターを受け取ったのがきっかけで、リチャード・ドーキンスとの交友関係が始まる。
1987 - - コンピューター・ゲーム Bureaucracy 発売
1987 7 - 『最後の光景』の企画のため、マーク・カーワディン、BBCの録音技師らと世界をめぐる(1989年4月まで)。
1988 10 - 小説 Long, Dark Tea-Time of the Soul 発売。
1988 10 12 LBCプログラム、The Night Is Young に出演。
1988 10 25 2冊の小説執筆について、William Heinemann と契約。1冊目は仮題Starship Titanic、もう1冊は仮題すら未定だった。
1988 - - 小説 Long, Dark Tea-Time of the Soul の英国でのプロモーション活動を行う。
1988 - - ラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のオリジナル版のカセット発売。
1989 5 - 南フランスのジュアン・レ・パンにて、小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』10周年記念版の序文を執筆。
1989 10 4 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第1話、BBCラジオ4で放送。
1989 10 11 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第2話、BBCラジオ4で放送。
1989 10 18 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第3話、BBCラジオ4で放送。
1989 10 25 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第4話、BBCラジオ4で放送。
1989 11 1 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第5話、BBCラジオ4で放送。
1989 11 8 ラジオドキュメンタリー「Last Chance to See」第6話、BBCラジオ4で放送。
1990 - - エッセイ『これが見納め 絶滅危惧の動物たち、最後の光景』発売。
1990 - - ダーク・ジェントリー・シリーズの映画化権が売られる。
1990 9 20 『ハイパーランド』放映。
1991 1 7 Ed Victor と共に、全く書かれていない小説のことについて Heinemann と話し合う。
1991 1 - 次の小説のタイトルを『ほとんど無害』に決定、発売予定は1991年10月17日となる。
1991 - - 小説『ほとんど無害』の発売が1992年1月に延期される。
1991 - - DCコミックスに『銀河ヒッチハイク・ガイド』のコミック化権を委託する。
1991 11 25 Jane Belson と結婚。
1992 1 5 テレビ・シリーズ The South Bank Show に出演。作家アダムスについてまとめられた番組で、脚本にはアダムス自身もかなり参加していた。
1992 - - 小説『ほとんど無害』の発売がさらに延期され、もう一冊の小説については契約破棄になる。
1992 3 - 小説『ほとんど無害』の執筆のため、ホテルに2週間カンヅメになる。
1992 - - ダーク・ジェントリー・シリーズのテレビ化権がアメリカのテレビ会社に売られる。
1992 - - マイアミで開催されたAmerican Booksellers' Association Conference で、作家のバンドが披露され、その前座としてアダムスもケン・フォレットと組んで出演する。
1992 7 - 母校ブレントウッド・プレップ・スクールの Speech Day にゲストとして招待される。
1992 7 - 小説『ほとんど無害』の原稿が出版社に渡される。
1992 10 - 小説『ほとんど無害』、英米で同時発売。
1992 10 - テレビ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』のメイキング・ビデオが製作される。
1992 10 - Oxford Union で講演する。
1992 12 11 Have I Got News For You に出演。
1993 - - ラジオ・ドラマ第3シリーズ製作の話が浮上(1994年4月頃まで検討されたが立ち消えとなる)。
1993 - - 『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化権を買い戻す。
1993 7 - Weidenfold & Nicolson の編集者 Emma Way と会い、The Illustrated Hitchhiker's Guide to the Galaxyの企画が持ち上がる。
1993 10 4 インターネットのニュース・グループに初めて書き込みをする。
1993 10 - コミック版『銀河ヒッチハイク・ガイド』発売。
1994 1 18 ラジオ番組 Desert Island Discs 放送。
1994 2 16 the Environment Investigation Agency の寄付金集めのスピーチを行う。この時、新作アルバムのタイトルを決めかねていたピンク・フロイドのメンバーから頼まれて、'The Division Bell' を提案、お礼に10000ポンドの寄付金を受け取る。
1994 3 - 自宅で42歳の誕生パーティを開く。特別なプレゼントとして、ピンク・フロイドのコンサートでソロ演奏する許可証を貰う。
1994 6 22 長女 Polly Jane Rocket Adams 誕生。
1994 9 2 The Illustrated Hitchhiker's Guide to the Galaxy 発売。
1994 10 28 アールズ・コートで開催されたピンク・フロイドのステージで、'Brain Damage' 'Eclipse' (Dark Side of the Moon) を演奏する。
1994 - - デジタル・ヴィレッジを旗揚げ、チーフ・ファンタジストに就任。
1994 - - コミック版『宇宙の果てのレストラン』発売。
1995 3 5 政府の委員会である Library and Information Commision のメンバーに任命される(他のメンバーと意見が合わず、半年後に辞任)。
1995 3 10 Observer に、The Illustrated Hitchhiker's Guide to the Galaxy の返本の山に囲まれたアダムスのオフィスの写真が掲載される。
