目次
2023.2.4. やっぱりめでたくない新年 2023.3.4. 卒業論文の思い出 2023.4.1. Everything Everywhere All Connected 2023.5.6. 姑根性? 2023.6.3. ブラックジョークを笑えるか 2023.7.1. 不思議な二部構成 2023.9.2. 嗚呼、イーロン・マスク 2023.10.7. クラウドファンディングの勝利 2023.11.4. これが私の偏愛河出文庫 2023.12.16. お墓参りに行ってきた
自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
よろしければ、お付き合いください。
今年も、今さらながらあけましておめでとうございます。
が、しかし。「おめでとう」と書いておきながら全然めでたさを感じられない――と、ここまでの書き出しは実は昨年の同コーナーと全く同様であり、もっと言うとこの1年で新型コロナウィルス感染拡大に加えてウクライナ戦争までが上積みされてしまったため、いよいよもってめでたくない。
ただ、前途を悲観して鬱々としてばかりだと本当に精神のバランスを崩してしまう。適度のガス抜きや気分転換も必要、ということで、昨年は新型コロナウィルス感染にびくびくしつつも映画館や美術館に出かける機会が少しは増えた。
ただ、それでもやはりコロナ禍以前の回数には遠く及ばない。特に映画館に関しては、コロナ禍以降、ネット配信されるタイミングが早くなったこともあって、すっかり腰が重くなってしまった。そして、「これは大スクリーンで堪能しないとおもしろさが半減するだろうな」と思う作品だけを選んで映画館に足を運ぶようになった結果、昨年私が映画館で観た映画の一覧には、ひと昔前ならポップコーンムービーと呼ばれたであろうアクション超大作だけが並ぶことになった。我ながら猛烈に情けない。
ということで(?)、2022年のマイ・ベストと題して「My Profile」コーナーに載せる映画作品は、2021年と同様に1作だけを選ぶことにした。それが、インド映画の『RRR』。さすがにこの作品は、映画館の大スクリーンで観ておかないともったいないでしょ。一方、2022年のマイ・ベストに選んだ小説、エルヴェ・ル・テリエ『異常【アノマリー】』はというと、こちらは栄えあるゴンクール賞受賞作である。文学性の高さではお墨付きがついていると言っていい。加えて、政治サスペンスっぽくもありSFっぽくもあり、小説のおもしろさがぎゅう詰めになっていて、これはもう文句なしの第1位――ではあるのだけれど、実はこの小説、今回の更新でダグラス・アダムス関連のTopicsコーナーにも追加されている。まさかまさか、フランス国内だけで110万部も売り上げた異例のベストセラー小説に、こんなにも印象的な形で『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場するとはね!
さらに今回の更新では、前回の更新で紹介した論文 “Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction” の続きも追加した。1988年の論文なんて古臭く思われるかもしれないけれど、『銀河ヒッチハイク・ガイド』について書かれた最初期のものだけに、他の論文との差異を強調しようと奇をてらう必要がないからか、今となってはむしろ直球勝負でわかりやすい。
今回の更新で、1988年に発表された『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する論文 "Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction" の日本語訳をようやく完了することができた。
実を言うとこの論文は、その昔、私が『銀河ヒッチハイク・ガイド』をテーマに大学の卒業論文を書いていた時に唯一手に入れることができた『銀河ヒッチハイク・ガイド』関連の論文だった。それだけに、長年の宿題を終えたような気分だ。
当時、『銀河ヒッチハイク・ガイド』やダグラス・アダムスについて書かれた文献と言えば、ニール・ゲイマンによるアダムスの伝記本 Don't Panic: The Hitchhiker’s Guide to the Galaxy Companion、あとは新聞や雑誌に掲載された記事ぐらいだった。何せ、私が卒業論文を書いたのはインターネットが一般に普及する前のことだったし、それより何より『銀河ヒッチハイク・ガイド』がサブカルチャーに深く根を張り、(ある種の)「古典」として広く認知される前のことだったのだ。
それだけに、この "Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction" にはすごく大きな影響を受けた――と言いたいところだが、どちらかと言うと当時はむしろ「内容が重複してはいけない」という意識のほうが強かったように思う。特に、SFとしての『銀河ヒッチハイク・ガイド』を検証する上で私もカート・ヴォネガットの『タイタンの幼女』を引き合いに出したかったから、そうなるとますます「でも私はここが違う」を強調しなくてはという気持ちになった。
勿論、英文の読解もままならないポンコツ学部生の分際で、プロの研究者/大学教員を相手に一体何を挑んでいるのだ、という話ではあるのだが、そういう無謀で頓珍漢なことを無責任に遠慮なくやれるのが大学の卒業論文の良いところ、とも言える。真面目に大学院進学を検討しているなら話は別かもしれないけれど、そうじゃない大多数の学部生にとっては最初で最後の「卒業論文」だもの、何よりもまず独自性で勝負したいと思うでしょ。その「独自性」があまりに的外れでトンチンカンだったら、ゼミ担当教員から指導が入るだろうし、安心して独走していいんじゃないかな?
