ユーリ・ノルシュテインについて

 ユーリ・ノルシュテインって誰、という質問に対して、彼の略歴を簡単にまとめると以下の通り。

 1941年生。家具職人を経て、芸術専門学校を卒業後、連邦動画撮影所の動画監督コースに入り、「せむしの仔馬」等で有名なアニメーション作家イワノフ=ワノに師事した。一時、声優をこなしたこともあるが、1968年「25日・最初の日」で監督デビュー。「ケルジェネツの戦い」(1971年)をワノと共同監督した後、「あおさぎと鶴」(1974年)「霧につつまれたハリネズミ」(1975年)「話の話」(1979年)等の作品を発表する。切り絵アニメーションの手法を用いて作り出される彼の作品は、寡作ながらすべてが世界中で高く評価されている。現在はニコライ・ゴーゴリ原作の「外套」を製作中。

 アニメーションというと、たいていの人は日本のテレビアニメかディズニー・アニメ、あるいは宮崎駿を中心とするスタジオ・ジブリ作品といったいわゆるセル画アニメーションを思い浮かべるが、ノルシュテインの作品はそれら商業アニメーションとは手法も内容もかなり異なる。
 百聞は一見にしかず、とにかく直接観てもらうのが一番。2002年には待望のDVDも発売されたので、ぜひ一度ご自分の目でお試しあれ。と言ってもレンタルビデオで簡単に見つかるものではないし、そもそもDVDプレイヤーも持っていない、という御仁には、年に一度くらいの頻度で行われるロシア・アニメーション祭に足を運ばれることをおすすめしたい。2002年も、世田谷区のラピュタ阿佐ヶ谷という映画館でノルシュテイン本人のシンポジウム付きのフェスティバルが行われたばかりだし、マイナープログラムにしてはやけにしょっちゅう開催されている。


 ノルシュテインの作品はどれも10分少々、長いもので30分足らずとかなり短い。製作方法も、切り取った絵を組み合わせて撮影し、また少し動かしては撮影する、という工程の繰り返し。大人数でセル画を描き彩色するセル画アニメーションの制作現場と違って、ごく少数のスタッフ(ノルシュテインの場合は、ノルシュテイン本人と絵を描くノルシュテイン夫人とカメラマン程度)で年単位の歳月をかけてこつこつと作り上げていく。
 このような作品は、単純に「短編アニメーション」というのではなく、商業アニメーションとの相違という意味合いも込めて「実験アニメーション」「芸術アニメーション」という名称で呼ばれることもあった。もっとも、現在ではニック・パーク監督の「ウォレスとグルミット」シリーズやジョン・ラセター監督の「トイ・ストーリー」(この原型となったのは、「ティン・トイ」という短編作品だった)などの商業的成功もあって、必ずしもこのような名称が適当であるとは思わない。ただ、映画館やテレビでの上映を考えると、ほんの一部の例外を除いて原則として採算が取れない、取りにくい作品類であるのは確かだ。
 かつて、この手の短編アニメーションと言えば旧共産圏の独壇場だった。理由は簡単、「採算」なるものを考える必要がなかったからである。確かに、アニメーション製作にあたって企画段階で国家の検閲を受けなければならない。だが、いったん検閲を通ってしまえばあとはアニメーション作家自身が気の済むまで自分の芸術を追究することができる。かつて、日本のアニメーション作家高畑勲が20世紀に残った最後の芸術家のパトロンはソビエトという国家だと語ったのを聴いたことがあるが、ソビエトが崩壊し、連邦動画撮影所が「話の話」までのノルシュテインの全作品の著作権を他のアニメーション作品ともども一括してアメリカの企業に売ってしまった今となっては、多くのロシアのアニメーション作家たちはパトロンのありがたみを思い返したにちがいない。だからと言って一度資本主義的な自由の味を覚えてしまった以上、ペレストロイカ以前の検閲システムに戻りたいとまでは考えたりしないだろうけれど。
 話をノルシュテインに戻す。現在製作中の「外套」に彼が着手したのは1980年、今から20年前のことになる。現時点で仕上がっているフィルムは約30分、それでもまだ「外套」という物語のはじまりの部分でしかなく(主人公アカーキー・アカキエウィッチはまだ外套購入の決断すらしていない)、すべてが完成すれば1時間を超える長編になるのは間違いない。ノルシュテインの作品の中でもっとも長い「話の話」ですら約30分の長さだから、「外套」がこれまでにない大作であるとは言え、20年以上かかって30分である。これだけの時間がかかってしまった最大の理由が、ソビエト崩壊に伴う資金難であることは否めない。
 これまで「資金繰り」など考えたこともなかったノルシュテインが、資本主義社会の中に突如放り出されると、「内外の映画マフィアが彼の才能を利用しようと暗躍して純粋な芸術家の心を傷つけてきた」(山田和夫、p. 245)。具体的には、

