小説 Doctor Who: Shada あとがき


 以下は、2012年3月15日に発売された、アダムスが残した脚本を元にした小説 Doctor Who: Shada につけられた、著者ギャレス・ロバーツによるあとがきの抄訳である。
 ただし、訳したのは素人の私であるので、少なからぬ誤訳を含んでいる可能性が高い。そのため、この訳はあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は、必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。


Afterword

 「ちょろいもんだ」この本の執筆にあたって、僕はエージェントに言った。「せいぜい2、3ヶ月もあれば完成するよ。楽勝さ。簡単簡単――丸太から落ちるようなものだね」。
 丸太、といっても、優雅な田舎の散歩道でひょいとまたいで通るくらいの、細い枝レベルの代物かな。
 その8ヶ月後。私は中サイズの村一個丸ごと潰しかねない巨木の下敷きになり、必死で這い出ようとしていた。ま、出るには出たのだが、脳細胞を失い、頭髪を失い、友人まで失って(悲しいかな体重は失わなかったが)、ようよう陽の下によろめき出たときには頭の中は 'Shada' のことで一杯、他のことは何も考えられない有様だった。いつも通り、僕は自分のベストを尽くすつもりだった。が、今回は、ダグラスの基準でベストを尽くしたいと思っていたのだ。
 1978年11月、母が僕に、前に聴いたことのあるラジオのSFコメディ・シリーズが再放送されるわよ、と言った。『ドクター・フー』の人が書いてて、すごく評判になっているみたい、と。ちょうどダグラスが脚本を書いた 'The Pirate's Planet' がテレビ放送されたところで、僕はこのエピソードが他のとはちょっと違う、何というか、観た人の反応が違うと感じていた。確かに、他の話と比べてワイルドでカラフルでスケールが大きいけれど、それだけじゃない。普段、僕の家族が『ドクター・フー』を観ている時の反応は、「軽く鼻であしらう」から「心底バカにする」までの範疇に収まるが、このエピソードにだけはがっちりハマっていた。嘲笑うのではなく、本気で笑っていた。こんなにヘンテコで、こんがらがってて、ぶっとんだ話なのに、だ。ダグラス・アダムスという人には特別な力があるんだな、と僕は思った。
 という訳で、僕はロバーツ家のラジオ(実際それはロバーツ・ラジオという名前の製品だった)が置いてある風呂場に引っ込んだ。そのラジオを通して、僕はラジオ・ドラマ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の第1話を聴いた。インターネットのおかげで、今ではそれが3度目の再放送だったことも分かっている。
 風呂場から大笑いしながら出てきた時には、僕は別人になっていた。あれ以来、僕は未だにずっと笑い続けている。学校で、僕は相手かまわずヴォゴン人やタオルやバベル魚の話をしまくったが、興味を持ってくれたのは少数で、大抵の人はそうじゃなかった。ゴルガフリンチャム箱船団B船の話は、数年前に放送された『ドクター・フー』の 'The Ark in Space' の美味しすぎるもじりだが、僕なんか今でも思い出すたび腹の皮がよじれるくらい笑ってしまうのに。
 でも、これは僕にとって、ダグラス・アダムスという天才との個人的な付き合いが始まったばかりにすぎなかった。忘れられがちだが、彼は『ドクター・フー』史上最良のエピソード 'City of Death' を週末の2日間で書き上げたのだ。その後、他の作品を書いた時にはもうちょっと長い時間が必要だったにしても。が、ダグラスの場合、「待つ甲斐があった」という言葉通りだった。フェンチャーチ、アグラジャッグ、クリキット人、クロノティス教授(ちょっと待て……)といった、忘れ難いストーリーの中の忘れ難いキャラクターたち。この他にもまだ、The Meaning of Liff「ハイパーランド」『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』等がある。
 でも、僕は小説版 Shada に取りかかるにあたって、ダグラスが何度となく 'Shada' の出来に不満の意をもらし、もともとのテレビ・ドラマ版が放送に至らなくて却って良かったとまで言っていたことを、意識せざるを得なかった。
 当時の状況は、僕が分かっている範囲で、こんな感じだった。『ドクター・フー』の脚本編集者だったダグラスは、第17シーズンのうちの、6話からなる最後のエピソードを書く予定になっていて、ダグラスとしてはドクターがよその惑星を救う仕事から引退するというアイディアを実現させたいと切望していた。勿論、ドクターは結局引退なんて不可能だと気付き、6話目までには惑星を救う仕事に戻るのだが、その過程で自分自身を再発見する。僕はすごくいいアイディアだと思うが、すべてにおいて正しい判断を下し続けた今は亡きグレアム・ウィリアムズは、そうは思わなかった。ダグラスは、自分の脚本をぎりぎりまで遅らせれば、グレアムもそのうち折れてくれるのではないかと考えた。が、グレアムの考えは変わらなかった。で、ダグラスは大急ぎで 'Shada' を書き上げ、二人とも不満足という結果になった。