真言宗智山派の寺院・三石山観音寺。白壁の護摩堂、左奥に進むと本堂(観音堂)がある。


護摩堂の奥に鎮座する本堂。慶長16年に創建、明治12年に再興された。


山頂にある3つの巨石が、「三石山」 の名前の由来となっている。


本堂奥の奥の院入り口。巨岩の隙間をぬって奥の院の参道にすすむ。


奥の院に向かう参道から眺めた三石の上部。


三石山山頂に鎮座する奥の院。祠のなかには役小角の石像が祀られている。
 午前8時、東京湾アクアラインの海ほたるパーキングエリアから、横浜港のキリン(ガントリークレーン)を背景にした富士山が見えた。石の撮影にはうれしくない天気である。
 9時50分、千葉県の南部、房総半島のほぼ中央に位置する三石山(みついしやま)に到着。駐車場の先に、三石山を護る山の神様・大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)をまつる神社の鳥居が見える。案内板には「この上に本宮あり」と書かれている。なかに磐座らしきものがあるのではと思い入ってみたが、丘陵が崩れた状態で足場が悪い。境内には入ることはできなかった。

 三石山の標高は282m。ちなみに千葉県は全国で一番平均標高が低い県で、標高408mの愛宕山(南房総市)が千葉県の最高峰である。
 三石山周辺の地質は、今から約300万年前の上総層群(かずさそうぐん)黒滝層とよばれる地層が露出したもので、当時、海であった房総半島が地殻変動を受けて隆起し、現在の房総丘陵をつくったとされている。

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 観音寺(かんのんじ)へは、駐車場から「縁結びの参道」とよばれる坂道を10分ほど上っていく。山頂に建つ堂宇は真言宗智山派の寺院で、境内には平成10年に建てられた護摩堂、その右手に寺務所(じむしょ)がある。好天の休日とあって思いのほか参拝客も多く見受けられた。

 当寺の開山は、室町時代の応永16年(1409)に三石下の岩窟に覚恵(かくえ)上人(親鸞聖人の末娘・覚信尼の長子のことか?)が、十一面観音像を安置したのがはじまりとされている。その後、岩窟が崩壊し、十一面観音像は失われてしまったが、しばらくして、忽然と像が姿を現したため、慶長16年(1611)に岩下に本堂(観音堂)が建立したという。

 本堂は、護摩堂の左手を進んだ先、山名の由来となった三石の岩下に鎮座している。現在の本堂は、明治12年(1879)に再興、昭和12年(1937)に改修されたもので、本堂内には十一面観音と薬師如来が祀られている。山中にあって、海から遠いお寺だが、なぜか海上安全・大漁満足・海苔豊作などにご利益があり、漁業関係者の信仰がさかんな寺院として知られている。

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 本堂手前と奥の2カ所に「奥の院」に向かう階段がある。どちらから入ってもいいが、私は本堂奥の人ひとりがやっと通れる岩の隙間から入ってみた。小径に沿った岩のあちこちに、小さな穴が穿たれており、なかにさまざまな表情の石仏が置かれている。手前の小径は本堂に接する岩の裏手を通っており、2本の小径は3つ石中央の石の裏側で合流している。

 奥の院は3つ石中央の石の上にあり、祠の前にはフェンスが設けられ、色とりどりの縁結び祈願のハンカチがびっしりと結びつけられている。
 祠のなかには役小角(えんのおづの/おづぬ)の石像が祀られている。周知のとおり、役小角は奈良時代に大和の葛城山(かつらぎさん)を拠点とした山岳呪術(じゅじゅつ)者で、修験道の開祖とされている。いつから小角が縁結びの仏さまになったのか、なんとも説明のつけようもないが、かつてこの山が、修験道の聖地であったことは確かなことだろう。
 古来、巨石を祀る磐座信仰の聖地が、のち(室町時代?)に修験道と融合して寺院となり、観音信仰の霊場となったものと解せられる。

 奥の院からの眺望はすばらしく、房総の山なみが一望のもとに見渡せるが、なにしろ不安定な岩の上であり、足場は狭く、風も強い。急いで写真を撮り、早々に退散した。

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2018年12月15日 撮影



駐車場の側にある大山祇大神の鳥居。
三石山を護る山神様が祀られている。



奥の院周辺の岩穴には、多くの石仏が安置されている。

三石山観音寺の山門。開門午前6時、閉門午後3時55分。
境内周辺は「三石山自然林」として、県の天然記念物に指定されている。