ロシア国内でもロシア製糖のコマーシャルを手掛けたり、テレビ局の仕事をしたりするものの、予算と仕事の配分が上手くいかなかった。つまり、どうしても納得いく“作品”に仕上げてしまうために赤字になるという構図である。(略)後に国内では講義録や絵本を自費出版し書店に納品することまで行っている。最近ではその絵本に原画を添えてネットで宣伝したりしている。土日は通常の仕事は休みだが、ノルシュテインもそのスタッフも当番制でスタジオに詰めて、購入者を受け入れている。国外では大学などに招かれ、ワークショップを開催し、やはり本人言うところの“出稼ぎ”をすることになる。(略)制作中の《外套》には資金提供の提案もあるが、ノルシュテインは頑なに拒絶する。かつてフランス文化省が支援を決定したが、間に入った同国プロダクションが使い込みをした事件もあった。フィンランドでは《霧の中のハリネズミ》のエスキース八枚(オリジナル)を提供し、その会社が倒産し、エスキースは全部行方不明になった。国際裁判を行うにも、ノルシュテインにはその資金さえなかったのだ。それで、非常に神経質になった時期もあった。そうした事件が起こってから、資金援助を決して受けないと彼は心に決めたという(児島宏子「ロシア映画―伝統と個性の重視」、p. 243)。

それでも今もなお、どれほど時間がかかろうと、どれほど中断を余儀なくされようと、彼は自分の信じるところの芸術作品を1コマ1コマ作り続けている。
 2000年11月、東京都写真美術館にて「ロシア・アニメ映画祭2000」が開催された。その記念シンポジウムに出席したノルシュテインに対して、司会者が「外套」はいつ完成するのかと何度となく質問していた。「本当に、いつできるんでしょうね」と皆さんに訊いてみたい、とノルシュテインは笑って答えていた(「ロシア・アニメ祭」、p. 74)が、私に言わせれば「いつできるのか」なんてどうでもいい。勿論ファンの一人として一日も早い完成を望みはするけれど、ノルシュテイン本人が彼のペースで彼の望む通りに作り続けてくれればそれでいい。20年待ったのだ。もうあと20年かそこら待つくらい、たいしたことではないだろう?
 一日も早い完成を望む人がいる一方で、音の入っていない未完成の状態でもそれはそのまま既に「完成している」と考える人もいる。高畑勲はミケランジェロのロンダニーニのピエタを引き合いに出した上で「あれは「外套」という作品の一部であるとしても、すでにして、アニメーションにおける芸術的探索行為の結晶」であり「たとえ未完に終わっても(略)極北の星として、アニメーションにたずさわるものをつねに啓発しつづける」(「ノルシュテインの仕事」、p. 59)と語る。それは確かにその通りだと私も思うが、ロシアの映画監督ソクーロフの「私からすれば、これ(「外套」のこと)は完璧に完成しているのです。映画も長ければいいというわけではないのですからね(笑)。終了させる時期を逃してはなりません」(『ソクーロフとの対話』、p. 166)という発言には断固として異を唱えたい。


 また、2001年8月14日(火)にラピュタ阿佐谷で行われたシンポジウム「日本と世界のアニメーションの現状とこれから」(ノルシュテイン、川本喜八郎、高畑勲)にて、世界のアニメーター36人が松尾芭蕉の連歌に挑戦するというプロジェクトが発表された。2003年完成予定で、ノルシュテイン、川本喜八郎、高畑勲の3人も参加する。この時のシンポジウムおよび12日から別途行われていたノルシュテインのワークショップの模様は、8月19日(日)WOWOW放送の映画情報番組『シネマインサイダー』にて放映された。