と、"Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction" を読みながら学生時代を思い出してつい郷愁に浸ってしまったが、どうかイマドキの大学生にも卒業論文の執筆に楽しく四苦八苦してもらいたい。私の学生時代と違ってインターネットで簡単に文献が手に入るようになった分、読まなきゃいけない資料があっという間に山積みになるのも別の意味で大変だろうけど――ここだけの話、「インターネット前の時代に大学を卒業しててよかった」というのが私の本音だ。
2023.4.1. Everything Everywhere All Connected
先月発表された第95回アカデミー賞で、作品賞・監督賞・脚本賞を含む主要6部門を制した話題の映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。前評判の良さにつられて私もアカデミー賞授賞式前に映画館に観に行ったところ、思いもかけない方向で目が釘付けになった。
ちょっと待って、この作品、映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』を参照にしてないか?
世間では斬新と評されたらしい『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の「マルチバース」の映像表現、石ころとか落書きアニメとか、パクリとかそういうのではないけれど、表現の手法自体は映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の無限不可能性駆動と同じだよね? 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の映像表現が斬新だと評されるのなら、それより10年以上前に同じことを、しかもはるかにキュートかつスマートにやってのけたガース・ジェニングス監督の『銀河ヒッチハイク・ガイド』はもっと褒められてしかるべき、というか、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の無限不可能性駆動の映像表現のほうは、映画公開当時、長年の『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンからかなり酷評されてたよね、世間は忘れても私は忘れてないぞ?
しかし、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の、それなりにボリュームのある映画パンフレットを隅々までチェックしても、『銀河ヒッチハイク・ガイド』への言及は一つもない。ネットで検索すると、監督/脚本のダニエルズのうちの一人、ダニエル・クワンが『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大ファンであること、そして『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でアダムス的な『マトリックス』を目指したと明かしているインタビュー記事は見つかった。つまり、監督自身は決して『銀河ヒッチハイク・ガイド』からの影響を隠していないのだ。にもかかわらず、日本語のネット記事は言わずもがな、英語のネット記事でさえ、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の具体的な影響関係について言及する映画評はほとんど見当たらない。
何故?