この時期、彼はその年に製作された『ドクター・フー』脚本のすべてを監督し、小説版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の2作目と、ラジオ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』第2シリーズの脚本と、テレビ・ドラマ版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の試作脚本を書いていた。それに加えて、最初の小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』の大成功を受けて思いがけずものすごい大金を手にしていた。控えめに考えても、彼が感じていたプレッシャーたるや相当なものだっただろう。
 その後、ケンブリッジでの 'Shada' のロケ撮影が完了し、3つのスタジオ録音パートのうちの最初の1つが無事に終わり、セットと衣装が出来上がってリハーサルも終了したところで、BBCでストライキが起こり、作業は致命的な中断を余儀なくされた。製作チームも俳優も、スタッフは全員スタジオに入れなくなった。数年後、当時を振り返ってトム・ベイカーは「みんなで泣いたよ」と語る。一方、数年が経った後でさえ、ダグラスの本心は「やれやれ助かった」だったと認めている。
 テレビで 'Shada' を完成させようという試みは、1980年代でさえ既に何度か議論されたが、実現には至らなかった。
 チャールズ・マーティンがツイッターで僕に思い出させてくれたのだが、マーティンがダグラスにインタビューした際、1992年に未完の 'Shada' の一部が放送されたことについてどう感じたか、ダグラスは腹蔵なくはっきりと語っている。ダグラスを震え上がらせたのは、ストーリーというかその断片のようなものがトム・ベイカーのナレーションで説明され、まるっきりふさわしくない音楽が付けられてBBCビデオで発売されたことだった。これはちょっとした手違いだった。ダグラスは、きちんと確認しないまま、BBCに作品の使用権を認める書類にサインしたのだ。彼はこの企画からの収益はすべてコミック・リリーフに寄付したが、ご想像通り、金額はほんの数ペンス程度だった。
 でも、毎度のことだが、ダグラスは自分に厳しすぎる。'Shada' の最初のほうのエピソードは、肩が力の入っていない感じで活気に溢れていて楽しいし、とりわけ第1話では、視聴者を煙に巻いたり策略をあからさまに出したり、その絶妙の匙加減ときたら、何十年も時代の先を進んでいる。ストーリー全体においても、ドクターの台詞はどれも愉快で、時々、信じられないくらい21世紀のドクターそっくりだったりする。いやもう本当に、ストーリー全体が、生命力とエネルギーと優しさと、それから、ダグラスだけに可能な忘れ難いアイディアの数々で弾けている。
 という訳で、『ドクター・フー』新シリーズの支持者であると同時に、ダグラス・アダムス作品の大ファンである僕は、びくびくしながらダグラス本人に続いてこの物語の中に入り込み、作品世界を見渡してみた。すると、何が起こったのかが見えてきた。どうしてダグラスが不満を感じていたのかも。ダグラスが、やりたいと思ったけれど時間がなくてできなかったことが何なのかも分かった。でも、このような不都合を被った作家はダグラスが初めてでないことも確かだ。
 シェイクスピア作品の中でも、『テンペスト』と『終わりよければすべてよし』の奇妙で性急なエンディングについては数多くの論文が書かれている。学者たちは、残り少ない頭髪をひきむしりながら、どうしてシェイクスピアともあろう人が、バートラムやアントニオといったキャラクターを意味不明で訳の分からないものにしてしまったのか、おかげで傍目にはまるで彼らがプロットをとりあえず収拾させるためだけに行動しているようにしか見えないではないか、と声を嗄らしてきた。ふむ。答えを教えてあげよう。ややマイナーながらも一脚本家として、これらの劇をそれなりに謙虚な気持ちで見てみると、実際に何が起こったのか分かる。シェイクスピアは締め切りに追われていたのだ。エリザベス朝時代のペナント・ロバーツ('Shada' の監督)が、シェイクスピアの部屋のドアを叩きながら、「月曜までには脚本を仕上げるって言ったのはお前だろう!」とわめき散らした。で、恐らくはシェイクスピアは、相手に向かって怒鳴ったり叫んだり調子を合わせたりして、とりあえず出来ていたものを手渡したにちがいない。
 そして、それから約370年後、ダグラスと 'Shada' の脚本についても同じようなことが起こったのだと思う。
 僕としては、'Shada' のこんがらがった話を解きほぐし、ダグラスのアイディアの数々を、もし彼に時間があったらこうしただろうな、という状態にまで引き上げたかった。かくして作品の内側から眺めることで、僕はダグラスが、あれほどのストレスと重労働を背負っていたにもかかわらず、作品の基礎構造を完璧に作り上げていたことに気付き、心から驚かされた。
