2階建て家屋の屋根と同じ背丈をもつ、通称「高山メンヒル」とよばれる巨大な立石。


石の高さ4.75m、幅2.3m、岩質は緑色片岩とされている。


立石側面。厚さ0.66m。


立石背面。「古来前面を仏とし 背面を神として崇拝され」ていた。


民家前から大洲市街を見下ろす。
 高山ニシノミヤ巨石遺跡は、大洲(おおず)盆地を見下ろす高山寺山(こうせんじさん・標高561m)の中腹、標高約280mの高山西地区にある。
 JR予讃線の「西大洲駅」東の踏切を渡り、片側1車線のクネクネとしたカーブの連続する山道を高山寺山に向かって上っていく。踏切から約3km走った地点に「大高山農道 出石寺(しゅっせきじ)近道13km」の標識があるので、その矢印にしたがって西高山方面へさらに上っていく。ここからは道幅は狭くなる。目的地まではあと1.2km、道路越しに大洲市街を一望できる2階建て民家の庭先に、通称「高山メンヒル」、地元では「石仏」とよばれる巨大な立石が立っている。

 すでに夕刻が近づいていた。折りよく民家の庭先で、農作業の片付けをされている所有者の方と会うことができた。立石の写真を撮らせてほしいとお願いし、ついでに石の話も伺ってみたが、由来についてはまったく分からないとのこと。片付けを終えると、車で山を下りていかれた。ここにお住まいではないようだ。

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 この正体不明の巨石遺構は、昭和3年(1928)11月、人類学者の鳥居龍蔵によって「東洋一のメンヒル」と讃称され、以来にわかに有名になったという。
 メンヒルとは立石のことをいう。朝鮮半島南部では「ソンドル」ともよばれ、巨石記念物のなかではもっともシンプルな構造物で、地上に1本の細長い石塊を垂直に立てたものである。「men(石)」と「hir(長い)」というブルトン語に由来し、フランスのブルターニュ地方を中心に西ヨーロッパに多く見られる。我が国においては、人為的に構築されたものを記念碑、墓碑などの祭祀遺構をみなされ、自然由来のものであれば、神の依り着く石(磐座)と考えられている。

 立石脇の大洲市教育委員会の案内板には、「先史時代の人々の手でこの地に遺したとされる巨石の中で代表的な立石である」と記されている。この立石が、人の手によって立てられたことは明らかと思われるが、それが先史時代であったかについては、これまで発掘調査はされておらず、考古学的に裏付けられた根拠は存在しない。

 立石の大きさは、高さ4.75m、幅2.3m、厚さ0.66m。正面下部に石を組み合わせた長方形の祭壇がつくられており、その上に石造りの五輪塔が建てられている。五輪塔は、供養塔、墓標などとして多く見られるものである。この祭壇と五輪塔が、立石と同時代に設置されたものかについては不明だが、これが地元で「石仏」とよばれる所以だろうか。ちなみに五輪塔は、日本では平安時代中期以降に密教で創始されたものである。

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 案内板には「古来前面を仏とし 背面を神として崇拝され」と記されている。五輪塔が置かれている立石前面の後方には「高山の石鎚山」と称される高山寺山、さらに後方には、四国別格二十霊場第7番札所の出石寺が鎮座している。立石を背面から見たその後方には、神体山とされる神南山(かんなんざん・654m)、その東には別名「冨士山(とみすやま)」とも呼ばれている如法寺山(320m)が望むことができる。上記の記述から、この地が神仏習合の遥拝所であったとも考えられる。

 さらに案内板には「昔藩令によって久米喜幸橋の石材に用いようと運び出し 翌日橋をかけようとしたところ この巨石が夜のうちに元の位置に坐っていた」という伝承が記されている。この伝承によると、古くは道祖神的な石神(「しゃくじん」ともいう)信仰の側面もあったようだ。道祖神は、路傍の神ともいわれ、村や部落の境にあって、他から侵入する悪霊や流行病(ここでは眼病に効験ありという)を遮断するとりでの役割を果たすものである。境の神の一つで、塞(さえ)の神、道陸神 (どうろくじん) 、岐神(くなどのかみ)、手向(たむ)けの神などともよばれている。

 メンヒルの正体は謎のままだが、考えられる遺構としては、墓標、供養塔、道祖神、遥拝石などが挙げられる。私見では、高山メルヘンが、高山寺山、出石寺に至る山道の曲がり角、民家の道寄りに設置されていること。地元で「石仏」とよばれていることから、道の辻などに祀られている道祖神ではないかと考えている。なんとなくだが、このメンヒルが仏の手のひらを前に向けた「施無畏印(せむいいん)」の印相に見えてくるのだ。

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2018年5月11日 撮影


立石正面の祭壇には五輪塔が置かれている。

【案内板】

 大洲市指定史跡 高山ニシノミヤ巨石遺跡 昭和31年9月30日指定

 先史時代の人々の手でこの地に遺したとされる巨石の中で代表的な立石である。
 古来前面を仏とし 背面を神として崇拝され 特に目疣(めぼ)のある者が祈願すれば霊験を得るとして
 参詣する風習がありその前面には積石の祭壇を設け今なお香華が供えられている
 昔藩令によって久米喜幸橋の石材に用いようと運び出し翌日橋をかけようとしたところ
 この巨石が夜のうちに元の位置に坐っていたという民話もある
 昭和3年11月 故鳥居龍蔵博士の来洲によってメンヒルとしては東洋一のものだろうと
 推称されて以来にわかに有名になった立石である。

 平成3年1月吉日建立、大洲市教育委員会」