ぐだぐだと考え悩んだ末に私がたどり着いたのは、「ラジオドラマや小説で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に馴染みがあって、その上で2005年の映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観て「原作と違う」と反発した多くの人々にとって、映画版は記憶からとっくに放逐された代物であり、故に「『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響がある」と言われても映画版のことは頭に浮かばないのだろう」という、何とも悲しい結論だった。
その一方で、2023年現在、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』って有名らしいけど、何だろう?」と興味を持った若い世代の中では、ネット配信されている映画版で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に初めて接したという層が確実に増えているはずだ。そういった人たちにとって、『銀河ヒッチハイク・ガイド』=映画版であり、そこから先、小説やラジオドラマにまで手を伸ばす人はそんなに多くないんじゃないかと思う。
私は誰が何と言おうと以前から映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』を高く買っているので、映画版でしか『銀河ヒッチハイク・ガイド』を知らない世代が増えてもかまわない。そりゃ、ラジオドラマや小説にも手を出してほしいとは思うけれど、少なくとも今後、あの映画のおかげで『銀河ヒッチハイク・ガイド』を知る人が増え続けるならそれはそれで喜ばしい限りである。むしろ、2005年当時に批判した人たちにこそもう一度あの映画を観てほしいと声を大にして言いたい――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を語るならまずは映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観ろ、とまでは言わないから(言いたいけど)。そして今回の更新では、ダグラス・アダムス関連のTopicsコーナーに3項目を追加した。そのうちの一つは、言うまでもなく、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』である。
前回の更新で追加したダグラス・アダムス関連Topicsの3項目のうち、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』以外の2つ、カリフォルニアにある電波干渉計「アレン・テレスコープ・アレイ」とアメリカのテレビドラマ『LOST』については、ミドルテネシー州立大学のVictoria Warenik が2013年5月に発表した修士論文 "The Cultural (R)evolution of Douglas Adams's The Hitchhiker's Guide to the Galaxy" の中で見つけた。電波干渉計のことは全然知らなかったけれど、テレビドラマ『LOST』のほうは私も第3シリーズくらいまでは観たことがあり「42」がいささか意味ありげだなと思ってはいたが、ようやくきちんと裏付けを取ることができた。
ということで、本当は今回の更新でこの修士論文そのものについて紹介するつもりだったのだけど、タイトルからして私としては思わず前のめりになってしまうくらい興味津々なテーマなのに、実際に読んでみるとすべてが少々表面的すぎるように思えてならない。もっと深く追求することも、もっと大きく膨らませることもできそうなものなのに、この程度で気が済んでおしまいだなんて、もったいないにも程がある。
とは言え、ちゃんと査読を通った修士論文に対してそんなふうに思うのは、単に私の英語力がお粗末すぎてきちんと論文の内容を理解できていないからかもしれない。あるいは、もっとタチの悪いことに、私があまりにも長い間『銀河ヒッチハイク・ガイド』のストーカーじみた追っかけをしているせいで、私より『銀河ヒッチハイク・ガイド』と付き合ってきた年数が明らかに短い若者に対して先輩風を吹かせたいという深層心理が働いた、とか?
この手の姑根性丸出しな年寄りにだけはなりたくないとずっと思っていたくせに、年齢を重ねていくうちにいつの間にか私も同じ轍を踏んでいるとしたら、我ながらみっともないことこの上ない。そんなことは絶対にない、と反論したいところだけれど、情けないことにそこまで言いきる自信もないのが本音だったりする。そこでとにかく今回はこの修士論文の中身の紹介は見送ることにして、代わりにもっとずっと長い間見送ってきたダグラス・アダムスとテリー・ジョーンズとの共作による短編小説「A Christmas Fairly Tale」(1986年)をお届けする――念のため書き添えておくと、"Fairly" は "Fairy" のミスタイプではありませんぞ。それから、第17回ダグラス・アダムス記念講演についての最新ニュースも追加した。現地開催だけでなく配信もあるようだが "live streaming" としか書かれてなくて、ということは今回は後からオンデマンド配信で観ることはできないんだろうか……?
