2004年5月28日、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本家の一人であるキャリー・カークパトリックがインターネット上に、世界中の『銀河ヒッチハイク・ガイド』ファンが疑問に(あるいは不安に)思っているであろうことを、カークパトリック自身が想像して質問として掲げ、それに答えるという形の自問自答形式で書いて発表した。そこには、彼がこのプロジェクトに参加することになったいきさつや、映画化決定までの紆余曲折が率直に語られている。
詳細については本文を読んでいただきたいが、その内容を簡単に説明すると以下の通り。
アダムスの死去に伴い、映画化企画は数ヶ月に亘って事実上の凍結状態となった。が、ジェイ・ローチやロビー・スタンプは、アダムスへの追悼の意味も含めて是非ともこの企画を実現させたいと考え、新たな脚本家を探すことになった。ちょうどその頃、ジェイ・ローチはテレビで長編アニメーション映画『チキン・ラン』を観て、この脚本家(ケイリー・カークパトリック)ならイギリス独特のセンスを残しながらもハリウッドのメジャー・スタジオ作品として成立するような脚本を仕立てることができるのではと考えた。
ジェイ・ローチから『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本執筆の打診を受けた時点では、カークパトリックは、『銀河ヒッチハイク・ガイド』という名前くらいは知っていたものの、実際にアダムスの作品を読んだり聴いたり観たりしたことがなかった(「ここまでお読みになったところで、コンピュータ画面に向かって『何てこった、畜生!』と叫んで失神した方が何名かいらっしゃるかもしれませんね」)。が、このことは逆に、何の知識もなく『銀河ヒッチハイク・ガイド』の脚本に接することができたという意味で、脚本を担当する自分にとっては強みになったと彼は言う。そして何も知らないまま、アダムスが残した脚本を読んで一番最初に感じたことは、「この作者は天才だ、自分はとてもこんなふうには書けない」。
にもかかわらず、カークパトリックはジェイ・ローチには会いたいと考えた。というのも、ここが彼の正直なところだが、あわよくばローチに彼の新作、『ミート・ザ・ペアレンツ2』の脚本を書かせてもらえないかという下心があったからだ。ともあれ、ローチに会って、アダムスの脚本を読んで考えた、作品の主題や構造上の問題についての自分なりの意見を伝えたところ、ローチも賛同してくれ、かつ、自分がアダムスの文章に手を入れる自信がないことについても、ローチいわく、「そういう態度で臨むことこそ、理想なんだ」と、後込みするカークパトリックを後押してくれたという。かくして、2002年9月、カークパトリックは脚本家として正式に契約した。
いざ脚本にとりかかるにあたって、カークパトリックはまずラジオ・ドラマを聴き、小説を読んだ。テレビ・ドラマも観るつもりだったが、ローチから先入観ができるとよくないからと止められ、これは観ていない。さらに、ロビー・スタンプからは、アダムスがコンピュータのハードディスクに保存していた、映画脚本執筆のためのさまざまなアイディアやメモや初稿を見せてもらい、また生前のアダムスの考えや希望を聞かせてもらった。それから、アダムスの他の作品や伝記も読んで、アップル・マッキントッシュ好きなところやギタリストになりたかったこと、またこの世には「笑いのネタにするには神聖すぎる」ものなどないという考え方など、意外に自分と共通点があることも知った。ただ、自分とアダムスとの最大の違いは、アダムスが概念を考えるのに対し、自分は構造を形づくるのが得意だということ。言い換えれば、さまざまな概念だけはあるのに、構造が欠けているアダムスの映画脚本を書き直すには、自分は適任なのではないかと考えるようになった。
とは言え、カークパトリックとしては、アダムスの作品を書き直すとか自分らしさを付け加えるといったつもりは一切なく、逆に完成した映画脚本に彼自身の痕跡がまったく見えないように仕上がるのが理想だったという。ともあれ、カークパトリックの第一稿は2002年のクリスマス前に仕上がった。が、この第一稿は152ページもあり、スタジオ側は当然ながらもっと短くするように注文をつけた。この問題は、主として『銀河ヒッチハイク・ガイド』の項目を減らすことで解決したが、カークパトリックとしては、いつか映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のDVDが発売されるときに、追加されることを願っている。
一方、この映画を監督する予定だったジェイ・ローチが製作に回ったことについて、カークパトリックは落胆した。「正直に言おう。このプロジェクトに参加することにした主な理由はジェイと仕事ができるからだった。(略)彼は長い時間僕と一緒に仕事をしたし、この脚本は彼の協力なしには完成しなかっただろう。だから、彼がこれを次回監督作とするほどの出来ではないと決めた時、腹が立たなかったと言ったら嘘になる」。
降板したローチに代わる監督候補として、何人かの有名映画監督の名前も挙がったが断られた。そこで、ローチが映画監督のスパイク・ジョーンズに脚本を見せたところ、ジョーンズは
Hammer and Tong を推薦してきた。が、彼らはミュージック・ビデオを製作したことはあるけれど、長編映画を監督した経験はないとのこと。カークパトリックとしては不安を禁じ得なかったが、まずは脚本家と会いたい、という彼らの意向を受けてロンドンに飛び、実際に話をしてみたところ、アードマン・スタジオのニック・パークやピーター・ロードに負けず劣らず、創造力やインスピレーションに富んでいることが分かった。カークパトリックいわく、今となっては彼ら以外の人に任されることは考えられないと言う。2003年5月、Hammer
and Tong のニック・ゴールドスミスとガース・ジェニングスがこのプロジェクトに参加することが決定し、彼らがカークパトリックの第二稿に修正を加え、第三稿の脚本が完成した。
完成した脚本は、基本的にラジオ・ドラマや小説版と比べて大きな変更はないらしい。主要登場人物を始め、クジラもハツカネズミもディープ・ソートも42も、もれなく入っているそうな。