1995 6 3 オックスフォードの学生演劇で、Dirkが上演され、千秋楽のこの日、アダムスも観に行く。
1995 7 - デジタル・ヴィレッジに関して、初めてのインタビューを受ける。
1995 8 22 アルメイダ劇場にて『銀河ヒッチハイク・ガイド』の朗読会を行う。
1995 - - エッセイ『最後の光景』のCD-ROM (マック版)発売。
1996 - - エッセイ『最後の光景』のCD-ROM (ウィンドウズ版)発売。
1996 - - コミック版『宇宙クリケット大戦争』発売。
1997 6 - コンピューター・ゲーム『宇宙船タイタニック』製作が公表される。当初の発売予定は1997年のクリスマスシーズンだった。
1997 7 19 プロコル・ホルムの結成30年記念コンサートでバンド紹介を務める。
1997 - - 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』監督候補のジェイ・ローチと会う。
1997 11 3 ダーク・ジェントリー・シリーズのテレビ化権がイギリスのWall to Wall Television に移り、マイケル・マーシャル・スミスにテレビ・シリーズの脚本執筆が依頼される。
1997 11 5-8 Oxford University Dramatic Society による舞台 Dirk がOxford Playhouse にて再演される。
1997 12 - 小説『宇宙船タイタニック』がCD-ROMゲームに先駆けて発売される。執筆したのはテリー・ジョーンズ、アダムスは序文を書いた。
1997 12 24 『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化について、ディズニーと契約が成立する。
1998 6 - BBC Horizon satellite channnel のThe Ascent of Man の25周年記念番組で、オープニングと最後のプレゼンター役を務める。
1998 4 - コンピューター・ゲーム『宇宙船タイタニック』(ウィンドウズ版)発売。
1998 9 10-13 ケンブリッジで開催されたDigital Biota 2 に参加し、ゲストとしてスピーチする。
1998 10 - マイケル・ネスミスと共同執筆した映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本をプロデューサーのヴォーゲルに見せるも、手直しを要請される。
1998 11 - www.douglasadams.com 発足。
1998 12 - オーストラリアのパーム・ビーチにプール付きの家を借りる。クリスマスには多くのイギリスの友人を招いてパーティを開いた。
1999 3 - コンピューター・ゲーム『宇宙船タイタニック』(マック版)発売。
1999 4 - 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の改訂版脚本をプロデューサーのヴォーゲルに見せるも、更なる訂正を要請される。
1999 4 14 一時帰国したロンドンからヴォーゲルに向けてクレームの手紙を送る。が、ヴォーゲルの意見は変わらず、他の脚本家(ジョシュ・フリードマン)が採用されることを承諾する。
1999 4 28 インターネットをテーマとしたテレビ番組 Tomorrow's World で大英図書館から生中継で出演、'h2g2' のサイトを立ち上げる。
1999 - - 『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化のため、家族とともにカリフォルニア州サンタバーバラに引っ越す。
1999 9 1-8 BBC Radio 4で The Internet: The Last 20th-Century Battleground 放送。
1999 9 20 デジタル・ヴィレッジ、3つのベンチャー企業からの出資を受け、社名をh2g2.Ltd. に変更する。
1999 9 - h2g2でオンライン・ショッピングを開始する。
1999 12 17 携帯電話用のh2g2完成、ヴォーダフォンと契約する。
2000 1 2 BBC Radio 4で Bookclub: Douglas Adams 放送。
2000 3 - フリードマンが映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本を完成させるが、この時点でヴォーゲルは映画会社を去っており、後任のプロデューサーはプロジェクトに気乗り薄だった。
2000 6 - フリードマンの脚本に不服を感じ、自分で新たに映画の脚本を執筆し、完成したとコメントする。
2000 8 - ダーク・ジェントリー・シリーズ映画化脚本の5ページ分を執筆し、マイケル・ネスミスに見せる。
2000 10 4 BBC Radio 4で The Hitchhiker's Guide to the Future 第1話放送。
2000 10 11 BBC Radio 4でThe Hitchhiker's Guide to the Future 第2話放送。
2000 10 18 BBC Radio 4でThe Hitchhiker's Guide to the Future 第3話放送。
2000 10 25 BBC Radio 4でThe Hitchhiker's Guide to the Future 第4話放送。
2000 10 - 『銀河ヒッチハイク・ガイド』映画化は準備段階に戻る。
2001 1 29 h2g2.Ltd. 倒産。サイトの運営は、BBCに引き継がれる。
2001 2 21 bbc.co.uk/h2g2 発足。
2001 3 12 bbc.co.uk/h2g2 、一般公開。
2001 4 5 サンタバーバラの大学で講演。
2001 5 9 ジョー・メドジャック、地元のコーヒー・ショップで、ジムのトレーニングの一休みだったアダムスと出会う。
2001 5 10 新しく発見された小惑星が、'Arthurdent' と公式に命名される。
2001 5 11 ジムでのトレーニング中に心臓発作を起こし、逝去。
2001 5 16 サンタバーバラにて葬儀。
2001 9 17 ロンドンのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会にて追悼式が行われ、BBCでネット配信された。
2002 6 - 遺骨がロンドン・ハイゲート墓地に埋葬される。

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