 初期の脚本では、クリスとクレアの間には明らかに何かがある。が、彼らの関係性や(特に哀れなクレアの)性格付けは、そこから先、ほとんど出てこない。同時に、スカグラの出生の秘密についても、ストーリー全体でほのめかしておきながら、ダグラスは最後の場面でべらべら喋らせて終わりにしてしまった。僕もたびたび気付いたのだが、シーン全体やプロットが何かの伏線になっているようでいて……結局何も起こらない。第5話で、クロノティスは完璧に配置され、クリスが不運だがものすごくドラマチックなヘマをやらかすのにつながっていく。でも、テレビ版では、意味不明なことに、クロノティス自身が最悪のタイミングで大ポカをやらかす。これじゃまるで、マルティン・ボルマンがニュルンベルク裁判の最中に立ち上がり、「はい、私がやりました!」と叫ぶようなものだ。
 他にも、きちんと確定すべきディテールはたくさんあった。そういった細部は、ぼーっとテレビで観ているだけなら気にならなくても、注意深く小説を読んでいる時にはつっこみたくなるものだ。たとえば、Salyavin は、もともとそんなに凶悪な犯罪者だったのか? Shada のシステムはどのくらいの期間維持されていて、またどのくらいの期間忘れ去られていたのか? 具体的に、Salyavin はどうやって Shada を脱出したのだろう? これらの問題を解決するために、長時間一人で考え込むだけでなく、僕の同居人にして時には共同執筆者でもあるクレイトン・ヒックマンと長々と討論することになった。夜遅く、僕たちが二人が、これならストーリーのどこにも矛盾なくぴったりはまるぞ、という答えに必ずたどり着くことができた、ということは、とりもなおさずダグラスだって十分な時間と労力をかけて考えれば見つけ出せたはずだが、時間がなくてテレビドラマに反映させることができなかったのだ、ということの証だと思う。
 その上さらに、気を取り直して過去と現代のタイム・ロードの歴史と伝統についても調査した(『ドクター・フー』に関して、僕はこの問題だけは避けて通るのが一番だと思っていたが、今回ばかりは逃げようがなかった)。でも、同情されすぎる前に断っておくと、ここでいう「調査」とは、僕とクレイトンの二人でDVDの 'The Deadly Assasin' とか 'The Invasion of Time' とか、あとは 'The End of Time' の特定の箇所とか、そういうものを、ひっきりなしに一時停止ボタンを押しては、メモをとったり、あるいは単にどこが気に入っているかを言い合ったりすることだ。これらの調査結果が、Shada の背景と壮大なスケールに深みを与えてくれたことを願う。
 この本を書くにあたって何より助けとなったのは、ダグラスが書いた 'Shada' の脚本の最終稿に触れられたことだ。1992年発売のVHS版には、'Shada' の脚本としてかわいらしい青の小冊子がついていた。実際には、その前に書かれた初期稿がいくつも存在していて、僕はそれらも参考にさせてもらった。カメラ用の脚本とかリハーサル用の脚本もあって、製作過程で変更された箇所も利用することができた。それらの多くには、リハーサル中にダグラスとキャストたちの間で決められたと思われる変更点が、監督のペナント・ロバーツの直筆で書き込まれていた。会話一行分の、ほんのちょっとした訂正もあれば、シーン全体を取り消して完全に一から書き直された箇所もある。良くなっていることもあれば、そうでないこともあった。中でも最大の発見は、ノートの2ページ目に手書きで書かれたまったく新しいシーンだ。出版されたこともなければ、存在すると思われたことすらなかったが、間違いなくダグラスが書いたものだった。それがどのシーンか、当てられるかな? 僕が自分で新たに追加したシーンもあることをお忘れなく。
 さて、締め切りをとうに過ぎ、僕はぎゃあぎゃあ大騒ぎしていた。数ヶ月が夢のように過ぎ去り、このストーリーは完結する気がないんじゃなかろうかとさえ思い始めた。時には、僕の人生を完結させる気か、とさえ思えた。でも、ダグラスのおかげで、彼の壮大なコンセプトを十分に生かし、彼の考え方をちゃんと感じられるような作品を仕上げることができた。1979年当時の『ドクター・フー』では、この規模と奥行きは実現不可能だっただろう。このような形で最終的に 'Shada' を締めくくったことについて、ダグラス本人もきっと満足してくれたにちがいない。
 というのも、ダグラス自身、'Shada' をあのまま放置するのはしのびないと思っていたからだ。彼が1987年に出版した小説 Dirk Gently's Holistic Detective Agency が、その証拠である。『ドクター・フー』のことも、彼は決して忘れてはいなかったと思いたい。2005年、番組がついにテレビで復活したのに、'by Douglas Adams' のオープニング・キャプションのついた新作を観ることができないなんてひどすぎる。彼なら絶対書いてくれたはずだ。締め切りが許せば、だけど。
 本書が、せめてもの次善の策となれば嬉しい。ダグラス・アダムスによる、旧作にして新作の『ドクター・フー』ストーリー。近年新しくドクターのファンになった大勢の若い人たちに、最高の『ドクター・フー』作家の作品を再発見してもらえれば、と思う。そして、ダグラスと彼の才能を、もう一度よみがえらせることができれば。
 1冊の本でそんなことができたら、凄いよね。

ギャレス・ロバーツ
ロンドン、2011年

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