唐人駄場から車でおよそ17分(4.3km)。足摺岬の南西端、臼碆(うすばえ)崎の竜宮神社に向かった。
県道27号線沿いの臼碆展望台の駐車場に車を置いて、竜宮神社の鳥居をくぐる。クロマツやウバメガシの群生する参道をしばらく進むと、とつぜん視界がひらけ、息を呑むような光景が眼下に広がっていた。
標高60〜40mの海岸段丘が、波浪や潮流などによる海蝕作用で変化に富んだ海蝕崖を呈し、柱状節理の奇怪な岩塊が露出している。剥きだしとなった岩礁の先には太平洋が広がり、波が白い縞模様を描いている。案内によると、黒潮が日本で最初に接岸するのがこの場所であるという。荒波がつくり出したダイナミックな景観は、なにやら神々しい気配を漂わせている。
海岸付近の岩礁を、九州、四国南部、和歌山県あたりでは波の下に石と書いて「碆(ハエ)」という。この碆に、黒潮と親潮の境目が達するとき、絶壁の先に浮かんだ碆を中心に渦が見られる。その様が碾き臼(ひきうす)で粉をひいているように見えることから、臼碆という名がついたという。
竜宮神社は、海に突き出た岩場の上に祀られている。神社といっても、朱塗りの鳥居と小さな祠が海に面して建てられているだけだが、ここでは眼前に広がる海そのものがご神体であり、りっぱな社殿がなくても、原始宗教的な畏怖の念を十分に感じとることができる。
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竜宮神社は、別名「竜王宮神社」「龍権さん」とも呼ばれ、弁才天をご神体として、豊漁と航海安全にご利益があるという。しかし、ありきたりの祈願では、大漁成就の霊験を得るのは難しかったのだろう。当社では、この地ならではの、ひそかな祈願法がおこなわれていたという。
民俗学者・宮田登氏の『ヒメの民俗学』(青土社)に、土佐清水市の漁村での話として、以下のような記述がある。
「この村で不漁が続いた時は、魚招きという女たちの呪(まじな)いが行なわれる。漁師の女房たちと網元のおかみも加わり、海岸の竜宮さんにお参りする。竜宮の祠はやや高い岩の上に祀られている。女たちは全員かならず赤い腰巻をしてお参りに行き、岩づたいに渡って行くとき、海面にその色どりを映し出さねばならないとされていた。そして祠の前にくると、腰巻のすそをつまみ上げ、「漁をさしてくれるならみんな見せます」といって祈願したという。こういう話は、室戸岬の方の漁村でも行なわれていたという。この時、赤い腰巻の果たした役割は、きわめて大きいものだった。海の神がこれによって刺激を受け、大漁になるという期待がかけられていたのである。女陰の威力という点は、さておき、赤色がそれに加わることによって、いっそうの呪力の発現が予想されていたのである。」
縄文時代の土偶にも、全身を赤く塗られたものがあり、古墳の石棺の内側を赤く塗るなど、赤い色が魔力をもつと考えられていたことは、まちがいないだろう。
漁師の妻が、海に向かって女陰を露わにするという風習は、日本だけでなく世界にも広く伝播していたという。キャサリン・ブラックリッジ著『ヴァギナ 女性器の文化史』(河出書房新社)に、スペイン北東部のカタルーニャに伝わる「女陰(ほと)を見せれば海が鎮まる」ということわざが紹介されている。
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近世より、足摺半島西南部の伊佐・松尾・大浜・中浜・清水・越・養老の7カ浦は「鼻前七浦(はなまえななうら)」と呼ばれるカツオ漁とカツオ節加工の基地であった。江戸時代初期に、出稼ぎにきた紀州印南浦の漁師によってはじめられ、以後このカツオ節加工は土佐国の地場産業として発展した。鼻前七浦で加工されるカツオ節は品質・量ともに土佐国で群を抜いていたという。
現在も、臼碆周辺は、カツオ・ブリ・ヨコ・ヒラマサ・清水サバ・グレ・クエなどの好漁場で、青柳裕介氏の漫画「土佐の一本釣り」や映画「釣りバカ日誌 14」の舞台としても知られている。
竜宮神社のお祭りは、毎年1月12日、鼻前7カ村をはじめ、近郷近在の船主、船乗りとその家族によって行われている。地元船主はに大漁旗をなびかせ、臼碆周辺に集結し、竜宮神社の沖合いから参拝し、一年の「大漁」「海上安全」を祈願する。
大漁を招き寄せる竜宮神社の霊験は、いまもあらたかであるという。
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2018年5月11日 撮影
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県道27号線沿いにある竜宮神社の石鳥居。
案内板には「竜宮神社 400m」と記されている。
岩礁の上にも太公望が集い、釣り糸をたれている。
船による送迎があるのでろう。
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