目次
2022.2.5. めでたくない新年ふたたび 2022.3.5. 追悼/アイヴァン・ライトマン 2022.4.2. 『SING/シング:ネクストステージ』 2022.5.7. キーウのハリネズミくん 2022.6.4. 第16回ダグラス・アダムス記念講演 2022.7.2. アントニオ・ガデス舞踊団来日公演ふたたび 2022.9.3. デイヴィッド・ミッチェルのバック・ストーリー 2022.10.1. 博士論文の日本語訳、完了 2022.11.5. 『銀河ヒッチハイク・ガイド』、「天声人語」に登場 2022.12.3. みすずから河出へ
自分のホームページを初めて世界に向けて公開したのが2001年2月12日、それからほぼ毎週土曜日ごとに地道に更新を続けてきたけれど、その過程で実はひそかにストレスが溜まっていた。
表向き、私のホームページの内容は、ダグラス・アダムスとユーリ・ノルシュテインとアントニオ・ガデスの3人についての紹介で、そこには当然私の主観が色濃く反映されてはいるものの、一応ある程度の客観的な情報を記載するに留めている。その気になれば、誰でも調べられることではあるがそこまで調べようとは思わないだろうこと、たとえばアルメイダ劇場のこととか、または個別には知っていたとしても関連を意味づけようとはしないだろうこと、たとえばダグラス・アダムスとリチャード・ドーキンスの関係とか、そういう類の事柄だ。
だが、そうやって細々とした事どもを追いかけているうち、してやったりの体験や思いがけない幸運に出くわすことがある。だがそれらはあくまで私個人に属することなので、当然これまでホームページの中には一切盛り込まなかった。
たとえば、ロード・クリケット場。私は、ロード・クリケット場に入ったことがある。それも、一観客としてクリケットの試合を見たのではない。大体、私が訪れた日は試合をしてすらいなかった。では、会員でもなければ入れないはずのクリケット場に、どうしてクリケットのルールもロクに知らない私が試合のチケットもなしに入れてもらえたのかと言うと、その時私と一緒にロンドンを旅行していた友達の叔母さまがイギリス人と結婚してロンドンに住んでおられて、その結婚相手のイギリス人紳士がイギリス人紳士にふさわしくクリケットのファンで、ロード・クリケット場の会員だったのだ。そして、私の(かなり歪んだ理由でではあるが)ロード・クリケット場に対する思い入れを知ると、快く案内役を引き受けてくださった。
何年か前の3月。その年は常にない暖冬で、3月とは言えセーター一枚で汗ばむ程の陽気だった。叔母さまの自宅はリージェンツ・パークの東側で、そこからリージェンツ・パークを横切ってロード・クリケット場に歩いて行くことになった。私と友達とイギリス人の叔父さまの3人で、相当に怪しい英語で話しながら、柔らかい緑に染まった公園を散歩したこと、途中公園内にある休憩所で紅茶とお菓子をごちそうになったこと、友達はその時つましくスコーンを一つ手に取ったのに、私はやたらデカくて派手なフルーツタルトを食べたこと、いざクリケット場の前にたどりついて、施錠された門の前に立てただけでも感無量だったのに、叔父さまが中の人に話しかけて鍵を開けてくれるようお願いしてくださったこと、さすがにグラウンドの芝生の中には入れなかったがすぐそばまで行けたこと、私の全く知らないクリケットの名選手の写真が貼られたグラウンドの売店で、シンボルマーク入りのグッズやポスターを買えたこと、それらの記憶は褪せることなく今も鮮明に残っている。
おととしの初夏、叔父さまは早世された。さすがに私は行けなかったが、友達は直ちにイギリスに飛び、デヴォン州で行われた葬儀に間に合うことができた。その時、「クリケットに興味がある珍しい日本人」ということで、私の話も出たらしい。帰国した友達は、普段叔父さまが愛用されていたというロード・クリケット場のマグカップを、形見の品として私にくれた。マグカップには、ENGLAND V AUSTRALIA ASHES SERIES LORD'S 1993 という文字と、クリケットのバットを持った獅子(イギリス)とカンガルー(オーストラリア)のイラストが書かれている。
と、書き始めるときりがないが、それらはあくまで個人レベルの話である。故に、「ロード・クリケット場」の項目に載せるべきではないと考え、実際に書いたのは名称や最寄り駅や歴史についてのとびきり客観的な情報だけに絞った。絞ったものの、欲求不満は残った。
という次第で、「更新履歴・裏ヴァージョン」新設と相成った。こちらには、表の側には載せられない個人的な感想や思い出やその他もろもろについて、週間日記のような感覚で気の向くままに書いていくつもりでいる。
よろしければ、お付き合いください。
今年も、今さらながらあけましておめでとうございます。
が、しかし。「おめでとう」と書いておきながら全然めでたさを感じられない――という意味では、ちょうど1年前に同コーナーを書いた時とまったく同じ状況にある。新型コロナウィルスのワクチン接種が国内に広く行き渡れば少しは息がつけるかな、と思ったのも束の間、ここ数週間のオミクロン株による感染拡大のスピードたるや、これまで以上の凄まじさだ。なのに、医療体制どころか検査体制すら整ってないって、一体どういうことなのよ?