前回の更新で追加したダグラス・アダムスとテリー・ジョーンズの共作短編小説「A Christmas Fairly Tale」は、1986年に出版されたチャリティ雑誌 The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book にマイケル・フォアマンのカラーイラスト付きで掲載されたものである。私の知る限り、この雑誌以外に転載されたり再録されたりした様子はなく、それだけにかなりレアな1作だ。
The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book には、「A Christmas Fairly Tale」とは別にもう一つ、アダムスとジョーンズの共作短編小説が、これまたマイケル・フォアマンのカラーイラスト付きで掲載されており、今回の更新ではこちらを追加することにした。それが、「The Private Life of Genghis Khan」。この短編小説のほうは、アダムスの遺稿や未収録エッセイ等をまとめた The Salmon of Doubt に収録されているから、テキストだけなら割と容易に手に入れることができる。
同じ雑誌に掲載された、同じテリー・ジョーンズとの共作短編なのに、どうして「A Christmas Fairly Tale」のほうだけは The Salmon of Doubt に収録されなかったのか。私にはその理由がわからない。両方とも収録すればよさそうものなのに、と思うが、たまたまではなく何かしらの意図があってのことだろうな、と何となく推測している。
ともあれ、更新のために数十年ぶり(!)にこの2作に目を通して見て、あらためて内容の暗さや残酷さに驚いた。それでも、「A Christmas Fairly Tale」については同年に起こったチェルノブイリ原発事故を反映して書かれたブラック・ジョークとして受け止めることができたけれど、「The Private Life of Genghis Khan」のほうは2023年の今になっては読むのが本気でキツい。その理由は簡単、この短編小説で描かれているチンギス・ハーン率いるモンゴル族の蛮行は、1986年当時であれば「今となっては起こり得ないこと」という感覚で読めたかもしれないが、ロシアによるウクライナ侵攻が続行中の2023年では「今現在、リアルタイムで起こっていること」として生々しく受け止めざるを得ないからだ。
おのれプーチン、お前のせいだぞ。
……とは言え、アダムスが手掛けたこの手のブラックジョークについて語るなら、彼が1976年に書き、ニール・ゲイマンによるアダムスの伝記本に収録されているスケッチ、「Kamikaze」のことも忘れちゃいけない。タイトルから想像される通り、こちらは大日本帝国の大愚行がネタになっていて、目下のところ世界中のみなさんにこのブラックジョークを笑って受け止めてもらえるとしたらそれはひとえに「今となっては起こり得ないこと」と思っていただけているからである。その辺りの感覚について、今の日本政府には自覚がなさすぎるように私には思えてならず、いよいよプーチンのやらかし案件を「他人の問題」扱いできなくなる昨今であった。嗚呼。気を取り直して今回の更新では、「The Private Life of Genghis Khan」の前半部分と、5月18日に開催された第17回ダグラス・アダムス記念講演の講演者ジム・アル=カリーリを、関連人物一覧に追加。さらに、4月15日に発売され、ようやく私の手元にも届いたダグラス・アダムスのロンドン・マップについても最新ニュースに追加した。
今回の更新では、言うまでもなく、前回紹介した短編小説「The Private Life of Genghis Khan」の残り半分を追加した。
この短編小説、再収録された The Salmon of Doubt では約12ページであり、ちょうど真ん中あたりで二つに分かれている。そして、前回更新した約6ページの前半部分と、今回追加した約6ページの後半部分、その両方をまとめて読むと、冒頭の文章はどちらもまったく同じであることにすぐ気付く。話はモンゴル族がどこぞの集落を襲撃し終わったところから始まり、そこから「チンギス・ハーンの知られざる日常生活」の様子が展開していくのだが、たかだか12ページほどの長さしかないのにこんな奇妙な二部構成になっている理由は簡単、この短編小説「The Private Life of Genghis Khan」は不発に終わったテレビ番組 Out of Trees のスケッチを元に書かれたからである。
Out of Trees は、アダムスが「空飛ぶモンティ・パイソン」終了直後のグレアム・チャップマンと組んで1975年に製作したテレビ番組だが、1976年に放送されたきり、単発で打ち切りになってしまった。当時のBBCでは、よほど特別な番組でない限りマスターテープを保存しておく決まりがなかったため、Out of Trees のマスターテープには別の番組が上書きされ、再利用の憂き目に遭った。ま、その代わりアダムスはアダムスで元のスケッチを短編小説として再利用できたのだから、ここは「引き分け」ということでいいのかも?
