『銀河ヒッチハイク・ガイド』10周年記念版への序文

 以下は、アダムスが小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』のアメリカでの発売開始10周年を記念して、Harmony Books から出版したThe Hitchhiker's Guide to the Galaxy:10th anniversary edition に寄せた序文である。ただし、訳したのが素人の私なので、少なからぬ誤訳を含んでいる可能性が高い。そのため、この訳はあくまで参考程度にとどめて、全貌をきちんと知りたい方は、必ずオリジナルにあたってくださるようお願いする。


 先日、ハーモニー・ブックスの編集者が私に電話をかけてきて、アメリカで『銀河ヒッチハイク・ガイド』が出版されてから n 回、 我々の住む惑星はある恒星の軌道を回って、まもなく前と同じ場所に戻ろうとしているところだが、 n という数字はちょうど霊長類の前肢と同じ数なんだ、と説明してくれた。勿論、彼はこういう言い方はしなかった。彼はニューヨークの出版人ではあっても狂人ではないし、この両者には一応大きな相違がある。あなたが、作家やエージェントやニューヨークの出版人の会話を耳にしたらそうは思わないかもしれないけれど。
 彼が実際に言ったのは、勿論、10周年記念が近づいていますよということだった。
 1年、というのは単に地球が太陽の周りを一周するのにかかる時間のことであり、また私たちの計算方法が自分の指を使って数え始めるところから派生しているものだと考えれば、この情報は実にいい加減なものだと言える。「10年」なんて、物事をもっと大きな枠組みで捉えた場合にはほとんど意味のない単位だし、惑星の動きなるものに実質的な意味があるとしたら、それは占星術の領域に限ってのことだ。
 とは言え、編集者が話したのはそれだけではなかった。彼は、10周年が近づいていますが、新しい序文を書いてはいかがですかと言ったのだ。500語か600語もあれば充分、今夜のうちにも仕上がりますよと彼は請け合った。ふうん、そういうことか。ここに至って、ようやく私は物事をはかる単位というのがいかにいい加減なものかということを理解し始めたが、とにかく私には今夜は既に予定があり、丁重にお断りすることにした。予定というのは、私は最近この地に生活の居を移したばかりなので、この近くにあるビーチのカフェに降りて、美女たちが通り過ぎるのを眺めようというものだった。たいした予定でもないじゃん、と思われるかもしれないが、それでも予定は予定であり、私としては断固として遂行するつもりだった。ある日突然、もう何年もたった一人で暮らしているくせに、まるで楽しい結婚生活でも送っているかのような日々を過ごしてきたことに気が付いて、どこか新しい場所で新しい生活を始めなくちゃいけない、毎晩むっつりとマッキントッシュの前に座っている場合じゃない、そもそもこういう機械こそが諸悪の根元だったのだと、私は感じたのだ。
 が、編集者は私を思いとどまらせた。彼がどんな論法を用いたかは思い出せないが、それはたいしたことではない。もし私が出版人相手に論争して勝てるくらいなら、作家ではなくエージェントになっていただろうし、そうすれば毎晩どころか朝でも昼でもいつでも好きなだけビーチのカフェに座って美女を眺めることができただろう。が、現実には私は作家であり、相手が私の善良な気質につけ込もうとすると、自分が善良な人間だと人に思われるのが嬉しくて、あっさり言いなりになってしまう。エージェントなら、そういう感情は生まれた時に外科手術で巧い具合に除去してしまっている。
 こうして、私はまたもむっつりとマッキントッシュの画面を眺めている訳だが、ふとある驚愕の事実に気が付いた。私はこれまでずっと占星術のことをとことんバカにしていたが、もし惑星の動きが本当にいい加減なものだったとしたら、今夜私の許に背の高い黒髪の男は登場しなかったのではないか。これはどういう意味だ? 私は、すごいアイディアを掘り当てたのか? このアイディアで本が一冊書けるんじゃないか? The Astrologer's Guide to Life, The Universe and Fish Restaurant 、とか何とか? だとしたら、私は10年後に別の本の序文を書くことになるのか?
 いや。今は現実に踏みとどまって、自分の人生の責務を果たす時だ。私はもう600語ばかりを書き上げたし、時間は午後10時15分だし、ビーチのバーはまだ開いている、大急ぎで背の高い黒髪の男たちや女たちの群をかき分けて進めば、私はいい加減好きなだけの酒を飲むことができるだろう。

ダグラス・アダムス
ジュアン・レ・パン
1989年5月

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