で、結局、感染を恐れて極力自宅に立て籠ることになる。この1年、観たい映画や観たい美術展を一体どれだけあきらめたことか。さらに恐ろしいことに、今ではあきらめることにもすっかり慣れて、軽い出来心でひょいと出かけていた過去の自分が信じがたくさえ思えてくる有様。
ということで、くどいようだが自分でも信じがたいことに、毎年更新している「My Profile」コーナーの「2021年のマイ・ベスト」で、ついに「ベスト映画」3作を選ぶことができなくなった。私の中の選考基準により、ここで選ぶ3作は「映画館で観た映画」ということにしていたのに、映画館で観た映画が少なすぎて選びようがないのだ。
で、20年ぶり(!)に節を曲げて、1作だけ選ぶことにした。それが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』。白状するとこの作品も映画館ではなくNetflixの配信で観たのだけれど、あまりに素晴らしくて「2021年は該当作なし」で片付けるのがあまりに惜しかったからである。日本でもNetflixで配信される2週間前からちゃんと映画館で上映してくれたのに、コロナ感染の恐怖から自宅でのテレビ鑑賞に日和ったことについては今でも深く後悔している。くそう、これは絶対に映画館で観ておくべき作品だったのに!
あまりに気に入ったので、原作小説も読んでみた。トーマス・サヴェージの小説『パワー・オブ・ザ・ドッグ』自体は1967年に出版されたが、映画化を機に50年ごしに日本語訳が出たのだ。ありがたいったらありゃしない。実際に読んでみると、映画では具体的に語られなかった過去の因縁とか経緯とかも書かれていて、映画を先に観た私には一種の答え合わせめいた楽しさもあったし、またその逆で、映像で物語を紡ぐためどのような脚色がなされたかもよくわかる。そんなこんなであまりにおもしろかったので、いっそ「2021年のマイ・ベスト」の小説部門も『パワー・オブ・ザ・ドッグ』にしようかなとも思ったが、ここはヒラリー・マンテルの大部な歴史小説三部作を見事に翻訳してくれたことに感謝して、『鏡と光』を選ぶことにした。
翻訳者への感謝と言えば、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の日本語訳は、2021年8月に角川文庫で波多野理彩子訳が、11月に早川書房から山中朝晶訳が出ている。「映画化を機に」なのはわかるが、50年にわたって日本語に翻訳されずに放置されていた小説に、突如として2種類の訳書が出回るこの理不尽。都心の大型書店で2種類の翻訳本の冒頭を読み比べた末に私は波多野理彩子訳を選んだが、日本の翻訳小説って時々こういうダブりをすることがあって、出版業界としてどうにかできないものかと思う。どう考えても売り上げ半減じゃん。気を取り直して今回の更新では、雑誌『婦人画報』2022年2月号の書評欄「併読本のススメ」でアダムスの『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』が取り上げられたことを祝して(豊崎由美様、ありがとうございます!)、2020年に再版された Last Chance to See にスティーヴン・フライが寄せた序文を追加した。
昨年11月、全米で映画『ゴーストバスターズ/アフター・ライフ』が公開された。
この映画は、映画『ゴーストバスターズ』(1984年)と『ゴーストバスターズ2』(1989年)の続編であり、最初の2作を監督したアイヴァン・ライトマンの息子、ジェイソン・ライトマンが監督を務めたことでも注目された。コロナ禍で公開延期の憂き目も見たが、それでもまずまずの評価を受け、まずまずの興行収入を挙げた。
それから約3ヶ月後の2022年2月12日、アイヴァン・ライトマンは逝去した。享年75歳。亡くなるにはまだちょっと若い、という気がするけれど、自身の最大のヒット作『ゴーストバスターズ』のレガシーを実の息子が見事に引き継いだのを見届けられたのは、せめてもの慰めではないかと思う。
『ゴーストバスターズ/アフター・ライフ』を観てない私が言うのもなんだけどね。