なお、最初にこの小説が掲載されたチャリティ雑誌 The Utterly Utterly Merry Comic Relief Christmas Book では、「A Christmas Fairly Tale」同様、マイケル・フォアマンのカラーイラストが付いている。内容が内容だけに、どう頑張ってもクリスマスらしからぬ残酷でグロテスクな代物になりそうなものなのに、そこはマイケル・フォアマン、ちゃんと描くべきものを描きながら、それでいて不思議とポップで躍動感溢れる仕上がりになっている。さすがだ。
にもかかわらず、と言っていいのか、このイラストもまた、私の知る限りこの雑誌以外に転載されたり再録されたりした様子はない。「A Christmas Fairly Tale」についてはテキストそのものが転載されていないから仕方ないとしても、「The Private Life of Genghis Khan」のテキストは The Salmon of Doubt にも再録されているのに、それどころかネットで「Michael Foreman The Private Life of Genghis Khan」でググっても全然ヒットしない有様だ。版権の問題なのかしら? よくわからん。さて、今回の更新でまたしても二ヶ月の夏休みに入ります。次回の更新は9月2日。夏バテ知らずコロナ知らずで乗り切れますように。
先日、たまたま入った書店の文庫本コーナーで『銀河ヒッチハイク・ガイド』を見つけ、見慣れない帯が気になって手に取ってみたところ、大きな文字で「イーロン・マスクの人生を変えた一冊!」と書かれていた。
イーロン・マスクの愛読書が『銀河ヒッチハイク・ガイド』だってことは知ってたし、実際、そのことについて2018年3月3日付の同コーナーで書いてもいる。が、この記事で「今度こそきちんと調べてイーロン・マスクを「ダグラス・アダムス関連人物」の一人に追加しなくちゃな」とまで書いておきながら、今日まで彼の名前を「ダグラス・アダムス関連人物」に追加していないのは、もちろん私の怠慢のせいもあるけれど、それより何より彼が私の愛するツイッターを台無しにしつつあるからだ――既に台無しになった、という説もあるが、私はまだあきらめきれてない。iPhone のアプリのアップグレード通知も無視して、頑なに「X」化を拒否している。
「ダグラス・アダムス関連人物」とはあくまでダグラス・アダムスに関連のある人物をリスト化しているだけのコーナーであって、当たり前だが私の個人的な好き嫌いとは関係がない。とは言うものの、自己顕示欲のためだけに社会的インフラの一つとも言えるツイッターにかくも非道な仕打ちをして恥じない人間を、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』を愛読書にしている人物」というだけの理由で追加する必要があるだろうか、いや、ない!
それだけに、ああ、それだけに、普段の私なら『銀河ヒッチハイク・ガイド』が日本で広く知られるようになるなら理由はどうあれ手放しに喜ぶところなのに、よりにもよってツイッターの敵、イーロン・マスクとセットで喧伝されたことに悲しみを禁じ得ない。しかも、たまたま河出書房新社の人が『銀河ヒッチハイク・ガイド』がイーロン・マスクの愛読書であることを知ってその知名度を利用した、というだけでなく、私が目にした文庫本の帯によると、『世界一受けたい授業』という日本テレビの番組の中で、「天才起業家たちの人生を変えた本」特集として取り上げられていたというのだ。
なんですとーーー!
書店から自宅に戻るなりググってみたら、地上波テレビをほとんど見なくなって久しい私が知らなかっただけで、今年の2月25日に放送されていたようだ。しかも、ネット記事によると、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の内容にもかなりがっちり踏み込んだ形で紹介されている。
マジか……。
『世界一受けたい授業』は土曜の午後7時56分から始まるバラエティ番組で、昔風の言い方をすればいわゆる「ゴールデンタイム」の番組で、地上波テレビの衰退が叫ばれる昨今とは言え、それでもその影響力は相当なものだ。この番組を観て『銀河ヒッチハイク・ガイド』に興味を持った人は少なからずいるだろうし、すかさず新しい帯を用意して文庫を再販した河出書房新社の対応も正しいし、感謝しこそすれ文句を言う筋合いはないのだが、日本で『銀河ヒッチハイク・ガイド』=イーロン・マスク、のイメージが確定することに一抹以上の危惧をおぼえずにはいられない。嗚呼。気を取り直して今回の更新は、ずっと放置したままになっていた、アダムス原案のコンピュータ・ゲーム「宇宙船タイタニック」の、テリー・ジョーンズによるノベライズの紹介。全30章のうち、最初の10章分の概要を追加した。
ダグラス・アダムスが残した膨大なアーカイヴの中から選んで編集した遺稿集、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams のクラウドファンディングについて、私が最初に知ったのは2021年3月22日だった。以前、マリー・フィリップス作品の出版に際して使用したことのあるイギリスのクラウドファンディング出版社 Unbound から、あなたの興味を惹きそうな作品がありますという宣伝メールが届いたのだ。
私が狂喜乱舞して秒速でクラウドファンディングに参加したことは言うまでもない。
クラウドファンディング出版とは、普通の出版社から却下された、あるいは持ち込んでも採用される見込みがないと思われるマイナー企画について、広く一般から出資(本の代金を前払い)を募り、一定の期間に一定の金額が集まれば出版する、というもの。少なくとも Unbound では目標額に届かなかった場合は出資者に全額返金する仕組みになっているので、たとえ企画が通らなくても金銭的に損をする心配はない。
幸い、42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams の目標額65000ポンドはあっという間に達成された。達成ごも順調に出資額は増え続け、最終的な総額は271389ポンドになったというから、ざっと4倍以上の金額が集まったことになる。どうだ、これがダグラス・アダムスのマニアの底力ってもんよ!
