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岡山平野の北にそびえる鬼城山山頂に築かれた古代の山城「鬼ノ城」。
平成16年に復元された鬼ノ城の西門。
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岡山平野を一望のもとに見わたせる鬼城山(きのじょうさん、397m)の山頂に、謎の古代山城「鬼ノ城(きのじょう)」がある。
鬼ノ城は温羅(うら)伝説発祥の地として知られているが、昭和53年(1978)から始まった継続的な発掘調査によって、これまで謎とされていた古代山城の正体が次々と明らかになってきた。
鬼城山の9合目あたりをめぐる城壁の全長は約2.8km。城内面積はおよそ30ヘクタールで、東京ドームの6.4個分に相当する。城壁の規模は高さ6m、幅7m、土を盛り突き固める版築(はんちく)工法で造られている。城壁の基部には、幅約1.5mの石畳が敷設されており、東・南・西・北に4つの門、谷部に6ヵ所の水門が設けられていた。そして城内からは、礎石建物跡7棟、掘立柱建物跡1棟、溜井(水くみ場)、烽火(のろし)場、鍛冶遺構などが発見されている。
築造年代は、出土遺物から7世紀後半頃と考えられている。天智2年(663)、倭国と百済の連合軍は「白村江(はくそんこう)の戦い」で、唐・新羅の連合軍と激戦を交え大敗を喫している。このとき、唐・新羅の連合軍に追われた多くの百済人が倭国に亡命してきた。また、倭国も敵軍の本土襲来に備えて、百済人の指導のもとに九州から西日本の各所に「朝鮮式山城」が築造している。古くから、鬼城山の山中に謎の石垣遺構があることは知られていたが、土塁の列石が発見されたことにより、鬼ノ城は「白村江の戦い」以後に造られた朝鮮式山城の一つと考えられている。
結局、恐れていた唐・新羅の侵攻は杞憂に終わった。鬼ノ城の軍事的価値は失われ、やがて築城の歴史も忘れられていったのだろう。平安時代末期から鎌倉時代になって、荒廃した山城は「温羅伝説」の舞台となり、さらに時代が下がると、岡山の古名「吉備」が、きび団子の「黍」に通じることから桃太郎説話の「鬼ヶ島」に置き換えられていったと思われる。
桃太郎説話の発生年代は正確には分かっていない。一説には室町時代にさかのぼると言われているが、これを裏付ける一次史料は見つかっていない。最も古い史料とされているのは、福井県敦賀市の気比(けひ)神宮にある「桃太郎像」で、江戸時代初期の慶長19年(1614)、本殿再築の折りに彫刻された木彫り像とされている。(残念ながら戦災により本殿とともの焼失している。)
文書としての初見は、江戸時代中期の享保8年(1723)に出版された草双紙の赤本が最古のものとされている。以降、物語はより標準化され、庶民の間に普及していったという。
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復元された西門の盾。 盾中央の鬼面は奈良県「藤ノ木古墳」出土の馬具(鞍) に彫られた「壁邪獣」をもとに図案化されたもの。 (鬼ノ城ビジターセンター)
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唯一残された岩屋寺の遺構「毘沙門堂」。
鬼の差し出し岩。岩場にはロープが張られ「落石注意・立ち入り禁止」の看板が立てられていた。
岩屋の内部には腰を屈めることなく入っていける。
方状節理によって立方体状に割れた岩が積み重なっている。
鬼の差し上げ岩の左にある女陰の形状をした岩。 本来はこれを女岩(陰石)、差し上げ岩を男石(陽石)として祀っていたと思われる。
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鬼ノ城を見学を終え、北北西に3kmほど奥まった岩屋地区にある「鬼の差し上げ岩」に向かう。
鬼ノ城への見学者は多いが、岩屋地区まで足を延ばす人は少ないようだ。10分余りの道中で、すれ違う車は1台もなく、岩屋休憩所の駐車場にも車は1台も止まっていない。一人で心細いが、ここから山道をおよそ500mほど登っていく。案内は各所に立てられているので道に迷うことはなかった。
鬱蒼とした樹林の迫る山道を抜け、岩屋寺の石段を上ると、わずかながらも開けた場所に出る。正面に毘沙門堂があり、右奥に「鬼の差し上げ岩(別称:鬼の岩屋)」と呼ばれる巨大な磐座群が鎮座している。
案内板によると、岩窟の屋根の部分にあたる岩の大きさは縦15m、横5m、厚さ5m。伝承によれば、温羅がこの巨大な岩を差し上げて岩窟を造り、すみかとした。「岩屋」の地名もこの岩窟に由来するとある。
現在の岩屋寺は、毘沙門堂と小さな本堂を残すのみの無住の廃寺となっている。それでも、平安時代末期には新山寺(現在の総社市黒尾)とともに山岳仏教の拠点となり、盛時には岩屋寺と新山寺、あわせて38坊を擁する地方でも屈指の霊場であったという。しかし天文〜天正年間(1532〜92)の戦乱によって寺勢は衰え、寺の伽藍もほとんど消失し、境内に残る毘沙門堂だけが往時をしのぶ唯一の遺構とされている。
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岩屋寺の周辺には、鯉岩、餅つき岩、八畳岩、屏風岩、方位岩、汐差岩など多くの巨石が点在している。これらの巨石群の巡る散策ルート(約1時間)もあるが、「吉備の中山」で痛めた足がこの日も疼いている。散策は断念したが、岩屋付近だけでも、山岳霊場にふさわしい幽玄な雰囲気は感じられる。
巨石群を仔細に眺めていると、差し上げ岩の左に、女陰の形状をした岩が見える。本来はこれを女岩(陰石)、差し上げ岩を男石(陽石)として祀られていたのではないだろうか。滋賀県「太郎坊宮」の磐座「夫婦岩」では、男岩を金剛界、女岩を胎蔵界になぞらえ、両界の大日如来の姿に見立てられていたことを想起する。
おそらくは岩屋寺の巨石群も、「温羅伝説」に連なる以前、修験道の信仰が始まるはるか以前から、原始信仰としての男根信仰・女陰信仰にもとづく磐座として、畏怖の対象となっていたのではないだろうか。
近年、鬼の差し上げ岩がアニメ「天地無用!魎皇鬼」の封印石のモデルにされ、アニメオタクの「聖地巡礼」地になっているという。もしも、私ことカメラじいさんとアニメオタクが遭遇していたら? 想像しただけで困惑してしまう。
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2017年4月27日 撮影
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駐車場のある岩屋休憩所。 東屋(あずまや)の左の道から上っていく。
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案内板。
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