そもそも私は昔から『ゴーストバスターズ』が好きではない。第1作目が公開された1980年代当時、全米大ヒットというからすごく期待して観たのに、CG合成の技術を除いてどこが素晴らしいのか、何がおもしろいのか、まるでピンとこなかった。後に、アイヴァン・ライトマンが『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画化企画を蹴って『ゴーストバスターズ』を製作したと知り、なるほど私が『ゴーストバスターズ』と相容れなかったのも無理はないと納得する羽目に。そりゃ『ゴーストバスターズ』のノリを好んだアイヴァン・ライトマンなら、アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』のおもしろさを理解できなかっただろう。
とはいうもののまさかここまで理解できていなかったとは、という衝撃のネタが、アイヴァン・ライトマン逝去のニュースに合わせ、現在ダグラス・アダムスの最新の伝記「42」を執筆中のケヴィン・ジョン・デイヴィスによるネット記事で明らかにされた。
この記事によると、ライトマンが書いた『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画用脚本への膨大なメモ書きがアダムスのアーカイヴに保存されていて、そのメモ書きの大半がダメ出しだったとのこと。ライトマンによると、人類が実はハツカネズミのために働いていたというオチもダメなら、イルカが人類より賢いというのもダメ、さらには『銀河ヒッチハイク・ガイド』の一番の大ネタである「42」にもついていけない、という。
マジか。
かくも見事に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を全否定した上で、代わりに作ったのがあの『ゴーストバスターズ』。そしてそれが全世界的に大ヒット。
この当時、もし私が既に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでいて、かつ、リアルタイムでこの裏事情を知っていたとしたとしたら、「やっぱり人類の知能なんてイルカ以下じゃん!」と叫んでたね(『ゴーストバスターズ』ファンの皆様、ごめんなさい)。気を取り直して今回の更新は、博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の読解の続きに戻る。ああ、終わらないったら。
先月ついに日本の映画館でも封切られた、ガース・ジェニングス監督の新作アニメーション映画『SING/シング:ネクストステージ』。期待違わず、ものすごく楽しかった。
前作『SING/シング』の日本公開は2017年3月だったから、『SING/シング:ネクストステージ』は約5年ぶりの続編になる。本当はもっと早くに公開される予定だったんだろうけど、新型コロナウイルス感染拡大の影響でいろいろ遅れたんだろうな。
実写映画や実写ドラマの続編を2020年を挟んで製作する場合、物語の続きを描くにあたって「新型コロナウイルスがない世界/ある世界」のどちらかの世界線を選ぶ必要が出てくる。とは言え、さまざまな動物たちが歌って踊る虚構アニメーション『SING/シング』では、その手の問題に頭を悩ませる必要はない――と思うけれど、『SING/シング:ネクストステージ』を観ていて私がもっとも痛切に感じたのは、「新型コロナウイルスがない世界」への望郷の念だった。
前作『SING/シング』ではダメダメ興業主だったコアラのバスター・ムーンは、今作では自分の劇場を大入りにして客席を湧かせている。映画館の観客である私は、ガース・ジェニングスの脚本と演出に乗せられて虚構の劇場の観客の一人となり、虚構の観客に混じってバスター・ムーン演出の舞台に(心の中で)喝采を送る。これは、言ってみれば「劇場の擬似体験」――それも、新型コロナウイルスの出現により現実には失われてしまった/失われつつある体験だ。
ガース・ジェニングス監督が『SING/シング:ネクストステージ』の脚本に取り掛かったのがいつ頃なのか正確には知らないけれど、当時はまだ新型コロナウイルスの影響はなかったと思う。たとえ影響があったとしても、そのことで脚本に変更を生じさせたかどうかはわからない。先にも書いた通り、何せ動物が歌って踊る虚構世界の話だしね。それでも、1年以上の長きに亘りブロードウェイやウエストエンドを筆頭に世界中の劇場が閉鎖に追い込まれた後で公開された『SING/シング:ネクストステージ』を観て、劇場文化への切なる愛を感じたのは私だけではないんじゃないかな。