しかし、コロナ禍も手伝って、肝心の本の出版は遅れに遅れた。当初の予定では2022年9月発売のはずなのに、一向に完成する気配がない。無理に急いでもらう必要もないけど、本当に大丈夫なのかね、とだんだん不安になってきた2023年の春、刊行間近になったので念のため送付先の住所を確認してくださいとのメールが届き、そして2023年8月18日、ついにUnbound から「来週発売します」のメールが届く。
ひゃっほーーー!
Unbound から国外の事前出資者に向けて発送が始まったのが8月23日。イギリス構内の書店では8月28日から販売が始まり――9月3日付「サンデー・タイムズ」のベストセラーリストの1位になった。
クラウドファンディングの、マニア向けの本が、1位って、マジか?!
とは言え、この時点では日本の私の住所にはまだ本は届いていない。ついに届いたのはそれから10日後の9月13日のことで、実物を手にとってその大きさと重さに驚いた。ふらっと立ち寄った書店で見かけてふと購入、というに大きすぎ、重すぎる。30ポンドという定価もなかなかのものだし、どう考えてもちょっとした出来心で買うような本じゃない。とは言え、ページを開くとダグラス・アダムスの子供時代から晩年までの未公開の草稿やら手紙やら、「こんなものまでとってあったのか!」と叫びたくなるようなお宝の山。なるほど、これはマニアならずともファンなら思わず買っちゃうね。というか、もともとがクラウドファンディングの本だけに買えるうちに買っておかないと手に入らなくなる公算大だ。
ということで、気になる方はお早めにお求めください。スティーヴン・フライの序文、最高よ? 今なら、Amazon.co.jpでも買えちゃうよ??気を取り直して今回の更新は、テリー・ジョーンズによるノベライズ版『宇宙船タイタニック』の続き。さらに10章分を追加した。
まずは国内の大ニュースから。2023年10月末から始まった河出文庫のフェア「これが私の偏愛河出文庫」で、5人の選考者のうちの一人、高野秀行さんが、ダグラス・アダムスの『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』を選んでくださった!
私から言うのもなんだけど、ありがとうございます。高野さんのご著書は恥ずかしながらこれまで手に取ったことがなかったけれど、近いうちに必ず読ませていただきます。
ちなみに、『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』に対する高野秀行さんの推薦の言葉は、「めちゃくちゃ笑えるけど、あまりに変すぎて人にお勧めしにくい奇書」。え、そんなに変だっけ、『ドクター・フー』に馴染みがあればそんなに変でもないけどな、と一瞬思ったけど、これはもう私の感覚が麻痺しているだけで、って言うかそもそも『ドクター・フー』に馴染みがあることを前提にしているだけで間違ってるよな。
河出文庫のフェアと言えば、今からちょうど4年前の2019年、声優の斉藤壮馬さんが「河出文庫ベスト・オブ・ベスト」5作のうちの1作として『銀河ヒッチハイク・ガイド』を取り上げてくださった。あの時は特製ブックカバーやポストカードが無料でもらえるキャンペーンも行われ、おかげでこれまで『銀河ヒッチハイク・ガイド』に全く関心のなかったであろう人たちもこぞって買い求めてくださったものと想像するが、今回の「これが私の偏愛河出文庫」では、少なくとも今のところ、特に無料のプレゼントといったものはなさそうだ。
その分、前回のフェアに比べると、売り上げを伸ばすのにハンデ(?)がある気もする。が、大勢の高野秀行ファンのうち一人でも多くの人が「『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』を読んでみようかな」と思ってくれますように。大丈夫、たとえ『ドクター・フー』に馴染みがなくても、そういう日本の大多数の人のために訳者の安原和見氏が冒頭で説明を付けておいてくれたから。どうか安心して手に取ってみてくださいませ。そして今回の更新は、テリー・ジョーンズによるノベライズ版『宇宙船タイタニック』の続きを、今度こそ最終章まで追加した。コンピュータ・ゲームのノベライズであることを意識して読んでいる分には、著者の試行錯誤とか苦心惨憺が想像できて興味深かったが、小説単体としてみると正直言って不自然さは否めない。おまけに、誰もが知る大ヒットゲームのノベライズならまだしも、『宇宙船タイタニック』の場合はゲーム発売の宣伝もかねてノベライズを同時出版を目論んだ挙げ句、ゲームの完成が遅れてゲームの発売が延期されたせいでノベライズのほうがゲームより先に発売されることになったわけで、じゃあこれを読んだ人がゲームをプレイできる日を首を長くして待つようになるかというと――むしろゲームのオチのネタバレを食らっただけのような気もするぞ?
