海に突き出た白石の鼻。小山状の岬の周囲は約260mほど。満潮時には手前の石垣まで水がくる。


岬の突端にある白石龍神社。平成3年、台風により本殿及び鳥居が崩壊、平成4年に境内を修復された。


岬から40mほど沖合いに浮かぶ白石の鼻巨石群。通称「三ツ石」とよばれている。


岬の東側に見られる玉ねぎ状風化の崖。いまにも岩肌から花崗岩の母岩(コアストン)が出てきそうだ。


神社北側にある「亀石」とよばれる積み重なった石。冬至の頃には亀石の空洞にも太陽光が差し込むという。


岬周辺には大きな石や岩がゴロゴロと散らばっている。中央に「亀石」。
 松山市の北西端に位置する白石の鼻(しらいしのはな)。西の沖合いには興居島(ごごしま)が見える。ちなみに「鼻」の地名は、海に突出した岬地形のことをいう。
 鼻の突端には「りゅうごんさん」とよばれる白石龍神社が祀られている。神社の由緒及び創建は明らかではないが、古くから五穀豊穣・漁業の神様として尊崇厚く、諸普請は郡方が行い、祭祀は和気郡代官が出張して奉行したとある。

 社(やしろ)は岬の突端にあり、これまで何度も台風の被害にあってきたという。神社由来には、寛政7年(1795)、文化9年(1811)の修理、新築のほか、平成3年(1991)9月の台風で本殿及び鳥居が倒壊し、平成4年7月に現在の姿に再建されたと記されている。
 祭神には豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)が祀られている。彦火火出見命は、海幸・山幸神話の山幸彦のことをいう。神話では兄の釣り針を魚にとられてしまい、針をもとめて海にはいり、海神・豊玉彦命(ワタツミ)の娘の豊玉姫と結婚する。

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 白石の鼻巨石群は、白石龍神社の沖合い約40mの海面上に浮かんでいる。地元では「三ツ石」とよばれているが、海側から眺めると5つの花崗岩で構成されていることが分かるという。石の周囲は約20m、高さ約6m、総重量は推定約100トン。絶妙なバランスで積み重なった巨石群は、現代アートのオブジェのようでもあり、なにか特別な意味をもつ巨石記念物のようにも見える。

 古来より、三ツ石は自然に積み上げられたものと考えられてきたが、平成20年、郷土史家の篠澤邦彦氏と地元住民らによって設立された「松山・白石の鼻巨石群調査委員会」の調査によって、白石の鼻巨石群は、自然の産物ではなく、人工的に造られた古代遺跡ではないかという疑問が発せられ、にわかに注目されるところとなった。
 調査委員会メンバーの篠澤氏によると、北側の海岸から三ツ石を眺めると、中央部に長さ2m、幅0.5mの穴がぽっかりと口を開けており、その空洞から春分・秋分の前後に夕日の光線が貫通することが確認できたという。この発見から、三ツ石は古代の天体観測施設ではないかという仮説が立てられている。また、三ツ石の土台部分には、巨石が動かないようにくさびの役割をする「かませ石」が要所に差し込まれており、岩の風化や波による浸食だけでは説明がつかない人工的な加工跡があることも確認したという。
 はたして三ツ石は自然の産物なのか、人工物なのか……。今後、同委員会では大学等の学術機関との共同研究を実施していくという。

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 私がここを訪れたとき、海はちょうど干潮時で、県道39号線の海側歩道を歩いていると、岬北側の崖からいまにも巨大な卵状の石が生まれようとしている不思議な光景が目に入った。
 これは地質学で「タマネギ状風化」あるいは「球状風化」とよばれる風化現象であるらしい。まるでタマネギの皮をむくように風化が進み、内部に残った球状の母岩(コアストン)が姿をあらわすものである。岬周辺に散乱している花崗岩は、このような風化によって現れてものと思われる。

 これを見て想像できるのは、かつて樹木の生い茂った小山状の岬は、三ツ石のあったその先まで伸びていたのではないかという仮説である。岩の重なりは、タマネギ状風化によって露出した岩が、上下に積み重なったものではないだろうか。三ツ石はやはり自然の造形物ではないかというのが、私の見立てである。
 愛媛大学の調査によれば、松山城の石垣の一部は、白石の鼻で採取されたものであるという。かつては、岬周辺に花崗岩の巨石がゴロゴロと転がっていたのだろう。さすがに三ツ石は巨大すぎて、動かすことができなかったのではないだろうか。
 人工説にもロマンがあるが、白石の鼻のタマネギ状風化も非常に珍しいもの。一見の価値がある。

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2018年5月12日 撮影

岬東側にも巨大な花崗岩が散乱している。

龍神社に向かう遊歩道。沖合いには興居島(ごごしま)が見える。


毎年春分、秋分の日の前後には、三ツ石に差し込む夕日の観賞会が開催されている。