ついでに言うと、『SING/シング:ネクストステージ』の作中SFミュージカルで繰り広げられた高所からのワイヤーアクションについては、ものすごい額の予算を費やして結局不首尾に終わったブロードウェイ・ミュージカル『スパイダーマン』をつい思い出しちゃったんだけど、そう言えばこのミュージカルに楽曲を提供してたのはU2のボノだったっけ……。気を取り直して(?)今回の更新は、博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の続きに加え、2022年3月11日、アダムスの生誕70周年を機にイギリスのブリティッシュ・ライブラリーが48時間限定で有料配信した公開インタビュー映像の模様も簡単に紹介する。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから2ヶ月が過ぎた。ロシアでは明後日の5月9日が対ドイツ戦勝記念日にあたり、プーチン大統領が何かしらの演説することだけは間違いないが、それが停戦へと向かうのか、それとも現在のところロシア国内では「特別軍事作戦」と呼んでいるものから正式に「戦争」へと切り替えるのか、この文章を書いている現時点ではわからない。
私の本音は、「プーチン、何でもいいからとっととウクライナからロシア軍を撤退させなさいよ」に尽きる。ただしその一方で、平均的な日本人以上にロシアやソビエトの小説や映画を愛好してきた一人としては、正直、プーチンが「ウクライナはモスクワ(=クレムリン)のもの」と見做すのを感覚的に理解できないこともない。セルゲイ・エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」を観ただけでも、いやいやいやオデッサはロシアだろ、それがどうしてEUだかNATOだかに帰属することになっちゃうんだ、と頭を抱えたくもなるだろう。「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段シーン自体はフィクションらしいけど、オデッサの港はエカテリーナ二世が設立したものだし、ってことはやっぱりロシアだろ、と叫びたくもなるだろう。
でも、そういう「感覚」を外して冷静に考えれば、ソ連崩壊を機にウクライナは独立国になったのだ。クレムリンの中の人たちは独立国といっても名ばかりで所詮はロシアの属国だろ、とタカを括っていただろうが、ソ連崩壊から30年も経てば、ロシア側がどう考えようとウクライナ側で「ウクライナはモスクワ(=クレムリン)のもの」という感覚が薄らいでいくのは無理からぬこと。かくなる上はロシア側でもさっさと腹を括り、ロシアとウクライナで「親愛なる隣人関係」の名の経済依存関係を築くにとどめておけばよかったのに、今頃になって時代錯誤な感覚を持ち出した挙句がこの大惨事だ。
ったく何て迷惑な。
ささやかな、本当にささやかな慰めは、私の敬愛するユーリ・ノルシュテインが以前からずっと反プーチンの姿勢を貫いていたことである。以前、何かのドキュメンタリーで、ノルシュテインの知名度は今のロシアでも抜群で、ノルシュテインを尊敬する映画仲間の手配で高給がもらえる官職やら名誉職を授かることができるのに、肝心のノルシュテイン本人がどんなに経済的に困窮してもプーチンの金は受け取らないの一点張り、という様を見た。2022年5月現在、ノルシュテインのその姿勢がどんなに正しかったかと思うと、長年のファンとしていよいよ誇らしいが、ただ、どのドキュメンタリーなのかが思い出せない以上、単なる私の記憶違いだったらマズいな……。
それからもう一つ。先日、ツイッター経由でキエフ、じゃなかった、キーウに「霧の中のハリネズミ」の像が建てられていることを知った。この画像が掲載されていたネット記事がこちら。この記事によると、像が作られたのは2009年、つまりウクライナが独立国になった後のことである。だからね、ほら、現実としてロシアとウクライナが文化的に仲良くやっていくことは可能だったはずなんだよ……。
……気を取り直して今回の更新は、5月26日開催予定の第16回ダグラス・アダムス記念講演の講演者、E・J・ミルナー=ガランドの追加と、エリザベス二世の戴冠80周年を記念して2022年4月18日に発表された、"The Big Jubilee Read" という英連邦で刊行された各年を代表する小説のリストを紹介する――だって、1979年を代表する一作として『銀河ヒッチハイク・ガイド』が選ばれたんですもの!