なお、次回の更新は、諸事情により12月16日になります。よろしく!
今回の更新で、毎月第一週目の土曜日に更新する予定を1週間遅らせたのは、他でもない、先月末から9日間の日程でロンドン旅行を敢行していたためである。そして表題の「お墓参り」とは、勿論、ダグラス・アダムスのお墓参りのことだ。
2001年にアダムスが亡くなり、ロンドンのハイゲート墓地に埋葬されてから、はや20年以上(!)になる。この間、私は2005年5月と2008年12月にロンドンを訪れていたが、いずれの機会にもハイゲート墓地には行かなかった。49歳という若さで突然死した人のお墓に、親族でも友人でも知人でさえない人間が、半ばミーハー感覚でお参りしていいのかどうか、判断がつかなかったからだ。でも、いつしか歳月が流れに流れ、SNS上でもアダムスのお墓参りに行った人のコメントや写真を見かけるようになり、これなら私が行ってもよさそう、というより、どうしてこの私が行ってないの、という気持ちが強くなった。
という訳で、先日、ついにお墓参りの大望を果たしたという次第。詳細については、次回、2024年2月3日の更新で追加する予定なので、もうしばらくお待ちください。
それにしても、前回の旅行からちょうど15年が経ち、ロンドン旅行の仕様が何と大きく変わったことか。2008年の時点では一般的ではなかったスマートフォンが、今ではパスポートの次くらいに必須のアイテムになっている。スマートフォンで注文して、決済して、ようやく料理にありつけるカフェもあった。先払いするのはいいとして、でもこの仕組みだとチップを払う気には絶対になれないんですけど?
コロナ禍を経てキャッシュレス化も一段と進み、駅構内のパン屋さんではクレジットカードのタッチ決済が当たり前、スーパーでは現金不可のセルフレジがずらりと並んでいた。最初はもたついたけど、慣れれば便利だし、何ならちょっと楽しい。念のため現金も若干両替して持っていっていたが、実際には使う機会はほとんどなかった。ちょうど私のロンドン滞在中に、BBCのニュースで「現金でしか買い物できない人が取り残されつつある」問題を取り上げていたくらいだ。
そう、こんなにもキャッシュレス化が進むロンドンで、私も「現金でしか買い物できない人」を大勢目にした。多くの駅で、ホームレスの方が物乞いをしていたからだ。2005年と2008年のロンドン旅行ではほとんどお見かけしなかっただけに、これはなかなかショッキングな光景だった。気を取り直して今回の更新は、今年8月に発売された 42: The Wildly Improbable Ideas of Douglas Adams に添えられたスティーヴン・フライの序文を追加。
さらに、トマス・M・ディッシュのSFエッセイ集『SFの気恥ずかしさ』も追加した。トマス・M・ディッシュは、その昔、『いさましいちびのトースター』を読んだことがあって、その時、「この人はアンチ『銀河ヒッチハイク・ガイド』なのではないか?」と思ったが、どうやらその直感は正しかったようだ。先にも書いた通り、2023年の更新は今回が最後、次回の更新は2024年2月3日になります。では、よいお年を。