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岩上神社拝殿。扁額、幟には「岩上大明神」と記されている。
拝殿屋根の後方にそびえる神籬石。屋根には鯱(しゃち)が飾られている。
樹々と下生えが密生し、岩が隠れているのが残念。冬季に訪ねるのが望ましい。
特異な意匠と彩色が施された春日造りの本殿。県の重要文化財に指定されている。
高さ12m、周囲16mの神籬石。周りにも数個の巨石が配されている。
神籬石からの眺望。約4km先の播磨灘まで見渡せる。
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県道465号線を南下し、市町村道に入りしばらく走ると「石上(いわがみ)神社」の道標が見える。ここから車1台がやっと通れるくらいの鬱蒼とした山道を上っていく。この道でほんとうに大丈夫なのかと不安に感じはじめたころ、ようやく視界の悪い山道から法輪山岩神寺のひらけた境内に出た。あたりに人の気配はない。車はここに駐めさせてもらう。
岩神寺の境内から石段を50段ほど登ったところに石上神社がある。拝殿の扁額や周囲に立てられた幟(のぼり)には「岩上大明神」と記されている。当社は明治6年(1873)に村社に列せられているが、それ以前は岩上大明神と呼ばれていたのだろう。
本殿は一間社隅木(すみき)入り春日造で、龍田大社(奈良県生駒郡三郷町)の旧本殿を譲りうけて移築されたものと伝えられている。平成12年から15年にかけて解体修理が行われ、ほぼ創建当時の姿に復元した。カラフルな彩色や象鼻が飛び出す絵様彫刻など、きわめて装飾性の高い、特異な建築様式といわれている。うら寂しい山間の神社で、このような華美荘厳な本殿に出会うとは、思ってもいなかった。
社伝によれば、当社の創建は天文10年(1541)、今からおよそ480年前の室町時代末期のこと。柳沢城の初代城主で淡路十人衆の一人とされる柳沢隼人佐直孝(はやとのすけなおたか)が、大和国石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)の祭神・布都魂神(ふつのみたまのかみ)の分霊を勧請したのが起源とされている。
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石上神社の神籬石(ひもろぎいし)は、標高143mの岩山中腹に鎮座している。ひときわ高くそびえる石は高さ12m、周囲16m。周りにも数個の巨石が配されている。本殿の裏から仰ぎ見ると、その異様な迫力に圧倒される。
土地の人々から「ひもろぎのお岩さま」と呼ばれており、今でも篤い信仰が集めているのだろう、石には注連縄が張られている。巨石のすぐ側まで通じる「神岩参道」を登っていくと、そこからの見晴らしはなかなかのものだ。眼下に緑の森が横たわり、遠くには瀬戸内の青い海がひろがっている。
岩の周囲から平安時代のものと思われる素焼皿が見つかっている。このことから、この一帯が室町時代の神社創建のはるか以前より、この岩を「磐座」として崇め、この地を聖なる祭祀場としていたことに、まちがいないだろう。
広義にいえば、神をお迎えする依り代(よりしろ)という意味で、磐座(いわくら)と神籬(ひもろぎ)は同じものだが、狭義においては、磐座は石、岩、岩窟などが祭祀の対象とされ、神籬は神の降臨する特別な施設(場)のことを指す。
神籬の語義については諸説ある。柴室木(ふしむろぎ)の意で、栄樹(さかき)を立ててそれを神の御室(みもろ)として祭ること。生諸樹(おひもろぎ)の意で、神の霊の憑(よ)りませる森の樹立ちのこと。檜室籬(ひむろぎ)の意で、檜の葉をもって仮に神室をつくること、等々。
また、『日本書紀』巻第二・神代下の天孫降臨の条に「吾(高皇産霊尊)は天津神籬(ひもろき)及び天津磐境(いわさか)を起し樹(た)てて、當(まさ)に吾孫の為に斎ひ奉らむ」の記述がみえる。これに対する注として、岩波(日本古典文学大系)版には、「神の降臨の場所として特別に作る場所。屋内にも、屋外にも作る。ヒは、霊。モロは、モリと同じ意。神の降りる山の意。キは、不明(木や城(キ)の意ならばキ乙類の音。ヒモロキのキは、キ甲類の音)。後には神社の意にもいう」とある。ヒモロキのキは「樹」に関わるとする説が多いが、たしかなことは不明とされている。
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当社の「神籬石」が、人の手によってつくられた施設(場所)とは思えないが、あたかも築山に組まれた人工的な連山石組みのようでもあり、その景観から、なにやら人智を超えた不思議な力によってつくられた石組みのようにも見える。「神籬石」の名は、巨石群の織り成す造形美が、聖なる祭壇に見立てられ、名付けられたものと思われる。地元の人たちにとっては、本殿と同じくらいの尊さをもって崇められていたのだろう。
今回は訪ねなかったが、石上神社周辺には夫婦岩荒神(柳澤戊)、俵石(高山甲)、交合石(山田甲・秋葉山山頂)などと呼ばれる多くの巨石が点在しており、巨石信仰のさかんな地域であることがうかがえる。また、当社の北東約3.5kmには、年間150万人以上の参詣者が訪れる淡路国一の宮の伊弉諾(いざなぎ)神宮がある。一説には、岩上神社は伊弉諾神宮の奥の院ともいわれているが、真偽のほどは不詳である。
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2018年5月9日 撮影
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岩神寺からこの石段を上っていく。
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案内板。
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