ダグラス・アダムス記念講演は、例年、アダムスの誕生日である3月11日頃に開催される。が、今年は2ヶ月ほど遅れてタオル・デーの翌日、5月26日に開催された。講演者の選出とか、いろいろ手こずったのかもしれないな、と邪推しないでもないが、事実上の打ち切りかと思われた数年間もあっただけに、とにかく開催にこぎつけたことがめでたい。
さらに言うと、昨年は新型コロナウイルス感染拡大のためオンライン開催だったけど、今年は感染状況が少し落ち着いたということで再びロンドンの王立地理学協会で開催されることになったのもめでたい。現地で開催されたにもかかわらず、オンラインでの配信も行われたのはなおめでたい。
が、たとえオンラインでも、リアルタイム配信では日本在住の私はさすがにつらい。やっぱり今年は見送りかなあ、と思っていたら、開催の2日前あたりになって急に「リアルタイム配信だけでなく、オンデマンド配信もやります」との情報が流れてきて、「そういうことなら!」と直ちにクレジットカードで参加費7.5ポンドを払った。去年の参加費が4.5ポンドだったことに思うと、さらには昨今の円安レートを思うと、私が支払う価格はほとんど2倍の値上げだ。でも、こればっかりはしようがない。何せ、王立地理学協会で直接参加する人と同じ価格だから。むしろ、オンラインのみだった去年の4.5ポンドが安すぎたのだ。
昨年は、リアルタイム配信された時の映像を保存し損ねるというアクシデントに見舞われ、再録画したものが後日オンデマンド配信された。今年は、無論、そのようなトラブルもなく、現地での開催から3日ほど経った日本時間5月30日、主催団体である Save the Rhino International から「配信を開始しました」とのメールが届く。
メールを受け取った側の私も、昨年に続いて二度目ともなれば、配信動画を見る手筈も整っている。ダグラス・アダムス記念講演の動画を視聴するためには専用のアプリをダウンロードして登録する必要があり、去年はそこそこ手こずったのだ。が、今年は届いたメールのリンク先をクリックしただけで、登録したことすら忘れていたアプリが自動的に起動し、視聴できるようになる。便利と言えば便利だが、こうして無自覚なままいろいろなところに私の個人情報が登録されていくのだな、きっと。今回の動画配信終了は6月15日なので、記念講演の詳しい内容については次回の更新で紹介する予定。一度、さくっと通して見た時には、会場に集まった人の数が異様に少なくて正直ぎょっとした。新型コロナウイルス感染防止への意識が高い人が多すぎて、蓋を開けてみたらオンライン参加者ばっかりになったというのならいいんだけど……?
気を取り直して今回の更新は、例によって博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の続き。でも、さすがにそろそろ終わりが見えてきた。
2022.7.2. アントニオ・ガデス舞踊団来日公演ふたたび
先月下旬、フラメンコ音楽専門店アクースティカから、アントニオ・ガデス舞踊団公演チケット先行販売に関するメールが届き、びっくりして飛び上がった。
アクースティカ。今から10年以上前、アントニオ・ガデスの舞台音源CDが発売された時にネットで注文/店頭に引き取りに行ったっけ。その際に登録したメールアドレスに定期的にメルマガが送られてきたけれど、アントニオ・ガデス以外に関心の薄い私はそのほとんどをスルーしていた。正直、スルーするのに慣れすぎて、メルマガ発行を止めてもらおうと考えたことすらなかった。
いやーーー、今日まで細々と繋がってて良かった。前方席確約付きの先行チケット販売に乗っかれて良かった。チケットの発送はちょっと先になるそうだけど、どうせ公演は10月だからね。全く急いでおりませんので、どうかご安心を!びっくりしたと言えば、先日、ノルシュテインの「霧の中のハリネズミ」をググっていたところ、この作品が高校の美術の教科書に掲載されているらしいことを知った時もびっくりした。どうやらイマドキの高校の美術のカリキュラムには「アニメーション」も含まれていて、その一例として挙げられているようなのだ。まさかソ連のアニメーションが日本の教科書で紹介される日が来ようとは、世の中何が起こるかわからない。
光村図書出版の公式サイトにあった「インタビュー映像 美術のはなし」の中の、「アニメーション表現の多様性」というインタビュー映像をみると、直接的にノルシュテインのことは話されていないけれど、映し出された教科書の該当ページに「霧の中のハリネズミ」が載っているのを確認できる。インタビュアーの土井信彰氏は『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』の著者なので、「霧の中のハリネズミ」の話もしてくれたっていいじゃない、と個人的には思うけど、さすがに高望みがすぎるというものか。気を取り直して今回の更新は、博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の続きに加え、前回予告した通り、第16回ダグラス・アダムス記念講演の内容と、メインのゲストスピーカーE・J・ミルナー=ガランドに先立って講演した、動物学者フェイ・クラークも紹介する。
そうそう、それからこのサイトを見てメールをくださった方から教えていただいた(ありがとうございます)、『人生を変えた本と本屋さん』という本の紹介も「Topics」欄に追加。電子書籍の便利さも捨てがたいけど、やっぱり紙の本はいいねえ。さて、そんなこんなで今年もまた2ヶ月の夏休みに入ります。ということで、次回の更新は9月3日。再び流行しつつある新型コロナウイルスと夏バテを共に躱して、無事にこの日を迎えられますよう。
2022.9.3. デイヴィッド・ミッチェルのバック・ストーリー
この夏、私はデイヴィッド・ミッチェルの自伝、David Mitchell: Back Story を読んでいた。
デイヴィッド・ミッチェルと言っても、小説『クラウド・アトラス』を書いた作家のデイヴィッド・ミッチェルではなく、『ピープ・ショー ボクたち妄想族』で主演したコメディ俳優のデイヴィッド・ミッチェルのほうである。この二人、名前のスペルも全く同じなので、本国イギリスでも混同されることがあるらしい。有名政治家と遭遇して自分の名前を名乗った時、「あなたの本を読んだことがあります」と言われ、小説家のデイヴィッド・ミッチェルと間違われているのか、それとも自分がロバート・ウェブと共著で出したコメディドラマの脚本を読んだという意味なのかと判断に窮した時の話が、この自伝の冒頭にも書かれていた。
私は、小説家デイヴィッド・ミッチェルの作品は日本語訳があるにもかかわらずこれまで読んだことがない一方で、コメディ俳優デイヴィッド・ミッチェルについては前からそこそこ以上の関心があった。彼とロバート・ウェブのコンビを一躍コメディ界のスターにした『ピープ・ショー ボクたち妄想族』自体はそんなに好きではなかったけれど、この二人のコンビで出演したコメディドラマ、Back(2017年、2021年)はおもしろかった(ミッチェル演じるスティーヴンの叔父を演じているのが、ラジオドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』のフォードことジェフリー・マッギヴァーン!)し、何より2016年から放送が始まった、ミッチェル演じるウィリアム・シェイクスピアが主役のコメディ『アップスタート・クロウ』シリーズが大好きだからだ。このコメディドラマ、第1シリーズはめでたく日本版DVDが出たのに、残りのシリーズが音沙汰なしなのが残念でならない。
が、その程度の関心では、私がわざわざ英語で自伝本を読む動機としてはあまりに弱い。そんな私を強く後押ししたのは、もはや言うまでもありませんね、「この自伝本にダグラス・アダムスの名前が出ていると知ったから」。
……正直、いっそ知りたくなかったかも、くらいの後ろ向きな気持ちでKindle版をポチった。電子書籍のありがたみは、買うと決めた途端に手元に届くことと、さらに「Douglas Adams」で検索すれば該当箇所だけを拾い読みできることだが、せっかく買ったんだし、デイヴィッド・ミッチェル本人に全く興味がないわけでもないので、おとなしく序文から読み始めたところ、これはこれでさすがにおもしろい。この本が書かれた2012年当時、彼が住んでいたロンドン北西部キルバーンからロンドンの中心部まで、腰痛対策の一環として歩きながら(タイトルの「Back Story」には「腰痛の話」と「裏話」の両方の意味が込められているんじゃないかと思う)、その道すがらに目にとまったものについて語りながら、その話の流れの中で過去のあれこれを振り返る、という構成もよく出来ていたが、それより何より、ミッチェルはアダムスより20歳ほど若い世代の一人としてケンブリッジ大学のフットライツで活躍し、当時のフットライツの様子について詳しく語っていたからだ。うむ、中身検索でお茶を濁さず全文をちゃんと読んでよかった。
というわけで今回の更新では、David Mitchell: Back Story をダグラス・アダムス関連Topicsに追加。あと、例によって博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の続きもね。
今回の更新で、ついに博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の最終行にたどり着いた。
最初に追加したのが2021年2月だったから、たっぷり1年半もかかった計算になる。実際には、その合間に別の内容を優先して追加したりしていて、ずっとこの論文だけにかかりきっていたわけではない。が、それにしたって1本の論文に費やした時間としては長すぎもいいとこだろう。
日本語訳を始めた当初の見積もりでは、せいぜい半年くらいで片付けるつもりだった。が、実際に訳出を始めてみると、第2章のファンタジーの定義で早くも頭を抱え、さらに第3章に入って不条理の哲学がどうのこうのという話になるともう……私のポンコツな訳文を実際に読んだ人ならとっくにお気づきだろうが、我ながらちゃんと意味がわかった上で書いているという気がしない。当然、1年半もかけて訳出しておきながら、赤面モノというか噴飯モノの誤訳も大量にあるはず。ううううう。
それでも少しでも誤訳を減らしたい一心で、さまざまな文献からの引用箇所については極力既存の日本語訳を探し出して利用した。サルトルやカミュの代表作といった、日本語訳が出ているに決まっている有名作品は言うに及ばず、日本語訳が出ているとは到底思えないような書き手についてもモノは試しでググってみたら日本語訳が見つかったりして、あらためて先人の研究業績に頭が下がる思いがした。さらに言うと、こういう学術書の日本語訳が少部数ながらもきちんと出版され、かつ、出版から数十年経った後まで図書館できちんと所蔵されていることのありがたさよ。
ということで、今回の更新では、私が博士論文 One Is Never Alone with a Rubber Duck: Douglas Adams's Absurd Fictional Universe の訳出で利用した日本語文献のリストも追加した。
といっても、この博士論文で実際に引用されている文献は、当然ながらこの日本語訳リストよりも多い。そういう意味でも、この論文の内容に本気で興味のある方には、ぜひ英語の論文そのものに直接あたっていただきたい。何せこの博士論文、ケンブリッジ大卒の研究者たちによって設立された「Cambridge Scholars Publishing」という出版社から発売され、2010年の発売から10年以上経った今なお出版社の公式サイトで簡単に購入できるのだ。デジタルデータの販売ではなく、あくまで紙の本だけなので、郵送にそこそこの日数と費用がかかるのが難だけど(ブレクジットとコロナ禍とプーチンの侵略戦争と円安が始まる前に買っておいてよかった)。
2022.11.5. 『銀河ヒッチハイク・ガイド』、「天声人語」に登場
先月の13日、朝日新聞の「天声人語」に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場した。
我と我が目を疑うレベルの快挙である。朝日新聞の一面というだけなら、2020年9月7日付の朝日新聞「折々のことば」欄で取り上げられたことがあり、それはそれですごい快挙だと思ったが、「天声人語」となるとこれはもう別次元だ。
だって、日本の多くのティーンエイジャーが受験勉強に活用するという、あの「天声人語」だよ? 私が一番『銀河ヒッチハイク・ガイド』を知ってほしいと願っている社会層を、事実上の狙い撃ちだよ??
願わくば一人でも多くの受験生が、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』って、何かおもしろそう」と軽い気持ちでググってくれますように。そして、ちょっとした出来心で河出文庫を手に取るか、電子書籍をダウンロードしてくれますように。
英語に自信があるなら、原著で読むとかオーディオドラマを聴くとかするのもアリだ。何しろ『銀河ヒッチハイク・ガイド』はそもそもの始まりがラジオドラマだから、ラジオドラマそのものを聴く手もあるし、小説の朗読版を聴く手もある。嗚呼、インターネットで何でもさくっとダウンロードできちゃう21世紀の世界って素晴らしい。
勿論、かつての私と同様に、そんなネイティヴ並の英語リスニング力を持ち合わせていない受験生なら、日本語訳を読んでから原著に挑戦するのも悪くない――っていうか、実体験者の一人として言わせてもらうが、これは受験のための英語の長文読解や語彙力向上にすごく効くぞ?
というわけで、受験生のお子さまと日々対峙なさっている保護者の皆様にあらせられましては、お子さんが受験勉強をする代わりに『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んでいたとしても、どうか咎めないでいただきたい。2022年10月13日付の朝日新聞「天声人語」を深く正しく理解するためにも、文中で取り上げられた書籍に目を通しておくのは、れっきとした受験対策の一つでありましょう。ついでに、もしまだ『銀河ヒッチハイク・ガイド』に馴染みのない親御さまがいらっしゃいましたら、これを機に是非ご一読いただき、親子間の会話のネタの一つにでもしていただければ幸いかと!ということで今回の更新は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』がチャートインしたベストSFリスト、「Esquire」と「Book Riot」の2種類を追加。ほらほらほら、受験生諸君、将来グローバルに活躍する大人になりたいなら『銀河ヒッチハイク・ガイド』は必読ですぞ?
前回の同コーナーで書いた通り、2022年10月13日付の朝日新聞の天声人語に『銀河ヒッチハイク・ガイド』が登場したことが今年のハイライトだと思っていたら、それから一ヶ月と経たないうちに次なる大事件が起こった。まさかまさかの、ダグラス・アダムス&マーク・カーワディン著『これが見納め』(みすず書房)の文庫化!
めでたい。実にめでたい。文庫化されたことでお買い求めしやすい価格になったことに加え、みすず書房から河出書房新社に引っ越したことにより、動物保護に関心を寄せるノンフィクション好きな読者をスムーズに『銀河ヒッチハイク・ガイド』へと誘えるという利点もついてくる。そして勿論その逆、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のSFファンを紀行ルポルタージュ『これが見納め』へと誘うこともできる。
この文庫本を書店で見かけたら、「このヘンな顔の鳥は何? 何でこんな写真を表紙にしてるの?」くらいの軽いノリで手に取ってみてほしい。冒頭だけでいいから、ちょっと拾い読みしてほしい。何よりまず確実に、文章がおもしろいから。おもしろさにつられて、つい続きを読みたくなったら、迷わずレジに直行しよう。文章そのものがおもしろいということは、その本丸ごとの品質が保証されているも同然だからね。そして『これが見納め』を最後まで読んだ暁には、あなたもきっと表紙に載っているヘンな顔の鳥のことが大好きになっているはず。それは私が保証する。
『これが見納め』の原著が発売されたのは1990年、あれから30年以上(!)経った今になってあらためて読み直してみると、携帯電話どころかインターネットも機能していない時代の旅行記として読んでもすごくおもしろい。今では私も忘れかけているけれど、スマホがあればいつでもどこでもググったりポチったりできる昨今と違い、電話とファックスの時代の世界旅行って大変だったよな。っていうか、私もよくこんな時代に個人で海外旅行できたものだ(あ、私の場合もアダムスと同じで、単にものすごく頼りになる友人と一緒だったからか)。
最後にもう一言。この本がみすず書房で最初に出版された時、みすず書房という出版社の格式がすごくありがたかった。版権が河出に移行したことで、今後はみすず書房で再販されることはないのだろうけれど、在庫が残っているうちに1冊でも多く図書館で購入されることを願う。文庫本は現在の読者への普及に向いているけれど、図書館に所蔵されたみすずのハードカバー版は近未来の読者を獲得することにつながると思うから。そして今回の更新では、『これが見納め』の発売よりもさらに前、1988年に発表された『銀河ヒッチハイク・ガイド』に関する論文 "Adams's "Hitchhiker" Novels as Mock Science Fiction" を新たに紹介。
さて今年も例年通り、一足先に冬休みに入ります。次回の更新は2023年2月4日。その頃までにはどうか新型コロナウィルス感染拡大の第8波がおさまっていますように。